|
■オープニング本文 黎森島――人口三百にも満たない小さな島には、賑わう北部と漁業の拠点である東部にそれぞれ港がある。 北部の港は島内最大規模であり、個人所有の飛空艇も着陸できる飛空艇場も整備されている。まさに島の玄関口である。 毎日数便ある定期船の第一便は、早朝に島へ到着する。出航時間が早いためか、主にこの便は島民が帰宅のために利用することが多い。 朝日が雲間から見え始める頃に船は着眼し、眠たそうな目をした島民達がまばらに下船してくる。 燈子は、一人外套にくるまりながら、降りてくるその人がこちらに来るのを待っていた。 「おかえり、お父さん」 「うん、ただいま。相変わらず一便は眠いね」 黎森島が誇る女たらしであり、燈子の父親である伊織の数週間ぶりの帰島である。 ☆ 伊織は愛娘の作った味噌汁を飲み干し、ふぅ、と息を吐いた。 「温まるねぇ……黎森島ももう冬なんだね」 「米の収穫も終わったし、今年の初米納めも予定通りだわさ」 初米納めとは、黎森島に昔からある米の収穫を祝う祭典のことだ。不作に喘ぎ、試行錯誤の末に再び豊作となった歴史があるこの島では、以来米の神様を祀るようになったという。 神様に感謝するため、その年に収穫された米は初米納めまで食卓に上らない――というのは、数十年前まで本当にあったしきたりなのだという。 現在の初米納めは厳粛さを薄め、観光客にも馴染みが良いように明るく楽しいお祭へと姿を変えている。 「じゃあ、初米納めの前に済まさないとね」 椀を置いた伊織が少し寂しそうに言った。向かいに座った燈子も神妙な顔で頷く。 もうすぐ、小夜の命日だった。 ☆ 小夜は、伊織の二番目の妻で燈子とも親しい女性だった。あまり帰らない伊織はともかく、実の母親以上に母親だと思っていた燈子は、儚く亡くなった小夜の命日にはなるべく墓を参るようにしている。 尼寺に墓参の連絡を入れた燈子は伊織を家に残し、先に牧場へ足を運んだ。事情を察してか、長年の相棒である梅々がのそのそと近づいてくる。 「梅々。今日はもう来ないから、何かあったら知らせるのよ」 言葉が伝わるのか分からないが、梅々はこくこくと頷いた。牛の調子も悪くないし、畑も問題ない。 ぐっと伸びをした燈子は、息をゆっくりと吐いた。 「従業員が欲しいなぁ……まあ、養えないから無理なんだけど」 一人くらい居たら助かるけれど、お父さんは数に入らないしな……などともやもや考えながら家に戻ってきた燈子は、そこで目を丸くした。 家から人が溢れている。正確には、村のおばちゃん衆が集まっている。 「な、なにごとっ」 「あらぁ、やだよ燈子ちゃん。伊織さん、帰ってきてるなら言っておくれよ」 「伊織さぁん、今日も綺麗やわぁ……」 等々、今回も伊織はその存在価値をいかんなく――とても無駄な方向に発揮している。本人にその気がないという点も質が悪い。 「もー。お父さん、行くよ!」 娘は声を張り上げて、人混みの中から父親を引っ張り出した。 伊織の美貌は島内でも有名な話だが、女性遍歴を知っている者も少なくない。こうして彼が帰って来るたびに顔を見に来る女性は島内生活歴が短いか、伊織の遊び癖から目を逸らす人々、あるいは若い女性や観光客だ。 美人は三日で飽きるというが、島に住み続け、伊織の生活ぶりを知る人々は慣れてしまっているので、この光景を苦笑して見守るのが常である。 尼寺へ幾人かの女性を伴いながら到着した燈子は、後ろの父親を見て肩を竦める尼僧にぺこりと頭を下げた。 「いらっしゃい、燈子。それと、お馬鹿さんも」 「ご無沙汰。明日一日、お世話になるよ」 朗らかに笑った伊織は、実にそれとなく、野次馬を締め出すように寺の門扉を閉じた。 ☆ えー、私一人なの? 当日の流れを確認していると、伊織が目を瞬かせて言った。 「だって、今年の初米様はうちの番だし。準備で明日まで手が放せないの」 しれっと言った燈子である。 初米納めは例年、島内の各家庭が『初米様』という役を受け持つ。要するにお祭りの最後に寺へ初米の穂を奉納する役で、普通は家長、あるいはその年に結婚する娘が担当する。 燈子の家は家長が長らく不在、かつ実質の家長は燈子のためお鉢が回ってきたというわけだ。 「あんたは十五の時にやったし、もう良いだろうに。今更あんな結末はごめんだしねぇ」 絶世の美少年であった伊織が初米様役を務めた様子を思い出しながら尼僧は笑った。当時、彼と同世代の少女は勿論、島中の女性がその姿に大騒ぎした――らしい。 「えー……じゃあ、墓参は?」 「そりゃ、お父さんだけだわさ」 顔色一つ変えず、燈子は言い切った。 さて、ただの墓参なのに尼僧と打ち合わせをするには理由がある。 数年前、小夜や伊織の両親の眠る墓地は青々とした草原の中にあった。だが、魔の森の影響を受け始めた頃から、徐々に黎いの森に呑まれ、今では門を閉ざした森の中にあるのだ。 故に、墓参時期は年に一度、それも開拓者の護衛をつけることが決まりとなっていた。もっとも、あまり先祖に対して熱心でない島なので、墓参する人は多くないのだが。 「私は燈子みたいに戦えないよ?」 「私も戦えないわさ。それに、黎いの森って言っても、東門から入ってすぐのところじゃないの」 「うーん、そうだけど……」 「元々東門付近はアヤカシも少ないし、昼間なら殆ど出ないっていうし。ちゃちゃっと行ったら良いわさ」 「……」 「小夜さんも、お父さんに会いたがってるよ」 だから――ちゃんと顔を見せてあげたら? そう言った娘の顔が、少し大人になったように見えた。 |
■参加者一覧
エレイン・F・クランツ(ib3909)
13歳・男・騎
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂
獅子ヶ谷 仁(ib9818)
20歳・男・武
迅脚(ic0399)
14歳・女・泰
黒憐(ic0798)
12歳・女・騎
リュドミラ・ルース(ic1002)
18歳・女・騎 |
■リプレイ本文 一度目の結婚は、義務だったからした。 二度目の結婚は、愛していたからして、手から零れ落ちた。 三度目があるなら、どんな理由でするのだろう。 ★ 開拓者達の運んできた大八車を目の当たりにした伊織はきょとんとして、それからすぐに「すごいねぇ」と子どものように感嘆して見せた。 「お墓参りだけど、旅に出るみたいだねぇ」 「あはは……」 まさか最悪、伊織を乗せて運ぶとは言えまい。曖昧に笑ってごまかしたエレイン・F・クランツ(ib3909)である。 「あんたが伊織さん……か。今日はよろしく頼む」 「よろしくお願いします」 ぺこりと頭を下げた伊織が顔を上げるのを待って、クロウ・カルガギラ(ib6817) はまじまじと彼を見つめた。 これまでも美形と呼ばれる人々は何度か目にしたが、伊織は別の方向性に整っているような気がした。女性的であるが、なよなよとした男というわけでもない。決して体格が良いわけではないが、なるほど妙に人の目を引く。 仙か妖かと言われた方が、何となく納得がいく。 (なるほど、こりゃ相当なもんだ。羨ましいぜ) 純粋にそう思うクロウである。 一方、燈子に色々と準備を手伝ってもらっていた黒憐(ic0798)は、あれこれと道具を確認してふるふると首を縦に振った。 「では……いおりんはお預かりします……あと……小夜さんに……何かお伝えする事…あります……?」 「歩きたくないーとか言ったら、尻を蹴飛ばして良いわさ。小夜さんには、来年は絶対行く、って」 こくこくと頷いた黒憐は、後ろの方で自分の身なりを確認する友人を見た。 「……ぼでぃーがーど……ですよー…にんにん」 「うんっ。これで……完璧……!」 リュドミラ・ルース(ic1002)はサングラスの縁をきゅっと撫でた。目を合わせてもこれなら大丈夫。きっと大丈夫。 護衛ということで黒憐に言われ、黒服で揃えた二人は傍目にはちょっと裏のある人のようにも見える。 「おーい! 行くぞー!」 大八車に手をかけた獅子ヶ谷 仁(ib9818) が声をかける。大八車にはエレインの用意した鎌や水、簡単な食料がどっしりと積まれていた。 「じゃあ、燈子ちゃん。行ってくる」 「お願いしますっ」 「……っと。そうだ、行く前に。小夜さん……だっけ? その人の好きな花、知ってるか?」 できれば道すがら手に入るものが良い。 そう言った仁に、しばらく考えていた燈子はあれかなぁ、と呟いた。 「お墓の周り、瘴気が去年より酷くなってなかったら百合が咲いてるのね。小夜さんの好きな花。黎(くろ)百合って言って、花は白くて葉っぱが黎いの。それが良いわさ」 「黎百合は『永遠に君を想う』っていう花言葉があるんだよ」 それよりも、本当に私一人で行くの?――そう付け加えた伊織の首根っこをひっ掴んで、仁達は黎いの森の東門へ歩き出した。 ★ 大八車を引く音が東門をくぐった。 「一足先に見てきます!」 駆け出した迅脚(ic0399)の脚の強いこと。ほとんどアヤカシが確認されていない周囲を、ガサガサと音を立てて進む。大八車の歩みは遅いから、引き離しては戻り、引き離しては戻りを繰り返す。 「足が速いね。羨ましいよ」 「走るのは好きだからっ」 伊織に声を掛けられるとすぐさま近くまで戻ってくる。耳も良いらしい。 「……とりあえずは、アヤカシの心配はなさそうではあるな」 バダドサイトで周囲を見通すクロウがホッと息を吐く。 当面の安全性が確保された以上、彼らの興味は自然と伊織と――若くして亡くなった後妻に向いた。 「そういや……伊織さんは、どうやって小夜さんと出会ったんだ?」 何気なく仁が聞くと、伊織は例によって柔らかな、それでいてあまり意図の見えない笑みを浮かべた。視線の先にいたリュドミラが全力で目を逸らす。 「小夜とは、安積寺で出会ったんだ。とても裕福な廻船問屋の娘さんだったんだけど、とても活発で、よく家出をする娘だった」 出会った当時、小夜は二十三だった。 後はまぁ、よくある恋愛だよねと濁した伊織は少しだけ懐かしそうに空を見上げた。 家出をしたところを伊織に捕まって、そのまま賭場や花街に連れて行かれ――富裕層の暮らしでは見られない世界を一日で見せられた小夜は、不思議な男性に惹かれたのだという。 「……相当……変わり者、ですね……」 「あは。そうかも。私の奥さんだしね」 ぽつりと言った黒憐に伊織は笑う。それでも、彼の選んだ女性はハズレではなかった。 「小夜さんは……えと、それだと、二年? くらいしか、一緒にいなかった?」 エレインの言葉に伊織は小首を傾げ、長い指を折りながら年数を数え、そのくらいだねぇと呟いた。 「あんまり若いから、どうしようかなぁって。貧乏だったし、子どももいるし、駄目だろうなぁと思いながら、ズルズル……かな」 一発ぶん殴ってやりたい言葉ではあるが、伊織が言うと毒気が抜ける。クロウと仁は握ったり開いたり、何とも言えない感情を掌でもてあそぶ。 「結果的に燈子は小夜に懐いたし、小夜も燈子を可愛がってくれたし……だから、惜しいよね」 困ったように微笑んだ伊織に、リュドミラは再び目を逸らす。 (何か……下手なスキルより危ない……) 目を合わせたらミラクルなアレやコレが起こりそうな気がして、彼女は無理やり脇を見る。アヤカシはいない。安全だ、と一人頷いてみたりして。 「まあ、変わり者だと思うが、素敵な人だったんだろうな」 仁が言って、大八車を引く。 優柔不断で、でも女遊びには慣れていて――そんな伊織が惚れた女性だ。ひと味違う何かがあったのだろう。 「……でも、どうして死んじゃったの?」 大八車を押すために掛け戻ってきた迅脚が、車の後方を押しながら言った。周辺を警戒していた彼女だが、会話はしっかりと聞こえていたようだ。森が静かで、伊織の声が通っていたのもある。 「……どうして、だろうね?」 知っていても、それは教えられない。 曖昧に濁された拒絶――秘密を固辞するかのように返した問いかけに、彼らは適切な言葉を持ち得なかった。 ★ もう、長くないかもしれません。 貴方と一緒になりたかった。でも、こんな病人だと知られたら、きっと縁を結んでくれない。 だから、貴方を騙すようなことをして、ごめんなさい。 泣きながら言う妻を宥める伊織は、全ての言葉が空虚であると感じていた。 小夜は、生まれながらに二十まで生きることは叶わないと言われていた。治療を尽くしても、二十五が限界であろうと。 結婚して、その後、伊織は小夜に何もしていなかった。勿論愛していたし、大事にはしていた。 だが、恋情で癒える程、病は非現実的ではない。 「……分かった。役に立たない私でも、できることをさせて欲しい」 そう言って、伊織は小夜の肩を抱いた。 誓ったその日から、小夜が亡くなるまでの一年半、治療代の宛先には『南雲 伊織』と書かれ続けた。 それだけしか、彼に出来ることが無かったのである。 ★ 「……さん、伊織おじさんっ」 エレインの声で我に返った伊織は周りをきょろきょろと見渡した。 墓だ。集団墓地だろうか。 「結構荒れてんね……小夜さんだけって訳にはいかなさそう、か」 腰に手を当てたリュドミラが息を吐いた。それはそうだ、一年に一度しか墓参できないのでは、ろくに管理も行き届いていない。草が自由に生え、薄汚れた墓石が薄い瘴気の中ひっそりと佇んでいる。 「お手入れも大事! だけど、私は周りを見張ってるねっ」 そう言って、迅脚は森の中に消えていく。足音が聞こえるから、そう遠くには行っていないのだろう、声を上げればすぐに届く距離だ。 「しかし、随分な所に墓を作るのだな」 魔の森に侵される場所――普通ならこんな所に墓を作ろうとは思わない。というより、こんなところが魔の森に侵されると思っていなかった、という方が正しいのか。 「お掃除……しますかー……」 黒憐が岩清水を片手に言う。 かくして、開拓者達は墓場の掃除を始めたのだった。 「……ふぅ」 額に浮かんだ汗を拭ったエレインは、草刈りの進んだ墓地を見やった。開拓者たちがあくせく働いたおかげで、墓地の周りは随分と綺麗になった気がする。 「力仕事が大変なら、これでお墓を綺麗にしてあげなよ」 そうクロウに言われて水桶と布を渡された伊織も何だかんだで黙々と――かなりゆっくりと墓石を拭いている。 「来られなかった燈子さんの分、親父さんが頑張らなきゃ。そうすりゃ燈子さんも喜ぶさ」そんな言葉を、殺し文句に。 作業を終えたクロウはそんな伊織を尻目に近くのエレインに言う。 「あれが限界の速度なんだとさ」 「あはは……噂に違わぬ、って感じだね」 呆れたクロウと苦笑したエレインの元へ、担当箇所の草刈りを終えた仁が歩いてくる。 「奴さん、働いてるな……燈子ちゃんが見たら卒倒するよな」 お父さんが働いてる……! と叫ぶ少女の姿が目に浮かぶようだ。 「それにしてもさ。亡くなった人を悼まない風習っていうのは、強ち間違ってないのかもな」 小夜の墓以外の墓石を拭き終わったリュドミラが言った。亡くなった霊魂は共に――そんな理由ではないのだろうが、良くも悪くも、黎森島の人々はのんびりとしている。燈子がバタバタしていても、まったり見守る程度に。 「何か理由があるのか?」 「ん?」 伊織に尋ねたリュドミラは、サングラスの奥から必死に優男を見ようとして、見ようとして……やっぱり諦めて目線を逸らした。 「りゅどみー……あざとい……です……」 「そ、そんなことないっ」 小声で茶化す黒憐に必死に抵抗して、リュドミラは伊織の回答を待った。 そう言えば何故なんだろうね、と呟いた伊織は本当に理由が思いつかなさそうだった。 「もしかしたら、お墓参りしないと……と考えている内に、忘れてしまうのかもしれないね。この時期は初米納めもあるから、尚更かな」 「その、初米納めって――」 エレインが興味津々で尋ねようとした時だった。 ガサガサと草むらが音を立てた。全員、アヤカシの襲撃に備えて身構える。 だが――、 「――っぷはっ」 しばし音を立てた草むらは、唐突に二つに分かれ、迅脚が華奢な体を屈むようにして飛び出してきた。 その手には、白い花びらに黒い葉の百合が数本、細やかな束になっている。 「哨戒ついでに見つけたよっ。向こうに一杯咲いてる!」 珍しいものを見つけたように、迅脚は声を弾ませて草むらの奥を指さした。 ★ 「黎森島は経を読むか?」 「人によるけど、うちは読むねぇ」 「じゃあ、その役は俺がやろう。こう見えて、僧侶だからな」 迅脚が摘んだ黎百合を墓に供えて、彼らはほんの少し、目を瞑って小夜の墓石に黙祷を捧げた。最前では、仁が静かに、粛々と経を読んでいる。 「天儀風の祈り方はこういうものか?」 「島の南部は、そのまま土下座をするかな。北部は天儀に幅広く伝わる祈り方と同じだね」 首を傾げるクロウに伊織は言った。聞けば、黎森島は故人を悼むという感覚が乏しかったため、適当に流行っている方法に乗っかったのだという。 皆で少しずつ場所を譲り合って、それぞれが写絵すら見たことのない小夜に手を合わせていく。 「はじめまして……小夜さん……。憐は黒憐……燈子さんとお友達になれたらいいな……と思っているものなのです……」 黒憐は小さな手を合わせて、囁くように言った。 梅々という親友が燈子にいること、その友達が迷子になったために黒憐と出会ったこと、嘗ての住処を牧場にし、毎日精一杯開拓していること。燈子がカレーと言う食べ物を知らなかったこと。 「……燈子さんは…元気にやっているのですよ……」 色々と小声で内緒話のように話して、黒憐は最後に呟いた。きっと、その言葉が一番、小夜が喜びそうな気がしたからだ。 「手を合わせないのです?」 ひょこっと横から顔を覗かせる迅脚に、伊織は困ったように柳眉を傾けた。 「どう、しようかなぁ……って。何て言って良いんだろうねぇ」 「何でも。ちゃんと挨拶してやれ」 そう、クロウに促されて、伊織はゆっくりと墓石の前に座った。 小夜が亡くなった時、伊織は泣かなかった。燈子の為にも泣けなかったし、覚悟していたのもある。 今――泣けるか。そう自問しても、泣けそうにはない。悲しくないのではなく、きっと性格のせいだ。 「小夜……この前、燈子が作った味噌汁が、貴女と全く同じ味だったよ」 そんな言葉しか出てこない自分は、とんと哀悼の意というものに疎いのだと思う。 「私は元気だよ。それと――」 墓石にコツ、と額を当てて、伊織は誰にも聞こえないように呟く。 もうしばらく、貴女に未練を感じさせてね……? ★ 大事な家族を置いて逝くのは、寂しかったのだろう。 ひと通りの墓参を終えて帰路につく中、エレインは薄雲の空を見上げて思った。 「おじさん、ちゃんと……ご挨拶できた?」 「うん。ありがとう。君達に助けてもらって、今日は一日良い気持ちだよ」 にこりと笑った伊織は墓参する前より明るくなった印象を受ける。 「それはそうと、さっきの話。初米さまのお祭って?」 エレインが尋ねると、伊織は知っている限りのことを教えてくれた。 名の通り、初米を祝う祭であること。 その年穫れた米は、初米納めが終わるまで食べないことが多いこと。 各家庭が持ち回りで奉納役の『初米様』が選ばれること。 「私がやったのは随分前だなぁ……二十年か三十年か……もっと前、かな」 笑う伊織に、開拓者たちは拭い切れない疑問が浮かんでいた。 「……なぁ、伊織さん」 恐る恐る尋ねたのはクロウだった。その言葉を継ぐように、必死に指を折る仁が言う。 「アンタ……今、いくつなんだ?」 「さぁ……。いくつだったかなぁ」 「……四十路……近い、です……?」 「あは。覚えてないなぁ」 黒憐の言葉を濁して、伊織は笑った。 その後の言葉を誰か発する前に、一同は門に辿り着き、燈子が迎えるうちに何となくその話題を続ける機会を失ってしまった。 後日、その話を父親から聞かされた燈子は思い出したように言ったものである。 「そう言えば、お父さんの誕生日は祝うけど歳まで知らないわさ! お父さん、何歳なの?」 ――というわけで、伊織の年齢については多くの謎を残したまま、今年の墓参はつつがなく終了したのである。 了 |