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■オープニング本文 祝。 ニーナ・ヴォルフ伯爵令嬢、母となる。 空にふわりと雪が舞った日、ニーナは「うぎゃー! いたーい!」と大騒ぎをしながら男の子を生んだ。 父親はもちろん、バレク・アレンスキー伯爵。 名前はアスランと名付けた。 「よし、これで私も自由! やっと結婚式!」 ニーナは伸びをして叫んだらしい。 ニーナの出産は、神西桃火がヴォルフに来て数日後のことだ。 桃火が来た理由をニーナはバレクから聞いた。 西の森の警護をしていたヴォルフの騎士、レオシュ・ベノフが速水という男に襲われて大怪我を負ったこと、 レオシュと桃火は思いを通じあわせているようなので、彼の怪我が治るまで一緒にいさせてはと開拓者に提案されたこと。 結果的に速水はレナが射殺することになったと聞いて、ニーナは顔を曇らせた。 「レナが顔を見せないと思ったら…。私、またどこかで会いに行くわ…」 「そうだな」 バレクは答える。 暫くしてニーナはふと目をあげた。 「ベノフって…ベノフ男爵の息子さんよね?」 「ふむ?」 バレクは首を傾げる。 「ほら、小さい頃、夏の間は子供達がここに集まったじゃない? その中にいたわよ、三兄弟で」 ニーナは記憶を辿るように視線を巡らせる。 「代々騎士の家柄よ。お父上は出世なさってスィーラ仕えに。今はご長男もそうよ。弟のほうはうちに来てくれたの。龍が好きみたいで。一番下は妹だったかな」 やっぱりバレクには覚えがなかった。 そりゃそうだろう。子供の頃のバレクはレナしか眼中になかったのだから。 そのベノフの末の娘、マリエ・ベノフが兄の心配をしてヴォルフにやってきた。 彼女は実に優雅にヴォルフ伯爵夫人とニーナに挨拶をした。 その美しさはちょっと群を抜いていて、そういえばベノフ家は揃いも揃って美形揃いだったっけ、とニーナは思い出す。 「お兄様にはお会いになった?」 ヴォルフ伯爵夫人が言うと 「はい。皆様には感謝しております」 答えつつもマリエの顔はどこか不機嫌そうだ。 伯爵夫人はすぐに帰ると言うマリエを引き留め、ちょうどパイが焼けたからとお茶に誘った。 桃火もと言われ、侍女が呼びに行く。 桃火は姿を見せるとぺこんとお辞儀をした。 「桃ちゃん、こちら、さっきお会いになったわね? レオシュの妹さん、マリエさんよ。マリエさん、こちら神西桃火さん」 紹介されて桃火はにこりと笑うが、マリエは口の端を少し持ち上げただけだった。 「桃ちゃん、アップルパイ好きでしょ? たくさん召し上がれ」 ニーナが大きな一切れを桃火の前に置く。 「うわ、嬉しい」 桃火はそれを手で掴んでかぶりつく。 マリエの顔が呆然とした表情になった。 「あとでレオちにも持って行っていい?」 「もちろんよ」 ニーナは微笑む。 マリエのお茶のカップがカチンと大きな音をたてたので、皆で目を向けた。 「失礼…」 マリエは細い指を口元にあて、 「…桃火さん…でしたわね、ご出身は天儀のご様子。なぜジルベリアに?」 「桃ちゃんは老舗呉服屋の娘でね。あちらの技術と提携して俺の領地で新事業を考えていて、兄弟で来てもらったんだ」 バレクが答える。 マリエはコホンと小さく咳払いをした。 「呉服屋のお嬢様にしては変わったお召し物ですわね」 桃火はちらと自分の胸元を見て、 「そう? あたし、動きやすい服が好きで」 「泰拳士だもんな」 またもやバレクが言い、桃火は照れ臭そうに 「一応、なだけだけどね」 と、笑う。マリエはこくんとお茶を飲み、 「まあ、泰拳士? 呉服屋でいらっしゃるのに?」 ニーナが『なに、この女…』というようにちらとマリエを見た。 「じゃあ、ドレスはお召しにならないのね。あ、そうそう、兄はドレスの似合う可憐な女性が好きですわ」 マリエは蔑むような目で桃火を見て言う。 「じゃあ桃ちゃんはぴったりね。私、桃ちゃんにいくつかドレスをあげるつもりなの」 ニーナは言った。 マリエと桃火が目を丸くする。 「いいわね。ニーナはもう可愛い雰囲気のものは卒業したし、桃ちゃんなら似合いそうだわ」 伯爵夫人がそう言ったものだから、マリエの顔がますます不機嫌になる。 「そうかしら。ニーナ様は細身でいらしたし…」 「大丈夫よ」 ニーナは少々鋭い目でマリエを見た。 思い出したわ、マリエ・ベノフ。この子、子供の頃から鬱陶しい。 「桃ちゃんは顔立ちもはっきりしてるし、可愛いわ。きっと、そんじょそこらの似非貴婦人よりもずっと綺麗になってよ?」 きっぱりと毒を含ませる。 バレクが口に運びかけたお茶でむせそうになった。 「あら、それは一度拝見してみたいわ」 マリエも負けてはいない。 「よろしければ二週間後にうちの葡萄園のワインの試飲会がありますの。桃火さんをご招待させてくださいな」 桃火が「わいのてんぐ?」と目をぱちくりしている間に、ニーナは 「ええ、ぜひ。ヴォルフからとしてしっかり出席させていただくわ」 と、答えてしまったのだった。 「何やってんだ…」 「貴方はほんとに気の短い…」 マリエが帰ったあとバレクと母に叱られて、ニーナは口を尖らせた。 「桃ちゃん、いいのよ、私からベノフ男爵にお手紙を書くから」 伯爵夫人が言うと桃火は笑った。 「何するのかわかんないけど、あたし別にいいよ? マリエさん嫌いじゃないし」 それを聞いた夫人の咎めるような視線を浴びて、ニーナは更に身を縮める。 「父さんが言ってた。ちゃんとご恩返しするんやで、って。あたしが行って収まるんなら頑張るよ。それに…」 桃火は顔を赤らめて少し顔を伏せた。 「ド…ドレス、ちょっと…着てみたいかなって…」 「桃ちゃん…」 ニーナが思わずうるっと目を潤ませた。 「レオちにパイ、持って行くね」 真っ赤な顔のまま桃火が出て行ったあと、夫人は溜息をついてニーナの前に座った。 「葡萄園はマリエさんが3年前に始めたのよ。ベノフはお兄様達の働きで維持しているようなもの。彼女は万が一のことを考えたんだと思うわ」 バレクとニーナは顔を見合わせる。 それでマリエはレオシュが怪我をしたのを心配してきたのか…。 「去年、ヴォルフにご招待があったの。でも、丁重にお断りをして。ヴォルフが行くことで気をお遣いになられても申し訳ないし。そしたらマリエさんはワインを送っていらしたわ」 「どうだったの?」 ニーナが尋ねると、夫人は目を伏せて微かに首を傾げた。 「不味くはないけれど酸味が強かったわね。一口飲んでそのままよ」 そして頭を振る。 「お父様は丁寧に感想と葡萄栽培に詳しい方を紹介する手紙を返信なさったのよ」 ニーナは俯く。 「桃ちゃんには…ドレスを着せてあげましょ? ニーナ、貴方は桃ちゃんとマリエさん、どちらにも恥をかかせないよう、ちゃんとしてあげなさい」 「はい…」 母の言葉にニーナは小さな声で答え、バレクが無言で彼女の肩を抱いた。 |
■参加者一覧
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂
イルファーン・ラナウト(ic0742)
32歳・男・砲
リト・フェイユ(ic1121)
17歳・女・魔 |
■リプレイ本文 「嬉しい!」 リト・フェイユ(ic1121)が渡してくれた小さな花束に、ニーナは嬉しそうに顔を寄せた 「ご出産おめでとうございます」 リトに続いて皆も口々にお祝いを伝える 「どっち似だ?」 イルファーン・ラナウト(ic0742)に尋ねられ 「あとでゆっくり会って? とりあえず桃ちゃんのドレスを選びたいの。直しが必要だと思うし」 ニーナはいそいそと案内する。 …が、通された部屋はドレス、ドレス、ドレスの山。 立ち尽くしていた桃火が気配に気づき、振り返るなりアルーシュ・リトナ(ib0119)に抱きついた。 「…うあぅ…」 相当困惑していたらしい。が、我に返って 「あ…ごめん!」 「初めまして、桃火さん。アルーシュと言います」 アル―シュはくすくすと笑う。 「しかしさすが伯爵令嬢。これは女性陣にお任せだね」 と、クロウ・カルガギラ(ib6817)。 「まあ、男にも色々趣味があるだろうが、何着たってレオシュは喜ぶさ」 イルファーンが呟く。 「へー」 クロウはうふふんとその横顔に目を向けた。 「イルファーンはどんな趣味なわけ?」 「うむ、黒で深くスリットが…って、何で俺の話に?」 そんな二人にニーナが手招きした。 「殿方もこちらに。バレクの服なの。クロウさんはたぶん直しをしないと」 その入れ違いにバレクが酒瓶とグラスを手に隅のテーブルを陣取り、ドレスを当ててもらっている桃火を眺める。 「淡い桃色もいいけれど、こっちのこっくりした赤も黒髪に合うわ」 リトは鏡の中と桃火に視線を行き来させ嬉しそうに言う。 「これはいかが?」 アルーシュが胸元の大きなリボンからふわりとドレープが広がるドレスを持ち上げた。 「ほら、縁のビーズが全部宝石」 「すごーい」 声が揃う桃火とリト。 「可愛いねえ…」 ちびちびやりながらバレクは完全にオヤジ状態。 「候補を全部レオシュに見てもらいましょ」 「そうしましょう、そうしましょう」 3人は選んだドレスを抱えると嬉々として部屋を出た。 暫くしてクロウとイルファーンが戻って来る。 「お」 酒瓶を見て声を漏らすイルファーンにグラスを渡しながらバレクは頬を押さえるニーナを怪訝な顔で見た。 「なに顔赤くしてんの?」 そしてイルファーンとクロウをちらりと見て再び目を戻す。 「何かされた?」 「してません!」 「してねぇ!」 速攻で叫ぶ。失礼な。 「いえ、とても良いお体なので。誰かの腹とは大違い」 ニーナは高笑い、バレクはむくれる。 そしてアルーシュ達も戻って来る。 「どうだった?」 クロウが尋ねると 「レオち、目を回して倒れた!」 桃火が叫んだ。 「可愛いねえ…」 バレクとイルファーンが呟いた。 ドレスは腰にふわりとリボンがついて、裾に向かって桃色から薄い赤に変わっていくものになった。 年相応の華やかさがある。裾をあげればあとは合いそうだ。仮止めして侍女に託した。 靴もドレスに合わせて低いヒールの品の良いものを選んだ。 そして次はお作法。 別室に用意されたテーブル一杯の甘味に桃火が目を丸くする。 「たぶん立食形式だと思うの。お菓子で予行演習」 ニーナは言う。 「りっしょくって?」 桃火がアルーシュの顔を見る。 「座らずにいろんな人と会話を楽しみながらお食事をするの」 「一番たくさん持って…こういう感じね」 リトが桃火の片手に皿とフォーク、片手に空のグラスを持たせてやる。 「フォークを指で押さえて?」 アルーシュが手を添える。 それを見ながら真似をしていたのがイルファーンで、リトが気づいて彼の指もフォークに移動させてやる。 ニーナが二人の皿にタルトを乗せた。 「さて、食べたい時はどうしましょう?」 言われて桃火はうーんと考え、両手が塞がっているからあーんと口を開けてかぶりつき、イルファーンはグラスをテーブルに置いた。 「イルファーンさんが当たりです!」 ニーナが手を叩く。 「できるじゃないか」 バレクに言われて 「おいっ」 怒るイルファーン。 「タルトやケーキはフォークを使いましょ? お茶碗のご飯はお箸を使うのと一緒よ?」 アルーシュに言われてうーむと眉間に皺を寄せている桃火をよそにスマートにひょいひょいとお菓子をつまんでいるのはクロウ。桃火がそれを見て 「あ! クロウ兄、手で食べた!」 彼がカナッペを手で口に運ぶのをフォークで指して叫ぶ。 「桃火さん」 リトが苦笑しながらフォークの手をぺち、と叩く。 「カナッペやクッキーは手で良いの」 アルーシュが言うと 「なんと!」 桃火呆然。 「まだ時間がある。毎日誰かの真似してりゃ何とかなるだろ」 イルファーンはもぐもぐとタルトを食べながら言い、クロウもこくこくと頷いた。 数日たってどうにかこうにか桃火はフォークを使うことを覚えた。 ワインも飲んだことがなかったが、分からないなりに何とか形に。 せっかくなので神西屋のもので何か小物をと桃火が持って来ていた絹地を使ってリトとアル―シュが小さなコサージュとリボンを作った。 クロウは少し大きな布でちくちくと器用にワイン用のボトルカバーを縫う。 小さな着物のようなカバーだ。 「可愛い。欲しーい!」 ニーナが言うと、 「神西屋の新商品にもなるかも」 クロウは答え、バレクが「それ、いい!」と叫ぶ。 そしてあっという間に当日。 選んだドレスを桃火に着せ、リトとアルーシュでヘアメイクを施す。 「これ、お守り代わりにプレゼントしますね」 綺麗に編み込まれた桃火の黒髪に、リトは星屑のヘアピンを散りばめた。 薄いピンクのルージュを引いて、頬はふわりと紅を。 「可愛いわ、桃火さん。どこから見ても立派な淑女よ」 鏡の中の桃火を二人は満足げに眺め、桃火もうっとりする。こういう表情を見ると、やっぱり女の子なんだな、と思う。 男二人もぴしっと決めた。 クロウは完璧な貴公子だし、イルファーンはちょっと危険な香りのする貴族っぽい。 そして桃火の晴れ姿をレオシュに見せてあげようと騎士の宿舎に向かう。 騎士達の冷やかしに桃火が「おほほ」と口をすぼめるのはちょっとぎごちないが、クロウは彼女の手をとってレオシュの部屋の扉をそっと開く。 皆は少し離れて成り行きを見守った。 入って来た桃火にレオシュは呆然とした表情になり、椅子やテーブルを伝いながら近づいて目をしばたたせる。 「レオち…どうかな」 「うん…」 小さな声で答え、彼は壊れ物に触れるように桃火の頬に指を滑らせる。 「すごく…」 視線が桃火の唇に降りたので、クロウがそっと部屋を出ようとした時 「もう行くね。帰ったらまた来るよ」 桃火はさっさと背を向けてしまった。 「え? いいの?」 クロウの方が慌ててしまう。 「うん。じゃね、レオち」 「まだ時間あるよ?」 ドアを閉めてクロウが声をかけると 「ふにゃ」 桃火がくたりと膝をつく。 「あ」 クロウは咄嗟に桃火の鼻を押さえた。 「リトさーん! 鼻血! 鼻血出したー!」 とんだ騒ぎになってしまったのだった。 「あへぇ…」 復活するかな、と心配しつつ、真っ赤な顔で白目を剥いている桃火をパタパタと仰ぎながら馬車はベノフに。 「しっかり、桃火さん」 アルーシュが崩れたお化粧を直す。 「とりあえず立ってくれれば!」 クロウがぐっと拳を握り 「背中に棒でも突っ込むか」 と、イルファーン。 小さな葡萄畑を抜け、屋敷が見えて来た時、ようやく桃火の白目が元に戻った。 次々と到着する馬車の列に入り、クロウが手を差し出して桃火を降ろす。それをマリエが早速見つけた。 後続の馬車から降りたニーナは侍女姿に変装しているとはいえ顔を見ればすぐに分かってしまうので、そそくさと人に紛れて中に入る。 「ようこそ、桃火さん」 マリエの頭の先から足の先まで素早く走らせる視線も桃火は気づく余裕がない。 「お招きいただだ…」 噛んだ。 クロウが素早くマリエの手を取りキスを落とす。 「お招きに預かり光栄です。クロウ・カルガギラと申します」 にっこり。 マリエは少し眉を吊り上げ、それきり何も言わなかった。 会場はニーナの予想通り立食形式で、客は20代くらいまでの若者ばかりだ。 「何か食べます?」 リトが少し緊張した面持ちの桃火に尋ねる。 「うん…」 小さなケーキを皿に乗せ、フォークと共に手渡してやった。 が、フォークを受けとり損ね、テーブルにバウンドして音を立てて落ちる。 「大丈夫? お箸のほうがよろしいかしら?」 来た! マリエ。 「マリエさん、そちらは?」 一緒にいた女性が横から尋ねる。 「こちら、神西桃火さん。天儀の呉服屋のお嬢様ですわ」 「まあ、天儀から? ワインがお好きなの?」 「甘酒のほうがお似合いでは?」 ほほほ、とマリエは笑い、女性も桃火の姿を不躾に眺める。 「神西屋は天儀の老舗、事業のために来ております」 クロウが極上の笑みで口を開いた。 「ニーナ・ヴォルフ様の結婚式でレナ皇女のドレスにお使いいただく予定です」 そして2人の手をとった。 「お美しいお二人にもいつかぜひ」 ぽうっとする女性、不機嫌そうに口を噤むマリエ。 「クロウさんは女性の扱いが上手ねえ」 物陰で呟くニーナにイルファーンが料理の乗った皿を渡す。 「じっと見てねぇでも大丈夫だからあんたも食え」 こちらもさりげなく優しいのである。 クロウの笑みに惹かれて女性陣が彼の近くに集まり始め、それと同時に桃火も次第に周囲と言葉を交わすようになっていた。 「そのコサージュ素敵ね。商品なの?」 「リボンも素敵」 マリエは男性陣に囲まれながら時々ちらりと桃火を見やる。 それでもこのまま無難に終わるかと思われた時、桃火がリトとアルーシュに切なそうな目を向けた。 「ちょっとふらふら。マリエさんに断って休んでくる」 クロウが一緒に行こうとするのを、 「大丈夫」 桃火は笑い、マリエの姿を探しに向かった。 それでも心配で、三人はそっと後を追う。 マリエを探して顔を巡らせる桃火は、ふと目を止めた。 バルコニーにいる女性二人。 傾くグラス。 彼女達はグラスのワインを流し捨てていた。 「毎年よくもまあ」 声が聞こえた。 「ほんと。頭の悪い美人って最低」 「所詮貧乏男爵よ」 くすくすと笑い合う。 「桃火さん!?」 クロウ達が叫んだ時には遅かった。ドレスを着ていても彼女は泰拳士。おまけに少し酒が入っている。 「おまえら、失礼きわわわ!」 飛び出した桃火の絶叫に全員で硬直する。 「何捨ててんだ、どアホ! マリエのワインだぞ!」 まずいよ。 リトとアル―シュが急いで駆け寄る。 飛び出そうとするニーナの腕はイルファーンが掴む。 「はなっ…」 引きずられながらぐわっと振り上げた足が思い切りテーブルを蹴った。 泰拳士の蹴りが入ったテーブルの運命は想像通りである。 大きな音、飛び散る破片。 全ての視線が集中した。 これはかなりまずい状況。 「お願い」 アル―シュは小さな声で桃火をリトに託すと、素早く会場の反対側のバルコニーに向かう。 予想はしていたけれど、まさかここまでとは。 「皆様、こちらをご覧になって? ほら、小さな来客が」 透き通る声でそう言い、竪琴を響かせて小鳥の囀りを使う。皆の目が彼女に向いた。 その間にリトが桃火の肩を抱き素早く部屋を出る。 「マリエさん」 クロウが立ちすくんでいるマリエに声をかけた。 マリエは聞こえていないかのように呆然としていた。 アルーシュの機転でその後は滞りなく進み、客が少しずつ帰り始める。 桃火は何とか料理は落としてもドレスについたワインの染みがどうしても落ちなかった。 「…みんな、ごめんなさい…」 「もういいから。ドレスが少し乾いたら帰りましょ」 泣きながら詫びる桃火にニーナは笑って答え、桃火は更に泣いた。 ふと気配を感じて皆が振り返ると、マリエが近づいて来るのが見えた。 ニーナが「あ」と言って顔を隠すも 「ニーナ様、最初から存じあげておりました」 「マリエさん、ごめんなさい。あの、私、あとであのお二方にお詫びの手紙を…」 「結構です」 マリエはニーナの言葉を遮ってぴしゃりと言い放つ。 「あの人達は毎年そう。お料理と殿方目当て。馬鹿な女」 それは誰に向かっているのだろう。桃火は俯く。 くるりと背を向けるマリエをクロウが慌てて呼び止めた。 「マリエさん!」 作ったボトルカバーを差し出した。 「もっと早く渡すつもりでしたけれど…神西屋の生地で作ったものです」 マリエはじっとそれを見つめ 「悪いけど、これを使う時はもうないわ。葡萄園、やめます」 マリエは自嘲気味な笑みを浮かべた。 「麦か野菜のほうが…お金になるわ」 「マリエさん…!」 ニーナが思わず立ち上がる。 「葡萄は来年もまた実をつけるぞ? 育つまでには数年かかっただろう。無駄にするのか?」 イルファーンの言葉に、来る前にちらりと見えた葡萄畑を皆で思い出す。 「あの…葡萄なら他にもいろいろできますわ」 アルーシュが控えめに口を開く。 リトが「あ」と両手を握り合わせる。 「ジャムや干し葡萄入りのお菓子! タグをつけても。布で作った可愛いのを」 桃火の胸のコサージュに目を向ける。 「マリエさん」 ニーナは真剣な面持ちでマリエを見た。 「神西屋の事業はバレクが投資してるの。彼に話すわ。元手を貯めましょうよ。一緒に」 皆でマリエの返事を待った。 マリエは手元のボトルケースを見た後、桃火に目を移した。 「あの…」 桃火はおずおずと口を開く。 「変な人。私を呼び捨てにしたさっきの威勢はどこにいったの?」 マリエは口の端を持ち上げて小さく笑い 「桃ちゃん?」 桃火の目からぶわりと涙が溢れた。 桃火は馬車の中から小さくなるベノフの屋敷をずっと見つめていた。 マリエはあれきり口を開かなかった。 しかし、その手にはずっとボトルケースがあったのだ。 気位が高いマリエにはきっと今まで正面から向き合う人もいなかったのだろう。 彼女は全部を一人で抱えていたのかもしれない。 「これ、作り方教えて? マリエさんに送ってあげたい」 桃火は胸のコサージュを指差し、リトとアル―シュがにこりと頷いた。 そして馬車はヴォルフに戻る。 そこに思いがけない姿を見つけて桃火が目を丸くした。 「にぃ?」 レオシュと並んで桃火の兄、橙火が待っていた。 「トウ、帰って来たのか」 イルファーンが言うと、橙火は深く礼をして頷いた。 「彼とは西の森で一緒に…」 レオシュを見て答える。 「レオち」 桃火は走り寄り、「あ」と汚れたドレスに目を落とす。 「あ、あのね…」 次の瞬間、チュッと唇にキスが降りた。 「お帰りなさい。桃火さん」 「うわっ!」 皆で手を差し出した。 ふわーっと倒れる桃火はやっぱり白目を剥いていたのだった。 その日、レオシュと橙火も一緒に今日の出来事を話し、皆で夜遅くまで盛り上がった。 ドタバタな出来事も、今は笑えることが最高の宝物かもしれない。 |