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■オープニング本文 神西桃火(ももか)の相棒は炎龍の結陽(ゆいひ)という。 弟の白火は甲龍の青陽(せいひ)。 この2体を連れて桃火は天儀からジルベリアに戻って来た。 が、途中で結陽が暴れるのなんの。 バレク・アレンスキーの屋敷に着いても、火を噴いてボヤ騒ぎ。 それを知ったリナト・チカロフが2体を相棒養成所に連れておいで、と言ってくれた。 協力常駐しているヴォルフの騎士も歓迎すると言ってくれているし、ここにも龍がそのうち増えるから、と。 2体の面倒を暫く見ることになったのはレオシュ・ベノフというヴォルフの青年騎士だ。 そして結陽はやっぱり暴れて、作業員達が数回消火に走り、2日2晩、レオシュは寝ずに結陽に付き添うはめになった。 「レオち、ごめーん!」 桃火はぽんと手を合わせてレオシュに謝る。 でも、レオシュは笑って桃火を見た。 「仕事ですから。でも…」 彼は微かに首を傾げる。 「私の名のあとにつく、ち、って何ですか?」 「ん? 何となく。可愛いだろ?」 がははと笑う桃火はとても失礼と思われる。 でも、レオシュは小さく笑みを浮べただけだった。 「白、遅いなぁ。何してんだろ」 なかなか天儀から戻って来ない弟の白火を桃火がちょいと気にかけ始めた頃、レナ皇女の頼みでトラブルメーカーの蔦那速水を相棒養成所で預かることになった。 桃火はバレク・アレンスキーからそのことを聞いた。 くれぐれも彼に近づくな、と言われた。 元より、速水は始終誰かに見張られているから近寄ることはできない。 遠目に見る速水は想像していたよりも優男で、これが聞いていた悪党とは信じられない。 ましてや桃火は自分をボコボコに殴った輩の親分とは結びつかないのである。 彼は言われたことを黙々とこなし、時折、彼と作業員達が談笑している姿も見られた。 それが彼の思う壺第一歩とは桃火はもちろん誰も気づかない。 「桃ちゃんは口を開けばレオち、レオちだな」 バレクが冷やかすほど、桃火はレオシュのことが気に入っていた。 兜を被るレオシュの顔は全貌がよく分からないが、笑う時の口元が優しげで、ちらりと見える視線はくすぐるようで、なんだか桃火はドキドキする。 そんなレオちに桃火はお礼をと握り飯を作った。 天儀から持って来た桃色の風呂敷に大事に包んで持って行った。 レオシュはそれを喜んで受け取った。 「一緒に食べましょう」と言われてもぐもぐしながら、桃火はふわわんと幸せを感じる。 「これね、漬物の代わりにキャベツを塩もみしてみた。こっちの握り飯は肉味噌入れてみたぞ。こっちは味噌とか醤油がないから不便だな。あたし持って帰ってくれば良かった」 桃火の指差す先を覗き込んでレオシュは「へー」と呟く。 「ショウユってどういう味がするのですか?」 「んー、そのまんま舐めたら辛いけど、煮物に使うと…」 顔をあげて桃火は固まった。 あんまりにもレオシュの顔が近かったからだ。 「ニモノ。何だろう。それって…」 そしてレオシュも人参よりも赤くなった桃火の顔に気づくのである。 『水晶玉みたいだ』 大きな桃火の目を見て思う。思わずキスしてしまいそうになるけれど、さすがにまだそこまで近い仲じゃない。 恋はこうして、相手の何もかもが妙に魅力的に思えることで始まるのだった。 桃火が速水と至近距離で出くわしたのは偶然だった。 黙々と働く速水に周囲も気を赦していたのかもしれない。傍に誰もいなかった。 彼は切株に腰かけて痛そうに青黒くなった足首をさすっていた。 桃火の姿に気づいて、ちらと目を向けたが再び自分の足首をさする。 「あっち行けよ。俺に関わると叱られっぞ」 「足…痛いのか?」 いけないと思いつつ、桃火は速水の足を見て言う。 「ああ、さっきちょっとな」 桃火は迷う。そして 「薬…草…持ってる。使う?」 速水は肩をすくめた。 「ほっとけ。あっち行きな」 桃火はまたためらったのち、薬草を取り出して手で揉むと、近づいて速水の足首に当て、彼が首からかけていた布で押さえて湿布した。 「すまねえな」 速水の手がぽふんと頭に乗せられた。 「桃火さん!」 鋭い声がした。レオシュが走って来る。 「だめです。あちらに」 レオシュは向こうから人が来るのを確かめて、桃火の腕を引き速水から引き離す。 速水は2人の姿を黙って見送った。 それから2日後、桃火はいつものように相棒養成所に来て不穏な空気を感じ取る。 妙に騒ぐ相棒達の声も聞こえるし、作業員達も一塊になって何やら言葉を交わし合っている。 「何か…あったの?」 桃火が尋ねると、現場監理のアモシフが桃火に目を向けた。 「速水が逃げちまって…」 「逃げた?」 桃火は目を細めた。 「桃ちゃんの仲の良かった騎士さんが怪我をしたみたいだ。今、拠点小屋で…」 聞くなり桃火は身を翻した。 「レオち!」 扉を勢いよく開いて中に飛び込もうとすると、ゲルマンと話していたリナトが慌てて桃火を押し返した。 「桃火さん、見ない方がいいよ!」 「なに…? どういうこと?」 桃火は血の気が引くのを感じた。 「開拓者に頼むから…速水は捕まえるから、桃火さんはバレク殿のお屋敷で…」 「何があったんだよ!」 桃火は怒鳴った。リナトは困ったようにゲルマンを振り返る。 「レオシュは…どうもふいをつかれたようで。気づくのが遅く…」 ゲルマンの言葉が終わらないうちに、桃火は2人を押しのけて奥に向かった。 そこには全身包帯でぐるぐる巻きになった誰とも分からない姿のものが横たわっていた。 「なんでこんなことに…」 桃火は鼻と口だけ出ている顔を覗き込む。 あたし、レオシュの素顔もまだ見たことないのに… いつか兜をとってもらおうと思っていたのに…こんなのって… 「レオシュは訓練を積んだ騎士です。よほど速水に隙を見せたのかもしれませんが…」 背後のゲルマンの声を聞きながら、桃火は傍に置いてあった桃色の風呂敷を見つけて手を伸ばした。 あの時、握り飯を包んだ風呂敷だ。レオち、持っててくれたんだ… 桃色があちこち茶色く沁みている。レオシュの血だ。 「あたしのせいだ…」 桃火は風呂敷を握り締めて呟いた。 「あたしが速水に話しかけたからだ…。速水はレオちを狙ったんだ…あたしとレオちがいつも一緒にいるとこ見てやがったんだ…!」 ゲルマンとリナトが顔を見合わせる。 「あたしがレオちと仲良くしたからいけないんだ…!」 「桃火さんのせいじゃないよ。僕が甘かったんだ。姫様から話は聞いていたんだから、もっと注意しとくべきだった…」 桃火はレオシュの脇に顔を埋めた。 「…ごめんね…ほんとに、ごめん…」 リナトはそう呟くしかなかった。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂
イルファーン・ラナウト(ic0742)
32歳・男・砲
リト・フェイユ(ic1121)
17歳・女・魔 |
■リプレイ本文 リト・フェイユ(ic1121)は到着してすぐムスタシュィルを周囲に張り巡らせた。 最初に拠点小屋に入ろうとした提灯南瓜のアヴァターラは 「桃火さん!」 リナトの声と同時に何かに弾き飛ばされて「あひょお!」と飛ぶ。 アヴァはストンとイルファーン・ラナウト(ic0742)の腕に落ちたが、酒々井 統真(ia0893)が掴んだのは神西 桃火(iz0092)の腕。 「あ、よかった…はぁ…」 リナトが開拓者を見て息を吐く。飛び出そうとした桃火を引き留め損ねたらしい 「桃」 統真の声に桃火は唇を噛みしめて彼の顔を見つめ、 「うわああん!」 抱きついて泣き出した。 「とりあえず」 桃火を引き離し「小屋に入ろう」と言うつもりで彼女の顔を覗き込んだ統真は、そうではなくて 「…鼻水拭け」 と言ってしまったのだった。 レオシュは奥の部屋で横たわっていた。 包帯の隙間からうかがえる呼吸が弱い。 リトの体がふわりと白く輝いたのはレ・リカルを使ったからだ。 「手当します」 てきぱきと包帯や止血剤を取り出す彼女にリナトも小屋にあるありったけの包帯を持って来る。 少し前にバレク・アレンスキー伯爵が来たらしい。 リナトの妻と娘を連れ帰ってくれたそうだ。 桃火も一緒にと促されたのだが…。 「桃、お前、どうしたいんだ? 俺達と一緒に行くか?」 イルファーンが尋ねると、桃火は 「わかんない…」 両手を握り締めて顔を歪める。 「飛び出そうとしたのはさっきが初めてじゃないんです」 リナトが気遣わしげに口を開く。 速水を手当した時の記憶、継母とのこと、そしてレオシュを襲った怒り。桃火は自分の中で整理しきれていなかった。 一緒に連れて行かないほうがいいかもしれない。 皆がそう思う。速水は彼女のためらいや優しさをきっと利用する。 リトが桃火の顔を覗き込んだ。 「レオシュさんは大丈夫よ。手当てを一緒に手伝って? それで、決してひとりで飛び出さないって約束して? レオシュさんに前みたいに傷をつけた顔を見せちゃいけないわ」 桃火は泣き出しそうな顔でリトの顔を見つめた。 速水はまだ森の中にいる確率が高かった。 ゲルマンに養成所にひとり、あとは空からを押さえる動きをと頼み、統真は雪白を促して森に向かう。 イルファーンは迅鷹の出動も願い、忍犬を一匹借りてアヴァと共に出発する。 「レナが来たら注意するよう伝えてくれ」 イルファーンの声に「心得ております」とゲルマンは答える。 クロウ・カルガギラ(ib6817)は近隣の村を探るからとリナトから捕縛状を、ゲルマンから騎士団の紋章入りの短剣を預かった。 「俺達呼ばれたニャ」 イチゴーの背に乗った猫又のトラトウリがクロウを見上げる。 「小屋を仲間と守ってくれるか?」 クロウが答えると、 「ふかふかの寝床はいつできるニャ」 トラトウリは交渉次第だね、というように身を反り返らせた。 「速水を捕まえれば工事が再開できるよ」 しかしイチゴーはあまり興味がなさそうな目を向ける。 「イチゴー、白火はもうすぐ戻ってくるぞ」 クロウがぽんと頭に手を乗せると、イチゴーの目に微かに光が宿った。 「色々大変だったみたいだから、励ましてやりな。お前の存在はきっと彼の拠り所になるよ」 イチゴーは何も言わなかったが、のっそりと動き出した。 「任せとくニャー! 俺の仲間は超強いニャー!」 トラトウリが手を振った。 リトはレオシュの包帯をいったん解くと、足から丁寧に拭いて怪我の様子を確認していった。 あちこち痣だらけだったが、肩の傷と腕の傷がひどかった。鎧がなければ致命傷になったかもしれない。 顔と頭を覆っていた包帯を取った時、桃火は初めて見る彼の顔を食い入るように見つめた。 「綺麗な人ね」 リトは言う。 頬は腫れ、右目のまぶたも青黒くなっていたが、レオシュの顔立ちは客観的に見て端正だ。 桃火と話す時はきっと優しく彼女に笑いかけたのだろう。 でも、今はその目は閉じられたままだ。 リトは迷った末、肩と腕の傷は縫うことにした。 「針と糸を消毒しましょう。お湯を沸かして?」 リトの声に頷いて部屋を出る桃火の後ろ姿をリナトが沈痛な面持ちで見送る。彼は彼で妻と子の心配と速水を逃がしてしまった責任が重くのしかかっているだろう。 「リト、猫又ともふらさまが集まって来た」 ローレルの声がした。リトは頷く。 ローレルはそっと近づいてレオシュを見おろし、その目を再びリトに向けた。 「リト、心配ない」 ローレルの顔を見ると不安を感じる時もリトは安心する。桃火のためにもレオシュを死なせるわけにはいかない。 統真は養成所から少し離れて足元をざくざく踏み分けながら進んだ。 「統真!」 2時間ほどして雪白が呼んだ。近づくと、草の中に血だまりが見えた。 レオシュがあの怪我でここから移動するのは無理だ。とすれば速水の血? 犬の吠え声が聞こえた。暫くしてイルファーンが姿を現す。 「あの野郎、あっちこっちに酢を撒いてるみてえだ。犬の鼻がおかしくなっちまった」 「酢?」 立ち上がって統真は目を細める。 「賄い小屋からくすねたんじゃねえか? 妙なところに知恵があるぜ」 答えつつイルファーンは統真の足元を見て唸る。 「血の匂いを消そうとしたか…」 「こんだけ出血してりゃ手当もいる。森の外の助け求めてるかどうかは…クロウが掴んでくるか」 統真が言った時、いきなり黒い影が草むらから飛び出した。忍犬が吠える。 雪白が「ひぃあ!」と声をあげた。 帯を咥えられ、ぽーんと放り投げられて落ちた先は狼の背。 「スノウ」 統真の声にスノウは小さく唸って答え、殺気立つアヴァと忍犬の頭をイルファーンは抑え込む 「ヨク来タ、小娘、栗ノ実食ウカ」 いそいそと連れて行こうとするのを雪白は慌てて止める 「ちょ、ちょっと待って、スノウ、ボク達、今日お仕事なんだ。人探してる」 「クダラン」 スノウはにべもない 「放ッテオケ。アレハ熊ノ餌ニナル」 「見たのか?」 統真が言うとスノウは唸った。 「愚カヨノ、オ前達ハ。意味ノ分カラン争イヲ。手負イハ格好ノ餌ダ」 統真とイルファーンは顔を見合わせた。 速水は森にケモノがいて、普通に冬篭り前の動物がいることをどれほど知っているだろう 「森からはまだ出てないんだな?」 イルファーンは尋ねるが、スノウは答えない。どうでもいいのだろう。 放っておけば速水はスノウの言うように森に生きるものたちの餌になるかもしれない。 でも… 「確認しなきゃだめだ」 統真の言葉はイルファーンの気持ちと同じだった。生死が分からない状態では誰も安心できない 空で小さく馬の嘶きが聞こえた 「統真! イルファーン!」 クロウだ。 「ここだ! クロウ!」 統真が声を張り上げる。 「速水、馬を使ってる!」 聞き終わる前に皆で駆け出した。 「スノウ! ごめん! またどっかで栗食べよう! 何か見たらまた教えて!」 雪白の声にスノウは遠吠えで答えた 「馬が消えた?」 村の男に捕縛状を見せてクロウが尋ねたのはほんの少し前だ。 「ちょっと畑から離れた間に。一頭だけなんですが」 「他に何か無くなったものはないですか?」 「さあねえ…」 男は探し物でもするように視線を巡らせる。 「嫁さんが洗濯物が飛ばされたとか言ってたけども…ええと…細工用の小刀は…」 クロウは素早くプラティンの背に乗った。 「ありがとうございます、次に誰か来たら注意してください。志体持ってます。拠点小屋に知らせを」 頷く村人をあとに飛び立ったのだった。 そして拠点小屋。こちらは静かだ。 レオシュは来た時よりも呼吸が落ち着いた。体が熱を帯びて来たので桃火が布に水を含ませて少しずつ彼の口に流し込んでやる。無意識にでも彼が飲み込むのが救いだった。 リナトは何ができるでもなく、じっと椅子に座って何かを考え込んでいる。 「レオち?」 ふいに桃火が言ったので、リトは急いでレオシュの顔を覗き込んだ。うっすらと目が開きかけていた。 「気分はどうですか?」 リトは尋ねる。しかし、レオシュの目が不自然に揺れた。 「失礼…お顔が…よく…見え、ない…」 「レオち…あたしのこと…わかる?」 桃火が顔を近づける。しかしレオシュの目が桃火を捉えることはなかった。 「桃火さん」 部屋を出て行く桃火をリトは慌てて追った。リナトがびっくりして立ち上がる。 「桃火さん、約束したわ」 リトの声に桃火は頷きながら拳甲を嵌めていた。 「リト姉…ごめん…あたし、行く」 「レオシュさんの症状は一過性のものだと思います。気を落ち着けて?」 拳甲にぽつぽつと涙が落ちる。 リトは、ふいにはっと顔を巡らせた。ムスタが反応した。リトの表情を見てローレルが身構えるのと桃火が身を翻すのが同時だった。 「桃火さん!」 リトが腕を伸ばした瞬間、ドアが開いた。 一瞬、速水かと思った。 が、 「おっと」 桃火の肩を掴んだの黒い鎧姿の女性だった。 「おや、嬢ちゃん」 おどけた調子で言う彼女の後ろからレナ皇女が姿を見せる。 「ドゥヴェ、そのまま桃火を掴んでおけ」 レナはそう言い、真っ直ぐレオシュに向かう。 声をかけようとして彼の表情に気づき振り向いたレナにリナトが駆け寄る。 「姫様、申し訳ありま…」 「速水は」 遮る皇女の顔に怒りを見たリナトは青ざめた。 「皆が追ってます。姫様、どうぞここでお待ちを」 毅然と答えるリトの手に武天の呼子笛が握り締められていた。 ムスタは反応していない。でも、何となく分かる。皆が慌ただしく動いている。 「奥へ」 ローレルが言う。 「加減はしない。良いな、リト」 全ての猫又達が一点を凝視しているのが窓越しに見えた。 馬ならばきっと森の外。 クロウは目を凝らし、一頭の疾走する馬を見つけた。 一直線に拠点小屋に向かっている。 「プラティン!」 言い終わる前にプラティンはパラスプリントで一気に詰め寄る。 走る馬と小屋の間。 翔馬の背で銃を構え、ナーブカマル・イゥテダーオンを使おうとしたクロウの目が細められた。 「違う!」 ズルフィカールを抜き、すれ違いざまに一気に振り下ろした。 ―― ドッ… 「…ンの…!」 落ちたものを見てクロウは唇を噛む。 あいつ、丸太に服を着せて! 気が狂ったように走る馬が小屋の扉に向かうのが見え、その手前で猫又達が群がる。 速水! どこにいる! クロウは顔を巡らせた。 イルファーンの連れた忍犬が激しく吠えて走り出した。 向かう先は拠点小屋。 「統真! リトの呼子だ!!」 イルファーンの声に統真が素早く移動する。 アヴァがちゃっかり足の速い犬の背に掴まって消えて行くのが見えた。 イルファーンが拠点小屋を目にした時、統真はそれよりも前を走り、そしてクロウがナーブカマルでネルガルを構え、標的を捉えているのを見た。 「桃火―!」 速水の声と共に肩からぱっと鮮血があがる。それでもなお走る速水にイルファーンは崩落を構える。 届けよ! 崩落が火を噴いた。 速水の右足ががくりと崩れ折れる。 クロウが目をこちらに向け、引き金から指を放すのが分かった。 これ以上開拓者で狙い撃ちすると速水は死ぬ。 「桃火あ!」 剣を掲げて叫ぶ速水にアヴァが「あちょー!」と叫びながら死者の亡霊を使う。 一瞬の差でそれが苦心石灰で弾かれたと見た統真が太極煉気胞覇天で一気に速水に飛びかかって速水をねじ伏せた。 近づいて初めて分かった。 速水は今受けた傷以上に血まみれだった。 落ちた騎士の剣をクロウは拾う。 速水は叫ぶ。 「姫さん…いるんだろ…俺を天儀に帰してくれ!」 「口開くんじゃねえ!」 統真がぎりりと速水を地面に押しつける。 「統真にぃ! 待って!」 桃火が駆け寄った。 「死んじゃうよ!」 「桃、小屋入ってろ!」 統真は厳しい顔で一喝するが、桃火は統真の腕にすがりつく。 「頼むよ! 統真にぃ!」 「統真、放してやれ。もう逃げられまい」 レナの声がして、統真は警戒を解かないままそっと速水から離れた。 「紅子…こっち来い…俺が守ってやる…」 荒い息の下で速水は桃火の顔を見て言った。 「母さんが大事なら…なんでこんなこと…あほたれ…」 桃火は速水の足に目を向けた。前に手当をしたところは撃たれた傷で血にまみれていた。 涙に濡れた目をレナに向ける。 「この人…どうなるの? …助けてっていうのは…ひどいこと? あたし…」 「だめ…です…桃火…さん…」 レナではない声がして皆が小屋を見た。 レオシュが荒い息で壊れた扉にすがりつくようにしていた。リトが慌てて彼を支える。 「彼は貴方を…」 言葉の途中で統真がはっとして速水に飛びかかろうとした。 が、それよりも早く。 銃声と共に桃火は自分の足元に血の粒と、ぽすりと落ちた小刀を見る。 「レナ…」 イルファーンの微かな低い声が漏れた。 レナは手にしたカービン銃を下ろし、やるせない視線を微かに揺らす。 「ドゥヴェ…彼を城に。埋葬する」 そう言って踵を返した。 統真は額を撃ち抜かれ、開いたままの速水の目を閉じた。 狼の遠吠えが聞こえる。 雪白が統真の顔を見上げ、統真は無言で雪白の頭に手を置いた。 レナはそのまま誰とも目を合わさず、速水を連れてスィーラに戻った。 日が暮れ、賄い小屋の女性達が食事を運んで来てくれた。 でも、どこか皆の心は晴れなかった。 速水は決して赦免にならないと桃火が聞いたのは、リトの願いでレオシュと共にヴォルフに行く途中だった。 縛り首にならずとも手当されぬまま獄中で衰弱死したであろう、とも。 「彼は一切の枷をつけず、警戒されつつも作業員として給金をもらい、真っ当に働いていればいずれは天儀に戻ることもできた。その未来を断ち切ったのは…彼自身です」 ゲルマンは静かに桃火に言った。 レオシュはすぐに視力が回復し、桃火には知らせないで欲しいと前置きしたうえで全てを報告した。 あの日、速水に桃火が森の中で倒れていると知らされ、急いで言われた場所に駆けつけた。 そして背後から襲われた。 最初の一撃が彼の持っていた斧で傷つけられた肩の傷だった。 それでも暫く攻防戦が続いたのだという。 肩の出血で眩暈を感じた時、一撃が利き腕に入った。 「死んじまえ! みんな死んじまえ!」 叫ぶ速水の声を聞きながら、奪われようとする剣を放すまいとするレオシュを速水は滅多打ちにした。それが斧であったならレオシュは生きていなかっただろう。 自身も血まみれになり、体力を消耗した速水が斧を持ち切れず剣を奪うことに集中したのが不幸中の幸いだったのだ。 速水は桃火を殺す。 薄れる意識の中でレオシュはそう感じていた。 でも、彼がいったい何に憤っていたのか、それはもう誰にも分からない。 そして、レナ皇女から速水の死を知らせる手紙を受け取った桃火の父、神西藤火はその手紙を紅子に見せることなく燃やしたのだった。 |