【神西】おとうとだ!
マスター名:西尾厚哉
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: 易しい
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/04/20 02:31



■オープニング本文

「おまえがアズキとかいうセンチョーだな?!」
 ふいに背後から声をかけられて、商人、小豆銀介は「あぁん?」と振り向いた。
 なんだ? このちっこい、くそ生意気なガキは?
 小豆が指でつまんでぷっちり潰せそうなくらい小さな男の子だった。
「いかにも俺が小豆だが、ガキに呼び捨てにされる覚えはねえ」
「ねえちゃんはコマメ、コマメと言うが、俺はコマメと書いて小豆というくらいは知っているのだ!」
 彼はふんぞり返る。
 ん?
 何かどこかで聞いたような呼び名。
「ねえちゃんは、コマメはねえちゃんだと言っていたが、おっさんじゃねえか! ヒゲ生えてら!」
「じゃかあしい!」
 思わず怒鳴り返した。
「天下の小豆銀介様をコマメ呼ばわりする奴ぁ、俺はこの世でひとりしか知らねえ。おまえはあいつの何だ」
「弟だ!」
 彼は叫んだ。

「んまい、んまい」
 握り飯を与えると、彼は嬉しそうに貪った。
「桃にゃ、白火しか弟がいねえと思ってたぜ…」
 小豆は息を吐く。
 とりあえず寒いからと船室に入れてやったものの、彼はジェレゾに乗せて行けの一点張り。
 年の頃はまだ5歳か6歳だ。
「俺は一番下の弟だ。握り飯もう一個くれ」
「どんだけ食うんだよ」
 そう言いつつ、小豆は握り飯を渡してやる。
「あんまり桃と白に似てねえな」
 小豆が呟くと
「俺、母ちゃんが違うからな」
 彼は答えた。
 腹違いの弟か。
「で、その母ちゃんにジェレゾに行くって言って来てんのか?」
「言ってないのだ」
 どえ? そりゃまずいだろうよ。
「冗談じゃねえ。黙っておまえみたいなガキ乗せたら、俺が人さらいになっちまう」
「ならない、ならない、だからジェレゾに行くのだ」
「何を根拠に。そもそもお前、金持ってねえだろうが」
「持ってる、持ってる」
 彼は懐から小銭入れを出して見せる。
「ほう、そりゃすごい…って、行けるか! ガキの小遣いでジェレゾまで!」
「小豆、やっぱりおっさん」
 このガキ、ぶん殴ってやりてえ…と小豆が思ったその時、機関士が顔を覗かせた。
「船長、出航の時間スよ。出していいですか?」
「このガキ下ろしてからだ」
「俺、下りないのだ。ジェレゾに行くのだ」
「ジェレゾ行ってどうすんだ。桃と白のいるところまでは相当遠いんだぞ?」
 そう言ってから小豆は首を傾げる。
「桃と白が迎えに来てんのか?」
「来てないのだ」
 彼は平気で答えた。
「おりろ、おりろ、おりろーっ!」
 小豆が立ち上がって怒鳴り散らしたので、彼は慌てて機関士の傍に走り寄る。
「船長、行きたいってなら、乗せて行けば。別にこの子くらいで重量オーバーにもならないし」
「家出したガキだぞ? 誰がこいつの面倒を見るんだよ。ジェレゾに着いたら放り出すのか?」
 小豆は絶対ノー。
 機関士は彼の目の高さに身を屈める。
「ギルド知ってるか?」
「ねえちゃんが仕事もらうところだ」
「うわ、嘘八百。あいつは最近仕事なんかしてねえし」
 これは小豆。
 機関士は小豆をちらりと見て再び彼に目を移す。
「その銭で頼んだら? 俺達はジェレゾまでしか連れて行けないんだ。あっちでギルドを探すのも大変だろ。一緒に乗ってもらえよ」
「待て待て待て待て、船長は俺だぞ」
 小豆が言う。
「開拓者の乗船分、誰が払うんだ」
「船長」
 機関士は立ち上がると小豆の傍に寄ってひそひそと耳打ちをした。
「えっ、ほんと? いやん」
 途端に小豆は顔を赤らめて身をよじった。
「おいで」
 機関士は笑って緑の手を引いた。
「小豆に何を言ったのだ?」
 彼は不思議そうに機関士を見上げる。
「秘密だ」
 機関士は笑った。
「あの角を曲がって10分程行くとギルドがある。姉さん達のところまで連れて行ってと頼んでおいで」
 甲板から教えられたが、彼は機関士の顔を見上げる。
「俺が下りたら出てったりしないか?」
「しない、しない」
「しゅっこーって言ってなかったか? ちこくするぞ?」
「しない、しない。俺は機関士だ」
 暫く考えて彼は足を踏み出し、再び振り返る。
「ほんとう?」
「本当」
 ずっと強気だった彼の顔に、やっと笑みが浮かんだ。
「おっちゃん、有難う!」
 たたっと駆け出す彼の後姿に、あ、と思って機関士は声をかける。
「おい、お前、名前はなんていうんだ?」
 彼は振り向いてかぱっと口を開いて笑った。
「俺、緑(リョク)!」
 その顔はやっぱりどこか桃火に似ていたのだった。



■参加者一覧
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
フェンリエッタ(ib0018
18歳・女・シ
クロウ・カルガギラ(ib6817
19歳・男・砂
祖父江 葛籠(ib9769
16歳・女・武


■リプレイ本文

「だぁめええーーっ!」
 緑は握り拳を作り、ドンドンと飛びはねて体中で叫ぶ。
「だめーっ!」
「わ、分かったわ、緑くん、ごめんなさい」
 フェンリエッタ(ib0018)は緑の声の大きさに思わず身を仰け反らせる。
 行く先とお家に一言連絡を入れてもいい? と聞いたのが、よもやこんな壮絶な拒否になるとは。 
 緑は羅喉丸(ia0347)にしがみつき、口を尖らせる。
「兄ちゃんだって黙って家出たから大丈夫なのだ!」
「それって…橙火のことだよな…」
 クロウ・カルガギラ(ib6817)が呟き、そうね、とフェンリエッタは頷く。
 祖父江 葛籠(ib9769)がくすっと笑って緑の頭をなでた。
「ひとりでジルベリアに行こうなんて勇敢じゃない。船で空の旅して きっと忘れられない冒険になるね」
 緑はぴし! と親指を立てた。
「でもジルベリアは寒いわよ? ちゃんと着てる?」
 フェンリエッタは心配そうに顔を覗き込む。
「着てるよ」
 緑は着ているものを一枚ずつめくり、袴ぁ、深靴ぅ、甚平、んで、もふらのぱんつぅ、と数えてヘソが出たところで「ぶしっ!」とくしゃみをし、鼻水をツーと垂らした。
 うわ、これ、どうしたら、とフェンリエッタが戸惑ったところで、ハイハイと通りかかった機関士に出された手拭いをクロウが緑に渡してやり、ホワイトスワンのマフラーを首に巻いてやる。
「うわ、ふわふわ」
 緑は嬉しそうにマフラーに顔を摺り寄せる。鼻水つけないでねぇ…とクロウはちょっぴり思う。
 そこへ小豆。
「…ったく大騒ぎしやがって、そろそろ出航すんぞ!」
 超おやじモードで出てきたが、羅喉丸とクロウの顔を見て「ほうっ!」と両頬に手を当てる。
 だって、男前兄さんの羅喉丸と胸板触りまくったクロウだよ? 遊島の温泉で。
「ああっ…」
 小豆が何を思い出して悶えているのかは分からないが、緑が怯えてフェンリエッタにすがりついた。
「姉ちゃん…小豆怖ぇぇ…」
「大丈夫よ。私が守るわ」
 思わず答えてしまうフェンリエッタだった。


「飛んだあーー! 船飛んだああ!」
 緑が興奮して走り回る。危ない。
「緑くんっ…」
 フェンリエッタが追いかけ
「クロウさあんっ!」
 言われてクロウが手を伸ばすと「きゃはっ!」と叫んで緑はするりとすり抜ける。
 その顔が桃火にそっくりなので、やっぱり姉弟なんだな、と一瞬思う。
「ほいっ」
 立ちはだかった葛籠もなんのその。
 しかし、次の羅喉丸の手から逃れられぬ。
「よしよし、ちょっと落ち着こうな」
 ひょいと抱え上げられてしまう。
「開拓者さん、機関長が船室に甘味を。坊もそれで少しおとなしくなるんじゃないスか」
 船員が声をかけた。
「甘いもん、食う!」
 緑が叫んだ。んじゃま、有難くいただくとするか。
 船室に行くと、テーブルの上にクッキーやら大福が乗っていた。
 この甘味は機関士のポケットマネーかなあ、と思いながらフェンリエッタはお茶を注いで緑の前に置いてやる。
「緑くん、お姉さん達に会うのは久しぶり? あ、熱いからふうふうしてね」
「年末に桃火さん達が一度帰ってないか?」
 遊島行脚で桃火と同行していたクロウが言う。
「うん。帰って来たよ」
 緑がうーんと手を伸ばして大福を取ろうとしたので羅喉丸が取って渡してやる。
「それからは会ってないの?」
「会ってないのだ。白兄ちゃんは時々手紙くれるけど。姉ちゃんは一度も書いたことねーし」
「じゃ、緑くんもあとでお姉さんと一緒にお手紙かこうよ! お家の人、心配してるかもしれないし」
 葛籠が言うと、緑はむーと口を引き結ぶ。
「俺、字ぃまだあんま書けないのだ」
「お空とか、お船の絵とか、小豆さんの顔とか絵はがきみたいにすればいいよ」
「なあ、小豆っておっさんだよな? 桃姉ちゃんはおネエさんだって言うが、おネエさんは姉ちゃん達みたいなきれいな人のことだよな?」
 顔を覗き込まれてフェンリエッタと葛籠は顔を見合わせる。これは何と申し上げれば良いのやら。
「でも、俺の母ちゃんもおネエさんだと言われるのだ。おっさんか?」
 いやいや、それはないって。
「お母さん、若いとか?」
 クロウがクッキーをぱりんと齧って言う。
 緑はうーんと考える。
「母ちゃん、28歳」
「え…橙火さんて、いくつだっけ?」
 フェンリエッタがクロウにひそひそ。
「20歳過ぎてるような?」
「若い後妻さんもらったとか」
 羅喉丸が言い、
「ひゃほー」
 葛籠が小さく声を漏らす。
 緑は大福をもぐもぐ。そしてふと
「なあ、橙火兄ちゃんて、どんな人?」
 そうか…。橙火は数年前に家を出ている。当時の緑は3歳か4歳。
「桃姉ちゃんは優しくてすげえ男前だと言ってた。兄ちゃんみたいな人か?」
 緑は自分と同じ黒髪と黒い瞳の羅喉丸を見る。
「バレクのところにいたトウよ」
 フェンリエッタに言われて羅喉丸は「ああ」と思い出す。あれがこの子のお兄さんか…。
「白火殿に似てるんじゃないかな。雰囲気的に」
「そうなのかー。橙火兄ちゃん、肩車してくれたのだ。兄ちゃんお日ぃさんの匂いがした」
 緑はにかっと笑った。
「んで、歌を歌ってくれるのだ。兄ちゃんが歌うとここに兄ちゃんの声が響くのだ」
 緑は自分の胸を指差す。
「でも兄ちゃん血ぃ出した」
「血?」
 思わず皆で聞き返し、緑はうんと頷く。
「橙火兄ちゃんはよく転んだり頭ぶつけたって。だから強くなるために陰陽師になるって家出たのだ」
「そんなおっちょこちょいな人?」
 葛籠が皆の顔を見るが、橙火にはあまりそんなイメージがなくて「うーん」と首を傾げてしまう。
「なあ、兄ちゃんに会える?」
「会えるわ。ちゃんと連れて行ってあげる」
 フェンリエッタが言うと緑は安心したように笑った。
 この子を見てると昔の自分を思い出すな、と羅喉丸は思う。
 俺も神楽の都に来た時はこんな感じだったんだろう。
 いろんな人に手を差し伸べてもらったからここまでこれた。
「行こうな。兄ちゃんのところに」
 そう言って頭を撫でると緑は餡子を口の端につけて嬉しそうに頷いた。


 甘味を補給して元気満杯、緑はそれからも船の上をどたどたと走り回る。
「ちょっと見学でもしようか」
 そろそろ小豆に怒られそう、と悟ったクロウが緑の手を引いていく。
 その間に羅喉丸は船員達の手伝いに向かい、フェンリエッタと葛籠は小豆の部屋に顔を覗かせる。
「なんだ、ガキはどうしたよ」
 小豆は不機嫌そうな顔を向けた。
「小豆さん、子供嫌いなの?」
 葛籠が尋ねると、小豆は肩をすくめた。
「あの桃の弟だろ? 桃は今ヴォルフ伯爵領にいるし、ヴォルフ伯爵と言えば皇女様とも繋がってる。何か粗相があったら巡り巡ってどんな話になるかしれやしねえ。そういうのは困るんだよ」
「じゃ、いい評価にしちゃわない?」
 フェンリエッタがにこりと笑って小豆に言う。
「ヴォルフ領の上まで飛んでくれないかしら? 小豆さんは優しくて最高だって伝言するわ」
「ずるっ」
 小豆は口を尖らせる。
「小豆さん! 優しい! いよっ、せんちょー!」
 葛籠がおだてる。爺さん、おっさんばかりの寺で育った彼女にかかっちゃ、おネエさんとはいえ小豆などいちころ。
「わかった、わかったわよ。でも船を動かすのって費用かかるんだから。もうひと声頼むわ」
「なあに?」
「クロウ様と羅喉丸様を船室によ・ん・で」
 一瞬言葉を失ったフェンリエッタに代わって葛籠がすかさず
「お安い御用!」
「商談成立っ」
 小豆は頬を染めて「うふん」と笑った。
「いいの? あんな返事しちゃって」
 部屋を出てフェンリエッタは葛籠に囁く。
「船室に呼べばいいんでしょ? 簡単じゃない」
 そりゃまあそうだけれど…。呼んだあとでどうなるか、あまり想像したくないフェンリエッタ。


「うんこー!」
 緑は騒ぎ、みんなで慌てふためき御不浄に。
 出すもの出したらまた走る。
 葛籠が機関士に頼んで紙と筆を出してもらい、それで二人で手紙を書く間だけはとても静かだったが、終わったらまた走り出す。
 子供ってなんでこんなに体力がある!?
 彼が退屈したら人魂使おうかな、と考えていたフェンリエッタは、少し躊躇したのち試しに気を反らしてみようと鳥で飛ばした途端に
「うひゃー! すげー!」
 あっという間に飛びかかられて小鳥が消えた。
 しかし、永遠に続きそうだったハイテンションがいきなりぷつっと燃え尽きる。
「ねむー」
 夕刻近くなってふわあっと欠伸をした途端、緑はコテンと寝ていた。
「風邪ひくぞ」
 羅喉丸が揺するが目を覚まさない。仕方なく担いで船室に入る。
「兄ちゃん…」
 無意識に緑は羅喉丸にしがみついた。
「羅喉丸さんもお日様の匂いがするのかもね」
 戻って来た羅喉丸に葛籠が言う。
 直後、船室から「にいちゃあんー!」と、寝ぼけた緑の声がした。
「あ、あたし行くわ」
 葛籠が言い、フェンリエッタもそれに続く。
「とりあえず一休みするか。俺、小豆さんのところにこれ持って行くよ」
 クロウは酒瓶を掲げて羅喉丸に「行く?」という目を向ける。
 羅喉丸はいいよ、というように頷いた。
 女性陣と小豆の間に取り交わされた契約を実はまだ知らない2人。


「とっとっと…」
 クロウのお酌を受ける。
「まあ、あれよ、戦は商人の稼ぎどき、ってね」
 小豆は良い気持ちで羅喉丸の顔を見る。彼が「黄泉」と天儀連合軍のあの戦いの話をしたからだ。
「救援物資やら何やら必要になるじゃない。武装も整えるしさ」
「戦地の中を商いに?」
 クロウが更にトクトク…。
「まっさかー。今回は海のもんも多かったし、うちの船はアヤカシの攻撃にゃ弱いから影響ないところで荷を下ろして、あとは陸路に強い者が運んでったわ」
 小豆は手をひらひらさせて答える。
「商船は迅速な荷運びが命ですもの、重い武装乗っけてたら荷も少なくなるし維持費もかかるし大変だわよ。あんた、皇女様にくれぐれも言っといて。あの人に船を動かすのなんて無理だから」
「そんな話が出てるのか?」
 羅喉丸がクロウの顔を見る。
「船は持つつもりらしいけど、かなり難航してる」
 クロウは肩をすくめた。
「そんなことより…」
 小豆がにじり寄る。
「お風呂に…一緒にはいらなぁい? あたし…またクロウ様の胸板をみ・た・い…」
 ぺと。うわわっ…。デカい手が胸に当てられてクロウはぞわっと総毛立つ。
「小豆さんっ、俺もうちょっと小豆さんと飲みたいなあっ」
 クロウが急いで酒瓶を持ち上げ、羅喉丸はすかさずキラリっと笑みを浮かべる。
「いやねえン。あたしを酔わせてどうするつもり? んじゃもうちょっと。あ、でも、もうすぐ途中の港に…あんたら、ジェレゾに着くのは朝よ。夜は長いわよ」
 大丈夫。絶対前後不覚にしてみせるから! 2人は頷き合った。


 緑は結局夕食も取らずにそのまま朝まで寝てしまった。
「見てー! あれがジルベリアかー?」
 叩き起こされて皆で眠い目をこする。
「あら、夜が明けちゃった。小豆さんの約束忘れちゃったよ」
 葛籠が言う。
「約束って?」
 クロウが尋ねる。
「クロウさんと羅喉丸さんを呼んでって言われてた」
「行ったよ」
 羅喉丸の返事に
「行ったの?」
 フェンリエッタと葛籠が同時に言う。
 ちょっとお疲れ気味なクロウと羅喉丸。何かあったのか。聞きたい…でも聞けないっ!
 何もないですよ。念のため。小豆は酔い潰れました。
 そして、船はジェレゾに到着する。
「やっぱりヴォルフまでの航路追加はお金かかっちゃったわ。ま、あとで桃からふんだくろう」
 二日酔いっぽい不機嫌な顔で小豆が呟く。
「行ってくださるのか? ヴォルフまで」
 羅喉丸の「おお!」という視線を受けてコロっと小豆の表情が変わる。
「ええ、そりゃあもう、羅喉丸様が喜んでくださるならー!」
「小豆さん、あのね、これ、帰りに出してくれる?」
 葛籠が緑の手紙を差し出す。
「どこに?」
 ひっくり返して小豆は宛名を読む。汚い字で「てんぎ じんざいや」と書かれていた。
「じんざいや?」
 小豆は目を細める。
「…神西屋? うそぉ!」
 素っ頓狂な声をあげた。
「あの坊がここの御曹司っ? つか、桃がお嬢様っ?」
「そんなすごい家なのか?」
 クロウが目をしばたたせる。
「すごいも何も、代々続く呉服屋よ? あそこの着物は特定の裕福な家しか買わないし、あたしも取り扱ったことないわよ!」
「へええ…」
 みんなで顔を見合わせる。じゃあ、つまり橙火はそこの長子になるわけだ。
「長子が家出で、後妻が若妻か…。なんだか複雑そうだな」
 羅喉丸の口から「若妻」という言葉が出るとちょっとドキッとする。
「あの子が家を出たら神西屋は子供がいなくなるんじゃ…」
 小豆は今さらながら緑の方を見て呟いたのだった。


 数時間して船はヴォルフ領上空に来る。
 グライダーを出してもらって地上へ。
「じゃあね! ちゃんと手柄を伝えてよ!」
 小豆は最後のグライダーで手を振って船に戻って行く。
「小豆さーん! ありがとねー!」
 葛籠が叫ぶと、上からちょこっと小豆の大きな手が振り返されるのが見えた。
「なんだかんだでいい人よね…小豆さん」
 フェンリエッタが言う。
 船が遠ざかり、緑が少し不安そうにくっついてきたので羅喉丸が「大丈夫だよ」と肩車をしてやった。
 そして屋敷の門を入ってすぐ、彼はいた。
 初老の騎士と話す青年。
 こちらを向いていた騎士が先に気づいたので、橙火も振り返る。
 そして一気に青ざめた。
「にいちゃん…」
 緑が小さな声を漏らす。
「いたたた…」
 緑がぎゅーっと髪を掴んだので羅喉丸が緑を下ろしてやった。
「緑くん、橙火さんよ」
 フェンリエッタが緑の背をそっと押す。ととっと緑は数歩前に進み、
「うわああん!」
 大泣き。
「兄ぢゃん…生ぎでるじゃんよ…母ぢゃんじんだってうぞばっが…ぼぼねえぢゃん、いぎでるっていうじ…おれ…」
 死んだ? 初めて出た緑の言葉に皆が呆然とする。
 だから船の中で「兄ちゃんはどんな人?」と聞いたのか。
「緑…」
 初めて出た兄の口からの自分の名。緑は走り出す。
 橙火は身を屈めて弟を受け止めた。
「俺ぼ、兄ぢゃんといっじょにいるぅー! 兄ぢゃんどいどぅう!」
「緑…」
 2人の様子を見て葛籠がくすんと鼻をすすった。


 その後、桃火と白火も弟の姿を見て仰天し、大騒ぎの間にヴォルフ伯爵夫人が彼らを中に引き入れた。
 伯爵家は昔から子供の受け入れをしてきたから夫人も手慣れたものだ。
「すみません…ご迷惑をおかけして…。俺が悪いんです。逃げてばかりいたから。ちゃんとする…よい機会なのかも…」
 彼は深々と頭を下げた。
「緑を守ってくださって…有難うございました」
 彼の最後の声は少し潤み、小さな一粒が地面に落ちたのを皆は見たのだった。


 橙火はギルドを通じ、小豆には船賃と謝礼を、開拓者達にも謝礼金を贈った。
 神西兄弟の末の弟の来訪はすぐにレナ皇女の耳にも入ることになったが、皇女は少し驚き、その後ずっと何かを考え込んでいる様子だったという。