桃の花を求めて。
マスター名:蓮華・水無月
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 易しい
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/03/30 18:11



■オープニング本文

 もうそろそろ衣替えの季節ともなると、反物屋には新しい着物を仕立てる客の姿がいつもよりも多く見られる。それは裄人(ゆきひと)が営んでる反物屋でも変わらない。
 春の晴れ着に、普段着に。反物だけを買っていって自分で仕立てる者もいるし、仕立まで手配してくれ、という者もいて、そうしたら寸法をはかったり何だったり、時には猫の手だって借りたいくらいに忙しい。
 けれどもここしばらくの所、裄人が頭を悩ませているのは決して、人を1人増やすべきかどうか、という問題ではない。もちろんこの忙しさを思えばいつか考えなければいけない問題だけれど、それはこの忙しさを乗り切ってからでもいいことで。

「颯人(はやひと)、今日も遊びに行かないのか?」
「うん。みんなも家のお手伝いしてるし、僕、叔父さんのお手伝いするの好きだから」

 今日も反物屋の店先で、反物を抱えてあちら、こちらと走り回っている甥にそう声をかけると、振り返った颯人はこっくり頷き、そう言った。そうしてまた反物を山ほど抱え、ぱたぱたと店の奥へと走っていく。
 ふぅ、と裄人はため息を吐いた。
 去年の夏頃、兄が亡くなった。それ以来、一緒に暮らし始めた颯人の事を疎ましいと思った事はないし、彼自身は妻も子もないけれども出来る限りの事はしてやりたいと思っている。
 思っているが、何しろ妻も子もないので、親がわりとして颯人にどう接してやれば良いのか良く解らない。何人か、一緒に遊ぶ友達が近所に出来たと知った時にはほっとしたが、そうなると今度は、その友達より忙しい店を手伝ってくれるのもなんだか悪い気もしてきて。
 つまる所、颯人にどう接してやれば良いのか、裄人はここしばらく、それはそれは悩んでいた。周りの従業員は口を揃えて『手伝ってくれるのに何を悩む必要があるんですか』とため息を吐くのだが、そうは言っても颯人はまだ12歳、自分を振り返れば遊びたい盛りだったはずなのに、とまたぐるぐる悩みだす。

(とにかく。子供らしく――そう、子供らしく! 外で遊ばせなければ‥‥)

 ぐっ、と拳を握って天井を見上げる裄人である。そんな、いわゆる『親バカ』な辺りが従業員の微笑ましい笑みと、ちょっとおとうさん落ち着いて、というため息を誘うのだが、生憎当の本人は気付かない。
 だが一体どうやって、お手伝いをするのが好き、なんて言ってくれる可愛い甥っ子を、外に行かせれば良いのだろう?
 うーん、とまたしばらく考えて、そうだ、と裄人は手を打った。また奥から山ほど反物を抱えて戻ってきた甥に声をかける。

「颯人、颯人。1つ、叔父さんの頼みを聞いてくれるかい?」
「頼み? うん、何?」

 ぴた、と足を止めて颯人は叔父を見上げた。見上げて、こくり、と首をかしげた子供に、たった今思いついた取っておきの『お手伝い』をお願いする。

「すっかり春めいてきたというのに、どうにもお店に飾り気がなくていけない。どうだろう、颯人、ちょっと行って、桃の花でも取ってきてくれないか」
「桃? お庭の?」
「い、いや! 庭のは、その、に、庭よりも少し行った先に桃園があっただろう? あそこの方が花も大振りで綺麗だから!」

 うっかり自宅の庭にも桃が咲いていたことを忘れていた裄人は、慌ててぶんぶんと首を振り、とっさに思いついた町の郊外にある桃園を口にした。町の老人が半ば趣味で育てている桃園だが、実際、大降りの綺麗な花が咲く。
 だがその言葉を聞いた瞬間、さっ、と颯人の顔が曇ったのを見て、しまった、と自分の浅慮に舌打ちした。颯人の父――裄人の兄が故郷から裄人の所へやってくる旅の途中、山賊に襲われて亡くなったせいだろう、颯人は1人で町の外に出ることや、武装した人間を見ることを酷く恐れている。
 さて、どうしたものか。きっと「やっぱり良い」なんて言おうものなら、颯人は気にしてしまうに違いない。

「えー‥‥と、そう! その、桃を取りに行くのに、人を頼んであるんだけれどね、町の者が居た方が良いだろう? だから颯人、その人達と一緒に行って来てくれないかな」
「そうなの? うん、わかったよ、叔父さん」

 傍で聞いていた従業員のみならず、客も揃って『それは厳しいだろう』と心の中で突っ込んだのだが、幸い、颯人はこっくり素直に頷いた。ふぅ、とやり切った顔で額の汗を拭う裄人に、暖かな眼差しが寄せられる。
 そうして、桃を飾る壷でも探しておこうかな、じゃあこの辺片付けときますね、と従業員達は接客の合間を縫ってそれとなく動き始めたのだった。


■参加者一覧
玖堂 柚李葉(ia0859
20歳・女・巫
玖堂 羽郁(ia0862
22歳・男・サ
深山 千草(ia0889
28歳・女・志
礼野 真夢紀(ia1144
10歳・女・巫
黎阿(ia5303
18歳・女・巫
由他郎(ia5334
21歳・男・弓
白藤(ib2527
22歳・女・弓
黒木 桜(ib6086
15歳・女・巫


■リプレイ本文

 晴れ上がった空を見上げ、黒木 桜(ib6086)はほっこりと瞳を細めた。

「いいお天気で、何よりです」
「うん。綺麗に咲いてる桃が見つかると良いねぇ」

 同じく空を見上げながら、白藤(ib2527)も楽しげな調子で呟く。せっかくだからお天気はやっぱり良い方が良いと頷きながら、蝶と桜の華やかな着物を纏った白藤は、布を巻いた弓を小脇に抱えた。
 一緒に桃を捜しに行く颯人は、武装した人間を見るのを酷く恐れる。だから武器を持っていくなら布を巻いておいた方が良いと、深山 千草(ia0889)や玖堂 羽郁(ia0862)に助言されたのだ。
 もちろんその2人も、それぞれの武器に布を巻いている。由他郎(ia5334)も念の為、荷物の奥底に脇差を仕舞うのを見守りながら、黎阿(ia5303)はちらりと店の中を覗きこんだ。
 反物を抱えて動き回る子供と、時折ちらりと眼差しを投げる男。従業員や客達の暖かい視線――なんとも微笑ましい光景だと、千草はほっこり微笑み、ひょいと暖簾を潜った。

「仲良くお過ごしのようで、何よりだこと」
「よっ! 颯人君、久しぶり。元気だったか?」

 そう、声をかけた千草に、きょとん、と動きを止めた颯人に羽郁も笑いかける。その横に立つ佐伯 柚李葉(ia0859)も、元気そうで本当に良かった、と目を細めた。
 突然現れた顔見知りに、颯人が不思議そうに開拓者達を見回す。それから伺うように裄人を振り返った子供の頭を、ぽふ、と由他郎は撫で、「よろしくな」と膝を折って目を合わせる。
 依頼は見目の良い桃の花を見つけてくる事。だがもう1つの――本当の依頼は、颯人を遊ばせることで。

「ついでに花見もしてきて良いらしい。そっちにも、付合って貰えるか?」
「桃の花は邪気払いになる、とも言われてるし、気分転換も兼ねてね」

 ぱちん、と片目を閉じて黎阿が見やった先では裄人が、開拓者に頭を下げている所だった。颯人が確かめるようにそんな叔父を見やると、こくこく、と笑みを浮かべながらもどこか必死に頷く裄人は、立派に『子煩悩なお父さん』だ、と千草がまたほんわり微笑んで。
 颯人に楽しんで貰って、裄人にも少しでも安心して貰いたい、と思う白藤だ。どちらかと言えば桃は二の次でも良いくらいだが、それでは颯人の方が安心して楽しめまい。
 振り返り、本当に良いのかな、とまだほんの少し不安そうな颯人に桜は、にこりと微笑んだ。ぽふ、と羽郁も颯人の頭を撫でる。

「実は、桜の花は沢山ある場所を見ていても、桃の花が沢山咲いた場所など見たことなくて‥‥是非、見たいと思ったんです」
「花見弁当もたくさん作ってきたんだ。颯人君の友達にもお裾分け出来るくらい」
「良いわね、せっかくだもの、誘っていきましょうか」
「そうだな‥‥」

 ぽむ、と手を合わせて提案した千草に、由他郎も頷いた。周りが大人ばかりでは楽しめないだろうから、元より可能なら颯人の友達も花見に誘う予定だった。
 それは良い、是非そうしなさい、と二つ返事で裄人があっと言う間に甥の手から反物を取り上げ、側にいた従業員に渡した。そんな裄人に「しっかりと、護衛させていただきますので、ご安心してくださいね」と声をかけて、開拓者達は颯人と店を出て。
 ひっそりと、残っていた柚李葉が裄人の側に近付いた。

「颯人君、叔父さんが大好きで役に立ちたくて、側に居たくて頑張ってるんだと思うんですけど‥‥」
「ええ――でも私は、颯人に頑張って欲しくないのです」

 家族である為に役に立たなければとか、頑張らなければと思うのは違うのじゃないかと、裄人は思うのだ。私の勝手なワガママですが、と苦笑した裄人に微笑みを返して、時間が取れたらこっそり覗きにきてはどうですか、と柚李葉は誘いの言葉を告げる。
 そうしてぺこりと頭を下げて、店を出た先には羽郁が待っていた。そうして2人は連れ立って、町の外へと歩きだしたのだった。





「さてと! 綺麗に咲いた桃の枝を持って帰って叔父さんを驚かせないとね?」

 ご近所を回って友達を誘い集めた、ちょっとした大所帯をぐるりと見回し、白藤は明るい笑顔でそう言った。
 黎阿の『あまよみ』に寄れば今日は夜まで良いお天気だ。ならば桃の花も、桃園で食べるお弁当もきっと美味しいに違いないと、微笑む千草も竹筒に桃の葉茶を淹れてきている――着く頃にはすっかり冷めてしまっているだろうけれど、歩いた後の火照った身体には丁度良いだろう。
 桃園まではそう遠くないから、子供の足に合わせてゆっくりと歩いた。春先の郊外は、萌え始めた緑が目に眩しく、それを堪能するように桜は目を細め、道端に小さな花が咲いているのを見つけてはほっこり頬を綻ばせ、仲間や子供達に教えてあげる。

「そういえば、普段は皆、どんな遊びをしているのかしら。好きな遊びは在る?」

 幾らか行った頃、賑やかな子供達に目を細めながら千草が問いかけると、あちらこちらから元気な答えが返ってくる。石蹴り、隠れ鬼、球遊び。家の手伝いの合間にね、と笑う子供達に、そう、と千草は目を細めた。
 立派ねぇ、と誉める言葉を聞きながら、由他郎は自らを振り返る。彼の子供の頃の遊びといえば、山や川や野原で走り回ったり、釣りをしたり、的に弓を射たり。だから気付けば子供達の遊びのあれこれに、真剣に耳を傾けていた。もし桃園で遊ぶなら、一緒に遊ばせて貰おうかと考える。
 そんな風に賑やかな一行が道を進んでいる頃、桃園では一足先にやってきた柚李葉と羽郁が、世話をしているという老人に会っていた。若干人数が増えること、花見をさせて貰うことを告げに来たのだ。
 裄人から桃の花を採りに人が行くと連絡を受けていた老人は、知らせを聞くと「好きにしなさい」と頷いた。

「一緒にお花見とか、どうですか?」
「ありがとう。けれども遠慮しておくよ」
「何か手伝えることがあれば、お礼にさせてください」

 誘った柚李葉に笑顔で首を振り、手伝いを申し出た羽郁に「それじゃあ」と下生えの枯れ草掃除を頼むと、老人は軽く手を振って、のんびりとした様子で歩き出した。それを見送って町の方へ引き返し始めた柚李葉と羽郁は、けれども幾らも行かないうちに仲間達と合流する。
 どうやら子供達は桃園行きを楽しんでいるようだ。この分では人に言えない悩みや、まして家に慣れたかとか、叔父との関係など改めて聞く必要もないだろうと、千草や羽郁は微笑みの下に心配していたあれやこれやの言葉を仕舞い込む。
 やがて辿り着いた桃園では、今を盛りと濃い色の花が綻んでいた。ほぅ、と誰もの唇から感嘆の息がこぼれる中、じゃあ、と黎阿が声を上げる。

「誰が一番良い枝を見つけられるか競争ね」
「うん!」

 頷くや一斉に子供達が駆け出した。競争、と言われると何となく心が逸るものだし、子供心なら尚更だろう。そんな子供達の後を追って、開拓者達も咲き誇る桃の花の間を歩き始めた。
 どれが一番美しい花が咲いているか。どれが持って帰るには良さそうか。あれも、これもと目移りをしている颯人の頭をぽふりと撫でて、由他郎はぐるりと辺りの枝を見回した。

「一番見て貰いたい、と思うのはどれだ?」

 きっと最後には、裄人はどんな桃だって颯人が持って帰ったなら喜ぶに違いない。だからこそ、大切なのはそこに込められた気持ちなのだろう。
 羽郁や千草、柚李葉も色々と枝振りを確かめたり、蕾の様子を見つめながら、これはどうかと颯人を手招いた。満開に咲き誇っていては途中で散ってしまうだろうし、ほどほどに蕾もあってしばらく楽しめるものが良い。
 視界一杯に広がる桃色は、まるで仙境に迷い込んだようだと千草は目を細める。そうして近くを走り過ぎた子供に「もっと近くで枝を見たくなったらいらっしゃいね」と声をかけた。
 颯人だけでなく、一緒に来た開拓者達や町の子供達も、自由に枝を持って帰って良いといわれているから、白藤も自分の分を含めて良さそうな枝を探した。走るのに疲れた子供達も一緒になって、頭上の桃色を指さしては、どうだろうかと白藤や友達を振り返る。

「良いんじゃないかな? まだ膨らんで咲いてない蕾もあるし‥‥花の付き方もいいし」
「ほんと!」
「うん。私もこっちの枝を‥‥よし、これで来年用の桃花酒と桃の花の砂糖漬けを作って貰える‥‥!」

 ぐっ、と会心の笑みで小さく拳を握った白藤を見上げて、子供達がくすくす笑う。
 そうして桃の枝を見上げて回るうち、無事に良さそうな枝を見つけられた。程ほどに蕾のついた桃の枝を3本ほど抱いた颯人も、満足そうな笑みを浮かべている。
 全員を見回して、よし、と羽郁は腕まくりした。

「さて、じゃあ次は掃除するか♪」
「そうだな。タダで使える労働力だ、有効活用して貰おう」

 由他郎も手に持っていた枝を黎阿へと渡し、頷いて羽郁の方へと歩み寄る。せっかく楽しませてもらうのだから、手伝い位はしていこうと、彼も考えていたのだった。





 頼まれた枯れ草の片づけを終えて、一足早い花見の宴は始まった。
 それぞれに作ってきたり、持ち寄ったりしたお弁当を広げ、甘酒やお茶を回す。それは本当にたっぷりあって、子供たちにお裾分けしても、まだまだ余りそうだ。

「どんどん食べてくれな♪」
「あッ、私も手伝うねッ」

 料理は得意な羽郁がそう言いながら広げたお弁当は、塩や梅や鮭、山菜おこわのおむすびに鶏の唐揚げ。アスパラを牛肉で巻いたものやメバルとじゃがいもを蒸したもの、胡麻風味で焼いた鰆に、鱸と筍の包み焼き。さらに蓮根と人参のきんぴら、山菜のおひたし、ホウレン草を入れた卵焼きと明太子を入れた卵焼きなど、見るからに美味しそうな物ばかり。
 隣でそれを取り分けながら、やっぱり羽郁はすごいなぁ、と思う柚李葉である。時折依頼などで目にする開拓者仲間のお菓子やお弁当は、どれもこれも凝ってて美味しいものばかりだ。それでもやっぱり柚李葉にとっては、羽郁が作るお弁当が一番美味しくて、すごいと思う。
 そんな柚李葉のために実はお弁当に白身魚が多くなりがちなのだとは言わないまま、子供達に「寒天ゼリーもあるからな♪」と笑いかけた。それは楽しみだ、と思う由他郎も甘味「梅の実り」を皆で食べられればと持ってきていたし、白藤も甘酒や飴、義弟が作ったよもぎ餅を持ってきている。桜もお手製の桜風味のいちご大福を、桜模様が描かれた綺麗な木箱に入れてきた。
 楽しみは一杯だねと、白藤は皆に桃の花びらを浮かべた甘酒を振舞い微笑んだ。

「花びらと一緒に飲んでね。本当は刻んだもの使うらしいけどね‥‥。桃は邪気を祓い不老長寿を与える植物なんだって」
「私も持ってきているから、差し上げるわね」

 桃の葉茶を楽しんでいた千草が荷物の中から甘酒を取り出し、どうぞ、と白藤に手渡した。ありがたく受け取って、それにも桃の花びらを浮かべる。
 そんな風情を妹にも楽しませてやれそうだと、土産用に切った固い蕾のついた枝を見下ろしていた由他郎は、不意に目の前に突き出されたものを見て目を瞬かせた。ほんの少し歪なおにぎりを突き出しているのは黎阿だ。
 桃の花を見たら、桃が好物の由他郎がお腹を空かせるだろうと、でかける前に作ってきた。といってあまり作らないし、形が歪になってしまったのだけれど。

「‥‥珍しいな」

 思わず呟いた由他郎の言葉に、軽く睨みつけた黎阿から受け取った。口にして「美味しいよ、ご馳走様」と頷くと、艶やかな笑みが返る。
 まだのんびり出来そうだし少し散策するか、と手を取って立ち上がった2人に、柚李葉が微かに瞳を揺らした後、にこっと小さく微笑んで見送った。それに微笑を返して歩き出し、しばらく行くと、じきに仲間や子供達の声も聞こえなくなる。
 咲き誇る桃の下を手を繋ぎ、のんびり歩いていた由他郎は、ふと黎阿を振り返った。

「君は、どんな子供だった? 聞いた事が無かったな」
「私、ちっちゃな頃から旅から旅へだったから一つ所にいた事無くて友達と遊んだ事って無いの。そのせいかすれた子供だったわ」

 尋ねられた言葉に、黎阿は無意識に耳飾を弄りながら自分の過去を振り返った。だから子供らしい遊びも良くわからないのよね、と苦笑した後で、そう言えば彼も子供らしい遊びは解らないと言ってたっけ、と思い出し。子供らしく遊ばせてやってくれと頼まれた子供の、とても嬉しそうに叔父の好物やら日課やらを教えてくれた笑顔を思い出す。
 あの笑顔の為にも一指し邪気払いの神楽舞を納めようかしら、と思いついた。雑念を払って、集中して。けれどもその前に、と恋人を振り返り。

「桃、綺麗ね。花見と言うにはまだ肌寒いかしら‥‥でもまた来てみたいわ」
「じゃあ‥‥実が生る頃に、また一緒に来るか? 収穫の時期なら周囲で売ってるだろう」

 黎阿の言葉に頷いた由他郎の、いかにもな言葉に苦笑しながら扇を懐から取り出し、凛と桃の花を見る。
 同じ頃、桜もまた懐から桜の柄が描かれた扇子を出し、そっと動かしていた。神風恩寵で柔らかな風を呼び起こそうとしたのだ。
 本来は癒しの風だけれども、その風で桃の花吹雪が生まれたら綺麗だろう。とはいえ癒し以外に使うことなどそうそうないので、四苦八苦して桜はようやく、弱い風を呼び起こした。
 地面に舞い落ちていた桃の花びらが、風を受けてふわりと揺れる。幾度も、幾度も試すうちに、それははらはらと降る様な花吹雪になった。

「うまくいってよかったです、とてもキレイ‥‥来て良かったです」

 そう、ふんわり微笑んだ桜の視界の中で、またひとひら、濃い桃色の花弁が流れていく。
 その花吹雪からふと眼差しを逸らし、颯人くん、と白藤は問いかけた。

「颯人くん、友達と遊べて楽しかった? 楽しかったなら私は嬉しいな?」

 尋ねる、と言うより確かめるような言葉に、颯人は少し考え、こくりと頷く。そう、と白藤は目を細め、再び花吹雪へと視線を戻した。
 舞い散る幾つもの桃の花弁。その向こうの、抜けるような青空。

「――楽しい事や嬉しい事‥‥何でも良いから叔父さんに言ってみたら?」
「‥‥?」
「叔父さんも颯人くんに色んな事を知って、楽しんで‥‥色んな話を聞いて‥‥その気持ちを共有したいんじゃないかな? それにね、大切な人が楽しそうだったり、嬉しそうにしている事ほど最上な事はないもの」
「今日のお花も、お土産話も喜んで貰えると良いね」

 白藤の言葉に目を瞬かせた颯人に、柚李葉もにこっと微笑みかける。その言葉に促されたように颯人は、頷きながら傍らの桃の枝に視線を向けて。
 その枝は、桃の花は、きっと裄人の胸に燈るのだろう――千草はその光景を想像し、柔らかな笑みを浮かべて颯人を見守る。だって春先に咲く桃色は、まるで胸に温もりをくれるようだから。
 そんな風に、もう幾ばくもすれば本格的に訪れる春の、先触れは誰の心をも楽しませたのだった。