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■オープニング本文 私には、両親はいません。 いるのは、とっても大きな子供と、一匹の羊だけ。 ――遡ること、四年前。 「燈子。いるかね」 「どうしたの、おばちゃん」 弱冠八歳で黎森島のあらゆる日雇いを経験する燈子は突然の訪問者に目を丸くした。 廃屋同然の家だが、家具は寺からの寄付で最低限揃っている。ぼろの椅子に慌てて尼を座らせた燈子は、せっせとお茶の準備を始めた。 「相変わらずの生活かね」 「お金は貯まってきたわ。お父さんに渡さないようにする方が大変だわさ」 肩を揺らして笑った燈子の父親は、今日も姿が見えないようだった。 溜息をつきそうになって押し留まった尼は、もてなしの用意をする幼く逞しい背中を見る。 「その甲斐性なしはどこへ行ったのかね」 「やだ、おばちゃん。お父さんは甲斐性なしじゃないわ。ただ、ギャクタマに乗れないだけよ」 「幼い娘の日雇い分で養われている大の男さね。充分甲斐性なしだと思うけどねぇ」 甘いわ、と燈子は飲み口の欠けた湯のみを差し出した。目が爛々と輝いている。 「生まれてこの方、布より重い物を持ったことがありませんって男に日雇いで働けって言う方が無謀よ」 「まぁねぇ……アレが自主的に働くなんざ、アヤカシに島を乗っ取られるより低い確率だねぇ」 燈子の父は、黎森島で一番繁盛していた織物問屋の一人息子だった。毎日豪勢な生活を送り、色鮮やかな花達に囲まれて育った。 女性の求めには応じ、望むものは与え、人を疑うことを知らない男に成長したのは当然だ。 一方で、色遊びの名手は商才溢れる父に似ず、商売に関しては壊滅的に不得手であった。 あらゆる才能の全てを色事に注ぎ込んだかのような男が、父亡き後店を切り盛りできるはずもなく、加えて金にしか興味のなかった妻は別の男の元へ去り、新しい恋人には借金の肩代わりをさせられた。 面白い勢いで家の金庫から財産が消えていったのを、燈子はよく覚えている。 そして、幼いが故に何もできないでいる歯がゆさも。 一刻も早い成長を熱望する燈子とは裏腹に家計は炎上を極め、父が二人目の妻を持った時には、家を売らなければとても生きていけない状況であった。 「小夜お嬢さんの時は、何とかなるかと思ったんだけどねぇ」 「人生そう上手くいかないわさ」 湯のみを置いた尼に燈子はあっさりと答えた。 確かに、二番目の母――安積寺で父が見初めたという小夜さんの時は良かった。少し父にも罪悪感があったのか、安積寺で富をなした廻船問屋の娘を捕まえて帰ってきたのだ。 ギャクタマに乗れたのね、と喜び、真実小夜さんも悪い人ではなかった。夫と娘の生活を知るや、すぐに援助をしてくれたのだ。 大きくなって店を立て直したら必ず返す、と小夜さんと約束した翌年、二十五の身空で小夜さんは儚く世を去った。 父が支払人に指定された、桁外れの治療費の請求書を残して。 「……ところで、燈子や。あの男を知らないかね」 「安積寺にいるんじゃないかな。しばらくの生活は大丈夫って言ってたけど」 「そうかい……まあ、自分の衣食住を自分で面倒見ようとするだけマシかね」 「それが普通だわさ。でも、なんでお父さんを探してるの?」 「ああ。それがね……」 実は、と話だした尼の言葉に、燈子は目を丸くした。 ☆ 黎森島――。 東房国南部にある人口三百に満たない小さな島である。 農業地帯の広がる北部を中心に、のんびりとした穏やかな時間が流れている。 三本爪のフォークを持って牧場に入った燈子は、真っ先に相棒の梅々の元へ向かった。 「おはよう、梅々! ちゃんと寝れた?」 メェ、と鳴いたもこもこの羊に抱きついた燈子は、その体勢のまま広々とした牧場を見つめた。 四年前、遂に買い手がつかず売主に差し戻された土地には、嘗て燈子の家と広々とした農場があった。 二束三文に等しい土地を再び売りに出すこともできたが、燈子は牧場を作りたいと父に申し出た。 優美な衣の着物を身に纏う父は、外見だけで生きている程整った顔で、困った表情を作ったものだ。 「どうして牧場?」 「今時農家は飽和状態でまともに稼げないわ。黎森島で数年後、絶対流行って金になるのは畜産よ。間違いないわさ!」 「私は……手伝えないよ?」 「期待してない。お父さんは好きにすれば良いわさ。その代わり、一切のお金は私が管理するけど、良いよね?」 「うん、構わないよ。特に苦労しないし」 世の女性に衣食住の世話をして貰えれば、それは確かに苦労すまい。 ほんわかとして構える父の鼻先に、最後に燈子は指を突きつけた。 「それから! 女の人に貢ぐ時は、自分の持ち物を質に入れて、その金でやること! あと、借金の肩代わりだけはしないこと! この二つ、破ったら私は家出するからね」 「うん、分かったよ。娘と恋人なら、私は娘の方が大事だし」 「うむ、よろしい。それじゃあ、好きなだけ女遊びしてらっしゃい!」 そう言って、燈子は父を放牧したのである。 「……まあ、四年前より状況は随分良くなったわさ」 梅々を撫でながら、昔のことを考えていた燈子は呟いた。 広々としている土地だが、燈子一人での開拓は限界もある。かといって、人を雇う余裕もない。 「でも、手狭にはなってきたわね……」 数カ月後には、牛と羊の出産も控えている。牧場を広げることを思えば、できれば馬も欲しい。家畜用に犬も欲しい。 牧草地帯が絶対的に足りない。 「でも、アレを何とかしないと……尼のおばちゃんに相談してみるかなぁ」 既存の牧草地帯の先にある、大きな刺のある大木と、泥と砂で埋もれた井戸が小さな少女の目の前に立ち塞がっていた。 |
■参加者一覧
杉野 九寿重(ib3226)
16歳・女・志
フランヴェル・ギーベリ(ib5897)
20歳・女・サ
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂
獅子ヶ谷 仁(ib9818)
20歳・男・武
黒憐(ic0798)
12歳・女・騎
リュドミラ・ルース(ic1002)
18歳・女・騎 |
■リプレイ本文 開拓者を出迎えた燈子は、いつものように羊の相棒を傍らに置き、三本爪のフォークを担いで彼らを見上げる。 「初めまして、可愛らしいお嬢さん。共に頑張ろう!」 フランヴェル・ギーベリ(ib5897) は軽く挨拶をした後に柔和な笑みを浮かべた。燈子は『可愛らしい』の部分が上手く頭で消化できなかったのか、きょとんとして、それから慌てて顔の前で手を振った。 「可愛くない! こんな襤褸を着て走り回る女の子、可愛くないわさ」 「そんなことない! 偉い!」 フランが何か言う前に、派手に感動の涙を散らしたのはリュドミラ・ルース(ic1002)である。切り揃えた金髪を揺らす姿は、長身の美人だと迫力がある。 「偉い! 燈子ちゃん偉い!」 養い手としては年齢が圧倒的に足りないというのに。 ましてや養うのは実の父親だなんて。 ああ、お姉さん感動した。感動した。感動したから三回くらい言っちゃう。 物凄い勢いで感無量になっているリュミドラの脇では、燈子よりも背の低い黒憐(ic0798)が努めて冷静に言った。 「話は聞きました、燈子さん……汎用人型作業騎士りゅどみーを連れて来ましたので……力仕事は万全です……」 「え……っ、ひ、人じゃないの?」 「いえ……人型作業騎士です……」 びっくりして聞き返した燈子に黒憐はこくこくと頷いた。ともかく、そういうことらしい。 「今日はよろしく頼むよ、牧場主さん。爺さんと皆も」 温度差のある女性二人の隣でクロウ・カルガギラ(ib6817)が燈子に挨拶をする。彼女の後ろでは建築屋の翁がにやりと口角を釣り上げた。 「儂の存在に気づくとは、良い筋じゃの。儂はこう見えて去る忍軍の家系で――」 「皆、紹介するわさ。この爺は建築屋の又兵衛さん。代々島で大工さんをやってる家の人です」 あっさりネタばらしをされて、還暦は超えているであろう小柄な翁は綺麗に禿げた頭をべしんと叩いた。 ☆ 「不甲斐無い身で有りますが、この様な時には戦わずして貢献できるのも良いですね」 借りた斧を担いで歩く杉野 九寿重(ib3226) は微笑みながら言った。 開拓者――と呼ばれるからには、戦闘だけではなく土地の開墾もできて欲しいところだろう。とはいえ、この牧場は無計画で開拓するには広すぎる。 「出来うる事をしましょう。その一歩が大事でしょうし」 「そうだな。ひとまず、こいつをどうにかしよう……ぜっ、と」 大きな斧で大木の下部を打った獅子ヶ谷 仁(ib9818)が息を吐いた。南方の島だからなのか、少し動いただけ結構暑い。 「これは燈子ちゃんだけでは無理なはずだぜ……よく周りも止めないよな」 「それだけ本人の意志が固いんだろうな」 ロープの端を持ったクロウが言った。そして仁の方を向いて、もう片方の端を彼に渡す。 「まだ暑いか?」 「暑いな。でも、別にそれで疲れたりとかはないぜ」 「そうか。それなら他も大丈夫そうだな」 クロウはほっと息を吐いた。 彼が最初にかけた保天衣のおかげで暑さによる影響は無い。暑い、とは感じるが、体がだるくなったりしないのはありがたい限りだ。 「フランヴェルさんも、助かった」 「とんでもない。役に立てたなら何よりだよ」 梵露丸の残りを懐へ戻したフランがにこっと笑った。 「さて、手早く行くよ」 大鉞を振り上げたフランが目一杯の力で大木の幹を打つ。枝から鋭く飛び出した刺が衝撃が大きく揺れた。 「気をつけて下さい。古い枝が落ちてきそうですから」 「ありがとう、子猫ちゃん」 刺の生えた落ち葉を回収する九寿重にさらっと言ったフランが、もう一度腕を振るう。ひび割れる音と共に、大木の一本が大きく傾いて地面に倒れた。 「よいしょ……と」 手際よく幹にまたがって枝を払うフランは遠目には力自慢の男性にしか見えないのだが、生憎彼女は『ちょっと』少女が好きな女性である。 「では、私は根の処理をしますね」 がんがん大木を切り倒していくフランの後を追うように、九寿重が斧を振り上げる。切り株が残っている限り、時間が立てばまた大木が邪魔をするのだ。 「結構根が太いですね……」 「切れそうか?」 「大丈夫です。このくらいはアヤカシよりは易いですね」 頷いた九寿重に頷き返して、仁はクロウの方を見た。切り株にロープを巻いた彼が親指を立てる。 「よし、引っこ抜くぞ!」 仁の声を合図に、クロウが思いっきりロープを引いた。力を合わせて、仁もロープを持つ手に力を込める。 しばらく気張っているに、徐々に九寿重が根を断ち、地面を抉るようにして切り株が地面から引っこ抜かれた。 「黎い……な」 額の汗を拭ったクロウが根を見て呟いた。そうじゃろうて、と言う声に振り返れば、いつの間にか又兵衛が後ろに立っている。 本当に忍者みたいな人だな、と少し驚きながらクロウが目で続きを促した。 又兵衛は面白そうに目を細めながらしみじみと言った。 「黎木と言ってな。昔は材木として使われておったんじゃよ。もっとも、ご覧のとおり頑固ものじゃから、そうそう数が揃えられんで高級品じゃったが」 今は品質のもっと優れたものがあって安くなったが、と付け加えた又兵衛に、クロウは怪訝そうに尋ねた。 「じゃあこれ、牛舎には使えないのか?」 「馬鹿言うでないわ。儂が現役の頃は喜んで使い倒したわい」 まあ見とれ、と笑った又兵衛の表情は職人そのものだった。 ☆ 穏やかな牧場の中にスクール水着の少女が現れた。 「これで……汚れても濡れても、大丈夫……」 一人でこくりと頷いた黒憐の後ろでは、腕まくりをしたリュドミラが腰に手を当てた。 「さて、憐ちゃん! 頼むよ!」 友人を仰ぎ見た黒憐は意を決したように頷いた。 あれ、そういえば……と岩清水を飲みながら草原に腰を下ろした仁が呟いた。 「どうかしましたか?」 「いや……」 九寿重が首を傾げる横で、仁は水を一口飲み下す。 「泳げないんじゃなかったっけ……」 水中で目を開けられない黒憐が井戸の改修とは、いかに。 本人が大丈夫というからには大丈夫なのだろうが。 友人のリュドミラがついているのだから、問題ないのだろうが。 開拓者の本能が何かを告げていた。 「戻るか?」 「いや、ここも大事だしな」 クロウの問いかけに首を振った仁は立ち上がった。 本当に大丈夫?と念を押すように尋ねたフランに、仁は額に手を当てるしかなかった。 「まあ……ここは早めに片付けちまおうぜ」 「そーれ、行くよー!」 「わあああああ! 何やってんのさ!」 元気なリュドミラの声に反応したのは燈子だった。隣で羊が丸い目を更に丸くする。 荒縄で黒憐を縛ったリュドミラは、問答無用で桶を抱えさせた少女を井戸の中に放り込んだのである。それは普通に驚くだろう、一般人ならば。 一方、井戸に放り込まれた黒憐は、全身全速で泥を桶で掬い、井戸の外へ放り投げていく。背丈の小さな少女だが、その力は一般人よりも遥かにある。 ちょっとした人型掘削機だ。 「ね、ねえ。止めなくて良いの? っていうか、死ぬ、普通に!」 「大丈夫大丈夫! 黒憐ちゃんは、ちょっと水が苦手なだけで泥水は平気だから」 「絶対嘘でしょ! うちで死人が出たら洒落にならないわさ!」 真っ青になっている燈子を尻目に、二人は面白い勢いで井戸を開拓していく。 石造りの井戸だったからか、外装はそれ程破損しているようには見えない。だが、徐々に黒憐の桶を投げる感覚が長くなっているということは、結構深いのかもしれない。 そうして何度目かの上げ下げを続けた後、黒憐が小休止をとっている時の事だ。フランから預かった岩清水を彼女に渡す燈子を見ながらリュドミラが呟いた。 「本当に偉いなぁ……父親が甲斐性なしだなんて」 再び感動の波が押し寄せるリュドミラだったが、ここで井戸の方に視線を向けて、ぼそっと呟いた。 それはもう、隣の黒憐にしか聞こえないほどの小さく、ドスの聞いた声で。 「その問題の甲斐性無し、ぶった切って掘ったついでにこの井戸に沈めちゃうとか駄目かな。大丈夫、ばれっこないって」 「……」 肯定も否定もしない黒憐は、代わりにフォークで牧草を一気に担ぎあげる燈子を見やった。 突き抜けた甲斐性なしだから、井戸に落ちたくらいでは改心しないわさ。 そんなことを彼女は言いそうに思えた。 再び井戸に飛び込んだ黒憐は、今までとは全く違う感触に当たった。引き上げようとするリュドミラの荒縄を叩いて制止させて、彼女は渾身の力でそこを桶で叩きつけた。 ブチッ、と凄い音が鳴った。 「こ、れは――」 言いかけた黒憐の一気に視界が茶色に染まった。 けたたましい声で梅々が鳴いた。 驚いて振り返った燈子は、その瞬間、壊れた井戸から吹き上げる噴水と、水圧で空高く放り出された少女の姿を見た。 滑稽に見えるが恐ろしく命がけな修羅場に、適切な言葉が思いつかない。 「あは。飛んでるねぇ」 「フランヴェル、さん……」 大量の木材と共に戻ってきたフランが口元を緩めた。 「フランで良いよ、子猫ちゃん。いや、子羊ちゃん、かな?」 「……」 言っても助けてくれそうにない。 どうしたら良いのだろう……と思っている内に、黒憐は綺麗に回転して着地していた。ぽたぽたと滴る雫を払って息を吐く。 「ふぅ……水着で無ければ……即死でした……」 「そういうもの、でしょうか」 この場の誰もが思ったことを、的確かつ端的に言った九寿重であった。 ☆ よっしゃああああ任せろおおお!! 又兵衛の還暦越えの雄叫びが響いた。 「又兵衛さん、びっくりして産んじゃうから駄目!」 鼻息の荒い建築家を小さな少女が制する光景はなかなか面白く見えた。 「まあ……本人もやる気だし、俺達も張り切るか」 ここが牧場の要、動物小屋だ。 ざっと内部を見て回ったクロウは、遊牧民時代の知識も合わせて、又兵衛と内装について協議を始めた。 大枠は大体決まっているものの、細かい部分は臨機応変というのが島らしいと言えばそうだが、大雑把な図面にクロウが訂正を入れていく形だ。 「高い所は任せてくれ。何かあれば対応するぜ」 天狗駆で屋根まで走り上がった仁の声が降ってくる。既に雨漏りもあったのだろう、屋根の木材は限界に近かった。 「又兵衛さん、だっけ。さっきの木と、燈子ちゃんの家だった場所の廃材、使えるかな?」 「使えるもんは何でも使おうぜ、嬢ちゃん」 ニッと笑った又兵衛につられてフランも微笑んだ。その横では、明らかに驚いている燈子が「え? え?」とフランを頭から爪先まで眺めている。 第一印象とは、かくも強いものである。 敢えてそこには何も言わず、フランは廃材を担いで広々とした場所に向かった。埃や欠けを除き、腐敗が進んだ部分は切り落として別の木材で補強する。 「その木材、余るならくれる?」 仁と屋根を補強しているリュドミラが声をかける。黒みがかった艶やかな材木に生まれ変わったそれを、フランは屋根の方へ放り投げる。 受け取ったリュドミラが、穴の部分を剥ぎとって新しく打ち付けた。 「それにしても、あれが牛で、あれが羊かぁ……」 良家の子女には、作業よりもそちらが気になるようだ。思ったより牛も羊も良い匂いはしないし、肌触りもそんなに良くない。 でも、可愛いとは思う。 「黒憐ちゃん、そっちはどう?」 開いた部分から覗いたリュドミラに、中で作業していた黒憐は顔を上げて頷いた。順調のようだ。 「ふっふっふ……牛さん羊さんが……居心地が良すぎて引きこもりになってしまうような…素敵な牛舎を作るのです……」 そう言いながら彼女が隅っこに作っているのは、小さな飼料置き場だ。流石に大きなものはこの場で作れないが、しばらくもつだろう。 彼女が気にしていた水捌けの良さも、土と牧草を一斉に入れ替えることで随分と見違えたようだ。 「他はどの様な目処が立っているのですか?」 「九寿重さん、こっちを手伝ってくれ」 「はい、今行きますね」 余った補強用の木材を抱えて九寿重がクロウの元へ走る。 開拓者達も、燈子達も、時間を忘れて小屋の改修に専念していた。 壁面や屋根、そして出入口を補強して、今日は一旦作業を区切ることになったのは、夕暮れ時に差し掛かろうという頃だった。 ☆ 「差し入れの方というのは、あちらの方ですか?」 汗を拭った九寿重が指さした方から、島の衣装を纏った女性達が歩いてくる。 「あら? 終わっちゃったの、燈子」 「おかげさまで、随分進んだわさ」 「あらあら。それならもっと早く来れば良かったわね」 朗らかに笑った女性は燈子の家の近くに住んでいる人だという。 「良ければ、遅くなりましたが食べてくださいな」 彼女達が持ってきたのは、島の伝統料理だという海苔巻きだった。漁港で取れる磯海苔で米を巻いたもので、シンプルながら塩味の効いた一品である。 「おいしい……」 頬張った黒憐は、食べながら心配した婦人に布で拭かれている。 「あ。そうだ。西瓜も冷やしてあるから、皆で食べよう♪」 手を鳴らしたフランが走って西瓜を持ってきた。木陰で水と一緒に冷やしてあったのか、この時間になっても充分に冷えている。 「おいしい?」 一生懸命頬張る燈子はフランを見ずに何度も頷いた。聞けば、あまり黎森島では果実類が出回らないらしく、こういうものは食べること自体が既に楽しみなのだと言う。 「ありがとう、ございますっ。今日は皆のおかげで……私、正直色々直れば良いなくらいにしか思ってなかったけど、こんなになって嬉しい」 西瓜の味を飲み込んだ燈子は、慌てて開拓者達に頭を下げた。それに倣うように梅々がその場に腰を下ろす。 「あと、これ、少ないけど今日の報酬。やっぱり労働には対価が必要だわさ」 「そっちの方が気が治まるなら遠慮なく貰っとくよ。でもさ、無理はしなくて良いんだぜ? 今日は俺も色々勉強せて貰ったしさ」 銭の入った布袋を受け取ったクロウが視線だけで又兵衛を指す。無理がたたったのか、婦人達に囲まれて絶賛ぎっくり腰の翁は彼に貰った純米酒を抱え込んで倒れていた。 「クロウの言う通りだぜ。俺みたいな僧は、こういうのは修行も兼ねてるしな。もっと頼ってみたらどうかな」 仁が肩を竦めて言った。笑ったリュドミラも大きく頷く。 「そうそう。また何かあったら遠慮なく声かけてよね」 「今回だけではなく、何かの折にお手伝いできると嬉しいですね」 そう言って、九寿重は布袋を丁寧に受け取った。 今日の開拓は、世界から見れば何にも関わらない些細な出来事だったのだろう。 だが、燈子にとっては、黎森島にとっては、とても大きな開拓の一歩だったのだ。 このまま大きな牧場となることを、碧の草原となることを、この大地はようやく夢見始めたに違いない。 本日の開拓成果。 南西部分の支障木は伐採、井戸が使用可能となり、動物小屋が強化された。 なお、改良の余地は残されている。 了 |