【黒狗の森】少女の家出
マスター名:猫又ものと
シナリオ形態: シリーズ
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/05/30 21:51



■オープニング本文

●密会
「かかさま、身体の調子はどう?」
「ええ、もう大分良いわ。紗代の採ってきてくれた薬草のおかげかしらね」
「本当!? じゃあ、もっともっと採って来る!」
 母の白く細い手で髪を梳かれて、笑顔になる少女。
 その言葉に、梓乃が眉根を寄せる。
「ねえ、紗代。あの薬草は一体どうやって手に入れているの? 危険なところに生えているのではなかった……? 」
「あ、大丈夫なの。お友達が取って来てくれてるから」
「お友達……? 危ないことはしていないのね? 大丈夫なのね?」
「うん。大丈夫だよ」

 大丈夫。危ないことなんてしてない。
 あの子、優しいもん。
 いまだって紗代のお願い聞いてくれてるし――。

「……紗代。待ちなさい」
 呼び止められ、歩みを止めた少女。
 父の姿を見つけると、とたたた……と駆け寄る。
「あ、ととさま。ちょっと遊びに行って来る!」
「遊びに行く先は『黒狗の森』か?」
「え、えっと……」
 思わぬ父の言葉に、ギクリとする紗代。
 娘の様子に、佐平次はやはりそうか……とため息をつく。

 妻から、時折紗代が『雫草』を持って帰って来ることがあると聞いた時から怪しいとは思っていた。
 分かった以上は、止めなくてはならない……。
 たとえそれが、娘を悲しませる結果になったとしても。

「紗代、『黒狗の森』に行ってはいけない、と何度も話してあったはずだね。何故だか分かるかい?」
「ととさま、違うの。あのね、あの黒狗はいい子なんだよ。優しいんだよ」
「何が違うんだ。黒狗はケモノなんだよ。牙を剥くこともあるかもしれない」
 慌てて言葉を紡ぐ紗代を、ピシャリと撥ね付けた佐平次。
 普段優しい父の様子に、断固たるものを感じてはいたが……少女は、ふるふると首を横に振る。
「あの子は大丈夫だもん! お友達だもん!」
「もう、会いに行ってはいけない。……ケモノと人とは、同じ世界に住めないのだよ」
「だから、あの子は違うの!! ととさま何にも知らないくせに! もういい!」
「紗代! 待ちなさい、紗代!」
 目に涙を溜めて、駆け出した紗代。
 佐平次が慌てて追うも、あっと言う間に姿が見えなくなって……。

 何もせずに諦めさせるのは酷だと思った。
 だから、行かせた。
 ――結局、それが娘を傷つける結果になるのなら。
 それは間違いであったのだろうか……。

 佐平次は立ち尽くしたまま、深く深く、ため息をついた。

●少女の家出
「娘を連れ戻して戴けませんか……」
 そう切り出したのは、草臥れた顔の男性。
「あれ。佐平次じゃないか。奥さんは元気になったのかい?」
「今度はどうしたんだ?」
 彼を見知った者がいたらしい。声をかけて来た開拓者に、佐平次が頭を下げる。
「お蔭さまで……妻にまでお気遣い戴いて恐縮です。実は、紗代が家出をしてしまいまして……」
「へ? 家出!?」
「どうしてそんなことに……?」
「……どうも、黒狗に魅入られてしまったようでして」
 深々とため息をついた佐平次に、開拓者達はあー……と遠い目をして――。

 紗代は、『黒狗の森』近くの村に住む10歳の少女である。
 病気の母の為に、薬草を探しに行きたいという彼女の願いを叶える為、開拓者達が『黒狗の森』に同行したことがあった。
 そこで、問題の黒狗に遭遇したのだ。
 まあ、たまたまだったとはいえ、二度助けてもらう結果となっている少女が黒狗に肩入れするのも仕方がないことなのかもしれないが……。
 黒狗自身は知恵があるようで、開拓者や紗代達に友好的な態度であるが、単体ではない可能性もある。
 現段階では、紗代が肩入れしているという件の黒狗しか出て来ていないが、それではないものに出会ってしまった場合はどうなるか分からない。
 何より、『黒狗の森』に棲んでいるのは黒狗だけではなく、他の凶暴なケモノも多数棲んでいる。
 この状況を放っておいたら、確実に悲劇が起こるのだ――。

「紗代に『雫草』を採って来てくれていることを考えても、その黒狗は娘に害を与える気はないのだと思います。それは分かるんですが……あまりにも、危険すぎます。娘を連れて帰って来て戴けませんでしょうか」
 毎回大したお礼も用意できず、申し訳ないのですが……と続けた佐平次の肩を、開拓者達は慰めるように叩く。
「分かりました。大丈夫です。引き受けましょう」
「でも。連れ戻すのは良いんですけど……紗代ちゃんがきちんと危ないことを理解しないと、また同じことが起こりませんか?」
 うーん、と考え込む開拓者に、佐平次は再び深いため息をつく。
「それはそうなのですが……そこまで開拓者の皆さまのお手を煩わせる訳には参りません。連れ戻して戴けたら、こちらで何とか言い聞かせますので。度々お手を煩わせて本当に申し訳ありません」
 どうか、娘をよろしくお願いします――と。
 佐平次は深々と頭を下げた。

●黒狗の森で
 いつもの草を渡したはずなのに。
 小さいニンゲンが、真っ赤な目をして立ち尽くしている。
 ――これじゃ足りなかった?
 そう聞きたいが、自分の言葉はニンゲンには伝わらない……。
「あのね、ととさまがお前に会っちゃダメだっていうんだよ。ひどいでしょ。だから紗代、もうおうち帰らない」
 ぼろぼろと涙を流す紗代。黒狗も途方にくれて、空を仰いだ。


■参加者一覧
ヘラルディア(ia0397
18歳・女・巫
天河 ふしぎ(ia1037
17歳・男・シ
ルーンワース(ib0092
20歳・男・魔
幻夢桜 獅門(ib9798
20歳・男・武
獅子ヶ谷 仁(ib9818
20歳・男・武
輝羽・零次(ic0300
17歳・男・泰
兎隹(ic0617
14歳・女・砲
黒憐(ic0798
12歳・女・騎


■リプレイ本文

●双方の事情
「黒狗の元へ、行ってしまったのか……」
 皐月晴れの空。少女を案じる兎隹(ic0617)の金色の目にはその青さは映らず。
 幻夢桜 獅門(ib9798)も、顎に手をやって考え込む。
「……その黒狗は紗代の友達なのか」
「多分、な。直接聞いた訳じゃないから、ハッキリとは言えないが……」
「黒狗は紗代を何度も助けている。悪い感情は抱いていないように思う」
 呟く輝羽・零次(ic0300)と兎隹。同意するように、彼女のぬいぐるみがぴこぴこ揺れる。
 その返答に、獅子ヶ谷 仁(ib9818)と獅門はしきりに頷く。
「ふーん。恩人……いや恩狗って奴か。イイ奴みたいだな」
「なるほどなぁ。そりゃ、悪く言われれば臍を曲げるだろうなぁ」
「でも、心配する親御さんの気持ちも分かるし……」
 ふう、とため息をつく天河 ふしぎ(ia1037)。仁が手をわきわきしながら続ける。
「ところで、その黒狗ってもふもふなのかな」
「そうですね。もふもふ……だったような気がしますね」
「「ホントに!?」」
 思い出すように首を傾げたヘラルディア(ia0397)に、同時に叫ぶ仁とふしぎ。
 集まる仲間達の視線に、2人はアワアワと手を振る。
「……いや、触らないよ? 触らないけどさ!」
「別に可愛いだろうなとか考えてる訳じゃ、無いんだからな!」
「まあ、気持ちは分かるぞ。俺も黒狗と友達になれたら嬉しいしな」
 仁とふしぎの様子に思わず吹き出してしまい、謝りながら続ける獅門。
 ――そう。紗代の気持ちは、良く分かる。
 開拓者とて、黒狗と仲良くなりたいと思うのだから。
 少女ががそう願うのは自然なこと。
 ただ、問題なのは。
 この森に何が棲んでいるのか、何があるのか、はっきりと分かっていない。
 その状況で、力を持たぬ少女が独りで森に踏み込むのは危険すぎる――。
 だからこそ、父である佐平次も言い聞かせていたのだろうけれど……。
「……『何とか言い聞かせ』た結果……今の現状になっている……と憐は思うのですが……」
 ああ、これが失敗フラグというものなのですね……と遠い目をする黒憐(ic0798)に零次が首を傾げる。
「しっぱいふらぐ? 何だそれ」
「わたくしも聞いた事ございませんね……」
 真顔で受け答えたヘラルディアに、黒憐は無表情のまま続ける。
「……憐の国の言葉で……このままにしておくと困った事になる……という意味です……。ともかく……落とし所を見つけないと……」
「そうだね。……繋がった縁を無理に断ち切れば……悪い方に転がる」
 今まで寡黙だったルーンワース(ib0092)が、おっとりと口を開く。
 紗代ひとりに我慢させては、今回のような事がまた起こるだろう。
「皆が納得する形を探せるといいね……」
「ああ。……今はとにかく一刻も早く探さないとな」
 のんびりと続けたルーンワースに、頷いた零次。
 紗代にも、佐平次にも言いたい事は山ほどあるが、それは少女を無事に見つけてからだ。
 そんな話をしているうちに、気が付けば目の前に広がる森。
 ――黒狗の森に足を踏み入れると、柔らかな下草が湿った音を立てた。

●少女を探して
「多分、紗代が最終的に向かうとしたら薬草の生息地だと思うんだよな……」
「うん。薬草欲しくて何度も来たなら、僕なら前に見つけた方向に行くなって……」
 零次の言葉に、同じように考えていた仁も頷く。
「そこに向かうとしたら、以前一緒に歩いた道順を通ると思うんだが……逆に、そこ以外は紗代ちゃんには分からないだろうから」
「しかし、既に黒狗と合流しているとしたら、どこを通るか分からないな……」
 ルーンワースと獅門の的を得た考察。兎隹は暫し考えた後、顔を上げる。
「では、水辺と、最初に紗代が黒狗に会った場所。そこを経由して薬草の生息地に向かうというのはどうであろうか」
「二手に分かれて探すという事ですね」
「……分かりました……」
 確認するヘラルディアに黒憐もこくこく、と頷き……方針は決まったようであった。


「……こっちで合ってるかい?」
「ああ。足元に気をつけろよ」
 火球を先行させ、振り返るルーンワースに、頷き返す零次。
 先に出発した班の面々は、零次の案内で前回通った順路を辿りながら、一番最初に黒狗と出会った場所を目指していた。
「昼間なのに随分暗いんだな……」
「紗代ちゃん、こんな所を独りで歩いたのかな……」
 鬱蒼とした森。生い茂る枝を避けながら呟く獅門とふしぎ。
 道なき道。この道を子どもの足で歩くのは少々厳しいかもしれない。
 それでもなお、行ったということは――。
「……それだけ、紗代ちゃんの思いが強いという事なんだろうね」
 呟きながら、樹の枝に目印の包帯を巻きつけるルーンワース。
 歩く、印をつける……そんな事を何度繰り返しただろうか。
 小鳥型の人魂で周囲を探索させていたふしぎが、小さく声をあげる。
「どうした?」
「……何か来るよ」
「黒狗か……? 念のため警戒を」
 零次の問いに、答えたふしぎ。
 獅門の声に応えるように、それぞれが身構えて……。
 暫くの後、木陰からぬっと、黒い、大きな狗が姿を現す。
「わ、大きい子だね」
「あれが紗代ちゃんを助けた黒狗かい?」
 驚きの中に、ちょっとワクワクとした響きがあるふしぎの声。
 のんびりとした雰囲気はどこへやら。キッチリ仕事モードのルーンワースに、零次は首を捻る。
「いや、前見たのはもうちょっとデカかったような……」
 違和感を覚えるが、確証はない。
 ともあれ、黒狗であれば自分たちの言葉を理解してくれるはず――。
「あのさ。紗代の居場所を知らないか? 知ってたら、教えて欲しいんだ」
 続いた零次の問い。
 黒狗は答えの代わりに、彼の服の裾を軽く咥え、くいくい、と引っ張って見せる。
「……ついて来いって言ってるみたいだな」
 驚く獅門。だが、少女の居場所を知っているのであれば願ってもない事だ。
 開拓者達は、踵を返した黒狗の背を追って走り出す――。


「あそこに大きな岩がありますね」
「兎隹。あっちの木に布巻いて来たぞ」
「うむ、助かるぞ。ではそれも書いておかねばな」
 ヘラルディアと仁の報告を、手元の紙に落とし込む兎隹。
 後続班は、川沿いを経由しつつ目印となるものを探し出し、それを地図に記載していく作業を続けていた。
「アヤカシはどう? いそう?」
 天狗駆のお蔭で足場の悪い場所もスイスイ動ける仁。
 ちょこまかと動き回る彼に、ヘラルディアは首を振って答える。
 森へ入ってから瘴索結界を使うも、アヤカシや、瘴気らしきものは見つかっていなかった。
「この森にアヤカシはいないのでしょうか……」
「それなら……いいのですが……」
 青い目で辺りを注意深く見つめるヘラルディアに、ぽつりと呟く黒憐。
 少女が今後、ここに足を踏み入れる可能性を考えると脅威が少ないに越した事はない。
 『ここに来ない事』が一番安全であるのは、勿論理解してはいたが。
 紗代の思いを踏み躙るような事は、出来れば避けたい。
「……黒狗と定期的に会える機会を……何とか設けてあげられたら……と思うのですが……」
 ふう、とため息をつく黒憐に、ヘラルディアは頷きかけて……ハッとして振り返る。
「音が……葉が揺れる音でしょうか」
 彼女がそういう間にも音が迫る。

 ガサガサガサ。ガサガサ。

「うわ。デッカイ。かわいい!」
 樹をかき分けて現れた黒い狗に、思わず本音が漏れた仁。
 ――前回、ここを探索した時も、こうやって黒狗が現れた。
 狗は鋭い嗅覚を持つと言う。
 もしかしたら。黒狗は森に入って来る人間を察知する事ができるのかもしれぬな……。
 兎隹がそんな事を考えている間も、黒狗が襲って来る様子はない。
 それどころか、伏せて――開拓者達に目線を合わせるようにしている。
 敵意はないのだろう。そう判断した兎隹は、目の前の黒狗にそっと声をかける。
「お前達の縄張りを度々騒がせてすまぬな。……人間の、10歳の女の子を探しておるのだが、見かけなかったであるか?」
「えっと。『はい』なら、1回吠えてもらえるかな」
 仁の言葉に、わん、と鳴いてみせる黒狗。
「紗代さんを知っている、という事ですね?」
 再度確認するヘラルディアに、黒狗はもう一度わん、と鳴く。
「……随分と、知恵があるようですね……ならば……」
 黒憐が用意してきたものも無駄にならずに済むかもれない。
「じゃあ、案内して貰ってもいいか?」
 仁にわん、と返事をすると踵を返し、開拓者達を振り返る。
 彼らが歩き出すのを確認すると、黒狗もゆっくり動きだし――。

 遠くから響く笛の音――仲間達の合図を聞いたのは、両班ほぼ同時であった。


●森に棲むもの
「やっぱりここにいたのか」
「お兄ちゃん……」
 黒狗を伴って現れた零次に、驚きを見せる紗代。
 雫草が咲き乱れる中、一際大きい黒狗と紗代が座っていて――。
 先行班と後続班を案内してきた黒狗達は、紗代の隣の黒狗に頭を垂れると、そっと後方に控えた。
「黒狗は複数いるんですね……」
「どの子もモフモフだなあ……って、そんな事言ってる場合じゃなかった」
 3匹の狗を見つめるヘラルディアの横で嬉しそうにしていた仁だったが、慌てて荷物からお弁当を差し出す。
「ほら、お腹空いてるだろ?」
「紗代、帰らないもん! お腹も空いてな……」
 ぐーーー……。
 警戒するように黒狗の後ろに隠れた少女だったが、腹の虫は正直らしい。
「……食べなさい。大丈夫。君を無理に連れ帰ろうなんて思っていない」
 獅門の優しい声。紗代は開拓者達をじっと見つめ……弁当を受け取って、彼らの前に座り直した。
「無茶をしたな、紗代」
 兎隹が泥にまみれた手足を拭いてやると、紗代はしょんぼりと肩を落とす。
「だって、ととさまがこの子にあっちゃダメだっていうんだもん……。優しいのに。いい子なのに……ととさま、全然分かってくれなくて……」
「……そうか。友達だもんね。それは悲しかったね」
 ルーンワースにぽふぽふ、と頭を撫でられて、頷きながら涙を拭う紗代。
 零次も、少女の気持ちは痛い程良く分かったけれど。
 だからと言って、心配をかけて良い理由にはならない。
 彼は眉根を寄せて、紗代を覗きこむ。
「あのな。紗代。ここにいるのはこいつだけじゃないんだぞ。怖いケモノだっているんだ。お袋さんと親父さんに心配かけるもんじゃねえよ」
「お兄ちゃん、ととさまと同じ事言うのね。ととさまの味方なの?」
 零次を見つめる傷ついた瞳。その言葉に、ふしぎは違うよ……と、静かに首を振って続ける。
「零次君は紗代ちゃんの気持ち、すごく良く分かってる。……だから言うんだよ」
 真剣な様子のふしぎに、紗代は戸惑った様子を見せ……俯いたまま、ぽつりと口を開く。
「紗代、ととさまの言いつけ守ってたよ。森に入らなかった。でも、薬草が欲しかったから……この子に採って来て貰ってたの」
「……黒狗が、森の外側に薬草を届けに来てたって事かい?」
 あくまでも優しい獅門に、こくりと頷く紗代。
 その言葉に、仁は顔を顰める。
「紗代ちゃん、それは危ないよ……。君だけじゃなくて、黒狗が危なくなる。何でか分かる?」
 問いかけにただ驚き、目を見開く紗代。
 黒狗に危険が及ぶ理由など思いつきもしないのだろう。
 首を振った後、どうして……? と首を傾げる。
「他の人には……大きな毛皮が取れる獲物にしか映らないから。この子は人間を襲わないかもしれない。でも、人間が、黒狗に怪我をさせるかも知れないんだよ」
「薬草を持ってくる狗。珍しいよね? そうなると、黒狗を捕まえようとする人が出るかもしれない。薬草が欲しい人が、大勢来るかもしれない」
 ルーンワースと仁の言葉通りの事が起きれば、黒狗達はここで生活していけなくなる。
 ケモノが排除されるのは、危険だからという理由だけとは限らない。
 人間の勝手な都合で、狩られてしまう事だってあるのだ――。
「いいかい、紗代。世界は優しいものばかりではないのだ。君の無防備さが、大切なものを傷つけてしまわないように。結ばれた絆を、壊してしまわないように。君には知るべき事が沢山あるのだから……」
 少女の手を取り、彼女の心に届くように。
 1つ1つ、ゆっくりと噛みしめるように言う兎隹。
 紗代は頷きながら、ぽろぽろと涙を零し――。

「……今まで聞いた話から……貴方が言葉を理解していると判断します……。憐は、腰を据えた話し合いを希望します……」
 今まで静かだった黒憐。
 武器を置き、ビシッと正座して黒狗達にワッフルを振舞っていた。
 言葉を話せぬ狗達とどうやって対話するのか。
 彼女は、『○』と『×』の書かれた木札を用意する事を考え付いた。
 これなら、狗達も簡単に受け答えが出来るはず――。
 猫シエイター、黒憐の金の目がキラリと輝く。
「……ええと。『はい』なら『○』、『いいえ』なら『×』を指してください……。……分かりましたか……?」
 黒憐の問いかけに、『○』の札を指す黒狗。
 どうやら、会話が成立しそうである。
 ほっとした黒憐は、次々と質問を投げかけて行き……。
 この森には、この3匹以外にも黒狗がおり、彼らは人間を襲う気がないこと。
 ケモノとアヤカシも存在し、彼らは人間を襲って来るであろうこと。
 黒狗達は普段、もっと奥深い場所に棲んでいること等、森についての情報を聞き出すことができた。
「……なるほど……ありがとうございます。……あともう1つ、お聞きしたいんですが……。紗代さんが貴方と友達になりたいと願っていますが、迷惑ですか……?」
 首を傾げる黒憐。
 黒狗はちょっと考える素振りを見せた後、『×』を指差し……。
「やった! 友達になってくれるってさ!」
 大喜びの仁に、笑顔を返す紗代の肩を、零次がぽんぽん、と叩く
「良かったな。親父さん達に、こいつはいい奴で友達なんだって分かって貰うまで説得しようぜ。俺も言ってやるからさ」
「僕もそれがいいと思う。それに親御さん、すごく心配してたんだからな?」
「心配されるのは、親子の情があるからこそ。……ご両親に、謝りませんとね」
 優しく諭すふしぎとヘラルディア。
 紗代はもう一度大きく頷くと、ありがとう、ごめんなさい……と頭を下げ――。
 少女の友達である、一際大きな黒狗の首には『友の御守り』が輝いていた。


「実は、こういう事になりまして……」
「頼む! 紗代の気持ちも汲んでやってくれ!」
「我輩からもお願いするのだ」
 黒狗の森から、少女を無事連れ帰った開拓者達。
 報告が終わらぬうちから頭を下げる彼らに、佐平次は困惑するばかりだったが……根気強く説明と説得を繰り返した結果、何とか承諾を得ることができ――。
 1か月に1度だけ、黒狗と少女の逢瀬が許されることとなった。

 ――満月の夜。森の出入り口付近。
 ひっそりと少女と黒狗が忍び逢う。

 黒狗と少女の友情がずっと続くように。
 開拓者達も心から願うのだった。