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■オープニング本文 もうそろそろ、故郷の桜は散った頃だろうか。緑萌え出でる桜の枝を見るともなく見上げて、ふと神立静瑠(かみたち・しずる)は遠い故郷へと思いを馳せた。 故郷の村の入り口にある、ほんの少し小高い丘の天辺にそびえる桜の老木。春になると可憐な、小さな白い花弁をほろほろと綻ばせたものだ。 静瑠はふとそれを思い、そうしてまた視線を戻して、神楽の町を歩き出した。故郷の村には到底なかった、賑やかな雑踏の中をすり抜け、彼の暮らす長屋へと歩いていく。 静瑠は去年の初夏、とある事情で故郷の五行を離れ、この神楽へとやって来た。そうして様々の事を見聞きしつつ、時折開拓者ギルドを訪れてみては依頼の数々を眺め、たまには受けてみたりもし。 それでも時折、離れた故郷を、思う。 (雪桜は、もうすっかり散った、だろうか?) それは村の入口にある、桜の老木の愛称だ。はらはらはらと、満開になった桜が雪のように舞い散る様が美しいと、村の誰より桜の老木を愛した女性がつけた愛称。 あの桜は他に比べて早咲きだから、もうすっかり葉桜も通り過ぎてしまったことだろう。そう考え、静瑠はほんの少し眼差しを揺らした。そうしてまた、神楽の町を歩き出す。 ◆ 静瑠が住まう長屋は、さして特徴があるでもない、神楽に幾らでもある長屋の1つである。出て来たばかりの頃は似たような町ばかりで迷ったものだけれども、この頃はすっかり町の様子にも慣れ、安価な飯処なども覚えてきた。 そんな、いつもの道のりを通り抜けて彼が住まう長屋へと辿り着き、何も考えずにガラリと扉を開ける。そこで共に暮らす相手はなく、当然、その音は長屋の狭い部屋の中に響いて消えるはずだったのだが―― 「‥‥あ、お帰りなさい。お邪魔してますよ、静瑠」 なぜか返って来た出迎えの声に、静瑠はギクリと肩を強張らせた。そんな静瑠を見て、声の主がくすくすと肩を揺らす。 その、笑い声を聞き。長屋に行儀良く端座して、自分を出迎えた相手をまじまじと見つめて、なぜ、と呟いた。それは、ここに居るはずのない相手だったから。 故郷の事を珍しく思い出したのは、この予兆だったのだろうか? 「‥‥辛(かのと)さん?」 「はい。久し振りです、静瑠。元気にしてましたか?」 にこにこと、穏やかな笑みを浮かべてそう笑いかけてくる相手は、辛という。静瑠が暮らしていた故郷の村で、姉の庚(かのえ)の影から村を――その村を本拠地とする陰陽師団『金剛』を支えていた、といわれている相手。 五行には、国に所属せず自由に動き回る陰陽師だけで構成された集団が幾つか存在する。『金剛』とはその陰陽師団の1つであり、静瑠も長らくそこに協力者として所属していた。 けれども静瑠は1年前に『金剛』を離れ、さらには五行をも離れて神楽に来て。それ以来、幾度か消息を尋ねる文は貰っていたけれども、返事を出した事は一度もなく。 もうとっくに、『金剛』との繋がりは切れたと思っていたところへの辛の来訪に、明らかな戸惑いを浮かべる静瑠の顔を見て、くすり、と青年は微笑んだ。 「安心してください。僕は純粋に、静瑠に会いに来たのですよ?」 「辛さん、が?」 「あぁ‥‥辛は、『金剛』での名前です。今の僕は『金剛』とは一切関わりがないのですから‥‥そう、清月架一(きよつき・かいち)と名乗りましょうか」 「‥‥‥は?」 言われた言葉に、まじまじと目を見開いた。名乗られた偽名に、ではない――辛が偽名であることは静瑠も知っていたし、清月架一という名が彼の陰陽師見習い時代の偽名だと言う事も聞いた事がある。 だから、驚いたのは別の部分だ。今、辛は‥‥否、架一はなんと言った? 「姉上と、大喧嘩をしましてね。『金剛』を家出してきました。静瑠、しばらく世話になりますよ」 「‥‥‥‥はぁ?」 「ところで神楽にはまだ、桜が見れる場所はありますか? 雪桜は見損ねてしまったんで、せめて仕切りなおしといきたいのですが。静瑠、明日にでも案内してくれますか?」 「は、あ、の、いえ‥‥」 ちょっと待て、と怒涛のように向けられた言葉に、目を瞬かせた。家出してきて、しばらく世話になる? 花見? 何の話題だ? ぐるぐると頭の中で考えながら、目を白黒させている静瑠を見て、くすり、と架一は微笑んだ。思えば静瑠は、この人が微笑み以外の表情を浮かべた所も、声を荒げた所も、まして誰かを叱責しているような所も見た事がなく――それがどこか、苦手な相手だ。 そんな静瑠の戸惑いを知ってか知らずか、静瑠、と柔らかな口調で架一は呼んだ。柔らかな口調なのに、何故か決定の響きに聞こえる口調。 「桜は、加奈芽(かなめ)姉さんが何より愛した花です。雪桜でなくとも、加奈芽姉さんを偲ぶ桜は咲くでしょう?」 「‥‥はい」 その言葉に、静瑠はこくりと頷いた。雪桜を誰より愛した、潔くも誇り高かった女性。『金剛』の陰陽師として人々をアヤカシから守り、最期まで誇り高く逝った人。 静瑠はかつて、加奈芽に命を救われてサムライになった。架一は、姉の親友だった加奈芽を実の姉の如く慕っていたと聞く。 事情は知らないが、その加奈芽を偲ぶ桜の花を見たいというのなら、それは静瑠が拒む所では、ない。 「加奈芽姉さんは、賑やかな事も好きな人でした。静瑠、折角だから加奈芽姉さんのために、賑やかに花見でもしませんか?」 「そう、ですね」 穏やかな架一の言葉に、静瑠もまた頷いた。加奈芽は潔きものが大好きで、人々が賑やかにしているのを見ているのも大好きだったから。 きっと探せばまだ、綺麗に咲き誇る桜はあるだろう。そう思い、静瑠は花見の場所を探すべく、再び長屋を出て神楽を歩き出したのだった。 |
■参加者一覧 / 朝比奈 空(ia0086) / 柚乃(ia0638) / 篠田 紅雪(ia0704) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 酒々井 統真(ia0893) / 紫焔 遊羽(ia1017) / 氷(ia1083) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 劉 厳靖(ia2423) / 犬神 狛(ia2995) / 瀬崎 静乃(ia4468) / フェルル=グライフ(ia4572) / 平野 譲治(ia5226) / 倉城 紬(ia5229) / 景倉 恭冶(ia6030) / からす(ia6525) / 千羽夜(ia7831) / 和奏(ia8807) / リエット・ネーヴ(ia8814) / 滋藤 柾鷹(ia9130) / レグ・フォルワード(ia9526) / 尾花 紫乃(ia9951) / シュヴァリエ(ia9958) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / ヘスティア・V・D(ib0161) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 御陰 桜(ib0271) / 十野間 月与(ib0343) / 不破 颯(ib0495) / グリムバルド(ib0608) / リア・コーンウォール(ib2667) / 十野間 修(ib3415) / ウィリアム・ハルゼー(ib4087) / シータル・ラートリー(ib4533) / ソウェル ノイラート(ib5397) / アムルタート(ib6632) |
■リプレイ本文 あれからもう1年経つのだな、と滋藤 柾鷹(ia9130)は知己の姿にふと思った。雪桜。今年はあの姿を見る事が叶わなかった事を、柾鷹自身も残念に思いながら彼は軽く手を挙げた。 「静瑠殿、久しいな。変わりないようで何より」 「‥‥あんたも」 それに、言葉少なにこく、と無愛想に頷いた静瑠も相変わらずで。わずかに瞳を緩ませ、では場所の確保に参ろうか、と促した柾鷹に、返った頷きは2つ。 静瑠がどう紹介したものか迷う気配に、先じて柾鷹は相手へと声をかけた。 「そちらが辛‥‥いや、架一殿か。お噂は聞いている」 「良い噂だと良いのですが」 そうして向けられた言葉に、架一は穏やかに微笑んだ。それから「じゃあ行きましょうか」とあっさり背を翻して歩き始めたのに、ひょい、と肩をすくめて柾鷹達も歩き出す。 その、神楽から少し離れた郊外では、リア・コーンウォール(ib2667)がすでに敷物を広げ、場所取りに勤しんでいた。ひとまず友人達が座れる場所を確保して、ぐるりと辺りを見回して他の人々を眺めた後、つい、と斜め上を見上げる。 そこにある、遅咲きの、満開になった桜。 「ふむ、今年も桜は綺麗だな。良い事だ。本当に‥‥」 呟き、広げた敷物の真ん中にごろりと寝転がって空を見上げていたら、とろ、と眠気が落ちてきた。重くなった瞼と少し格闘したけれど、気づけばうららかな眠りの中に引き込まれる。 そんなリアの眠気が漂ってきた訳ではなかろうが、氷(ia1083)もまた遠くに見えはじめた桜を見上げ、ふぁ、と大きな欠伸を吐いた。 「早いもんだね。もう桜の季節か‥‥」 どおりで最近暖かくて眠気が取れないわけだ、と呟いた独り言は、春の風に浚われてどこかへ消えて行ってしまう。それを追うでもなく氷はまた大きな欠伸を漏らし、わずかに涙の滲んだ眼差しを遠くへと向けたのだった。 ◆ それは見事な桜だった。散り始める寸前の美しさ。その周りに寄り添うように、幾つもの桜が可憐な花弁を震わせている。 その美しい桜の下で、アムルタート(ib6632)はじっと、花に魅入られたように立ち尽くす。アル=カマルで暮らしていた頃、彼女の住む辺りには桜など存在しなかった。 だから、桜を見るのは初めてで。 「コレが桜‥‥とても儚くて、強くて、美しい花なんだね!」 やがて、噛み締めるように呟いた言葉には、万感の思いが籠もっていた。ただ静かに、華やかに咲く花がこれほどの感動を与えてくれるなど、アムルタートにとっては想像を遙かに超えた出来事だ。 こっちに来て良かったと、突き動かされるようにひらりと手足を閃かせ、桜の花弁と戯れるように踊り始めた少女をちらりと見て、シュヴァリエ(ia9958)は紫焔 遊羽(ia1017)の方へ向き直った。彼の数少ない友人であり、大切に思っている女性。 いつもは甲冑姿のシュヴァリエだけれど、今日は気楽な私服姿だ。いつもだって格好いいけれど、こっちの方が好きやな、とふにゃり微笑んで見上げた遊羽と瞳を合わせ、促して歩き始めながら、シュヴァリエは少し面白そうな口調で呟いた。 「花見か。不思議な風習だね」 「そう、かなぁ? ‥‥ゆぅの我侭聞いてもろておおきにな?」 「いや。楽しみだったからね」 言われた言葉にきょろ、と辺りを見回して、それからわずかに見上げて小首を傾げた遊羽の言葉に、シュヴァリエはクスリと笑って首を振る。そうして、どの辺りに腰を落ち着けようかと、桜の中をのんびり歩く。 そんな、和やかな人達からは少し離れた場所に座って、劉 厳靖(ia2423)はひょい、と杯を掲げてから、心の中に浮かぶ面影にかすかな笑みを向けた。 「んま、ぼちぼちやってらぁ」 眼差しの先には見えぬ故郷があって、その中に居る亡き妻の面影がある。訳合って故郷から、出てきたのがちょうど桜の季節。 自ら選んで捨ててきた故郷だから、特に望郷の念があるわけではない。けれども桜の頃になると思い出すその面影に、1年に1度くらいは心を寄せて悪い事はないだろう。 「いまさら懐かしい、って訳でもねぇけどなぁ‥‥」 複雑な気持ちを込めて呟きながら、また杯を煽って背中を預けた桜を見上げる。人の思惑など知らぬかのような、それでいて何もかも承知していて包み込むかのような、白い花弁。 こんな見事な桜を最愛の妻と一緒に見れるなんて、と景倉 恭冶(ia6030)は傍らの千羽夜(ia7831)を優しく見つめた。夫のそんな眼差しに、微笑んだ千羽夜はいそいそと敷物の上に座って、大事に胸に抱いてきた大きな風呂敷包みを置く。 しゅるり、と結わえ目を解いた中から出てきた丹塗りの見事な5段重に、恭冶の口から歓声が上がった。そんな最愛の夫を、千羽夜は照れたようにジッと見上げる。 「えへへ、張り切って作り過ぎちゃた。‥‥全部食べてくれる?」 「こりゃ随分気張った、豪華な花見弁当やね。勿論残すなんて勿体無いことせんよ」 早速手を伸ばす恭冶にくすぐったく笑って箸を渡し、いそいそと千羽夜は料理を取り分けたり、お酌をしたりと、甲斐甲斐しく動きまわった。美しい桜の下ともなれば、夫婦で迎える初めての春もまた味わいを増すと言うものだ。 あそこには酌は不要そうだと、からす(ia6525)は手にした酒瓶を軽く揺らし、視線を巡らせた。あれだけの料理があればつまみには事欠かなさそうだが、愛妻弁当をお裾分け頂くというのもまた無粋な話。 ゆえにからすはくるりときびすを返し、桜の下をそぞろ歩く。そうして見知った顔を見つけては、持ってきた種々のお酒を「如何かな?」とすすめて回り、後で茶席を設けるのに良さそうな場所を探していく。 からすが設けたい茶席は、避難所や休憩所も兼ねたもの。ならばあの辺りも遠慮するが良いか、と見やった先には、大好きな桜を見上げて目を輝かせるフェルル=グライフ(ia4572)の姿があった。 可憐に咲き誇り、はらはら儚い花弁を散らす、フェルルの一番大好きな花。いつもは家族と一緒に見上げるけれども、今年の桜はちょっと違って。 ちら、と傍らに視線を向ければ、酒々井 統真(ia0893)の横顔がある。視線に気づいて「ん?」と振り返った統真に、はにかんで首を振って視線を桜へと戻た恋人を見て、統真も微笑とも苦笑ともつかぬ笑みを浮かべた。 フェルルが桜が好きだと聞いたから、この花見は彼女に桜を見せてやる良い機会だと思ったのだ。経緯を思えばほんの少し気は咎めるが、賑やかなのが良いのならば変な気兼ねはむしろ失礼だろう。 だから、桜を見上げながらまったり歩く2人の通り過ぎた、柔らかな下草が広がっている辺りにころりと転がって、柚乃(ia0638)は青空の中に浮かぶ桜を見上げていた。 何をするでもなく、ただのんびりと。忙しい日々の中、たまにはこんな休息も良いかなぁ、と見上げた桜はただ、美しく。 (いつも‥‥当たり前と思っていることって、本当は有難いことなんだよね‥‥) 当たり前に見上げる空がそこに在り、当たり前に咲く花がそこに在る。たったそれだけの事で、通り過ぎてしまいがちなものだけれども、だからこそ常に感謝の心を忘れてはいけないと、教えてくれたのは母だった。 『当たり前の反対はありがとう』 今の柚乃の日常だって、思えばもふらさま達に『外へ出てみないか』って誘われたのが始まりだったのだ。それがなければ何も始まらなかったし、そうして開拓者になる事、家を出る事を決めて、父に反対された時――口添えして説得して、送り出してくれたのは母だった。 それを思えば、柚乃がただここに居るという事が、どれだけの人によって支えられて居るものか。そうそう、最終的に開拓者になる事が許されたのはギルド長が父も知っている大伴だったからなのだから、その事実にも感謝せねばなるまい。 そんな感謝を噛み締めながら桜を見上げる柚乃から、少し離れた辺りでは平野 譲治(ia5226)が腕まくりをし、気合いを入れて綺麗な花びらを集めていた。 荷物の中にはこの日のために買い求めたお砂糖。先日教えてもらった桜の砂糖漬けを作るのだと、走り回って花びらを集める様子はどちらかと言えば、桜と戯れているようにも見えて微笑ましい。 出来たら柚乃にも持っていくなりかね、と楽しそうな少年の様子を見るともなく眺めやり、くい、と犬神 狛(ia2995)は酒杯を煽って、広がる桜並木を眺めた。つ、と篠田 紅雪(ia0704)から酌を受けて、お返しに彼女の杯に酒を注ぎ。 「綺麗じゃな‥‥」 「そうだな‥‥」 呟かれた言葉に、紅雪もまた桜を見上げ、目を細めて静かに頷き返した。傍からは解り難いが、こう見えて彼女の心の中は、狛と共にゆるりとした時間を過ごせる事を喜ぶ気持ちで一杯だ。 それは狛とて同じ気持ちで。ちらりと紅雪の横顔を見つめた後、また桜へと視線を戻して満たされた杯に口を付け、「こうやって、のんびり二人で酒を飲むのも久しぶりじゃ‥‥」と呟く。呟き、「‥‥独り酒でなくて、良かったと思っているよ」と返ってくる紅雪の言葉に、嬉しそうに目を細める。 今日は本当にぽかぽかと暖かくて、もう少しすれば初夏と言っても良いくらいだ。うーん、と大きく伸びをして、御陰 桜(ib0271)は柔らかな日差しを全身に浴び、目を細めた。 このまんま、のんびり桜の下をそぞろ歩こうか。それともそこらに転がって、桜の香りに包まれて午睡としゃれ込もうか。 そんな事を考える、桜の背後ではまた別の友人達が、ちらり、ほらりと集まっていた。今もやって来た倉城 紬(ia5229)とシータル・ラートリー(ib4533)が、すでに来ていた友人達に笑いながらペコン、と頭を下げている。 「お待たせして申し訳ありませんわ♪」 「お料理の詰め込みに手間取ってしまって」 言いながら2人が取り出して並べたお弁当の数々に、リアは気にするなと首を振りながら目を輝かせた。見るからに美味しそうなお弁当は、皆で食べても十分お腹一杯になりそうだ。 これは楽しみだと、嬉しそうに呟いたリアの言葉に、同じく嬉しそうに紬とシータルが『ありがとうございます』と礼を言う。礼を言って、それからふと、敷物の隅の方にまるで犬のようにちょこんと座るリエット・ネーヴ(ia8814)の姿を見つけ、あら、と首をかしげた。 尋ねるようなシータルの眼差しに、リアがひょいと肩をすくめる。とりあえずお茶を、と紬が湯飲みを手に近付いていくのと、春風と戯れるのを楽しんでいたようなリエットがふいに、ぴょん! と跳ね起きたのは、同時。 「う!」 「‥‥遅れてごめんなさ‥‥リエット?」 「きゅぅ♪」 ひらり、と手を上げて現れた瀬崎 静乃(ia4468)に、リエットが飛びついた。当の静乃がきょとん、と目を瞬かせる。 まぁ♪ と微笑む他の友人達を見回して、それからぎゅっと抱きつきご満悦なリエットを見下ろして。ふわ、と一瞬微笑み、静乃はリエットの頭を撫でた。 「‥‥少し、辺りの桜を見て回ってたの」 「綺麗でしたか? お茶、どうぞ♪」 そうして紡がれた静乃の言葉に、微笑んだ紬が手にしていた湯飲みを渡す。シータルが楽しそうに小首を傾げてお弁当を並べ、リアが頷きながら辺りの桜を見回した。 そうしてのんびり、和やかに話しながら花見の宴を楽しむ少女達を眺めやり、琥龍 蒼羅(ib0214)はひょい、と茶菓子を摘み上げた。先ほど、からすの茶席から貰ってきた濃茶をすすり、見事な桜を眺めやる。 (まだこれだけの物が見れる、か。良い桜だな‥‥) 賑やかなのは嫌いではないけれど、自分が賑やかに過ごすのが好きかと言われれば、それはまた別の話で。静かに花見を楽しもうと、また茶菓子を口に運ぶ。 だが、蒼羅がこの花見を楽しんで居ないという訳では、もちろんなくて。賑やかな空気の中で過ごすのは楽しい事だし、見かける知り合いもちらほら居るのだから、楽しい時間を過ごせそうだ。 そう、また視線を巡らせた先では女性ばかりが集まって、咲き誇る桜にも負けず華やかに盛り上がっていた。もちろん、集う女性達も揃って華やかだが、ほんのりお酒で気持ち良くなった女性達の話題もまた華やかで。 「フーちゃんの恋人は、なんて言うのかしら面白い人よね。順調?」 「じゅんちょぉ〜? っひく。アイツ、自分からキスしてこないのよぉ。何時もあたしからだし‥‥」 ローズガーデンを奏でながら、楽しそうに幼馴染へと話を振ったユリア・ヴァル(ia9996)の言葉に、フラウ・ノート(ib0009)は呂律の怪しい口調でそう言った。ちょっと目を見開いた泉宮 紫乃(ia9951)が、まるで彼女自身が纏っている白から桜色へ綺麗に変化する着物のように、ほんのり頬を朱に染める。 もそ、と小さな桜餅を口に入れた紫乃をとろんとした目で見るフラウを、ヘスティア・ヴォルフ(ib0161)がニヤニヤ笑いながら撫でた。そうして耳元で「ほーら、フラウ、ジュースもう1杯行くか?」と囁いた――言うまでもなく、甘口のお酒をジュースと騙して飲ませている。 ん、とこっくり頷いて、フラウは差し出された酒に口を付けた。男子禁制の幼馴染女子会だからだろうか、いつも仲の良い彼女達だけれども、それよりもほんの少しだけ、なんだか気安い感じ。 箍が緩んだのか、フラウは「指輪? っひ、貰ったわ。傷つけたら嫌だから家に保管してるの♪」「っく。偶に一人の時に出して、眺めて悦にひたってね〜」などと上機嫌だ。それは良かったわね♪ と惚気る幼馴染を見守っていたユリアは、やがて彼女がヘスティアの膝に頭を預けて寝息を立て始めてしまったのを見ると、そう言えば、と紫乃へと視線を巡らせて。 「紫ちゃんの恋の行方はどう?」 「ひゃッ!?」 不意に振られて、頷きながら真剣にフラウの話を聞いていた紫乃はビクリと肩を跳ね上げた。そうしてユリアとヘスティアの眼差しがまっすぐ自分に向けられているのを見ると、かぁっ、と頬を染めておろおろ視線をさ迷わせる。 だがやがて、消え入りそうな小さな声で「えっと‥‥進展、してないです‥‥」と呟くと、どちらからともなくため息が漏れた。それがなんだか申し訳なく、「ご、ごめんなさい」と呟くと、ギュッ、と両側から抱きしめられる。 「すまん、あの馬鹿、俺でもどーにもならん‥‥もーこの際押し倒してくれ!!」 「ほんとうに鈍いのよね。こんなに可愛くて、優しく、お料理上手な女の子なのに」 「ぇッ、ぇッ、あの‥‥でも、あの‥‥進級試験が終ったら、頑張って一歩踏み出してみるつもりなんです。少しずつですけど、頑張りますから‥‥恐くないと言ったら、嘘になりますけど」 「そうだな。うん、二人がかりでも許可するからな!」 「えぇぇッ!?」 ますます真っ赤になって固まってしまった紫乃を挟んで、ヘスティアとユリアは目配せする。 紫乃が好意を寄せている相手は、彼女達も知る所だ。けれどももう1人、彼に好意を寄せる女性がいて。しかもそれは紫乃の親友で、どちらも失いたくないと心を痛めていて――そんな事に気付かない相手が、だから尚更憎らしく。 けれども、桜の花びらを受け止めようと頑張っていた紫乃だから、きっとその時が来ればきちんとするのだろう。だから応援しつつ、見守るしか出来ないのだけれど――桜の花びらが地面に着く前に受け止めると恋のお守りになる、という言い伝えがあると、聞いた。 だからぎゅっと腕に力を込めた、ヘスティアをちらりと見て、ユリアがイタズラのように「スーちゃん、お酌してあげるわ♪」と目を細める。 「とってもありがたい美人のお酌よ♪ 杯に花びらを乗せて粋にお酒を楽しみましょ、甘いものとセットでどう?」 甘いものと一緒に呑めば酔いが進むと言われていると、何かの折にちらりと話した後にこれだ。だが悪い気持ちはせず、笑って酌を受けたヘスティアは、けれどもユリアの涼やかで楽しげな横顔をちらりと見上げ。 杯に視線を落として、呟く。 「‥‥もうちぃ寄りかかれよ、あいつに」 「あら?」 解ってないはずはないのに、ユリアはしれッと微笑んだ。やれやれ、と自分用に持ち込んだきつい酒を煽りながら、つんつん、と膝枕をしているフラウのほっぺたを突く。その寝顔と、たまに漏らす「ぬぅ〜」だの「うぐぬぅ〜」だのという寝言に、ユリアがくすくす笑う。 やれ盛り上がっているね、と不破 颯(ib0495)はだんだんカオスの様相を呈してきたそれらの人々を眺めながら、膝の上に乗せた画板を抱えなおした。傍らには持参した団子に桜餅、花見弁当に、忘れちゃいけない花見酒。 遅い花見があると聞いたから、ゆったりと広げた敷物の上で、のんびり桜を見上げていたのだけれども。なんだか踊り出した人がいたり、その一方でがっつり呑みに走っている人々を見ているうちに、何となく持ってきた写生道具に手が伸びた。 これを描こうと決めて来たわけではなかったけれど、こんな見事な桜の下で、花見に興じる人々はいかにも絵になって。心と筆の赴くままにすごしていれば、ただそれだけで1日が過ぎてしまいそうだ。 「まあ色々あったが、こうしてまた花見が出来たんだから全て良しってなぁ」 美しくも見事なものを見れば、また来年に向けても頑張る気力がそこはかとなく湧いてくる。そう思えばやはり花見は良いものだと、颯はまた画板に筆を走らせる。 同じ桜を見上げ、膝の上にグリムバルド(ib0608)の暖かな重みを感じながら、アルーシュ・リトナ(ib0119)は目を細めた。あっという間に過ぎ去った1年は、あまりに早く。まさかこの花をこんな風に見上げる日が来るなんて、あの頃は思っても見なくて。 持ってきたジャム入りの蒸しパンで腹がくちたのか、グリムが暖かな日差しを受けながらうとうとまどろんでいる。冷えないようお腹にもふらストールをかけて「ふわふわで温かいでしょう?」と微笑むと、ああ、とぼんやりとした声が返った。 けれども、グリムは本当に眠ってしまっていたわけでは、なくて。思い出していたのは過去の事――家族との死別と、その後に飛び込んだ傭兵生活。そこで出会った師匠と始めた新しい家族の日々は再び別れに終わり、開拓者生活を始めて恋人と――アルーシュと出会った。 その思い出を蘇らせる時、グリムの胸の中は穏やかになる。けれども、と見上げた桜を、彼女と共に紡いできた思い出を、ただそれと受け止められない一抹の恐ろしさも胸の奥にあって。 だってグリムは戦士だ。死と隣り合わせに生きるものだ。果たして来年もこうして、アルーシュと一緒に桜を見上げる事が出来るのだろうか‥‥? 「‥‥秋口から季節を、行事や花を追って、本当に沢山駆け巡ってきましたね」 「ルゥ?」 「楽しくて嬉しくて‥‥でも、あなたは大丈夫? 疲れてませんか?」 微笑み、見下ろしたアルーシュの言葉に、そうしてそっと重ねられた手に、挟みこまれた桜の花弁に、細く呟かれた言葉に。ああ、とグリムは頷いた。頷き、何とかするさ、と胸の中で1人ごちた。 アルーシュが同じ気持ちで居てくれるのなら、こんなにも愛しくて離れ難い存在を、どうして手放す事が出来ようか。ならば放さない様にしっかりして――そうして来年もまた、一緒に桜を見て。 (叶うならその時、ルゥが俺の家族だといい、な‥‥) 呟き、とろりと今度こそ目を閉じたグリムを見守るアルーシュを、邪魔しないよう礼野 真夢紀(ia1144)は静かに足音を忍ばせ、友人達が待つ辺りを探して歩いた。両手に持った重箱には、たっぷり作ってきたお弁当。 華やかな桜の下をそぞろ歩いて居たならば、自然と鼻歌が口を吐いて出るのも無理からぬ話だ。 「重箱に〜山菜炊き込みおにっぎりを、やっきのりあっじのり別添えに♪」 お弁当のおかずを数え上げ、人参・牛蒡・蓮根・高野豆腐に絹さや煮物、と続けながら、眼差しを辺りに巡らせる。あちこちで見られた春の光景も、今年はこれで最後かな? と思うとなんだか寂しい気がした。 そんな、不意にわき起こってきた感傷を胸の中にそっと納めて、ようやく見つけた探し人にひらりと手を振る。 「月与さん」 「あ、まゆちゃん!」 こっちこっち、と大きく手を振って応えた明王院 月与(ib0343)は、今日は華やかな振袖姿だ。頬が上気してるのはきっと、春の陽気のせいではなくて。 ちら、とその隣を見れば、月与の恋人である十野間 修(ib3415)の姿がある。真夢紀の眼差しにほんのり苦笑いを返した修が、姉の友人でもある月与の上気した頬の理由であることは相違なく。 やぁまゆちゃん、と修は友人に挨拶した。月与から「花見でもどうかな?」と誘われた時には、真夢紀も一緒だと聞いてただの純粋な花見なのかな、とも思ったのだけれども。 こんにちわですの、と返された言葉に微笑んで、眼差しを恋人に戻す。そうして彼女の振袖の意味を考えて、考え過ぎているだけかと自分自身に苦笑する。 だが月与は今日、恋人にこの振袖姿を見せるために、朝風呂を沸かして汗を流して、と本当に張り切っていた。もちろん、持ってきたお弁当だって豪華なもの。真夢紀だって春めいた料理を楽しみにしてたしね、と言いながらお茶菓子に花見酒まで用意した、気合いは殆ど恋人のために割かれている。 やれやれですの、と真夢紀は胸の中で苦笑した。タラの芽の天ぷらの苦さだって、2人の間の甘い空気に水を差すことは出来ないだろう。 これではお弁当のおかずだって目に入るかどうか、と思いながら見上げた桜を、朝比奈 空(ia0086)も見上げてほぅ、とため息を吐いた。またこの季節がやってきたかと、時の巡りの早さに感心しながら緑茶をこくり、と飲む。 にこ、とそんな空に微笑んだ少女、否、少年が、ティーカップを差し出した。 「たまにはこうしてのんびりとお花見も良いものですね‥‥ジルベリアの方のお茶など持ってきましたから、宜しければどうぞ」 「ありがとうございます、ウィリアムさん。緑茶もいかがですか?」 友人のウィリアム・ハルゼー(ib4087)の言葉に、空も微笑んで緑茶を淹れる。ありがとうございます、とウィリアムは湯呑みをありがたく受け取った。 持ち寄ったお茶やお菓子は、ジルベリア風と天儀風で対照的。それは2人の装いにも言えて、そも示し合わせて対照的なお花見を楽しもう、とやって来たのだ。 こうしてゆったり友人同士で過ごすのも良いものです、と舞い散る桜を見上げる空の横顔。それを見るウィリアムは、実はこの機会にちょっと仲良くなれればな、と言う下心もあったのだけれども、そのためにこの心地よい時間を壊すほど愚かではない。 「こうして対象的に楽しむのも、面白いものですね」 「えぇ‥‥本当に。後で、散歩でもしましょうか。普段は依頼で色々な所へ行っていますからね、良い息抜きを出来ると思います」 微笑み合い、頷き合った穏やかな微笑みの男女とは対照的に、知己を捜して歩き回るソウェル ノイラート(ib5397)の内心は、ひどくそわそわしていた。きょろ、と辺りを見回してはそんな自分に呆れたようにため息を吐く。 少し落ち着こう、と見上げた桜はあくまでも可憐で、盛りの花弁がはらり、はらりとこぼれていた。 「本当‥‥雪の吹雪と違って花吹雪は何度見ても飽きないね」 それは何だか不思議な事だと、桜の花弁の行方を追う。依頼でも枝垂れ桜を見たけれども、ここの桜はまたそれと違った味わいがあって。 はら、と落ちてきた花弁が1枚、振袖の袂に舞い落ちたのを見て、ソウェルはまたレグ・フォルワード(ia9526)の事を思い出し、まったくどこ行ったんだか、とため息を吐いた。 (レグが来るっていうから新しい着物、着てきたんだけどな) そんな、張り切っている気持ちが見るからにバレバレなのは、悔しい気もするけれど。といってたまの機会なのだし、せっかくおめかししてきたのだから見て貰いたいわけで。 なのに相手が居ないんじゃね、とまたため息をついてから、こんなに綺麗な桜の下で何考えてるんだろ、と自分を振り返ってまたため息を吐く。と、不意に後ろからポン、と頭を叩かれた。 「何を百面相してるんだ?」 「レグ!」 そうしてかけられた声に、ぱっと振り返ったソウェルは、けれども内心の喜色は面に出さないまま「遅いじゃない」と怒って見せた。それに呆れたような、それ以外の感情も入り交じったような表情で、レグはソウェルの纏う振袖にわずかに瞳を細める。 それから、どこか落ち着ける場所でも探そうと肩を並べて歩きだし――レグは、こっそり吐息を吐いた。本当は、あんまり桜は好きじゃない。故郷の雪を思わせる白の吹雪が、あの頃を思い出させて。 もういい加減、天儀に移って大分経つし、良い歳になったんだからと自分でも思うのだが、心に刻み込まれたものはなかなか消えてはくれないようで。まして――と傍らのソウェルをちら、と見ると、気付いた彼女が目を瞬かせる。 それに目顔で首を振った。あの頃の知り合いが傍に居るから、余計に思い出は鮮やかだ。だがそれを簡単に悟られるわけにも、自分から知らせるわけにも行かず――けれども。 (‥‥隣に座る美人になった幼馴染の肩を静かに抱き寄せる程度は許されるよな‥‥) 「‥‥ッ!?」 そう、さりげなく肩を抱き寄せたら、ソウェルが一瞬身体を強張らせた。それから少し頬を朱に染めながら「な、何、どうしたの?」といつも通りに振る舞おうとする彼女に、苦笑する。 情けねぇなと、口中だけで呟いたのは、彼女には聞こえなかった筈だ。けれどもつい手を伸ばしてしまった自分自身を嘲笑うように首を振り、肩に回した手をそのままにする――慌てて外したら、こちらが戸惑っている事を知られてしまうから。 そんな様々の人間模様の中で、佐伯 柚李葉(ia0859)は静かに桜を見上げた。 「夏維君、今年は‥‥お父さんと桜を見上げられた、んですよね。きっと‥‥」 手のひらに載せたお香から、ふと眼差しを巡らせて問いかければ、静瑠が迷うように眼差しを揺らした後、きっと、と頷いた。斜向かいには柾鷹が居て、同じ香を焚き、静かに杯を傾けている。 それから、同じ敷布の上に端座する青年に、柚李葉は小さな笑みを向けた。清月架一。その名を柚李葉は知っていて、そして彼の別の名をもまた知っていて。 「高晃さんは一緒に修行されたんですか? しじまさんには、会われましたか?」 「ええ‥‥しじまには、いずれ会うのが楽しみです」 だから少し、奇しき縁に嬉しくなって尋ねたら、架一は穏やかに微笑んで丁寧に答えてくれた。持ってきた桜の花湯と、買って来た桜餅を敷布の上に並べて、ふとまた桜を見上げる。 賑やかに過ごす人が居るのなら、偲ぶ人がいて良いだろう。柾鷹のように、架一のように、静瑠のように。そうして氷のように―― そう、眼差しを巡らせて手を振った先で、ここに来てからずっと昼寝を決め込んできたものの、空腹に耐えかねてようやく起き出してきた氷が、おや、と目を瞬かせた。そうしてまずはノシッ、と静瑠にのしかかる。 「ユズル君〜。何か持ってないかね」 「‥‥ッ!?」 「そっちは架一サンだっけ、初めまして。‥‥やっぱお姉さんに雰囲気は似てるかな?」 それからちらりと視線を向けて、飄々と架一へ声をかけると、青年は「そうですか?」と小首を傾げた。その揺らがぬ笑顔に(そういう、油断ならないようなところが、特に)と内心で彼の姉の姿を思い浮かべる。 同じ姿を思い浮かべた柾鷹が、そう言えば、と口を挟んだ。 「何故、庚殿と喧嘩を‥‥?」 「ちょっとした意見の食い違いで」 「‥‥静瑠、静瑠ッ! 出来たのだッ! んと、架一と加奈芽のもッ!」 本当にただそれだけとも、語りたくないとも取れる笑顔で切られた言葉に、ふと止まりかけた空気に譲治が飛び込んできた。なにが、と軽く目を見開いた人々の前にほら、と得意げに差し出されたのは、先ほどから作っていた桜の砂糖漬け。 ぱりぱりと甘く乾いた花弁がころり、ころりと転がっている。架一が指先で砂糖漬けを摘み上げた。 「ありがとうございます」 「んッ! 他にも配ってくるぜよッ!」 「あの‥‥加奈芽さんのお話、聞きたいです」 ニパッと笑い、ぱたぱたと忙しく走っていった譲治の後姿を見送りながら、そっと柚李葉が手を上げる。柾鷹が同意の眼差しを向け、だが氷は大きな欠伸をしながら「んじゃ」と手を振って行ってしまった。 雪桜の香りの中で、懐かしそうに目を細めた青年が言葉を紡ぐのを待ちながら、柾鷹はまた静かに杯を傾け、桜の化身とも言える女性を思い返した――誰よりも桜を愛し、今なお桜の面影に愛される人。 その子である少年は、形見の狭い思いはもうしてないか――思い返す柾鷹達を見やり、あれ、と真夢紀は首をかしげた。 (以前、故人の事を偲ぶお花見に参加した時お見かけした人ですの。確か花弁を良く乾かした物も良く持ち歩いていたとか) 同じ人だったのかと懐かしく思い出し、挨拶をしようと近寄っていく真夢紀の横を、ふわり、とシータルが通り過ぎた。友人達との食事の余興にと、桜の下で戯れるように踊り出したのだ。 どこか聞き慣れぬ拍子に、しなやかで大胆な手振り。見ていたアムルタートが目を輝かせ、お弁当もチャイもその場に置いて、シータルの横に並んで踊り始めた。 あら、と目を瞬かせたシータルが、アムルタートを見て微笑み、即興で誘う拍子を踏む。アムルタートも絡む拍子を踏んで、周りで見ていた花見客が上機嫌に拍手を送る。 ふと、楽しそうに見ていた紬がリアの傍にすすす、と寄った。通りかかった酔客がやって来ただけなのだが、もともと男性が苦手な彼女はちょっと怖かったのだ。 けれどもそれが、酔いに上機嫌だった男の神経を逆撫でしたらしい。剣呑な目つきになった男を、止めた方が良さそうだとリアが動きかけた所で、それよりも早く走り出た人影があった。 「う! 二番、リエットなの! 水芸ッ♪」 「む? ちょっと待て、リエ‥‥」 ギョッ、と目を見開いて止めようとするも間に合わず、あっという間に上がった水柱が酔客をびしょりと濡らした。一応威力は抑えたが、それでも殺しきれない勢いは、ある。 リアが一瞬、のみならず硬直した。視界の中では誇らしげにリエットが腕を上げ、楽しそうに瞳を輝かせている。 そうして。 「正座!」 リアの口から出た怒号に、わたわたわたッ、とリエットが敷布の上に正座した。と、その隣に静乃もちょこんと正座する。実はリエットが立ち上がった瞬間、静乃も便乗して酔客に呪縛符なんかかけていたり。 賑やかやねぇ、と遊羽は視界の端だけでそう思い、また眼前へと視線を戻した。シュヴァリエに、『ばどみんとん』という遊びを教えてもらっているのだ。 シュヴァリエお手製のサンドイッチにサラダに鳥の唐揚げのお弁当に、遊羽の持ち寄った紅白大福を分けて食べて。美味しいお酒をちびちび呑んで、気分は上々、良い感じ。 「そう、そう。遊羽、上手じゃないか」 「そ、そぉ? やったらええねんけど‥‥」 ギクシャクと動きながら笑顔になる遊羽に、上手だよ、とシュヴァリエはもう1度頷く。初めてだろうからと丁寧に教えたのだけれど、案外彼女は飲み込みが早い。 ポーン、ポーン、と交互に羽根を突きながら、羽根と一緒に言葉を繋ぐ。「花を見ながら酒を飲むのも良いものだね」「せやろ? そや、そのうちしぃさんの和装も、見てみたいやもな♪」「いずれ、ね」「ほんま? 約束な」「ああ、機会があれば。また遊びに来よう」。 いかにも楽しげな光景に、茶席からからすも眺めて目を細めた。隅の方には柔らかな桜の香りを燻らせるお香『雪桜』があり、からすの独特の空気に包まれて穏やかな時が流れている。 時折、静けさを求めて訪れる者には眼差しだけを向け、時にはお茶や、酒『桜火』を振る舞って。それ以上に干渉する事はなく、誰彼かまわずちょっかいをかけようとする輩には特製の薬草茶をお見舞いする。 ふらり、とそんな茶席の隅でいつしか静かに飲んでいた、厳靖が席を立ったのを見送った。どうやら友人の姿を見つけたらしく、若夫婦の元へと歩み寄っていく。 「よう、そういや今更だが、おめでとさん」 「ん? あぁ、ありがとさん」 恭冶と千羽夜がいつの間に祝言を挙げたものやら、厳靖には覚えがとんとない。けれどもそれだけは知っていたから、この折りにと祝いを向けた男に、恭冶はひょいと瞼をあげて礼を言い、千羽夜は嬉しそうに微笑んだ。 ごちそうさん、と厳靖が苦笑を胸に立ち去った、若夫婦はと言えば桜の木の下で膝枕。千羽夜の愛情がたっぷり籠もった重箱弁当が、流石にちょっと多かったらしい。 横になって休む恭冶に膝枕する千羽夜はお酒は一滴も飲んでいなくて。幸せそうに膝の上の夫の頭をそっと撫で、ねぇ、と声をかける。 「また来年も一緒に桜を見ましょうね」 「あぁ。毎年、一緒に見れるといいやね」 「えへ♪ その頃には家族が増えてるといいな‥‥なんてねッ」 イタズラを告白するように、目を輝かせて夫の額にキスした千羽夜に、恭冶は柔らかく微笑んで頷いた後、妻にキスを返した。そうして吐息のように「愛してるよ」と囁きかける。 そんな、甘い光景はあちら、こちらでちらほら見えた。狛と紅雪もつかず離れず、ほんのり互いの気配や温もりが伝わる距離。 幾度目かに狛が、ほんに綺麗な桜じゃ、と呟いた。ああ、と頷きかけた紅雪が、ふと眼差しを伏せて「桜だけか?」と小さく呟いたのに、はっと傍らを振り返ると、ほんのり頬を朱に染めた眼差しがある。 今、何と言ったのか。確かめる眼差しに、紅雪は照れた顔伏せたまま、二度言うことでもあるまい、と拗ねた響きで呟きそっと狛に身体を預けた。 もごもごと口の中だけで呟いて、狛は視線をさまよわせる。そうして意を決したように紅雪の肩に手を置くと、彼女はその先を求めているように感じられ。 しばし、それでも確かめるように沈黙して。それからそっと顔を寄せた狛を、抗うことなく紅雪は受け止める――ほんの少し触れるばかりの、優しい口付け。 わずかばかりの触れ合いの後、顔を離した狛はさっと顔に朱を登らせて、伺うように恋人を見た。けれども恋人がほんのりと幸せそうな表情になっているのを見、ほっ、と息を吐いてから嬉しそうに紅雪の手をぎゅっと握る。 そんな風に、自分も大切な誰かを想う日が来るのだろうかと、蒼羅はお茶を飲みながら考えた。とても今の自分には想像の出来ない話だけれど、といって絶対にありえないと言い切れる話でもない。 少し離れた桜の木陰では、修の肩に身体を預け、肩を抱かれてすやすやと寝息を立てる、月与の姿があった。朝から色々と張り切りすぎたのか、それとも咲き誇る桜に高揚したものか、幾らもお酒を呑まないうちに眠り込んでしまったのだ。 けれどもその理由の1つには、恋人が傍に寄り添っていてくれる、と言う安心感があったのかもしれない。心地よい重みを感じながら、そうであれば良いと修も恋人の寝顔を覗き込む。 風邪をひいてはいけないと、恋人にかけた外套は少し、彼女には大きい。それを思いながら月与の長い髪を指ですき、そっと唇を寄せて「良い夢を」と祈りを込めて呟いた。 どこからか、琵琶の音と、絡むような笛の音が響いてくる。それに合わせるように、フェルルはとん、と舞を踏み始めた。 統真とした約束。彼女の舞を、桜の下で彼に見せること――まだ見よう見まねで上手くなくて、と謙遜するフェルルに、こういう時にしっかり見ておきたいと、統真が言ったから。 だから自分らしく、精一杯に舞おうとフェルルは思う。新たに巫女の修行を始めた理由は、人を癒したい、応援したいという気持ちが強くなったからだけれど、その根っ子の所にはいつも無茶ばかりの統真を支えたい気持ちもあって。 そんなフェルルを、統真は真剣な眼差しでじっと見つめる。たとい拙い部分があろうとも、舞い散る桜が飾ってくれるだろうし――何より、彼の為に彼女が舞ってくれるという、その事実が嬉しいのだから。 寒く、辛い気持ちを乗り越えて咲き誇る桜のように、たくさんの人に笑顔を届けられますように。そう、願いながら踏んだ舞を、終えてフェルルはふと頼りない顔になり「‥‥いかがでした?」と首をかしげた。 うん、と統真は頷く。頷き、傍らに手をつけぬまま置いてあった酒杯に手を伸ばし、くい、と一口飲み込んで。 「上手かったんじゃないか? ‥‥いいもん見せてもらった礼な」 そう、フェルルの頭を抱き寄せて耳元で囁き、額に口づけると、たちまち恋人の顔が真っ赤になった。あわあわと向けられた視線を、内心の猛烈な恥ずかしさを悟られぬよう必死の虚勢を張って見つめ返す――酒の勢いって事にしたくてわざわざ飲んだのに、自分から台無しにする策はない。 春の陽気はぽかぽかと、あちらこちらの人間模様には関係なく桜並木を包んでいる。やっぱり桜の下での昼寝はいいわね♪ と同じ名を持つ桜は振り散る桜の花弁に埋もれそうな心地を味わいながら、ころん、と気持ちよく寝返りを打った。 賑やかで、和やかで、しめやかで。たくさんの思いを受け止めて、桜は静かに花弁を震わせていた。 |