精霊への捧げもの?
マスター名:蓮華・水無月
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 18人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/02/21 08:25



■オープニング本文

 元々は特に珍しい事もない、どこにでもある小さな神社だった。ささやかに精霊を奉り、精霊に感謝を捧げる村人が時折神社を訪れては捧げ物をしたり、雨がなかなか降らないなどのお困りごとがあれば神社の精霊にお願いしたり。
 だがいつの頃からか、村人の間でまことしやかに囁かれる噂があった。村の神社に奉られる精霊は、どうやらことのほか色恋の願いがお好きらしい。そう言えばうちの息子もなかなか縁付かなかったが神社でお願いしたら嫁が見つかって、そう言われるとうちも神楽に住んでいる姪っ子がそろそろ年頃だからとお願いしたら、実は隣村に住んでる甥夫婦もねぇ、などなど。
 そんな噂が出始めると、ならちょっとあやかって、と考える者が出てくるのは当然の話。村の方もそれを見越して、やってきた参拝客を相手にお茶屋や宿屋を始める者も現れて。
 そうして、村人達は考えた。

「ここはひとつ大々的に」
「客寄せも兼ねて‥‥か」
「精霊様にもお喜び頂けるでしょうし」
「そうだな、きっとお喜びくださる事だろう」

 何しろうちの精霊様は色恋のお願いがお好きなんだから、と頷きあう村人達。いつの間にか噂話から確定事項になっているが、そんな細かい事を気にしてはいけない。
 そうして村人達は近隣の村々に『それ』を知らせる張り紙を張って回り。後は参加者を待つだけだ、と互いの首尾を確認しあう。
 ちなみにその張り紙にはこんな事が書かれていた。

『縁結びの精霊様の前で気になるあの人への愛を叫んで、あなたも幸せ掴みませんか?』

 ――見た人間の多くは「何だこの頭の痛い張り紙」と思ったが、件の村の精霊様の『ご利益』を知っている一握りのものと、とりあえず冷やかしに行こうと考えた一握りのものと、じゃあ一緒に見せ付けに行こうかと考えた一握りの恋人達が、件の村に向かって移動を開始したのだった。


■参加者一覧
/ 北條 黯羽(ia0072) / 犬神・彼方(ia0218) / 奈々月纏(ia0456) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 玖堂 羽郁(ia0862) / 鳳・陽媛(ia0920) / 奈々月琉央(ia1012) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 皇 りょう(ia1673) / ルオウ(ia2445) / 神無月 渚(ia3020) / 荒井一徹(ia4274) / 上條紫京(ia4990) / 倉城 紬(ia5229) / 設楽 万理(ia5443) / 雲母(ia6295) / からす(ia6525) / 夏 麗華(ia9430


■リプレイ本文

 その日、村は異様な熱気に包まれていた。何しろ村を挙げての一大イベント、おまけに内容が『精霊様の前で愛を叫ぶ』というのだから、こう、村の上空辺りに目には見えない何かが渦巻いているようにも感じられる。
 だがしかし、その中をほてほてと歩いている礼野 真夢紀(ia1144)が何をしに来たかと言えば、叫ぶのでも誰かと見せつけるのでもなく、

(とりあえずお手紙のネタや物語のヒントにはなるかもしれませんの)

 色恋はよくわかりませんがー、と見学に良さげな場所を探して歩く真夢紀である。重たげに手から下げたかごの中身は、蜜柑餅、芋餡や餡子を入れたお餅、おはぎといったお弁当。実に甘そう。
 あちら、こちらと歩き回り、ようやく神社から少し離れた場所に良さげな茶席を見つけてお邪魔しますと声をかける。客の相手をしていたからす(ia6525)が気付いて「いらっしゃい」と顔を上げた。

「休憩かな?」
「ええ、どこも一杯で‥‥」

 これではせっかくの催しが見えませんの、と少し残念な様子でこれまでの経緯を語る真夢紀に、なるほど、とからすは頷いた。

「ならここでゆっくりして行くと良い。声は聞こえるからね」

 そう言いながらからすが神社の方を何気なく指さすと、ちょうど誰かの絶叫が聞こえてくる。同時に茶席に居た何人かが、うんざりした顔で「もう勘弁してくれ‥‥」と頭を抱えた。
 自分で聞きに来ておいてその態度もどうかと思うが、野次馬根性をも凌駕する愛の告白の嵐というのも滅多に出会えない事態だ。色恋は聞いているのが面白いとは言えね、と呟くからすも苦笑している。
 愛自体は美しいものだけれど、彼女自身は叫ぶ気はない。それよりはこうして漏れ聞こえる告白を楽しみながら‥‥と思ったのだが、どうやら彼女にも少しばかり、甘い空気を冷ます苦茶が必要そう。
 だが茶席の片隅できょろきょろ辺りを見回している、山羊の面を被った女性にはどうやら、このお茶は少し苦すぎるようだ。先ほどまでは素顔を出していたはずだが、行き交う恋人達を見やるうち、そそくさと恥ずかしそうに面を被ってしまった。

(縁とか‥‥そういうの忘れてましたけど‥‥)

 全力で愛の告白を叫んでいるのを聞けば、やはりああいうのはどうかな、と今でも迷う。でも結局、町で見かけた張り紙が忘れられずにここまでやって来てしまった上條紫京(ia4990)の目下の悩みは、さてどうやってあの人々の中に混ざり目的を達成するか。
 縁結びの精霊様にたどり着くまでには、何だか色々乗り越えなければいけないものが山積みだった。





 世には様々な恋人や夫婦が居て、これが絶対唯一の定まった形、というものは存在しない。大切なのは形じゃなくて中身だ。
 そんな型破りを体現するのが、社殿前に仲良く現れたその夫婦といえる。たとい女性同士であろうとも、そこに確かな愛があるならどうして夫婦でないと言えるだろう。
 だがしかし。

「んー、ボソボソとぉ聞こえねぇなぁ? なぁにを恥かしがってぇるんだか‥‥」
「う‥‥ッ」

 『旦那』犬神・彼方(ia0218)にわざとらしく耳に手を当てながらそんな事を言われて、真っ赤になって焦る『妻』北條 黯羽(ia0072)。表情自体は真剣そのものなのに、目だけがにやにや笑っている彼方に遊ばれていることは明白だ。
 もちろん黯羽だって、こういう催しだ、誘われて来たからにはきっちり全力で叫ぶつもりだった。のだが、相手を目の前にして全力で愛を叫べるかというと‥‥恥ずかし過ぎる。
 ゆえに勢い込んで叫びかけた言葉は、ぐっとのどの奥で詰まったままボソボソボソと頼りない呟きになり。旦那に、きーこーえーなーいー、と思い切り野次られている。
 にやにやと彼方が言った。

「黯羽ぁ、もぉう一回だぁな?」
「ぐ‥‥ッ!? だ、旦那、耳を塞いでおけよっ!」

 旦那に聞かれてると思うとやっぱり恥ずかしくて叫べそうになく、殆ど脅しつけるような口調での懇願に彼方は人の良さそうな笑みで頷く。ほぉれ、と両手でしっかり耳を押さえたのを確認し。
 ようやく黯羽は覚悟を決め、大きく息を吸った。肺の中を空にする勢いで、腹の底から叫ぶ。

「旦那、世界で一番好きだから‥‥永久に俺の側に居てください!」

 ぜー、はー。
 大声で叫んだのと恥ずかしいせりふを口にしたのと、両方の理由でぐったり疲れて、そのまま膝に手を突いて大きく肩で息をしていた黯羽はふと、ニヤニヤ見ている彼方に愕然とした。‥‥耳、塞いでないっ!
 やっぱたまにゃぁ愛を再確認ってぇなぁ良いなぁ、などと嘯く相手に、ブチ、と頭のどこかで何かが切れる音がする。

「‥‥こうなったら旦那も当然叫ぶんだろうな? 叫ぶよなっ?」

 もはや脅迫に等しい。どうかすれば胸ぐらを捕まれそうな迫力だったが、言われている彼方は平然としたものだ。そりゃぁ次は俺ぇの番だな、と当然のように頷いて。
 まぁ聞いておけと、黯羽に向けた顔は真剣そのもの。

「黯羽ぁ! 好きだぁ! ずっと俺ぇの傍で笑っていておくれぇ!!」

 思いっきり、全力の愛を込めた叫びに、聞いていた黯羽は今度こそ頭から爪先まで真っ赤になってパクパク口を動かした。思いの外真剣な言葉が嬉しいけれど、恥ずかしくもあり、それきり動かなくなった黯羽を、彼方はギュッ、と思い切り抱きしめる。こんな可愛い黯羽を見れただけでも、参加した甲斐はあったというものだ。
 いちゃつく激甘夫婦をつぶさに目の当たりにして、皇 りょう(ia1673)は頬を染めつつ冷や汗を垂らす、と言う複雑な表情になった。

「これは‥‥‥祈るだけでは駄目なのか?」

 なぜ叫ばなければならないんだ、と救いを求めるように辺りをきょろきょろ見回してみるが、目が合った誰もがきっぱりと首を横に振る。中には同情的な眼差しを向ける者もいたが、やっぱり反応は変わらない。この催し、叫ぶのが肝だ。
 がくり、と膝を突きそうになるりょうである。この催しを知り、よもや精霊様に縁結びの御力まであったとは、と己の信心の浅さ(?)を恥じながらやって来たまでは良いのだが‥‥‥予想以上の甘ったるい空気に、二の足を踏んでしまうのも無理はない。
 だがしかし、これも己の願いの強さを量る試練なのかも知れない。こうして人前でも叫ぶほどの強い願いがあらばこそ、精霊様もその心を汲み、縁を結んでくださるのやもしれぬ。
 ならば見事乗り越えてみせようと、りょうは己を奮い立たせた。合戦に挑む猛者もかくやと思われる覚悟の表情に、野次馬の顔つきも少し真剣になる。

「まだ見ぬ未来の旦那様! 私は貴方に相応しい妻となる為、今日も励んでおります! 天儀一の女となった暁には、どうか末永く可愛がって下さいませー!!」

 我が決意を御照覧あれ、と全身全霊を込めて叫んだは良いが、そこまでが彼女の限界だった。のぼせ上がった顔で頭から湯気を出しながらパタリ、と倒れたりょうに、慌てて村人が駆け寄り介抱する。
 「や、やはり駄目だ‥‥‥」とうわごとを言う彼女に同情を覚えた倉城 紬(ia5229)が、同志を労う眼差しで「お疲れ様でした」と手を握った。それには、この人の勇気を分けて貰いたい、という願いも籠もっている。
 りょうが倒れたおかげでそちらに人目が向いて、今は神社の前にはぽっかりと人が居ない。今がチャンスかもしれない、と小さく両手を握って勇気を振り絞った。そっと足音を忍ばせて近付く間も、緊張と恥ずかしさとほんの少しの期待でドキドキし始めた胸をぎゅっと押さえる。彼女が密かに想い慕う相手は、今日はこの場にいないけれど。
 どうかあの人にほんの僅かでも、この想いが届きます様に。姿を大切に思い浮かべながらそう、願う。
 そっと静かに手を合わせ。

「‥‥えと。そのぉ‥‥お、お願いしますッ!!」

 そこまでは良かったのだが、いざ願いを口にしようとして『叫ばなければならない』事を思い出し、紬はしどろもどろの口調で何とかそれだけを大声で言った。村人と野次馬の何人かが「おや?」と神社の方を振り返る。
 はうぅッ、と途端、耳まで真っ赤になってわたわたする紬だ。肝心な事は何一つ言っていないのだが、人々の眼差しに何だか胸の中の想いを全部見透かされたような気になって、耐え切れずに脱兎の如くどこかへ向かって走り出す。
 あれ大丈夫なのかな、と走り去る背中を見て心配になるルオウ(ia2445)。だがどうやら大丈夫そうだと、そのまま走り去って見えなくなった少女の事は置いておいて、ルオウは少し大きな声で「兄貴達どこいんのかなぁ」と誰にともなく呟いた。きょろきょろと全力で辺りを見回し、人探し中だぞー、とアピールする。
 そう、ルオウは別に精霊様に色恋の願いを叶えて貰いに来たわけじゃないのだ。そもそも怪しすぎるし、でももしかしたらなんて別に信じたわけじゃないし、単にそう、兄が恋人と一緒に行くから冷やかしてやろうと思ってきただけ。そう、それだけ。
 必死で自分に言い聞かせてるルオウには気付かず、琉央(ia1012)と藤村纏(ia0456)は仲良く神社に姿を現した。そこに集まっている野次馬とそうじゃない人々に、物好きが多いよな、と息を吐いて呟く琉央。愛を叫んだり愛を叫ぶ人を見に来たり、それってどうなんだと思いつつ彼もまた愛を叫びに来た1人なのだから同類だ。
 ゆえに苦笑して纏を見る。琉央が誰よりも愛おしく思う、大切な娘は今、これから人々の前で、何より琉央の前で想いを叫ばなければならないと言う事で頭が一杯だ。
 何度も大きく深呼吸している纏の邪魔になってはいけないと、離れようとしたら途端にむんずと腕を捕まれた。どこかの夫婦のように相手を目の前にして言う勇気はない。それぐらいならいっそ隣に居てくれと、泣き出しそうな眼差しで纏は懇願する。
 そうして琉央がどこにも行かない事を確認して、それでもぎゅっと手を握ったまま。

「何時も何時も、ウチの天然ぷりに付き合ってもろーておきにな、ウチは一生琉央の傍から離れへんよー!」

 一息に言い切って、真っ赤になった顔で握った手の隣を振り返る。にこっと笑って「ほんま、おおきにな?」と付け加えた彼女の手を、琉央は強く握り返した。
 笑った纏の瞳だけが、大丈夫かな、迷惑じゃないかな、とちょっとだけ揺れているのに気付いたから。

「迷惑なんて事ある筈ないだろ、居てくれるだけでいい。
 それだけで俺は満足なんだから‥‥な。だからお前は笑っててくれ。俺の傍で」
「‥‥これからもよろしく、な♪」
「ああ」

 微笑ましくも容赦なく見せつける恋人達に、野次馬の何人かが泣きながら「オレもきっといつか‥‥ッ」と叫んで走り去った。立て続けの甘い空気に、ついに耐えられなくなったらしい。
 だが次に現れたのは、ほんの少しばかり甘い空気からは遠そうな男女であった。神無月 渚(ia3020)と荒井一徹(ia4274)。村にやってきた時も一緒、現れたのも一緒、そのまままっすぐ向かうのが神社の前となれば普通に考えて恋人同士か何かだと思うのだが、そこに漂う空気が甘くなりきってないと言うか。
 否、一徹の方は物珍しげな眼差しを向けられると顔を赤くしてチラチラ渚を見たりしていて、相手への全力の好意が感じられる。のだがしかし、渚はその視線を平静に受け止め、かつ周りの視線には気付いてない様子で物珍しげに「ここがその神社‥‥」などと観察しているのが。
 大丈夫なのかなこの人達。見ていた村人はふと不安になったが、渚は渚でちゃんと一徹を恋人だと思ってるし、今日は一緒に行動しよう、と決めてきてもいる。ほんの少しばかり、甘い空気が伴わないだけで。
 一抹の不安とともに見守る村人達の視線の中で、2人はごく当たり前に神社の前まで進んだ。どうやら愛を叫ぶらしい、となんだか必要以上にほっとした村人の前で、先に叫んだのは一徹だ。

「渚〜愛してるぜ!」

 第一声は、直球だがこの場においてはベタな一言。愛を叫ぶイベントで、愛してるぜ、は時候の挨拶レベルである。
 だがしかし、続く告白に今度こそ、聞いていた人々はヒクリ、と口の端をひきつらせた。

「確かにお前はたまにひどいことしたり言ったりするけど、それでも、それでも俺はお前の笑顔が、お前の全部が何よりも大好きだ〜! これからも愛していくから覚悟してくれよ!」

 そこには本当に愛があるのか。聞いていた方が心配になるような、熱い愛の告白だった。むしろ覚悟が必要なのは一徹の方なんじゃないだろうか。
 言われた渚の方はその告白に特に異議を唱えることもなく、むしろまんざらでもない様子で一徹を見る。お返しに叫ぶ様子はないが、それでも満足そうに戻ってきた一徹にそっと手をさしのべたのは、たぶんその告白が彼女の気に入るものだったからなのだろう。
 付き合いだしてそれなりの時間も経っている。甘いばかりが恋人ではない、端で聞いててハラハラする様な言葉でもきっと、彼らの積み重ねてきた時間の中で通じ合うものがあるのだろう。よろしくと、小さく囁いたのを誰かが聞いたとか聞かなかったとか。
 それに思う所があったのか、あるいは破れかぶれの覚悟を決めてしまったのか。ルオウは不意にガバッと顔を上げ、神社に向かって走り出した。
 ルオウの大事な、特別な女の子。ジルベリア出身だという彼女と出会ったのは偶然で、初めて会った時はそりゃあドキドキしたもので。
 でもそれは彼の周りに、それまで他に同年代の女の子が居なかったからだと思っていた。そんな女の子が目の前に現れたことにびっくりした。同い年か一つ年上で、遠慮がなくて無邪気で一生懸命で心根の優しい女の子。
 それが彼女だから『特別』なんだって事を、今のルオウはちゃんと解ってる。

「‥‥好きだっっ!!」

 だから大声を上げて、叫んだのはそんな言葉。他に言う事なんて思いつかない。言いたい事なんて思いつかない。彼女は今ここには居ないけれど、まっすぐに向けた素直な気持ちが伝われば良いと思う。
 けれども玖堂 羽郁(ia0862)の場合は、すでに想う相手には告白済み。その相手、佐伯 柚李葉(ia0859)とは先ほど顔を合わせている。羽郁と目が合うとほんのり頬を染め、いつも通りよりはちょっとだけぎこちなく交わした挨拶。けれどもまだこれと確かな返事は貰ってない。
 そんな彼女にもう一度想いを伝えるべく、羽郁が選んだのは歌舞。柚李葉への想いを乗せた歌を謡いながら、それを表現する舞いを一差し。友達以上で恋人未満、中途半端で居心地良くてどこか物足りない関係から一歩踏み出すべく、羽郁は朗々と謡い出す。

「笛音の優れて憶ゆるは
 翡翠の瞳の弓弦葉姫
 星月夜に 澄み渡る
 愛し姫の笛の音
 行く末久しく聴き賜らん
 我が愛姫の手を取りて
 傍ら侍りて舞捧げん」

 身につけた巫女袴がしゅるりと衣擦れの音を立て、高く結んだ髪が動きに合わせてゆらりと揺れる。手に持つ扇子を差し招き、ひらりと返して揺らす様は、日頃の快活な彼を知る者からすれば別人かと思わせる幻想的な姿だ。
 それが誰に向けられたものなのか、解らない柚李葉ではない。貰った言葉は大切に胸の中に抱いている。
 だから、柚李葉が羽郁の歌に合わせて笛を吹き始めた理由は、たった一つだ。透き通る音色に羽郁が柚李葉と、彼女の髪の簪を見て嬉しそうに目を細める。それは彼が彼女にあげた簪。

「月影浴びて囁くは
 糸(愛)し糸(愛)しと言ふ心
 湧立つ我が心の想泉は
 汲むとも汲むとも
 尽きもせじ尽きもせじ‥‥」

 歌は静かな余韻を残して終わり、合わせて羽郁の動きが止まる。静かに笛から口を離した柚李葉に、先の幻想的な雰囲気もなんのその、羽郁は弾かれたように駆け寄った。それを彼女は待っている。
 多分本当はまだ少し怖い。自分が変わってしまうかもしれないし、もしかしたらすべてが自分の都合の良い勘違いで、手を伸ばした瞬間に何もかも壊れてしまうのかもしれない。このまま何も変わらずに、ただ暖かい気持ちだけで寄り添っていられたらと、だから今でも思っているけれど。
 一歩だけ、踏み出そうと思った。いつかじゃなくて、今、ほんの一歩だけ。いつも羽郁がくれるまっすぐな言葉に、応えたいと思ったから。

「羽郁‥‥‥‥‥さん」

 彼に応える時には『羽郁』と呼ぶ約束だった。けれどもどうしても恥ずかしくて、結局ポソリと『さん』を付け加えてしまう。
 ポツリ、ポツリと勇気を振り絞って「あの、ありがとう‥‥あなたに‥‥」と一生懸命言葉を紡ごうとする彼女を、まるでとっておきの宝物を手に入れたような心地で羽郁は見つめた。対たる双子の姉への想いと絆は変わらないけれど、柚李葉への想いと絆も同じくらいに強く、それは彼女も同じだと信じる。
 幸せな2人を横目で見つめながら、それにあやかる為にも夏 麗華(ia9430)は神社の前に立つ。そこにいるらしい、色恋の願いを叶えるのが大好きだという精霊様に、願う事はたった一つ。
 それは、愛を叫ぶ云々の前にとても大切な事。そう、この上なく大切な事。すぅ、と大きく息を吸い込んだ彼女は、だから真剣な顔つきできっぱりと、一言一言力強く叫んだ。

「恋人がほしいです!!」

 切実な、切実すぎる願いだった。何だろう、こう、妙に侘びしさすら感じさせる。
 思わず人々から深い同情のまなざしが一心に麗華の上に注がれた。中には見てはいけないものを見てしまった、とそっと礼儀正しく目を逸らす者や、もらい泣きにむせび泣き始めた若者もいる。
 なにとぞ良い縁を一つ、と真剣な顔のまま深く拝礼して去る麗華の背中は、潔さの中にも哀愁が漂っているようにも見えた。おや私の妹になれば良いのに、と見送りながら雲母(ia6295)は呟く。年上? 気持ちが妹なら妹だ。
 後で口説いてみるかと考えながら、神社の前に立つ。背中から何かが発しているように見えるのは、彼女が常に銜えている煙管の紫煙ではない。
 パン、と手を合わせ、麗華と同じくらいに真剣な顔つきで一心不乱に願いを唱えだす。いや叫ぶのがこの催しの趣旨で、と雲母に声をかけようとした村人の青年は、うっかりその呟きを耳にしてしまってズザッと大きく身を引いた。

「‥‥‥酒池肉林、世の中の女性は全て私の妹に、酒池肉林、世の中の女性は全て私の妹に‥‥‥」

 そこに込められている気合が本気だと言う事はいやというほど伝わってくるが、むしろ伝わってこない方が良かった、と冷や汗を垂らしながら考える青年である。ぶつぶつぶつぶつと酒池肉林と妹への愛、という名の妄念を精霊に言い聞かせ語り掛け脅しつけるように念じ続けていた雲母は、そこでふと青年に気付いて顔をしかめ、ポソリ、と吐き捨てた。

「勿論、男は全て断罪でいい」

 半泣きになった青年がおたおたと逃げ去った後も、雲母はしばし悶々と念を発しながら精霊様に夢の酒池肉林生活と妹楽園生活を願い続け、やがてふぅ、と満足そうに息を吐いた。銜えたままで忘れていた煙管を胸一杯吸い込む。
 そのまま満足そうに立ち去った雲母を泣きそうな顔で見送り、さて次は誰だろう、と視線をさ迷わせた村人は、設楽 万理(ia5443)の姿に心もち、ほっと表情を緩めた。この人はさっきの人よりもマトモそうだ。少なくとも断罪とか言わなさそう。
 と思ったのだが、今日の万理は一味違う。彼女は愛を叫ぶこの催しの事を知り、愛する故郷と愛する王への溢れんばかりの愛を叫ぶ良い機会だと、意気揚々と足を運んだのだから。
 迷わぬ足取りで神社の前に立つ。

「緑の国理穴。愛してる! 甘いものの聖地理穴国最高! 万歳! 儀弐王重音さま。最高愛してる。大好きです! 万歳! 万歳! ばんざぁ―――い!!!」

 なお、あくまでコレは万理個人の印象である事を、謹んで付け加えておきたい。少なくとも多分、彼女の同郷の人が全員故郷とその王への痛すぎる愛を居並ぶ人々にもこの想いよ響き渡れ、と言わんばかりに叫ぶ人ばかりでないだろう。
 それでも良い、愛であることに変わりはない。叫ぶうちにすっかり気分が高揚してきたらしく、万理は精霊様に礼をした後、野次馬達を振り返った。両手をぶんぶん振って「ありがとう―――!」と叫んだ彼女に、なぜか同じノリで「良くやったーッ!」と叫ぶ野次馬。人間、気分が高揚している時は不思議な行動に出るものだ。
 この高揚の中でなら、鳳・陽媛(ia0920)もさして抵抗なく胸に秘めた想いを叫ぶ事ができる。陽媛の大切な義理の兄。大好きで、彼の妹と呼ばれる事が誇らしくて。
 けれども、無邪気に慕っていた兄に違う想いを抱いているのに、気付いたのは何時の事だったのか。仲の良い兄妹ねと言われるのが辛くなり、独占したくなって、ただ兄が自分の傍にだけ居てくれれば良いのにとすら思って。
 困らせているのは知っていて、困らせている事に落ち込んで、でも自分ではどうしようもなくてまた困らせる。その繰り返しだったけれど――思い出した、大切な事。どんな風にとか関係なく、ただ兄が大好きだった事。あの頃の自分を思い出したから。
 恋を叶える精霊は素敵だと思うけれど、彼女はそれを望まない。もちろん叶うなら理想だけれど、その為にどんどん自分が自分でなくなっていくのは、何の意味もない。
 だから。伝えてくれなくても良いから、確かに彼女が兄を異性として想っていた事を告白したら、この想いはどこかに封じ込めてくれれば良いから。

「兄さーん!! 誰よりも‥‥大好き!」

 その言葉に込められた切ない感情に、紫京も思う所があった。ようやく覚悟を決めて茶席を離れ、神社の前までやってきて。胸に秘めた想いの苦しさを思い、それを告白した陽媛の勇気を思う。
 秘めたままの想いは苦しく、けれども一体誰に話せば良いのかなんて見当もつかない。開拓者ギルドで偶然見かけた開拓者。彼に柄にもなく一目惚れしてしまって以来、寝ても覚めても想いは募る一方なのに、紫京は再会する事も出来ず、どころかただ彼の名さえ知らないのだ。
 名前だけでも知っていれば、切なく彼を呼ぶ事も出来るだろうのに。誰かに相談する事だってもしかしたら出来るかもしれないのに、何も出来ない紫京に出来る事はただ、彼の面影を大切に想って切なく焦がれる事ばかり。
 だから。

「あの人に‥‥あの人に逢いたいです!」

 逢わせて欲しいとまでは言えないけれど、逢いたいというのは素直な気持ちだ。開拓者としては彼はベテランの様にも見えた、きっと横に並ぶ事は難しいだろうけれど、せめて後ろからでも役に立って――そうして、傍に居る事を許してもらえれば良いのに。
 そう、思って紫京は精霊に手を合わせる。どうかこの想いが少しでも叶いますように、と。





 甘さを覚ます苦い茶を出す茶席では、からすがやってきた客を適当にあしらいながら、神社から聞こえてくる愛の叫びに時折小さく頷いていた。じっとしていては風邪を引くので、ぬくぬくの服装で日当たりの良い席を確保し、時折思いついた文章を手帳に書き付ける真夢紀に声をかける。

「楽しんでるかな?」
「はい、将来への良いお勉強です。からすさんは良いんですの?」
「私の愛は1人に向ける事ができないものだ。博愛というわけじゃないけど――そちらの御仁はお茶はいかがかな?」
「いえ‥‥私は帰ってお弁当でも食べて寝ます」

 しれっとそう言い切ったからすが声をかけた相手は、声からすれば先ほど熱い郷土愛を叫んでいた女性のようだ。先の情熱はどこへいったものやら、まったくいつも通りの平静な態度で手を振り、静かに去って行く彼女――これが20代独身女性の寂しい現実とか、突っ込んではいけない。
 気をつけてと見送って、心の中でそっと祈る。今なお愛を叫ぶ者達に、幸多からん事を。彼女に出来るのはせめてそれくらいだ。
 茶席の片隅を見れば、先ほど思う存分見せ付けてくれた恋人達が、ここでも甘いものを分け合いっ子しながら、ぴとりと寄り添って幸せそうな一時を過ごしている。ちなみにこの恋人たち、先ほども別の茶店で同じ事をやっていたような。
 やがて日暮れが近付いてきて、もういっそ泊まるつもりでのんびりするか、当然部屋は1つで、などと大人の相談を始めた恋人達に村の宿屋を教えたころ、すっかり人の居なくなった神社では紬がこっそり姿を見せていた。お賽銭を入れて先ほど逃げ出してしまった非礼を詫び、改めてお願いしますと願う。

「あの、わ、私の慕う人は、色々と事情がある様で想いを遂げる事が困難かもしれませんが‥‥悔いの無い様に努めたいと思っています。そっとお守りください」

 そう静かに頭を垂れる彼女の想いもきっと、精霊様は暖かく聞いて下さった事だろう。