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■オープニング本文 ●失われた伝統 朱藩の南に位置する小さな村。そこには、小規模ながらも評判のいい工場(こうば)があった。 主な生産品は木工品などの伝統細工。長い年月をかけて守られ続けてきた、この工場のみが作れる品々だ。 熟練した技を持つ職人たちが日々、狭い工場にひしめきながら、受け継がれてきた腕を振るう。 その日も、そんな変わらない一日になるはずだった。 「あっ!」 決して大きな声ではなかったが、誰一人声を発さない静かな工場に響き渡るには十分な声だった。 誰が聞いても驚きの声だとすぐわかる。大きな動揺を含んだ一言だった。 「どうした、なにがあった?」 工場で一番の経歴を持つ、通称『親方』と呼ばれる男が、重い腰を上げてゆっくりと、声を発した若い職人、総太の元へ向かう。 「親方‥‥すみません、カンナが‥‥」 総太の手に握られた古びたカンナ。その刃は、一目でわかるほどに大きく欠けていた。 「なんてことだ、それは‥‥」 集まってきた職人たちの一人が思わず言葉を漏らす。 欠けたカンナは、この工場が創設されたときから使われ続けてきた、工場の職人全員が神格化していた一品だった。 この工場には、そのカンナを必ず使って作らなければならない、ある工芸品があった。 襖の木枠。 ただの木枠ならばどんなカンナを使おうとも関係ないのだが、この工場で作っている木枠は特別だった。否、正確には、木枠を作るための『カンナ』が特別だったのだ。 精霊の加護を受けた特殊な石。 その石を削りだして作られたのが、先ほど総太の手の中で無残にも欠けていた、あのカンナなのだ。 このカンナを使って作られた木枠には精霊の力が微弱ながら伝達し、襖として使用している間も、その力が働き続けるのだ。 寒い日には室内の熱を閉じ込め、暑い日には、室内の熱を逃がす。 また、不審者が侵入してきた際には自らを軋ませて警笛とする。 そんなものがあれば瞬く間に天儀中に広まりそうなものだが、この工場の拘りで、極僅かな限られた相手としか取引をしていないため、ほとんど世に知られてはいない。故に生産数も限られているが、それでもこの製品は、この工場の看板だった。 「‥‥これではもう、襖は作れないな」 研いでどうにかなるような状態ではないのは一目瞭然。親方は総太から受け取ったカンナをじっと見つめながら呟いた。 「なんてことだ。うちの工場の自慢の品が‥‥」 「石を調達することはできないのか?」 「精霊の加護を受けた石は、魔の森の近くにある洞窟で採掘されたそうだ。調達に行くには困難すぎるし、そもそもまだ存在しているのかすらわからないんだ」 早くも諦めの雰囲気に工場が満たされていく中、親方だけは、表情を変えなかった。 そっとカンナを作業台に置き、申し訳なさそうにうなだれている総太の肩に手をやった。 「しょげてても何も始まらん。襖は作れなくなった。ならやることはなんだ? まずは納品予定だったお客さんとこへお知らせして、代わりの品を用意して差し上げることが先決だろうが」 親方の静かな一喝を受け、職人たちは慌しくそれぞれの仕事へと引き返していった。一部の職人は、納品先への連絡の手はずを整え始めている。 総太だけは、しばらくの間その場から動けずにいた。 ●責任の行き先 「‥‥親方、この件、俺に任せてもらえませんか?」 皆が慌しく動く中、そっと親方のもとへ近づいてきたのは総太だった。 「‥‥物は壊れるもんだ。お前の使い方に間違いはなかったはずだ。だからお前が責任を負う必要は無い……が、お前がやりたいのなら、好きにしろ」 自身の作業を止めることなく、親方は落ち着きを崩さずに言い放った。 総太は、陰気な表情に無理やり力を込めて、力強くうなずいた。 そして一目散に走り出し、工場に併設された寮の自室へ駆け込んだ。 「確かここに‥‥あった!」 総太が物入れの奥から引っ張り出したのは、修行時代に書きとめた無数のメモだった。 その中から一枚の紙切れを取り出し、しばらくの間じっと見つめ続け、やがて誰にでもなくうなずくと、再び立ち上がって駆け出した。 彼の手に握られていたのは、精霊の加護を受けた石が採掘されたという洞窟の位置を示す地図。 彼が向かった先は、工場の看板商品を取り戻すことができるかもしれない、かの者達が集う場所だった。 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
胡蝶(ia1199)
19歳・女・陰
蔵 秀春(ic0690)
37歳・男・志 |
■リプレイ本文 ●集う 依頼を受けた開拓者四名は、依頼主である総太の案内のもと、工場へと足を運んだ。 待ちかまえるかのようにしていた職人たちの視線を一身に受ける四人は、その鬱屈とした圧力に小さく驚きこそしたが、それを周囲に見せることはなく、堂々と工場へ踏み込んだ。 「よくもまぁここまで落ち込めるものだ。よほどそのカンナに頼っていたのだろうな」 職人達に気を使うことも無く、鬼島貫徹(ia0694)はあえて彼らの気持ちを煽るかのようにニヤリと口元をゆがめて言った。 項垂れていた職人達の頭がピクリと動き、いまだ消えてはいないプライドの篭った目で鬼島を見やった。 「まずはそのカンナを拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」 険悪になりかけた空気を脱するべく、普段あまり積極的に開くことの無い口をあけたのは柊沢霞澄(ia0067)だった。 まずは問題のカンナを一目見てみないことには何も始まらない。 依頼主の総太が大事そうに運んできたカンナを受け取り、簪職人の蔵秀春(ic0690)は、依頼を受けた開拓者というよりも、一人の職人として、カンナをじっくり観察した。 秀春には、ある懸念があった。精霊の加護を受けた石というものが、果たしてそう感嘆に壊れてしまうものなのか。 どれくらいの間使い込まれてきたのかは秀春の知るところではなかったが、しかしもしかすると、このカンナは偽物と摩り替えられていて、故にふとしたことで壊れてしまったのではないか。 「それはありません。確かにそれは本物のカンナです。石の根元のところに掘り込まれた印があるでしょう。それはここの創業者である先代の親方が自ら掘り込んだものです。その印まで真似た偽物はそうそう簡単には作れませんし、仮に作れたとしても、まず我々のうちの誰かが気づくはずです」 迷いの無い口調ではっきりとそう告げたのは、職人達が親方と呼んで慕う、ここの頭領だった。 念入りにカンナを調べていた秀春だったが、こうもはっきりと言い切られてしまってはそう信じるしかなかった。 「であれば、依頼通りにその洞窟とやらに行って、石を探してくるしかないわけだな」 カンナから目を離し、秀春は今回の依頼を共にする仲間達へと視線を変えた。 「そうと決まれば早く行きましょう。アヤカシが出るかもしれないって言うんなら、日の高いうちに済ませないと危険だから」 そう言うや否や、依頼を受けた開拓者の一人である胡蝶(ia1199)は、手早く身支度を済ませ、工場の出口へと向かって行った。鬼島もなにやら企み顔をしながらそれに続く。 「それでは行って参ります。あ……このカンナに使われている石、もしよろしければもとの場所にお返ししたいと思っているのですが……よろしいでしょうか?」 霞澄は愛想のない二人に代わって職人達に出立の挨拶をし、石を戻す許可を得ると、丁重に礼を述べながらカンナを受け取り、出口で待つ二人のもとへ急いだ。 その間に準備を済ませた総太も加わり、三人の開拓者と一人の若き職人は、足早に目的地である洞窟へと向かった。 「じゃあまぁ、さっき話したとおり、自分は残らせてもらうよ。どれほどのことができるか、とりあえずやってみるさ」 四人を見送りながら、一人工場に残ることを決めていた秀春はおどけた様子で言った。 職人達は彼が何をしようというのか見当もつかず、ただただ不審な目を向けるだけだった。 工場の奥で腰を据えたまま動かない親方だけは、何かを見通しているかのような目で、じっと、彼らの背を見つめていた。 ●精霊の洞窟 日がちょうど頭の真上に昇る頃。洞窟へ向かった四人は、地図と霞澄の懐中時計による瘴気と精霊力の測定により、ひとまずは何の障害を受けることも無く目的の洞窟の入り口へと辿り着いた。 洞窟としてはかなり大きい部類で、天井の高さは5メートルはある。広々とした空間ではあるが、足元は岩肌が突き出ている箇所も多く、決して進みやすいとも言い辛かった。 「大丈夫? 手を貸すわ」 体が弱いせいもあってか足取りがおぼつかない霞澄に胡蝶が手を貸し、一歩一歩確かめるように進んでいく。 「申し訳ありません。お手間をおかけして……」 「しょうがないでしょ。気にしないの」 そんな二人の後ろをヨタヨタとついて行く総太に、鬼島が優しく手を差し伸べることは一度も無かった。 この洞窟が、何故今まで人目に触れることなく放置されてきのか。 その理由は、ここに潜むものたちにある。 かの者達と出会うことを避けるべく、胡蝶と霞澄は交互に瘴索結界を張りつつ前進した。 瘴気の存在を感知することで、逆に精霊の力で瘴気が和らいでいる場所を探し出す作戦だった。 松明に火と胡蝶の夜光虫の明かりを頼りに、足元を注意深く確認しつつ歩きがながらも、彼女らの鋭い感覚は常に敵の存在を警戒している。 「……! 近づいてきます! 右前方!」 霞澄が振り絞った大声で叫ぶと同時に、最前を歩いていた鬼島は愛用の戦斧を構え、臨戦態勢をとった。 胡蝶も符を取り出し、総太を自身の後ろに隠すように身構える。 暗闇からわらわらと姿を見せたのは、体長1メートル程の巨大な蜘蛛の姿をしたアヤカシだった。 「雑魚の群れか。恐るるに足らん!」 「今回は依頼主の安全が最優先、アヤカシ退治に没頭はなしよ」 胡蝶にたしなめられながらも、鬼島は戦斧を大振りに振り回し、大蜘蛛の群れを埃でも払うかのようになぎ倒していく。 鬼島が打ち洩らした大蜘蛛を胡蝶が斬撃符で蹴散らしながら、後の三人も続いて前進する。 「総太さん、急いで!」 決して脅威ではない下級アヤカシの群れだったが、一般人である総太を怯えさせるには十分すぎる存在だった。 恐れおののいた総太の足取りは体の弱い霞澄にも劣り、胡蝶に腕を引かれ、加護結界を展開した霞澄に背を守られながら、両膝を笑わせながら進んでいく。 「しっかりせんか! たわけが! こうなることを想定して俺達を呼んだのだろう!」 鬼島の耳を劈かんばかりの一喝を受けて、総太は少しだけ士気を取り戻した。 震える足を懸命に動かし、三人の開拓者達と共に暗い洞窟を奥へ奥へと進んでいく。 やがて少しずつ大蜘蛛の数は減っていき、再び洞窟には静寂が訪れた。 一行は歩みを緩め、再度周囲を注意深く観察しながら歩いていく。 「帰りたくなったか?」 沈黙を破ったのは鬼島だった。 その短い言葉が誰に向けられているのか、言葉の矛先を向けられた本人もすぐにわかった。 「ならば帰るがいい。そのかわり、精霊の石はこの俺が個人的にいただくがな」 微かに後ろを振り返りながら、鬼島は口元をニヤリと歪めて挑発した。 総太は鬼島の気迫に押されて答えに詰まった。それを見逃さなかったのが胡蝶だった。 「本気で伝統を取り戻したいと考えているなら、こんなところで挫けはしないでしょう? ただ物を壊したという責任感だけならわからないけどね」 総太は自分の心に問いかけた。どっちだ。自分はどっちなんだ。そしてすぐに、自分が馬鹿げた自問自答をしていることに気づき、毅然とした態度で、発破をかけた二人の開拓者に返答した。 「あれは簡単に失われてはいけないものです。なんとしても取り戻します。さっきのはちょっと……驚いただけです」 強い意思を取り戻した若き職人に、二人の開拓者はそれ以上何も言わなかった。 「石が欠けた理由……力を使い果たしたためか、もしくは……役割を終えたためか……果たして」 総太の姿を見て、霞澄は独り言のように呟いた。 石が欠けたことに何かしらの理由や意識が働いているのだとしたら、それは果たしてどういったものなのか。 その本当の答えが判る事はなかった ●新しい世界 工場に残った秀春と職人達は、食事をする間も惜しんで作業に没頭していた。 秀春は精霊の加護を受けた石を手に入れられなかった場合の代替品として、新しい襖を作成する手はずを整えていた。 すぐに完成させられるものではないので今はまだ案をまとめた図面だけだ。が、それだけでも、工場の職人達を驚嘆させるには十分だった。 「なんじゃこりゃあ? この呪詛のようなものを掘り込めってか?」 「あぁそうだ。こいつは厄除けのまじないだ。そりゃあ精霊の力とまではいかんが、これはこれで中々効くみたいだぞ?」 秀春が事前に文献で調べてきた幾つもの呪文の文字列は、職人達には中々受け入れられ辛かった。どうしても不気味に見えてしまうのだ。 「こんなもの、お客さんが受け入れてくれるかどうか……」 呪文の書かれた紙を訝しげに眺めながら、職人達は口々に不安の言葉を洩らした。 親方だけは、皆より一歩引いたところで腕組をして、何も言わずじっとしている。 「なんでも最初はやってみなければわからないだろ? あんたらのご自慢の襖だって、最初から受け入れられる保障なんかなかったんじゃないか? 人によっちゃあアレだって不気味がられるだろうよ」 秀春の言葉に、職人達は返す言葉も無かった。 沈黙が工場を包み、やがてずっと黙っていた親方がゆっくりと口を開いた。 「お前ら、その図面から作ってみろ」 親方の重々しい声音の一言を聞いて、秀春だけがニヤリと笑い、職人達は皆一様に戸惑いを見せた。 地方の土地で閉鎖的に行われてきた彼らの仕事は、新しいものを受け入れられない、古くからの伝統にしがみつく習慣を生んでしまっていた。 だがそれが決してよくないことであるということも、彼らは心の底でわかっていた。 渋々ながら職人達は持ち場に向かい、それぞれの工程での作業を始める。 秀春はそんな職人達の間を行き来しながら、自身の案を伝えていく。 今、この工場で何かが変わろうとしているのを、親方は確かに感じ取っていた。その証拠に、ずっと硬く引き締められていた表情が、僅かに綻んでいた。 ●生み出されたもの 日没前。 鬼島、胡蝶、霞澄、総太の四人は、洞窟の暗闇から、大分傾いた茜色の日差しが届く場所へと姿を見せた。 彼らの手には、洞窟に向かったときとまったく変わっていない。 結論から言えば、石は見つからなかった。 胡蝶と霞澄の力で瘴気が薄れている場所を発見こそしたものの、そこには微かにかかった靄のような僅かな精霊力が漂っているだけで、力を纏った石と呼べるものは存在しなかった。 「チッ、上手くすれば石の分け前を手に入れられたものを」 「無かったものはしょうがないでしょ。これ以上の探索は危険だし、工場に戻りましょう」 つい本音が漏れてしまった鬼島をよそに、胡蝶はせっせと帰路を歩んでいく。 それに続いて霞澄。そして一番後方を、がっくりと項垂れながら総太がついていく。 「そう気を落とさないでください……元々見つからない可能性が高かったのですから……あの石が全てではありませんよ」 霞澄が励まそうと必至に語りかけるが、総太は力なくため息を吐くばかりだ。 結局総太は終始落胆したまま、一同は言葉数も少なく帰路を歩んだ。 そして、日も沈みかかった頃。 工場に戻ってきた一同は、そこに広がる光景を見て思わず息を呑んだ。 無数の襖を一心不乱に作る職人達の姿。 日もほとんど沈んで薄暗くなってきているというのに、工場の中は真昼間のような活気だった。 「おお、帰ったか。どうだったね?」 職人達に混じって工具を操る秀春に問いかけられ、鬼島は無言で首を横に振った。 「そうか。まぁしゃあないわな。それじゃああんたらの『第二案』を聞かせてもらおうか」 残念な結果のはずなのに、秀春はさして気にもせず、むしろ楽しげに笑みを浮かべながら言った。 その言葉の意味がわからないでいたのは総太だけで、鬼島、胡蝶、霞澄の三人は示し合わせたかのように頷き合い、工場の奥へ進んでいった。 「え、ちょっと……」 取り残された総太。その目の前で始まったのは、洞窟から帰ったばかりの三人も交えての、新しい襖のコンペだった。 既に秀春がいくつか試作したものに加えて、職人達を驚かせる案が次々と飛び出す。 「唐紙には見目も麗しいきゃるるーんな少女の絵。木枠にもなんとも言えない、女子たちの躍動感溢れるポーズが刻み込まれた一品。名づけて『萌え襖』だ。好事家に向けたいかにもな品を、全力で仕上げることで新たな扉が開くのだ」 「お祓いを受けた護符を挟み込んで、瘴気を祓うようにしてみてはどう? あと、欄間とか作ってないの? もし作ってるなら、アヤカシの姿を掘り込んだ欄間なんてどうかしら? 毒を持って毒を制す、ってやつね」 秀春からの提案を受けた時は否定的だった職人達も、一日通して新しいもの作りに触れることで、今までに無い考え方を受け入れられる柔軟さを手に入れていた。 皆嬉々として鬼島と胡蝶の案に聞き入り、メモを取ったり、実際に作り始めている者もいる。 「この工場には、精霊の手助けが無くとも必要な物を作り出せる技術と工夫、それに心があるのでは無いでしょうか……お預かりしていた石はお返ししますね。力は無くとも、きっと守ってくれるはずです」 職人達の様子を微笑みを浮かべながら見守る霞澄の言葉は、呆然としている総太の耳に届いていただろうか。 返事が無いので確認のしようがないが、しかしその意図は、言わずともわかっているようだった。 「俺も混ぜてくれ!」 勢いよく駆け出した総太の目には、もう先ほどまでの鬱屈としたものは見えなかった。 精霊の加護によって導かれてきたこの工場が、人の手によって新たな前進をした瞬間だった。 「これでいい」 誰にでもなく呟いた親方の言葉は、活気溢るる作業の音に掻き消され、誰の耳にも届くことは無かった。 数ヵ月後。 今までに類を見ない様々な襖や欄間を作るという工場の噂は、少しずつだが広がり始めている。 工場の隅に祭られるように置かれたあの壊れたカンナに見守られながら、総太は今日も腕を振るう。 伝統に守られながら、革新を生み出していくことを学んだ若き職人の姿が、そこにはあった。 |