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■オープニング本文 Episode.5 神の残滓 魂狩の後、黎森島の天輪宗支部に呼ばれた彼は、そこで随分と懐かしい話を聞いた。 「そなた、十八年前、この島におったな」 「……」 「そして、その鈴で黎王を封じた……否、結果的に封じた。そうじゃな?」 威厳を担いだかのような老婆に言われ、敦彦は口元を引き締めたまま、しばらく何も言わなかった。 十八年前――数年ぶりの大干ばつに襲われた島に敦彦は観光に来ていた。緑豊かな島だと言われていたのに拍子抜けしたことを覚えている。 その旅行中、敦彦は黎いの森へ入った。まだそこまで森の警備も厳しくなかった時代だ、小さな子供が扉をくぐっても、止めるものはいなかった。 一人で森に入るのは、当時の敦彦にとっては大冒険で、やはりそれなりの装備を持って挑むべきものだった。とはいえ、武器は買わせてもらえないし、お金もない。 とぼとぼ森の方へ歩いていく敦彦のたった一つの相棒は、いつの間にかポケットに入っていた小さな鈴だけだった。 徐々に暗さを増し、対照的に黎に満ちていた森が緑を抱き始める頃、敦彦は泣いている少女――にも見えたが、結局性別は思い出せない――に出会った。長い髪をしばりもせず、麻布の服を着ているだけだった。 「どうしたの?」 首を傾げた敦彦に、その子供は涙声で言った。 森が、黎くなっていくの……と。 どういう意味だろうと敦彦が答えあぐねていたが、彼はふと自分の懐に視線を落とした。何かが光っているように見えたのだ。 慌てて服を漁ると、出てきたのは例の鈴であった。 幼心だ。こんな暗い森で、泣いている子供がいて、都合よく鈴が光っている。 これはもはや、お守り以外ありえない。 そう確信した敦彦は、これ、あげる!と子供の手に鈴を乗せた。 ――刹那。 「―――――――――――」 言葉にならない悲鳴を上げて、子供の姿が一瞬で溶けるように消えた。 驚いた敦彦が思わず腰を抜かしていると、森に木霊して悍ましい声が響いた。 「その鈴を早く滅せよ。さもなくば、命はない」 震え上がった敦彦だが、鈴の消し方など知る由もない。次第に溢れた涙をぬぐって、敦彦はその場に突っ伏した。 「消せ、滅せよ、魂狩の鈴は我を狩る」 「鈴を滅せよ。さもなくば一族もろとも消し去ってくれようぞ」 「早う、早う。魂まで貪られたくはあるまい……?」 四方から響く呪いに、敦彦はとうとう我慢の限界が来た。転がるように身を翻して駆け出し、閉ざされた扉を必死に叩いて助けを求めた。 「敦彦? そこにいるの?」 遠くから聞こえる母の声に重なるように、森の声は敦彦のまさに耳元で囁いた。 「鬼の子、アツヒコ。我は覚えたぞ……」 「おかあさん! ここ! ぼく、ここ!」 絶叫する息子を母親が青くなって抱きかかえ、駆け足で森を去っていく様を、木陰から消えたはずの子供が見つめていた。 残された鈴が、黎の草を緑に戻す様を横目にして。 ☆ この鈴は、お前たちが俺に渡したのか。 尋ねた敦彦に、老婆は首を振った。 「誠に不幸な事故であった。あの時、我らは黎王を封じようと森へ巫女を伴い発つところであった。鈴が手元から転がり、巫女の手の及ばぬところに行くまでは、な」 「偶然で俺に?」 「偶然かもしれぬ。必然かもしれぬ。かの巫女が言うには、その定めであったのだと」 「その巫女は今もここにいるのか?」 「もうおらぬ。その巫女は、末路も含めて、そなたがよう知っておるはずじゃ」 巫女の名前を聞かされた敦彦は隠し切れない驚きを滲ませる。 その巫女は、敦彦に予言を授けた巫女主であった。 敦彦たちに巫女主と呼ばれていた老婆は、十八年前、まだ十代のみずみずしい少女であった。 相次ぐ飢饉を止めようと、天輪宗の名のもと、黎いの森を鎮める任を背負っていた。 だが、事態は彼女が清めの鈴を紛失したことから急展開する。散々探し回っているうちに、森が怨嗟の悲鳴を上げたのである。 大変な災厄が起こると危惧した彼女たちの想像とは裏腹に、島は一晩たっても平穏そのもので、むしろ飢饉が和らいでいるようにすら見えた。 その一方で、巫女の少女自身には災厄が降りかかる。突然倒れた彼女は、一日と経たぬ内に何十年と経ったかのように老いたのだ。 少女はそこでようやく黎王の何たるかを悟り、急いでとある鬼族の集落へ向かった。 あらゆる情報を頼りに辿り着いたその集落に留まること五日日、恐ろしい程よく当たる占いをする祈祷師として集落の長から信頼されるのに、そう時間はかからなかった。 更にそこから三日後、鈴の持ち主に辿り着くことができず考えあぐねていた巫女主にとって、最も恐れていたことが起こった。 旅行から戻った敦彦を待ち構えたかのように、彼の集落が一晩の内に破壊されたのだ。 そして――、 「血濡れの村人と、角を失ったそなたが運ばれてきたのじゃ」 生命の危機に瀕した敦彦を見て、巫女主は彼が鈴を持って森に入ったと確信したという。 「これが、我等が探し求めた真実じゃ……誠に、そなたには申し訳ないことをした」 淡々と話す老婆を敦彦はえもいわれる感情を抱いて見ていた。 予言を授けて更に三日後、巫女主が謎の失踪を遂げたのは敦彦も覚えている。 そして、分かる。 巫女主は失踪したのではない。 森に赴き、黎王に殺されたのだと。 ☆ 参ノ扉が軋んでいる、という報が入ったのは、その日の昼過ぎだった。 黎王だと反射的に感じた敦彦は、すぐさま森へ突入する準備を整えた。 雪梨が亡くなった直後だ、もう商隊の仲間は連れて行けない。 身支度を整え、宿を出た敦彦を待っていたのは、あの老婆だった。 「まだ何かあるのか?」 「持って行け。我が巫力でどれだけ効果があるか分からぬが……一時のしのぎにはなるじゃろう」 手渡されたのは、あの鈴。 苦い顔の敦彦に、老婆は続けた。 「愚かな手前共の所為で定めを曲げたそなたに頼むのは厚顔無恥の極み。それでも、我はそなたに託したいのじゃ」 「……」 「敦彦。かの王は、もはや神にあらず。神の残り屑――残滓じゃ。かつて陰徳の極めた神は、もうおらぬ」 「……分かった」 静かに頷いた敦彦は、老婆に背を向ける。 自らの狂った天命を、越えるために。 |
■参加者一覧
鴇ノ宮 風葉(ia0799)
18歳・女・魔
星風 珠光(ia2391)
17歳・女・陰
水月(ia2566)
10歳・女・吟
成田 光紀(ib1846)
19歳・男・陰
クロウ・カルガギラ(ib6817)
19歳・男・砂 |
■リプレイ本文 望んでいたのだ。 誰よりも自分が、彼に解放されることを――。 ★ 黎森島。 普段と変わらない生活を送る島民とは裏腹に、集まった開拓者達と敦彦の表情は固い。 「ついに……か」 呟いたのはクロウ・カルガギラ(ib6817)だった。彼の隣で水月(ia2566)が小さな頭をゆっくりと縦に振る。その視線は僅かに上――敦彦の眉間に刻まれた皺を捉えていた。 「敦彦さん。単刀直入に聞く」 黎王をどうしたい。 尋ねられることは予測していたのだろう、敦彦は藤色の瞳をそっと閉じた。 「……分からない。だが、この予言に縛られるのはもう十分だ」 「……」 こくり、と水月が頷いた。予言に導かれ、あるいは弄ばれ、敦彦の心の中は察するに余りある。 やはり、倒すしかないのか。 その決断が浮かんだ時、水月の心に重く暗い感情がのしかかる。 アセリアも、鳳珠も、雪梨も――まだ誰も本当に救えていない。 「でも……」 ぽつりと零した水月に、敦彦の視線が落ちる。 また、救えないのか。 「――ちっぽけな、まま」 こんなままじゃ、きっと。 そのことが、水月には苦しくて仕方がなかった。 出発前に一つ、暗雲が立ち込めた。 「……ボクは、現地には行けないわ」 天輪宗支部の医務室で寝台から起き上がった星風 珠光(ia2391)は苦々しい顔で体の包帯を見やった。 黎森島へ向かう前に受けた依頼での傷が思ったより深く、未だ癒えないのだという。 「手間を増やすくらいなら、ここで回復に専念するわね」 「間に合えば追ってきてくれると助かるが」 「期待しないで。でも、善処はするわ」 クロウの言葉に肩を竦めた珠光である。 彼女の回復は、ほとんど勝算のない賭けだ。 それでも、こうして駆けつけてくれた仲間だ。 拳を握ったまま、敦彦は何も言わずに頭を下げた。 ★ 最初に言っておこう。 森へ入り、平穏な道を進む中、成田 光紀(ib1846)は敦彦の背中に言葉をかけた。 「俺はあくまで傍観者、単に事の顛末を見たいがために此処にいる」 感傷もないが、手を抜いたりはしない。だから安心して進むと良い。 「必要があれば、目眩ましとして動いてやっても良い」 尊大な言い草だが、そこに悪意はない。ある意味嫌味の無い言葉に、敦彦は「すまない」と感謝と謝罪を合わせて口にした。 「構わないさ。面白いものが見れればそれで良いぞ。なあ?」 口角を上げた光紀は、隣を歩く鴇ノ宮 風葉(ia0799)を見下ろした。 「あたしは別に」 「まあ良い。しかし、君ともまた珍妙なところで会うものだな」 「……」 縁というものがあるならば、きっとこういう事を言うのだろう。 そしてこれから起こることも、その縁とやらの賜物に違いない。 ふ、と微笑んだ光紀と風葉の怪訝そうな視線が森の扉の先で交差した。 ★ 参ノ扉の前で開拓者達は立ち止まった。 森でいうところの、ここは弐ノ域と参ノ域の境目ということになる。 軋んだ音を立てているという参ノ扉は、今は鳴りを潜めているように見えた。 「どうだ?」 「いや……大丈夫だ。何もいない」 バダドサイトで周辺を探査していたクロウは光紀に返した。 つい最近まで、蝶の群れがいたはずの場所は、息を止めたかのように静寂に包まれている。 「でも……変、なの」 僅かに震える声で水月が言った。変?と返した光紀の前で、敦彦が腰をかがめて緑の草に指先で触れる。 そう――一箇所だけ、明らかに何かがあったと思える形で、森の草が緑色に染まっているのだ。 「雪梨……」 あの時、連れて戻ることのできなかった仲間の遺体が、どこにも見当たらない。 ただ、彼女の横たえていた場所の草だけが、緑色に変わっている。 「敦彦さん……」 「――大丈夫だ。すまない」 立ち上がった敦彦は心配そうに言った水月に言った。 「先を急ごう。彼女を弔うのはその後でも良い」 そう言った敦彦が参ノ扉をくぐる。 一人、また一人と物言わぬまま扉をくぐり終えた時だった。 「――――」 「え……?」 振り返ったクロウの目の前で、参ノ扉が軋み声を上げて閉まった。 罠か、と身構えた彼らだったが、何かが起こる様子はない。 ギィ、ギ……と、いつまでも扉が音を立てているだけだ。 「……泣いてる、みたい……なの」 水月がぽつりと呟いた。 まるで必死に泣き声を押し殺すような音が、彼女の耳に残った。 ★ 四ノ域に足を踏み入れた時、開拓者達は思わず息を呑んだ。 「これは、また……」 唸るように光紀が呟くのも無理はない。 四ノ域は、そこだけ命を吹き返したかのように、青々とした草が生い茂り、光が薄く差し込んでいる空間だった。 彼らの視線の先には、輝くような緑の若木が明るい肌色の晒して佇んでいる。 「なるほど……なかなかに面白いものだな」 屈んだ光紀はそよ風に揺れる草を指先で撫でた。 まさに聖域。そして、この先からは一転、禍々しい空気が僅かに流れこんできている。 まるで何かを守るかのように、この空間だけが清浄そのものだ。 「龍脈付近で見られる現象によく似ているが……とりあえず、調査はしておくか」 陰陽師の彼にとっては、この上なく興味の惹かれる場所である。 「ここは……かつて、黎王を封じた場所……?」 光紀が精霊力の調査に没頭する中、木漏れ日に目を細めた水月は聖域を見回した。 どこにも黎王の持つ暗澹たる気配がない。その代わり、もがくように若木の向こう側では怨嗟が渦巻いている。 「この辺りだ」 不意に敦彦が言った。 「俺はこの辺りで、黎王に会った」 最も、当時のここはこんなに緑に抱かれてはいなかったが。 つまり、黎王は当時、この場所まで来ていたことになる。それが、今は若木に抑えこまれたように、一向に姿を見せない。 それほどまで、聖域の清らかさが、今の黎王には毒なのだろう。 「……もしそうなら、黎王は……やはり、島に災いをもたらす元凶……」 ふるふると肩を小刻みに震わせて水月が呟いた。 滅することでしか救えないのかもしれない。そんな弱気な考えが浮かんでは沈む。 そんな時だった。 「――」 「何だ?」 「頭に……」 森のざわめきに風葉、クロウと水月、光紀も敦彦も同時に顔を上げた。 何かが直接彼らに語りかけてくる。 私を見て。 私を欲して。 もう、憎しみの黎に染まるのは嫌だ――……。 「奇っ怪な……幻聴の類、ではないようだな」 眉を寄せた光紀は傍らに立つ風葉の表情からそれを察した。 「――黎王を、討とう」 ぽつりと、敦彦が言った。びくりと水月が震える。 良いのか、とクロウが彼に尋ねると、敦彦は小さく頷いた。 「もう十分だろう。黎王も俺も……もう、これ以上は」 頭に巻いた布を下げて目元を隠した敦彦にクロウは何も言えなかった。 おそらく、自分たちよりもより強く、敦彦にあの声の持つ感情が流れ込んだのかもしれない。 恨みと妬みと、絶望と再生への渇望。 それらが綯い交ぜになった黎王の乾いた叫びが掻き消える前に、彼らは若木の横を通り抜けた。 ★ 異様な空間だった。 開拓者たちが見たものは、淀んだ空気の中、瘴気と経年で今にも朽ち果てそうな老木と、そこに打ち付けるようにして寄りかかる襤褸だった。 そして、その真下には、苔の生えた人骨――おそらく、黎王によって命を絶たれた巫女主だろう。 ゆらり、と陽炎のごとく彼らの前に姿を見せた黎王は、敦彦とよく似た姿の青年だった。 本来の姿を留めることができず、ただ恨みの力だけで形成したかのような偽りの器に過ぎない。 「さて、どうする?」 袖で瘴気を払う光紀が言う。 「決まっているさ」 敦彦の前に立ったクロウが刀を抜く。傍らに控える水月も、そっと髪飾りに手をやった。 「承知した。なに、臆することはないさ」 呪本を掌の上で開いた光紀は不敵に微笑んだ。 「神の残滓とは、言い得て妙だな」 強大な敵というものは、外見の美醜に差はあれど、いずれも敬意を表すべき威厳を持っているものだ。 どれだけ性根の腐った敵であろうと、虫唾の走る存在であろうと、圧倒的な力を持つ相手には、それ相応の気が見える。 だが、今の黎王からそれを感じることはできない。 まさに森に縛られたままの、悲しい残骸に他ならないのだ。 一息もつけないまま、辺りは軍場と化した。 黎王の怨嗟の声に反応するように、茂みからアヤカシが湧いてくる。 「こちらは任せてもらおうか」 周囲にアヤカシを呼び込んだ光紀が素早く何かを唱える。地面を這うようにして現れた「それ」は、一帯を巻き込んで呪いを撒き散らす。のたうち回るようにしてアヤカシの残党は横たわり、やがて細かく砕けて雲散霧消した。 「黎王とやらは、縁ある者がやるべきだ。俺はそういうことに興味は――、っと」 背後から現れた獣のようなアヤカシが光紀の懐に飛び込んでくる。防御がかわされるより一瞬早く、駆け込んだ風葉が獣に符を叩き込んだ。 地獄の劫火のような黒い炎に包まれて、獣は悲鳴を上げて散っていく。助かった、という光紀に、風葉は差し出された手を軽く叩いて応えた。 「敦彦さん……!」 水月の声が響いた。 クロウの剣戟をかわした黎王が、敦彦へ刀を振り下ろしたのだ。咄嗟に暈影反響奏を発動した水月を眩い光が包み込む。 小さく悲鳴を上げて、黎王が大きく後ずさった。その左腕が完全に消滅している。反撃の共鳴音が直撃したのだ。 そこへ、追うようにクロウの刀が背中を捉えた。ついで、敦彦の銃弾が肩を撃ち抜く。 「――……!」 呪いの叫びを響かせ、黎王はその場に膝をついた。起き上がろうとするその額に、クロウが刀を突きつける。 「……これ以上の呪いは、貴方の望みなのか?」 静かに問うたクロウに、黎王は黎い影を揺らめかせた。 「森を切り拓いた人を憎むのは仕方ない。だが、その憎しみの呼んだ瘴気も森の樹々、動物達、森を必要とした生物達を傷つけた筈だろう?」 憎めば憎むほど、この森は黎に染まる。生物は息絶え、取り残されるのは怨念に苛まれ、悪なる存在に憑かれた黎王だけだ。 「それに……貴方は、森が黎くなることを、悲しんでいた……」 水月は崩れ落ちた黎王を見下ろして小さく言った。 敦彦と邂逅して以来のことを思う。土地に縛られ解放を望んだアセリアや、友に救いを求めた鳳珠、敦彦を慕い森に取り殺された商隊員。 そして、敦彦を想いながら命の果てた雪梨。 悲しみと絶望だけで奪うには、あまりにも多すぎる。 「――黎王」 切っ先を決して譲ることなく、クロウが静かに言い放つ。 「人が森への感謝を忘れた事が原因なら、俺達が島の人達を説得する。森への感謝、祈りを絶やさないように」 ひくり、と黎王の肩が揺れた。ゆっくりと上げた視線の先には、敦彦がいる。 「……もう、終わりにしよう」 淡々と言葉を一つずつ落とすように敦彦が口を開いた。 「お互いに、狂った天命を正そう」 そうすれば――、言いかけた刹那、悲鳴にも鳴き声にも聞こえる声が彼らの耳を劈いた。 咽び泣く黎王の声が森に木霊し、不気味な怨嗟の渦を巻き起こす。 「ナラバ何故、十八年モノ間、我ヲ野放シニ! 一思イニ、我ヲ……!」 封じて欲しかった。 敬わず、黎に変わる森を享受し、なおも森を拓こうとする人間を恨んだこともあった。 だが、それ以上に、憎しみを背負い続けることを望まない自分もいた。 「人間ハ……我ヲ憎ムノニ、生カスノカ……」 憎まれれば封じられもしようと幾度と無く災厄を起こした。 それなのに、ようやく寄越した使者は、まだあどけない子供だった。 その瞬間、心のどこかで抗い続けた黎王の本性は、この子供を生かし、憎ませ、ここに呼び戻すことでしか、もうこの憎しみの鎖を断つ術がないのだと悟ったのだ。 「滅セヨ、封ジヨ……」 「……それが、望みならば」 呟いた敦彦は、袖口から一つの小さな鈴を手にした。支部で授かった、神封じの鈴だ。 「力を、貸してくれないか?」 鈴の力だけでは、封じきることはできない。 こくり、と頷いた水月が霊鈴を手に距離を取る。 「祈るの……眠りが、安らかであるように……」 澄んだ音が森に響く。浄化と解放を願って、水月が軽やかに、儚げに舞う。 緩やかな舞に合わせて、彼女の周りに仄明るい光が輝き始めた。 「これは……」 アヤカシを破っていた光紀が驚嘆に目を見開いた。襲ってくるアヤカシの影が、鈴の音に合わせて砂のように消えていくのだ。 「安らかに……」 手を伸ばす黎王の掌に、敦彦は鈴を落とす。 凛とした音が一度――、それを最後に、黎王の姿は霧のように薄らいでいった。 ★ 黎王は討たれた。 その報を受け、天輪宗支部は黎いの森の残党に対し、大規模な浄化作戦を展開することとなる。 浄化作戦に開拓者達は参加しなかったが、順調に進んでいるという知らせにはほっと胸を撫で下ろした。 「しかし、興味深い場所だったな。もう一度、望むならば精霊力の調査をしてみたいところではあるが」 光紀は苦笑して言った。王無き場所を今更調べたところで、満足のいく結果を得られないのは彼も十分に分かっているのだろう。 「あの若木が、森を守ってくれると良いな」 クロウはそう呟いた。 黎王の姿が消えた後、クロウと水月は、老いた御神木の枝を持ち帰っていた。 その枝木は今、天輪宗支部にある。精霊の力が満ちている四ノ域の若木に添え木して欲しい、と二人が熱心に頼み込んだからだ。 「今度は……きっと、緑の森になるの……」 こくりと水月が頷いた。 「皆には本当に世話になった。お礼をしたいが……何からすべきか分からないのを、許して欲しい」 船着場まで案内した敦彦はそう言って、開拓者達に深々と頭を下げた。 「敦彦さんは、本当に良いのか?」 「ああ。もう決めたからな」 クロウの問いに敦彦は微笑む。 伍ノ域からは、アセリアの真珠の残骸や、鳳珠の衣服の一部、巫女主の骨や雪梨の腕輪等が発見された。 それらを弔い、森の行く末をしばらく見守りたいと、彼は黎森島に留まる意思を固めたのだった。 当然、商隊は解散だが、商隊員達は黎森島から離れるつもりはないようだ。 「ところで、敦彦さん。気になるんだが、五つ目の予言は何だったんだ?」 そう尋ねたクロウに、敦彦は首を振った。 「魂狩の音は森に満ちる。黎は碧となり、覇者は黎明を得、そなたの天命の秤は始まりに戻る」 「……それは、どういう」 「最初は黎王に殺されるのだと思っていた。だが、今は全く逆だと思っているよ」 開拓者達と出会い、黎王を封じ、天命の秤は漸く最初の位置に戻った。 これから先は、敦彦の意思で傾きを変えられる。 「だから、感謝している」 敦彦の言葉に、船の汽笛が重なる。 またどこかで出会うこともあるだろう。 再会の約束を交わし、開拓者たちは敦彦の見送りを受け、ようやくそれぞれの帰路についたのである。 了 |