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■オープニング本文 「エリヴィーラ様! お嬢様!」 屋敷に足を踏み入れた途端、老婆が駆け寄って来た。 ふと冷気を感じて天井に目を向ける。小さな穴が見えた。 「修理はまだ? 費用を送ったはず」 そう言うと、老婆は悲しそうに頭を振った。 「他に回したの?」 エリヴィーラは眉を潜める。 「作付けに失敗した村がございまして…」 それを聞いて嘆息する。 連作は避けた方が良いと分かっていても、人手不足が悪い結果をもたらす ここは出生率も低く、力仕事ができる若者の数も少ない。年々村や町を構成する人の年齢があがり、ちょっとした家の修繕すらもままならない。 「あとで私が屋根に登るわ」 彼女はそう言い、奥に向かった。 歩き進めるごとに、あちこちから冷たい空気が肌に当たる。 古びたドアの前に立ち、小さくノックしたあとそっと開いた。 「お父様」 声をかけながら、ここだけはとりあえず暖炉で暖められているのを知ってほっとした。 「おお、エリー」 ベッドに横たわる父がこちらを向いた。 「無理しないで」 起き上がろうとするのを止め、ベッド脇の椅子に座った。 「気分はどう?」 「悪くはないよ」 微笑む父の顔色は決していいとはいえない。 「婆さんは大騒ぎし過ぎだ」 おどけたように言う父の言葉が悲しく思えた。 「仕事は大丈夫なのか? 無理して帰って来たのではないか?」 大丈夫よ、というように彼女は笑みを見せ、父の手をとる。 「あとでお父様が好きな木の実入りのパイを焼くわ。家の修理もしていくから」 「エリヴィーラ」 父の手が自分の指を握り返す。 「…領地の返上を考えておる」 彼女は無言で父の顔を見つめる。 「民は…周辺で引き取ってもらえないかと…。だがな、エリー、お前は今のまま仕事を続けなさい。気にせずとも良いからな」 「お父様はどうするおつもりなの」 それを聞いて父は笑う。 「心配するな。私ひとりなら小さな小屋で充分だ。森の傍で小さな畑を自分で耕し、釣りでもして暮らそうかな。気楽で良いよ」 少し泣き出しそうな表情になった娘の頬に、父は手を伸ばす。 「可愛いエリヴィーラ。心配ない。お前はお前の道を全うしなさい」 彼女は小さく頷くだけで精一杯だった。 馬に乗り、彼女は領地を巡ってみた。 数時間あれば巡れるくらいの小さな領地。どこを見ても荒れた畑、寂れた村。 繋がれた馬すらやせ細っている。子供の声も聞こえない。 馬から降りて積もった雪を掻き分け、土を手に取る。 硬く衰えた色だった。 今まで溜めたお金をつぎ込めば、領民達は冬を凌ぐことができるだろうか。 いや、それでも焼け石に水。 小さな川に目を向ける。 この水は畑に引く水。皆が飲む水。 辿って上流に目を向けたエリヴィーラは、森から出て来る人影を見つけた。 目を細めて馬を向ける。 暫くして向こうもこちらに気が付いた。 「エリー!」 小さな声が聞こえた。 それを聞くなりエリヴィーラは馬の足を速める。 「アリー!」 「エリー!」 子供の頃、一緒によく遊んだ村の娘のアリーナだった。 「エリー、帰って来たの?」 「ええ、今朝方。1人で森に入ったの? 危ないわ。一体何をしに…」 アリーが抱える籠に目をやりながらエリヴィーラは馬から降りる。 籠から僅かな草と貧相なきのこが見えた。 「年寄り達が足を痛がって、薬草をと。それと…少しでも食べられるかなと思って」 …それできのこ? エリヴィーラは彼女の顔を切なく見る。 小麦やじゃがいもをたくさん持ってくれば良かった…。まさかここまでとは。 「乗って? 送るわ」 エリヴィーラは彼女を馬に乗せてやる。 前に乗せたアリーの細い体が腕に触れる。 「子供の頃もこうやって馬に乗せてくれたわね」 アリーは嬉しそうに言う。 「エリーが男だったらいいのになあって思ってたのよ?」 「何言ってるの」 エリヴィーラは笑う。 「貴方はアントンと仲が良かったじゃないの」 「アントンはアリサと結婚したわ」 アリーは答える。 「そう? 元気にしてる?」 「ええ、元気よ」 エリヴィーラはアリーの返事を聞いたあと、しばし口を噤む。 「嘘が下手ね。アントンはどうしたの?」 アリーはちらと彼女を振り返る。 「…去年…流行病が出たの。あっという間だったわ…若い人ほど早かった」 エリヴィーラは馬を止め、アリーの顔を後ろから覗き込んだ。 「どうして私を呼ばなかったの」 アリーは小さく笑みを浮かべて首を振る。 「なら、せめてギルドにでも…」 言いかけたエリヴィーラは次の言葉を継げなかった。 ギルドに依頼するお金も余力も、きっとなかったのだ。 「これからは遠慮しないで連絡して。約束して、アリー」 「エリー、心配しなくてもいいわ。貴方は私達の誇りなのよ。貴方は自分の道を全うしなきゃ…」 父と同じ言葉をアリーは口にしかけ、急にごほごほとむせこんだ。 エリヴィーラは慌てて彼女の背をさする。 アリー。もしかして貴方も体の具合が悪いの? 「ご、ごめんなさい、ちょっと風邪気味で…」 アリーは言いながらもむせこみ続ける。 「アリー、ちょっと術をかけるわ」 エリヴィーラはレ・リカルを彼女に放つ。 彼女の頬にうっすらと赤みが戻って、エリヴィーラはほっとする。 「具合の悪い人はほかにもいるの?」 「貴方に嘘は通じないから本当のことを言うわ。元気な人のほうが少ないの」 アリーは悲しそうに言った。 「薬草を煎じれば少しはましになるんだけど、また具合が悪くなるの」 「ごめんなさい…」 思わずそんな言葉が口をついて出た。 「エリーが謝ることはないわ」 アリーは慌てて言う。 「でも…」 「エリー、私達は誰も恨んでいないのよ。エリーのお父様は自分が飢えても私達に食料を分けてくださる方。この間のお金だって、本当はお屋敷の修繕のものだったのでしょう? みんな分かってるわ。私達は感謝をしてるのよ?」 エリヴィーラはただ切なく彼女の顔を見つめるだけだった。 エリヴィーラは屋敷に戻り、一週間ほど屋敷の目立った場所の修繕を終えて考え込んだ。 そして決心した。 あの川を調査しよう。 水のせいかもしれない。 エリヴィーラが出発して小一時間したのち、2人の女性が屋敷を訪れた。 「お嬢様は…川の上流を見て来ると仰って…」 出迎えた老婆が心配そうに答える。 女性の1人が屋敷の壁の穴をちらりと見やり、もう1人が『どうします?』というように目を向ける。 「思った通りね…。ギルドに行って。許可は出ているから、姫様のお名前で。そのあとスィーラに報告を」 「了解」 女性は踵を返した。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
リューリャ・ドラッケン(ia8037)
22歳・男・騎
叢雲 怜(ib5488)
10歳・男・砲
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂
イルファーン・ラナウト(ic0742)
32歳・男・砲 |
■リプレイ本文 「おーい!」 声が聞こえ、頭上を影が覆う。 見れば龍が3体。手を振って通り過ぎるのは親衛隊のひとり。 「おねーちゃーん!」 答えてぶんぶんと手を振り返したのは叢雲 怜(ib5488)で、クロウ・カルガギラ(ib6817)は声の主がドゥヴェと知って笑みを浮かべた。 「親衛隊がいるってことは、やっぱその絡みかね」 と、イルファーン・ラナウト(ic0742) 「て、ことだろうな」 同意した酒々井 統真(ia0893)は周囲に視線を巡らせて少し眉根を寄せる。 なんとも荒れた場所だった。ぽつんぽつんと貧相な家。畑を囲う垣根も風化したような壊れ方。 ひょろりとした爺さんが振り上げた斧でひっくり返りそうになりながら目の前の木切れを狙っている姿を見つけて統真は足を止めた。 「おーい! 後で手伝ってやっから無理すんなー!」 声をあげると爺さんはこちらに気づいたようだが 「あー!?」 耳が遠いらしい。 「とりあえず早く作業を始めた方が良さそうだ」 リューリャ・ドラッケン(ia8037)に促され、統真は 「後で行くからなー!」 と再び叫び、踵を返す。 急ぎ足でブルダの屋敷に着いてみれば、案の定ずらっと並んだ親衛隊。 アジンナが5人の姿を見てすぐに口を開く。 「早速だが、川のほうに行ってくださる方はおられるか」 「俺とリュー兄が!」 怜がしゅぱっと手をあげた。 「ではヴォ―スィとよろしく頼む」 アジンナはどん! と袋を怜に渡す。これは? と不思議そうな怜にアジンナは 「解毒剤やら甘露水やら。トゥリーも揃えてはおらぬだろう。開拓者も必要な分を使ってもらって構わない」 「トゥリー…」 リューリャは声を漏らし、アジンナは頷いた。 「トゥリーだ」 改めて皆はブルダの屋敷に目を向けた。 壁も屋根も朽ちかけた粗末な屋敷だった。 リューリャ達が出発し、アジンナはてきぱきと部下を組み分けた。 レナ・マゼーパ(iz0102)は飛空船を出し、物資を運ぶ算段をつけたらしい。 停泊場所がないので、上空から龍で荷下ろしする。 「姫様がお着きになるまでに各地の状況把握を。ドゥヴェはヂェーシとトゥルナを連れて村に。スェーミはドゥヴァと…」 アジンナが名前を呼ぶのを聞いてイルファーンが唸る。 「似た名前で覚えられん」 「俺もまだ半分だ」 クロウも笑う。 とりあえず俺達も様子を見に、と3人が馬に足を向けた直後、シャスがアジンナに声をかけた。 「精霊の唄と神風恩寵を使いましたが…」 統真がふと振り返る。 ブルダ伯爵か…? 「統真? どうした」 イルファーンが呼んだ。 「ん、今行く」 統真は答え、彼の後ろに飛び乗った。 トゥリーの居場所はすぐに分かった。 「えへっ」 怜が驚かせてやろうと身を躍らせ 「エリヴィーラおねーちゃーんっ!」 「あっ! こらっ!」 振り向いたトゥリーが叫ぶのと怜がぴょんと飛び上ったのが同時で、そのままトゥリーはがしっと怜を抱きかかえる。 「フローズンジェルに足を突っ込むつもりか?」 「うぇ」 そろりと下ろしてもらいながら怜は声を漏らした。 「ジェルはいつもこれほど?」 リューリャが近づきながら周囲を見回して尋ねる。十数cmほどのジェルがあちこちにいる。 「帰るたびに退治してはいるが…」 答えながらトゥリーは戸惑いの表情で3人を見た。 「でも、ジェルくらいで影響があるとは思えませんね。じゃ、行きましょうか」 リューリャはごく当然のことのように足を踏み出した。 「待って、貴方達…」 言いかけたトゥリーにリューリャはちらと笑みを見せる。 「帝国臣民の生活が脅かされるというのなら、原因を取り除かないと」 「そういうことです」 ヴォ―スィが呆然としたままのトゥリーににっと笑って言った。 トゥリーは自分の部下が全員集結していること、それが皇女の指示であると悟ったらしい。皆に松明を手渡した。 「ジェルは小さいものばかりだ。目につけば松明で焼き殺す」 「スパークボムはどうです?」 ヴォ―スィが言う。 「今日、久しぶりに魔槍を持って来た」 「他に何の術を持って来た?」 トゥリーが目を細めて尋ねると、 「ララド=メ・デリタを」 それを聞いてリューリャが思わずくくっと笑う。 この人、いったいどこの戦場に行くつもりだったのだろう。 「私が許可するまで使うな」 トゥリーは呆れた様子でヴォ―スィを見た。 彼女が話し始めたのはそれから数十分後だ。 ジェルが増え始めたのは10年ほど前。それまでもさほど肥えた土地ではなかったが、今思えばそのあたりから緩やかに土地も人も疲弊を始めたようだ。 「私はひと冬に一度戻るだけだった。もっと早く何とかしていれば…」 「レナお姉ちゃんに相談すれば良かったじゃない」 怜が言うと、トゥリーは少し険しい目を向けた。 「疲弊している地はここだけではない。私は親衛隊であるからこそ、姫様のお手を煩わせず自分で…」 言いかけて彼女は口を噤んでしまった。結果的にそうなっていないからだ。 「俺が思うに可能性は瘴気。しかし長期となると些か考えにくい」 リューリャは至って自然に口を開く。 「しかし、川の周辺の植物に勢いがない。ケモノや動物の気配もない。水源なのにどこか死にかかっているように思えるな。残るは鉱毒か」 「そんなものになったら…領地は終わりだ」 トゥリーは不安げに上流に目を向けた。 「推測です。確かめなければ分からない」 リューリャは答えた。 皇女の乗った飛空船が到着し、龍を使って荷下ろしが始まる。 統真は龍に乗ってアジンナと一緒に船に向かった。 「どんな様子だ?」 レナが早速駆け寄って来る。 「あちこち修繕が必要だ。手斧持って来てっから、下ですぐ薪と板を作る。食料あるか?」 「ある。憔悴しているか?」 「いや、元気だ」 「?」 不思議そうなレナを見て統真は苦笑した。 実は予想外に領民が元気だったのだ。いや、正しくは『明るかった』 老人ばかりで痩せ細り、体の自由は効かないのだが落ち込んでいない。 クロウが 「エリーお嬢さんの友達のクロウってもんだ! お嬢さんの助けになるべく参上したぜ!」 とピカピカの笑顔で言うと、 「まあ、なんて可愛い坊!」 「この子の綺麗な目ったら!」 「あれ? あの?」 クロウだけでなく統真までもが皺だらけの手に引かれてしまう。 「ええ体しとるのう」 イルファーンは爺さんにぽんぽんと胸を叩かれ、 「ええ体しとるのう」 別の爺さんは親衛隊を見ている。 「ごめんなさい。動ける者を気遣ってるのよ。でないとみんなが辛くなるから…」 申し訳なさそうにイルファーンに声をかけたのはアリーナだ。イルファーンは笑った。 「いいんじゃねえか? 今、動けるもんはどれくらいだ?」 「ここでは私とあとひとりくらい。ほかも同じようなものだと思うわ」 アリーは答え、コンコンと咳き込んだ。イルファーンが背をさすってやる。 「薬草、まだ蒸してないの。揉んで柔らかくしないと煎じ薬も湿布もできなくて」 「皇女もいろいろ持って来るはずだ。手伝ってやるから教えろ?」 「有難う」 アリーは嬉しそうな笑みを浮かべたのだった。 全ての荷が降りた時、レナも船から降りて龍に物資を括り付けた。 アジンナと統真は木材をひたすら割っていく。 他の親衛隊は交互に加勢しては龍で物資を運んだ。 クロウとイルファーンも各地に分かれ、体を動かす。 しかし、龍に食料が乗って来た時、状況が少し変わった。 「まあ、小麦粉だ」 「玉子もあるよ」 婆さん達がやおらクロウの手を引く。 「坊や、かまどをちょいと直して火を起こしてくれないかねえ」 「何か作るのか? 俺が作ろうか?」 クロウは言うが 「パイよ、パイを焼かなきゃ」 「いや、クッキーかねえ、腰がもたんわ」 クッキー? と、クロウは首を傾げる。でもまあ保存が利くし…? 同じ頃、アリーと薬草を蒸していたイルファーンもスェーミの言葉に振り向いた。 「木の実が欲しい?」 「木の実入りのクッキーを焼きたいようです」 「もうちょっと腹にたまるもんがいいんじゃねえか?」 「そう思いましたが、鍋が穴だらけで。私は龍で調達して参ります」 鍋がないとは思わなかった。 「私が採って来るわ、木の実」 アリーが言った。じゃあ俺もとイルファーンが言うと、彼女はこくんと頷いた。 婆さん達が粉をこねはじめた頃、リューリャ達は8mほどの崖の上からちょろちょろと水が流れ落ちているのを見ていた。 問題は下にびっしりと敷き詰めたようなジェルの山。1つ1つは小さいのだが、ここまで重なりあっていると流石に雪とは見間違えない。 「スパークボムを」 わくわくしてトゥリーの顔を見たヴォ―スィはぽかりと拳固を喰らわされる。 「穴があるな」 崖を見上げていたリューリャが呟いた。3mほど上に人が1人入れそうな穴が空いていた。水は穴の口からもぽたぽたと垂れている。 「ちゃっちゃとやっちゃお。そしたら俺が穴を見てくる。耐水防御してるから大丈夫だし」 怜は魔弾を構えた。ちぇ、とヴォ―スィも少しむくれて魔槍を構える。 「撥ね飛んだ奴を頼む」 トゥリーはリューリャに言い、そして一斉砲撃となった。 撥ね飛ぶといっても所詮ジェルだ。リューリャは銃弾の勢いで飛んで来た奴をひょいひょいと剣で叩き斬る。 ものの5分もしないうちに片づけられてしまったのだが、ふとトゥリーが身を屈めて3人を呼んだ。 近づいてみれば白い雪の上に散る粘泥。 リューリャはヘドロのようなそれを見て、崖の穴を見上げる。 怜が岩に足をかけた。 「登って見て来る」 その時、遠くで声が聞こえた。 「なんでこんなに甘い匂いが?」 薪を運び終えたドゥヴェが顔を巡らせた時、クロウは荷馬車の修理をしていた。 「運ぶって。お屋敷に」 「何を?」 クロウの返事にもドゥヴェは怪訝な顔をするばかり。 「坊ちゃんと嬢ちゃん達の分も作っとるでな」 婆さんにできたてをひらひらさせながら言われてドゥヴェは呆れかえった。 「姫様が運んだ小麦粉がクッキーか?」 「いいんじゃない? お婆さん達、嬉しそうだ。ドゥヴェさん、家の修繕、頼む」 クロウは笑った。 一方、イルファーンは咳き込んでうずくまってしまったアリーの背を撫でてやっていた。 「まさかと思うが…薬飲んでないのか?」 無言のアリーにイルファーンは嘆息する。 「全部爺さんや婆さんに?」 イルファーンは自分の上着をアリーにかけてやった。 「馬鹿なことすんな。薬作りに詳しいあんたがいなくなると…」 ふと思い立って彼はアリーの顔を覗き込んだ。 「あんた、薬師になったらどうだ。詳しいだろう。村に新しい産業が作れる」 アリーはびっくりしたように目をしばたたせた。 「…考えもしなかった…私に…できるかな」 「できる」 イルファーンはアリーをゆっくりと立たせてやった。 シャスが慌てた様子でアジンナに駆け寄ったのは、統真とレナが最後の物資を龍に結わえようとした時だった。 「トゥリーを呼び戻してください。私の術ではもう…」 2人は同時にシャスに目を向けた。 ブルダ伯爵が危ない…? 「俺が行く! この龍、貸してくれ!」 統真が即座に言って龍に飛び乗り、シャスは再び屋敷に駆け戻って行った。 そして 「トゥリー!」 統真の声に気づいた3人が空を見上げる。 「龍、降りらんねえ! 縄下ろすから伝って来い!」 トゥリーの顔から血の気が失せた。 怜がリューリャの顔を見る。どうしたと問えない気がする。 「穴を…」 掠れた声で言うトゥリーの前に縄が下ろされる。 「ここは俺達が」 リューリャが声をかけた。 「松明を穴に放り込んで確認する。ヴォ―スィにララドの許可を」 トゥリーはまだ迷っていた。 「俺達と貴方の部下を信じてください」 トゥリーはリューリャを見て縄を握った。 「よろしく…頼む」 トゥリーの姿が空に消えたあと、ヴォ―スィが松明に点火して穴に放り込んだ。少し離れてリューリャが中をバダドで確認する。 が、穴から勢いよく何かが噴き出した。 「わっ!」 怜とヴォ―スィが慌てて飛び退る。噴き出したそれは川に流されていった。 「こいつか…!」 リューリャが唸った。グリーンスライムだ。 「ララド使うよ」 今度こそ、というようにヴォ―スィは鼻息を噴き出した。 屋敷に駆け込むトゥリーを見送ったあと、 「レナ」 統真の声にレナは振り向く。 「荷馬車が来る」 スェーミとクロウが御者だ。何だろうと2人は顔を見合わせた。 ブルダ伯爵は娘の到着を知ってうっすらと目を開き、そして笑みを浮かべた。 「エリー…いい川を見つけた。釣りに行ってくるよ…」 「はい。気をつけて…」 トゥリーは父の手を握り締めて笑みを返した。 眠りにつく父の額を愛おしげに撫でる。 傍にいたシャスが嗚咽を堪えた時、レナがそっと入って来た。 「トゥリー…外に…」 トゥリーは顔をあげ、屋敷の玄関に向かう。そして呆然とした。 荷馬車一杯に積まれたクッキーの包みの山。 クロウが一緒に乗せて来た婆さんをひとり下ろしてやる。 「エリーちゃん、お父上にたんと食べさせて。好きでしょ? 木の実入りのお菓子。元気が出るからね」 トゥリーは震えながら口に手を押し当て、声をあげて泣いた。 アジンナが龍でリューリャ達を迎えに行った。 戻って来たヴォ―スィは意気揚々と石を掲げる。 「金です、金」 え、と皆で覗き込むと確かにちらちらと光を受けて輝く部分がある。 「リュー兄が洞窟ん中に入って確かめたんだぜよ。お姉ちゃんは胸がつかえて…むぐ」 言いかけた怜の口をヴォ―スィが慌てて手で塞ぐ。 「グリーンスライムの腐食や毒の液が元凶です。洞窟内から時折流れ込んでいたものかと。一掃したからもう影響はない」 リューリャは言った。 「金鉱は洞窟の中。さほど量は多くないけれど」 そこで初めて彼はほっとしたような笑みを浮かべた。 「エリーお姉ちゃんは?」 怜はキョロキョロと周囲を見回す。 「今はそっとしておいてやって」 レナは言った。 ブルダ伯爵の葬儀はレナの指示で親衛隊が手早く準備をし、開拓者達も荷馬車や龍で民を運んでやって共に参列した。 作ったクッキーは棺に一杯詰め込んだ。棺に入りきらない分は婆さん達が皆に分けた。どこまでも分け与えることに熱心な民だった。 レナは人の補充を計画し、トゥリーに一年間領地に留まり金鉱の採掘と領地の立て直しを命じた。彼女が不在の間はアジンナが隊長を務める。 「一年過ぎたら必ず姫様のところに戻ってくださいよ? 貴方達は替えの利く人じゃない」 クロウが言うと、トゥリーは頷いた。 「分かっているわ。必ず」 それが父の願いでもあったのだ。 アリーは数日してトゥリーに薬草栽培の話をし、レナはイルファーンに提案されてごっそりと着ぐるみをブルダ領に送った。 しかし老人達には日中の服としては難しく、夜になると皆が着ぐるみに潜り込んでぬくぬくと眠ることになったそうだ。 |