【陰影】その目に映りし
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 難しい
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/03/09 20:47



■オープニング本文

●高みにて
 楼港を見下ろす高台の上、その楼閣は建っている。
 最も格式が高く、当代随一の美も知性も兼ね備えた女達が揃う楼閣。
「明けたか‥‥」
 その最上階から昇り始めた太陽を見つめて、慕容王は小さな呟きを漏らした。
 夜が明けたばかりだというのに、その姿には一分の隙もない。
「今日、全ての決着がつく」
 開拓者達の働きで、此度の一件での狐妖姫の関与が明らかとなったが、決定的な証拠が掴めぬまま、今日の日を迎えてしまった。届けられた一連の報告書の陰に見え隠れする狡猾な女アヤカシの存在は気になるが、シノビの‥‥陰殻の王として、仕合の行方を見届けねばならぬ。
「王」
 街を見下ろす慕容王に、幼い声が掛けられた。
「やはり危険です。仕合のどさくさに紛れて王を狙う動きもあると聞き及びます。お‥‥私は、御身の安全を優先させるべきかと存じます」
 部屋の入口近くで控えていたのは、十を一つ、二つ越えたばかりであろう少年だ。
「薫」
 王の口から名を呼ばれ、少年は背筋を正した。緊張した面持ちで、膝の上に置いた手を握り締めると、朝日を背に立つ美しき支配者にゆっくりと頭を下げる。
「差し出がましい事を申しているのは重々承知致しております。ですが、鈴鹿と致しましては」
「ふぇっ、ふぇっ、心配性じゃのう、鈴鹿の」
 空気の抜けるような声がした。少年の背後から声を掛けたのは齢百年は近かろうという高齢の男、歯など全て抜け落ちて痩せた枯れ木の如き姿を杖で支えている。
「坊はもう少し王を信頼なさった方がよろしかろう」
 老人の物言いが疑心めいて受け取れて、少年はむっと頬を膨らませた。こうして見ているとただの幼子にしか見えぬ。気にした様子もなく、老人はさらりと続けた。
「易々と倒されるならその程度の御方であっただけの事。のう? 王よ」
 丸眼鏡の弦を指で押し上げ、諏訪氏頭領である顕実が困ったような表情で嘆息する。
「名張翁の仰るとおりですよ、鈴鹿殿。忠誠と過保護は違います」
 顕実からも窘められ、膨れっ面を隠そうともしなかった少年が今度は悲しげな表情になる。
「我らには我らの、為すべきことがあります」
 わかりますか、薫殿。と問いかける丸眼鏡の奥の瞳は、能力の無いものは切り捨てる冷たさと、まだ年若い鈴鹿の頭領を見守る光を帯びていた。
 頭領達のそんな遣り取りを目を細めて眺めていた慕容王は、背後で位置を変える太陽に視線を遣ると静かに口を開いた。
「では、そろそろ為すべき事を致しましょうか」

●ギルドへの依頼
「王がお強いのは分かっている。けれど、王に危険を近づけぬが我らの役目ではないか」
 最上階の部屋を後にして、彼は独りごちた。
 唇を尖らせて呟く言葉には、幾分、負け惜しみの響きがある。
 彼は軽く床を蹴った。ふわりと水干の袖が羽根のように広がった。階を使わずに階下へと降りると、そこに控えていた男が恭しく頭を下げる。
「急ぎ開拓者ギルドに使者を出せ」
 顔を上げたその時には、先程まで見せていた幼さはなりを潜め、親子ほど年の差のある相手が気圧される雰囲気を纏っていた。
「ギルド、でございますか」
「そうだ。早急に開拓者を掻き集めて来い」
 頭を垂れて彼の言葉を聞いていた男が顔を上げる。
「何故に、とお尋ねしてもよろしいでしょうか。下知が下りましたら、我らは即刻、参上仕ります」
 開拓者を使うよりも自分達を、と言いたいらしい。
 だが、そうするつもりは毛頭なかった。
「他が動かぬのに我らが動くわけにはいかぬ。だが、王の御身に危険を近づける事も出来ぬ」
 王の元に集められた情報。
 最上階の部屋で報告された様々な事柄から考えて、賭け仕合のどさくさに紛れて王の命を狙う動きがあるのは明白。くわえて、狐妖姫なるアヤカシの暗躍も見過ごす事は出来ない。
 開拓者によって撃退された先のアヤカシ襲来以降、狐妖姫が何を考えて未だ楼港に居座っているのか分からない。
 王を狙い、皆の気が賭け仕合で逸らされる時を待っているのであれば、それを未然に防ぐ必要がある。
「開拓者に伝えよ。王のおわすこの楼閣に怪しき者を近づけるなと。身元の分からぬ者、理由無き者、そして人にあらざるもの、全てのものを排除せよ。すぐにお気づきになられるだろうが、出来る限り王の目に触れぬよう楼閣を囲み、万が一にも囲いを突破する者が現れた時には、その命を賭けても阻止するのだ」
 命を賭けよと冷たく言い放った彼に、男は再び深く頭を垂れ、次の瞬間には姿を消していた。
「‥‥何事も無ければ、それでよい。万が一に備えておくだけの事だ」
 階上を振り仰ぎ、彼は小さく呟いた。
「ただ、それだけの事だ」


■参加者一覧
/ 野乃宮・涼霞(ia0176) / 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 犬神・彼方(ia0218) / 劉 天藍(ia0293) / 高遠・竣嶽(ia0295) / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 柳生 右京(ia0970) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 大蔵南洋(ia1246) / 露草(ia1350) / 水波(ia1360) / 八十神 蔵人(ia1422) / 御樹青嵐(ia1669) / 皇 りょう(ia1673) / ルオウ(ia2445) / 縁(ia3208) / 白蛇(ia5337) / 輝血(ia5431) / 沢村楓(ia5437) / 設楽 万理(ia5443) / 菊池 志郎(ia5584) / 神咲 六花(ia8361) / 煌夜(ia9065) / 夏 麗華(ia9430


■リプレイ本文

●楼閣警護
「合い言葉を言って貰おう」
「合い言葉〜?」
 籠を背負い、楼閣へ入ろうとしていた男が素っ頓狂な声を上げた。
 自分を見下ろして来る威丈夫の顔は真剣そのもので、冗談を言っているようには聞こえない。
「ああ、それと、荷物を調べさせて貰おう」
 更にはその隣に立っていた愛想が欠如した青年に荷を指さされて、男は途方に暮れた。2人の顔を交互に見ても、どちらも引いてくれそうにない。
「はいはい、それで兄さん達の気が済むんでしたら、いくらでもどうぞ。ただし、合い言葉なんざ知らないね。うちの主は何も言っちゃいなかったんで」
 眉を寄せた羅喉丸(ia0347)を視線で押し止め、劉天藍(ia0293)は男から差し出された籠を注意深く受け取り、丁寧に中の物を取り出す。
 丁寧に扱っているように見えるのは、男の荷を気遣っての事ではない。中に何か仕込まれていた時の用心の為だ。
「芋と南瓜、それから大根」
「へえ」
「‥‥そうか。悪かった」
 野菜を籠に入れ直すと、天藍は男に返す。
「いえいえ。兄さん達も大変ですね」
 籠を背負い直しながら言い捨てて、男は楼閣の裏口へと歩き出した。慣れた様子で戸に声を掛け、出て来た女と親しげに会話を交わしながら中へと入っていく。
「また外れか」
「仕方があるまい。慕容王に害為そうとする者達が列を作ってやって来られても困る」
 その言葉に、羅喉丸は天藍を見た。
 今のは生真面目な青年なりの冗談だったのだろうか。だとしたら、自分はどう切り返せばよかったのか。無骨な青年はしばし悩む事になったであった。
 警戒厳重なのは、裏口だけではない。
 当然の如く、正面にも楼閣に出入りする者達を厳しく選別する開拓者の姿があった。
「シノビっぽい奴らもいるけどさー。見分けるのって難しいよな」
 石の1つに腰を下ろして、ルオウ(ia2445)がぼやく。慕容王が滞在し、シノビの4大流派の頭領達が出入りしている楼閣だが、配下の者達が一目でシノビと分かる姿で出入りをしているはずがない。その上、厄介な事に、賭け仕合に乗じて良からぬ事を企んでいるらしい者達もシノビなのだ。
「もう泣き言ですか?」
「違ーうっ!」
 姉弟のようなじゃれ合いの後、高遠竣嶽(ia0295)は懐から竹の皮に包まれたものを取り出した。
「先程、設楽様から頂きました」
 包みを開けると、中からほくほくと湯気を立てる柔らかな饅頭が顔を出す。
「なぁんだ。万里の奴、戻ってぇ来てたのか」
 ルオウの隣に水の入った竹筒を置くと、犬神彼方(ia0218)も温かい饅頭を手に取った。
「甘ぁいモンより酒の方が、体が温まるんだがぁね」
 などと言いながらも、寒風吹きすさぶ中で警護の任についている自分達への心遣いが有り難い。
「んでぇ? 何か面白れぇ話のオマケはぁついてなかったぁのかい?」
「面白い話、ですか? それなりに色々と」
 ルオウと並んで、ほくほく饅頭を口に運んでいた竣嶽が上目遣いに彼方を見る。
「それぇで?」
「賭け仕合、始まるそうです」
 さすがの彼方も、ルオウも言葉を失った。そんな話は聞いていない。
「ちょ、それ信じていい話か?」
 今朝の楼港の街は、いつもと変わらぬ様子であった。あれほど話題になっていた「賭け仕合」が行われるのであれば、そこそこ盛り上がっていてもいいはずだ。
「八十神様によると裏付けも取れているそうです」
「‥‥あの陣幕はぁ、ハッタリじゃあないって事だぁね」
 登楼せずとも、高台にあるこの場所からは用意された陣幕が見える。今はまだ誰もいないように見えるが。
「‥‥ルオウ」
 数個残っていた饅頭を竹の皮で包み直して、彼方はそれをルオウに投げた。
「そいつを水波と雪にも持ってってぇやんなぁ」
 心得たように笑って頷いたルオウが駆け出す。その後ろ姿を見送りながら、竣嶽がぽつりと呟いた。
「‥‥猫又はお饅頭を食べるのでしょうか」
「さぁて? それぇより、そろそろ交替の連中が来る時間だが‥‥」
 彼方は高くそびえ立つ楼閣を見上げた。
「俺ぇらは休んでいる暇は無さそうだぁね」

●危険地帯?
「あ、万里さん!」
 駆けて来る天河ふしぎ(ia1037)の姿に、設楽万理(ia5443)は苦笑した。提灯に十手、頭の上にはゴーグルという、ある意味とても目立つ姿の彼は、自信満々に「目立たない格好」と胸を張ったと傍らの水波(ia1360)が教えてくれた。
「情報の伝達って大切だけど大変だね。一瞬で、皆に知らせる方法があればいいのに。あ、そこ気をつけて。地縛霊が仕掛けられてるんだ」
 楼閣入口へと続く正道から外れた場所には、天藍や神咲六花(ia8361)が仕掛けて回った地縛霊の為に、危険地帯と化している。もっとも、仕掛けた位置は教えて貰っているので、うっかり「踏んじゃった」さえ無ければ、さほど危険ではない。多分。
 楼閣の周囲にはそうした防御の仕掛けがあるが、水波曰く、シノビともアヤカシとも無関係そうな人間が利用される恐れもあると、彼らは厳しい警護の目を抜けた者、中から出て来た者を更に厳しい目で確認しているのだ。
「あ、中から人が」
 開いた戸から出て来た影を目敏く見つけた万里の言葉に、水波とふしぎが振り返る。
 そして、絶句した。
「こらーっ!」
 十手を持った手を振り上げて、ふしぎは人影に向かって怒鳴りつけた。
「どこから出て来るんだ、どこから!」
「‥‥高遠様」
 はあ、とわざとらしく溜息をついて水波は、ふしぎの説教も馬耳東風な様子の高遠重衝に歩み寄った。
「何をしに楼閣へ?」
 水波の問いに、重衝は口元を吊り上げた。
「野暮を聞くものだな。楼閣は宿舎か? 料理屋か?」
「な、な‥‥!」
 顔を真っ赤にしたふしぎの肩を叩いて、万里は乾いた笑みを浮かべながら首を振った。
「あのお姿をよくご覧になって下さい」
「え?」
 言われて見直せば、重衝は着物の上に天護隊の羽織を着込んでいる。それが何を意味するかぐらい、ふしぎにも分かる。
「‥‥抜け駆けしたな」
「人聞きの悪い。ギルドで受けた仕事のついでに、本来の仕事もして来たまでのこと」
 その言葉に、万里は目を細めた。
「不夜城楼港は治外法権の街。ですが、北面の軍事都市でもありますからね。他国の王が滞在されているとなると、色々と気を遣われますね〜」
 重衝はただ笑っただけだった。中で何をして来たのか、誰に会ったのか、彼は語らぬであろう。それが妙に腹立たしく思えて、水波は余所余所しく宣言した。
「例え高遠様でも、万が一の事があります。一応、調べさせて頂きますわね」
 にっこり微笑んで、水波は付け足した。
「おかしな所がありましたら、身柄は確保致しますので、そのおつもりで」

●始まり
 街がざわついている。
 楼閣での警備ではなく、周囲に紛れ込んで不審者やアヤカシを探す事を選んだ皇りょう(ia1673)も、その気配を肌で感じていた。
 街全体が浮き足立っているのは、先程、警備対策室を訪れた際に聞いた「賭け仕合」に関係しているようだ。日程が公表されたわけではないが、陣幕の準備や運良く見物席を手に入れた者達の動きから、仕合が間近に迫っている事に勘付いたというところか。
 周囲を見回したりょうは、だがすぐに赤面して顔を伏せた。
 格子の中の、昼見世に出ていた遊女と目があったのだ。
 足早にその場を立ち去りつつ、りょうは心の中で毒づく。
ーし、しかし、この街は何故、ここまで遊郭が多いのだ!? 先程の遊女など、昼間から淫靡な空気を醸して!
 白粉、真っ赤な紅に高く結い上げられた髪、そして前で結ばれた帯。誘うように通りを行く者達に視線を投げる様は妖艶としか言い様がなかった。
ー殿方は、あのような女性を好むのだろうか‥‥。確かに身につけていたものも女性らしく、綺麗だったしな。いや、でも、ふしだらはっ!
 ぐるぐると考え込みながら歩いていたりょうは、感じた気配にふと我に返った。
「きゃあ!?」
 女の悲鳴と、男の驚いた声と共に、りょうの傍らを風が過ぎる。
「なん‥‥」
 なんだと言いかけて、りょうは息を呑んだ。
 常人には突風が過ぎたようにしか感じられなかったかもしれない。だが、あれは突風などではない。絶妙に人を避けて刃を交わし合い、命を賭けた戦いを繰り広げてーー
「しまった! 始まっていたのか!」
 話よりも早く物事は進行しているようだ。
 りょうは駆け出した。万が一に備える為に。

●逸る心抑えて
 賭け仕合始まるーー。
 その報は、慕容王が滞在している楼閣の近くに楼閣警備対策室なる拠点を構えた八十神蔵人(ia1422)の元にも届いていた。
「思とったより早かったな。‥‥いや」
 全ては予定通りなのか。賭け仕合の当事者達にとっては。
「やとしたら、狐達も今頃慌てとるんやろか‥‥」
 しゅんしゅんと火鉢にかけた鉄瓶から湯気が立つ。
 値切りに値切った上に、経費で落とす為の証文まで書かせて借りた部屋の中に、外の騒動は聞こえて来ない。けれど、楼港で起きている事件、アヤカシが絡むものからシノビ関係のものまで、今、開拓者が得られる全ての情報がここには揃っていた。
「八十神殿‥‥」
 考え込んだ蔵人に、沢村楓(ia5437)が声を掛ける。
 膨大な情報、見えない動き、隠された思惑、そして‥‥。
「いや、そうやない! 狐らは分かっとるはずや!」
 うすぼんやりと見えていた線が、ようやくはっきりと見えて来た気がする。
 驚く楓を押しのけ、蔵人は大量の書き付けの中からギルドで写して来た、現在出ている楼港関連の依頼の一覧を引っ張り出す。
「犬と狐が手ェ結んどるんが間違いないんやったら、狐は‥‥」
「大変です!」
 そこへ飛び込んで来たのは野乃宮涼霞(ia0176)だ。息を切らせ、青ざめた唇を震わせながらも、彼女は告げた。
「氷雨さんを見失いました!」
 蔵人と楓の顔色が変わる。
 涼霞の話によると、今朝早く、千鳥屋に姿を見せた氷雨は仕合が始まってすぐに動いたらしい。後を追ったのだが、シノビの妨害を排除している間に、その姿を見失ったのだという。
「我々が側にいること、味方であることを氷雨さんはご存じのはずなのですが‥‥」
「それでも、きみらを撒かなあかんかったって事やな。行き先の見当はついとるんやろ?」
 はい、と涼霞は表情を険しくして頷いた。
「沢村、警護の連中」
「分かった」
 その一言で蔵人の言わんとしている事を察して、楓は踵を返す。
「では、私も皆と合流して、氷雨さんの保護に動きます」
「ああ、気ぃつけや」
 楓の後を追うように涼霞が駆け出すと、蔵人は閉じていた障子を大きく開いた。そこから見えるのは高台の楼閣だ。警護の仲間達の姿までは見えないが、今はまだ、何も起きてはいないらしい。
「もしかすると、氷雨にはもうわしらの言葉は通じへんかもな‥‥」

●襲撃
「‥‥皆さん」
 刀を前に、静かに目を閉じていた大蔵南洋(ia1246)が口を開いたのは、駆け仕合開始の報を受けてしばらく後の事であった。
「氷雨さんは、みぞれなる女に赤子を盾に取られ、脅かされているとの事。油断は禁物です」
「分かっています」
 硬い表情で、御樹青嵐(ia1669)が、その独り言めいた呟きに答える。
「もし彼女が現れたならば、出来るかどうか分かりませんが動きを止めてみます」
「でも」
 青嵐の言葉に、縁(ia3208)は苦しげに胸元を押さえた。
「氷雨が目的を果たせなかった時、秋郷くんはどうなるのでしょう」
 縁の言葉に、重い沈黙が落ちる。
 氷雨は、ただ自分の子を守りたいが為に動いている。その為には罪を犯す事も厭わない、誰が泣いても犠牲にしても構わない。独善的で我が子さえよければそれでいいのかと思う者もいるだろう。けれど、縁は氷雨の行く末を見てみたいと思う。
「私は‥‥賭け仕合の結末‥‥いいえ、同じ女として氷雨の行く末を見てみたいと思うからこそ、ここにいるのかもしれませんわ」
 呟いた縁が、瘴索結界でアヤカシの気配を探り終わるまでの間、その場にいた誰もが彼女の言葉を反芻し、刃を交えるかもしれない女に思いを馳せた。
「それでも‥‥例え、氷雨が‥‥泣く事になっても‥‥、秋郷が‥‥両親を失う事になっても‥‥、僕は僕の守るべきものを守る‥‥から」
 氷雨の気持ちが、白蛇(ia5337)には痛いぐらいによく分かる。何をおいても守りたいと思うもの、自分の大切な何かは、他のものと天秤にかけられるものではないのだ。
「それ以上は踏み込まない方がいいですよ」
 開拓者の間に落ちた沈黙の中、いつの間にか佇んでいた黒装束の者達。その人が踏み出そうとしていた足を、六花の言葉が止める。だが、それも一瞬の逡巡に過ぎなかった。
「地縛霊が‥‥」
 次々に発動した地縛霊が数名の黒尽くめの動きを封じていく。先に行く者が罠を無効化し、その上を無傷の者達が踏み越えていく。
「これがシノビ‥‥。任務の為には仲間を犠牲にする事も厭わない、か。やっぱり僕の性には合わないかな」
 何の感慨もなく仲間を犠牲にし、犠牲とされた者もそれを当然とするシノビに、六花は吐き捨てるように呟いた。自分なら、どんな状況にあっても、仲間を見捨てず、活路を見出す為に頭を使い、最善を尽くすだろうに。
 白蛇が呼子笛を吹き鳴らすと同時に、何処からともなく輝血(ia5431)が姿を現した。
「輝血様!?」
 驚く青嵐の傍らにすとんと降り立った輝血は、高まる黒尽くめの殺気を気に留める様子もなく、無邪気な笑みのまま、あっさりと告げる。
「向こうにも、こいつらと同じのが湧いて出てるよ」
「正面にも敵が?」
 驚きの声を上げた縁に、鉄爪が迫る。それを弾き返したのは南洋の刀だ。
「陽動か。それとも‥‥」
 ざっと見渡した限り、氷雨らしき姿形の者はいない。だが、人を欺く事に長けたシノビだ。油断は出来ない。南洋は注意深く刀を構え直した。
「分からない。けど、正面とこっち、動いているのはこいつらだけみたい」
「そうですか。難しいところですね」
 放った斬撃符で敵を牽制して、青嵐は考え込んだ。
「どちらかが本命か、それともどちらとも陽動か。気になるのは、ここまでアヤカシが動いていない事ですね」
「ま、いいんじゃない? それはその時に考えれば。今は‥‥」
 輝血の視線が黒尽くめに向けられた。
 楼閣正面を守っていた者達も、同様に現れたシノビの一団と対峙していた。交替時、休憩を取らない事を選択した彼方の判断は正しかったようだ。
「ホント、私達だけでは手に余ったかもしれないわ」
「だろぉ? 俺ぇに感謝しろよ」
 煌夜(ia9065)と軽口を叩き合いながら、互いの前に現れた敵を斬り伏せて行く。
「しつこい人は嫌われますよーっだ!」
 べっと小さく舌を出して黒尽くめを挑発すると、水鏡絵梨乃(ia0191)は相手の攻撃を紙一重で避けた。敵の刃が遅れた髪を一筋、切り取っていく。
「髪は女の子の命なのに。‥‥覚悟、して下さいね?」
「ぬかせ。そんなとろい動きで我らに敵うと思っているのか!」
 嘲る声に、絵梨乃は頬を膨らませた。
「そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃないですか」
 その間にも、間断なく攻撃は続く。ゆらゆらと躱す絵梨乃。だが。
「あ」
 小さな小石を踏みつけ、彼女が体勢を崩す。
「もらった!」
 振り上げられた刀と、勝利をを確信した相手の叫び。
 それこそが、絵梨乃が待っていた瞬間だった。転倒した状態から跳ね起き、絵梨乃は手刀で相手の刀を持つ手を打ち落とした。その勢いのまま踵落としを放つ。
 絵梨乃の傍らでは、夏麗華(ia9430)が服の袖に隠し持っていた手裏剣を暗器のように使い、敵を切り裂いていた。
「麗華さん、敵はシノビ。あまり近づき過ぎちゃ駄目よ」
 背中合わせとなった煌夜の言葉に、はいと頷いて、麗華は笑んだ。思惑通り、敵は袖口に隠された武器を警戒している様子。麗華は小声で煌夜の名を呼んだ。
 それだけで、煌夜は察した。
 細身の刀の柄を握り直し、麗華の視界を塞ぐように前へ出、一気に相手へと斬りかかる。煌夜の攻撃を受け流そうと敵は刀を構えた。しかし、次に訪れるはずの斬撃はない。視線を巡らせれば、煌夜は既に後ろへと飛び退っており、彼女の陰から飛び出した麗華の流星錘の一閃に周囲を取り囲んでいた者達は次々に得物を取り落とし、地面に膝をつく。
「やったねっ」
 軽く手を叩き合う煌夜と麗華に「余裕がありますね」と肩を竦めると、竣嶽は1人1人、確実に戦闘不能状態にしていく。
 けれど、この状況に我慢が出来なくなった者が1人。
「こんなんじゃ、いつまで経っても埒があかねぇ!」
 言うが早いか、ルオウは息を吸い込むと雄叫びを上げた。分散していた敵がルオウ目掛けて一斉に襲い掛かる。
「ルオウ様ッ!?」
 麗華が悲鳴のような声で自分の名を呼ぶのを聞きながらも、ルオウは群がる敵との距離を詰め、その胴へと刃を叩き込んで行った。
「全く無茶ぁしやがる」 
「もう、ヒヤヒヤするわ」
 彼方は面白がって、煌夜は呆れ顔で溜息をついて、それぞれがそれぞれの敵に再び向かって行こうとしたその時、新たな影が現れた。
 狐妖姫を追っていた柳生右京(ia0970)だ。彼の隣には、賭け仕合の始まりを見届けた後に駆け付けた露草(ia1350)の姿もある。
「気をつけろ。狐妖姫が動く」
 短く告げられた右京のその一言に、予測していた事とはいえ、開拓者達は息を呑んだ。
「八十神には」
「知らせた」
 即座に柚乃(ia0638)が瘴索結界を張り、右京は身の丈よりも巨大な斬馬刀を手に、周囲に鋭い視線を投げた。
 薄い光に包まれた柚乃の様子を時折確認しつつ、黒尽くめを排除していく。狐妖姫が動いたとなると、こんな所で愚図愚図している暇はない。早急に狐妖姫を追う仲間達に合流せねばならない。
「手加減はせん。貴様らも覚悟ぐらい、とうに出来ているだろうからな」
 大地すら断ち切る事が出来そうな巨大な刀を構えると、右京は握る手に力と気を込めた。風を巻き起こす重い一撃。その剣圧に圧され、抗えずに黒尽くめ達が吹き飛ばされ、倒れ伏したその時、轟く歓声が風に乗って届いた。
 賭け仕合に決着がついたようだ。
「くもちゃん!?」
 露草が会場を振り返る。派手な赤い着物を着た犬神の代表者はどうなったのだろうか。その場にいた誰もが仕合に気を取られた一瞬を狙ったかのように、1人の女が楼閣の屋根に姿を現す。
「アヤカシ!」
 同時に柚乃が声を上げた。
 だが、何人の者がその姿を確認出来たのであろうか。
 次の瞬間、轟いた爆音と、僅かに遅れて吹き荒れた爆風が、彼らを容赦なく吹き飛ばした。 

●絶叫
 楼閣の反対、黒尽くめ達が沈黙した裏口には菊池志郎(ia5584)とりょうによって違う情報がもたらされていた。
「間違いないの?」
 輝血の問いに、志郎ははっきりと頷いてみせた。
「街の中で、ずっと怪しい動きをする者がいないか探っていたんです。そうしたら‥‥」
 それは偶然だった。
 何かを胸元に抱え、思い詰めた顔をした女が、雑踏の合間を縫うように小走りに高台へと向かう姿を目撃した。街中は、既に始まった駆け仕合に騒然としていたから、よく人にぶつからないものだと感心したのだという。
「その後、野乃宮さん達が走って来て、氷雨さんが消えた、と。風体をお聞きしたら、先程の女で」
 涼霞は八十神の情報統制室に走り、志郎は女の後を追った。
 女が高台に向かうのを確認していたので、氷雨を追う開拓者達と並行するように、通りの屋根を伝うようにして女の姿を探したのだ。
「今、氷雨さんは野乃宮さん達が止めようとしています。でも、彼女の様子は尋常ではなくて‥‥」
 口籠もった志郎に代わり、りょうが口を開く。
「氷雨班がどこまで止められるかわからない。彼女は‥‥」
 不意に、りょうは言葉を止めた。
 その視線を追った者達が目を見開く。
「氷雨?」
 志郎が見たという着物姿ではなく、シノビ装束を纏った氷雨が髪を振り乱し、肩で息をつきながら、楼閣へと続く道を上がってくる。激闘を物語るのは、ボロボロになったシノビ装束と体中に追った傷。
「氷雨さん、一体、何が‥‥」
「近づくな!」
 氷雨へと手を伸ばし、一歩踏み出した縁に鋭い制止の声が飛ぶ。
「うああああっ!」
 全身に傷を負っているとは思えぬ速さで、氷雨が間合いを詰めて来る。その手に構えた苦無が狙うのは縁だ。咄嗟に縁を庇った羅喉丸が篭手を使ってその一撃を受け止めた。
 止められたと知るや、氷雨は素早く後ろへと飛び退り、再度の攻撃を仕掛けて来る。やつれた顔に瞳だけをぎらつかせて、彼女は次の標的を定めて襲い掛かる。その姿は、狂気に捕らわれているとしか言い様がない。
 標的は斬撃符を使うか否か、ほんの一瞬、迷いを見せた六花だ。素早さでは彼女が上。あっという間に彼女の血に塗れた苦無が六花の目前に迫った。
 ぐっと唇を噛み、六花は氷雨を真っ直ぐに見据えた。反撃も回避も出来ないのであれば、せめて目を逸らすまい。腹を括った六花の前に腕が突き出される。
「重衝様っ!」
「重衝!」
 氷雨を追ってやって来た涼霞と楓の叫び。
「たかとお‥‥さん?」
 ぼたぼたと流れる血に顔色1つ変えず重衝は六花を一瞥し、氷雨の腕を捻り上げて苦無を叩き落とす。
 苦無が地面に落ちる音に我に返ると、六花は重衝の腕を掴んだ。傷は深そうだ。まずは止血をと、己の袖を破き重衝の腕に巻き付ける。
 開拓者が囲む中に突き飛ばされた氷雨は、それでも苦無を探して手をさ迷わせていた。
「‥‥まだ戦う気?」
 冷たく響く輝血の声も、彼女には聞こえてはいないようだ。
「僕は‥‥命がけで慕容王を守るつもり‥‥。だから、君が引かないなら‥‥殺さなくちゃならない‥‥」
 白蛇の言葉も、氷雨には届いていない。ようやく苦無を見つけて手を伸ばす。しかし、その苦無は楓によって更に遠くへと蹴飛ばされてしまった。
「氷雨さん、もうやめて下さい。秋郷くんは」
 再度、説得を試みた涼霞の言葉に、氷雨が初めて反応を返した。 
「秋郷‥‥」
「そうです。秋郷くんは、私達の仲間が必ず助け‥‥」
 宥めるように、涼霞が氷雨の肩に手を置くと同時に、遠くから歓声が響く。
「賭け仕合、終わったな」
 羅喉丸の呟きに、氷雨の体が大きく揺れる。
「終わった‥‥? 仕合が‥‥秋郷が‥‥秋郷ーッ!」
 絶叫と共に、氷雨は懐から取り出した小さな珠を楼閣へと向かって放り投げた。
 止める間もなく、珠の軌跡を視線で追うしかなかった彼らの目に、楼閣の屋根に佇む1人の女の姿が映る。その手にぶらさげられているのは、小さな赤子だ。
「あれは!」
 珠が楼閣へと届いた瞬間、女が赤子から手を放す。
「秋郷ッ! 秋郷ーーーッ!!」
 半狂乱になった氷雨の叫びは、直後に轟いた爆音に掻き消されたのであった。

●見届けし者
 楼閣の最上階から賭け仕合の行方を見届けていた慕容王は、ふと目を細めた。
「狐妖姫‥‥」
 その一言に反応したのは薫だ。王を守るべく前に出て背に庇い、敵の姿を探す。
「坊、屋根じゃ」
 名張翁の言葉に、薫は視線を巡らせた。
 その言葉通り、屋根の上に佇む女がいる。手にぶら下げられているのは、恐らくー。
「朧谷の! おのれ、アヤカシ!」
 薫の叫びと女が赤子を手放すのはほぼ同時。薫が窓から飛び出しかけた次の瞬間、轟音と激しい揺れが彼らを襲う。
 諏訪顕実とは別の楼閣にて仕合の成り行きを見守っていた北條李遵も、狐妖姫の出現にいち早く気付た者の1人だ。狐妖姫が手にした赤子に気付き、気が逸れた所に伝わった振動。
 見れば、慕容王のおわす楼閣から火の手があがっている。
「狐妖姫、なめた事を‥‥!」
 そのまま、李遵は身を翻した。犬神と朧谷の確執を招いた女狐に一矢報いねば気が済まなかったのだ。
「こりゃまた年寄りにはきついのぅ」
 何とか畳の上に倒れるのを回避した名張翁は、転がった湯呑みを拾い上げた。
「どうやら、下の階が爆破されたようじゃなぁ」
 零れた茶を拭き取りながら、誰に言うとも無しに呟く名張翁。慕容王は再び窓辺に立った。
 狐妖姫の姿はない。あの大きな揺れに目を離した僅かな間に消えてしまったようだ。
「慕容王、ご無事ですか」
 襖を開け、一礼と共に入って来たのは、諏訪氏頭領。
 いつもと変わらぬ落ち着きようだ。しかし、仕合に直接関わる身として、別の楼閣で控えていたはずの彼が、これほど短時間で現れた事が、事態の大きさを物語る。
「この騒ぎは、朧谷氷雨によるもの。威力から考えて1つ消えていた宝珠爆弾に違いないでしょう。1階と2階の一部が大破。消火と楼閣の者の避難、救助は、どなたかが雇った開拓者が行っております。いずれ沈静化するでしょうが、倒壊の危険もあります。お早く場所を移られますよう」
 そして、この短時間の間にそこまで調べ尽くして来ているのも彼らしいと言えば彼らしい。
「王」
 促す顕実に、もう一度だけ外に目を遣ると、慕容王は艶やかな笑みを浮かべて頷いた。