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■オープニング本文 「はぁ。さすが疲れたわね……」 「身体痛ぇ……」 いつもと変わらぬ開拓者ギルド。ギルド職員、杏子はその一角でぐったりとしている一団に声をかける。 「皆さん、こんにちは……って、あら。包帯緩んでますよ。直して差し上げましょうか」 「そうか? 悪いな……って、イテテテ! 杏子、締め上げすぎ!」 「あ。ごめんなさい。それにしてもこの怪我、一体どうしちゃったんですか?」 「ああ、この子ね、この間の依頼でちょっと張り切りすぎちゃったのよ」 首を傾げる杏子にくすりと笑う開拓者。 杏子も納得したように頷く。 「合戦やら、アヤカシやら賞金首対応やら色々ありますもんねえ。お疲れ様です。……そうだ。皆さんお疲れみたいですし、いっそ、今日これから休暇にしちゃったらどうですか?」 「ん? でも、依頼もあるしな……」 「お休みするのも仕事のうちですよー? 疲れ過ぎたら力も出ませんし。たまに1日くらい休んだってバチ当たりませんって! ね?」 「そうね。たまにはいいかもね……」 杏子の労いにうんうんと頷く開拓者達。 彼女の言葉が有難いと思うくらいには、疲れているようで――。 外は雨。道には紫陽花。 久しぶりの休みだ。何をしようか。 酒を飲みながらダラダラするのもいい。 思い切って部屋を片付けるのもいいかもしれない。 それとも、あの子を誘って買い物にでも行こうか。 夜にもなれば、蛍が見頃だ……。 雨の季節の、開拓者達の1日が始まる。 |
■参加者一覧
輝血(ia5431)
18歳・女・シ
輝羽・零次(ic0300)
17歳・男・泰
紫ノ宮 蓮(ic0470)
21歳・男・武
メイプル(ic0783)
19歳・女・ジ
朔楽 桜雅(ic1161)
18歳・男・泰
三郷 幸久(ic1442)
21歳・男・弓 |
■リプレイ本文 人妖の文目は、内心不安で震えていた。 ――最近の輝血(ia5431)様は、色々悩んでいるみたいで、深刻な顔をしていて心配。 だから、今日は可愛い仔猫又に会って和んで貰うのです! け、決してボクが会いたいからと言う訳じゃないんですよ! ――と、己を誤魔化し何とか主を説き伏せて、『猫又神社』へやって来たのだが……。 肝心の輝血は子供が苦手である。仔猫又に引き合わせたらどうなる事か――。 「いらっしゃいませにゃ!」 トコトコとやって来たのは、5匹の仔猫又。 輝血と仔猫又達は黙って見詰め合ったまま静かになり……。 「あの……輝血様?」 「へえ。本当に小さいんだね……」 恐る恐る声をかける文目を気にかける事なく、しゃがみ込む輝血。 己の身体を弄る彼女に、仔猫又が首を傾げる。 「ねーにゃ、どうしたにゃ?」 「ああ、ごめん。子猫でもしっかり猫又なんだなーと思って。……ところで、あたしの事怖くない?」 「大丈夫にゃよ。すっごい怖い顔の人が来た事もあるにゃ」 「そんな人も相手してるんだ。ちゃんと仕事してるんだね。うちの人妖にも見習わせたいよ」 「ぼ、ボクだって仕事してるじゃないですか!」 ガビーンと衝撃を受ける相棒に、おざなりに頷く輝血。 彼女は仔猫又の身体をつつきながら続ける。 「自分の食い扶持は自分で稼ぐ。立派じゃない。あたしもそうしてきた口だし。……まっ、あたしの場合は褒められたものじゃないけど」 そこまで言って、黙り込む彼女。 ――この両手には、血が。背中には蛇を背負っている。 そうやって生きてきた事に、今まで何の疑問も抱かなかったのに……。 「……ねぇ、お前達は好きな猫又っている? こう、恋愛感情的な意味で」 輝血の問いに目を丸くし、顔を見合わせる仔猫又達。 お互いにいる? と聞き合った結果、仔猫又達はしょんぼりと彼女に向き直る。 「……分からないにゃ。ごめんにゃ」 「いいよ。そうだろうと思ってたし。……最近そっち関係で色々あってね。あたし、そういうの分からないから……なんて、何聞いてるんだろうね」 自嘲気味に呟く輝血。 自分はあの男に出会って変わった。 それは良い事なのか、悪い事なのかも分からない――。 「ねーにゃ。元気出すにゃ」 「……ありがと。お前達いい子だね。文目と違って」 「輝血様!?」 擦り寄る仔猫又達を、恐る恐る撫でる輝血。相棒の抗議を華麗に無視すると、ふあ……と大きな欠伸をする。 「……なんか眠くなってきた。その辺で寝てるから、あいつと遊んでやって……」 言い終わるや否や寝息を立て始めた彼女。 そんな主を、文目は唖然としたまま見つめる。 「輝血様、仔猫又は平気なんですね……」 なんか色々心外な事を言われた気がするけど、連れてきてよかった。 あんな風に安心しきって寝てる姿は初めて見たから……。 「人妖にゃ、遊ぶにゃ?」 「そうですね! ……と思ったけど、折角だから……」 仔猫又に笑顔を返しつつ、くるりと方向転換した文目。 上着を引きずってきて輝血の身体にかけると、腹のところにちょこんと座る。 「仔猫又さん達も一緒に御昼寝どうですか? きっと気持ちいいですよ」 輝血様、本当はとても暖かいですから……と続けた文目。 それに仔猫又達も頷き、欠伸をする。 「にゅ……丁度眠かったのにゃ……」 輝血と文目に次々と折り重なる仔猫又達。 あっと言う間に規則正しい呼吸が聞こえて来て……。 降り続く雨。屋根に弾ける雨音が優しい。 輝血の久しぶりの休日は、穏やかな午睡で過ぎていく。 「……悪ぃなあ。こんな雨の日にしか休み取れなくて」 「ううん。雨でも零次お兄ちゃんと一緒だもん。楽しいよ」 にっこり笑う紗代に、そうか、と頷く輝羽・零次(ic0300)。 先日の誘拐事件の事もあり、暫く開拓者ギルド預かりだった紗代を、黒狗や両親に会わせてやりたくて外出の許可を取った。 その道すがら、お土産を選ぼうと連れ出したは良かったが……残念ながら、この雨模様。 その上、降りが強くなる一方で傘が役に立たない。 零次は、茶屋の軒先に紗代を招き入れる。 「ちっ。ついてねえなあ……紗代、濡れちまったな。大丈夫か?」 「うん。平気だよー。零次お兄ちゃんも濡れてる」 拭くものを渡した零次だったが、少女は自分ではなく彼の肩を拭い出して……。 零次は、ため息をついて空を見上げる。 「ったく、お前を拭けっつーの。……そういや、毎日ギルドで退屈してんじゃねえか?」 「そんな事ないよー。楽しいところだよ。それにね、お手伝いしてて、お兄ちゃん達がどんなお仕事してるのか、良く分かったよ。あんなお仕事してたらお怪我もするよね」 「んー。まあな。どうしても身体張るしな」 「……紗代ね、大きくなったらギルドの職員さんになろうかな。そしたら、お兄ちゃんのお手伝いできるでしょ?」 「お子様がそんな難しい事考えなくていいんだよ」 「紗代、もうすぐ11歳だよ。あと3年もしたら成人だもん! 約束だって忘れてないからね!」 その言葉に耳まで赤くなる零次。 ――もし、お兄ちゃんに恋人が出来なかったら、紗代がお嫁さんになったげる――。 忘れたくたって忘れられない。 でも、紗代はまだ子供だ。きっとこれから色々な人に出会う。 その中には自分以上の人間だってきっといる。 だから……年上として、弄ぶような事を言うのはどうかと思う。 思うけど……。 この気まずい沈黙は何とかしたい……。 そこまで考えた零次は、紗代に渡すものがあった事を思い出し、慌てて荷物を探り……少女の前に、ぶっきらぼうに桜の花が描かれた下駄を差し出す。 「……どうしたの? これ」 「約束したろ? 代わりを買ってやるって。簪じゃねーけどよ。そっちはまた髪が伸びてきたら使えると思うし、こっちのがいいんじゃないかってな」 「わあ。ありがとー! 履いてみてもいい?」 嬉しそうな少女に、頷く零次。 履き替えるのを手伝っている間に、だんだん雨足が弱まっていく。 「お、雨上がりそうだな。……折角だし、紫陽花見てから行くか? 今見頃らしいぞ」 「本当? 見たい! あ。でもお兄ちゃんがくれた下駄汚れちゃう。履き替えていい?」 「そんな事言ってたらいつまでも履けないだろ」 「ううう。でもー」 「しょーがねえなあ。紗代、傘持ってろ」 紗代にひょい、と傘を押し付ける零次。そのまま軽々と少女を抱え上げる。 「わっ。お兄ちゃん、紗代重いよ!?」 「大した事ねえよ。これなら下駄汚れないで済むだろ。ほら、行くぞ」 腕の中で、ありがとう……と赤い顔で呟く紗代。 この先、どうなるかなんて自分でも分からないけど。 こいつの元気な笑顔だけは、しっかり守らないと――。 そんな事を考える零次を、色とりどりの紫陽花が静かに見守っていた。 ――ああ。これは夢だ。 繰り返し見る遠い夢。 雪のように白い少女の骸を、成す術もなくただ、腕に抱く。 何度も何度も。繰り返される自分の罪。 目を反らす事も許されず――。 ――やめてくれ。もう、見たくないのに――! ふと、目を開けた朔楽 桜雅(ic1161)。 遠くに聞こえる雨音。額にじっとりと滲む汗を拭って、布団から身を起こすと……そこはいつもと変わらぬ部屋。 周囲を見渡すが、白い少女は見当たらない。 夢にしてはあまりにも生々しく――腕に残る感触を振り払うように頭を振ると、格子戸越しに外を眺める。 ――しとしとと降り続く雨。 桜雅が住まう長屋の入り口に佇むように立つ桜の樹は、葉で雨を受け止め、ぽたりぽたりと雫を垂らす。 それは見事な葉桜で……柔らかな桜色の花は咲いていない。 己を乱すあの色は、そこにはないのに。 それなのに。この身体の奥で燻るような不安感は、一体何なのだろう……。 「俺は何時まで、こうしてるんだろうな……」 ため息と共に漏れる、桜雅の答えの出ぬ問い。 ――3月のあの日、狂ったように咲き乱れる桜を見た。 あの時から、ずっと何かが付き纏い……思い出せ、と。何かが責め立てる。 ――自分が一体何をしたのか。夢の中の少女は誰なのか。未だに分からない。 失った記憶が戻る気配も無い。 それでも、夢で見る物事は全て、己の心を酷く揺さぶるもので……。 ……あの夢はきっと、己の過去なのだ。 ――思い出さなくてはいけない。過去を、罪を。取り戻さなくては……。 襲い来るじりじりとした焦り。 でも、どうやって? 一体どうしたら思い出せる? ……自身の過去を知っていそうな人物に心当たりはある。 が、問うたところで、彼は教えてはくれないだろう。 見る夢が。己の過去が恐ろしくて仕方がない、今の自分には、何も……。 「……俺、こんなに弱かったんだな」 頭を垂れ、両手を見て呟く桜雅。 零れ落ちて行った命。何も守れない、この手……。 ――それでも。もう、立ち止まってるのは嫌だ。 ぎゅっと強く両手を握り締めた彼。 感じる痛みで、己の存在を再確認すると、大きく一つため息をつき、ゆっくりと立ち上がる。 一歩一歩、踏み締めるように進んだ先は、桜の木の元。 木の葉が受け止め切れぬ水滴が桜雅を濡らすが、彼は構わず濡れた樹皮に触れ、大きなそれを見上げる。 全てを思い出したら、自分がどうなるのか想像もつかない。 でも、己が罪を犯したのなら……それは、逃げずに、背負わなければいけないと思う。 「俺がもっと、強くなったら……」 全てを背負う覚悟と、力が身についたら、その時は――。 ――必ず、迎えに行くから。 遠い夢。桜に隠された真実。 白き少女への決意の言葉。 ぽとりぽとりと、誰かの涙のようにとめどなく落ちる雨。 永遠に続くような雨に霞む梅雨の日。 その誓いは、彼と、桜の木だけが知っている――。 「わ……! 降ってきたの……!」 「本当だ。……ほら、これを使うといい」 2人で歩く散歩道。降ってきた大粒の雨に、猫耳をぴこりと伏せるメイプル(ic0783)。そんな彼女に、紫ノ宮 蓮(ic0470)がふわりと羽織を被せる。 「……え。羽織、濡れちゃうわよ?」 「紅葉が濡れるよりはいいよ」 「にゅ……」 くすりと笑う蓮が羽織の隙間から見えて、微かに頬を染めるメイプル。 ――蓮は、メイプルの事を『紅葉』と呼ぶ。彼の国の言葉で、彼女の名は『紅葉』と言う意味なのだそうだ。 最初は不思議な響きだと思ったけれど、嫌ではなくて……思えば、この頃から自分はこの人に惹かれていたのかもしれない。 不意に羽織から微かに香る蓮の匂い。彼の腕にに包まれているようで嬉しくて……気付かれまいと慌てて顔を隠す。 でも、嬉しさを隠し切れずに揺れる尻尾。そこに、羽織の袖からひょっこり管狐が顔を出す。 「顔がにやけておるぞ。この羽織で何ぞ意識でもしておるのか?」 「ぅ……べ、別、に……」 「そうかえ。わらわは何時もこれに包まれておるがの」 ニヤニヤしている蓮の相棒、月白にメイプルはムッとした目線を向ける。 「なに、よ……私は蓮の飼い猫なんだから……」 「……飼い猫のぅ。おんしはその位置で満足かえ?」 「なっ……! 余計なお世話、よ……っ」 「やれやれ。先が思いやられるのぅ」 くつくつと笑う月白。彼女はそれに言い返そうとして……蓮が羽織の中に頭を入れて来たので、ぐっと思いとどまる。 「何ひそひそ話してるのかな? 俺も仲間に入れてくれない?」 「……何でもないぞえ。のう? 紅葉?」 「う、うん……」 するりと袖から抜け出す月白。突然主の耳をガブリと噛み、何事か囁くと何処かへ消えて行く。 「いてててて」 「蓮、大丈夫……?」 「平気だよ。あいつなりに気を使ってるみたいだ」 蓮の言葉に小首を傾げるメイプル。 彼女の少し濡れた髪を拭いながら、蓮は続ける。 「ところで紅葉、蛍見た事ある? 近くで見れる場所があるのだけど……」 「ほた、る……?」 「そう。お尻の辺りが光る虫でね。暗闇の中を舞う姿がとっても綺麗なんだ。そろそろ見頃だし……どうかな? 行ってみない?」 彼の申し出に微かに頬を染めるメイプル。 お散歩が終わったら帰るのかと思っていたので、正直嬉しい。 小さく頷く彼女の手を取って、蓮は歩き出す。 雨が上がる頃には、すっかり宵闇が迫っていた。 2人を包むように、ふわふわと小さな光が舞う。 「わあ……! 綺麗……! ……とっても、あったかい光なの、ね」 蛍の淡い光で、メイプルのほんわりとした笑みが闇に浮かび上がる。 連れて来てくれてありがとう、ね……と言いかけた彼女。 不意に蓮に頬を撫でられて飛び上がる。 「蛍、留まってたから。紅葉の頬は甘いのかな」 「あ……うん……」 気恥ずかしいのか、俯く彼女。その顔を覗き込んで、蓮は続ける。 「ねえ、紅葉。君は……俺の飼い猫のままが良い……?」 「……え? 飼い猫でいちゃ、だめ……?」 微笑が消え、真剣な表情の蓮。 質問の意図が読めないのか、戸惑いに瞳を揺らすメイプルの返答に、彼は目を見開く。 ――彼女が望むなら、それも良いと思っていた。 だが、実際はどうだ? この胸の痛みが告げている。 それは困る、嫌だと――。 この気持ちを隠していたら、きっと後悔する事になる。 だから……。 「俺が君を好きだと言ったら……困る?」 「……え? どういう、こと……?」 「飼い主としてでなく、一人の男として君が好きって言ってるの。紅葉は、どう?」 蓮のはっきりとした声に、ポカーンとするメイプル。 彼は以前、『特別な好き』は作らないと言っていた。 だからずっと、気持ちを押し殺して来たのに……。 「私、は……蓮は、飼い主っていうか……お兄さんみたいで大切、だけど……それ以上に……って、思ってて……でも……蓮……好きな人、作らないんでしょ……?」 「信じられない? なら君が信用するまで、何度でも好きって言おうか」 本当に繰り返し『好き』と言い始めた蓮をにゃあっ! と小さく悲鳴をあげて慌てて止めるメイプル。 恥ずかしさと驚きでパニックになり、徐に己のほっぺたをむにーーーと引っ張る。 「……いたい。夢じゃない……わよね。……ねぇ……私で、いいの?」 「良くなかったらこんな事言わないよ。で、どうなの? まだ、紅葉の口からきちんと答え聞けてないんだけど」 どうしよう。どうしよう。蓮の顔がまともに見られない。 蓮は真っ赤になって俯く彼女の顎に手をやって、そっと上を向かせる。 「ちゃんとこっち向いて。俺の目を見て。君が嫌じゃないなら……『俺のものになる』って言えばいい」 「……っ。蓮の……ものに……なる、わ……。……私も、すき、よ」 これ以上赤くなれないと言う程に真っ赤になりながら、潤んだ目を向けるメイプルの目線を受け止めた途端……蓮が大きく息を吐いてへなへなと崩れ落ちる。 「……蓮!?」 「大丈夫。ちょっと安心しただけ」 「え……。安心……って、どうして……?」 「断られるかと思ったの! あのねえ。これでも緊張したんだよ?」 己を支えようとする彼女を苦笑しながら引き寄せる蓮。 もう一度ため息をつくと、メイプルの髪に顔を埋める。 「……改めて宜しく、俺の彼女さん」 「……こちら、こそ」 蓮の身体におずおずと手を回すメイプル。 お互いの重みと体温が、夢ではないと教えてくれる。 想い人の肩越しに見える光。そこに舞うのは温かな蛍火。 ひらりひらりと舞うそれは、思いが通じた2人を祝福しているようだった。 しとしとと降る雨が青や紫の紫陽花を濡らす。 梅雨ならではの光景に、人々は目を細めるが……残念ながら、三郷 幸久(ic1442)の目には全く入っていなかった。 ――休暇は取れたが、雨。 こんな日にいきなり会いたいとか尋ねるのは迷惑だろうか。 ……って言うか俺、彼女の家を訪ねた事無いんだよな。 どうしよう。誘ってみるか? そうだな、行くなら手土産に和菓子でも……いやいや、そんなもの買って行ったら、部屋に上げてくれと言わんばかりだ。 いや、彼女の部屋は気になる。ものすごーーーく気になるけど、そこはもう少し時間を掛けてだな……。 幸久の頭をぐるぐると回る思考。 ――彼女に出会った日の事は、今でもハッキリと覚えている。 射干玉のような黒く艶やかな髪に、煌く青い瞳に湛える優しい笑み。 まさに、雷に撃たれたような衝撃で……そのまま恋に落ちた。 そこからもうあの手この手を使い、一生懸命憧れの彼女を追い続けた。 その甲斐あってか、ようやく最近、色好い返事が聞けたばかりで……。 気がつくと、彼女の家の前。 幸久は己を奮い立たせると、深呼吸してから戸口を叩く。 「……はーい。ただいま……あら。幸久様ではございませんか。ごきげんよう」 「あ、うん。こんにちは」 戸口から出てきたのは、葛 香里(ic1461)。彼女の微笑みにボーっとした幸久だったが、慌てて顔を引き締める。 「ごめんな、突然。あの折角の休みだし……良かったら甘味処でも付き合って貰えないかな」 「はい。構いませんわ」 「本当に!? やった……って、いやいや。えっと、香里さんのお勧めの店とかある?」 「そうですわね……。お遣い物に利用するお店ですが、美味しい所を存じておりますわ」 「じゃあ、そこにしようか」 「ご案内しますわね」 傘を広げる香里に頷く幸久。彼女が濡れないよう、己の傘を彼女の傘に被せるようにして歩く。 水気を含んでしっとりした髪が綺麗だな……とか思っている間に、あっという間に甘味処に着く。 「えっと。俺は豆かんを黒蜜で。あとわらび餅を一皿。香里さんは?」 「では、私は……季節のあんみつをお願いします」 畏まりました、と言う言葉を残し去っていく店員。暫くして注文の品が運ばれて来ると、早速甘味を頬張る。 「ん、豆の炊き具合も塩加減も良い感じだ。流石香里さんお勧めの店だな」 「お気に召して良かったですわ」 「あ、良ければこのわらび餅、半分どうぞ」 「宜しいんですか?」 「ああ。気になって頼んだけど、一人じゃ食べきれないしな」 幸久の言葉にぱあっと顔を明るくする香里。 あんみつをもう一口舌に乗せると、ほわ……と柔らかい笑みを浮かべる。 「都に出て、贅沢が増えてしまいましたね……」 「香里さんだって働いてるんだから別にいいんじゃないか?」 「そうですね……。ただ、以前はあまり食べられなかったもので、やはり贅沢だなと思ってしまうのですわ」 「……甘味が食べられない場所にいたのかい?」 「はい。私、尼寺で育ったんですのよ。尼寺では甘味はやはり貴重で……偶の頂き物は皆密かに喜んだものです」 「そうだったんだ。……香里さんのご両親は?」 「存じません。尼寺の前で捨てられていたそうですので」 「……ごめん、変な事聞いて」 「いいえ? 尼僧達に色々なものを与えて戴きましたから。悲しいと思った事はありません」 「そっか……」 香里の過去に思いを馳せる幸久。いずれ尼僧達に挨拶に行かないといけないかなあ……とかぶっ飛んだ方向に思考が行き掛けた時、彼女が財布を出そうとしているのに気がついて慌てて押し留める。 「幸久様……?」 「今日は俺が出すよ」 「でも……」 「いいって。その代わり、帰りに紫陽花を見に寄り道しよう。これで交換条件成立!」 幸久の勢いに思わず笑いを零した香里。 甘味を嬉しそうに食べて、こうして笑っている彼女を見ているだけで、幸久も温かな気持ちになる。 いざ手が届くと、もっと近づきたいと言う熱い思いと、これでいいのかと言う迷いが鬩ぎ合う。 でも、君が居てくれて 本当に嬉しいんだ――。 「あの……また、誘っても良いかな? 今までだって誘いまくったけど」 「はい。喜んで」 悲壮な顔をして尋ねる幸久に、ふわりと微笑を返す香里。 彼女を想うあまりに逡巡する事は多いけれど。 ゆっくりゆっくり、時間をかけて、一歩ずつ進めていこう――。 雨の日の休日。穏やかな時間が過ぎて行った。 |