【三姉妹】すれちがい
マスター名:猫又ものと
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/12/11 17:20



■オープニング本文

 石鏡国、銀泉。星見家が治めるこの土地は、菊花祭が終わり、賑やかだった街は普段通りに戻り、冬への準備へ向けて束の間の静寂が訪れる。
 部屋の窓から、ぼんやりと外を眺めるふう。
 ひいは部屋の奥で本を読んでおり、みいはそんな2人の間を行ったり来たりしていた。
「ねえねえ、開拓者達は次いつ来るんですのぅ?」
「みいはずっとその話ばかりですわね」
「だって、つまらないんですものぅ」
 本から顔をあげたひいに、ため息をつくみい。
 続く沈黙を破るように、みいは姉達に向かって話続ける。
 先日行った菊花祭で、菊の料理を食べたこと。
 『酒』という飲み物が凄い匂いだったけれど、もう少し大人になったら飲んでみたいこと。
 開拓者と一緒に買い物をして、お揃いの髪飾りを買ったこと――。
 ご機嫌なみいの声を、ふうが苛立たしげに壁を叩いて遮る。
「うるさい! 何度同じ事言えば気が済むの?!」
「ふう……?」
「なんなの? 開拓者に大事にされてるって自慢したいの?」
「ち、ちがいますわぁ。わたしは……」
「何が違うのよ! 主様の事も忘れて、開拓者開拓者って一日中その話ばっかり!」
「だって、最近ひいもふうも、元気がないからぁ……」
「あんたはいつもそう! 誰かに甘えて、いい子だって言われて……!」
「わたし、ひいとふうに元気でいて欲しいだけですわぁ」
「あんたのそういうとこ嫌い! 能天気なあんたの顔見てるとイライラするのよ!」
「……!! ふうの馬鹿ああぁ!!」
「みい……!」
 泣いて飛び出して行く妹を追うために立ち上がったひい。
 一歩踏み出そうとして……そのまま凍りついたように立ち止まる。

 ――そんな事を、私は命じたか?

 聞こえる主の声。まただ。また、身体が動かない。
 みいを止めなくてはいけないのに……。

 ――私に逆らうな。命令にさえ従っていればそれでいい。それが、道具としてのお前の勤めだ。

 ――お前も所詮、あの出来損ない共と同じか。残念だよ……。

「ひい、どうしたの!? しっかりして!」
 その場に音もなく崩れ落ちるひい。
 ふうは慌てて、姉を受け止めて……その身体の異常な熱さに驚愕する。


 ――どうしよう。どうしよう。
 『答え』を探しているのは自分の勝手なのに、つい苛立って妹に当たってしまった。
 姉の様子がおかしい事も分かっていたのに……。
 どうしよう。ひいとみいがこうなったのも、全部わたしのせいだ……!

 ふうは姉に縋って、わんわんと泣き叫んだ。


●星見家からの依頼
 ――星見家嫡男急病の為、人妖達の監護人、教育係を募集。
 急ぎ石鏡国銀泉まで来られたし。

 開拓者ギルドで、募集要項を見つけた開拓者達。
 いつもは星見 隼人(iz0294)が直接依頼に来るのに、急病とは……。一体どうしたのだろう。
 そんな事を考えながら銀泉の星見家の屋敷までやってきた彼らは、その急病であるはずの人に迎え入れられて目を瞬かせた。
「……隼人。身体の調子はどうなの?」
「具合が悪いんじゃないのか?」
「あー。それは仮病だ。詳しい事情は後で説明する。ひとまず、皆にひいとふうの監護と……みいの捜索を頼みたい」
「……それはどういう事なのだ?!」
 目を見開き、隼人に迫る開拓者。その横で、昭吉が申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません。僕が目を離したばっかりに……」

 最近、ひいは何かをしようとしても身体が動かない、食欲がない……と身体の不調を訴える事が多かった。
 ふうは何だかイライラしている事が増えた。
 みいはしきりに寂しさを訴え、開拓者達に会いたがる。
 三人三様に起きる変化。3人の関係性にも変化が見え始め、気をつけて監視をしていたのであるが……。
 監視役の昭吉が用事で席を外していた時に、事件は起きた。
 人妖達の激しく言い争う声に気付いた彼が戻った時には、ひいが倒れ、ふうは泣き叫び、みいは屋敷からいなくなっており――。

「ひいが倒れたって……具合は?」
「高熱が続いてる。彰乃に診て貰ったが原因が分からなくてな。あいつが言うには『心の問題』だそうなんだが……」
 ため息をつく開拓者。
 ――三姉妹の長女は、どこに行っても、何を見せても文句も言わず、受け入れているように見えた。
 その素直さも、忠誠心から来るもので……心はまだ、神村菱儀の呪縛から逃れてはいないのかもしれない。
「ふうにも困ったものだな……。あまり自分を追い詰めるなと言ったばかりだったんだが」
 肩を竦める開拓者に、隼人も複雑な表情を見せる。
「ふうなりに一生懸命なのだろうと思う。さっきもひいとみいがこんな事になったのも自分のせいだと泣いていた。良かったら様子を見てやってくれ。……それで、肝心のみいの行方なんだけどな」
「行き先に心当たりがあるのか?!」
 必死の形相で身を乗り出す開拓者。隼人はため息をつきながら続ける。
「いや、それが……屋敷の者にも探させているがまだ見つかっていない。みいは、お前達にとても会いたがっていた。恐らくお前達に会えそうな場所に向かったんだと思うが……」
「そうか……」
「屋敷から紫陽花もいなくなった。みいと同時期に消えているから、一緒にいるんだと思う」
「人妖とこもふらさまの二人連れか。目立ちそうだな」
「いい意味でも、悪い意味でも、な」
 もう一度、深くため息をついた隼人に、首を傾げる開拓者達。
 隼人は固い表情のまま続ける。
「……俺が仮病を使っている理由だが、みいの出奔を周囲に覚られないようにする為だ」
 教育と監視が条件で生存を許されている人妖がいなくなった事が表沙汰になると、反省の色が見られないと判断され、処分を命じられる可能性も高くなる。
 彼の言葉に、開拓者達に戦慄が走る。
「今は、俺が急病になったとして屋敷自体に人が近づけないようにしている。いつまで時間が稼げるか分からんが……バレないように、慎重に捜索してくれ」
 頷く開拓者達。
 それぞれ、自我が芽生えて来ている人妖達。
 それ故に起きた問題ではあるが……頭の痛い状況だった。

●家出
「……みい。戻った方がいいもふよ。きっと皆心配してるもふ」
 心配そうに声をかけるこもふらさまに、みいはぶんぶんぶん、と大きく首を振る。
「わたし、開拓者達と一緒に暮らすんですのぅ」
「大体、開拓者達とどこで会えるか知ってるもふか?」
「知ってますわよぅ! ギルドって言う所に行けばいいんですのぅ」
「そのギルドってどこにあるもふ?」
「きっとあっちですわぁ!」
「本当もふか……?」
「本当ですわよぅ!」
 ジト目を向けて来るこもふらさまに胸を張って見せるみい。
 開拓者達に早く会いたくて、自然と足が速まる。

 ――会いに来るようにする。勿論、我輩だけではないぞ。他の開拓者達も一緒だ。それなら寂しくなかろう?

「……寂しいですわぁ。ずっと一緒がいいですのぅ」
 ふと、みいの頭を過ぎる開拓者の声。
 彼女は、大好きなひとの名を呼んで……ぽろりと涙を零した。


■参加者一覧
/ 柚乃(ia0638) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / ユリア・ソル(ia9996) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 緋那岐(ib5664) / クロウ・カルガギラ(ib6817) / 音羽屋 烏水(ib9423) / 火麗(ic0614) / 兎隹(ic0617) / リト・フェイユ(ic1121


■リプレイ本文

「……どうした? 何かあったのか?」
「どうした? じゃないですよ、兄様! 人妖ちゃん達が大変なんですから!」
「いや、そっちもそうだけどさ……」
 やって来るなり怪訝そうな顔をする緋那岐(ib5664)を叱る柚乃(ia0638)。
 久しぶりに訪れた星見家。何の気なしに寄ってみれば、星見 隼人(iz0294)急病の為、関係者以外出入り禁止になっているし、何とも物々しい雰囲気であった。
「……隼人の病気って、提灯南瓜に取り憑かれることか。珍しい病気もあったもんだな」
「あれは違います。くぅちゃんが勝手に乗ってるだけです……。と言うか兄様、いつの間に人妖ちゃんお迎えしたんですか?」
「ああ、ちょっとしたツテでな。こいつを三姉妹に会わせようと思って来たんだわ。七海ってんだ」
「ひい、ふう、みい、よう、いつ……ななみ?」
「……兄様。六が抜けてます」
「うるせえよ」
 小首を傾げて自己紹介する愛らしい人妖。続いた柚乃のツッコミに、緋那岐がすかさず切り返す。
 そして彼はもう一つ、違和感を覚えていた。
 星見家の従者達がこう……何と言うか、銀髪の修羅の姐御に期待に満ちた熱い眼差しを送っているのだ。
 その視線を一身に受け止めている火麗(ic0614)に動じた様子はないが……。
「……一体どうしちまったんだ? ありゃ」
 首を傾げる緋那岐に、事情を知るクロウ・カルガギラ(ib6817)と音羽屋 烏水(ib9423)が、苦笑を返す。
「いや……。この間、隼人さんの見合いをどうするかって話になってさ」
「見合いを断りたいという隼人の希望もあっての。火麗に一芝居打って貰ったんじゃ。思ったより効果があったようじゃの……」
「あぁ。そういえば、隼人さんに意中の女性がいるって噂になってましたねえ」
「あー。なるほど、それでか……」
 柚乃の呟きに何かを察したのか、ニヤリと笑う緋那岐。
 その目線は、隼人に声をかける火麗に注がれて……。
「隼人さん」
「うおっ!? お、おう。火麗か」
 呼ばれて、振り返るなり身構える隼人。そんな彼を、火麗は不思議そうに見上げる。
「……何だよ。どうしたんだい?」
「いや。何でもない。……えーと、そう、そうだ。先日はありがとう。助かった」
「こちらこそ。あんた結構酒いけるクチなんだね。また呑みに行こうよ」
「え。あ、ああ、勿論」
 そう言いながらこちらを見ようとしない彼。心なしか顔が赤い気がする。
 ――何なのだろう。人妖達のことで追い詰められているのだろうか?
「色々気になる事もあるだろうけど、あんたはここでドーンと構えてりゃいいさ。待ってるのも仕事のうちだからね」
「ああ。その……すまんな。宜しく頼む」
「いいって。任せときな」
 素直に頷く隼人の胸を、景気付けるように拳で小突く火麗。
 その様子を見たクロウが烏水の袖をくいくい、と引っ張って耳打ちをする。
「……どうしたんだ、あれ。隼人さん大丈夫か?」
「恥ずかしがってるだけじゃと思う。隼人のことじゃ、女子と二人で出かけるとか経験がなかったんじゃろ」
「……そもそも芝居だし、友達だろ? 真面目に考えすぎだっての」
 ぼそりと呟くクロウに、ため息をつく烏水。
 隼人は、結婚相手を自分の力で探したいと言っていた。
 勿論、そんな親友を応援したいとは思うが……女友達と呑みに行くくらいで恥ずかしがって挙動不審になっているようでは先が思いやられる。
 折を見て、また話をせんとならんかの……。
 そんな烏水の思考を中断する足音。向こうから、眉間に皺を寄せた兎隹(ic0617)が走って来る。
「火麗姐、みいの気を引きそうな場所を調べてるのだ。時間が惜しい。手伝って欲しいのだ!」
「あいよ。今行く」
 頷く火麗。再び走り去ろうとする兎隹に、クロウが慌てて声をかける。
「兎隹。俺、先に石鏡のギルドに行くわ。そっちから屋敷に戻るように探す。挟み撃ちにした方が時間短縮になるだろ」
「分かったのだ。宜しく頼むのだ」
「おうよ、任せとけ。……さっさと見つけてやろうぜ」
 悲壮な表情の兎隹を宥めるように続けたクロウ。
 彼女が珍しく焦っている。三姉妹の中でも、とりわけみいを可愛がり、熱心に教育していた兎隹だ。そうなる気持ちも良く分かる。
「本当にすみません……。僕も一緒に探します!」
「昭吉さん、ちょっと待って下さい!」
 ガバッと頭を下げて飛び出して行こうとする昭吉。その手を、リト・フェイユ(ic1121)が慌てて掴んで引き止める。
「昭吉さん。今は隼人さまが病床にあるって周囲には知らされています。果物やお水、身体拭きの一式をお持ちして、甲斐甲斐しくお世話をしてそれらしく見せないと……」
「それはそうですけど、でも、みいさんを急いで探さないと……。そもそも、彼女を見失ったのは僕のせいですし」
「急ぐことも必要ですけど、昭吉さん、一体どこを探すつもりなんです?」
「あ……」
 リトの冷静な指摘に、言葉に詰まる昭吉。
 焦るばかりで、深くは考えていなかったらしい。
 彼女は深い緑色の瞳で、昭吉をじっと見つめる。
「急がば回れって言う言葉を知っていますか? 急いで物事を成し遂げようとする時は、何が起こるか分からない近道を行くよりも、安全確実な遠回りを行くほうが早く辿り着けるんです」
「遠回りなのに早く辿り着くんですか?」
「ええ。手当たり次第に探すより、みいさんが向かう可能性のある場所を調べてから行った方が早く見つかると思いませんか?」
「あ、なるほど……。準備って大事なんですね」
「ええ。あとは、探す時に不自然にならないように、隼人さまを看病する動きの延長上……例えば、お遣いものに行くフリをするとか、そういう作戦も必要になるかなと思います」
「そうか……! 秘密にしないといけないんですものね。リトさんすごいです……!」
 目をキラキラと輝かせる昭吉に、冷や汗を流すリト。
 予想外の反応だったが、結果的に彼が落ち着いたので良しとする。
 素直な少年に、烏水はくすりと笑うと三味線をベベン……とかき鳴らして続ける。
「どれ、ワシも準備を始めるとしようかの。昭吉、人妖達がケンカをして、みいが飛び出して行ったのはいつ頃じゃ?」
「なるべく、時間を正確に教えて下さい。『時の蜃気楼』で再生できるのは5分間だけですから」
 彼の言葉を継いだ柚乃。いつの間にか、彼女は三姉妹の末っ子の姿になっていた。


 汗をかいたひいの服を替えてやりながら、リィムナ・ピサレット(ib5201)はプンスコ怒っていた。
「死んだ後も禍根を残すなんて、本当にろくでもない変態だよね!」
「そうね。ひいが優等生なのも原因なんでしょうけど」
 頷きながら苦笑するユリア・ヴァル(ia9996)。
 三姉妹の長女は、一番主と共に過ごした時間が長かった。
 そしてひいも、生真面目に主の言いつけを守ろうとしている。
 それ故に、こういう結果になっているのは理解出来るが、納得はいかない。
「ユリアさん。あたし、『安らぎの子守唄』歌ってみるよ。気休めかもしれないけど……。いいかな?」
「ええ。お願いできる?」
 この発熱が精神的なものなのであれば、この子守唄にも多少効き目があるかもしれない。 薄緑色に輝く燐光が舞い散らせ、リィムナが優しい声で歌い始める。
「ひい……。ひい、聞こえる? 私よ、ユリアよ」
「……さい。ごめんなさい…………さま……」
 静かに声をかけるユリア。目を閉じたまま、弱々しく謝罪を繰り返すひいに、彼女は深々とため息をつく。
「おう。敷き布の替え持ってきたぜ」
「氷も持ってきた。……ひいは目を覚ましたか?」
「いいえ。眠ったままね……」
 緋那岐とリューリャ・ドラッケン(ia8037)の天妖、鶴祇が持ってきた物資をお礼を言いながら受け取るユリア。
 魘されるひいの額に氷水で浸して固く絞った布を置き、金色の髪を指で梳く。
 看病を始めてから暫く経つが、目を覚ます様子もなく。熱も依然高いまま、時々ごめんなさい……と弱々しく呟いている。
 その弱りきった姿があまりにも哀れで……。
「ひいも可哀想になぁ。菱儀が生存中に押し掛けでも弟子入りしてりゃ、根性叩き直してやったんだけど……」
「あら。人でなしに弟子入り志願とは随分勇気があるのね」
 緋那岐の爆弾発言に、ピクリと眉を上げたユリア。からかうような彼女の口調に、緋那岐はちちち、と指を振って見せる。
「いやいや。弟子入りしてりゃ、三姉妹を引き取れただろ?」
「それが目的? だったら止めておいて正解だったわよ。あの男は叩き直せるような根性してなかったもの」
「そうかー? そこは俺が、ビシッと厳しく優しくだな……」
「緋那岐。あなた、護大派が齎した技術をそっくり教えてやるから手を貸せって言われたら断れる?」
「えーっと。それは……協力して、がっつり技術戴いた後に寝返る!」
「……あなたを犯罪者として断罪しなくて済んで良かったわ」
 明らかに目が泳いだ緋那岐。陰陽師として正直過ぎる彼に、ユリアが鈴を転がすように笑い、ひいの手を握っていた鶴祇が、ぽつりと口を開く。
「同じ人妖種同士、悩みに同調できるやもしれんと思ったが、このままでは話も出来ぬな……」
「そうね……」
「意識だけでも戻ってくれりゃいいんだがな……」
 途切れる会話。そこに、リィムナの優しい歌だけが響く。
 ユリアはふと顔を上げて、友人の天妖を見つめる。
「ねえ、鶴祇。あなたは人妖だけれど……リューリャに対してどう思っているの?」
「ん? そうだな……。立場上は主、という事になるのだろうが、立ち位置としては対等だと思うておる」
「ふふふ。……そう。あなたは面白い子ね。でもそれで良いんだと思うわ」
 くすくすと笑うユリア。鶴祇は肩を竦めて、ひいの手を握り直す。
「笑っている場合ではなかろう。どうするのだ?」
「待つしかねーわな。これ以上手の打ちようもねえ」
「緋那岐の言う通りね。それに……この子はいずれ目を覚ますわ。私が考えている事が正しければ、ね」
 ひいが熱を出している理由は、きっと『自我』が芽生えて来ているからだ。
 『菱儀』という規則に縛られたまま、自分の意思を閉じ込めてきた彼女。
 主と言う絶対だったはずの存在。それに従う自分。
 それらと統合性が取れなくなったが故に、無理が生じたのだろう。
 ――詫び続けているのは、きっとそういう事だ。
「選べないことが当たり前なんて……私なら許さないわ」
 ひいが『自我』を持って、『自分』で未来を選ぶ時が必ず来る。
 そう信じているから、彼女達を助けるのだ。
 呟くユリアに、こくりと頷くリィムナ。
 看病と言う、静かな戦いが続く。


「リューリャ! 今こんなことしてる場合じゃないでしょ!? 二人が大変なのよ!?」
「ふう、落ち着け。あの二人は大丈夫だから。少し話をしよう」
 ひいの看病を続けていたふうを連れ出して、お茶を勧めるリューリャ。
 それに手をつけず、青い髪の人妖はふるふると首を振る。
「だって……! あたしのせいでこんな事になったのに……」
「お前のせいという訳でもないと思うが……まずは全部吐き出しちまえ。今まで考え込んでた事も何もかも」
「だから、今は話をしてる場合じゃ……」
「いいから。……お前がきちんと自分の気持ちや思考を整理することが、結果的にあの二人の為になるんだ。この事態が自分のせいだと言うなら、それがどれだけ重要なことか分かるだろう?」
 淡々と言うリューリャに言葉を無くすふう。
 次の瞬間、ぼろぼろと涙を零す。
「あたし……八つ当たりしちゃった。考えても考えても答えが見つからなくて……みいのせいじゃないのに。ひいの具合が悪いのも分かってたのに……」
「ああ。君が一生懸命だったのは知ってる」
「ひいが死んじゃったらどうしよう。みいも見つからなかったら……」
「ひいもみいも、開拓者達が対応してる。大丈夫だ。落ち着いて一つ一つ話してごらん。ちゃんと聞くから」
「でもリューリャ、自分の頭で考えろって言ったじゃない」
「ふう。一人で出来ることには限界があるんだよ。言葉として外に出していかないと、自分でも自分の心がわからなくなる。俺もそうだ」
「……リューリャも?」
 顔を上げて、目を丸くするふう。自分を何かと気にかけてくれるこの開拓者は、いつも自信に溢れていて……出来ないことなど何もないと思っていた。
 そう呟く人妖に、リューリャは肩を竦める。
「随分と買い被られたもんだな。自分一人で作られる答えはどうしても矛盾や疑問に満ちている。だから、友達や兄弟や親と言う他人……他の視点が必要になるんだよ」
 そこまで言って、お茶を一口飲むリューリャ。目線だけでふうに喋るように促す。
「じゃあ、一つ聞いてもいい?」
「どうぞ」
「……アヤカシはヒトの命を奪うから存在を許されていないんでしょう? あたし達だってヒトの命を奪えるじゃない。それなのにどうして生きてていいの?」
「あー。なかなかいいところに目をつけたな」
「感心してる場合じゃないでしょ!」
 しきりに頷く彼を睨むふう。リューリャはくすりと笑うと、天井を仰ぐ。
「以前にも言ったが、アヤカシはヒトを捕食する。お前達人妖や俺達はヒトを捕食対象とはしていない。そういう差なのだろうな」
「食べるものの違い?」
「少し違うな。ヒトは現時点でこの世界の生物の頂点にいるんだよ。知能の高さや力の強さなどが総じて、そういう位置に立っている。アヤカシは、そのヒトに唯一真っ向から対抗できる存在なのさ。その上自分達を主食にすると来ている。だから、ヒトとしては存在してもらっちゃ困る訳だ」
「……それって要するにヒトの都合ってこと?」
「そういう事だな。世の中の規則は、ヒトが決めている。それぞれが生き易くする為にね」
 他人のモノを奪ってはいけない。
 他人を傷つけたり、殺めたりしてはいけない。
 それらはヒト同士が、無用な争いを避け、円滑に暮らして行く為の決まりだ。
 そう続けた彼に、ふうは首を傾げる。
「……だから、ヨウとイツも、主様も死ななきゃいけなかったの? 何だか勝手な話ね」
「ああ、勝手だな。だが、大抵のヒトは、その『勝手』を幼少の頃から『守るべきもの』として教育されて育つ。だからその道理を疑うこともない。そういうもんだ。君の主は、どうやら違ったようだがね」
「そう……。ヒトは『決まり』で縛られているのね。何故贖罪を求められるのか良く分からなかったけれど……そういう事なら理解出来るわ」
「少し思考の整理は出来たか?」
「ええ」
 頷くふうに、それは良かった、と頷くリューリャ。人妖の泣き腫らした目を覗き込む。
「さて。今度は俺が質問をしよう。今君がしたい事、しないといけない事……そう言ったことはあるか?」
「……分からないの」
「ん?」
「ヨウは『あなた達らしく生きなさい』って言ってた。ねえ、リューリャ。あたしらしいって何? ずっと考えてるけど分からない」
 三姉妹の次女は、さほど菱儀の呪縛を受けてはいないように感じていたが……。こういう己を築く根底において影響を受けているのだろう。
 俯いて膝をかかえるふうを見つめて、リューリャはため息をつきながら続ける。
「そうだな……。君らしさ、というのは色々あると思うが。ふうが好きかったり、楽しかったりする事はなんだ? そこに、答えの近道があるかもしれない」
「あたし、主様の命令に応えて、褒めて貰えるのが好きだった。ひいやみい、ヨウやイツとお話するのも好き。……でも、残ったのは私達だけで……イツは『楽しくなるといい』って言ってたけど、主様達が死んでから、楽しい事が何だか分からなくなっちゃった」
「そうか……」
 彼女は今、己の根底を見失っている。
 苛立ちも、そこから来ていたのかもしれない。
 リューリャはふうを抱え上げると、青い髪をそっと撫でる。 
「まずは君が楽しいと思えることを見つけよう。何でもいい。俺も手伝うから」
「あとね、ひいとみいに謝りたい」
「……そうだな。二人が落ち着いたら、一緒に行こう」
「うん……って、子供扱い止めてよね!」
「ん? 迷子はそれらしく扱うべきだと思うんだがな」
 一度は素直に頷いたものの、頭を撫でられたことが気恥ずかしくなったのか、ジタバタ暴れるふうに、くすくす笑うリューリャ。
 真っ直ぐに問題に立ち向かう勇気を持つ彼女だ。きっと答えも見つけられるはずだ。
 それを、手伝ってやりたいと思う。


「ひいちゃんとふうちゃんは何が好きかな。みいちゃんも紫陽花ちゃんもお腹空かせてるかも……」
「そうですわね。皆甘いものが好きなようですが……」
「そう? じゃあ、お菓子がいいかな」
 山路 彰乃(iz0305)の呟きにこくりと頷き返す柚乃。
 彼女は、人妖三姉妹の末っ子がいなくなったことが知れないよう、みいに変身してそれらしく振る舞っていた。
 そのお陰か、時々外からやって来る使いの者などにも怪しまれず、星見家封鎖の理由も嫡男急病の為と信じて貰えているようだ。
 それは良かったのだが……ただ屋敷で大人しくしているのもどうかと思い、彰乃と共に台所を借りて料理を作ってみようという話になった。
「お菓子も色々ありますけど、遠くまで匂うのは焼き菓子でしょうかねー」
「……何故遠くまで匂わせる必要があるんですの?」
「ほら、匂いに釣られてみいちゃんが戻って来るかもしれないじゃないですか」
 粉を計りながら言う柚乃に、あー……と頷く彰乃。
 ごそごそと棚を探って、木箱を取り出す。
「こちらに乾燥イチジクがありますわ。それを入れてみてはどうでしょう」
「あ。美味しそう! じゃあふんわりとした感じに焼きましょうか」
「卵持って来ますわね」
「おねがいしまーす」
 材料を揃えに行った彰乃を笑顔で見送る柚乃。
 どうせ作るなら美味しく作らねば……!
 柚乃の奮闘は続く。


 その頃、看病をユリアや緋那岐に任せ、ひいの部屋を抜け出したリィムナは、隼人と対面していた。
「……と言う訳なんだけど。どうかな?」
「……それは、危険を伴うな」
 少女の提案に、眉を顰める隼人。それに、リィムナが必死で言い募る。
「そうだね。ひいに衝撃を与えることにはなると思う。でも、根本的にどうにかしないと焼け石に水でしょ? あの子、この先ずっと悩み続けるよ。教育を進める上でも、あの変態から離れないといけない。もちろん、フォローは必要になるけど……この方法なら効果は見込めると思うの」
 その言葉に目を閉じて沈黙する隼人。暫く考えた後、リィムナに目線を戻す。
「今ならお前達もいる。……危険ではあるが、賭けてみる価値はある、か」
「じゃあ……」
「ああ。やるだけやってみるといい。……まあ。何かあった時ユリアに殴られるのは俺だろうが」
「その時は一緒に叱られてあげるよ!」
「いやいや、ちゃんと成功させてくれよ」
 軽い口調の隼人に、強く頷くリィムナ。
 善は急げと、作戦の準備に取り掛かる。


「さて、こっちも始めるとしようか。ギルドの周り動いていれば会える気はするんだけどね……」
「いや……火麗姐。みいのドジっぷりを甘く見てはダメだと思うのだ」
 火麗の呟きに悲壮な顔をする兎隹。
 三姉妹の末っ子は、甘えん坊であるのもそうだが、とにかく注意力散漫で失敗が多い。
 多分、ギルドの場所も正確には覚えてはいないし、途中で気を引かれるものに出会えばそちらに迷わず寄って行くだろうと思う。
「……という事は、ギルドの方向に行くとは限らんと。そういうことじゃな」
 ハァ、とため息をつく烏水にこっくりと頷く兎隹。
 実際彼の手で再生したみいが出奔した時間帯の幻影を見ても、ギルドの方向には向かっていなかった。
 見兼ねたこもふらさまが『ギルドはあっちもふよ』と正しい方角を教えていたようだが、それに従ってはいないようだったし。
「突発的な家出で、最初に街に出る事まで考えておらんかったようじゃの」
 続いた烏水の声に、リトは遠い目をして……。
「ええと……。みいさんの行方を聞くのは憚られますけど、紫陽花さんならお伺いしても大丈夫そうですよね……。聞いてみます」
「うむ。ギルド方面は既にクロウが向かってくれておる故、我輩達はなるべく多方面に、みいが好きそうな場所を中心に探索した方がいいと思うのだ」
「分かりました。えーと。確かみいさんは、甘味とお花、綺麗なものが好きなんでしたっけ」
「そうなのだ。この近辺の甘味処や雑貨屋などの場所は調べておいた。ただ、花畑や道に咲いた花まではさすがに網羅できんのでな……」
 確認するような昭吉の声に頷く兎隹。続く彼女の説明に、烏水もなるほどの、と頷く。
「ふむ。では花が咲いていそうな場所も探してみるとしようかの」
「了解。ったく、世話が焼けるね……。見つけたらガッツリ説教してやんないとね」
「リト。そろそろ行こう」
 拳にハーッっと息を吹きかける火麗に、冷や汗を流すリト。相棒のからくりに促されて頷き返す。
「じゃあ、私とローレルは向こうを探してみます」
「ワシと昭吉はこっちじゃな」
「よし。じゃああたしと兎隹はあっち側だね。行くよ、兎隹!」
「分かったのだ!」
 思い思いの方向へと向かって行く開拓者達。
 みいの保護という急務に、彼らの足も速まる。


「どこ行ったんだアイツ……」
 翔馬に跨り、地上を見下ろすクロウ。
 まず石鏡の開拓者ギルドに向かい、そこから銀泉に戻るように探索を続けている彼。
 みいと一緒にいるはずのこもふらさまの目撃情報を主に集めていたが、目撃した者はおらず。
 道往くヒトを見つけては声をかけるも、空振りの状態が続いていた。
 ――みいはものすごくドジっ子なのだ。そこが可愛くもあるのだが、今回はどう出るか……。
 ふと思い出す兎隹の呟き。
 クロウの脳裏に、嫌な予感が過ぎる。
「……もしかして、道に迷ってるんじゃねえのか」
 ひとりごちる彼。そうだとしたら、街道沿いだけではきっと見落としてしまう……。
「プラティン。悪いけど、もうちょっと広範囲に見て回れるか?」
 主の声に、分かった、とでも言うように嘶く翔馬。
 音も無く翼をはためかせると、風のように疾る。


「いませんねえ。どこに行ったんでしょう」
「そうじゃなぁ。まあ、焦っても仕方ない。のんびり行くとしようぞ」
 己の失態と思っているのか焦りを滲ませる昭吉に、三味線をかき鳴らしながら答える烏水。
 昭吉の手には柚乃が作った焼き菓子と団扇、烏水は楽しげな音楽を響かせて……二人は星見家の屋敷から程近い街道を探索して歩いていた。 
「すみません。僕がうっかりしていたばかりに、烏水さんにまでご迷惑をおかけして……」
「昭吉、あまり自分を責めるでない。前後の事情がなけりゃ家出も可愛いものじゃろうに」
「いえ、家出は良くないことじゃないですか」
「そう言うな。かくいうわしも、三味線で身を立てるために家出しての」
「えっ。烏水さんがですか?」
「うむ。わしも最初は無謀かと思うたが、そこから得たものも多くての。人妖達の立場的に問題に発展し易いが、これも成長している証じゃと思うぞ」
「そうなんでしょうか……」
「あの隼人も見合いから逃れようと逃げ回るくらいじゃ。我が侭を言うくらいが健全というものじゃ。昭吉も少しくらい我儘を言うた方がええぞ?」
「いえ、僕はそんな……罪人で、隼人さまの家に置いて貰っている身ですし」
「おぬしだって贖罪を続けておろうが。そんなに小さくならんでもよいのじゃぞ」
 軽い調子で言う烏水に、昭吉は力なく笑って、がっくり肩を落とす。
「烏水さん。……僕、本当にこのままでいいんでしょうか。ちゃんと贖罪が出来ているんでしょうかね」
「ん? なんじゃと?」
「烏水さんや開拓者の皆さんも、星見家の皆さんも、皆優しくて……僕、自分が罪人であることを忘れてしまいそうになるんですよ。こうしている間も、主様のしていたことで苦しんでいる人がいるのに。僕がこんなに幸せでいいのかなって……」
「……昭吉。勘違いするでないぞ。お前が不幸になることは贖罪でも何でもない。ただの自己満足じゃ」
 ピシャリと言う烏水。
 この少年、主と心中を計ろうとしたり、必要以上に自分を追い込む癖があるような気がする。
 真面目と言えばそうなのかもしれないが……それは時として、自分だけでなく、周囲の者も傷つけるかもしれないから。
「相手の気持ちに即した時に、おぬしが何をするのか、どうするのか……これから苦労する側面も出てこよう。長い人生、贖罪の機会は山とある。心配するでないわ」
 少年の頭をわしわしと撫でる烏水。素直にハイ、と頷く昭吉に満足気に頷く。
「おっと。曲が止まってしまったわい。昭吉もホレ、続けんか」
「はいっ」
 再び烏水が三味線の音を響かせると、昭吉も慌てて焼き菓子を団扇で扇ぐ。
 こうすれば、音や匂いに釣られてみい達がひょっこり顔を出すかもしれない。
 二人の地味な作業が続く。


「ここにもいないであるな……」
「兎隹、焦るんじゃないよ。あいつらがこの辺りにいたのは確実なんだ。次行こう」
「そーだよ、兎隹。僕がついてるぞ!」
「うむ。朔姫もありがとうなのだ」
 三箇所目の甘味処。こもふらさまを見たと言う人はいたが、街道から外れて行ったようで……。その先の目撃情報を集めるのは難しそうで、がっくり肩を落とす兎隹。
 火麗と相棒の羽妖精に励まされて、彼女はこくりと頷く。
 兎隹と火麗は、朔姫の『幸運の燐粉』の力も借りつつ、みいの気を引きそうな場所を巡って歩いていた。
「みい、どこに行ったのであろうな。不安な思いをしていないと良いが……」
「そうね。あの子のことだから、結局、兎隹頼ってきそうな気はするのよね」
「……そうであろうか。我輩、みいを甘やかし過ぎたのではなかろうか」
「あんたのせいじゃない。あの子の性格を考えてご覧よ。甘やかしてたら冗長して、もっと酷いことになってたはずだ。兎隹は良くやってる。あたしが保証するよ」
「火麗姐……」
 火麗にくしゃくしゃと頭を撫でられて、兎隹の視界が滲む。
 今は泣いている時ではない。一刻でも早くみいを見つけないと……。
「あっ。兎隹さん! 火麗さん!」
「おお、リトではないか!」
 二人を見つけ、手をぶんぶんと振りながらやって来るリト。兎隹はぷるぷると頭を振って、それに応える。
「どうです? 何か情報ありました?」
「この辺りでこもふらさまを見たって人はいた。街道から外れて行ったらしいんだけど。それ以上の情報はないね。そっちは?」
「こちらもこもふらさまを見た人がいらっしゃって。その方角に向かっていたらお二人がいらしたんですよ」
「ふむ。やはりこの辺にいるのであろうか……」
 火麗とリトの談に、腕を組む兎隹。
 目撃情報を総合するに、リトがいた方角からやって来て、この辺りで街道から外れて行ったのだろうか。
「ローレル、この辺に、みいさんの気を引きそうな場所ってあったかしら」
 小首を傾げて相棒に声をかけるリト。だが、いくら待てども返答がない。隣を見ると、相棒が消えている。
「あら? ローレル?」
 キョロキョロと見渡す彼女。暫しの後、街道脇からガサガサと言う音がして、草むらからローレルが現れた。
「リト。向こうに花が咲いていた。どうぞ」
「えっ。あ、ありがとう」
 白と黄色の水仙を渡されて、目を瞬かせるリト。
 突然のことにぽーっとしかけて……いやいや、今はそんな事をしている場合じゃないと首を振る。
「あのね、ローレル。この辺りに……」
「はいっ。兎隹にもあげるですわぁ!」
「ああ、ありがと……」
 リトの問いかけを遮るように現れた赤い髪の人妖。
 兎隹は水仙を受け取りかけて……そのまま固まる。
「皆、久しぶりもふなぁ」
 そして、ローレルの肩の上で暢気に手を上げるこもふらさま。
 ――時が、止まった。


 作戦の準備を終わらせたリィムナは、人払いを頼み、独りひいと対面していた。
 ――他者に見られない為にも本当は深夜に行うのが一番だったが、時間もない。
 意識が朦朧としている今のひいであれば、いつ行っても夢だと思ってくれるはずだ。
 さあ、思い出せ、あたし。
 菱儀はどんな姿だった?
 そうだ。灰色がかった黒髪に、漆黒の瞳。片眼鏡をしていて……鼻もまあまあ高かったし、割とイケメンなのに変態とかマジ救えないわ――。
 そんな事を考えながら、リィムナは自身の波長を書き換えて行く。

「……ひい。聞こえるか」
「……主様?」
 懐かしい声に、重たい瞼を何とか開けるひい。
 ――これは夢だ。だって、もう主様はこの世にはいない。ここにいるはずがない。
 でも、その姿を見るのは嬉しくて……。ひいの金色の目に涙が溜まる。
「主様……。ごめんなさい」
「……何を謝る?」
「わたくしだけでも、主様と共に逝くべきだったと……ずっと考えておりました」
「そう思うなら何故実行しなかった」
「主様の道具として生きる、それ以外の道を知ってしまったから……。それに喜びを感じてしまったから……だと思います」
「愚かな。お前も所詮出来損ないか……」
「ごめんなさい、主様……」
 床に伏せたまま、ぼろぼろと涙を零す金髪の人妖。狂気の人妖師は、表情を変えることなく彼女を見下ろす。
「だからお前は愚かだと言うのだ。……忘れたか。私とお前は袂を分かった。この先お前に命令を下すことはなく、最早お前を必要とはしない」

 冷たい主の目線に、目を見開くひい。
 思い出すのは己から溢れる赤い血。
 そして――。

 ――部屋が汚れる。鈴々姫、食べていいぞ。
 人妖など腹の足しにもならぬ――。

 そうだ。わたくしは、とうの昔に主様に見限られていた。
 分かっていた。分かっていたはずなのに。
 どうして許して貰えると思ったのだろう……?

「お前がこの先どう生きようと、私の関与するところではない。好きにするがいい。環境に適応し生を全う出来るように創ってある筈だ」
 主の姿をぼんやりと見上げるひい。
 ――主様はとても冷酷で、子供っぽい人だった。
 哀れな妹達を次々と生み出しては、些細な理由で瘴気の樹に食べさせて……どうして己を生かしてくれているのか、その理由すら分からなかった。
 怖い人だった。それでも……。
「……主様。わたくし、貴方が好きでしたわ……」
 この感情すら、主様にとっては不要なもの。
 でも……『自分が』伝えたいと思ったから――。
「つまらん感傷だな。……さらばだ、ひい」
 フン、と鼻を鳴らす菱儀。その姿が急激に薄れて行く。
 夢が終わるのだろう。
 ひいは、再び主の名を囁くと、再び瞳を閉じた。


 ひいが再び目を開けると、そこにはユリアと緋那岐、クロウの顔があった。
「緋那岐……。お見舞い……お花、持ってきた」
「おう。ありがとな、七海。そこに置いといてくれるか?」
 主の命にこくりと頷く七海。ユリアはひいの額にそっと手を添える。
「おはよう、ひい。気分はどう? 熱は大分下がったみたいね……」
「ユリア……。わたくし、夢を見ました。主様の……」
「そう。彼は何て言っていたの?」
「わたくしがこの先どう生きようと、主様の関与するところではない。好きにするがいい、と……わたくし、思い出しました。とうの昔に主様に見限られていたんですのよ。おかしいでしょう」
 そこまで言って、涙を零すひい。ユリアはその涙を優しく拭う。
「おかしくなんてないわ。それでいいの。もう神村菱儀の命令を待たなくていいのよ。……人妖は『道具』って言われているわね。でも、その前に意志のある一つの命なのよ。自分で選んでいいの」
「ユリア……」
「ねえ、ひい。一つ聞きたいんだけど。貴女が今まで姉妹達を纏めていたのは何の為? 菱儀の命令があったから?」
「いいえ。主様はそのようなことは命じておられませんでしたが……。主様のお役に立てるかと思って……」
「それ。それよ、ひい」
「……?」
「それは『貴女が自分で選んで決めた』ことなの。気がついていた?」
「あ……」
「今まで、行動の責任は全て菱儀にあったわ。だから貴女達は己の行動に何の疑問も抱かなかった。でも、今度から、自分の行動には自分で責任を持つの」
「責任……?」
「そうよ。行動の結果には、必ず責任が伴うの。それを持つ覚悟さえあれば、何をしても、何をしなくてもいいのよ。みいを追いかけても良いし、追いかけなくても良い。……その上で聞くわ。貴女はどうしたいの、ひい?」
「わたくし……。わたくしは……」
「……焦らなくていいわ。ゆっくり考えなさい」
「でも、みいを探しに行きたいのですわ……」
 そこまで呟いて、弱々しくため息をつくひい。
 熱が下がって来たばかりの身体に無理をさせてはいけない。ユリアは布団をかけ直しながら続ける。
「それが貴女の心、ね。分かったわ。後は私達に任せなさい」
「なあ、ひい。……頼むから、菱儀に見限られた自分に価値がないとか思わんでくれ。お前達は多くの者に望まれてここに居るんだ。俺も、ユリアも、緋那岐も……ここに来ている皆もそう望んだ」
 膝の上で握り拳を作り、搾り出すように言うクロウ。
 ひいは涙が滲む目で、彼を見つめる。
「ヨウとイツはお前達の生を願ってその命まで捧げたんだ。だから……価値がないなんてことは、絶対にない。そんな考えは二人が悲しむから……生きてくれ。あいつらの願いを無駄にしないでやってくれ。頼むから」
「そうよ。ふうもみいも貴女を心配しているわ」
「ああ、そうだ。俺もお前達に何かあっちゃ困る。色々聞きたいこともあるしな。だから……しっかり身体治せよ」
 ユリアに髪を撫でられ、緋那岐に頬を突かれて困惑した顔をするひい。
 彼女は素直に頷くと、すっぽりと布団に潜り込んだ。


「ゴルァアアァアアァ! こんの馬鹿たれがあああああ!!」
「…………」
「ああっ。火麗さん! 抑えて下さい!」
「暴力はいかんぞい!」
 クロウが連れ戻されたみいとこもふらさまの様子を見にやって来ると、みいが火麗に鉄拳制裁を喰らって轟沈し、リトと烏水が慌てて宥めているところだった。
「あー、火麗。気持ちは分かるがあんまやりすぎんなよ」
「うっさいよ、クロウ! 自分がなにやらかしたのか理解するまで止めないよ、あたしは!」
「火麗、殴るなんて酷いですわぁ!」
 痛みから立ち直り、火麗に食ってかかるみい。火麗もそれに負けない勢いで雷を落とす。
「黙らっしゃい! 殴られても足りないようなことをしたんだよ、あんたは!」
「どうしてですのぉ? だって、ひいがわたしのことキライって言うから出て行っただけですのにぃ」
「……それが大問題なんだよ。いいかい、あんた達は罪人だ。まだ許されてる訳でもない。そういう立場のあんたが、勝手にいなくなったらどうなると思う?」
「……どうなるんですのぅ?」
「あんた達全員処刑台行きだよ。最悪は、あんた達の身元を引き受けてる隼人さんの首も飛ぶね」
 きっぱりと言う火麗。その言葉に、みいの顔が青ざめる。
「ど、どうしてですのぅ!? 家出は確かに悪いことだったかもしれないですわぁ。でも、ひいにもふうにも、隼人にも関係ないですわよぅ!」
「あんた達はこの星見家で、教育と監視をされることが条件で生存を許されているんだ。隼人さんは、あんた達を管理する責任がある。……何か起きれば、一人の問題じゃ済まされない。三姉妹、星見家、開拓者達……あんたに関わってる全てのものに影響するんだよ」
「そ、そんなの……わたし、知らなかったからぁ……」
「みい。あんたはすぐに『知らなかった』って言うね。知らなかったからと言って全てが許される訳じゃないんだよ」
 火麗の鋭い指摘に狼狽するみい。キョロキョロと周囲を伺うと、傍で控えていた兎隹の胸に飛び込んで行く。
「ちゃんと許可を貰えば良いんですのよねぇ? 兎隹。わたし、もうここで暮らすの嫌ですわぁ。ずっと兎隹と一緒がいいんですのぅ。わたしを連れて行ってくださいな」
「……それはできないのだ」
「どうしてですのぉ?」
「お前はこの世界についてまだ何も知らない。そんなお前を連れて行く事はできない。……お前が消えて、ふうがどれだけ泣いたか知っているのか? ひいが熱を出して倒れたことも知らんだろう?」
「兎隹……?」
 いつになく厳しい口調の兎隹に、オロオロするみい。兎隹の金色の目から、次々と涙が溢れてくる。
「お前の衝動的な行動は、沢山の人を危険に晒した。不始末があれば、お前達は処分されてしまう。……我輩は、お前を喪うのは嫌なのだ」
「兎隹……! ごめんなさい。ごめんなさいですのぅ……。泣かないでぇ。キライにならないで……」
 兎隹の涙を見て、号泣するみい。
 大事な人の辛そうな姿を見て、ようやく己が引き起こした事態に気がついたのかもしれない。
「我輩はみいが好きだ。だから……どうか、どうか今回のような事は二度としないでおくれ。心配で胸が潰れるかと思ったのだぞ」
「あたしの妹分を泣かすとかあんたも罪深いヤツだねえ。……みいが本気で望むならどんなことでも叶えるための努力はする。だけど、逃げる事だけは許さない。辛いのは一緒に背負ってあげるから、ここで頑張って生きるんだよ。いいね?」
 抱きしめ合って泣く兎隹とみいを、まとめて抱え込む火麗。
 その様子をハラハラと見守っていたリトとクロウは、ほっと安堵のため息をつく。
「落ち着いてくれてよかったです……」
「ああ。雨降って地固まる、ってことになるといいな」
「これだけ涙雨が降りゃ、大丈夫じゃないかの?」
 べべん、と三味線をかき鳴らす烏水。
 兎隹と火麗がひいとふうに謝りたいというみいを連れて部屋を出て行くのを、穏やかな目線で見送る。


「緋那岐。お前、封陣院の研究員補だったよな?」
「ああ、そうだけど。それがどうかしたか?」
「封陣院の和泉という人物は知っているか?」
「……いや。俺も就職したばっかだし、そこまで詳しくはねえが。そいつがどうかしたのか?」
 突然、脈絡もない隼人の問いかけに、不思議そうな目線を向ける緋那岐。
 隼人はふむ、と考え込むと開拓者達を呼び寄せる。
「この機会に話しておくが……実は、封陣院のとある人物から人妖達を譲って欲しいと言う申し出があってな」
「あ? ちょっと待てよ。あの人妖達なら俺だって欲しいぞ!」
「……どういった理由で?」
「……研究材料にしたいんだそうだ」
 思わず本音が漏れる緋那岐の横で、淡々と問い返すリューリャ。
 続いた隼人の声に、クロウの眉が上がる。
「それはまた随分と聞き捨てならない話だな」
「隼人さん。まさか許可したなんて言わないだろうね?」
「まさか。渡す気があるならそもそもお前達に話したりしない」
「良かった。そんなこと言われたら迷わず殴ってたわ」
 隼人の襟首を掴んで迫る火麗。にっこりと笑うユリアがとても怖い。
「まだあの子達は教育も更正も済んでいないのだ。渡すのは……」
 そこまで言いかけた兎隹。
 天儀の技術者達が持たぬ、護大派から齎された技術で作られた人妖達。その技術を持った神村菱儀が死んだ今、替えの利かぬ存在だ。
 『研究材料』になるのであれば、恐らく大事にはして貰えるだろうし、一生封陣院から出ることはないだろう。
 そうなれば、『教育』も『更正』も、最早必要なくなるのかもしれない。
 ――でも、その道は、三姉妹達にとって幸せだろうか。
 彼女達の身を案じながら消えて行ったアヤカシ達は、それを望むだろうか……?
「ひとまず封陣院の狩野殿に、件の人物について問い合わせをしているところだ。返事が来たら皆にも知らせる。そういう話が来ていると言うことだけ覚えておいてくれ」
 開放されて、こほん、と咳払いをする隼人。
 開拓者は何ともいえない不安に襲われながら、それに頷いた。


 それぞれの問題を抱え、それを乗り越えた人妖達。
 ひいの休んでいる部屋にふうとみいが集まり、謝罪合戦になったものの、柚乃の差し入れたお菓子のお陰で、穏やかなお茶会へと変化した。
 ひいの熱は下がり、ふうは大分スッキリとした顔になり。そして、帰ると告げてもみいが寂しがることもなく……。
 人妖達の確かな成長を感じながら、開拓者達は星見家を後にした。