今宵呑む、月見の酒の。
マスター名:蓮華・水無月
シナリオ形態: イベント
無料
難易度: 普通
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/10/17 00:41



■オープニング本文

 さてその日、開拓者ギルドを訪れたのは世間一般の基準から言えば美女と表現するべき女性であった。ほっそりとした姿態にくっきりした目鼻立ち、よく梳られてさらりと流れる黒髪に縁取られる細面には、笑みの形に弧を描く艶やかな唇。
 彼女の名を、ギルドの受付係は覚えていた。高祢(たかね)。以前、神楽の都まで酒の呑み比べの相手を探しに来、ついに開拓者ギルドに呑み比べ相手を募集したという、なかなか変わった酒豪である。
 その高祢は受付係の顔を見ると、つい、と唇の端を吊り上げ、笑みを深めた。どうやら、彼女も受付係の事を覚えていたらしい。
 当然の顔で彼の前に座った高祢は、その節は世話になったねぇ、と朗らかに言った。

「あの時の兄さん達は元気かい? 何、ちょいと今度アタシの里で、月見の宴をやるもんでね、良かったらまた一緒に呑んでおくれでないか、誘いに来たんだけどねぇ」
「さぁ、こちらではそういった事は」

 高祢の言葉に苦笑いして首を振る。開拓者ギルドには多数の開拓者達が登録し、依頼を紹介したりはするが、細かい日常生活まで把握しているわけではない。
 そう言うと高祢はほんの少しだけ残念そうな顔をした。だが、そんなものなのだろう、と納得したらしく、取り立てて何を言うでもなかった。
 代わりに彼女が口にしたのは、だからその事ではなく。

「なら、他の開拓者さんは来ておくれでないかい? 何、代わりなんて失礼な話じゃないさ、どっちにしたって誘うつもりだったんだ。宴なんて、人が多い方が盛り上がるものだしねぇ」
「‥‥念のため確認しておきますが、また呑み比べなんて事は」
「なんだい、信用ないねぇ。もちろん呑み比べなんかじゃないさ。宴って言った所でようは月見だよ。酒が呑める、呑めないは二の次さ――まぁアタシは呑むけどねぇ」

 なんなら何か楽しませておくれよと、笑って高祢は開拓者ギルドをあとにした。その後ろ姿はどことなく、浮き立っているようだった。


■参加者一覧
/ 風雅 哲心(ia0135) / 犬神・彼方(ia0218) / 橘 琉璃(ia0472) / 貉(ia0585) / 篠田 紅雪(ia0704) / 葛切 カズラ(ia0725) / 国広 光拿(ia0738) / 富士峰 那須鷹(ia0795) / 佐上 久野都(ia0826) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 深山 千草(ia0889) / 酒々井 統真(ia0893) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 篝火(ia1041) / 御樹青嵐(ia1669) / 喪越(ia1670) / 犬神 狛(ia2995) / 侭廼(ia3033) / 斉藤晃(ia3071) / 平野 拾(ia3527) / 真珠朗(ia3553) / こうめ(ia5276) / 神楽坂 紫翠(ia5370) / 榊 志竜(ia5403) / 設楽 万理(ia5443


■リプレイ本文

 秋の空は高く澄み渡っていた。雲一つない、とまではいかないが、この様子なら夜になっても曇るまい。
 そう、満足げに頷き微笑んだ深山 千草(ia0889)の所にやって来て、高祢は「悪いねぇ」と申し訳なさと期待がきっちり半分ずつ混ざった笑顔を見せた。良く言えば正直な女に、くす、と笑う。
 今宵の月見の宴に訪れた千草だったが、些か早くつき過ぎてしまったのだ。そして、出迎えた高祢が申し訳なさそうに宴の準備がまだ整っていない事を告げると、ならそちらも手伝うわね、と千草は申し出た。
 月見も楽しみにしているけれど、みんなが楽しんでいる姿を見たり、思い浮かべたりしながら宴のお料理を拵えるのも嬉しいのだ。そう言うと相手は軽く目を見開いた後、ゆぅらり笑んだ。

「他に用意する物はあるかい?」
「じゃあ、何か花器をお借り出来ますか?」

 抱いてきた菊の花を示して言うと、ああ勿論、とすぐに小ぶりの花瓶と、竹の一輪挿しが幾つか用意された。重陽は過ぎたとは言え、可憐に咲き揺れる菊と共に見る月も美しかろう。
 そう、準備をしているうちにちらほら、開拓者達の顔も揃ってきた。中には国広 光拿(ia0738)の様に、高祢と顔見知りだった者も居る。

「久しぶりだな。せっかくの招き、楽しませてもらうとしよう」

 そう軽く手を上げた光拿に、あの時はありがとうねぇ、と嫣然と微笑む女を見て元気そうだと確かめる。以前、彼女が出した呑み比べ依頼で顔を合わせた時は、若干困った事もあって完全に元気、とは言い難かったものだが――
 はた、と過去を振り返った光拿は、その時も同じ場に居合わせた仲間の事を思い出した。確か、彼女も今日の宴には参加する、と言っていたが。

「また無茶をしなければ良いんだがな‥‥」
「何のこと?」

 呟いた先から本人がひょいと顔を出した。篝火(ia1041)だ。以前の折には、もう大人だからと飲めない酒を飲んですぐに酔い潰れてしまった彼女も、今回はゆっくり話が出来ればいいな、と思ってやってきた。
 のだが、しかし。

「そうそう、どうしても聞きたかったんだ。酒って美味しい‥‥?」

 また会えて嬉しいと満面に笑みを浮かべて高祢と光拿に挨拶した後、ごくごく真剣な眼差しでそう尋ねてきた少女に、女は微笑み、男は生真面目な顔を維持することに努めた。人によるとは思うが、少なくとも『もう大人だ』と虚勢を張って呑むものではない。
 微妙な反応に、篝火は大きなため息を吐いて、酒はもう懲り懲りだ‥‥と零した。何しろ喉は焼けるし、すぐに目は回るし、翌日の二日酔いと来たらそりゃあもう。
 故に今日は料理を楽しみにやってきたのだと、笑った少女は厨の方を眺めやった。あちらからはもう、美味しそうな匂いが漂ってきている。
 何か手伝える事があれば、と走っていった少女の後からも、ちらほらと開拓者達が姿を現していた。粋に薄手の単を纏い、髪をきゅっと結わえて地元のサトウキビ酒を持ってきた設楽 万理(ia5443)が、今日は宜しく、と女に微笑んで酒瓶を軽く掲げる。前評判を聞いたせいだろうか、万理以外にも酒を手土産にやって来た者は案外居て、さらには酒豪を名乗る美女と酒を酌み交わす事を目当てにやってきた者も少なからず居た。
 じゃあ一緒に呑むかねぇ、と嬉しそうに笑んだ女に、お手柔らかに、と佐上 久野都(ia0826)が微笑み返す。そうしながら神楽で見つけた珍しい肴と、呑みすぎた者へと梅干を手渡した。
 生憎、今日は参加予定の開拓者の中に、顔見知りは居ない。これだけ人が集まっているのに珍しい事だが、これからお知り合いになれば問題ない話だ。都合で来れなかった義妹達への、良い土産話にもなるだろう。
 同じく行きつけの店によって蕎麦や天麩羅、刺身を買い込んできた御樹青嵐(ia1669)や、以前に依頼で訪れた和菓子屋で皆で作ったお菓子を買って持ってきた佐伯 柚李葉(ia0859)が、つまみにしようじゃないか、これもどうぞ、と高祢に手渡した。甘いもん好きの開拓者の目がキラリと光った気がしたのは、多分気のせいじゃない。

「ギルド総動員での大戦を前に宴とは、随分と粋でないの」

 集まった開拓者達の浮き立つ顔を眺めながら、喪越(ia1670)がニヤリと笑った。この宴が、開拓者達の日頃の疲れと迫り来る戦への緊張を吹き飛ばす馬鹿騒ぎとなるか、それはそれと風情を楽しみ月を愛でるか――いずれにせよ、

(見事なお月さんも悪かねぇが、同じくれぇ真ん丸な人の和を酒の肴にするってぇのも乙なもんだ)

 そう、眺めやった空の端には、ようやく月の光の欠片がお目見えし始めた所だった。





 そうして始まった月見の宴は、思いの他賑やかに進んでいった。

「お隣、空いておりますか?」
「はい、もちろんなのです!」

 まだ開拓者になったばかりで、あまり親しく話し合う相手も居ないので誰か交流出来れば、と考えてやってきた榊 志竜(ia5403)が、周りの開拓者達をわくわくした目で見つめていた拾(ia3527)に声を掛けた。彼女の前に置かれているのは、持ってきた蓬のお団子に丁寧に淹れてくれた濃茶。両手でちょこんと湯飲みを抱え、にこにこしている彼女を見て、どうやらこれは不要そうだと志竜は手に下げていた度数の強い酒を自分の酒盃だけに注ぐ。
 月の美しいこの季節、ギルドにも僅かながら月を愛でる誘いは張り出された。それに息を抜こうと思ったり、或いは純粋に月を愛でようと思ったり、志竜の様に他の色々の思惑を持って宴に参加した者も居て。

「拾殿は、今日はなぜ参加を?」
「ひろいはお月見がだいすきなのです!」

 酒盃を傾けながら尋ねられた言葉に、蓬団子に手を伸ばしながら元気よく拾は応える。昔は父と二人で月見をしたもので――故に少し、寂しい思いもしたりするのだけれど、こんなに沢山の人と月を見るのは初めてで、それだけでもわくわくしてしまうのだ。
 なるほど、と頷いた男におずおず「あ、あの、私も‥‥ご一緒に、良いですか?」と掛けられた声がある。こうめ(ia5276)だ。聞けば彼女も志竜と同じく、開拓者になったばかりで誰に解らない事など聞けば良いのか困っていた時に、色々な開拓者に出会えそうだと宴の誘いを見て参加したのだという。どうやらそういう悩みは思いの他深刻なようだ。

「あの、これ、私が作ったみたらし団子ですが‥‥」

 団子を差し出す娘に目を輝かせ、素早く手を伸ばした拾――ではなく、甘味に惹かれてやってきた光拿が、実に生真面目な顔でみたらし団子と蓬団子を咀嚼し、飲み込んだ。つい、じっと見守る3人に、まったく表情を変えずに「美味い」と感想を述べる男である。彼は故郷でも蜂蜜をかけた団子を嬉々として食っていたのだが、生憎表情が変わらない為家族にはため息を吐かれていたとか何とか。
 どうやらここからは、甘味好きが集まる何かが発信されているらしい。後からふらふらやって来た柚李葉も加わって、持参した抹茶金時という創作菓子を肴に濃茶と酒を楽しむという、不思議な空間が確立した。

「これ、ね。前に行った依頼で、心の篭ったお菓子を作る若夫婦さんをお手伝いして、皆で作ったお菓子なの」
「そうなのですね‥‥あの、開拓者は長いのですか?」

 叶うなら色々相談に乗ったりして貰える先輩が欲しいと、ドキドキした眼差しを向けるこうめに、照れたように柚李葉が笑う。その笑みに何かを感じたらしく、ますますにじりよっていく少女とのやりとりを聞くでもなく聞きながら、狢(ia0585)はクイ、と酒杯を傾けて月を見上げた。
 彼自身は、開拓者ギルドに所属するようになってもう半年ほど。まだまだ短いと思っていたが、思い返せば随分になるものだ。

「‥‥あっちも、良い月でてんのかねぇ‥‥」

 ふと呟いたのは、長らく会っていない故郷の家族を思い出しての言葉。ギルドに入って神楽に住むようになって、以来、故郷の土は踏んでいないのだろう。
 だがしんみりした所を見せるのは場を乱す。その程度の礼儀は心得ている男は、意識して気持ちを切り替えて家族への思慕を一旦胸の奥に仕舞い、甘味組の中で些か居心地悪そうな酒飲み1人に「どうだ、俺と呑むかい」と笑いかけた。
 一方で、知人同士で向き合って、のんびりと月を愛でる者も見受けられる。注いでは呑み、呑んでは注ぐ。そうしてお互いの酒盃と、それ以外の何かを埋めていく。

「‥‥晴れて、良かった」
「ふむ、今宵は満月‥‥とまではいかぬが、良い月夜じゃ‥‥」

 静かに輝く月を見上げ、ぽつり、呟いた篠田 紅雪(ia0704)に頷いて、犬神 狛(ia2995)も真円よりわずかに欠けた大きな月を見上げた。満月まではもう幾日か。だが美しい事に変わりはない。
 そうだな、と頷く間にも他方からは賑やかな声も聞こえてくる。狛に誘われてやって来た月見の宴の、賑やかな騒ぎは微笑ましく思うけれど、それよりはこうして2人で酒盃を重ねる方が良い。

「静かじゃのう? 向こうは騒がしいようじゃが、此処は静かなままじゃ‥‥」

 と、相手も同じ事を考えていたようで、そう向けられた言葉に紅雪はかすかに微笑んだ。わずかに頬が赤らんだのは、酒のせいではないけれど、酒のせいという事にしておこう。
 どうにも落ち着く空気がなぜだろう、と考える紅雪に、目を細めて狛はまた紅雪の杯に酒を注ぐ。そうして、たまに通りかかった知人にはほんのり微笑んで、また静かに酒杯を重ね、ぽつり、ぽつりと零れる言葉を重ねていく。
 そう言う意味ではこちらにも、少なからず自分達の世界に突入している者達もいた。

「ただ酒より美味いモンはないのぉ」

 車座で酒瓶を傍らに、侭廼(ia3033)が景気良く酒杯を空ける。とにかく酒だ、酒だと宴に勇んでやってきた通り、始まるや否や配られた酒瓶の酒は飲み干して、早くもお代わりを所望した。
 今はもう、何杯目になるだろうか。数える事もとうに止め、ひたすら酒を呑む男の前には、2人の男が雁首を揃え、こちらは月も愛でながらそれなりの速度で酒杯を口元に運ぶ。
 何か思う所があったのだろう、仲間の1人は違う相手と呑み始めてしまったので、この場に残るのはとにかく酒をとやってきた男達。互いに酒以外に共通点もなさそうな相手だが、それぞれに仲の良い相手もて。

「月を見ながら酒を呑む。かぁ〜、良いねぇ」

 ぷはっと酒を飲み干して、斉藤晃(ia3071)が夜風にさやぐススキを眺めてしみじみ言った。仲間に呑ませてやろうと持ち込んだ酒はとうに空になってしまい、今呑んでいるのは宴に用意された酒だ。
 旨い料理ももちろん良いが、やはり月見団子を前に積み上げて呑む酒はこの季節ならでは。黄金にさやぐすすきを眺めながら、もっちりした月見団子を咀嚼して、酒をクイと流し込む。
 とは言え、そこにいる最後の1人は生憎、残念そうな表情は拭えなかった。どちらかと言えば、真珠朗(ia3553)の主義は一人酒。月見る酒なら尚更に、風情を噛みしめながら1人のんびり呑むのが良い。
 のだがしかし、ちょっと一緒に呑んでいかないかと誘われて一献だけと腰を下ろし、それじゃあと目当ての美女に近付こうにもすでに宴が盛り上がり。

「空に浮かんだ触れぬ月より、身近で見れるおねーさんの方が愛おしいのですけどねぇ」
「あら、じゃああたしと呑まない?」

 ぼやくような呟きを、偶然耳にした女が気軽な様子で声をかけた。宴が始まって以来、あちこち回って参加者に声を駆け回っていた葛切 カズラ(ia0725)だ。天高く輝く月の光をつぶさに浴びて、呑むタダ酒と来たら極上だ。何しろ色々気にしなくて良い。
 そういう意味でもこの集団と割と思考が似ている彼女、作ってもらった人参を練りこんだ橙色の団子を「どうぞ」とお裾分けしながら、図々しさを感じさせない自然な流れで真珠朗の横に腰を下ろした。彼女も勿論、文句なしの美女。その場に転がっている酒瓶があらかた空なのを見て取ると、持ってきて貰いましょ、と視線を送る。
 だが、その視線が見つけたのは宴の世話役ではなく、別の仲間。1人で何やら物騒な笑みを浮かべて酒を呑む、以前に依頼で一緒になった富士峰 那須鷹(ia0795)だ。
 いつもならば狢を弄り倒したり、晃とたまに酒を呑み交わしたりするものだが、今日の彼女は様子が違う。主催の高祢には彼女の故郷の地酒を持っていって軽く言葉と酒を呑み交わしたが、それ以外ではたまにやってくる相手に注がれ、注ぎはしたものの、自分から誰かに酒を注ぎに行く事はなく、出来るだけ人目に付かない辺りで壁にゆったり身体を凭れさせ、凄みのある笑顔で酒を煽るのみだ。
 少し考え、後で一緒に呑みに行こうと考えたカズラと同じく、那須鷹の方も後で機会があれば彼女を捕まえ、依頼の話をしたいと思っていた。以前に敗れ、彼女も手傷を追わされたアヤカシの情報収集だ。
 次にあったらその時こそは――そう思い、またくつくつと笑って酒を呑みつくす義妹の姿に、犬神・彼方(ia0218)は薄い笑いを浮かべた。彼女は今日は、義家族の酒々井 統真(ia0893)と一緒に参加している。家族同然の那須鷹も誘ってやろうかと思ったが、あの様子では放って置いた方が良さそうだ。
 そうしてふと思いにふける彼方の顔を、ちら、と見て統真はちびりと酒に口を付けた。どうも最近、彼方が元気がない時があるのが気になるのだが、そういう心情的な所というか、励ましたりとかいう事が彼は苦手だ。だからって放っておく事も出来ない訳で。
 こんな事で楽しませられるんなら良いんだが、と忘れかけてた名月に近い月を見上げた統真に、気付いた彼方が目元を和らげる。この頃、不穏な空気や厳しい戦い等でさすがの彼女も不安に思う事が多くなった。それを我が子と思う家族に悟られる様ではまだまだだが、気遣ってくれる統真の優しさは十分にありがたい。
 だが、それを素直に表現する彼女では、なく。

「ほれ統真、そんなぁ顔してたぁら、背がのびないぞー?」
「てめぇ、折角酒に付き合おうって相手になんつー仕打ちだ‥‥ッたく、人が気にしてる事を‥‥」

 わははは、と笑う相手に軽く舌打ちをして、だが素振りだけで本当に怒る訳ではなく、空の酒杯に酒を注ぐ。気にしている事は事実だが、それで本気で怒るほど大人気なくもないし――最初から家族になろうとも思わない。
 頭の上からゴーグルを目の前に下げ、ガラス越しの月をひたむきに見上げていた天河 ふしぎ(ia1037)が不意に、ねぇ、と傍らの友人に呼びかけた。

「月にはホントに兎が居て、お餅をついているのかな?」

 大好きな月の輝く夜空を見上げると、その月の中では兎が餅をついているのだと誰かに聞いた話を思い出す。そんな事が本当にある筈はないけれど、もしかして本当にあるのかも知れない、とふしぎはいつも考えるのだ。
 それはどちらかと言えば独白に近い。話しかけられた統真が、家族の抱き付き攻撃の相手をしながら何か答えたが、酒宴の談笑に掻き消されてしまう。それが最近出来た恋人ではない事に、ちょっとだけ寂しさを覚えたけれど。
 しばし、すすきのさやぐ音を聞いたり濃茶とお団子を食べながら色々に想像を巡らせていた少年は、やがてキラキラ瞳を輝かせた。

「よしッ、決めた。僕、いつか凄い飛行船を手に入れて、お月様や星の世界に行ってやるんだ」
「‥‥そう言えば、最近では月も一つの大陸と考える人もいると聞きます」

 この目で兎の謎を解く、と拳を握るふしぎの言葉が、するりと耳に飛び込んできた万理が、持参のサトウキビの酒を傾けながら呟いた。うん? と高祢が眼差しを向け、アタシは初めて聞くねぇ、と珍しそうに首をかしげる。
 にこ、と万理は微笑んだ。弓術師の彼女は、故郷では「月を射る事」が終着点と教えられた。遥か彼方に輝く月を射抜く――それを目指して日々、弓の鍛錬に励むのだ。
 だが、大陸であるかはともかく、もし本当に飛行船で月に行く事が出来るようになったら。あの輝く月に人が降り立つ日がくるのなら。

「月を射る技術、弓使いの技術なんて取るに足らないものなのかも知れませんね」

 感傷的な万理の言葉に、どうなんだろうねぇ、と高祢はほろ酔い気分で相槌を打った。彼女は実は、ほろ酔い気分になるのは早い。問題はそこからだ。
 黙々と杯を重ね、時に気の効いた冗談など口にしながら、月見酒など楽しもうという者達の周りには、穏やかに降り積もる時間とは裏腹に何とも豪快に空の酒樽が積み上がっている。何しろ、招いた高祢がワクの酒豪なら、やって来て彼女と飲もうという者の中にも酒には自信のあるものがちらほらと。
 新たな酒を持ってきた女性が、あらあら、と空の酒樽を見て苦笑した。風情も吹き飛ぶ酒宴になるか、という予想は半分外れ、半分当たり、というところか。

「月を見ながらと言うのもいいものだな。こういうのは風情を楽しみながら、ってか」
「ええ。今年も良い月夜ですね‥‥」

 着実に酒樽を空にしながら、涼しい顔で風雅 哲心(ia0135)がそう言ったのに、久野都は微笑み頷いた。あまり過ぎた酒は彼の好む所ではないが、ほろ酔い気分でやんわり滲むくらいの月は美しい。
 何とはなしに興が乗って、何なら呑み比べでも大歓迎だ、と冗句を向けた哲心に、女は苦い笑いで「あれはもう良いんだよ」と首を振った。とは言えちょっとやりたくもあった様で、その後、哲心の酒盃が空くや否や高祢が酒を注ぐと言う、羨ましいのか悩ましいのか良く解らない事態になっていたのだが。
 もし呑み比べをと言われたらかわそうと決めていた青嵐は、逆にほっとした様子でその高祢に酌をしてやる。秋の夜はまだまだ長い、楽しむのはこれからだ。肴に用意された料理も手を付けたり付けなかったり、それもまた気の置けない呑みの良い所。

「名月を愛でながらの酒を呑むか、この上ない組み合わせであるな」
「ええ。しかし高祢さん、貴女は月と言うよりは花でしょうね。真紅の曼珠沙華かと」
「何を口説いている、久野都」

 呆れた哲心の言葉ににっこり笑い「美しい月を称えるのと何の変わりも無いですよ」と嘯く男に、やれやれと青嵐が苦笑する。それを世間一般では口説くというわけなのだが。
 不意に、澄みきった月の輝く夜空に、透明な笛の音色が伸びやかに響いた。合わせた訳ではないけれど、橘 琉璃(ia0472)がついと繊手を泳がせ舞い始めたのは同時。
 月下に舞う友人の姿に、やはり酔ってはいなかったか、と神楽坂 紫翠(ia5370)は目を細めて酒杯を傾けた。本人は酔ったなどとうそぶいていたが、踏み足を見れば明らかだ。
 目で責める素振りを向けると、瑠璃は薄く笑って「代わりに、貴方の笛聞かせて下さいよ」と呟く。透明な音色はひどく美しいが、友の音色も懐かしい。

「‥‥ふふ自分の笛は‥‥下手ですので‥‥またの機会に」
「何年ぶりに会ったのですから‥‥」
「いえいえ、あなたの舞を見れて満足‥‥ですよ。しかし、さすが酒、強いですね」
「いや、そんな事無いですよ? たまに、しか飲まないので‥‥そう見えます?」

 またもゆらりと誤魔化す友人に、紫翠もゆらりと微笑み返した。何年ぶりに会ったけれども、まったく変わらない距離感が心地よい。どうかもう一指しと紫翠が言って、あなたの笛でなければと琉璃がかわす。
 その少し離れた場所で、庭に降り立ち月の光を浴びた男が、酒瓶片手に同じ月を眺めていた。この世の真を唄ったと言われる楽は世に多々あるけれど、喪越がこの世を悟るのにはまだまだ早い。精々地べたを這いずり回って、悩み苦しみ悲しみ足掻くしかないのだ。
 どうにも酔いが浅すぎる、と踊りの拍子を取り始めた男は、ふと気付いて庭の隅の大きな石の上に酒盃を載せ、とくとくとくと酒を注いだ。

「森羅万象へ献杯ッと」

 この世を司ると言われる精霊達にも、この良い月をお裾分け。そうしてまたステップを踏み始めた影を、月が静かに見下ろしていた。





 宴もたけなわ、まだまだ盛り上がる者はこれからだが、そろそろ疲れを覚え始めた者は床に入って休もうかと考え始めた頃になって、宴席の皆に配られたのは菊花酒だった。9月9日の重陽の節句には、延命長寿を願って菊の花を酒に浮かべ、呑むという慣わしが伝わっている場所もある。
 それを意識して菊を持ってきた開拓者の提案で、まだ呑む者には少し趣向を変えて、もう休む者には最後に一献、菊花酒としゃれ込もうじゃないか、という訳だ。折しも不穏な空気が聞こえてくる中、互いの無事を祈り合っての祈り酒とするのもまた一興。
 酒の呑めない者には菊花を浮かべた岩清水が配られた。とは言えそちらに手を伸ばしたのはごく僅かで、余り酒は得意じゃないと遠慮していた者もこれはせっかくだから、と酒盃を取った者が多数。
 何に乾杯かと言えば、それは勿論今宵の美しい月に。誰が音頭を取るかと言えば、この宴席を催した酒豪美女。

「難しい事は解らないけどねぇ、ぱぁっとやっておいでよ。そうしてまた呑もうじゃないか」

 何とも酒豪らしい豪快な乾杯に、苦笑しながら開拓者達は菊花の酒を飲み干した。ほんのりと菊の香りが感じられる酒。酒飲みどもは早速そこに新たな酒を注いで、酒の表面に映る月を飲み干し煽る。

「‥‥そちらは大丈夫? 顔が真っ赤だけれど」
「ら、らいりょうぶで‥‥すっ」
「や、やっぱり、止めとけば良かったよ‥‥」
「菊のお酒、甘くはないんですね‥‥」
「何だか眠くなってきたのです‥‥」

 呑めない所を頑張った開拓者達は、ちょっと涙目でそれぞれに感想を漏らしていたのだが。風流を追求するには、色々乗り越えなければならないこともある。どうやら介抱が必要そうだ、と早くも足元が怪しくなった娘に手を貸した男が慣れた手つきで水を飲ませた。
 そんな小さな騒ぎはよそに、宴はまだまだこれからも続く。

「月を見ながら家族と呑む酒‥‥たまにはぁいいもんだぁねぇ」
「ったく、調子の良い‥‥」
「またいずれ、こうやって二人で月見が出来ると良いのう?」
「そう、だな‥‥」

 穏やかに会話を重ねる者達を眺めながら、寄ってきた知り合いを相手に今度はいささか穏やかに月見の酒を楽しみ始めた女が居て、その相手をしながら男はただ酒の素晴らしさを噛み締めている。ちなみにただより怖いものはない、と言う格言もあったりするのだが、それは言わぬが花というものだろう。
 まっすぐな瞳で月を見上げる少年が、柔らかな笑顔で呟いた。

「月の光って、何だか優しい気がするよね」

 次は一緒に見れたら良いのにと、呟いたのはさて、誰を想っての言葉だったのか――天儀の澄み渡る月の宴は、まだこれからもうしばらくだけ、穏やかに時を重ねるようだ。