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■オープニング本文 紅子はぽーんと紙で作った風船を手の平で打ち上げる。 息子の緑(リョク)がきゃーと笑い声をあげて追いかけ、ぽんと打つ。 二階から吹き抜けの下の広間を物陰から見下ろしていると、2人の姿はごく普通の母子だ。 紅子はこんな風に笑うのか、とレナ・マゼーパ(iz0102)は思う。 小さい目が糸のように細くなり、緑と同じように右頬にえくぼができる。 あの時、一瞬でもこんな顔を見たならば、彼女の印象はまるで違っていたかもしれない。 でも、息巻いて天儀からジルベリアにやってきた紅子は全てにおいて攻撃的で、とうとう短刀まで抜いてレナを刺そうとした。 そして「軟禁」という形に。 ここはスィーラからさほど遠くない、ジェレゾ内のアジンナの別荘だ。 でも、神西の上の三兄弟は天儀に里帰りすることが決まったのだし、それもこれも開拓者のアドバイスあってのことだ。結果としては最良だったといえよう。 「見た感じと聞いた話とではだいぶん違うなあ…」 横にいたバレクが小さく呟いた。 話があるからと連絡してきた彼を、じゃあここでと返事をしたのはレナだ。 小さい声だったのに、控えていたアジンナが人差し指を口の前に立て、それから2人を別室に促した。中では親衛隊のスェーミが待っていて、2人の姿を見て礼儀正しく礼をする。 「紅子殿は思いのほか気配や音に敏感です。最初の頃ほどの警戒心はなくなりましたが」 レナとバレクに椅子を勧めながらアジンナは話す 「一任いただきましたので何度か見張り付で外出させました。長逗留でお子が退屈されまして。でも、それがお供連れの高貴な身分に見られたようで紅子殿はご満悦に。それからかなり態度が柔らかくなりました」 苦笑交じりにそう言って、侍女が置いて行ったお茶を自ら入れて2人の前に置く。 「彼女は自分がどうしてここにいるのか理解しております。ただ、自分が刺そうとしたのが姫様であったのかどうかの確信は持てずにいるようです。速水という男にも会わせておりませんし」 「知ったところで処遇は変わらぬ。それより速水はどうしている?」 レナはカップに手を伸ばして尋ねる。それに対してはスェーミが口を開いた。 「あちらは少々厄介で。二、三度逃げ出そうとしたようです」 頑強な兵士十数名に囲まれてたいした度胸だわ、とレナは頭の隅で思う。 スェーミは言葉を続ける。 「ギルドでの報告書を調べて参りました。紅子殿は故買屋の娘です。速水はそこに盗品を卸していた一派の息子のようですね。双方の両親は捕えられましたが、2人はまだ幼かったので別々の場所に引き取られたようです。でもそこからはギルドでは分かりませんでした」 レナは頷いてバレクに目を向ける。 「橙火達からは…何か連絡があった?」 「いや、何も」 バレクは答える。 「俺、行ってみようと思ってる。それを伝えに来たんだ」 「天儀に?」 レナは目を細める。バレクは頷く。 「一応、訪問するという手紙はこちらから送った。ジルベリアに神西屋の仲介店みたいなのができないかなと思って」 何それ、というようにレナは怪訝な表情になる。 「ジルベリアと天儀じゃ好みが違うだろうが、こっちにだって質のいい絹織物や細工の技術がある。今、リナトがいる土地だってエドゥアルトが織物業を充足させた。何かこう…双方で利になることができないかなと。そういうのを橙火達がジルベリアの拠点として担ってくれれば彼らがここに滞在する意味にもなるかと」 「それは…神西屋の意向もあるし、橙火が了承するのか?」 思わずレナは眉を潜める。橙火が商売に向くとはとても思えない。 レナの心中を察したようにバレクは頷く。 「うん、でも、いろいろ考えたんだ。俺もあの子達に戻って来て欲しい。かといって、彼らの父親が大事にしてきた家業は捨てて欲しくない。俺は皆を引き取るつもりではいたけれど、何か生業を持たないとそれはそれで居心地も悪いだろう?」 分からないわ、というようにレナはバレクから目を逸らす。 バレクは人当たりもいいし自分やリナトに比べれば遙かに事業家向きではある。言いだす限りは相応のリスクを自分で背負うつもりなのだろう。 でも、そうはいっても相手は天儀の商人だ。ジルベリアとは違う。 「話がうまく纏まったら、力を貸して欲しいんだ。色々手続きも必要だろうし」 「構わないけれど、そんなことはずっと後の話だわ。相手にも会っていない。だいたい、貴方一人で行くの?」 「ん、開拓者を頼む」 当たり前のように言うバレクの言葉を聞いてレナは呆れたように小さく首を振った。 開拓者がこれに力を貸してくれるの? バレクの海のものとも山のものともしれない事業のプレゼンに? それにギルドは今、護大のことで… そこまで考えてレナは口を引き結んで目を伏せる。 先の記憶がよみがえる。 白い翼、顔のない異形のもの。何にも効かない。みんな死ぬ… 手に温もりを感じてレナは顔をあげた。 バレクが大きな手で自分の手を包み、彼は顔を覗き込んでいた。 「開拓者には、仕事終わったらレナの顔見に寄ってくれって伝える」 バレクは言った。 彼は知っているんだ…。私がこの前どこに行って来たか。 レナは彼の目尻のいつもの笑い皺を見つめた。 「ブリャニキ一杯揃えて待っていたらいいよ。橙火達も必ず連れて戻るから」 レナは無言だった。いつの間にかアジンナとスェーミがそっと席を外していたことにも気づかなかった。 バレクは小さな子供にするように、レナの手を両手で挟んでゆっくりと話す。 「なあ、レナ。世界は混沌として、これから何が起こるかわからない。戦に長けた君と違って俺は力では何もできない。でも、今生きている人達が、今日より明日がほんの少しでも幸せになれるようにできることはたくさんあると思う。ニーナのお腹に宿る子供が無事に産声をあげるように。そして、レナ、君の顔にも笑顔が浮かぶように」 「…」 今生きている人達が 今日より明日がほんの少しでも幸せになれるように。 その言葉は少しレナの心を突いた。 「橙火達だって迷ってると思う。紅子さんをこのまま逗留させるわけにもいかない。俺の計画なんて鼻っから相手にされないかもしれない。でも、行けば何か進展があるかもしれないだろ。開拓者が一緒だったらなおさらだ。みんなで考えれば何とかなるよ」 「バレク…」 レナは呟き、次の瞬間、はっとして彼の顔をむんずと掴んで引き離した。 今にも唇が重ならんばかりにバレクの顔が近づいていた。 「危ない…! お前には二度と…っ!」 「違う…頬にと…」 「やかましい!」 力任せに押しのけられて、バレクは椅子ごとひっくり返った。 やはり開拓者に頼むべし、とレナは肩で息をしながら思ったのだった。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
フレイア(ib0257)
28歳・女・魔
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂
イルファーン・ラナウト(ic0742)
32歳・男・砲
リト・フェイユ(ic1121)
17歳・女・魔 |
■リプレイ本文 これが神西藤火。 思ったより若い。60歳手前くらいに見える。 陽気そうな口元は桃火と緑を思わせた。 しかし、彼は橙火の介助を受けながら座布団の上に座り、その身を積み重ねた座布団にもたせかけたのだった。 神西屋はいかにも『一般の方はお断り』な雰囲気の呉服屋だ。 しかし、出迎えてくれた桃火と白火はいつもと同じで、桃火はリト・フェイユ(ic1121)の顔を見て嬉しそうに顔をほころばせた。 「リト姉、会いたかった。あの時はありがとう」 「傷の様子は?」 リトは彼女の額の髪を指で持ち上げて覗き込む。 「…良かった」 ほっと安堵の息を漏らす。もうどこに傷があったのかも分からない。 「あちこちは暫く痛かったけど」 桃火は笑った。今でこそ笑えるけれど当時は相当痛かっただろう。 そんな会話をしたあとだけに、藤火の様子には皆が少し戸惑った。 その顔を見て藤火は笑って手を振る。 「あ、大丈夫です。昔から腰が悪ぅございましてな。いつものことです」 「あの…つかぬことを聞くけど心臓が悪いってことは…?」 ためらいがちにそう尋ねたのは酒々井 統真(ia0893)。 「紅子が言いましたか?」 「いや…」 統真が口篭ると、藤火は小さく頷いた。 「速水ですか」 その言葉はつまり、彼は速水を知っているということだ。統真は横にいたイルファーン・ラナウト(ic0742)と顔を見合わせる。 「皆さん、子らが世話になって感謝しております。紅子もえらい迷惑かけてしもて…」 腰が曲げられない藤火は頭だけを深々と下げた。 「あ…どうぞ足をお楽に。正座はお辛いでしょう」 彼がそう言ったのは、座布団の上で既にバレクとレナ皇女の親衛隊、シャスが足をもじもじさせ始めたからだ。 シャスは姿を見せた時、 「フレイア(ib0257)様が綺麗どころをとご希望になりまして、なれば姫様が私をと」 当然ですわよねえ? と得意そうに高らかに笑っていたのだが、今はもうボロボロ。 足を押さえて「ううっ」と呻く。 突いてみようと横からそうっと指を出したクロウ・カルガギラ(ib6817)の手をピシッと叩き、めっ、とする。 「フレイアさんのお土産だよー」 桃火が器に盛ったお菓子を抱えて座敷に入って来る。後ろからお茶を盆に乗せた白火。 甘い物とお茶で和やかに話ができればというフレイアの心遣いだ。 藤火はブリャニキをつまんで眺める。 「桃火が持って帰ったパンプキンなんとかといい、変わった食べ物があるもんやな」 「あっちでは握り飯が好評でしたよ。桃火さんと白火さんが作ってくれて」 クロウが言い、 「そういや、300個作って大変だったよな。荒鷹陣、できるようになったか」 統真が思い出してくすりと笑う。 聞かれて桃火は「ひゃうー」と妙な声をあげた。相変わらずだめらしい。 「統真さん、イチゴー、どうしてます?」 白火がためらいがちに尋ねた。 「元気にしてる。相棒もたくさん入ったんだ。頑張ってくれたぜ」 白火はそれを聞いてほっとした顔になる。ずっと気にしていたのだろう。 「リナトさんは子供が生まれたよ。双子の女の子」 クロウが言うと桃火が目を輝かせた。 「うわー! じゃあ、お祝い持っていかなきゃ! ね? にぃ?」 目を向けられて橙火ははっとして顔をあげた。 イルファーンが微かに目を細める。橙火は元から表情に乏しい男だが、皆が笑っているのにずっと伏し目がちでにこりともしない。 ふと、リトが目を座敷の外の方に向けた。 ムスタシュィルを使ったのだが、何か反応したような…? その後すぐ 「橙火さーん!」 「お兄さーん!」 数人の女性の声が聞こえて、そのあときゃあきゃあという嬌声が響いた。 「あ」と、桃火が立ちあがる。 「なに?」 クロウが怪訝な顔をした。 「わかんない。女の人が一杯集まるようになっちゃって。ちょっと話して帰ってもらうね」 桃火は白火を促すと2人で座敷をあとにした。 「ムスタが反応しました。…すごい…」 リトが苦笑して隣のイルファーンに囁いた。イルファーンも思わず笑う。 「天儀で大モテ?」 バレクが目を丸くして橙火を見るが、橙火は「違います」というように顔をしかめた。 「隣の部屋を少しお借りしますわ」 機会とみてフレイアがシャスを促し立ち上がり、バレクの肩を突く。 バレクは頷いて藤火の顔を見た。 「藤火殿、今日は相談がありまして」 藤火は怪訝な目を向ける。 「神西屋さんは良い商品をお持ちだが、ジルベリアにも質のいい絹織物や細工物があって、縫製の技術もあります。何というか、天儀の老舗の呉服屋とジルベリアの物の、その…ええと…」 何とか次の言葉を出そうとするも言葉に詰まってしまう。この人は本番に弱いらしい。 クロウが助っ人で口を開いた。 「天儀とジルベリア双方の特性を生かしたものが商品開発できないかなと考えてます。バレクさんの隣の領地は絹織物が盛ん。それに氏は皇女ともご友人。良いものができればジルベリア皇室との取引も可能になるかもしれません。それは神西屋の格上げになるかと」 すごいな、君、という目でバレクがクロウを見た。 しかし藤火は「ふむ」と言ったきり何も言わない。 さて、次はどうしたら、とバレクが言葉を考えていると、隣を仕切る襖が開いた。 目を向けて皆が目を丸くする。 大急ぎで着替えたシャスが立っていた。 白い絹地に模様を織り込んだドレス。ジルベリア風のドレスだが、腰から上は合わせになっている。腰から下は膝までが体に沿い、そこから裾は控えめに広がっていた。 髪に挿しているのは髪止めではなく簪。腰にふわりと巻かれた布はジルベリアの絹。 「先にこちらの反物をお預かりして。大急ぎで縫いましたのでシンプルなものですけれど」 フレイアが言い、シャスは腰に手を当ててポーズをしてみせる。 藤火はほう、と頷いた。 「扱いの難しい反物をようここまで…。しかしお嬢さん…」 「そうですの…」 フレイアは息を吐く。 「この状態でジルベリアまで運ぶとかなりの高値。同じことがジルベリアから天儀のほうにでも言えますわ。でも…」 彼女はシャスの髪に挿した簪に触れる。 「最初はこうした細工物や小物品から始めるのも。販売品でなくともドレスを姫様などが身につけてくだされば注目も集まりましょう」 藤火はやはり何も言わない。 「藤火さん」 バレクが居住まいを正して藤火に向き直る。 「立ち上げ費用は俺がみます。人材をを育てるという手もある。方法はいろいろ考えます。軌道に乗るよう俺が尽力します。その拠点に橙火達をお借りしたい。3人をジルベリアに連れて行かせてください」 橙火がそれを聞いて顔を歪めて俯く。帰りを願うバレクの気持ちを感じたのだろう。 それでも藤火は何も言わない。見かねてリトが控えめに口を開いた。 「伝統に傷がつくというのであれば暖簾分けはいかがですか? 若い人達で新しいものをというのは悪いことじゃないと思います」 藤火は彼女の顔を目を細めて見つめてにこりと笑い、ゆっくりと口を開く。 「有難いお話ですが、橙火は…商いには向いとりません。本人もその気はないでしょう。これらが戻って話は少ししました…。跡取りはずっと白火と思うてましたが、あれもまだ小そうて。なので…もう店は今代で終わりと思うてます。私も10年先は生きてるかどうか」 白火? 藤火の頭の中では次代は白火だった? 「緑くん…は…?」 クロウが呟く。このことを紅子が知らないはずがない。 「緑は俺の…」 「橙火」 口を開きかけた橙火を藤火が厳しく一喝する。橙火は手を膝の上で握り締めて俯いた。 『緑は俺の』? 統真とイルファーン、クロウの頭にちらとよぎったことがあった。 前に緋乃屋で聞いた言葉。 『緑坊が橙ちゃんと紅子さんの子じゃないかって噂までたったから』 …まさかね…。 藤火は息を吐いてとりなすように笑みを浮かべた。 「皆さんがこれを案じて来てくださったのはよう分かっております。ここをお調べになっておられたのも知っております」 藤火は橙火を見やった。 「これが紅子とうまくいかんのは、紅子が速水と会うのをやめんかったからです。橙火は道ならぬ逢瀬をしとると思っておったようで。紅子は昔から頭に血が昇ると前後の見境がなくなって、私もだいぶん叱りました。速水と会うのもやめろと言いました。でも止めなかった。離縁するぞと言いました。そうしたら…」 「緑ができた…」 イルファーンが言うと、藤火は小さく頷いた。 「まあ…いろいろあって紅子を神西に迎えましたが…何をどうしても速水と縁を切りよらんのです。小さい頃から兄と慕うておったのは分かりますが、それでもあれは…」 彼は苦虫を噛み潰したような顔になった。 「心臓悪いていうのは紅子にだけ言うたことです。速水がなんぞ企んだら必ずそれを使う思うて。案の定ですわ。もう店は仕舞です。残したら子らに苦労を残す。この子らは自分の行きたい道を行ったらええと思うております」 「速水の存在が問題なら、造作ねえと思うぜ?」 イルファーンが言った。 「あいつは今、皇女の監視下にいるんだ。相棒養成所にでも送って肉体労働させたらどうだ」 「うん…それで紅子さんも含めてちゃんとみんなで話をしたほうがいいんじゃねえか?」 と、統真。 「私もそれが筋だと思います…」 リトが静かに言葉を継ぐ。 「橙火さんは…どうしたいんだ?」 クロウの声に橙火はびくりと顔をあげ、暫く迷うような表情を見せたあと、身を退けて両手を前についた。 「父さん……神西屋、続けてください。この店、母さんが大事にしてたんだ。後継は緑に。紅子さんは…きっと緑を立派な主人に育てると思う。…紅子さんには俺からも頼みます…」 彼は次に皆に向き直り、頭を下げる。 「少し…猶予をください。開拓者に…戻ります」 「にい!」 障子が勢いよく開いて桃火が声をあげた。外の廊下で聞いていたらしい。 「また…どこかに行くの?」 桃火は今にも泣き出しそうだ。後ろで白火も顔を青くしている。 橙火は妹を見て首を振った。 「桃、心配ない。もういなくならない。昔は俺さえいなくなれば全てが収まると思ってた。でも、今は違う。ここにいる人達が教えてくれた。必ず戻る。ジルベリアで待ってて」 橙火の顔は真剣だった。彼は再び頭を下げる。 「ちゃんと戻って来ます。そのあとは俺が死ぬまで速水を見張る」 「皆と…戦いに行きたいんだろ、トウ」 バレクは言った。 「君が開拓者にできる恩返しは、開拓者として共に戦うことだもんな…速水は俺もレナに頼んでみるよ…」 橙火は頭を下げたままだった。 藤火が桃火と白火の方を見た。 「母さん戻って来たら…話ししよや。ほんで、行きたいならジルベリアにお戻り。ようにご恩返しするんやで」 2人は涙を溜めて頷いたのだった。 将来的にフレイアが見せてくれたようなドレスができあがることを目標に、事業は少しずつ詰めてみることになった。 主要に担うのは白火になるが、緑が跡を継ぐなら紅子は反対しないだろう。 彼女のあの短気さはどうにかしないといけないが。 ただ、ひとつだけ気になることがあった。 神西屋から出る前、イルファーンはそっと橙火を呼んだ。 「トウ…聞くのは悪いと思うが敢えて聞く。緑は…お前の子供か?」 橙火は少し離れた場所に立つ皆の顔をちらりと見てからイルファーンに目を向けた。 「父は違うと言い張ります。俺は記憶が曖昧で…。でも、紅子さんに直接問いただそうしたことがこれまでの結果を生んだ」 そう答え、皆のほうを振り返る。 「紅子さんは、生前の母と知り合いだったそうです。緑の名は母が言っていたことです。白火の下に男の子が生まれたら緑。女の子なら緑香。紅子さんを殺めずにいて良かったと思うのは…それを思い出した時です」 橙火はそう言って大きく息を吐き、安堵したように小さく笑みを浮かべた。 「皆さんが来てくれなかったら…何の決心もできなかった。もう逃げません。紅子さんに会って…それから発ちます」 レナ・マゼーパ(iz0102)はもふらのぬいぐるみを抱きしめて、皆の帰りをまちわびていた。場所は親衛隊が用意してくれた、城の入り口近くの小さな部屋だ。 「レナ!」 姿を見せたバレクが両手を広げてレナに歩み寄る。それを見てぬいぐるみを放り出したレナはバレクの腕を潜り抜けて開拓者達に走り寄った。 「どうだった?」 「紅子さんを天儀に。皆で話をして戻ってくると思うよ」 統真の言葉にレナは笑みを見せて頷いた。 「姫様、ほら。神西屋さんがくださいましたわ」 フレイアがあのドレスを広げてみせる。それが彼女のデザインと知ってレナは目を丸くする。 「ニーナの結婚式に着てみたい」 「それなら何か色のものをおつけしましょう。少しサイズもお詰めしないと」 「やってくれるの?」 ええ、もちろん、というようにフレイアは頷いた。 「羊羹買って来たよ」 クロウが包みを持ち上げる。 「菊の花の和菓子。姫様、白餡はお好きです?」 リトも包みを持ち上げた。 皆で席につき、レナは神西屋での話を聞く。 さすがに緑の件は言えなかったが、橙火が開拓者に戻ると聞いてレナは少し顔を曇らせた。 「…私は皆をここで待つわね。共に戦いたいと思ったけれど…ジルベリアを護ることが私の役目と思う」 そして皆の顔を見回す。 「待っているから…帰って来て。また顔を見せて」 「レナさん、大丈夫だよ。仕事があったらまた呼んでください」 クロウがにこりと笑い、レナは頷いた。 それから暫く事業のことや速水の処遇についての話をし、レナは全てに協力すると約束した。 そろそろ暇をと皆が席を立った時、レナは隣の袖口を掴んだ。 「急ぐか? あの…親衛隊が30分だけなら見張りをと…」 「何? 全然急がないよ、レナ」 喜んで、というように両腕を広げて戻るバレクの頭を統真が掴んだ。 「察しろよ、っとに…!」 「え?」 彼の剣幕にバレクは目をぱちくりさせる。 「ほら、行くよ」 クロウが腕を引っ張る。 「はいはい、帰りましょうね」 フレイアとリトが背を押す。 「え? ちょっ…」 大騒ぎをしたあと、ぱたりとドアが閉まる。 少し呆然として見送ったレナは頭の後ろに手の温かみを感じて振り向いた。 途端にシナモンの香りが唇を覆う。 「あのな、隙を見せるのは俺だけにしとけ」 低い声が心地いい。しかし、見上げる目が不安に揺れていることに自分で気づいていない。 「そんな心配そうな顔するな。生きてるから」 「開拓者の自由は奪わない。そう決心しているのに私は皆に我儘ばかりね…」 「ん。俺もできることは限られてる。でも、一人の女を…」 すっぽりと体が腕に包まれる。 「30分間ずっと抱きしめることはできる」 私も多くの人に届けよう。この腕のようなあったかさを。 今日より明日が少しでも幸せになるように、 レナは再び深く唇を覆う香りに目を閉じたのだった。 |