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■オープニング本文 降りてくる夜の帳に紛れて、うずくまる小さな影がある。人気の無い道の隅で、震えながら浅い呼吸を繰り返していた。 「‥‥陸?」 その影を遠目に見つけた少年が、小さく呟く。そして、恐る恐るその影に近づいた。その体に、小さな手を伸ばす。 影は警戒心を露わに唸り声を上げ、少年は咄嗟に手を引っ込めた。少し体を動かすだけで、影からは瘴気が溢れ出し、体は崩れ落ちそうになる。 そこに横たわっていたのは、紛れもなく犬の姿を模ったアヤカシだった。恐ろしい筈の存在に、だけど少年には懐かしいものが込み上げる。 「陸だ‥‥。陸が帰ってきた‥‥!」 『陸』、それは少年が幼い日に亡くした、飼い犬の名前だった。 開拓者を目の前にして、その女性、千早は深々と頭を下げる。彼女からの依頼は、少し変わったものだった。 アヤカシ退治、それだけであれば恒常的に依頼は存在する。しかし対するアヤカシは、息も絶え絶えで今にも消えそうなのだと言う。 獣の姿をしたものは群れる。いつ仲間を呼ぶか分らないから、そう言われれば納得も出来ないことも無い。だが。 「お願いです。疾風を、息子を助けてください」 涙声で、千早は懇願した。 最初にそのアヤカシを見つけたのは疾風なのだと、千早は説明した。疾風は「陸が帰ってきた」と言って、嬉しそうにはしゃいでいた。 千早は、それはアヤカシなのだから、と彼に諭した。しかし彼は、陸がアヤカシとなって帰ってきたのだとの一点張りで、アヤカシの介抱を始めてしまった。 「陸は昔飼っていた犬の名前で、疾風とはまるで兄弟のようでした。ある日、陸はアヤカシに襲われた疾風を庇って、そのまま‥‥」 あの日の疾風の悲嘆を、今でも千早はありありと思い出せる。溢れてきた涙をこらえ、彼女は肩を震わせた。 「自分のせいだと、疾風は今でも‥‥。それを思うと、あの子に何も言えなくなってしまって‥‥」 それでも、アヤカシはアヤカシ。早く手を打たないと、疾風自身が危険になる。 「こんなのは筋違いだと思いますが。お願いです、どうかあの子を」 出来るならば、あの子の心を。 万感の想いを胸の内に抑えて、母親の顔をした千早は、もう一度深々と頭を下げた。 |
■参加者一覧
鬼啼里 鎮璃(ia0871)
18歳・男・志
衛島 雫(ia1241)
23歳・女・サ
乃木亜(ia1245)
20歳・女・志
香狩 レキ(ia4738)
19歳・女・志
神鷹 弦一郎(ia5349)
24歳・男・弓
輝血(ia5431)
18歳・女・シ
流星 六三四(ia5521)
24歳・男・シ
青禊(ia7656)
17歳・男・志 |
■リプレイ本文 土間の隅で、疾風は奮闘していた。 白い筈の包帯は、何度替えてもどす黒く汚れてしまう。それでも疾風は、何度も何度も包帯を取り替えていた。 目の前には、苦しそうに横たわる犬の姿をしたアヤカシがいる。これでも以前と比べたら、随分具合が良くなった方だった。 アヤカシが、『陸』が、体を起こす。甘えるような仕草を見て自然に伸ばしかけた手を、途中で疾風は止めた。陸の体から染み出すように出ている瘴気に、思わず目を逸らす。 その様子を、千早によって家に案内された鬼啼里 鎮璃(ia0871)と乃木亜(ia1245)、そして衛島 雫(ia1241)が見ていた。 「‥‥今すぐ疾風君を襲う訳ではなさそうですけど、このままじゃ‥‥」 「ええ、良くないですね」 乃木亜の言葉に、鬼啼里が応える。衛島はひとつ頷いて、千早を見た。 「じゃあ私は、千早を安全な場所へ」 そう言われ、千早は何かを言おうとしたが、結局何も言わなかった。乃木亜と鬼啼里に向かって、頭を下げる。 「疾風を、お願いします」 千早と衛島が家から出て行くのを見送り、残された二人は疾風と向き合った。アヤカシを背に庇う子供は、警戒心を露わにした眼をしている。 「疾風君‥‥」 「こんにちは、疾風君。‥‥お母さんから聞いてるでしょう?」 そう言って鬼啼里は、膝を折り疾風と視線を合わせる。 事前に千早は、「偶々ここに来ていた開拓者に、陸の事を相談した」と、疾風に告げていた。そして、どうするべきかを一番分かっているのは疾風だから、と。 その時、何かを耐えるような目をして、千早は疾風を抱きしめた。 「‥‥疾風君はそのアヤカシを、どうしたいんですか?」 問いかける鬼啼里に、疾風は視線を逸らす事なく対峙する。剥き出しの心のような視線は、想像よりも棘を孕んでいた。 「陸は俺が守るんだ。今度は絶対に!」 「で、でも」 乃木亜が口を開いた時、ふいにアヤカシと目が合った。途端に震えだす体を、乃木亜は叱咤する。――疾風が、見ているのだから。 「たとえ陸だったとしても、アヤカシは、アヤカシでしかないんです」 「アヤカシは人を襲うものですよ。疾風君を護り通した陸が、そんな存在になる事を望むでしょうか」 静かに諭す鬼啼里の言葉に、疾風の瞳が揺らいだ。しかしその目は、直ぐに後悔の色に染まる。 あの時、守られてばかりいなければ。自分がアヤカシに立ち向かえていたら、もしかしたら今でも陸は―― 「‥‥ここにいるのは、陸、だよ。陸だから、大丈夫なんだ!」 疾風の頑なな姿勢に、乃木亜は鬼啼里を見た。頷いた事を確認して、自身の刀で指先を軽く切る。玉のように滲み出てくる血はポタポタと落ちて、床に赤い染みを作っていった。 途端に、アヤカシの様子が変わる。血の匂いに誘われてゆらりと立ち上がると、喉を鳴らして大きな口をゆっくりと開いた。 「り、陸っ、駄目だ!」 疾風の静止など、もうアヤカシには届いていない。アヤカシの気が乃木亜に注がれている隙に、鬼啼里は回り込んで疾風を背中に庇う。 陸を、『家族』を想う疾風の姿を、乃木亜は見つめた。そして自分の家族を思い出す。 アヤカシに奪われて、二度と戻らないもの。 「疾風君。‥‥アヤカシは、退治しなくちゃいけないんです」 この集落の長宅は、集落のほぼ中央に建っていた。衛島について歩きながら、千早は何度も後ろを振り向いた。 「疾風が心配か?」 衛島の質問に、千早は瞳を伏せる。 「‥‥叶うなら、あの子の傍に‥‥」 小さな声で答えた千早の言葉が、ふいに止まった。衛島は直ぐに、千早が何を見ているか気付く。 衛島に注がれる千早の視線。衛島の体には、アヤカシとの戦いによる無数の傷跡があった。 「アヤカシと対峙すれば、開拓者とて無傷でいるのは難しい。‥‥だから、千早の要求には応えられない」 すまないと謝罪する衛島に、千早は首を横に振った。 ただ千早の望みを叶えるだけならば、出来ない事もない。しかしそれは、千早の身の安全を保障するものではなかった。 疾風を想う千早が傷を負えば、疾風はさらに心の傷を負いかねない。まして千早をみすみす危険に晒す事は出来なかった。 彼女が保護すべき一般人だから、と言うだけではなく。誰かを想い自分の心を痛めるその姿に、傷など負わせたくはない。 二人が黙々と歩いていると、上から明るい声が降ってきた。 「衛島ちゃ〜ん! 首尾はどうだァ?」 目前の長宅の屋根の上に人影がある。流星 六三四(ia5521)が軽快に腕を振っていた。 「今、鬼啼里と乃木亜が疾風と向き合っている。途中で会った神鷹と青禊にも伝えてきた」 「そっか」 衛島の報告を聞きながら、流星は手帳を取り出した。神鷹 弦一郎(ia5349)と青禊(ia7656)は、村内の警護にあたっている。 「香狩ちゃんと輝血ちゃんは外からのアヤカシを警戒してるぜ。集落の北の方でアヤカシを良く見るって言うからさ、要注意だな」 「わかった。私も今からアヤカシの哨戒にあたる」 「ああ、宜しくなァ」 頷いた衛島は、踵を返して颯爽と歩いていく。そのピンと張った背中に、流星は思わず口笛を贈りたくなった。 下から不安そうに見上げてくる千早と目が合った流星は、シノビの身軽さで屋根から飛び降りた。 「疾風くんは絶対に守るし、怪我もさせない。だから‥‥もう少し待っててくれよな」 母親に子供の心配をせずに安心しろと言うのは無理な相談だろう。そう思った言い回しに気が付くものがあったのか、千早は少しだけ微笑んだ。 「信じて、待ってます。‥‥皆さんも、無理をしないで」 そう言って頭を下げた千早は、長宅へと入っていく。一通り事が片付くまで、千早は長宅で待機することになっていた。 「‥‥上手くいくと良いなァ」 祈りを込めるように呟いて、流星は空を見上げた。 血の匂いに誘われて、アヤカシは乃木亜との間合いをじりじりと詰めていく。乃木亜が息を飲み込んだ瞬間、アヤカシは彼女に襲い掛かった。 乃木亜はガードでそれを受け止める。アヤカシの勢い後退するも、何とか耐え抜いた。 その間に小刀に練力を注いでいた鬼啼里は、アヤカシの勢いが収まった隙を狙って流し斬りを放つ。力はアヤカシの横腹に当たり、その体を吹っ飛ばした。土間に倒れたアヤカシはぐったりとして動かない。 これで終わったと思った瞬間、アヤカシは気力で立ち上がり、ふらつく足で外へ逃げ出した。体勢を崩していた乃木亜に、対応は出来ない。 直ぐに体を起こし、アヤカシを追いかける。鬼啼里も続こうとしたが、ちらりと見た疾風の様子に足を止めた。 邪気に当てられたのか、疾風の顔には色がなく、体がカタカタと震えている。鬼啼里は疾風の腕を掴んで、彼の気を自分に向けようとした。 「疾風君。疾風君はここにいて下さいね」 軽く体を揺すってみるものの、疾風は反応を示さない。その様子が心配ではあったが、アヤカシが出て行った今、疾風に対して危険はないと判断して、鬼啼里もアヤカシを追いかけた。 疾風もフラフラと外へ向かう。虚ろな視線の先には、恐ろしい形相で逃げるアヤカシがいた。 ――『アレ』は、陸じゃない。 疾風の中に、ストンとひとつの答えが落ちる。 恐ろしいアヤカシ。手負いの獣は、集落の人間を襲うかもしれない。自分の、我侭のせいで。 乃木亜と鬼啼里が、アヤカシの後を追っていた。 「‥‥けて」 肺の中の空気を使い切ってしまう勢いで、疾風は叫んだ。 「そのアヤカシを、やっつけてっ!」 疾風の声が響く。その声は近くまで戻ってきていた衛島の元まで届いた。 「――私が行く」 駆けつけた衛島は、アヤカシの姿を捉えて正確な位置を確認する。間合いを計り、刀を構えた。 逃げられないと観念したのか、アヤカシは衛島に向かって飛び掛る。自ら足を踏み出し紙一重でそれをかわした衛島は、アヤカシの腹に向かって刀を振り上げた。 アヤカシは悲痛な声を上げて、その場に崩れる。それが『陸』と呼ばれていたアヤカシの最後だった。 獣の最後の声は、集落の外にまで響いた。その声を耳にした香狩 レキ(ia4738)は、集落の様子を気配で伺った。 「終わった、か?」 呟いた香狩の言葉を否定する様に、目の前の茂みがガサガサと揺れる。その影から、犬の姿をしたアヤカシが二体現れた。 「‥‥あのアヤカシの仲間か?」 緊迫した空気の中、香狩はアヤカシと距離を測りながら、刀を構えて呼子笛を鳴らす。一呼吸置いて、香狩は手にした刀を鳴らした。 「傾倒者、訃都魔不知火の弟子、香狩レキ、参る!」 香狩の口上を皮切りに、二体のアヤカシは襲い掛かってくる。 獣の動きは素早い。しかし直線的で単調な攻撃を、香狩は刀で受け止める。僅かな時差をつけて、もう一体も香狩に襲い掛かった。 目の前の一体をなぎ払いながら、もう一体も斬りつけようと、香狩は力を込める。しかし襲いかかってくる筈のアヤカシは、不自然な軌道を描いて横に逸れた。 香狩が受け止めていたアヤカシも、突然鳴声を上げる。見ればアヤカシの背に、手裏剣が刺さっていた。 「流星六三四ただ今参上!」 「香狩さん、大丈夫か」 呼子笛に駆けつけたのは、青禊と流星だった。口の端を上げて、香狩は応える。 「ああ」 手裏剣の攻撃を受けながらも香狩しか見ていないアヤカシを振り払い、香狩は素早い踏み出しで打ち払った。 青禊も、もう一体のアヤカシの腹へと刀を突き刺す。暫く痙攣した後、アヤカシは息絶えた。 「‥‥他の皆は、大丈夫だろうか」 刀を納め、青禊は周りを伺う。今の所、他のアヤカシはいない様だった。ただ他の仲間の姿見えない事が気になる。 「嫌な予感がするな」 ぼそりと、香狩は呟いた。 呼子笛の音が聞こえてきた。集落の東口でアヤカシの警戒をしていた輝血(ia5431)は、その音に耳を澄ませる。 「村の外‥‥北の方かな」 北の方角の方がアヤカシの目撃が多い。東の警戒は念の為だった。直ぐに応援に駆けつけようとした輝血は、シノビの直感で足を止めた。 気配を殺して構えていると、犬の姿をしたアヤカシがのそりと現れる。獣の姿を持つアヤカシは、その獣の習性をも持つという。そして狼の血を引く犬は、群れる動物だった。 「あっちは囮とか? 実は『陸』が偵察役だったりする?」 軽口を叩きながら、輝血は鉄爪を鳴らす。しかしアヤカシを見つめる瞳は真剣そのものだった。呼吸を整え、タイミングを計る。 向こうの状況が分からない以上、下手に応援を呼んで戦力を分散させる訳にはいかない。そして、こっちの相手はアヤカシただ一体。 (「先手必勝で一気に決める」) 輝血はアヤカシの懐に飛び込んで、鉄爪を振り下ろした。その手応えに一瞬顔を顰める。それなりの手傷は負わせたものの、一撃で堕とすには至らなかった。 アヤカシは軽い足取りで体勢を整える。急いで輝血も構え直すが、アヤカシの足は地面を離れていた。飛び掛ってくるアヤカシの影で、輝血の頭上が陰る。 しかしその影は直ぐに晴れた。倒れたアヤカシの急所に、一本の矢が刺さっている。振り向いた先で、神鷹が矢を番えていた。 「大丈夫‥‥か」 言葉少なに安否を確かめてくる神鷹を、輝血は見上げる。 「あたし一人でも大丈夫だったんだけどね」 暫く神鷹を見つめていた輝血は、「なんてね」と明るく付け加えた。表情の少ない神鷹が、僅かに目を見開く。どうやら先の輝血の言葉に、怒っていた訳ではないらしい。 「助かったよ、有難う。‥‥でも、笛の方に行かなかったの?」 「‥‥行った先で、輝血さんの姿が見えなかった。向こうには青禊さんと流星さんがいたから‥‥」 「そっか」 輝血は神鷹からざっと状況を聞きだすと、周囲を見渡して後続のアヤカシが現れない事を確認する。 「もう大丈夫そうだね」 輝血の言葉に、神鷹も首肯する。輝血も頷いて、神鷹の脇をすり抜けた。 「戻ろう。あの子の問題は、きっとまだ片付いていないから」 瘴気となって消えていくアヤカシの体を、疾風は黙って見つめていた。 「疾風君‥‥、陸のお墓を作ってあげましょう?」 乃木亜の提案に、疾風は首を振った。 「陸じゃないし‥‥、陸は、何も残らなかったから」 虚ろで何も映していない様な疾風の瞳は、泣き叫ばれるよりも痛々しい。疾風に寄り添い、鬼啼里も声をかけた。 「陸は疾風君の命を守って、残したんですよ。陸が残したものは、疾風君の内にあるでしょう?」 その言葉に、ゆっくりと疾風が顔を上げる。 「それなら、あたしが」 疾風達の元に、輝血と神鷹が現れる。疾風の傍に来た輝血は、火遁の術を行使した。残りのアヤカシの体を塵にして、天に届く勢いで火柱が上る。 「浄化の炎、陸の弔いだよ。‥‥偽者とか本物とかじゃなくて、陸を守りたかった君の気持ちを大切にする為の」 「そうだ。貴様には守るべき者が他にもあるだろう? 陸を守れなかった分、守ってやれ」 輝血の言葉を、香狩が引き継いだ。戻ってきた香狩、青禊、流星の傍には、千早の姿もある。流星は手にしていた竹槍を、疾風に渡した。 「コイツをやるよ。‥‥いいお母さんだな。もう悲しませたら駄目だぜ?」 竹槍を受け取った疾風に、千早が駆け寄る。千早は疾風の体に触り、怪我がない事を確かめた。 「良かった、疾風‥‥! 本当に‥‥っ」 「母さん‥‥」 千早の瞳から、大粒の涙がこぼれる。抱きしめられた疾風は、自分の胸が温かくなるのを感じていた。 「アヤカシは負の感情を好む。そしてそこに付け込む奴もいる。‥‥あまり、自分を責めるな」 そう言う青禊に同意して、衛島も頷く。 「紛い物に騙されずに前を向け。陸もそう望む筈だ」 疾風は不器用に頭を撫ぜる感触に、上を見上げた。神鷹の何かを言いたそうに口篭る姿がどこか可笑しくて、顔をクシャクシャにして笑う。 「あり‥‥が、と」 そのまま、疾風は声もなく泣き出した。そんな疾風を、千早はきつく抱きしめる。その様子を開拓者たちは、それぞれに見守った。 最後に不器用に笑った疾風。だが近いうちに、本物の笑顔を取り戻せる。そんな確信が、全員の心の内に湧き上がっていた。 |