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■オープニング本文 どこまでも深い青空の下、桜の花弁が舞う夢を見た。 目を覚ました少女――花来は、横になったまま外を見る。少し開かれた障子の向こう側には、真っ青な空が広がっていた。 障子が開かれていると言うことは、今日は暖かいのだろうか。最近は寒い日が続いていたので、障子が閉められている日が多かった。 花来は先程夢に見た、桜の花を思い浮かべる。今年は何故か、花が咲くのが遅れていた。花が咲くのを心待ちにしている、花来の心も知らずに。 花来は一年のほとんどを、この寝室で過ごしていた。体が弱いために、起きあがるのもままならない日が多い。 しかし桜が咲く間だけは、特別だった。何故か調子の良い日が続き、だから桜が咲くと、家族で花見に出かけていた。 母と祖母が作った弁当を広げて、それを皆で囲う。大好きな太巻きといなりと、卵焼きは欠かさず入っているのが、花来にはとても嬉しかった。 いつもは気難しい顔をしている祖父も、酒がはいると陽気になり、すすめられた酒を断れなくて、弱い父はすぐに潰れてしまって。皆で、それを見て笑う。 今は遠い光景に、花来は涙を流した。寝室に寝たきりになって、何日が経っただろうか。症状は回復の様子を見せず、――桜は咲かないまま。 花が咲いたら。大好きな卵焼きの作り方を、教えて貰うもの良いかもしれない。 そんな事を考えながら、花来は再び眠りについた。 今年は本当に桜が咲くのが遅い。花が咲くのを待ち遠しく思っているのは、花来の家族も同様だった。花来の母親は、少しずつ緑に染まり始めた道を歩いていた。 桜が植えられているのは、里から少し離れた場所。土地が悪いのか、里では桜が育たなかった。そして桜が咲く場所へ至る道は穏やかだが、少し歩かなければならない。体の弱い花来が行くときは、本当に調子が良いときでないと、連れて行くことは出来なかった。 桜が咲けば、里からその淡い色が確認できる。しかし今年はなかなかその色を見れないでいる。それを不信に思い、母親はその桜の元へ向かっていた。 若葉は萌え、他の花は咲き始めている。どうして桜だけが咲かないのか。そんな疑問を抱きながら、桜が植えられている場所にたどり着いたとき、母親は息を飲み込んだ。 桜の周りに五体のアヤカシがいる。いつからいるのか、桜の周辺はすっかり瘴気で満ちていた。桜はなんとか蕾を付けていたが、それ以上の気力を失っているように見える。 余りの光景に足がふらつくのを、母親は必死で抑えた。ここで倒れ込んで、アヤカシに見つかる訳にはいかない。それにこのままでは、桜は花を咲かさないどころか、枯れてしまうかもしれない。 アヤカシはまだ母親の存在に気がついていない。今、そっと離れれば、そのまま逃げることが出来る。 はやる気持ちを抑えながら、母親はゆっくりと、その場を後にした。 アヤカシを討てば、桜の花が咲くだろうか。花が咲いたら、あの子は元気になるだろうか。 誰か、誰か。 母親は切に願いながら、ギルドへの道を急いでいた。 |
■参加者一覧
劉 天藍(ia0293)
20歳・男・陰
空(ia1704)
33歳・男・砂
フェルル=グライフ(ia4572)
19歳・女・騎
デニム・ベルマン(ib0113)
19歳・男・騎
劉 那蝣竪(ib0462)
20歳・女・シ
シルフィール(ib1886)
20歳・女・サ
泡雪(ib6239)
15歳・女・シ
九音(ib6318)
27歳・男・泰 |
■リプレイ本文 周りは春の陽気に包まれているのに、桜の樹木だけは蕾が膨らむ様子も見せないでいる。 少女の細い指が差す方向を眺めて、劉 天藍(ia0293)は肩を落として呟いた。 「せっかくの桜の季節なのに桜が咲かないなんて勿体ないな」 天の言葉に、ゆっくりと指を下ろした花来の表情も曇る。いつもなら、ここから満開に咲いた桜の淡色を眺めることが出来る。 直接見に行くことが出来ないとき、花来はここから桜を眺めていた。 「うん‥‥。桜だけ、咲かないの」 「何とかしなきゃな」 俯いた花来が、天藍の言葉で顔を上げる。桜を見つめている愛想のない横顔と発せられた言葉の差に、思わず目を瞬いた。 「そうですよ」 ふわりとメイド服をなびかせて、泡雪(ib6239)がぎゅっと拳を握りしめる。 「折角の花見を台無しにするなど、不躾なアヤカシですね」 「ええ。花を枯らそうとは、無粋極まりないです」 泡雪の言葉に、デニム(ib0113)が同意を示す。それに九音(ib6318)も頷いた。 「無粋な真似をする奴は潰さないとなぁ」 「無粋ですし、なにより人里に近いです。悲劇が生み出される前に、退治します!」 凛と言い放つデニムの姿を、花来は眩しく感じていた。デニムは、‥‥デニムだけでなく、ここにいる人たちはとても遠くを見ている気がする。 それは目標だったり、夢だったり。もしかしたら過去なのかもしれない。しかし自分の体もままならない花来は、つい俯いてしまうので、遠くを見ているその姿が胸に焼き付いてくる。 「では、不躾なアヤカシには、お引き取りいただきましょうか」 張りつめ始めた空気の中で、静かに泡雪が花来に向かって微笑みかけた。それで花来は、自分自身も空気に飲まれて、強ばっていたことに気がついた。 「は、はいっ」 「‥‥桜ねぇ。武天で二年程は過ごしたけど、やっぱり桜のような樹木での花見はしっくりこないわ」 ぽつりと呟くシルフィール(ib1886)の言葉に、空(ia1704)もやるせないように明後日の方向を見る。 「はァ、俺の知り合いにも情緒がどォだの、風情がこうだのと煩ェ奴が居るが、どうにも俺にャァ理解できんなぁ」 二人の意見に、花来は目に見えて慌て始めた。ぐるぐるする花来の姿を見て、空は小さく笑い声を零す。 「人の夢と書いて儚いッたァ良く言い現したモンだ」 しかし笑っている空の瞳の奥は、少しも笑っていないことに、花来は気がついた。 「ま、こういう日常に近い夢を叶えるのに必要なのは結局の所、愛でも希望でもなく金の力な訳だがな。夢もへッたくれも無ェが、真実努力の形の一つだろうよ。平民にとッちャァ金もな」 意味が捉えきれずに固まる花来を横目で見て、シルフィールが言い足す。 「請け負った依頼なら、手は抜かないわ。‥‥私の場合は、それであなたの支えを守れるというなら、やる気がでてくるけれど」 「考え方や思いは、人の数だけ存在します。大丈夫、みんな花来ちゃんの願いを叶えるために、ここに居るんです」 そう言ってフェルル=グライフ(ia4572)は花来の前に歩み出ると、腰を折って花来と視線を交えた。 「私は、桜が大好きなんです。辛い季節を越えて咲く花‥‥満開の桜を見ると、どんな事があっても、その先に希望があると信じさせてくれるから」 「そうね。花来ちゃんや家族にとって大切な桜と、毎年の心安らぐ幸せな風景を、過去の思い出だけにはさせない。‥‥今年も、来年も、ずっと桜は咲くのよ」 フェルルに続いた緋神 那蝣竪(ib0462)の言葉に、花来は面映ゆそうにする。その姿を優しく見つめて、那蝣竪は目を細めた。 「私達は必ず桜を守るから、花来ちゃんも信じて待っててね。桜の木と‥‥いつか花来ちゃんが自由に野を駆けることが出来るようになる事も」 嬉しさに頬を赤く染める花来の小さな頭を、フェルルが撫でる。 「ここから見ててね‥‥桜、すぐに咲くからっ」 「‥‥うんっ。よろしく、お願いします」 皆を信じて待つ。自分の中に生まれた確かな信頼を感じて、花来はようやく笑顔を浮かべる事が出来た。 桜の木は、アヤカシが放つ瘴気に覆われていた。その根本では、泥の塊のようなアヤカシが、体を震わせながら蠢いていた。 「ひどいな」 思わず九音が呟く。シルフィールも煩わしそうに、瞳を細めた。 「桜を傷つけずに、という部分がちょっと厄介ね」 「じゃあ、まず俺が白狐で敵を引きつけよう」 天藍はそう言うと、白狐を召還する。九尾を持つ白狐は、その大きな体躯で軽やかに駆けると、粘泥の前に立つ。そしてその体に大きな爪をたてた。 引き裂かれた粘泥の傍にいた二体の仲間は、粘着質な音を響かせながら、敵意を剥き出しにして白狐へと這い寄っていく。しかし野原の反対端にいるアヤカシは気にならなかったのか、動く様子を見せない。 「向こうは私が!」 フェルルはそう言うと、一歩踏み出して、大地を踏みしめた。 「そこで瘴気を散らしていると、春が来ないんです‥‥そこから離れて下さいっ!」 言い終わると同時に、フェルルは咆孝で大きな雄叫びをあげた。大地を震わせる程の声に、二体のアヤカシはフェルルの方に進み出した。 それにあわせて他の開拓者達も、桜から離れた場所に誘導するべく動き出す。 粘泥の前に立ちはだかり、空は舌打ちした。白狐に傷を付けられた粘泥は、いつも以上に動きが鈍い。打ち倒せそうだが‥‥出来るなら、気に入りのナイフは汚したくはない。 「‥‥ッたく、打撃が効き難ェのは面倒だな」 呟いた空の、手にしている忍刀「蝮」が、透き通った瑠璃色の光を帯びる。その刀を空は、粘泥の体片が散らばらないように突き立てる。それでも近づいてしまえば、泥の跳ね返りが発生する。 「あ゛ぁ゛、髪に泥が付いただろうが!」 声を荒げて距離をとると、アヤカシは瘴気を放ちながら、体を崩していく。その様子を眺めながら、空は小さく首を横に振った。 「悲鳴も何もねェと、達成感が無ェわ。‥‥口が無ェアヤカシ相手だと、いつもの事だがな」 そう言っている間にも、他の粘泥は開拓者に向かって進んでいく。アヤカシの気を引き寄せる為に、那蝣竪とシルフィールは前に出た。 後ろには、陰陽師の天藍が控えている。正直男なんて守りたくないと思いつつ、シルフィールは粘泥に備える。これは引き受けた依頼であり、陰陽師の術は瘴気の浄化で必要になってくる。 一つ溜息をついて気持ちを切り替えたシルフィールは、前を見据えた。そこで那蝣竪は、一体の粘泥の気を引きつけていた。 那蝣竪が印を結ぶと、掌に雷の手裏剣が創られる。それを投げつけられた粘泥は、体を大きく震わせながら動かなくなった。それを見て那蝣竪が一息ついたとき、粘泥は嘘のような早さで那蝣竪に襲いかかってきた。 思わぬ攻撃を、那蝣竪は耐える。この攻撃さえ耐えてしまえば、また粘泥の早さは元に戻る。 「今よ!」 「はぁっ!」 粘泥の動きが鈍った所で、那蝣竪が叫ぶ。その声と同時に、シルフィールが両手で握りしめた太刀を、気合いと共に渾身の力で振り下ろした。アヤカシの体が両断される。 一方では、泡雪が粘泥と向き合っていた。しかしその姿は、メイド服からいつの間にか忍び装束に替わっていた。 「いつの間に‥‥」 「それは乙女のマジックです」 九音の呟きに、泡雪はにっこりと答えてみせた。そして泡雪は、手裏剣を素早く正確に、粘泥に投げつけていく。 「鬼さん、こちらでございますよ」 粘泥が動き出したのを見計らって、泡雪はその周りを動き回りながら、アヤカシをさらに桜から引き離していく。 九音は入れ替わるように、泡雪の前に出た。素早い動きを生かして、不定形な体に拳を当てていく。通常ならここで相手はバランスを崩すのだが‥‥拳の圧力で不規則に揺れる体は、思いの外粘泥を動きにくくしている様だった。 その横ではデニムが盾を使い、粘泥の足を止めている。作られた隙を活かし、フェルルは精霊の力を借りて清浄なる炎を生み出した。 「この焔はアヤカシが嫌がる火です。その姿が泥なら尚更のはずっ!」 浄炎は粘泥を包み込むと、その体を焼いていく。その炎が落ち着く瞬間を見計らって、デニムは殲刀で粘泥を切り裂いた。 切り裂かれた粘泥と、燃え尽きた粘泥の体が同時に崩れる。その他に、蠢く姿はもう見えなかった。 アヤカシを討っても、桜の木は心なしか元気がない。暫く周囲に満ちていた瘴気の影響を、まだ受けているのかもしれなかった。 「‥‥はァ、まどろッこしいな」 溜息をついて、空は手に取った刀を鳴らした。白梅香は瘴気を浄化するが、それは対アヤカシで発揮される力。 「こういうのは、詩人の役目だろうが」 ぶつぶつと呟く空の横を通り過ぎて、天藍がその前に出た。 「ここは俺がやろう。‥‥詩人じゃないけどな」 そう言って天藍は、大地に手を付くと、不思議な言葉を口にした。彼が発しているのは真言。仏や菩薩などの真実の言葉の働きによって、周囲に満ちていた瘴気が天藍の元に集められていく。 色んな力があるモンだと空が眺めていると、そこへ泡雪が腕に酒を抱えて現れた。 「まだ花も咲かねェってのに、早速酒飲みッてか」 「いいえ、そうではなくて」 呆れたように声をかける空の言葉を、泡雪は静かに否定する。 「このような時の為に、御神酒を用意しました。これで少しでも桜を清められればと思いまして」 泡雪には瘴気を浄化するための、適した術を手にしていない。その為、神社でお払いをしてもらった酒を事前に用意してきていた。 それを手にして、泡雪は周囲に酒をまき始める。 「早く元気になって咲いてくださいませ。あなたの開花を待ち望んでおりますの」 「お願い、瘴気に負けないで。‥‥その綺麗な花を、皆に見せてあげてっ」 桜の木に呼びかけながら、フェルルはその幹に掌を触れさせた。フェルルの放つ白霊癒の淡い白光が、掌から桜の樹木へと伝わっていく。 その様子を、瘴気を回収し終えた天藍が、立ち上がって眺めていた。 「もうアヤカシは去った。安心して花をつけるといい」 天藍の言葉に応えるように、桜の枝が風になびいて揺れている。よく目を凝らしてみると、その枝には小さな蕾が育っていた。 「君が咲くのを、とても楽しみにしている一家の為にも、綺麗に咲いて欲しいな」 桜に話しかけていた天藍は、自分に注がれる視線に気が付いた。訝しげに見てくるシルフィールの視線に、天藍は居心地の悪さを覚える。 「‥‥何か?」 「男の言葉には裏か下心があるって決まっているわ。つまり‥‥」 言葉が空々しいと、言外に彼女は伝えた。しかし、シルフィールも桜を見上げる。 「綺麗に咲けば、きっと彼女も元気になれるわね」 小さな野原を囲むように立つ桜の花が咲けば、圧巻の風景になるだろう。それを見る花来の表情が、簡単に想像できた。 「瘴気の方は落ち着いたようだし、僕は整地をしましょうか」 辺りを見渡して、デニムがそう口にする。よく見ると、先刻の戦闘で地面が所々凸凹になっていた。これでは座り心地が悪くて、ゆっくりと花見は楽しむ事が出来ない。 「デニム。俺も手伝うよ」 地道に地面をならしていくデニムの傍らに、九音が駆け寄った。二人で黙々と作業をして、整地を進めていく。 粗方ならしたところで、九音が大きく息をついた。 「これでようやく、気分良く花見ができるなぁ」 そう言って天を仰いだ九音は、視界の隅で淡色が掠めた事に気が付いた。一枝だけだが、桜が花を咲かせている。 「ほら、あれ。咲いてるぞ」 九音が指差す方を、全員が見つめる。そこで那蝣竪が、静かに言った。 「‥‥満開になった頃に、花来ちゃん達と、ここにいる皆で花見をしない?」 目を閉じて、咲き誇る桜を那蝣竪は想像する。 「お弁当を持参して‥‥ちらし寿司、筍の煮物、菜の花のお浸し、桜えびの掻き揚げとか。花来ちゃんの好きな卵焼きの作り方も習っておきたいわ」 「それなら私は、お花見の彩りに、桜餅を用意したいですっ」 那蝣竪の提案に乗ってきたフェルルと視線を交えて、二人は笑いあった。 「いいわね。飲める人には、花濁酒も振る舞っちゃおうかしら」 「お酒は静かに飲む方が好きなのですが‥‥、宜しければ自家製のお酒をご用意しますよ?」 酒好きの泡雪も加わって、話が弾んでいく。酒の話に、空の耳がピクリと動いた。 「花見にャァ興味は無ェが‥‥美味い酒が飲めるなら文句は無ェなァ」 「その時は、桜の前にも杯を置きたいな」 空に続く天藍の言葉に、そっと那蝣竪は彼に近づいて、その腕に自らの腕を絡ませる。 「天藍君が酔ったら、私が膝枕をしてあげるから。その時はゆっくりして良いわよ?」 那蝣竪の醸し出す色香に、天藍の体が硬直する。しかし少し緩んだその顔を見て、シルフィールはつまらなさそうに顔を背けた。 「なーんて、もぅ、固まっちゃって可愛いんだからっ」 楽しそうにからかう、那蝣竪の声が響く。その平和な光景を眺めていたデニムの元に、桜の花びらが一枚、ひらひらと舞い降りてきた。 その花弁に誘われるように、デニムは手を伸ばす。収まるべく収まるように、桜の花びらはデニムの掌の上に降りてきた。風で飛ばされてしまわないように、デニムはそっと花弁を手の中へ囲う。 そして彼は、皆に向かって告げた。 「じゃあ、そろそろ依頼主の所へ参りましょうか。きっとお嬢さんも、心待ちにしているでしょうから」 皆が見つめるなかで、デニムは花来が居る里の方へ視線を向けた。 アヤカシを討った事を報告すれば、里の人達も安心するだろう。そしてこの花弁を花来に渡して、彼は告げようと思っていた。 ――今年の春を、お届けに上がりました、と。 |