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■オープニング本文 ●相談者 御簾の向こうの影が揺れた。 北面に居を構える高遠家は、朝廷の政にも携わり、何代も先の先祖まで辿る事も出来るという、由緒も正しき貴族の家柄である。 高遠家の主は、当然ながら朝廷にも出仕する殿上人であり、落ち着いた風格と、有事に的確な判断を下せる者として宮廷人からの信頼も篤く、切れ者と評判である。 が。 自邸に戻れば庭木の手入れが趣味で、時折、新入りの下働きに庭師と間違われ、一緒に掃き集めた落ち葉を捨てに行かされたりと、存在感が極めて希薄になる。 更にはベタ惚れして一緒になった奥さんに頭が上がらず、貴族の嗜みとまで言われた愛人の1人も持たない恐‥‥もとい、愛妻家でもある。 3人の子に恵まれたが、上の息子2人は変わり者で家を出ており、唯一残った姫は姫で、これまた変わり者であった。 琴の名手であり、才女と名高く、見目麗しい。しかも、志体持ちでる。 巫女としての才に長け、アヤカシや諸事に悩まされる者達に救いの手を差し伸べる天女、というのが貴族達の間での噂。 だが、噂はあくまで噂である。 まさか、慈悲深く奥ゆかしい天女の如き姫が、自邸に戻れば存在自体が希薄になる父に代わって高遠家の実権を握っているとは、誰が思うだろうか。 そして、常に迷える人々を優しく迎え入れて穏やかに悩みを聞き、共に答えを探してくれる姫が、相談者の弱みを握り、何かあった時に利用しようなどと腹黒い事を考えているとは、夢にも思っていないに違いない。 「ふん。妾をよろずお悩み相談所と勘違いしている馬鹿どもじゃ。いかに利用されようが、己が身は安泰と思うておる連中は気付きもせぬわ」 ‥‥とは、姫のお言葉である。 ちなみに、この姫の本性を知るのは家族と、ごく一部の側仕え、姫と個人的に親しい者達だけだ。 そして、今日も姫の元には迷える相談者が1人。 御簾の向こうで姫が扇で口元を隠して欠伸をしている事にも気付かずに熱弁を奮っていた。 「本当にっ、信じられますか? 千歳姫。多くの姫から慕われ、文を頂く事の何がいけないのでしょうか。確かに、私とて、そろそろ妻を娶る年です。それ故に、文を下さった姫の元を訪ね、妻に相応しいかどうかを見定めておりますのに!」 洗練された鳥帽子と狩衣を身に纏い、高価な香を焚きしめた青年であった。 女房達が「今源氏」と騒いでいたのも分からないでもないが、「良い男」の基準は己の兄である姫からして見れば、及第点スレスレだ。 こっそり囁かれた情報に寄ると、この青年は己の(大した事もない)容貌でもって数多の姫を誑かしては捨てるという悪行を繰り返しているようだ。 「それで、息子の先行きを心配した親が結婚相手を定めて来た‥‥というわけじゃな」 「そのようでございます」 息子は息子で、それに反発して貴族の間で噂の「よろずお悩み相談所」に駆け込んで来たというわけだ。あわよくば、自分の美貌で高遠の姫を虜にして逆玉の輿を狙っている素振りもある。 でなければ「藁をも縋る気持ちで、取るものもとりあえず」とやって来たはずの青年が、無駄に着飾り、言葉を発する度に御簾の奥に流し目を送るはずもなく。 「親御の苦労が偲ばれるのぅ」 自分と兄達の事は棚に上げて、やれやれと溜息をつく。 その間にも、青年は大袈裟に我が身に降りかかった不幸を嘆いていた。 「私も、最初は親の意を汲もうと思いました。相手のお方がどのような女性かを確かめに参ったのです」 「‥‥つまり、覗きに行ったわけじゃ」 ぼそりと落とされた呟きがあまりに低い声だったので、側仕えの女が愛想笑いを張り付かせながら、軽く後ろに下がる。 「そうしましたら!! あんまりではありませんか!! お相手の高階の姫というのは童女のような背丈で、子供が描いた絵のような、真ん丸い目と線のような口、真っ赤で丸い頬というちんくしゃ娘でっ!! ずりずり着物の裾を引きずりながら廊下を歩いている姿を見た時には、「アヤカシ」ではないかと心の臓が止まる思いでした!!」 ぺしッ。 姫の持つ扇が苛立たしげな音を立てて、白い手に叩きつけられた。 「あれが‥‥あれが、私の妻となる娘だなどと‥‥。ああ、神よ、むごすぎるッ!!」 顔を手で覆って項垂れた青年に、気をきかせた側仕えの女房が御簾の近くへと出る。 「姫様は、動揺なさるお気持ちはお察し申し上げますとおっしゃっておいでです」 「おお、お分かり頂けますか、千歳姫! 父母は、既に顔合わせの日を定めております。もはや猶予がありません‥‥」 御簾へとにじり寄ると、青年は哀れを誘うように訴えかける。 「私に心に決めた方がいると知れば、父母も諦めてくれると思うのですが‥‥」 「‥‥ひ、姫様」 落ち着いて。 側仕えのとりなしに、何とか怒りを抑えると千歳は御簾の側で彼女の代わりに青年へと言葉を伝えた女房を呼び寄せる。 「あの愚か者に、助力を申し出よ」 「姫様っ!?」 驚く女房達に、高遠家の影の支配者はにっこり真っ黒な笑顔で応えた。 「無論、あやつに協力するのは世間を知らぬ妾ではなく、酸いも甘いも噛み分けた開拓者達じゃ」 ●高階の姫 何やかんやとごねた青年を宥めすかして退出させると、側仕えの女房達は一様に不安げな表情で主を見つめた。 「本当に大丈夫でございましょうか」 「あやつへの助力の事かえ?」 ふふと笑いながら、千歳は扇を開いた。香木の薫りが涼やかに漂う。 「越智の君と高階の姫様とのご縁は、両家の間で既に取り交わされている約定ではないのでしょうか。それを越智の君が望まれた事とはいえ、開拓者が口出ししてもよいものかと‥‥」 「妾の乳母と、高階の姫の乳母殿は従姉妹同士でな。妾もほんの少しばかり高階の姫の噂を聞いた事があるのじゃ。高階の乳母殿の話では、姫は控えめな大人しい方ながら芯の強い女子で、幼き頃より親御の反対を押し切って習うておる薙刀はかなりの腕前だとか」 女房達は顔を見合わせた。 先程、青年から聞いた姫の印象とは何やらかけ離れているような気がする。 「‥‥高階の家も越智の家も、家柄としてはほぼ同格。この縁談、まこと意味なく親御が定めたものであろうか‥‥」 考え込む様子を見せた姫に、傍らに控えていた女房が硯箱と紙とを差し出した。 「その辺りも含めて、開拓者にはしかと見極めて貰わねばな。開拓者が出した答えの上で、縁談が壊れるのであればそれが真。纏まるのであれば、それも真じゃ」 さらさらと薄紙に依頼内容を書き付けると、千歳は思いついたように顔を上げた。 「そうじゃ。万が一、高階の姫の話を聞く必要があれば、妾に言うて参れと伝えよ。妾の乳母が役に立とう」 |
■参加者一覧
野乃宮・涼霞(ia0176)
23歳・女・巫
香椎 梓(ia0253)
19歳・男・志
柚乃(ia0638)
17歳・女・巫
星乙女 セリア(ia1066)
19歳・女・サ
ミル ユーリア(ia1088)
17歳・女・泰
楊・夏蝶(ia5341)
18歳・女・シ
神咲 六花(ia8361)
17歳・男・陰
煌夜(ia9065)
24歳・女・志 |
■リプレイ本文 ●高遠家の事情 「そのくらいの助力であらば、容易い事じゃ」 訪ねて来た開拓者達の言葉に頷いて、依頼人である高遠千歳は女房から差し出された紙と筆を手を伸ばした。一応は御簾ごしの対面ではあるが、姫の言葉を直に聞き取れる距離、僅かではあるが姫の姿が見える距離だ。会話に女房を介する事もない。 さらさらと紙に何かを書き付けていく千歳に、「そう言えば」と星乙女セリア(ia1066)が言葉を挟む。 「姫様、高遠重衝というお方をご存じですか?」 その言葉に反応したのは千歳だけではなかった。野乃宮涼霞(ia0176)の頬が僅かに引き攣る。 「そなた、会うたのか?」 「ええ、はい。何と言うか‥‥、不思議な方でした」 くすくすと周囲の女房から笑いが漏れる。その反応に、怪訝そうに首を傾げたセリアに、笑いながら千歳は筆を置いた。控えていた女房が書き上がった書状を手に、御簾から出、恭しく神咲六花(ia8361)へと差し出す。 「不思議な、か。兄様は相変わらずのご様子じゃ」 「兄上様でしたか! 失礼を申し上げました」 慌てて頭を下げたセリアに、千歳は「構わぬ」と脇息に肘を置き、寛いだ様子を見せた。 「兄様は、昔からあの通りの方ゆえ」 「失礼ながら千歳姫、兄上はもうお1人おられると伺いました。そのお方は重衝様と似ていらっしゃるのですか?」 涼霞の問いに、またも女房達が笑み崩れる。 「真逆じゃな。少々、お人好しで苦労性のきらいがあってのぅ。家督を継がれた折には、魑魅魍魎が跋扈する朝廷でやっていけるのかと常々案じておる。じゃが、物腰柔らかで、いつも優しゅう微笑んでおられた。ほんに、我が家の兄様方以上の男子はおらぬわ」 ほぅと溜息をついた千歳に、そこにいた者達の表情が強張った。 ーこれは‥‥もしや‥‥ 微笑みを絶やさぬままに、香椎梓(ia0253)は隣に座る六花へと視線を遣った。六花も同様の事を考えていたのであろう。引き攣った口元が、それを如実に物語っている。 ー確か、ジルベリアの言葉で‥‥ 六花がその言葉を思い出すより先に、ミル ユーリア(ia1088)が破裂弾の一撃を投げ入れた。 「ねえねえ、千歳姫サマってブラコン?」 ー待て待てっ! 滅多に表情を崩す事のない六花が、慌ててユーリアの口を塞ぐ。高遠家の裏番‥‥もとい、一の姫の機嫌を損ねでもしたら、後々面倒な事になる。だが、幸いにも千歳姫はその言葉を知らぬようであった。 「と、ともかく、我々はこれから作戦に移ります」 内心の動揺を押し隠した完璧な笑みで、梓は丁寧に一礼をした。 それに倣って、仲間達も頭を下げる。 必要な情報、伝手、全て揃った。後は、打ち合わせ通りに高階の姫と越智の君の見合いを見極めるだけだ。 「それと、越智の君には少々、お灸を据えておいた方がいいかもしれませんね」 ユーリアの口を押さえたまま、六花が言い放つ。 力強く同意の頷きを返す者こそあれ、それに否やを唱える者は誰1人としていなかったのである。 ●越智家の事情 越智家の放蕩息子の元へと向かったのは煌夜(ia9065)とユーリア。千歳の紹介状を手に越智の君の両親との面会を取り付けた六花に先んじて、彼と対面を果たした2人の感想は同じだった。 ー馬鹿息子‥‥ 千歳の名代である2人の妙齢の女性を前にして、着崩した狩衣に眠そうな表情を隠そうともしない。匂ってくるのは酒の香り。どこからどう見ても二日酔いの様相である。 「え、えーと‥‥越智の君? 千歳姫サマに代わって、高階の姫サマとの話を白紙に戻すお手伝いをしに来たのですケド」 一応は貴族という事もあって、最初はそれなりに敬意を払う気でいたユーリアも、既にその意志が挫けかけている。 「あー、あのアヤカシ娘と結婚なんて死んでもごめんだからね。出来れば君達のような美しい女性を娶りたいと思うのは、男として当然だろ?」 ぴしり、と煌夜が固まった。 説教したくなる心を押し隠しつつ、煌夜は努めて穏やかに語りかけた。 「若君は数多の女性とお会いになっていらっしゃると伺いました。その女性達の中に、越智の君のお眼鏡に適う御方はいらっしゃらなかったのでしょうか?」 何気ない質問だった。煌夜にとっては、本題に入る前の軽い先制攻撃のつもりだったのだが、それは予想以上の効果をもたらした。 「越智の君?」 それまでのやる気の無さげな態度から一転して、彼はどこか思い詰めたような目で庭へと視線を逃がす。 「ねえ、そんなに高階の姫サマを妻にしたくないなら、あたしが協力するわよ? その為に来たんだもの」 ユーリアの口調には既に敬意のカケラも残っていない。そんな彼女を咎めるでもなく、彼はふと立ち上がった。 「‥‥千歳姫から遣わされた開拓者、であったな」 「はい」 階から庭へと降りた彼を視線で追っていた煌夜が素直に頷く。 「ならば、協力してくれ。高階の姫との縁談を破談にしたい」 「なにゆえに、と伺ってもよろしいですか?」 返答までに間があった。 迷っているのか、散々、あちこちへと視線をさ迷わせた挙げ句、越智の君は諦めたように2人へと向き直った。 「実は‥‥」 ●高階家の事情 「‥‥あなたが高階の姫君?」 尋ねた柚乃(ia0638)の視線が下に向かう。 小柄な彼女よりも更に小さい娘が、自信満々に胸を張る。童女と言っても差し支えない彼女は、真ん丸い目と真っ赤な頬と、越智の君が千歳に語った通りの容姿だ 「そうじゃ。うち‥‥やなくて、わたくしが高階の姫じゃ!」 その様子を眺めていた楊夏蝶(ia5341)が、はっと我に返って膝をつく。そうしないと、目線が合わない。 「えっと、乳母殿のご紹介で行儀見習いとして数日、お世話になります楊夏蝶と申します」 「うむ。苦しゅうないぞ」 強張りかける表情筋を何とか笑みの形に維持して、夏蝶は続けた。 「お噂では、姫はご幼少より薙刀を嗜まれているとか。ぜひ、一度お手合わせもお願いしたく存じます」 「う‥‥うむ‥‥って、おみゃーは何しとるかッ!」 思わず自分の身長と比べていた柚乃の手を払って、姫はぷんすか怒り出す。その様子に、柚乃と夏蝶は困惑したように顔を見合わせた。千歳から聞いた話と、この姫はあまりにも印象が違いすぎる。 困惑したのは、千歳の乳母を介して高階家に入った他の者達も同様だった。 「‥‥まずいですね。ついうっかり、越智の君の嘆きに同情してしまった」 口元に手を当て、真剣に考え込んだのは梓だ。 「姫を見初めた公達」の使いとして姫の元に忍び込む予定だったのだが、作戦を変更すべきか。 「でも、変じゃありませんか? 千歳姫の乳母殿のお話では、姫は芯の強い、しっかりした方との事ですが‥‥」 セリアの言いたい事を察して頷くと、涼霞は困ったように頬に手を当てた。 「千歳姫の乳母殿へ見栄を張ったという可能性もありますけれど、それにしても‥‥やっぱり変ですよね」 姫の父親は宿直、母親は尼として暮らす母の病気見舞いで留守との事だ。 2人の視線が自然と梓へと向かう。 自分に何を期待されているのかを察して、梓は深く息を吐き出した。 ●親の思惑 その頃、越智の君の両親との面会を果たした六花は、煌夜、ユーリアと共に頭を抱えていた。 「何やら風向きが変わって来たみたいです」 「でも、越智の君が自堕落な生活をしているのは、間違いない事よね」 煌夜の言う通りなので、六花も額を押さえて唸るばかりだ。 「ねえ、ちょっと理由は変わるけど、作戦通りで行かない? あたしが越智の君の心に決めた相手として乗り込むの」 ユーリアの提案に、六花は難しい顔をした。それでは、親達の努力が水の泡と化す危険がある。だが、煌夜はユーリアの意見に賛成のようだ。 「ちょっと荒療治になるけど、どうせ越智の君にはお灸を据える予定だったわけだし? 案外、うまく行くかもしれないわよ?」 「しかし、越智の君に真実を告げた所で、高階の姫との縁談をあれほど嫌がっているわけですから、逆効果になるやも」 「だから、ね」 ちょいちょい、とユーリアが指先を動かす。 顔を近づけた煌夜と六花に何事か耳打ちして、ユーリアは片目を瞑ってみせた。 「っていうのはどう? 高階の家に行ってる皆と連携が取れるかどうかが心配だけど」 「ぶっつけ本番になりますからね。ですが‥‥」 六花の顔に悪戯っぽい表情が浮かんだ。 「それも面白い、わよね?」 くすくすと笑う煌夜の言葉が、彼らの出した答えだ。 「じゃ、早速、準備に取り掛かろうか。ね、煌夜、手伝って」 「分かったわ」 楽しげに去って行く女性陣を見送ると、六花も踵を返す。 越智の君の両親には、これからの事を説明しておいた方がいいだろう。 「ある意味、賭けですがね」 彼らが用意した最善を拒否した息子に、もう一度機会が与えられるか否か。 そして、放蕩し続けた息子が、探し求めた物を見つけられるかどうか。 全てはこれからに懸かっていた。 ●姫の事情 「姫様‥‥」 女房達は、柚乃と夏蝶が足止めをしてくれている。 館に詰めた警護の者達の目をすり抜けるのは、さほど難しい事ではない。 呆気ない程に容易く姫の部屋へと滑り込み、梓は眠る影に小さな声で呼びかけた。 「とある殿方よりの言伝を承り、無礼を承知で伺い‥‥。姫様?」 くーかーと何とも心地良さげな寝息が聞こえて来る。姫は熟睡している様子だ。御簾に近づき、透かし見れば、そこに眠る影はやはり小さくて。 ー童女のような姫に、あなたを見初めた方がおられますというのも‥‥どうかと‥‥。 うーん、と梓が悩んだその時。 「慮外者!」 鋭い声と共に、空を切る音がした。 咄嗟に後方へと飛び退った梓に、すかさず冷たい光を放つ刃が向けられる。女房装束のせいで動きが鈍り、梓は小さく舌打ちをした。当然ながら、珠刀は持っていない。常であれば懐に入れているはずの飛苦無も、涼霞に預けて来た。 「そなた、見ぬ顔ですね。どこの者ですか」 あまり騒ぎになっては、他の者達にも支障が出る。活路を見出すべく、梓は素早く室内を見回した。塗籠、几帳、一瞬でも相手の目を逸らす事が出来れば、この場を退く事が出来る。 そこまで考えて、ふと梓は動きを止めた。 突きつけられる刃の鋭い輝き。そして、それは‥‥。 「姫様? いかがなさいましたか?」 外から声が掛けられる。 少し幼い声。 柚乃だ。 「何やら物音が致しましたが」 こちらは夏蝶。 どうやら騒ぎに気付いて、駆け付けて来たらしい。 「失礼致します」 障子に手をかけた夏蝶が、静かに開く。全開にしたのは、当然、梓が外に出やすくなるようにとの配慮だ。 だが、梓は動かなかった。 逃れようと思えば出来た。それをしなかったのは、確かめたかったからだ。 月の明かりが差し込んで、室内の様子がよりはっきりと浮かび上がる。 女房の姿をした梓に、薙刀を突きつけている年若い女房。 「薙刀‥‥?」 夏蝶も、その符号に気付いたようだ。柚乃と顔を見合わせると、呆然と呟く。 「高階の姫‥‥さま?」 大人しげな容貌だが、梓に薙刀を突きつける表情は凛として、芯の強さを伺わせる。 まさしく、千歳が乳母から聞いた通りの女性が、彼らの目の前にいた。 ●そして 中でそのような騒ぎが起こっている事も知らず、涼霞とセリアは呆れた顔で屋敷に忍び込んで来た越智の君と仲間達を交互に見ていた。 「あなた方は‥‥」 「ごめんねぇ、あたし達、高階の姫君に越智の君には心に決めた相手がいるって、がつんと言いに来たの」 派手な出で立ちの越智の君に寄り添うのは、壷装束のユーリアだ。 「だから、お願い。私達を姫の所まで連れて行って」 余計な説明をしている時間はない。 ずばりと用件だけを告げた煌夜に、涼霞は困ったように首を振った。姫の意思を確かめる前に縁談を壊すような真似は出来ない。 躊躇う涼霞に目配せで合図してセリアは屋敷の中へと戻る。 寝所に忍び込んだ梓が何か聞き出しているかもしれない、との期待からだ。 高階家側の事情は、当然、煌夜達は知らない。 少し迷って、涼霞は落ち着きなく視線を動かしている越智の君へと向き直った。 「越智の君、失礼ながら、君は恋を遊びか何かと間違えておられるのではありませんか? 不誠実なままでは、その内、どなたからも相手にされず、本当にお心を射止めたい方と巡り会えた時に後悔されますよ。女が皆靡くと思ったらー」 「巡り会う為だ!」 突然に声を荒げた男に、涼霞が目を見張る。 「良家の女は外には出ない。探し出す為には、私が渡り歩くしかないではないか! なのに、見つけてもおらぬのに、妻を娶るわけにはいかんのだ!」 瞬きをする涼霞に、煌夜が肩を竦めてみせる。一歩下がって彼らを見守っていた六花も苦笑していた。 「だから、心に決めた相手がいるって言いに‥‥っ!」 ぶん、と振り下ろされた刃に、ユーリアが身を逸らした。狩衣の襟元を掴んだ六花が、越智の君を引き倒す。 市女笠の垂衣が刃先に引っ掛かってユーリアの素顔が顕わになった。 「その女性ですか。貴方様の心に決めた女性というのは‥‥」 長く真っ直ぐな黒髪を靡かせ、薙刀を手に立ち尽くす娘に、今度はユーリア達が瞬きをする番だった。 「幼い日の約束を信じて、ずっと待っておりましたのに‥‥」 ぽろり、と娘の目から涙が零れ落ちる。 「貴方様をお守りせんと、武も磨いて‥‥」 「え、あ‥‥まさか‥‥」 こっちこっちと手招きをするセリアに、ユーリア達は泣きじゃくる娘と、呆然となる越智の君の傍らから忍び足で離れた。 「一体、どうなっているの?」 「高階の姫は、幼い日に将来を誓い合った男子をずっと待っていたそうなんです」 怪訝そうな煌夜の問いに、夏蝶は片目を瞑って告げた。 「そして、これは‥‥乳母殿の姪‥‥」 ずりずりと柚乃が引っ張って来たのは、被衣をしっかと抱き締めたまま、未だ夢の中にいる童女。 「越智の君の噂は姫の耳にも入っていました。でも、親同士が縁談を進めているのを知って、この子と共謀して入れ替わっていたそうです」 顔合わせの席で、自分の事を忘れている越智の君に会いたくなかったから。 「なんだ。結局、2人は両思いってわけ? すっごい回り道して?」 あーあ、やってらんない。 市女笠を放り投げて、ユーリアは呆れたように声を上げる。 けれど、その顔は笑っていた。 「本当に。男と女の仲というのは、何が起こるか分からないものですわね」 未だ驚きの中にいる涼霞が呟く。 「柚乃も‥‥分からない‥‥」 「今は分からなくてもいいと思います。でも、そのうち、きっと」 柚乃の頭に手を置いて、梓が優しく囁いた。 セリアも夏蝶も六花も、それぞれが呆れながらも笑んでいる。 「千歳姫にも、いい報告が出来そうね」 んー、と腕を伸ばして体を解すと、煌夜は綺麗に輝く月を見上げた。 「蓋を開けてみたら馬鹿げた話だけど、やっぱり、めでたしめでたしが一番よね」 |