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■オープニング本文 ただもう一度だけ、会えたら伝えたい事がある。 あの日、君に言えなかった言葉。 あの日、君に言いたかった言葉。 もう二度とは会えない君に、もう二度とは会えないからこそ。 君にもう一度だけ、会えたら伝えたい事が、ある。 ◆ その付近ではこの頃、旅人がふらりと姿を消す事が多いのだという。何が原因なのかは解らない、けれども確かにその辺りを通り抜けてやってくるはずの旅人が、待てど暮らせど辿り着かない、という話が聞かれている。 木原高晃(きはら・たかあきら)と柚木遠村(ゆずき・とおむら)がやって来たのは、その調査の為だった。まだ、正式にギルドに依頼すら出ていないけれども、別の依頼でちょいと小耳に挟み、気になってやって来たのだ。 旅人がふいと行き先を変えることなど、そうはないだろうが珍しいことでもあるまい。たまたまその辺りに何かがあって、来た道を引き返したとかなのかもしれないし、もしかしたら難儀して足止めを食らっているのかもしれない。 そう、考えてやって来た2人は一見してのどかな道を、連れ立って歩いていた。何かがあるのではないかと辺りに気を配っているのだが、一向にその様子はない。 外れだったのか。何もなかったと言うのなら、もちろんそれに越した事はないのだが――そう、考えていた高晃の横腹を、おい、と遠村がつついた。 「あんな所に人がいる」 「ん‥‥?」 そうして友人が指差した先を見れば、確かにふらり、と森にわけいっていく男が1人。腰に何だか不釣合いに立派な得物を刷いている。 だが、男の顔には妙に精気がなかった。それが気になって思わず目を凝らした高晃を、ぐるん、と男が振り返り――その、うつろのような瞳と目が、合う。 ヒュッ、と思わず息を飲み込んだ。もちろん男は死体などではありえなかったが、死体と眼が合った方がまだましに違いない、と思えるほどにその瞳は虚ろで、感情という物に乏しく、それでいてぎらぎらと光を放っていたのだ。 動きを止めた高晃と、遠村をしばらく見比べてから、興味をなくしたように男はすっと視線を外し、森の中へと消えていった。それを無言で見送り、横目で互いに伺うような視線を交わしてから、今度は高晃がそれに気付く。 「遠村」 「なんだ」 「‥‥村がある」 すッ、と指差した先には小さな山村。それは男がふらりとやって来た方向で、そしてあの男のように妙に精気がないように感じられた。 ◆ 恐らくそれは清吾(せいご)でしょう、と疲れた顔の村人は高晃の話を聞いて、そう言った。 「この辺りには昔から、森の奥にある想ヶ淵(おもひがふち)では会いたい者と会える、と言われております――清吾は、死んだ恋人に会いに行っているのです」 「死んだ恋人に‥‥?」 思わず眉を潜めて確かめた遠村に、ええ、と村人は頷いた。そうして語った所に寄れば、昔から想ヶ淵にはアヤカシが棲んでいて、近付いた者には命を食らう代わりに、会いたいと願う者に会わせてくれるのだ、と言われているのだとか。 本当か嘘かは知らない。想ヶ淵に向かって生きて帰ってきたものは居らず、その言い伝えすら一体誰が、どうやって伝えたものかすら解らない。 けれども、想ヶ淵に向かった者が死体で見つかる時、えもいわれぬ幸せそうな顔をしている事から、その言い伝えはまことしやかに伝えられてきたのである。 「‥‥けどその清吾って男、死んでるようには見えなかったけどな?」 「えぇ‥‥」 首を傾げた高晃に、村人は迷うように顔を歪めた。そうして辺りをそっと見回し、誰も居ない事を確かめると、吐息のように囁いた――清吾は想ヶ淵のアヤカシと、恋人を生き返らせてもらう取引をした、と言っているのだと。 正しくは、その娘は恋人だったわけではない。けれども誰もがそうなるものだと思っていて、当人同士もまんざらではなかった様だった。 けれども、娘は死んだ。一体どうしてなのだか、アヤカシに憑かれて村人に害を為そうとした所を殺されたのだ――この辺りで唯一の志体持ちでもあった、清吾の手によって。 それから清吾は変わってしまった。誰もが清吾を間違ってなかったと慰めたが、清吾はそれを悔い続け、ついには想ヶ淵で娘に会って許しをこうのだと言って――戻ってきたらあの様な、尋常ではない雰囲気の荒くれ者になってしまった。 取引、と遠村が呟いた。 「どんな、取引を?」 「さて、それは‥‥」 ふる、と首を振って、逃げるように村人は去ってしまった。それに、高晃と遠村はため息を吐き――けれどもこれは2人だけでは手に余ると、仲間を呼びに向かったのだった。 ◆ 暗い暗い淵を覗き込み、清吾はうつろな瞳で呟いた。 「まだ、なのか‥‥?」 まだ彼女は、早織(さおり)は清吾の前に姿を現さないのか。それほどに、清吾を恨んでいるのか。ただ一目、一目だけでも姿を見せてくれれば良いのに――ただそれだけで、この飢えたような焼け付くような焦燥が満たされるだろうのに。 まだなのか、ともう一度、呟く。足元には食い散らかされた何人もの死体。 「まだ、足りないのか‥‥?」 あと何人殺せば、アヤカシに捧げれば、早織は姿を見せてくれるのだ。こんなにも、こんなにもただ、早織に会いたくて仕方がないのに。ただそれだけなのに。 ふらり、失意を胸に清吾は想ヶ淵に背を向けた。ゆったりと泳ぐ大きな魚影が、ちらりと水面に映って、消えた。 |
■参加者一覧
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
オラース・カノーヴァ(ib0141)
29歳・男・魔
西光寺 百合(ib2997)
27歳・女・魔
ソウェル ノイラート(ib5397)
24歳・女・砲
丈 平次郎(ib5866)
48歳・男・サ
ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)
48歳・男・志 |
■リプレイ本文 村に調査に行く開拓者達は街道から外れ、森へと踏み込んだ。その最後尾で劫光(ia9510)は想ヶ淵へと想いを馳せる。 (死んだ者が、生き返る‥‥か‥‥) ぎゅっと、知らず眉を寄せた劫光をちらりと見て、オラース・カノーヴァ(ib0141)は行く手へと視線を戻した。何か有益な情報が手に入れば良いのだが。 妙に精気というものを感じられない村だと、西光寺 百合(ib2997)は思う。それはもしかしたら、高晃達から聞いた話のせいかもしれない。 (始まってもいなかった想いを、自分の手で終わらせてしまったのね) かつてアヤカシに憑かれた想い人を、志体持ちの男は手に掛けた。それは、百合のように他人に想いを無理矢理終わらされてしまうのと、どちらがより辛く、悲しい出来事なのだろう。 各地でアヤカシの調査をしていて、と触れ込んで村人達から清吾と早織の事件の事を聞き出そうと、オラースは鋭い眼差しを向ける。百合が憑依系のアヤカシの話を持ち出すと、早織の事はすぐに口に上った。 早織は薬草売りで、村の衆が商いに行く時に、一緒に隣町まで行っていた。けれどもその日、いつも通り隣町まで行った早織は、たった1人血塗れた着物で帰ってきて、出迎えた母親に襲いかかった。 娘の細腕とは思えぬ怪力で母親を吊り上げた早織に、誰もがアヤカシだと確信した。駆けつけた志体持ちが間違いないと認め、母親を喰おうとする早織を斬ったのだ。 「早織さんに何があったのかしら?」 つと眉を寄せた百合に、さあ、と村人は首を振った。ちら、とオラースと百合は視線を交わす。 村人も目撃している以上、確かに早織はアヤカシに憑かれたのだろう。本当に彼女はアヤカシに憑かれていたのかと、オラースは内心で疑いを持っていた。 だが、誰に聞いても話はそこまでで、その先が続かない。早織を斬った志体持ちも、名前すら出てこない。高晃達に清吾の事を教えてくれた村人は、顔を背けて逃げてしまった。 まるで胸の奥に秘めた何かを、悟られぬよう慎重に言葉を選んでいるような。その印象は想ヶ淵の事に触れると強まり、淵でアヤカシに殺された死体はどの辺りで見つかるのか、と尋ねると警戒の眼差しになった。 そして。 「想ヶ淵では、死人が蘇る、と聞いた。死んだのが数年前でも、会った者も居るのか」 そう劫光が聞いた時、村人の態度が一変した。警戒し、一体何を探りにきたのかと、怯えた眼差し。 「淵のアヤカシは会いたい者の姿を見せて下さるだけだ」 そう、硬い声で言ったのは、誰だったのか。 「そんな事を言っているのは、清吾だけだ‥‥村は関係ない」 「退治たいなら好きにすれば良い。俺らは何も知らん」 切り捨てるような拒絶の言葉を置いて、村人達は逃げるように各々の家へと戻っていく。愕然と目を見張った劫光の肩を、オラースが「気にするな」と叩いた。 「アヤカシは退治して良いそうだからな。ひとまず行くとするか」 「もしかしたら、消えた旅人がどうなったかも知っているかも、しれないわね」 百合が眉を潜めて、人の姿のなくなった村を見渡す。聞いた状況からすれば、清吾がこの件に関わっている可能性は、高いのだけれど。 後は本人から聞き出すしかないと、開拓者達は顔を見合わせ、ため息を吐いたのだった。 ◆ そうかね、とヴァレリー・クルーゼ(ib6023)は隣を歩く高晃の言葉に軽く頷いた。頷き、森の中を歩き始めた。 すでに村人と顔見知りで想ヶ淵の事も聞いている2人に、ヴァレリーは場所を清吾に気付かれぬよう、聞いて欲しいと頼んでいた。けれども村人は「行った事がない」と首を振ったという。 ならば自力で向かうしかないと、ヴァレリー達は森の中を歩いている。幸い、誰かが下草を踏み分けた僅かな道が続いていた。 清吾と遭遇しない為に時間をずらし、細心の注意を払って、時折心眼で不自然に存在する生き物が居ないかを確かめる。そんなヴァレリーの溶け込むような外套の色を思い返し、丈 平次郎(ib5866)はわずかに目を細めた。あの友が、愛妻を亡くしている事を、何とはなしに思い出す。 依頼はあくまで、消えた旅人の捜索。真相を明らかにするためにも、旅人に扮した囮にうまく引っかかってくれれば良いんだけどね、とソウェル ノイラート(ib5397)は愛銃を確かめながら、潜んだ藪の中から目を凝らす。 劫光が村の方から、ふらりと、何かを探す素振りで歩いてくる――腰の剣は、旅人なら護身用に持っていてもおかしくない程度のもの。手に笛を持った男は森を抜け、街道へと辿り着いた。 立ち止まり、何か探すように辺りを見回すと、人影が現れた。奇妙に虚ろな瞳の、強い光を宿す男。腰の業物と窺い知れる刀は、しっくりと馴染んでいる。 ぎくりと。本気で身構えた劫光を、男はしばし値踏みするような素振りを見せた。それから不意に、いびつに愛想の良い笑顔を浮かべる。 「1人旅かい?」 「ああ‥‥この辺で、死んだ者に会えるって聞いてな」 戸惑いを覚えながらも、劫光は誘いの餌を蒔いた。ぴくりと男の、清吾の眉が動く。会いたい者が居るのか、と熱を帯びた声で呟いたのに、ああ、と劫光は頷いた。 胸に想うのは亡き妹の姿。守れなかった、無力を噛みしめたあの日。最後の時から永遠に歳を取る事のない面影は、だからこそ鮮やかに、今も胸を締め付ける。死んだのが何年も前でも、会った者は居るのかと――尋ねたのはきっと、だからだ。 劫光の瞳に、何かを感じたように清吾は大きく頷き、それならこの奥の淵だ、と熱心に誘った。そうして2人が森へと足を踏み入れたのを、見届けてソウェルと百合は同時に追い始める。別々の場所に潜んでいたオラースと平次郎も、距離を取りつつ、見失わないように動き始めた。このまま現場を押さえれば、清吾が旅人消失事件に関わっていると、言い逃れ出来なくなるだろう。 それにしても、清吾が淵のアヤカシ交わしたという、娘を生き返らせる取引はろくな物ではない。淵の付近に散乱する腐り落ちた人の手や足、まだ喰われた跡も新しい死体を少し離れた場所から見つめ、ヴァレリーはそう確信する。 高晃が顔を顰めたのは、人魂の視界で死体を直視したからだろう。取引にアヤカシが何を要求したか、この現場を見ればすぐに解った。 淵の周りには幾つかの反応があり、アヤカシが棲んでいるという淵も例外ではなかった。そのまま少し離れた木蔭に身を潜め、じっと待っているとやがて、街道の方から人の気配がする。清吾は上手く、囮にかかったのだろう。 すぅ、と息を細く吐き、清吾を取り押さえるタイミングを図る。その眼差しの先で、劫光は淵のほとりへと辿り着いた。 「淵を覗けば会えるそうだ」 歪んだ顔で愛想よく笑う清吾にちらりと眼差しを向け、劫光は服の上から懐を押さえる。そこに符がある事を確かめ、手の中の笛を握り締める――陰陽師たる彼は、式という仮初の命を操り敵を討つからこそ、命の尊さを知っている。 そうして、慎重に淵の水面を覗き込み――ゆらりと揺れる、暗い水面を見た。くらり、眩暈がする。誰かの笑顔が見えた気が、して。 「‥‥ッ」 ギリ、と奥歯を噛み締めると、その笑顔は水底へと消えていった。揺れていた水面が鏡のように凪ぐ。 清吾の気配が変わった。気付いたソウェルが銃を構え、劫光を突き落とそうとした清吾に向かって引き金を、引く。 「ぐ‥‥ッ!?」 それを合図にすべてが動いた。転倒しかけ、たたらを踏んだ清吾から、劫光が距離を取る。潜んでいた開拓者達が、清吾を取り押さえようと飛び出す。 清吾は、腰の刀に見合う実力を兼ね備えた男だった。きちんと修行した事はないのだろう、技を用いはしないものの、刀を構え、振るう様は開拓者にも劣らない。 或いはアヤカシに憑かれたのは清吾ではなかったかと、思えるほどに清吾は8人の開拓者を相手に、まさに孤軍奮闘した。けれども。 「なぜだ‥‥ッ!?」 やっとの事で取り押さえ、動けぬよう縛り上げた開拓者達を前に、血を吐くように清吾は叫んだ。早織。この手で斬り殺した娘。その感触を、血の匂いを、狂った眼差しが正気を取り戻す瞬間を、鮮やかに覚えてる。 なぜ、と呻く。呻き、劫光を――淵のアヤカシを拒み、符を閃かせた男を睨み上げる。 「会いたい者が、居たんだろう!?」 「死んだ者は二度と笑わない。命はそんなに安くねえんだ!」 「――何人殺したとて早織さんは生き返らん。君は騙されたのだ」 「だが殺さねば、早織に会えない!」 淡々と告げたヴァレリーの言葉に、清吾は叫び返した。早織。餌になる人間を連れてくれば生き返らせてやると言う、アヤカシの言葉が嘘でも良かった。けれども拒めば、アヤカシは早織の姿を見せないと言ったから。 早織。ただ一目、会う為なら誰が死んだって良かった。旅人にしたのは手っ取り早かったからだ。すでに早織を殺した自分が、これ以上何を恐れる事がある? ふぅ、と平次郎は細い息を吐いた。彼の気持ちは痛いほどに解るけれども、やはり愚かな過ちだ。己の勝手な望みの為に罪なき命に手をかけたって、死んだ者には会えない。 だから残った者はそれを受け入れ、生きていかねばならなくて。それがどんなに苦しくても‥‥ (‥‥俺はいったい誰を、失った事があるのだろうか) ふと、平次郎は目を瞬かせ、想いを馳せる。いつかそれを、思い出すことは出来るのだろうか? そうしてそれを、平次郎自身は受け入れる事が出来るのだろうか――そう、受け入れられない清吾を見つめ、自問する。 やがて軽く首を振り「失えば二度と戻らない。だから失いたくないと‥‥守りたいと願うのだな」と呟く男の言葉に、ぎゅっと唇を噛み締め、劫光は叩きつける様な言葉を清吾に向けた。 「‥‥あんたの想い人は誰かの死を喜ぶのか? 今のあんたを望むのか? あんたはあんたの為に動いただけだ」 その言葉に清吾は嗤う。早織は優しい娘だった。きっと今の清吾を見たら泣くだろう。ならばその涙を見せてくれ。泣いて、喚いて、恨むなら、せめて姿を見せてそう詰ってくれ。 百合が痛みを堪えるように目を細めて清吾を見つめた。愛する人を失った痛みは、愛する人にしか癒せない。その為になら誰が死んでも良いと言うのは、自分勝手で間違っているけれども―― 怒りを込めて視線を向けた先は想ヶ淵。そこに居るはずのアヤカシ。 「人の弱みにつけ込むなんて‥‥分かっているけれど、つくづく卑怯ね。清吾さんの想いは、きっと初めは純粋な気持ちだった筈。それを悪用して汚いものにしたのは、お前よ」 「さっさと終止符を打ってしまいたいもんだな」 オラースもまた淵を見つめ、けれども百合とはまた別の理由で眼差しに力を込めた。会いたい者の幻を見せ、その代わりに命を喰らう――そのアヤカシを相手に、どう魔術を駆使し、戦うのが有効であるのか、オラースは確かめてみたかった。 ちらり、見るのは喰い散らかされ、直視に耐えない死体が浮かべる、幸せそうに安らいだ表情――まるで、アヤカシに喰われたとは思えぬような。 ふぅ、とため息を吐き、ソウェルはナイフを取り出すと、小さく腕に傷をつけた。流れ出た血を丹念に刃にこすり付け、痛みに眉を顰めながら血塗れたナイフを淵に放り込む。 オラースのレ・リカルがソウェルの傷を癒す、ほの白い輝きが薄暗い森に浮かんだ。その輝きを映す淵の水面を、開拓者達は見つめる。 清吾は加害者ではあるが、同時にアヤカシの被害者でもある。このままでは今後も同じ様に弱みに付け込まれ、罪に手を染める者が出て来るかも知れない。 ゆらり、水面が盛り上がった。そうして現れた、鋭い牙を持つ、人の手のような前びれの魚のアヤカシは、けれどさほど大きなものではない。 幾人もの旅人を喰らったのだから、その実力は計り知れないと考えていた。けれども旅人は清吾に連れて来られ、アヤカシの幻に誘われ喰われたのだ。とすればアヤカシ自体の実力は、さほどではなかったのかもしれない。 チッ、と誰かの舌打ちが森の中に響いた。ソウェルの血に誘われて姿を現したアヤカシは、たくさんの人間がそこに居る事を知り、誰を喰うのが一番容易か逡巡している。 それを、わざわざ待つ義理は開拓者にはない。そこにアヤカシが居る以上、倒すのは当たり前の事だ。 けれども。 「殺すなッ!!」 一体どんな言葉なら、一目会う為に人を殺す事を厭わぬまでに思い詰め、一線を踏み越えてしまった清吾の心を、引き戻す事が出来たのだろう。死に物狂いで、清吾はひたすらに繰り返した。殺すな、早織に会わせろ、と。 それでも。だからこそ劫光は、険しい顔で符を閃かせ、呪縛符を叩き付けた。ヴァレリーは、淵のアヤカシ目掛けて炎纏った刀を向けた。構えた剣を、平次郎は一気呵成に叩きつける。逃げようとしたアヤカシを威嚇するように、ソウェルの銃が火を噴く。百合の呼び起こした雷光が走り、その後を追う様にオラースの放つアークブラストが、辺りを稲光に染めながらいずこからともなくアヤカシに突き刺さった。 その轟音に、悲鳴がかき消されたのは幸いだったのか。ソウェルは清吾を複雑な眼差しで見つめる。彼女とて清吾の気持ちが、解らなくはない。 (会いたい故人がいないわけではないし、ね) わずかに空へと向けた眼差しが見つめるのは、すっかり年を追い越してしまった、けれども『凄い大人』という憧れだけは今なお色褪せぬまま、胸の中に宿る人。彼にもう一度会いたいと、思った事ももちろんある。故郷から離れたこの地で出会った人に面影を見てしまう程に、その感情は鮮やかだ。 けれども。そのために全く関係のない『誰か』を殺せるか、と問われれば、そこまでの度胸はなくて。だからこそ、清吾の気持ちは解っても、その行為に同情する事は、できない。死せる命を生きる命で購う事など――生きる者の命が軽んじられる事など、絶対にあってはいけないのだ。 友人はどう思っているのだろうと、平次郎は伺う眼差しをヴァレリーへと向けた。 「ヴァレリー‥‥お前も、奥方に会いたいと思う事があるか」 「人を殺してまで会おうとは思わんよ。黄泉がえりなど幻想だ。失った者は二度と戻らん。二度と」 ヴァレリーから返された言葉は端的で、そして揺るぎないものだ。その言葉の下に押し隠された気持ちを察し、平次郎は「‥‥そうか‥‥そうだな」と呟いたきり、押し黙る。 けれども、と――瘴気へと還ったアヤカシがいた淵を見下ろし、ヴァレリーは胸の中だけで呟いた。もう一度だけ彼女に会えたなら、尋ねたい事と、伝えたい言葉は、ある。 君は私と居て幸せだったかと。そして君と居て私は幸せだったと。 もう一度、会えたなら――その願い故に道を踏み外した清吾が、果たしてこの先、まっとうに生きていけるのかどうか。それは、ここに居る誰にも解らない事だった。 |