【梨園】揚羽
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: シリーズ
EX :危険
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/12/04 15:40



■オープニング本文

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●囚われ人
 目覚めて最初に目に入ったのは、頑丈そうな格子。
 天井の近くから漏れる光が浮かび上がらせる室内の様子に、彼が1つの言葉に行き着くまでさほど時間は掛からなかった。
 座敷牢。
 それでも、彼を捕らえた者には、彼を殺す気はないらしい。
 快適とは言い難いが、毎日のように運ばれる食事、清潔な着替えと湯が与えられる。ここに閉じこめられて何日になるのだろうか。兄弟子達は無事なのだろうか。自分を探してくれているのだろうか。
 考える時間だけはたっぷりとあった。
 彼はまだ未熟な少年だが、兄弟子達から、このような事態に陥った時の心得は叩き込まれている。
「僕も開拓者のように志体を持って生まれたかったなぁ」
 無いものねだりをしても始まらない。1つ息を吐いて、彼は天井近くにある格子の入った小窓を見つめた。この座敷牢に閉じこめられてから出来た癖のようなものだ。
 いつか、そこから兄弟子が覗き込んでくれるような気がして、誰もいないと分かっていても見上げてしまう。
「兄さん、僕が目隠しされて何かに乗せられた時」
 聞こえた声を、僕は知っています‥‥。

●兄弟子に出来る事
 不機嫌さを隠そうともしない揚羽に溜息をついて、澤村龍之介は読んでいた書物を閉じた。
「揚羽」
 揚羽が用もないのに、この離れにいるのは、勝手に動くべからずと言い渡した龍之介への無言の抗議だ。兄弟子であり、いずれ澤村一門の宗主となる龍之介の言葉は揚羽にとって絶対。幼い頃から、身に染みついた習性とも言えるだろう。互いに大きくなり、芸の道でも評価を受けて立女形となった今でも、それは変わらない。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
「ここで拗ねていても何も変わらないよ」
「なら、兄さん!」
「駄目」
 澄ました顔でにこやかに却下されて、揚羽は再び不機嫌な顔で黙り込む。
「松也を連れ去った者の意図が見えないのだから、仕方がないだろう? 一応は、揚羽を名指ししているわけだし、澤村としてはこれ以上の被害は避けたい。当然の事だと思うだろう?」
「じゃあ、松也はどうなるんですか! あれから何日経つとお思いで? 被害を最小限に留めるために、松也を見捨てると‥‥」
 こん、と龍之介は揚羽の頭を小突いた。
「見捨てるわけがないだろう? 私は私なりに調べていたんだよ」
 何か言いたそうに自分を見る揚羽の視線に、こほんと咳払って、龍之介は続ける。
「私が思うに、松也はきっと無事だよ」
「その根拠は?」
 揚羽の前に1枚の紙が差し出された。それは、松也がさらわれた時に届いた文だ。
「揚羽、お前を寄越せと言いながら、その後、何も言って来ない。色々な解釈が出来るけれど、私は松也を連れ去った者が、松也を害するつもりがないと思う」
 龍之介はもう1枚の紙を揚羽に見せた。
 松也をさらった者からの文と同様に、潰した筆で書かれたらしい乱れた文字が並ぶ。
「松也が連れ去られる前に、お前宛てのいつもの付け届けが届いていた。これは何を意味するのだろう。そして、この家の事を知っている様子で、揚羽が目的だという文を届けながら、屋敷に留まっているお前に気付かない」
「兄さん‥‥」
 うん、と龍之介は頷いた。
「開拓者の報告を元に、あの日の事を調べ直したんだよ。確信出来るまで、おおっぴらに動いて松也が危険な目に遭うと大変だからね。でも、そろそろ松也を助けてやらないと。それから、菊松の敵討ちもして、お前の憂いも晴らす」
 にっこり笑って見せると、龍之介は更に1枚の紙を揚羽に見せた。
「ギルドに依頼を出そう。志体を持たない私に出来る事はもうない。彼らの協力が必要なんだ」

●協力を求めて
 天儀歌舞伎の名門、澤村家の看板たる龍之介から松也救出の依頼が届いたのは、供養の日から大分時間が経っての事だった。
「澤村内部での確認が終わったってさ」
 名門だけあって、澤村に関わる者は多い。本家だけでなく、分家も含めると相当の数になる。
 そして、その待遇も様々だ。
 客間や稽古場に通される者、屋敷の奥まで入る事が出来る者、更には当主やその近しい者達と懇意にしている者まで、事細かく分けていくとなると、気が遠くなる。
 この一件に関わっていそうな者達を選別するだけでも大仕事だ。
 澤村の内部に精通している者がいなければ、到底、無理だろう。
 その部分を、龍之介が調べて資料としてギルドに提出したらしい。
 絞り込まれているが、それでもやっぱり数が多い。資料を読み込んで更に絞り込むのは開拓者の勘と澤村の情報を一手に握っている者との連携が必要となるだろう。
「ともかく、澤村の中で起きている不穏な出来事を一切合切解決して欲しいって事だ。これ以上の事件が起きないように、な」
 呟いた開拓者に、龍之介の依頼を覗き込んでいた者達は頷きを返したのだった。


■参加者一覧
滋藤 御門(ia0167
17歳・男・陰
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
高遠・竣嶽(ia0295
26歳・女・志
橘 天花(ia1196
15歳・女・巫
大蔵南洋(ia1246
25歳・男・サ
時任 一真(ia1316
41歳・男・サ
紅 舞華(ia9612
24歳・女・シ
狐火(ib0233
22歳・男・シ


■リプレイ本文

●手
「っ!」
 突如、口を塞がれ、高遠竣嶽(ia0295)は息を呑んだ。
 何者かの手。ゴツゴツと節くれだった指、大きさからして男。
 瞬時に断じて、竣嶽は視線を巡らせる。けれど、被っていた頭巾が災いして、相手の顔までは確認出来ない。
 ここで反撃に転じれば捕えられるかも、という考えが頭を過る。けれど、今の自分は「揚羽」だ。それに、松也の事もある。まだ正体を明かすには早すぎる。
 相手は声を潜めるように笑って体を揺らした。
 大柄な男のようだ。
 口を覆い、手首を掴む力に抗う振りをして、竣嶽は冷静に周囲と自分の状況を観察する。
 しかしー。
「っっ!」
 手の甲にべったりとした何かが押し付けられて、背筋に悪寒が走る。
 ちらりと手を見遣れば、甲に真っ赤な紅が付着していた。
「お前の紅だよ、揚羽‥‥。お揃いだね‥‥」
 くぐもった声が耳元で囁かれる。ぞわりと、悪寒が強くなった。本能が警告を発する。
ーこれは‥‥この男は‥‥!
「揚羽をくれるって言ったのに、約束を守っちゃくれないんだ。だから」
「揚羽さん? どうし‥‥わっ!」
 掛けられた声に、男は竣嶽を離すと、巨体に似合わぬ素早さで身を翻して走り去って行く。
 すかさず後を追う影があった。
 大道具として入り込んだ事を活かし、小屋を調べに来ていた大蔵南洋(ia1246)だ。
 追跡は彼に任せて、竣嶽はその場に膝をついた。
「揚羽さん! 誰か! 揚羽さんが!」
 人を呼ぶ声が遠くに聞こえた。けれども、竣嶽は身の内に荒れ狂う嫌悪感を押しとどめるので精一杯だ。
 アヤカシに遭った時も、これまで相手にして来た者達とも違う、得体の知れぬ気味悪さ。
 あれは、あの男がぶつけて来た感情はー。
「揚羽!」
 駆け寄って来るのは娘姿の紅舞華(ia9612)。その姿を視界に捉えて笑む。
 思う以上に、衝撃を受けていたらしい。舞華の腕の中に倒れ込んで初めて肺腑まで空気が通ったように、竣嶽は大きく息を吸い込んだ。

●醜聞
 澤村の本邸はそろそろ戻って来る主を迎えるべく、使用人たちの動きが慌ただしくなっていた。
「一真、玄関は掃き清めたか」
「へえ」
 ひょこりと頭を下げて、時任一真(ia1316)は残っていた土を竹箒で散らす。
「ばっ!! お前なぁ‥‥」
「どーかしましたかぁ?」
 やる気無さげな一真の声に、使用人頭は額を押さえて首を振る。
「もういい。お前は裏の方を掃いていろ」
 わざと乱暴に箒を肩に担ぐと、使用人頭が顔を顰めた。それを無視し、鼻歌まじりに裏へと回る一真の耳に、別の使用人を呼びつける声が届く。
「もうすぐ龍之介様がお戻りになられる。埃ひとつとして残さぬよう!」
「龍之介様が、か。一介の使用人は迂闊には近づけないし、しくったかな」
 やれやれと彼が肩を落とした時だった。
「−かっ!」
 誰かの怒りを押し殺したような叫びが聞こえた。
 声の質からして、少年のようだ。
「落ち着きなさい」
 対する声は大人びた男のもの。聞き覚えがある。これは、澤村の看板役者、澤村龍之介の声だ。
ー帰って来るのは、もう少し先じゃないのか?
 使用人頭はそう言っていた。
ー予定を変更したのか? それとも‥‥。
 気配を殺し、一真は話し声のする方へと足を進める。注意深く様子を窺うと、1人の少年と向き合う龍之介の姿があった。
 困った顔をしてはいるが、裏口の近く、人の目にも付きやすい場所で話している所を見ると、秘匿性の高い会話をしているとは思えない。
 だが。
「どうしてダメなんですか! 松也がいなくなったから、僕が代わりに‥‥!」
「柳弥!」
 龍之介が血相を変える。
 醜聞で、彼の役者人生に傷をつけたくないという澤村家の意向から、松也の件は表沙汰になっていない。
 このような場所で不用意に話していい内容ではないはずだ。
「どうしてですか、兄さん。どうして松也ばかり‥‥。僕が分家の人間だからですか。僕だって、好きで分家に行ったわけじゃ」
「柳弥」
 静かに、龍之介が名を呼ぶ。
 柳弥と呼ばれた少年は、大きく肩を揺らした。けれど、言葉を止めるつもりはないようだ。
「妾腹がそんなに恥ですか。でも、僕より澤村本家にふさわしくないのは揚羽兄さ‥‥」
「柳弥!」
 鋭い声と同時に、乾いた音が響いた。
「いい加減にしないか、柳弥。こんな場所でしていい話とそうでない話の区別もつかない程、お前は愚かか」
 怒りに満ちた龍之介の声に、柳弥少年は後退ると逃げだすように駆け去っていく。
「‥‥」
 残された龍之介の顔に、深い苦悩が浮かぶ様を眺めながら、一真はぽりと頭を掻いたのだった。

●別邸
 見苦しくない程度に手入れされた庭と、澤村の離れよりも一回り小さい屋敷。
 それが、揚羽の別邸だった。
「とは言え、あくまで別邸の1つでしかないみたいですがね」
 肩を竦めてみせた狐火(ib0233)に、六条雪巳(ia0179)が苦笑する。
 かねてより打診してあった揚羽の別邸での調査‥‥揚羽宛に送られて来た付け届けの確認‥‥に対して、ようやく龍之介の許可が下りたのだ。
「揚羽さんは、ここを調査する事をご存じなのですよね?」
 心配そうに尋ねる橘天花(ia1196)に、雪巳が頷きを返す。
「龍之介さんが伝えて下さったそうです。好きに見てもよいとの事ですが‥‥」
「揚羽さんはいらっしゃらないのですか?」
 ええ、多分と、雪巳が天花から視線を逸らす。
 はてと首を傾げて狐火を見ると、彼もなにやら微妙な表情で明後日の方角を見ていた。
「では、揚羽さんはどちらに?」
「‥‥」
 大人2人の間で、視線が交わされる。しばし、視線での会話が続いた後、雪巳が溜息をこぼした。
「揚羽さんには、他にも色々と別邸があるようです」
「他にも別邸が、ですか? 凄いですね。さすがは澤村の立女形です! お金持ちなのですねっ」
「‥‥‥‥」
 目をきらきらと輝かせて、素直に驚く天花の様子に、雪巳の笑顔が一瞬だけ固まる。
「‥‥言えませんねぇ。楼閣に居続けてるらしいなんて‥‥」
 天花に聞こえないように呟かれた狐火の言葉に、雪巳はふ、と遠い目をした。
「別邸も、幾つかあるにはあるそうですよ‥‥」
 黄昏る男達にやれやれと息を吐くと、舞華は素早く周囲を見回した。
 あの日、松也が向かったはずの花園を調べさせて貰ったが、何の手がかりもなかった。
 掘り返した痕跡もなかった。まだ見つかっていない猫の生首は、他の付け届けと同じく、揚羽がこの別邸に隠した可能性がある。
「そういえば、華道家に会いに行ったとの事だが‥‥」
 舞華の問いに、揚羽の別邸に歓声をあげていた天花の表情が開拓者のそれへと変わる。
「菊松さんの枕元で見たお花の様子を描いて、先生にお見せしたのです。何か意味はあるのですか、と」
 足元に落ちていた小さな枝を数本拾って、天花はその様子を語り始めた。
「活けられていたお花は、こんな感じになっていました。何か意味があるのではないかと思ったのですが、逆だったんです」
「逆?」
 困ったように、天花は手の枝を見つめる。
「はい。綺麗に活けられているように見えたのですが、型が崩れているそうです」
「具体的には?」
 それまで黙って聞いていた狐火が尋ねた。
 どう説明すべきか迷うように僅かに首を傾げ、天花は手にしていた枝を動かし始める。
 横合いから手を伸ばして、雪巳がその枝を取った。天花が作っていた形を崩さぬよう注意して、彼女の前に差し出す。
「ありがとうございます。先生がおっしゃるには‥‥えーと、難しいですね」
 説明に詰まったのか、天花は枝に手を伸ばした。雪巳の手を花器に見立てて、その縁に添わせていた短い枝を取ると、一番長い枝の隣に並べる。
「このお花が季節の盛りだから、一番長くて真ん中に来るはずなのに、どうして下に活けたのかと問われてしまいました」
 ふむ、と狐火が顎に手を当てる。
「つまり、あの日、菊松の枕元に活けられていた花は、華道の心得の無い者が活けたという事ですか。もしくは‥‥」
「何者かが崩したか」
 舞華の呟きに、彼らは顔を見合わせた。

●犯人像
 辺りに人がいない事を確認して、南洋は襖を開いて部屋に入る。
 何の前置きもなく、南洋は中にいた3人に冊子を差し出した。
「これが、あの日、澤村の本邸に集まっていた者達の名簿です」
 疲れた顔に笑顔を浮かべて、滋藤御門(ia0167)はそれを受け取って礼を述べた。
「松也様への頼みは、花の咲いている場所を知る者にしか出来ません。その中に名を連ねる者のうち、何人がその事を知っていたのでしょうか」
 考え込む素振りを見せた竣嶽に、南洋が続ける。
「それに、人1人を拉致し、近隣の者や家の者に気づかれる事なく監禁し続けられるだけの環境を持った者、菊松が亡くなった当日に芝居小屋と本家の双方に顔を出している者もですね」
 澤村の関係者はある程度調べたが、それでも歌舞伎の名門の家柄は関係する者が多い。すべてを把握しきれていないのが現状だ。
「それを言うなら、揚羽も疑わしい1人だな」
 帳面を捲っていた輝蝶が口元を歪める。
「当日は南洋の言う通り、小屋と本家に足を運び、松也に頼み事をしてもおかしくもなく、花の事だって当然知っていたはずで、別邸も多い」
 何がおかしいのか、くすりと笑った輝蝶をちらり見遣って、御門はゆっくりとこれまで調べた結果を羅列していく。
「松也さんに文を渡したのは、本家に長く勤めている女性だったのですが、忙しさに紛れて何人かの手を経由していたようで」
 御門の言葉を受けて、南洋が頬を掻く。
「あの日、本家にいた者には、手紙を言付ける機会があったわけですね。そして、そこそこに立派な屋敷を持ち、澤村の家と近しく、小屋にも詳しい」
「考えるだけで頭が痛いですね」
 苦笑した竣嶽の手には、付け届けの記録が記された帳面が握られている。その膨大な量に気が滅入りそうだ。
「そうですね。でも、まだ何1つ分かっていません。猫の生首、簪に毒を仕掛けた者、菊松さんを殺した者、松也さんを浚った者、竣嶽さんを襲った者」
 ひとつひとつの事柄を、御門は紙に書き連ねていく。
 分かっている事、いない事、疑問と推測。
 その手が不意に止まった。
「大蔵さん、竣嶽さん‥‥揚羽さんを襲った者は小屋のお客さんに紛れ込んだのですよね?」
「はい。龍之介さんが舞った最後の舞台を見終えて、外に出ようとする客、錦絵を買い求める客で混雑している中に入り込まれてしまいました」
 狭い場所に何百人かの人間が詰め込まれた状態だった。
 男はするすると合間を縫うようにして南洋の手から逃れ、南洋は人の壁に阻まれてその姿を見失った。
「楽屋から外への出口は他にもありますよね。なのに、まっすぐお客さんの方に向かったのですね‥‥」
 その時間、表が混んでいる事を承知していたという事か。
「あの男は‥‥何と言うか‥‥異質でした。悪意ではない。ですが‥‥」
 その時の事を思い出して、竣嶽の眉が寄った。
「すべてを冷静に計画づくで進めている者という感じではありませんでした」
「‥‥簪、それから、揚羽さんの衣装に仕込まれていた針にも微量の毒が付着していました。‥‥どちらも、人を殺せる程のものではなく、しばらく寝込んで動けなくなる程度ですが」
 淡々とした御門の報告に薄ら寒いものを感じ、竣嶽は身を震わせた。
 間近で感じたあの狂気は、一体、どれ程のものを孕んでいるのか。
「ですが、菊松、松也の一件は行き当たりばったりの感があるとはいえ、ひどく冷静に事を進めている」
 南洋も唸りながら腕を組む。
 菊松の容体が急変した日、奉納舞の日の事は、狐火が詳細に調べたが、怪しい人物は浮かばなかった。いや、絞り切れなかったというのが正しいのか。
「菊松の奥方も、シロだったそうですし」
 同時に息を吐いた仲間達の中、御門は輝蝶へと向き直った。
「輝蝶さん、前から気になっていたのですが、お尋ねしてもいいですか」
「ん?」
 真剣な表情で帳面を捲っていた輝蝶が生返事を返すのを待って、一息に尋ねる。
「輝蝶さんは、こちらの‥‥歌舞伎の世界の方‥‥実は揚羽さん本人なんて事はないですよね? 答えて下さい」
 帳面を見入っていた輝蝶の目が御門へと動く。
「何の根拠で?」
「勘です」
 ふむ、と輝蝶は帳面を閉じた。
「ま、開拓者にゃ必要なもんだわな。けど、確証が無けりゃ誤魔化されるぜ?」
 どこか面白がるような眼差しを、御門はまっすぐに受け止めた。

●花と毒
「これが、揚羽さんの別邸にあった付け届けと文です」
 一枚一枚、丁寧に文を並べる雪巳の表情は浮かない。
 したためられていた内容は、天花には見せられないものばかり。
 事情を察した舞華が花園の再調査と称して彼女を外に出して、ようやく皆で文を検分出来るという有様だ。
「‥‥何と言うか‥‥」
 困った顔をした雪巳に、狐火も複雑そうに腕に抱えた箱を見る。無造作に並べられていた付け届けも、あまり愉快なものではなかった。
「どう判断すべきでしょうか」
 雪巳の呟きに応える者はいない。
 別邸で既に衝撃を受けた者達には、黙り込んでしまった仲間の気持ちがよく分かる。
「‥‥つまり、犯人は狂気と計算高さを合わせもつ者、とも考えられるが‥‥断定は出来ない」
 苦々しさを滲ませたその声が、静まり返った部屋に落ちて、消えた。
 同じ頃、花園に向かった天花と舞華は、花が咲き乱れる園の中、女物の袿を頭から被って佇む姿を見つけて声を上げていた。
「揚羽、さん?」
 その声に、花の束を抱えたその人物が振り返る。
「‥‥じゃなくて輝蝶さん」
 現れたのは良く見知った顔だ。
 緊張を緩めた2人の姿に、輝蝶は目元を和らげた。
「おいおい。『揚羽』だろ、『恋人』が間違えんなよ」
「それは失礼をした」
 澄ました顔で答えて、舞華は輝蝶の元へと歩み寄る。傍目には恋人同士が寄りそうように近づいて、油断なく周囲を窺う。
「ここは澤村の奥だ。小屋と違って、そうそう、不届き者は現れないだろ」
「警戒するに越した事はない」
 きっぱりと言い切った舞華に、輝蝶は肩を竦めるとちょいちょいと天花を招いた。
 走り寄った天花の傍らに膝をついて、輝蝶は何処かを指差す。
「花摘んでて面白いもん、見つけたぜ。天花なら見えるんじゃないか?」
 輝蝶の指の先を辿って、天花はあっと声を上げた。
 青々とした葉を豊かに茂らせる巨木の枝が揺れる。その合間に見え隠れするのは白い包み。
 天花が振り返るより先に、舞華の姿が消える。
 やがて、彼女は包みを手に戻って来た。ゆっくりと開かれた包みの中から現れたのは‥‥。
「天花、見るな」
 輝蝶の男にしては細く手入れのされた指先が天花の目を覆い隠す。
「付け届けの生首。それから、これは‥‥?」
 小さな螺鈿の容器に入った練り薬のようなもの。
「‥‥気をつけろよ。もしかすると、それは毒かもしれない」
 低い輝蝶の声に、天花と舞華は息を呑んだのだった。