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■オープニング本文 ● 「はあっ、はあっ」 早朝の林の中。五月といえどこの時間はまだ涼しく、凛とした空気が立ちこめる中に、朱吉の弾んだ息が響いていた。 同年代の子どもたちと比べると、ずいぶんとがっしりとした体つき。下帯一枚の、むき出しにした上半身をびっしりと汗が覆っている。 その両手に握られているのは、一本の古びた刀。練習用の模造刀ではない。ところどころ刃こぼれをしてはいるが、紛れもない真剣だ。とても、一二歳の少年が振り回せるような代物ではない。だが朱吉は、巧みに、とまではいかないまでもきちんと腰を据えて、刀を宙に向けて振るう。 真剣は重い。力任せに振るうと、全身の筋肉が悲鳴を上げる。けれど朱吉は歯を食いしばりながら黙々と素振りを続けていた。まるで何者かと――自分自身と戦うように。 「まだだ、まだ足りない・・・・」 不意に、朱吉の唇から言葉がこぼれ落ちる。自分自身も気づいていない、無意識の呟き。 「兄貴は・・・・紅丸は、こんなもんじゃなかった」 悔しげに、言葉を紡ぎながら刀を振るう。 紅丸。朱吉の五歳離れた兄の名。朱吉と同じく志体を持って生まれ、わずか一七歳にしてその実力を買われ、貴族の護衛兼養子として都に上っていった「天才」。今では一人前の志士となり、仕官の話も出ているという。 彼がまだ一二歳だった時、町を襲ったアヤカシを一刀のもとに切り伏せたこともあって、彼の勇名は町中に響き渡っていた。 その弟であり、同じく志体を持って生まれた朱吉は、人一倍負けず嫌いに育った。「兄は天才だから、それには勝てなくても仕方がない」。そんなふうに接する家族や周りの人間たちの態度が、彼には耐えられなかったのだ。 「絶対に、兄貴を、超えてやる・・・・!」 朱吉は決意を込めて自らの肉体を鍛え上げる。 朱吉は現在一二歳。兄の紅丸が、たった一人でアヤカシを撃退した歳であった。 ● 北面の国のとある都市。そこに一軒の屋敷があった。 豪華、とは言えないがそこそこの広さを持つその屋敷の門扉は、日中は常に開かれており、門にはこんな表札が掲げてある。 「寺子屋 俊馬」 その名の通り、俊馬という名の一人の志士が、都市の子供たちを相手に学問を教える手習所だ。 ここに通う子どもたちの共通点は、「志体持ち」であること。年齢も性別もばらばらの、五人の門弟たちはみな「志体持ち」であった。 「なんですって、町外れに、アヤカシが現れた?」 血相を変えて屋敷に飛び込んできた町民の報告に、俊馬が思わず腰を浮かせる。前回民家を襲った鬼といい、ここ最近、どうにもこの付近のアヤカシの活動が活発になってきている。 「しかも、その話を聞いたうちのせがれが――朱吉のやつが!」 報告に来た町民――俊馬の生徒のひとり、朱吉の父親が、悲鳴のような声をあげる。 「自分一人で退治してやるって、飛び出して生きやがって――あいつは、紅丸とは違うのに」 「朱吉が? それはまずい」 俊馬が刀を掴んで立ち上がる。彼の生徒である朱吉は、確かに才能はあるものの、短気で自分の力を過信してしまうところがある。まだまだ実戦には早い。しかも報告によれば、現れたアヤカシ――人間よりも大きな化け物蜘蛛――は、駆け出しの開拓者では歯が立たないほどの強敵だ。 「私が朱吉を追います、貴方は急いで開拓者たちの応援を依頼してください!」 「・・・・私たちは、ただ子どもたちに幸せに暮らして欲しいだけなんです。本当は紅丸のやつも、都になんて行かせたくなかったんだ。朱吉にも、強くなって欲しかったわけじゃなくて・・・・」 嘆くように言う朱吉の父親に、俊馬は静かに首を横に振った。 「朱吉の将来は、私達には決められません。ただ、兄を越えたいという思いが強すぎるあまり、彼が自分の命を危険にさらすことは見過ごせない。・・・・今は、朱吉を助けることだけを考えましょう」 |
■参加者一覧
設楽 万理(ia5443)
22歳・女・弓
ジェシュファ・ロッズ(ia9087)
11歳・男・魔
木下 由花(ia9509)
15歳・女・巫
ベルトロイド・ロッズ(ia9729)
11歳・男・志
涼魅月夜(ib1325)
15歳・女・弓
瀬戸(ib1356)
16歳・女・吟
将門(ib1770)
25歳・男・サ
ミアン(ib1930)
25歳・女・吟
佐屋上ミサ子(ib1934)
16歳・女・志
バルベロ(ib2006)
17歳・女・騎 |
■リプレイ本文 ● 「あれが、アヤカシ‥‥」 錆びた刀を握りしめて木陰に隠れた朱吉が息を呑む。視線の先には大人の人間よりも大きな、毛の生えた長い脚を蠢かせた恐ろしい姿の蜘蛛が数匹。そのうちの一匹が小さなウサギを捕捉したところだった。 蜘蛛の姿のアヤカシが吐き出したネバネバした糸に捉えられ、ウサギは逃げることができない。じたばたと暴れているウサギに、アヤカシは悠然と近づいていく。 「くっ!」 目の前で、ウサギの小さな体が引き裂かれる残酷な光景に、朱吉は思わず目をそらした。 「か、勝てるかな‥‥」 朱吉の体がガタガタと震えだす。冷静に考えて、勝ち目はないだろう。だけど、ここまで来て引き返すことなどできない、という朱吉の意地が、踵を返して逃げ出そうとする心とせめぎあう。その間にも、アヤカシはウサギを捕食し終えてゆっくりと前進を始める。餌食となるのがウサギから、町の人間たちにとってかわるのは時間の問題だ。 「ちくしょうっ! こうなったら刺し違えてでも‥‥」 半ば自暴自棄な気分になって、朱吉が木陰から飛び出そうとしたその時。 「前に言った筈だけど、忘れちゃったかな? 一人で危険な事はしちゃ駄目なんだよ?」 すぐ後ろで聞き覚えのある声がして、朱吉は思わず声を上げそうになった。振り返ると、開拓者のジェシュファ・ロッズ(ia9087)が満面の笑みを浮かべているが、目は笑っていない。本気で怒っている証拠だ。 「お、おま、いつのまに‥‥」 「ザラチーストゥイに朱吉のにおいを追わせたんだ。一人で突っ込んじゃう前でよかった」 そう言ったのはジェシュの双子の兄弟、ベルトロイド・ロッズ(ia9729)。ちなみに、ザラチーストゥイというのは彼の相棒の忍犬だ。 「あんまり聞き分けないんだったら捻るよ?」 普段のジェシュには考えられないような言葉に、朱吉は思わず冷や汗を垂らす。 「無茶無謀は子供の特権、か、ふん、愚か極まりないな、ガキはガキらしく己の分をわきまえた振る舞いをしていればいいものを」 隣ではバルベロ(ib2006)が、はき捨てるようにつぶやく。本人は自覚していないが、顔に苛立ったような表情が浮かんでいるのは、同族嫌悪のような思いなのかもしれない。 「なんだと? 俺は‥‥!」 バルベロの言葉にカッとなって何かを言い返そうとした朱吉を、瀬戸(ib1356)が制した。 「興奮してはダメです。とりあえずは落ち着いてください。落ち着けば、アヤカシがどんなものかも、きっと見えてくると思います」 彼女の高圧的でない真摯な態度に、朱吉は拳の振り下ろしどころを失って言葉に詰まる。 「あなたは兄に対する焦りと自尊心から、早まった行動に出ているのです。冷静な判断が出来ぬ者は早死にするだけです。あなたが死んでしまえば、ご両親がどれだけ悲しむか分かっていますか?」 佐屋上ミサ子(ib1934)の厳しい言葉に、朱吉は返す言葉がない。 「わかったなら、あなたは町に戻るべきです」 「でも俺は、俺はこの町を守れるようになりたいんだ! いつまでも守られることを期待しているんじゃなくて。じゃないと、翠の両親みたいに‥‥だから、俺にも戦わせてほしい。俺一人でやる、なんて言わないから! お願いします!」 真剣な表情で言い募る朱吉の姿に、ミサ子がため息をつく。 「我々の指示に必ず従い、勝手な行動をしない、と約束できますか?」 「ああ! 約束する!」 「本当ですね、朱吉くん?」 木下 由花(ia9509)が荒縄をもてあそびながら尋ねる。もちろん、「言うこと聞かないと、縛っちゃいますよ?」という意思表示だ。かわいい顔して、ちょっと怖い。 「わたし達吟遊詩人は武器を持っていません、どうかお守りいただけませんか?」 ミアン(ib1930)がそう提案する。同じく吟遊詩人である瀬戸も、にっこりとうなずいている。後衛の護衛をさせることで、前に出ることがないように、という意図もあった。 「その刀じゃ心許ないからよかったら使ってよ。使い古しだけどさ、少しは鍛えてあるし、結構使えるんだよ」 ベルトーがそう声を掛けながら、朱吉に一本の槍を差し出す。 「・・・・ああ」 決まり悪そうに目をそらしながら、朱吉はそれをうけとった。 ● 朱吉を説得している間にも、アヤカシは町の方へと進み始めていた。 「町の人たちに危害を加えさせはしないよ」 「いかせるわけにはいきません」 巨大な蜘蛛たちの脚に矢が突き立つ。立て続けに二本。 矢を放ったのは、涼魅月夜(ib1325)と設楽 万理(ia5443)。矢の直撃を受けなかったもう一匹が、怒ったように脚を振り上げ、意外に速い動きで射手たちに襲いかかろうとする。 「・・・・させん」 そう言って将門(ib1770)が刀を振るう。彼の地断撃が数歩先の化け蜘蛛を襲う。だが、意外に硬い蜘蛛の皮膚に阻まれ、ほんのわずかに傷を負わせることしかできなかった。 傷を負った蜘蛛たちもすぐに気を取り直し、その口から糸を吐いて攻撃を開始した。対する開拓者側には前衛が少ない。彼たちの背中を、汗が伝う。 「称えよ、戦う者を。剣持ち弱き者を守る勇士に誉れあれ」 突然、朗々とした声が開拓者たちの耳に届いた。ハープを抱えたミアンの「武勇の曲」だ。ミアンを守るように槍を構える朱吉をはじめ、彼を説得に行った開拓者たちが揃って合流を果たす。 「お待たせ致しました。佐屋上ミサ子、参ります」 「これ以上好き勝手はさせないよ」 ミサ子とベルトーが前衛に躍り出る。 「朱吉くんに、ご加護を」 由花が優雅に舞い、朱吉を祝福する。 「・・・・好きにすればいいがな、足は引っ張るなよ小僧?」 バルベロがそう言いつつも、朱吉を守る位置に陣取ってエストックを構える。 ジェシュは朱吉の側で術を使って、ベルトーらのフォローをしている。 「ちゃんと私達のこと、守ってくださいね?」 瀬戸が敵から距離をとりつつ、槍を構える朱吉に釘を刺す。朱吉は曖昧にうなずくが、その胸は初めての実戦に昂ぶっていた。目の前で振るわれる刀や槍、飛び交う矢。開拓者たちは巧みに敵の攻撃を避けつつ、アヤカシの体力を削っていく。 硬い皮膚を持った蜘蛛たちは意外にしぶとい。だが、開拓者側の方が数が多いから、攻撃が前衛を抜けてくることはない。戦闘の興奮を目の当たりにしながら為す術のない朱吉は、ついに自らを抑えきれなくなった。 「俺も、やってやる!」 そう叫んで、朱吉は化け蜘蛛に駆け寄り、槍を繰り出した。だが、勢いがつきすぎた攻撃は狙いを外し、空を切った朱吉はバランスを崩してよろめいた。 「朱吉くん!」 由花が叫ぶ。朱吉の身体に、化け蜘蛛の牙が迫っていた。 「馬鹿野郎ッ!」 動いたのはバルベロだ。近くにいた朱吉の背中を、思い切り蹴り飛ばす。万理がとっさに放った牽制の矢の効果もあり、蜘蛛の牙がそれて空を切る。 「私は言ったぞ? 足を引っ張るな、と、いいからここでいろ、優れた戦士というのは、機を読む能力にも優れているものだ、貴様は最初からそれがない、おとなしくしてろ」 早口に朱吉にまくし立てる。 「彼の言うとおりです。あなたは何のために力を使うのですか? それが分かっていなければ、あなたは力を使う資格はありませんよ」 バルベロと同じく、気絶させてでも朱吉を止めようと構えていたミサ子が、厳しい声で叱責する。 「ご、ごめんなさい・・・・」 うなだれた朱吉が、しおらしくうなずく。その間に、ベルトーが朱吉と蜘蛛の間に割って入った。 戦闘はほとんど終結していた。多勢に無勢。開拓者たちは多少の傷を負いながらも、確実に敵の数を減らしていく。ついに、万理の矢が最後の蜘蛛の脳天を貫いた。 「ふぅ。人って子供の頃は危険なことを平気でしていてもいざ大人になって動いている子供を見ると危なっかしく見えて仕方ないのはなぜかしら?」 朱吉の無事にほっと胸をなで下ろした万理が肩をすくめてぼやく。 「無謀に見える行為でしたが、今は一人の戦士が一つ成長したことを祝おうではありませんか〜では一曲」 ミアンの朗らかな歌声が、戦闘終了の合図となった。 ● 「・・・・俺、どうしても兄貴に追いつきたくて・・・・」 戦闘終了後、朱吉が消え入りそうな声で言った。 「お兄さんを超えたいという気持ちは大切だと思いますが、家族や俊馬先生に心配をかける時点で、お兄さんには勝てないと思いますよ」 由花が釘を刺す。彼女の言葉は朱吉の胸に響く。 「・・・・なんて、敵を倒すのに一人では出来ない私に言われてもわかっていただけないかもしれませんね。でも、自分の実力をわかって、助けあえることが出来ることが自分の強さだと思っていますから」 「追いつきたい気持ちは判らなくもないけど、あんたとお兄さんはべつの人間なんだからさ。何も同じである必要はないんじゃないかな? それに・・・・もしかしたら、蒼太に先を越された、とか思ってるのかもしれないけど」 ベルトーの言葉に、朱吉が驚いたような表情を浮かべて目をそらす。どうやら図星だったようだ。 (琉宇の言ったとおりだ) ベルトーは心の中で思う。彼の友人が出立前に、「きっと、その事でのプライドが引っかかってるってのもあるんじゃないかな」と心配そうに言っていたのを思い出す。 黙り込んだ朱吉に対して、月夜とバルベロが口を開いた。 「兄貴を超えたい気持ちも、強くなりたい気持ちもわかるよ。でも今すぐに越えられなくても、強くなれなくても別に良いんじゃないかな? あんたはあんたであって、兄貴じゃないんだしさ。何より兄貴を超えて、 それでどうしたいの? 強くなってどうしたいの? それが見つけられないで兄貴を超えても強くなっても 意味なくない?」 「一つ聞きたいが、貴方の兄は、誰かを超えたり、名声がほしくて一人でアヤカシを退治したのか? だとすれば貴方の兄も愚か者だ、そんなものを目指そうという貴方の気が知れんな・・・・」 「違う、兄貴はそんなんじゃ・・・・」 思わず言い返そうとした朱吉の言葉を、バルベロが遮る。 「いいか、一個人のようになりたいだとか、負けてられんとか、そう思っている間はそいつ以下にしかなれん、目標は大きく持て、そしてその為に、今の己の力を最大限に生かせる場で戦え、名声とは、そうして積み上げるものだ」 その言葉はまるで、己にも言い聞かせているかのようで。 「朱吉くんの父さまと母さまが心配していたよ。ちゃんと生きているんだから心配させちゃ駄目だからね〜」 口調は軽いが、両親をアヤカシに殺されたジェシュの言葉は重い。隣でベルトーが、わずかに目を伏せる。 「う〜ん、私も若い頃はやんちゃでどうこう言えないかもなぁ。最初にアヤカシと戦った時も一人で遊んでたら襲われて偶々なんか倒せただけだったし」 万理は自分のことを思い返しながら呟く。 「でもこれだけ周りの人間巻き込むって事が分かってもらえるなら今後はあるかもね」 そう言って朱吉に笑いかけた。瀬戸も、朱吉の肩を叩いてにっこりと笑いかける。 「アヤカシと戦いたいなら開拓者になることっ。いつか本当にあなたに守ってもらいながら戦えたらいいですね。その気があれば、ですけどね!」 「・・・・強くなろうと頑張っている人はキライじゃないですよ?」」 瀬戸と、由花にも屈託のない笑みを向けられて、朱吉がわずかに頬を赤くする。 「勇気、それは最後の手段。まずは自らを守りなさい。戦は時を選ばず災厄は不意にあなたを襲う。だから勇気は最後の手段。自らを守り人より五分長く続く勇気があれば、あなたは皆を守れるでしょう」 言いながらミアンが即興で奏でた勇気の曲が、災厄を免れた町の中に響き渡った。 |