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■オープニング本文 ヴォルフ伯爵領。 出迎えたのは… 「うひゃー! すげー! ほんとに白い髪の姉ちゃんだあああ!」 どかっ! 親衛隊のアジンナが、立ちはだかったので、神西緑(りょく・6歳)はレナ皇女に飛びかかり損ねて後ろに吹っ飛んだのだった。 「緑っ!」 ヴォルフ伯爵夫人と緑の兄姉達がバタバタと走って来る。 レナはお尻をさすっている少年を黙って見下ろした。 これが神西の一番下の弟か。 「おまえ、コージョかー?」 緑はレナを見上げてにかっと笑った。 「こっ、これっ、なんて失礼なことをっ!」 伯爵夫人が悲鳴をあげ、 「緑っ! レナ姉はえっらい人なのっ! どかってしたらめっ!」 桃火が弟を叱る。 でも、そう言う桃火も昔はレナに飛びかかっていたような? 「伯爵は? 伏せっておられると聞いたが…」 レナは夫人に尋ねる。 「申し訳ございません…ちょっと頭に血が昇りまして、鎮静の薬湯を飲んで…」 「…ニーナは?」 「こちらも只今、桶に顔を突っ込んでいる状態でございます」 「…バレクは?」 「屋敷に戻りましてございます」 伯爵夫人は答えて、半ばやけくそのように「おほほ」と笑い、「はあ」と息を吐いた。 ヴォルフは相当立て込んでいる様子。 伯爵のダウン、ニーナのつわり、神西の弟の大騒ぎ…。 …ニーナの夫となる予定のバレクは自分の屋敷に戻ったようだけれど…。 さて、どうしよう。西の森の警護に騎士団を要請したかったが…。 「コージョ―! 遊ぶのだー!」 緑がレナの手を引く。 「こらっ!」 兄の橙火(トウ)が怒ってもどこ吹く風。 「もうっ!」 桃火が緑の首ねっこを掴んで力任せに引き摺っていった。 「いやあだああ! コージョと遊ぶうう! コーーージョーーー!」 ぱたん。 しーん。 レナは沈痛な面持ちで立つ兄の橙火と涙目で自分を見つめる白火を見た。 白火はちらとヴォルフを出たいと意思表示した。 この騒ぎ、確かに今のヴォルフでは肩身が狭くてきつかろう。 でも、ヴォルフは絶対に彼らに出て行けとは言わない。 皇女が身受けを願ったというのもあるけれど、兄の橙火は何年も前からここに出入りをしてきた男だ。 ヴォルフはそうした人間を決して邪険にしたりはしない。 「…橙火と話したい。部屋をお借りしても良いか」 レナは伯爵夫人に言った。 侍女がお茶を置いて行ったあと、レナと橙火は向かい合って座ったまま動かなかった。 あまりに長い間無言なので、アジンナが身じろぎする。 それを機会にしたかのように橙火が口を開いた。 「申し訳ありません…西の森のことで伯爵にご用だったかと」 「そうだったけれど…具合が悪いご様子だし…別の方法を考えるわ」 レナが答えると橙火は目を伏せた。 「…すみません…」 「其方が謝ることではない」 レナはそう答えて彼の顔を暫く見つめた。 「弟君が来たことは…知っていた。あのような幼い身でなにゆえ?」 尋ねるが橙火は答えない。 「其方達の事情に立ち入るつもりはないけれど…」 レナはそう言って一瞬口を噤む。 「…帰るの? …トウ。天儀に」 やはり橙火は答えない。 「其方が帰るとなれば、桃火もイチゴーを預かる白火も帰ることになるのだろう…。それもいたしかたないことと思っているけれど…」 思っているけれど… レナは次の言葉を出しあぐねる。 「姫様…。」 橙火は目を伏せたまま言った。 「姫様には…感謝しています」 「私より…バレクとヴォルフ伯爵に…気遣いを」 レナの言葉に橙火は顔をあげる。 「バレクは素性を話さぬ其方をずっと信頼してきた。ヴォルフ伯爵はこのように身を預かってくれている。そんな人たちに、何も言わず…じゃあ帰りますとそのままジルベリアを去るつもりではないだろう?」 橙火はレナから目を逸らす。 彼の考えていることはとにかく分かりづらい。すぐに視線を逸らしてしまうからだ。 「危急に決着をつけることもないのなら、気を遣わずに済むよう他所に住居を手配するわ。家には文を出すといい。ヴォルフ伯爵や私の名を出しても構わない。元気にしていると分かればご両親も安心なさるだろう」 橙火は唇を噛みしめている。 「迷う部分があるなら、誰かに相談に乗ってもらうのも…」 「姫様」 橙火はふいに顔をあげた。 「…皆さんには…関係のないことですから」 それを聞いたレナは口を引き結んだ。 「失礼します」 橙火は一礼をすると立ち上がり、足早に部屋を出て行った。 「ふむ。何ともまあ…」 アジンナが息を吐いて言った。 「関係ない…だと?」 レナは怒った口調で言った。 「バレクもヴォルフ伯爵もニーナも…関係ないのか?!」 「姫様」 アジンナは、だめです、というように首を振った。 「分かってる。私が口出しすればややこしいことになることくらい分かってるわ。でも…」 レナはアジンナを暫く見つめて目を逸らせた。 「あの子達は…命がけでローザと対峙した。ジルベリアの地のために戦った。桃火も白火も村を助けた。…でも、私には何もできないのか? あの子達と生きてきた時間はいったい…何なの…」 レナは膝の上で拳を握り締めた。 そんな姫をアジンナはじっと見つめた。 「あの姫様がねえ…」 ドゥヴェがブリャニキをぽりりと齧って言った。 「開拓者と行動を共にするようになってからずいぶんとお変わりに」 トゥリーは愛銃を磨く手を止めずに呟く。 「お戻りになってからずっと考え込んで。書類にまみれていれば興奮し、キスとされたといえば激怒し、神西が帰るとなれば物思い。忙しいことだ」 アジンナは頬杖をつく。 「さて、いかように」 ドゥヴェはお茶のカップをかちんと置く。 「神西兄弟の有無は西の森計画にさほど影響はないだろう。もふらの世話係…もとい主の白火だけはいてもらえると有難いというくらいか。兄の橙火の陰陽師の力も捨てがたいかもしれぬ。でも彼らに命令はできぬからな…」 トゥリーは磨き上げた銃を眺めながら答える。 「姫様にそのような割り切った考えはできないのでしょう。西の森のことは抜きにして、引き留めたいが本音。でも、彼らに意識をとられると本筋が手薄に」 と、アジンナ。 「ギルドに行きましょう」 スェーミが不意に言った。思わず皆で彼女の顔を見る。 「天儀に渡ってもらって、彼らの実家を調べてもらいましょう。神西屋という呉服屋とか? 姫様直々なればそうしたことも難しいでしょうが、名を伏せれば私達でも。事情が分かれば解決できることもあるかと」 「ことによっては姫様の耳に入れないほうが良きこともあるやもしれぬぞ?」 トゥリーが言う。 「なれば、姫様と神西は引き離しましょう。姫様に憎まれてもそうせざるを得ますまい。我らが依頼を出さねば、バレク殿かヴォルフ伯爵が出すかもしれませんが、どちらも今はそれどころではないでしょう」 スェーミは答えた。 |
■参加者一覧
酒々井 統真(ia0893)
19歳・男・泰
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
ハッド(ib0295)
17歳・男・騎
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂
草薙 早矢(ic0072)
21歳・女・弓
イルファーン・ラナウト(ic0742)
32歳・男・砲 |
■リプレイ本文 船の甲板で小豆銀介は何事かと皆を見回した。 「坊主の手紙? 渡したわよ? というか、届けさせたわよ?」 フェンリエッタ(ib0018)の問いに彼は答える。 橙火の弟、緑がジルベリアに渡る際に船の中で書いた絵葉書。 それを神西屋に届けて欲しいと小豆に願っていたのだ。 「直接手渡してないのか」 イルファーン・ラナウト(ic0742)の声に小豆は口を尖らせた。 「家出坊主を船に乗せてんのよ? なんで葉書持ってるから始まって面倒臭くなると困るわ」 そんな小豆を見ながら 「本当に彼に接触して大丈夫だったのか?」 何度目かの同じ質問を篠崎早矢(ic0072)が酒々井 統真(ia0893)に囁く。 統真は大丈夫だよ、と安心させるようにちらと笑みを浮かべてみせた。 「小豆さん、神西屋で知ってることを教えてくれないか?」 クロウ・カルガギラ(ib6817)が言うと小豆はむふんと鼻孔を広げる。 「へー…誰の依頼ぃ? ヴォルフぅ? それとも皇女様ぁ?」 答えつつ横のイルファーンに伸ばした指先が崩落の銃口に当たって 「…はい、教えます、すいません、ごめんなさい」 小豆は言った。 1時間後。 「機会あれば売り込みしろとの。抜け目がないわ、あの男…男だな? …女?」 ハッド(ib0295)はふうと息を吐く。 「でも、あの人は他で漏らさない」 クロウは答えた。小豆の立場ならいろいろ察しただろうが信頼はできる。 最後に「やっぱり頼りになるぜ、小豆さん!」と手を握ると、んー、と唇を突き出されたのは閉口したが。 小豆から聞いた話は以下。 神西屋の場所は神楽の都から遠くはないし、地の人に聞けばすぐに分かるだろう。 主人は神西藤火で八代目。妻は紅子。6年前に来た後妻だ。 前妻の夕衣は3番目の子、つまり白火が生まれてすぐに他界。 紅子は地元の酒場で働いていた女で、彼女と出会った頃の藤火は68歳、紅子は22歳。 孫ほどの年の差に紅子の財産目当てだろうと当時は噂になったらしい。しかし、紅子が緑を産んだ頃に噂も消えた。 紅子と前妻の子達の不仲は小豆も聞き及んでいない。 神西屋は完全な受注生産で完璧に独自のものを作る。特別な日の衣裳や裕福な身分の顧客が対象で、一般に販売するようなものはあまり扱っていないのだという。 遠方の顧客のやり取りには必ず間に商人をひとりたてるので、そこに入れると取引先の格がぐっとあがる。 「次に桃火に会ったらがっつり恩売って食い込んでやるわ」 小豆は言う。 「その商人って誰かわかるか?」 統真が尋ねると小豆は首を振った。 「公になってないのよね。でも、緋乃屋に行けば何か聞けるかも。婚儀品や家具を扱ってて神西屋と付き合い長いわよ。あたしみたいなのは警戒されるけど、あんたなら大丈夫」 「あと、神西屋に長年勤めて引退した者などは分からぬか?」 ハッドが言う。小豆は、うーんと天井を仰ぎ見て 「蓑屋仁左かなあ、番頭の。名前言えば家はすぐわかるわよ」 神西屋に子供が4人いるということは小豆も知っていたが、桃火達がその子供だと小豆が知ったのもつい最近なのだから、小豆から得られる情報はここまでだ。 小豆と別れ、神西屋の場所を確認する。 彼の言葉通り場所はすぐに分かった。神楽の都から1時間ほど離れた集落の大通りに面し、暖簾に神西屋の染め抜きがかかっている。遠目に見ていると裕福そうな身なりの母子や男性がぽつりぽつりと出入りする。 場所を確認したところで、分かれて調査を開始することに。 フェンはアル=カマルの商人に扮したクロウと周辺調査。彼女は超越聴覚を使い、店の中にも時折耳を澄ませる。 統真は緋乃屋に。ハッドは辞めた番頭を。イルファーンは酒場に潜り込む。 篠崎はギルドに行き、その後薬屋をあたってみることに。 夜になって集まることとし、開拓者達はそれぞれの調査に散った。 かつての番頭の家は人に聞けばすぐにわかった。 「橙火坊ちゃんのお知り合い?」 意外そうな顔でハッドを出迎えたのは40半ばの男。 「橙火坊ちゃんは生きて…?」 「ぴんぴんしておるぞ」 ハッドが答えると男は、やっぱり、と呟いた。 「私は息子の新左です。父の仁左はもう弱って話せませんで…。申し訳ありません」 新左は深々と礼をする。 「お父上はお年で引退を?」 出されたお茶をすすって尋ねると、新左は曖昧に頷いた。 「衰えはここ一年です。辞めたのは…紅子さんと合いませず…」 新左が父から聞いた話では、紅子は番頭業務を自分で行いたい様子だったという。 だが、老舗の威厳を遵守する仁左と利益に執着する紅子は意見が合わなかった。これ以上は神西屋のためにもよくないと仁左は身を引くことにしたらしい。 「藤火さんは申し訳ないと父に頭を下げたそうです」 新左は息を吐いた。 「さっき…橙火殿が生きているのかと仰ったが…」 「死んだという噂が。父は紅子さんを疑っています。坊ちゃんは紅子さんが来てからよく怪我をして、父が毎回その手当てをしたそうです。坊ちゃんは何も言いませんが、父は紅子さんを疑っておりました。でも、証拠がありませんから…」 やはり苛めがあったのか…? ハッドは少し沈鬱な気持ちになる。 「父に会いますか?」 新左の言葉にハッドは頷いた。 奥に通され、障子を開けると老人が横になっていた。 「父さん、橙火坊ちゃんのお知り合いがお見えですよ」 耳元で新左が囁くと、閉じていた仁左の目が開いた。 「仁左殿、我輩はハッドじゃ。橙火殿は元気じゃぞ」 ハッドが顔を近づけてそう言うなり、弱っていたとは思えない力でハッドは腕を掴まれた。新左がびっくりする。 「…ぼっちゃ…ん…あ…ぶ…遠く…逃げ…」 新左が手を引き離すと、力を出し尽くしたのか仁左はかくりと昏睡する。 「すみません…」 新左が言うのに頷いて、ハッドは目を閉じる老人の顔を見つめた。 『坊ちゃん、危ない、遠くに逃げろ』 仁左はそう言っていたように思う。逃げろとは? 紅子から? 緋乃屋での統真。 主人がちょうど帰宅したところで声をかけると相手は一瞬訝しげに統真を見たが、すぐに気安く中に引き入れてくれた。 「ふむ、神西屋さんの」 緋乃屋は統真の前に茶を置いて呟く。 「お見受けしたところ、きちっとしたお方のようだからお話しますけど、神西屋さんはたぶん今代限りでしょう。お取引なら別がよろしいかと」 統真は茶に伸ばしかけた手を止めて相手を見た。 「私と藤ちゃんは幼馴染みたいなもんで」 緋乃屋は、ふ、と笑みを浮かべて話し始めた。 神西屋は子供が全員出てしまったが、藤火は敢えて連れ戻そうとはしない。子らは子が幸せを感じる世界で生きればいい、というのが彼の意見だという。 もったいないと思うものの、彼は藤火の気持ちも分かるという。 「藤ちゃんは優しい男だから、自分が死んだあと紅子さんも家に縛りつけたくないんじゃないかな。幕引きしようとしてんですよ」 「子らが戻らないのはなぜ? 紅子さんと不仲とか?」 統真は思い切って聞いてみる。 「よく聞かれますがね、傍目には分かりません。…でもまあ、橙ちゃんとは年が近すぎたかな。橙ちゃんはちょっと荒れたらしくて。酒場に出入りして喧嘩の怪我が絶えぬと紅子さんが。まあ、緑坊が橙ちゃんと紅子さんの子じゃないかって噂までたったから」 統真は思わず茶碗を取り落しそうになった。しかし緋乃屋は笑う。 「あり得ないですよ。緑坊の顔見りゃ。でも、橙ちゃんにとっちゃ嫌な噂でしょう。家を出たのもその直後」 統真は無言で茶碗に目を落とす。 噂だけで橙火は家を出るだろうか。桃火と白火を残して。 「藤ちゃんはね、家族みんなを愛してんですよ。…橙ちゃんにそう伝えてくれませんか、開拓者さん」 統真は目をあげる。まだ開拓者だとは明かしていなかったはずだが…。 緋乃屋は温厚な笑みを浮かべた。 「私は商売人で伊達に年食っちゃいません。私自身も開拓者さんの世話になったこともありますしね。貴方は橙ちゃんを知ってる。そして心配してくれている。藤ちゃんには黙っておきます。でも…伝えてください。藤ちゃんは何があっても父親だよと」 「…」 統真は暫く緋乃屋を見つめ、目を伏せて小さく頷いた。 そしてこちらは篠崎。 「神西橙火さん…は、直近はもう2年以上も前ですよ」 書類をめくってギルド職員が言った。 「図書館に行けば情報があるかと」 「私も依頼で調べてる。申し訳ないけど、ここで分かること教えてもらってもいいか? 直近の依頼はどういったもの?」 「ええと…ジルベリアの方の依頼ですね。貴族の侍女の方からの。ご主人様がどうも神楽の都で迷われたご様子で。こちらは難なく解決を」 「ジルベリア…。誰かわかる?」 「ミレナ・ベチュカさんです。バスカル子爵のご息女、エミーリエ様のお付で」 篠崎は頷いた。 「彼に関して他に情報はない?」 だめもとで聞いてみると、意外な答えが返って来た。 「神西橙火さんに何が? 同じことを聞いてきた人が」 篠崎の目が細められる。 「誰? いつ?」 「3日くらい前に男の人が。30代くらいの着流しで背の高い。知り合いと言っていましたけれど、彼がジルベリアのどこに今いるのかと聞くからそこまでは分からないと。お仲間では?」 何だろう。妙な胸騒ぎ。私達以外に神西橙火を調べている男って誰? 「ありがとう」 篠崎はそう言ってギルドを出た。 クロウとフェン。 イルファーンと重ならぬよう表通りの店や酒場を巡るが、既に聞いていたような噂や話以外はなかなか耳に入らなかった。 紅子は身寄りがなかったが、明るく愛想のいい性格だ。 長男の橙火と次男の白火は前妻に似て物静かでおとなしく、桃火と緑は藤火によく似て快活。 特に橙火は内向的で、ほとんど外出もしなかったという。 橙火が死亡したという噂はあったが、出所も分からないし、皆が半信半疑の様子。 「長男がまたどうして家を? 勘当? …まさか継子苛め?」 フェンが尋ねると酒屋の主人は苦笑した。 「そりゃないと思うけど。でも跡取りの長男がいなくなって緑坊も桃ちゃんとこに行っちまって。こりゃさすがにもう3人で帰って来ることになるんじゃねえかな」 酒屋の店主は言った。 3人。4人じゃない。 「橙火さんは…桃火さん達にも居場所を口止めしてるんじゃない?」 フェンは言った。 「なんで…」 クロウは呟く。桃火の顔を思い浮かべると、彼女がそんな嘘を引き受けるとはとても思えなかった。 酒場のイルファーン。 目の前で管を巻く男を見る。どこかの放蕩息子らしくぺらぺらとよく喋る。紅子は自分が狙っていたのにとか、長男と絶対できてるぜとか、下品なことばかり。 「そんだけご執心の紅子ってのは相当な美人なんだろうなあ?」 イルファーンが言うと、 「いや、それが不器量!」 男は答えて、けけけと笑う。 「でも、色気あんだよなあ」 「紅子ちゃん、酒場でも人気あったのよ」 女が横に座って言った。 「誰にでも優しいしね。神西屋さんもそれで参っちゃったんじゃない?」 女はそう言ってイルファーンに顔を近づけた。 「でもね、紅子ちゃん、本当は別にいい人がいたかも。店によくあんたくらいの年の人が来てたし、その人と外で会ってるのもあたし何度か見てるの。背の高い男でさ」 「誰だ、それ」 「わかんないわ。でもさ、裕福な暮らしすんなら、誰でも神西屋を選ぶわよね」 「今でも続いてるってこたぁ…ねえよなあ?」 「さあねー。あったら面白いけどぉ」 女はくすくす笑う。 「でも神西屋は前妻の子がいたんだろ? 何人だっけ?」 「3人よ、3人。長男はいい男よぉ。あたし、紅子ちゃんは長男が目当てでさ、生まれた子も長男の子かと思ったわよ。あ、これ、他で言っちゃだめよ、すっごい怒られるから」 「じゃあ、仲良くやってんだ」 「やってるんじゃない? 長男、戻って来ないかなあ。死んでるって聞くけど誰も確かめてないしさ」 「そんなにいい男なのか?」 「いい男よ。あの子はこいつと違って遊び歩かないけど、よく川辺で一番下の弟を肩車してたわ。優しい顔でさ」 こいつ、と言われて目の前の男がむ? と目を向けた。 イルファーンは時間を確認し、最後の酒を煽り立ち上がった。 日が暮れる。神西屋の見える場所に皆が集まり情報を出し合う。 橙火が関わったジルベリアの貴族の依頼は依頼主の名前まで分かったのだから恐らく向こうで調査されるだろう。 橙火が死んだという話も、酒場で喧嘩した話もクロウ、フェン、ハッドの話から推測するに紅子の言葉は相当怪しい。 ハッドが聞いた仁左の言葉は橙火の身の危機感さえ覚える。 篠崎も神西屋に出入りの薬屋から当時は確かに傷薬の納めが多かったと聞いた。 そして全てを知っている藤火は自ら神西屋を幕引きしようとしている。 問題は篠崎が言う橙火のことを調べに来た男の存在だ。それがイルファーンの聞いた男と何となく合致する。 「誰か出て来た」 ふと、フェンが皆を制す。顔を巡らせると左右を確かめて女がひとり外に出た。彼女は足早に歩き始める。 フェンが後を追い始めたので皆もそれに続いた。 暗がりに紛れて後を追う。暫くして女が足を止めたので、気配を悟られぬ場所に皆も身を隠した。 「紅子」 男の声。フェンは聴覚で聞き、小声で逐一反芻し皆に伝える。 「半刻後、ジルベリアに船が出る」 「わかった」 じゃらりとお金の音。 「あとはどうすんだ」 「桃と白はどうにでもなる。橙火さえ殺してくれれば」 「…!」 統真と篠崎、クロウが踵を返し走り出す。 「そんなに橙火が嫌か」 男が言った。 「あの子は私から全てを奪う。現に緑だって。あいつは黙って私を見る。何もかも知ってるような顔で。一度は私を殴り返したのよ? そのうち私が殺される」 男の嘆息が皆のところまで届く。 ここで2人を捕えることができたなら…どんなにいいだろう。 「一時間後じゃ…」 イルファーンが小さく呻く。 「だが、奴らはたぶん橙火んの場所を特定できておらん」 ハッドが言い、 「小豆さんが葉書を直接手渡ししていなかったのが幸いするなんて…」 フェンが顔を歪めた。 そして、 港に辿り着いた統真達は、一歩差で空に登って行く船を悔しく見送った。 「橙火さんは陰陽師だ。おいそれとやられたりしない」 息を切らしてクロウが言う。 「くそっ…」 と、荒い息の下で統真。 「せめて依頼主に早く知らせよう。私達に…できることはそれだ」 篠崎は唇を噛んだ。 報告を受け、ジルベリアでは港に出向いたが対象者を特定することはできなかった。 急ぎ、何らかの配慮行動が行われることとなる。 名の出た貴族は調査を開始。 依頼主は予想を超える綿密な調査に感謝するとし、開拓者に追加の報奨金を送った。 報告書の末尾に、クロウが言葉を添えていた。 『神西橙火は他者に身を捧げるも自らの助けを乞う術を持たず』 「本当に…」 依頼主は呟いた。 |