|
■オープニング本文 ●はじまり 眠らない街、楼港。 多くの楼閣や温泉等の華やかな顔と、その裏に暗く危険な顔とを併せ持つ北面有数の歓楽街である。 その街に、今日もまた事件が起きるーーー。 「ボス! 大変です!」 大声を上げながら室内に駆け込んで来た鈴鹿薫に、事務担当の氷雨が煎れた茶を優雅に口元に運んでいた慕容王がくすりと笑んだ。彼は、いつもは背伸びをして大人びた雰囲気を保とうと努力しているようだが、時に、年相応の顔を見せる事がある。 それが、周囲の者達の生温かい笑みを誘っているのだが、本人は気付いてもいないようだ。 「どうかしましたか、薫」 用件の見当はついていた。何しろ、場所が場所だ。 けれど、微笑みを崩さずに慕容王は問うた。何か起きる度に慌てていたのでは、この仕事は勤まらない。 「たった今、伝書忍犬が文を携えて来ました! 八〇一町参丁目でコロシがあったそうです!」 コロシ。 その言葉に、ほのぼの、子や弟を見守る視線で薫の行動を見守っていた者達の表情が改まり、それぞれの為すべき事をする為に動き始める。 「八〇一町参丁目か。大通りから少し外れた場所だな。女に給仕させてぼったくる酒場や、賭場、連れ込み宿が多い。そう言えば、最近、この界隈の苦情が急増していたな」 1人が、がさがさと楼港細見広げて告げれば、別の者がぽんと手を叩く。 「ああ、そうか。楼港健全化運動を推進している連中と揉めて、俺も何度か応援で仲裁に入った事がある」 慕容王の周囲に集まった者達の間に埋もれてしまった薫が、ぴょんぴょんと飛びはねながら、文を握った手を振った。 「く、詳しい報告はこれに!」 気の毒に思った氷雨が、その文を受け取って慕容王に差し出した。 乱雑に折り畳まれ、忍犬のよだれでところどころ湿った文を開いた慕容王の表情が曇る。 「‥‥これは‥‥」 「現場は「霙」という名の、下はぼったくり酒場、上は連れ込み宿という極めていかがわしい店です。ガイシャの名は朧谷但馬、店の2階で血だらけになって死んでいる所を従業員が発見。番屋に駆け込んだようです」 ひゅっと、氷雨が息を呑むのと、その場にいた者達の視線が集まったのは、ほぼ同時の事だった。 「朧谷但馬‥‥って、もしかして氷雨の‥‥」 「‥‥別れた亭主です‥‥」 青ざめた氷雨を気の毒そうに見遣ると、彼らは指示を仰ぐように慕容王を見る。 彼らの上司は、いつもの謎めいた笑みを浮かべて、ただ頷いた。それだけで、彼らには十分だ。 「よし、とりあえず聞き込みだ。但馬の交友関係、殺されるまでの足取りを洗い出せ! ‥‥っと、その前に、氷雨はこの一件からは外れて貰う。事務の担当だが、一応は捜査一課の仲間だからな。別れたとはいえ、秋郷の父親でもあるわけだし、身内は捜査には関われないのが掟だ」 「しかし‥‥」 言いかけて、氷雨はぎゅっと唇を噛んだ。 かつて惚れて一緒になった相手だ。 少しでも、手にかけた相手を探し出す協力がしたいと思う。 だが、掟は掟だ。 「それから、ちびっこ刑事、お前さんは現場への出入り禁止」 「何故だッ!」 捜査の基本は足だ。現場と周辺での入念な聞き込みから情報を得なければ、何も始まらない。現場に出ずに、どうやって捜査をしろと言うのか。 「お子様は立ち入り禁止の場所だから」 薫の抗議に、即座に答えが返る。 うんうんと同意の頷きを帰す者こそあれ、薫の援護をしようという者は誰もいない。 「ちびっこ刑事は、氷雨の代わりにここで事務処理。‥‥ニ、あれ? 子連れ刑事は?」 「そう言えば、姿が見えませんね。またサボっているのでしょうか」 肩を竦めた者達に、氷雨がおずおずと口を挟んだ。 「子連れ刑事‥‥いえ、重さんは、桔梗ちゃんと春休みにねずみの王様に会いに行く約束をしているとの事で、有休を取っています」 「あいつめ‥‥」 「まあ、そう言わず。結構、大変なんですよ」 ただ遊びに行くのであれば楽しいが、保護者となると大変なのだ。経験者らしい者達が数名、しみじみと頷く。 「ともかく、聞き込みと現場検証に行くぞ‥‥って、何だ? お前達は!」 乱暴に扉を開け、ずかずかと入り込んで来た者達に、彼らは色めき立った。 仮にも楼港の治安を預かる楼港署の、凶悪事件を扱う捜査一課の拠点だ。無断で立ち入れる場所ではない。 だが、次の瞬間、彼らは言葉を失う事となった。 「我々は天護隊の者だ! 上層部の判断により、我々もこの事件を扱う事になった」 天護隊。 それは、北面の治安を守る組織で、構成員達は全て特権階級の精鋭達という、同じ治安維持組織ではも、地域密着型の楼港署のような者達とは相容れぬ存在だ。 その天護隊隊士数名に囲まれるようにして姿を現したのは、銀色の髪の、人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべた男。 「お前ら、何をしている! 管理官の執務室を用意せんか!」 「聞き込みだ!? そんな事より先に、まずは事件の分析だろうが! 適当に聞き込みをして質の高い情報が得られるとでも思っているのか! どこからどう攻めていくのか、まずは会議だッ!」 怒鳴り散らす天護隊隊士。 「管理官」と呼ばれた男はにやりと笑い、慕容王の机の上にどかりと座ると、尊大な態度のままで足を組んだ。 「高遠重衝だ。ま、よろしく頼む」 |
■参加者一覧 / 野乃宮・涼霞(ia0176) / 劉 天藍(ia0293) / 柚乃(ia0638) / 鷹来 雪(ia0736) / 鴇ノ宮 風葉(ia0799) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 輝夜(ia1150) / 橘 天花(ia1196) / 巴 渓(ia1334) / 八十神 蔵人(ia1422) / 喪越(ia1670) / 弖志峰 直羽(ia1884) / 倉城 紬(ia5229) / 楊・夏蝶(ia5341) / 沢村楓(ia5437) / 設楽 万理(ia5443) / 神咲 六花(ia8361) / 和奏(ia8807) / リエット・ネーヴ(ia8814) / 向井・奏(ia9817) / 赤鈴 大左衛門(ia9854) / ブリジット(ib0407) |
■リプレイ本文 ●召喚 「ぴんぽんぱんぽーん」 間延びした声が聞こえたと思ったら、愛らしい衣装をつけた職員達が一斉にお知らせを告げ始めた。 「楼港よりお越しの重様、至急の文が届いております。おられましたら、お近くのおにーさんに声を掛けて下さいねっ♪」 告げられた内容よりも、頬に指を当て、片足を上げ片目を瞑る職員に頭を抱えながら、重は湯呑みを机に叩きつけた。これが可愛い女の子なら許せる。だが、何故、筋骨隆々たるおにーさんなのだ。 気は重いが仕方ない。重は近くのおにーさんに声を掛けた。 「今の呼び出し‥‥」 「あら、アナタが重さん? ちょっと待っててねっ!」 待つ事、数分。 汗だくで駆け戻って来たおにーさんが、息も絶え絶えに文を差し出す。 そういや、ここはだだっ広かったな‥‥などと思いつつ、重は文を広げた。差出人は柚乃(ia0638)となっている。訝しみながら、おにーさんの汗に濡れた文に目を通す。 『トモキトクスグカエレ』 短い文面を何度か読み返して、彼は叫んだ。 「なんっじゃこりゃあああっ!?」 ●楼港署の七不思‥‥ 右往左往する楼港署員の様子に、天護隊の管理官、高遠重衝は息を吐き出した。 「無能な部下を持つと苦労するな、慕容王」 その言葉にむっとした表情を見せたのは、楼港署員だけではなかった。 「貴様には目上の者に対する礼儀がないのか!」 慕容王が重衝の言動に怒った‥‥のではない。慕容王の頭から、いや、これでもかとばかりに差された髪飾と丁寧に盛られた髪の中から聞こえた気がする。 ちなみに、慕容王のこの頭、何時間かけて盛っているのか知る者は誰もいない。 「なんだ? このチビ」 眉を寄せた重衝に、くすりと慕容王が笑った。 「あなたにも見えるようですね」 「あ?」 「かえでちゃんも知らんのかいな」 怪訝な声を上げた重衝に、資料を抱えた八十神蔵人(ia1422)が肩を竦めて首を振る。 「かえでちゃんはな、楼港署に取り憑いた貧乏が‥‥いたたっ」 蔵人に飛び移った「かえでちゃん」が、彼の髪を力一杯、引っ張ったのだ。 「冗談、冗談やて。かえでちゃんは楼港署のあいどるなんや」 その言葉でようやく機嫌を直したのか、かえでちゃんは蔵人の頭の上でふんぞり返る。 「あーもう、若ハ(ぴー)になったらどうしてくれるんや。ともかく、これの正式名称は沢村の楓ちゃんや」 その説明が不満だったのか、かえでちゃんこと沢村楓(ia5437)は、再び蔵人の髪の毛を握った。 「わーっ! 待った! そやから冗談やて!」 「さあ、敬うがよい」 一頻り蔵人で遊んだ後、胸を張ったかえでちゃんを、重衝は引っ手繰るようにして掴む。 「やや、何をするか! この慮外者! あ〜れ〜!」 「やかましい」 じたばた暴れるかかえでちゃんを両手で締め上げ、重衝はこめかみに青筋が浮かんだ凄絶な笑みを浮かべた。 「貧乏神だか疫病神だか知らんが、俺の邪魔だけはするな?」 こくこくと頷くかえでちゃんを慕容王に投げつけ、重衝は興味を失ったように部屋を出る。 「うえーんっ」 泣きつくかえでちゃんを受け止めると、慕容王は蔵人と視線を合わせ、そっと頷いた。 ●霙 八〇一町の片隅に「霙」はひっそりと佇んでいる。 噂通り、いかがわしさ全開の酒場だ。 疲れた顔をして所在無さげに佇んでいる着飾った者達は従業員だろうか。 ついでに、口の回りが何やら‥‥いや、それは気にしないでおこうと、劉天藍(ia0293)は現場へと向かった。 惨劇の舞台となったその部屋は、これまた、とんでもなく趣味の悪い部屋だった。 その真ん中で倒れているのは、被害者の朧谷但馬だ。 「遺留品を‥‥」 「証拠が逃げる! 入って来るんじゃねぇ!」 部屋に足を踏み入れようとした天護隊隊士を一喝する。 「いいか。そこから動くんじゃねぇぞ」 注意深く、天藍は但馬の様子を確認した。 「何か分かったのか!」 尋ねる天護隊士に、天藍は眉根を寄せた。 「今、それを確認しているんだろ。気が散る。大人しくしてろ!」 怒鳴りつけて、天藍は検分を続ける。 「?」 但馬の体の下に何かが落ちていた。 赤い髪紐だ。 そして、それとよく似たものを、天藍は知っていた。 「はーい、こちらは最前列です〜! 札を掲げている人が最後尾です〜」 「霙」の外では、野次馬達を相手に、楊夏蝶(ia5341)は悪戦苦闘していた。 「はい、そこの人! 横入りしない!」 一体、何の整理をしているのか、夏蝶自身が疑問を感じてしまう。 遠い目をしていた夏蝶は、肩を叩かれ、営業笑いで振り返った。 「ここから先は入場禁止となっております。最後尾はあちらの札‥‥女郎刑事!?」 「呼び出したのはお前のくせに、ひどい扱いだな」 艶やかに微笑んでいるのは、楼港署の女郎刑事こと輝蝶だ。 「最後尾はあっちか? そうだな、2時間待ちってところか。またな、「舞姫」。2時間後に話とやらを聞かせてくれ」 「やーんっ! ちょっと待って!」 ひらひらと手を振る輝蝶の手を掴んで、夏蝶は頬を膨らませた。 「もう、意地悪っ!」 ふ、と笑った顔に見惚れてしまいそうになったが、からかわれていると知って夏蝶は、ぷぅと頬を膨らませた。 捕まえて貰う為にわざと危険行為を行う者さえいる交通課のあいどるだ。途端に周囲がどよめいた。 「で、話って何だ?」 「今回の事件の事です。この界隈は、乙女の夢と現実の狭間と言うか、正直、乙女としてはあまり見たくない現実が‥‥」 「乙女の夢? ああ、陰間か」 あっさりきっぱり、そのものずばりな単語を口にした輝蝶の背を、夏蝶は思いっきり叩いた。 「きゃーっ! はっきり言っちゃダメですッ!」 油断をしていた輝蝶が前のめりに倒れ込む。 「だ、大丈夫ですかっ!?」 「‥‥ティエ、おまえな‥‥」 倒れた輝蝶を引っ張り起こそうと腕を握れば、またざわめきが起きる。 「ここじゃロクに話も出来ないな。続きは署で聞く」 額を押さえつつ去って行く輝蝶の後ろ姿を、夏蝶はただ静かに見送るしかなかった。 ●探偵団 楼港の片隅にある鴇ノ宮探偵事務所では、少年探偵天河ふしぎ(ia1037)が所長の鴇ノ宮風葉(ia0799)に詰め寄っていた。 「だからっ! 僕達が追っていた男が殺されたんだってば!」 「だから〜? アタシらが受けたのは人捜し。殺人の捜査はけ〜さつのお仕事ッ!」 ヤスリで爪を磨いていた風葉は、ふっと爪の削り粉を吹き飛ばし、ジト目でふしぎを睨め付けた。けれど、それ怯むふしぎではない。熱血もーどになったふしぎは、いつもの1.1倍の力を発揮するのだ! 「これは僕達の事件だ! あの狐目の女が探していた男が殺されたんだよ? 裏に何かある! ‥‥と僕の勘が告げている!」 「探偵とは、猫探しとか依頼人の素朴な疑問に応えるものと聞いていたでゴザルが‥‥?」 ふしぎの宣言に向井奏(ia9817)が驚愕したのも束の間、更なる爆弾が投げ込まれる。 「それにね、風葉。この事件に天護隊が関わっているんだよ?」 「天護隊!?」 その一言に、風葉の顔色が変わる。 「奴らが出張って来るなんて、只事じゃないわね」 「だから言ったろ? 裏があるって。それに、事件を担当する管理官は高遠重衝なんだよ?」 風葉の表情と周囲の空気が凍り付く。 「風葉殿とその高遠某とは、どのような因縁がおありで?」 「関係」ではなく「因縁」を聞いて来る辺り、奏も心得ている。 「風葉は昔、天護隊にいた事があるんだ」 「なっ、なんとっ!?」 語られた事実に奏は衝撃を受けた。顔に無数の縦線が走り、白目になった奏の背後に白い稲妻が走る。 「しかもね、辞めた理由が重衝と‥‥」 「重衝と‥‥ナニデゴザルカ? ふしぎバヤシ殿!」 更に声を潜めたふしぎが口を開こうとしたその時、黙って聞いていた風葉が彼の後頭部めがけて凶器(爪ヤスリ)を投げつけた。 「余計な事は言わなくていいのよ‥‥ふしぎ? 奏も、かつおぶしを前にした猫みたいに瞳を輝かせないッ!」 笑顔で釘を刺した風葉は「でも」と腕を組んだ。 「気になるのは確かね。よし! 調査続行を許可する! ‥‥ただし、経費その他はあんた達持ちね」 最後に付け足された言葉は、部屋を飛び出して行ったふしぎと奏の耳に届いてはいなかった。 ●決意 小さな体に資料を山と抱えたちびっこ刑事こと鈴鹿薫は、怒り狂っていた。 「おい、ちびっこ。ついでにこれも写しとけ」 「ちびっこ言うなッ! この白髪頭ッ!」 重衝が追加した資料を、申し訳無さそうに渡すのは野乃宮涼霞(ia0176)だ。女性相手に怒鳴る事も出来ず、薫はそっぽを向くのが精一杯だった。 「さすがは慕容王。女へのしつけは出来てるじゃねぇか」 「管理官。わざわざ火種を撒き散らさないで下さい。後始末が大変なんですから」 溜息を漏らした涼霞に、重衝は鼻を鳴らす。 「有能な補佐官がいるからな。‥‥茶。ここの連中が煎れた茶はまずい。貴様が煎れろ」 「分かりました」 微苦笑を漏らして、涼霞は手もつけられずに冷えた湯呑みを下げる。俺様男だが、こういう可愛い所も極々たまにあるから、質が悪い。 湯呑みを手に給湯室に向かいかけて、涼霞はふと足を留めた。 「何様だと思っているんだッ」 「ですねぇ」 薫の口から溢れ出る重衝への憤りを、にこにこ笑って聞いている少女が2人。 涼霞の記憶によれば、おっとりとした雰囲気の少女が青少年課の倉城紬(ia5229)、元気いっぱいの少女が庶務課のリエット・ネーヴ(ia8814)だったはず。 薫の悪口雑言の数々は、天護隊士に聞かれたら大事だ。だが、聞き役に回っている2人の雰囲気で、妙にほのぼのとしている。涼霞が笑いかけたその時。 「管理官さんは格好良い人でしたね。薫くんの話では、怖い感じですけど」 「そんな人ってぇ、恋人になった途端、甘えたがりになるんだって。それも、仕方なく甘えてやってるんだって感じで。確か、そーゆー人をつんつんでれでれさんって言うんだよ」 リエットの発言に、涼霞は固まった。瞬間的に頭の中を駆け巡った「何か」が、彼女の思考回路を停止させる。 「リエットさんは物知りですね。そういえば、薫くんも、いつもはつんつんしてますけど、甘えたさんですよね」 「薫、つんつんでれでれさんだぁ〜!」 「う、うるさいっ! 僕は甘えたなんかじゃないぞ!」 ちまい子達の微笑ましいやりとりも、既に涼霞の耳には入っていなかった。 1度、頭の中を過ぎった「もの」は、そう簡単に消えない。 彼女は湯呑みを持ったまま、ふらふらとその場を立ち去ったのであった。 目的地であったはずの給湯室を素通りして。 その給湯室の奥、署員の休憩室では、ずずっと渋い茶を啜る男の姿があった。向かいでは、氷雨が憔悴しきった様子で座っている。 「なあ、氷雨さんよ」 一課の重鎮として、窓際刑事とも地蔵刑事とも呼ばれる喪越(ia1670)が口を開いた。 「刑事にとって大切なものってぇのは、一体、何なんだろうなあ? 理論に裏付けされた効率的な捜査方法? それとも、諦めない心か。‥‥俺はなあ、最近、こう思うんだよ。誰かを守りたいと思う気持ち、なんじゃねぇかってな」 氷雨が顔を上げる。 「俺はもうすぐ定年だぁ。後先考えずに済む。だからよ、最後に一花、咲かせてみようと思うんだが、あんたはどうする?」 椅子を蹴倒すように立ち上がった彼女に、喪越は頷いてみせた。 「私、失礼します」 「分かった」 飛び出した氷雨の姿を見送って、喪越もよっこいしょと立ち上がる。 「‥‥なんてな。さあて、そろそろ外回りが戻って来る頃か。面白いネタがあるといいんだが」 喪越は残っていた茶を一気に飲み干し、らったらったと足取りも軽く休憩室を後にした。 ●聞き込み 「名前? ボクの名前は輝夜だよ。見ての通り、焼ネギの屋台をやっているのさっ。で、キミ達は一体誰なんだい?」 「霙」の近くでいつも営業している焼ネギの屋台に、八○一町の住人らしからぬ客がやって来たのは、夕方近くであった。「霙」見物人が多い事もあり、売り上げ倍増で店主の輝夜(ia1150)はホクホク顔だ。 「我々、こういう者ですが」 ちらりと覗かせた身分証に、輝夜の表情が僅かに強張る。 「そ、それで?」 「んんん? なんで、目ェ逸らすん?」 突如、挙動不審に陥った輝夜に、弖志峰直羽(ia1884)は首を傾げた。心なしか、ネギを焼く手も震えている。 「何か怪しいなァ?」 「そ、そんな事は‥‥ナイヨ。ホラ、コノ澄ンダ目ヲミテ」 えへらと笑う輝夜の目を、直羽はじぃと覗き込んだ。 「確かに」 「‥‥たまひよ刑事」 あっさり納得した直羽の袖を引っ張ったのは、白野威雪(ia0736)だ。 「え? 俺、ナンパなんてしてないヨ? 仕事中だもん」 「‥‥ごちそーさま」 2人のやりとりを聞いていた少年が、台の上に小銭を置いて立ち上がる。 「毎度ー」 「ちょっと待ちな、坊主」 その少年の細い肩に、がしりと手が乗せられた。 「‥‥何かぁ?」 「てめぇが一番よく分かってるだろ」 暖簾を潜って姿を見せたのは、巴渓(ia1334)だ。探偵業を営む彼女は、楼港署の署員とも面識がある。 「なあ、たまひよさん。知ってるか。こいつは但馬が殺された時、「霙」にいたんだぜ? マズイと思ったのか、すぐにトンズラしたらしいがな」 「ちょっと待って下さい。あのお店は‥‥」 突きつけられた現実に、雪の顔が青ざめる。 「しかも、だ。こいつは但馬ともイロイロあったらしいぜ?」 「別にぃ? アイツ、結構恨み買ってたしぃ〜? 清々したって奴も少なくないんじゃないのぉ?」 きゃははと笑うと、和奏(ia8807)は開き直ったのか屋台の椅子に座り直した。 「事件と但馬について、知ってる事を教えてくれないかなぁ?」 ならさ、と和奏は直羽の方へと身を乗り出して来た。 「刑事さん、付き合ってよ。自分、まだ刑事とは付き合った事ないんだよねぇ」 えええっ!? 慌てたのは、本人だけではなかった。輝夜が焼いていたネギを床に落とし、渓も含んだ酒を吹き出す。 「駄目?」 「えーと」 たまひよ刑事、絶体絶命の危機! 事件解決の為に、道を踏み外すのか。それとも‥‥。 輝夜と渓の手に自然と力が入る。 「おんや? たまひよ先輩でないッスか」 緊迫した空気も何のその、間延びした声と共に覗き込んで来たのは、移籍して来たばかりの赤鈴大左衛門(ia9854)と、似顔絵捜査官のブリジット(ib0407)だ。 「田舎っぺ刑事〜っ!! 絵描き刑事〜っ!!」 この時ばかりは、大左衛門が救いの神に見えた。 彼を盾にしつつ、直羽は引き攣った笑顔で和奏に手を振る。 「と、とりあえず、俺、一度署に戻るから。後は任せた〜!」 言うや否や、すたこらさっさと屋台を後にした直羽を見送って輝夜がぽつりと呟く。 「‥‥逃げた」 「うん、逃げたねぇ」 全て押しつけられた大左衛門に視線を遣ると、和奏は深く溜息を吐いた。 「自分、顔見たよ〜? 但馬と一緒に部屋に入って行く人〜」 その一言に、ブリジットの瞳が輝く。すちゃっと、用意していた紙を取り出すと、似顔絵作成の体勢に入る。その時間、僅か0.05秒。 「詳しく聞かせて下さい」 「え〜? でもぉ、一瞬だったからぁ〜」 ブリジットはにっこり微笑んだ。 「大丈夫です。ゆっくり思い出して行きましょう。まずは、第一印象から」 そうして、重要な手掛かりの作成が焼きネギの香りの中で行われる事となった。 ●母子 その頃、家路を急ぐ氷雨の前には、黒ずくめの男達が立ちはだかっていた。 「どちら様ですか」 後ろ手に鞄へと潜ませた苦無を探る氷雨に、明るい声が掛かる。 「やあ、氷雨。今、帰りかい?」 「た、探偵刑事」 殺気立つ男達を無視して、神咲六花(ia8361)は氷雨へと歩み寄ると、彼女の鞄を取り上げた。 「さ、行こう。あ、そうそう。氷雨に似合いそうなもの見つけたんだ。後で見せてあげるよ」 肩に手を回して歩き出した六花に、さすがの黒ずくめ達も沈黙し続けてはいられなかったようだ。 「待て!」 得物を取り出そうとした男に身分証を突きつける。怯んだ相手に冷たい声が降った。 「氷雨を傷つけようとするなら、僕が相手になるよ?」 固まった男達を尻目に、六花は氷雨を促し、悠々とその場から去る。 「秋郷が‥‥」 「心配だね。でも、天花ちゃんがいるんだろ?」 はい、と氷雨が頷く。氷雨が仕事をしている間、いつも秋郷の面倒を見てくれているのは、同じ長屋の住人の橘天花(ia1196)。機転が利く彼女の事だ。万が一の事があっても、秋郷を守ってくれるだろう。だが。 長屋へと急ぐ2人の足が段々と速くなる。 「おかえりなさい! 今日も萩生くんは良い子で‥‥って、どうかしたんですか?」 秋郷を背負った天花を見た途端に、氷雨の体から力が抜けた。 咄嗟に支えた六花に、天花が何か問いたそうな視線を向ける。 「詳しい事は後で、ね。‥‥あれ? 柚乃ちゃん?」 襖から半分だけ顔を出している柚乃に違和感を感じつつも、六花は氷雨の膝裏に手を回し抱き上げると部屋の中へ入る。 確かに、何も変わった様子はない。 天花が敷いた布団に氷雨を寝かせ、六花は事件のあらましを語った。 いつ、奴らの手が伸びるか分からない。天花達には事情を説明しておいた方がよいと判断しての事だ。 「萩生くんのお父さんが!? そんな‥‥」 絶句する天花とは対照的に、柚乃はただ視線を伏せるだけだ。 先程から、どうも柚乃の様子がおかしい。 「柚乃ちゃん?」 水を向けると、柚乃は俯いたままでぽつりぽつりと呟く。 「心配‥‥ない。重さん、すぐに帰って来る‥‥と思うから」 沈んだ表情を氷雨に向ける柚乃が気にはなったが、女性の家に長居は出来ない。 大丈夫という天花と柚乃の言葉を信じ、後ろ髪引かれつつも、六花は氷雨の長屋を後にした。 ●天護隊 鑑識の天藍の出した結果に、重衝は眉を寄せた。 「毒殺か。で? 目撃者から但馬といた者の特徴を聞き出し、似顔絵を作成したと聞いたが?」 どこから情報を得ているのだろうか。 ブリジットが和奏から聞き出した重要参考人の似顔絵を描いたのは、つい数刻前の事だ。 「ま、ここの署員じゃ、子供のお絵描き程度だろうが」 カチンと来る言葉だが、所轄は天護隊には逆らえない。 渋々、ブリジットは似顔絵を重衝に渡した。 「こいつが、事件発生前に但馬と一緒にいた女か。短い黒髪‥‥この女、どこかで」 覗き込んだ涼霞が、素早く資料を捲る。 「識別名「突然の災厄」。毒を塗った矢を使った手口で、既に18人殺している殺人鬼です」 「毒殺専門か。手口も一致するな。よし。奴はまだ楼港に潜伏しているはずだ。殺さず捕らえ、組織との繋がりを吐かせろ!」 は? 突然の展開に目を丸くしたのは天藍だ。ブリジットはと言えば、指示を飛ばす重衝の後ろ姿に舌を出している。 「‥‥ブリジット」 「何ですか?」 いや、と言葉を濁し、天藍は天を仰いだ。 ●真相 「で、こっちがホンマの似顔絵か」 額を押さえた蔵人に、ブリジットはぷいとそっぽを向いた。 「以前、頂いた手配書を間違えて渡しただけです」 「天ちゃんも、毒殺て‥‥。2人して打ち合わせした?」 苦笑混じりの直羽の言葉に、同時に首を振る天藍とブリジット。 「偶然が重なったというわけか。まあ、捕まっても、あっちはホンマもんの殺人犯だし」 似顔絵の上に、直羽は天藍から預かった赤い髪紐を置いた。 「‥‥但馬は八○一町に出入りしていた。‥‥という事は、それで別れてんな、氷雨さん」 机の上、組んだ手に顎を乗せると蔵人が低く呟く。 「氷雨さんの私生活は関係ないだろう」 天藍の指摘に軽く首を竦め、蔵人は言葉を続けた。 「で、何で殺したんですか、氷雨さん」 はっと息を呑んだ署員が振り返る。 そこには、重に伴われた氷雨が今にも泣き出しそうな表情で胸元を押さえていた。 「子持ち刑事、お前、休暇だったんじゃ」 「柚乃に呼び戻されたんだよ! あいつ、偶然但馬と一緒に「霙」に入る氷雨を見たらしい」 「それで、何か言いたそうだったんだね」 納得したように、六花が頷く。 「私は、確かに但馬と「霙」で会いました。けれど、秋郷の養育費の話をしただけです。殺してません」 「‥‥氷雨さんや。今まで黙っていたのは、俺達を信じてなかったからかい?」 喪越の問いに、氷雨は力無く首を振った。 「でも、あの人達は私の言う事を信じないでしょう。私が逮捕されてしまったら、秋郷はどうなるのかと‥‥」 そうか、と喪越は泣き崩れる氷雨の肩を優しく叩いた。その様子を、楼港署の面々は温かく見守る。 「‥‥とすると、真犯人は誰なんやろ?」 ぽつりと漏らした蔵人の言葉に、現実に引き戻されるまで。 ●潜む者 どうしてバレたんだろう。完全に形跡を消していたのに。 表に集まっている天護隊士の様子を窓から窺って、設楽万理(ia5443)は小さく舌打ちをした。裏口もとっくに塞がれている。 ここは力押しで切り抜けるしかない。 素早く判断を下して、万理は慣れた手つきで矢を番えた。 放った毒矢を受けた天護隊士が崩れ落ちる瞬間を狙って飛び出す。ここを抜ければ、人混みに紛れて追っ手を撒く事が出来るはず。 だが、万理の思い通りの展開は訪れなかった。 「倉庫街に逃げ込んだぞ!」 「補佐官殿の読みが当たったか」 万理はありったけの矢を放った。だが、それが返って場所を教える結果となり、包囲は更に縮まる。毒矢は確かに隊士の体を貫いているはずなのに。 「何故? 何故なのよーっ!?」 叫ぶと、万理は最後に1本残った矢を自身の首筋に突き立て、岸壁から海へと飛び込んだ。 彼女は最後まで知る事がなかった。 天護隊が自分を追って来た理由も、彼女の毒矢に射られた者達が無事だったからくりも。 何も知らぬまま、彼女は暗い海の底へと落ちて行く。 遠くなっていく水面にゆらゆら揺れる炎の影が、万理が見た最後の光景となった。 「何っ!? 奴らと関係がないだと?」 周囲に轟き渡った怒鳴り声に、隊士の傷を癒していた涼霞が舞を止める。聞こえて来る話によれば、「突然の災厄」は、例の組織と関わりが無かったらしい。 「但馬は所詮トカゲの尻尾だったという事か!」 捜査資料を地面に投げつけ、踵を返した重衝を涼霞は追い掛けた。これから荒れるであろう上司を宥める為に。 ●闇の中へ 「ようやく見つけたぞ! 狐目の女ッ!」 風に長い髪を靡かせながら微笑む女に、ふしぎはびしりと指を突きつけた。 「よもや名前から連絡先まで、全て嘘とは思わなかったでゴザル」 肩を竦めた奏の言葉に、女はククと笑う。 「でも私の所まで辿り着いた。褒めてあげるわ」 「見くびって貰っては困るわね。さあ、もう逃げられないわよ。素直に自首‥‥」 ふしぎと奏の背後で腕を組んでいた風葉の言葉を女の哄笑が遮った。 「自首? まさか。もう逃げられない? 本当にそうかしらね?」 嫌な笑みを浮かべながら、女は後退った。 背後は断崖絶壁だ。 「何を!」 ふしぎが駆け寄るのと、女が宙に身を躍らせるのは同時だった。 が‥‥。 「飛空挺‥‥」 突然に現れた小型飛空挺の上に、女が立っていた。 「じゃあね、探偵さん達。もう二度と会う事はないでしょうけれど」 飛空挺が浮上するにつれて、甲高い笑い声が遠ざかっていく。 悔しさに、ふしぎは拳を地面に叩きつけた。 ●悲劇の連鎖 「そろそろ店じまいなんだけど」 聞き込みを続けていた大左衛門に、輝夜が欠伸をしながら告げたのは、不夜城楼港の雀が鳴き始める時刻であった。 「ああ、すまんだス。すっかり居座っでしまっだ」 「ウチも商売だし。で、お代は締めて五万文だよ」 はい、と手を出して来た輝夜に、大左衛門が凍り付く。 「ご、ごまん‥‥」 「うん。キミが食べた分」 積み上げられた皿を指さし、更にさらっと続けた。 「と、たまひよくん達と聞き込みした全員分、キミ持ちだって聞いたけど?」 大左衛門の額からだらだらと汗が流れ落ちる。 「にゃ、にゃんこ師匠、都会さ怖いところだスなァ‥‥」 「払えないとか言わないよね? そんな事したら、田舎っぺ刑事が食い逃げしたって言いふらしてやるんだから!」 そう言われても、持ち合わせで足りる金額ではない。 るるーっと大粒の涙を落とし、両の指を突いている大左衛門に、輝夜はぐしゃりと髪を掻き回した。 「あーっ、もう! 今、お金がないなら分割でいいよ!」 「本当だスか?」 仕方なさげに、輝夜は頷いてみせる。 「身元ははっきりしてるわけだし。特別だよ」 「ありがとだス! アンタは天女さまだス!」 男泣きに泣く大左衛門に、輝夜は肩を竦めた。 「ただし、利子はちゃんと貰うよ。そうだね、十一ってとこでよろしく」 「分かっただス。給金が出たら、ここに持って来るだスよ」 食い逃げという不名誉から脱した大左衛門が、借金地獄に足を踏み入れた事に気付くのは、いつの日だろう。 ‥‥合掌。 |