【陰影】氷の涙
マスター名:桜紫苑
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/12/28 17:21



■オープニング本文

●好奇心
「ほお?」
 声に面白がるような響きが混じる。
 眉を跳ね上げる仕草まで、主の予想通りだ。
「それで、その氷雨という女は、賭け試合が行われる楼港まで、大事な跡取りである乳飲み子を連れて、のこのこ出向いたのか」
「当事者でございますから、仕方のない事でございましょう」
 そう答えると、ふんと鼻で笑う気配がした。
「それにしても、だ。自分達を狙う者がいるというのに、律儀な事だ。断る手段はいくらでもあったであろうに」
「はあ‥‥」
 何かを考えるように、彼は黙り込んだ。
 こちらから問いかける事は出来ない。御前を去る事も出来ない。
 ただひたすらに、彼が言葉を待つ。
「‥‥楼港は、さぞや恨み辛み、怨念渦巻く場になっているだろうな」
「‥‥賭け試合は、シノビの面子も賭けておりますから、水面下でも争いは起きているとは思いますが‥‥」
 客観的にのみ答える。今回は、直接には関わっていないが、もし、里で同じ事が起きたら、自分は、里の仲間はどうするのだろうか。
「それで、氷雨は開拓者ギルドに依頼を出している、と」
「はい。ご自身とお子様の身辺警護を主に、暗殺を防ぐ為か、考えつくであろう、ありとあらゆる依頼を出しているようでございます。‥‥若様?」
 急に立ち上がった青年に、怪訝な声をかける。
「身辺警護の依頼を出しているのであろう? 氷雨に近づくのに利用しない手はないだろう」
「しかし‥‥」
 言うが早いか、それまで退屈そうに寝ころんでいた男は、隊服の羽織を脱ぎ棄てた。
「なに、心配するな。休みを取れと上に泣きつかれたところだ。自由になる時間はいくらでもある」
「いえ、私が申し上げているのは、そのような事ではなく‥‥。‥‥何の為に、とご報告致しましょうか」
 く、と青年の口元が引きあがった。
「好きに言え。夫殺しの人妻に興味があるとでも言っておけば、納得するだろう」
 しばし黙り込む。
 そう報告した時の主の反応を、想像して。
「‥‥そのような恐ろしい事は‥‥」
「そう、だな」
 珍しく、捻くれ者が同意した。
 やはり、あの家を支配するのは女性なのだと改めて納得する。
「貴様が何を考えているかは知らんが」
 はっと我に返り、頭を下げる。
「氷雨と夫は仲睦まじい夫婦であったと言ったな。子を慈しみ、幸せそうに笑い合っていたと。にもかかわらず、氷雨は己も重傷を負う壮絶な死闘の末に、夫である但馬を殺害した。何故だ」
「それは‥‥シノビの世界は‥‥」
「それでも、だ。但馬を殺害せずとも、子を言い含めて育て、後を継がせる時に事を起こせば、これ程の騒ぎにはなるまい」
 青年の言葉に、不意に主が漏らした独り言が思い出された。
「なぜ、氷雨は夫を殺さねばならなかったのだろうな‥‥」

●傍迷惑
 開拓者ギルドに沈黙が落ちた。
 貼り出されていた依頼を吟味していた開拓者達も、信じられないものを見るように、受付台の前に立つ青年を見つめている。
「どうした? 俺が依頼とやらを受けるのはおかしいのか。一応、隊は休暇中、ギルドに開拓者として登録手続きを済ませてあるぞ」
「い‥‥いえ。ただ、いいのかなあ、と」
 高遠重衡と名乗った青年は、横柄な態度で受付嬢を促した。
「余計な詮索は無用。貴様は自分の仕事をしていろ」
 む、と不機嫌な顔をしつつも、受付嬢は突き出された書類をひったくり、乱暴に判を捺した。
「楼港にて、犬神氷雨の護衛任務の引き継ぎ。氷雨と赤子の周囲には犬神衆の護衛がいるはずだが、これとて油断が出来ぬ。氷雨の宿は離れになっており、他者が近づくのは分りやすいが、同時に襲撃を受けても気づかれにくい」
 依頼状の内容を復唱する青年に、受付嬢は脹れっ面のまま頷いた。
「前にも同様の依頼が出ているが、今回はその引き継ぎ。氷雨の身辺の状態は、戻って来た者達からの報告書を確認した方が良さそうだな」
「そーゆー事ですっ」
 青年じょうは、固唾を呑んで見守る開拓者へと振り返ると、ふふんと笑ってみせた。
「というわけだ。賭け試合も近い。氷雨の身辺も慌ただしかろう。よろしく頼むぞ、先輩方」
 い・や・み・かっ!
 ふるふると拳を震わせる開拓者達など、まるで気にしていない様子で、北面に豪邸を構える大貴族のお坊ちゃんであり、常は天護隊に属する青年はギルドを後にした。


■参加者一覧
野乃宮・涼霞(ia0176
23歳・女・巫
音有・兵真(ia0221
21歳・男・泰
星乙女 セリア(ia1066
19歳・女・サ
時任 一真(ia1316
41歳・男・サ
喪越(ia1670
33歳・男・陰
羽貫・周(ia5320
37歳・女・弓
楊・夏蝶(ia5341
18歳・女・シ
沢村楓(ia5437
17歳・女・志


■リプレイ本文

●再会は過激に
 その男の姿を目にするや否や、沢村楓(ia5437)腰の珠刀を抜き放ち、斬りかかった。
 止める暇など、当然ない。
 唖然とする仲間達の中、野乃宮涼霞(ia0176)だけは頬に手を当て、ほぉと溜息を漏らす。
「ふん。いきなり情熱的なご挨拶だな、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃんではない、紅葉だ!」
 有無を言わさぬ攻撃を軽く返され、楓は腹立たしげに刀を鞘へと仕舞う。
「どうやら本物のようだな」
「おう!? 情熱、そう、情熱が無ければ、ただ生きているだけだぜぇい〜! よく言うだろ? 情熱☆熱風せ‥‥」
 依頼を受けた仲間であるにも関わらず、勝手に現地合流を宣言した高遠重衝の肩を親しげに叩こうとした喪越(ia1670)の腕を、涼霞が引く。
「いけません、喪越さん。それは自滅を招く呪文です」
「んんん? 自滅?」
 額を押さえた常識人――この場合、苦労を一身に背負い込む事を意味する――音有兵真(ia0221)が、ごほんと咳払って、危険な会話を遮った。
「それはともかく、これで全員揃ったわけだ。一応、持ち場と担当の確認を‥‥って、おい!」
 ようやく全員で打ち合わせが出来ると思ったのも束の間、さっそく、集団行動を乱す輩が出て来た。のっけから勝手な行動を取っている重衝である。
「待てって、おい!」
 呼びかけに振り向く事なく、歩み去って行く重衝に、さすがの兵真も愛想笑いが固まろうというものだ。
「お、落ち着いてください、兵真さん」
「アイツはアレが普通だ」
 なんですって?
 笑顔のまま凍り付いた兵真の傍らで涼霞は遠い目をし、不機嫌そうな顔をした楓は重衝の後を追いかけるべく、駆け出す。
「アレが何かやらかす前に連れ戻して来る」
「‥‥とおっしゃられましても」
 既にシノビの襲撃を受けている氷雨の警護では、一瞬たりとも気が抜けない。いつも以上に仲間同士の結束と連携とが必要となって来る。にも関わらず、最初からこの状態。
「胃が痛くなって来た‥‥」
 腹を押さえる兵真に、最大限の労りを込めて星乙女セリア(ia1066)が背を叩く。その心遣いに感極まり、仲間の有り難さを再認識しかけた兵真を置き去りに、仲間達はこれからの段取りを語らいつつ、既に移動していたのであった。
 ああ、世の中世知辛い。

●開かれる心
 警護担当として廊下に陣取っていた羽貫周(ia5320)は、離れの周囲を一回りして戻って来た楊夏蝶(ia5341)の困ったような表情に目を留め、首を傾げた。
 周囲を調べると勢いよく飛び出した時には、元気いっぱい、満開笑顔だったのだが、僅かな時間の間に、一体、何があったのか。
「どうかしたのか」
「う‥‥ん。ううん、どうもしないから、おかしいなって思って」
 歯切れの悪い返事に、周の眉も寄る。
「いや、この離れと母屋の間に抜け道があるんじゃないかって話だったんで、一緒に調べてみたんだ」
 夏蝶の後ろから顔を出した時任一真(ia1316)の説明に、周は目を見開いた。
「抜け道? そんなものがあるのならば、ここで警護をしても意味がないのでは?」
「うーん。だから、確認して来たんだが」
 一真はちらりと夏蝶を見る。難しい顔で腕を組み、考え込んでいる様子は真剣そのものだ。
「抜け道も、何らかの術を使った痕跡も無くてねぇ」
「でも、空耳じゃなかったわ。確かに声がしていたの。氷雨さんと、もう1人。低くて小さかったからよく聞き取れなかったけど」
 言い募る夏蝶に助けの手が伸びる。
「YO! 空耳なんかじゃないぜ、セニョリータ」
 膳を手にした女中姿の涼霞、セリアと一緒にやって来た喪越だ。
「俺も聞いていたんだぜ!」
 ばちんと片目を瞑って見せた喪越に、夏蝶がにじり寄る。
「それじゃあ、誰が何て言っていたかも聞いたの?」
 ちちち、と舌を鳴らしながら喪越は指を振った。
「ざーんねん。外にいた奴が見える程、高機能じゃあないんだな、これが」
 期待した分、落胆も大きい。項垂れた夏蝶の顔を、しゃがんだ喪越が覗き込む。
「でもよ? 声はバッチリ。ありゃあ、どっかの遊女だぜ。里言葉を使ってたからな! くぅぅぅ、しくじった! 外に出して顔を拝んどきゃよかったぜ。折角、楼港に来てるんだ。次の交替の時にゃ、花街に咲き誇る花を‥‥」
 たん、と。
 派手な布を巻かれた喪越の髪を掠めた矢が、背後の柱に突き刺さった。
「‥‥失礼。手元が狂ったようだ。次は外さぬ故、安心を」
「あ、安心出来るかってーの!! おい、アミーゴ、何見てんだヨ! 周を止めてくれって」
 喪越に狙いを定める周がどこまで本気なのか分からず、仲間達もただ見守るしかない。
「えーと、死ぬな?」
 とりあえず、応援の言葉を掛けてみた一真に、喪越は大袈裟に嘆いてみせる。
「WAO! 素敵な友情にバンザーイ!!」
 大騒ぎの仲間達をさらりと無視して、涼霞は氷雨の部屋の前で膝をついた。
「夜のお膳をお持ち致しました」
 そのあまりに見事な無視っぷりに、騒いでいた者達も思わず動きを止める。そういえば、喪越の隣にいたはずなのに、廊下に陣取っていた周をすり抜け、いつの間にか氷雨の部屋まで移動しているような?
「わぁあお‥‥」
「酔って絡まれるお客様を、いちいちお相手していては仕事が出来ませんので」
 ほほ、と笑った涼霞は身も心も女中になりきっているかのようだ。思わず拍手を送りかけた喪越の足を、さりげなく一真が踏みつける。新顔の涼霞とセリアは女中として宿に入っているのだ。手持ちの札は出来る限り伏せて置いた方がいいに決まっている。
「‥‥ふむむ」
 思い出したように、喪越は離れに近づく直前に放った人魂に意識を集中させた。屋根裏に潜む犬神の護衛達は開拓者の馬鹿騒ぎに興味を示していない。
――ま、さんざん、馬鹿騒ぎをやらかしたからな
 犬神衆にとっては今更の事なのかもしれない。
「こら、お前達‥‥」
 交替の時間だ。
 いつの間にか離れに集合している仲間達に、兵真は口元を引き攣らせた。交替の時を夕餉の時間と定めたのは、女中に紛れている涼霞とセリアの引き継ぎに合わせたからだが、この騒ぎは一体、何なのだろう。休憩の合間にも、庭の木々や岩に異変がないか、散策を装って確認して回っていた自分が少しだけ虚しい。
「しかも、まだ帰って来ていないのもいるしな」
 帰って来たら、問答無用でカカト落としの刑だ。
 だが、そんな些細な事よりも、兵真にはもっと大きな気がかりがあった。
「あいつについていった沢村は無事だろうか‥‥」
 気持ちは既にお父さんである。
「‥‥中に、運んで下さい」
 わいわい賑やかな喧噪の合間に、聞こえて来た小さな声。
 増えた心配事に頭を悩ませていた兵真が顔を上げる。
 一真の首に腕を回して、締め上げていた喪越と、その様子を呆れ顔で眺めていた周も、驚いて動きを止めた。
 僅かに開いた障子に、夏蝶の表情が明るくなる。
 開かれた障子が、部屋に籠もりっきりの氷雨が、自分達、開拓者に開いてくれた心のように思えたのだ。
 そんな中、兵真は仲間とは別の事に気付いて小さく笑みを浮かべていた。
――うん。やっぱりそっちの方が似合っているよ、氷雨さん。
 顔を覗かせた氷雨の髪を1つに束ねているのは赤い髪紐。以前、シノビの襲撃があった後、仲間達が用意した菓子の相伴に預かった折に、彼が渡したものだ。
 白と黒だけを身に纏う彼女が、生きているのに死人のようで、思わず懐にあった髪紐を差し出していた。
 その後、「意味深だ」とか「何故、赤い髪紐を持っていたのか」とか、仲間から散々からかわれたのだけれど。
「あ、待って! これも!」
 膳を持ち、部屋の中に入ろうとする2人を引き留めると、夏蝶は手作りの小さな紙細工を氷雨の手に渡す。
「もうすぐジルベリアではお祭りがあるんです。木に飾り付けをして、家族や友達と楽しい時間を過ごすの。ツリー‥‥木の飾りに使われるお星様の形に似たお菓子を探そうと思ったんだけど、お菓子だと、秋郷くんが食べられるかどうか分からないから‥‥」
 黄色い紙で丁寧に折られた紙細工を受け取ると、氷雨は腰を折り、深く一礼した。

●花街の噂
「待て! 一体どこへ行くつもりだ!」
 物見遊山のように、ぶらぶらと歩く重衝の後を、楓は小走りに追い掛けていた。重衝はゆったりと歩いているのだが、如何せん、体格差による歩幅の違いは何ともし難く。
 けれども、彼の向かう先に気付いて、楓は足を速めて一気に距離を縮めた。
「待てと言っているだろう!」
 重衝の袖を掴んで、思いっきり引く。彼女の存在を無視して勝手気ままに歩いていた重衝も、これでは楓に向き直るしかない。
「いい加減にしたらどうだ! 我々は遊びに来ているわけではないんだぞ!」
「‥‥たまの休暇も兼ねているんでな」
 どうでも良さげに答えた重衝を怒鳴りつけたくなる衝動を必死に抑え込んで、楓は言葉を続ける。
「だからと行って、依頼の最中に花街か!? ふざけるな!」
「ふざけてなどいない。‥‥ああ、そうだな。今のお嬢ちゃんなら、見世で遊んでも問題はないか」
「紅葉だとあれほ‥‥えっ!?」
 言われた言葉が頭の中で形を成したのは、条件反射で返事を返す途中だ。
「な、な‥‥!」
 真っ赤になって後退る楓を面白そうに一瞥すると、重衝は道端に立つ行灯に背を預けて腕を組んだ。
「そう言えば、既に話は聞いているかもしれんが‥‥。楼港では、最近、「子を連れた女」を探す者が増えているそうだ」
 心臓がバクバク言う程に動揺させておいて、しれっとそんな話題を持ち出す重衝を恨めしそうに睨みつける。
「そ、それは、彼女を探している者がいるという事だろう!」
 矜持にかけて動揺している素振りは見せまいと、語気を強めて言い放った楓に、重衝は口元を引き上げた。
「違うな。氷雨ならば探す必要はなかろう。楼港でも指折りの宿の離れを貸し切って、赤子と共に閉じこもっている女の話など、一時もせぬうちに、身元から宿での様子まで調べがつく」
「だとしたら、誰を探していると‥‥」
 言いかけて、楓は息を呑んだ。
「さあ、誰を探しているんだろうな」
「っ!!」
 ぎゅっと唇を噛み締めて重衝を見ると、一瞬の躊躇の後、楓は来た方角へと駆け出した。

●依頼の真意
 重衝が花街へ向かった事を聞いて顰めっ面をしたのも束の間、続く話に、仲間達の表情が険しくなる。
「俺達は、彼女の依頼でここに居るんだよなぁ」
 ぽつりと、一真が呟いた。
 冷たい地べたに直接座り込んで、氷雨が籠もる離れを見遣る。
「確かに彼女は多くの者から狙われている。仲間であるはずの犬神衆でさえも、信じられない状態だ。朧谷の里長後見とはいえ、朧谷から見れば、前里長を殺して里を乗っ取った憎い女だし」
「うちの旦那は息子が小さい時に行方不明になってね‥‥」
 使い慣れた弓の感触を確かめつつ、一真の言葉を次ぐように周が口を開いた。
「その当時は色々不安もあったし、混乱もした。けど、息子を守らなくちゃいけないって気持ちの方が大きかった。だから、今の彼女がどんな気持ちを抱えているのか、少しは分かる気がするよ」
 静かに、全てを諦めたように閉じこもったままの氷雨。
 けれど、彼女も必死なのだ。
 手負いの獣が死に物狂いで我が子を守ろうとするように。
「‥‥前回の襲撃は、彼女にとっても想定の範囲‥‥か」
 相手が何処の手の者であろうと、関係ない。
 敵が彼女を襲うという事は、ある意味において、彼女の思惑通りに進んでいる証でもあるのだから。そして、彼女と息子を守る為に護りを固める開拓者の存在は、牽制と目くらましの役目を果たしていたのだ。
「俺達は利用されていたというわけか」
 しかし、不思議な事に憤る気持ちは湧いてこなかった。
 隙を作って襲撃を誘うという作戦も、不確かな相手に対する防御の布陣も、無駄になる確率の方が大きいというのに。
「‥‥でも、開拓者を雇い、自分を囮にして、何から守ろうとしているのだろう」
 周が漏らした言葉に、開拓者達は一様に黙り込んだ。
 シノビという世界にある、深い深い闇が垣間見えたような気がした。

●迎え
「‥‥ま、た‥‥まさま! おやめくだ‥‥」
 部屋の中での警護を任される事となったセリアと涼霞は、夜中、魘される氷雨の声に互いの顔を見合わせた。
「氷雨様?」
 遠慮がちに伸ばしたセリアの手を払い除け、氷雨の手が何かを探してさ迷う。
「咎は私に‥‥秋郷は、秋郷は貴方様の‥‥!」
「氷雨さん!」
 涼霞が強く氷雨の体を揺さぶった。
 途端に目を覚ました氷雨は、何が起きたのか分からないように怯えた目で2人を交互に見、やがて深く息を吐き出した。
「‥‥氷雨様、差し出がましい事かもしれませんけれど、赤ちゃんが大きくなった時に、真実を話してあげられるのは、氷雨様だけですよ?」
 体を支え起こしたセリアの言葉に、氷雨は緩く首を振った。肯定とも否定とも取れぬ仕草から読み取れるのは、悲しみだけだ。
「周囲の反対を押し切って、一緒になったんだよな? 旦那さんを殺せばどうなるかは予想出来たと思うし、利だけを求めた行動にしちゃ、博打が過ぎると思うんだが?」
 障子の外から、廊下での警護を引き受けた喪越の声が聞こえて来る。
 外からの月明かりが、喪越の影を障子に映し出す。
「他に、旦那さんを殺さなくちゃいけねぇ理由があった。俺は、そう勝手に思っているんだが」
「‥‥私は」
 長い沈黙の後、氷雨が語り出そうとしたその時に、外の警護の者達が殺気立つ。
「誰だ、てめぇ」
「氷雨に話があって参りました」
 感情を感じさせない女の声だ。屋根裏の犬神衆達が動く気配がする。
「犬神の‥‥者か?」
 緊張混じりの兵真の問いに答えず、女は続けた。
「氷雨、聞こえていますね? 2人きりで話があります」
 弾かれたように障子に駆け寄った氷雨は、僅かに躊躇する素振りを見せた。
 障子に掛けられた手の震えに、涼霞は氷雨を見上げる。
「氷雨さん、お嫌でしたら日を改めてとお伝えしましょうか?」
「‥‥いえ」
 ゆっくりと息を吸い込んで、障子を開く。
「よろしい」
 武家の奥方然とした女は、戸惑う開拓者と、護衛の犬神衆達を冷たく見回して階を上り、氷雨の部屋へと入る。
 中でどのような話が行われたのか。
 喪越が人魂を飛ばすよりも早く、再び障子が開かれた。
 俯いた氷雨を伴って、女が庭へと降りる。
「これより、氷雨は犬神が預かります。開拓者の皆様はご苦労様でした」
 驚く開拓者達を尻目に、女は踵を返した。その後に氷雨が続く。護衛の犬神衆も、シノビらしからぬ戸惑いを見せながら、彼女達の後を追っていく。
「‥‥一体、何がどうなっているんだ?」
 部屋の中に残されたのは、先程まで氷雨が休んでいた寝具と、ぬいぐるみやお手玉、紙の星で囲まれ、お包みに包まれた赤子の人形。
「氷雨さん、泣いてましたよね?」
 夏蝶の言葉を聞きながら、涼霞は悲しい気持ちで赤子の人形を抱き上げた。