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■オープニング本文 その日、男は上機嫌であった。 旅芸人一座に身を置く男は、今日初めて、自分だけの笛を手に入れることが出来た。毎日コツコツと金を貯め、師匠にお許しを頂き、楽器作りを生業とする町の工房に頼んで、今日ようやく出来上がった新品である。 空は快晴。道は平坦で、すぐ横に見える林からは穏やかな鳥の鳴き声も聞こえる。馬車を曳く馬もどこか機嫌の良い様子で、男は嬉しくなって笛を取りだした。 そうして男が笛に口を付けるのを、御者台に乗っていた団長や、周りの芸人仲間たちが見て笑う。馬車を護衛していた屈強そうな男たちにも笑顔が浮かび、剣を持つ手を緩めた。 静かに笛の音が響き渡る。それは確かに良質な音色であったが、林に止まっていた鳥たちは、笛が響いて暫く経つと、まるで逃げるようにして飛び去った。 その様子に、護衛たちが顔色を変える。慌てて剣を抜き、周りを見渡してみれば、林の中から何やら人のような影が現れた。 それはズタボロの着物を着て、壊れた三味線を引き摺っていた。背丈は護衛たちとそれほど変わらないが、腕が異様に長く、まるで獣のような爪が伸びている。目は窪んでいて、眼球が無かった。 その日、男は上機嫌であった。 笛を奏でるまでは。 「駄目だ。全員死んでる」 町へ来る途中、アヤカシに襲われたらしい馬車を見かけたということで恐る恐る確認しに来てみると、そこにあったのは凄惨な様子だった。 道の上に横倒しになった馬車。馬は逃げたのか食われたのか、姿はない。積み荷は地に投げ出され、金目のものは見当たらなかった。どうやら町の者に見つかる前に、心の卑しい者も来たらしい。 乗っていた旅芸人一座は、逃げようとして襲われたのか、散り散りになって事切れていた。大きな獣のような爪跡に背中を引き裂かれている者、首を噛み千切られている者。明らかに人の仕業ではないことが判る。 「ついにこんな町の近くまで‥‥」 「昨日町を出た旅芸人たちだな‥‥一座の若いのが、笛を買って喜んでたのを見たよ」 痛ましそうに呟く町人が、それらしき男の死体を見た。その手にはしっかりと真新しい笛が握られていて、町人は目を伏せて手を合わせる。 「笛を吹いたのか」 「そうならやはり、アヤカシは楽の音に惹かれて来ているんだろうか」 「しかし、前に開拓者へ頼んだときは出て来なかったじゃないか」 この近くの町というのは、元々は宿場町であった。大きな町と町の真ん中に位置する為に人通りが多く、それなりに繁盛していた。だが、数十年前から旅芸人一座などが良く逗留するようになると、それに応じて楽器作りの職人たちが住み始め、今では宿と楽器工房が町の収入を二分している。 そんな町で、最近アヤカシの目撃情報が多く寄せられるようになった。最初にあったのは町から数十キロ離れた場所で、商人が襲われたというものである。商人は町に楽器の買い付けに来た帰りで、アヤカシからは何とか逃げ出したものの、積み荷が散々荒らされていたらしい。二回目はまたも楽器の買い付けに来た商人と、同行していた旅芸人が殺された。その後も何度かあり、その度に町へ近づいて来ているというので調べてみれば、彼らは皆楽器を弾いた後に襲われていることが判った。 町人はこれ以上アヤカシの被害が広がらないように、開拓者たちを雇ってアヤカシを誘き寄せる作戦に出た。だが、アヤカシは楽器の音色を目印にやって来ているのではないかという推測の元、楽器の弾ける開拓者を囮にしてみたが、数日粘ってもアヤカシは現れない。 開拓者が囮では感づかれてしまうかと、二度目は町長が自ら囮となってアヤカシを誘き出すことに成功したが、捕えることも倒すことも出来ずに逃げられてしまう。その際、町長は腕に怪我を負い、暫く楽器の持てない身体にもなってしまった。 「もう一度、囮を立てて誘き出すしかあるまい」 「しかし、町長が怪我をしたことで、皆縮こまってしまった。囮を頼んでも、引き受けてくれる者はおらんだろうし‥‥」 「俺たちが楽器を弾ければなぁ。それなりの腕を持つ者でないと反応しないってのは、厄介だのう‥‥」 はあ、と町人たちが肩を落として溜息を吐いたとき、前方から一つの馬車がやって来た。御者台に乗っていた商人らしき男が「何かあったのですか」と不安気に声をかけるのに、町人たちが馬車を止めるために手を上げる。 「すまんが、道をずれてくれ。アヤカシに襲われたようでな‥‥町には何の用で?」 町人の問いに、男が「織物の行商の帰りで」と答えれば、町人たちは安堵の顔を見せた。織物の行商であれば、楽器を試し弾くこともないだろう。アヤカシに襲われる確率は低いと思い、そのまま町へ向かわせようとしたとき、町人たちは荷台に乗っていた青年に目を見開いた。 「‥‥何か?」 「‥‥もふ?」 そこにいたのは、琵琶を大切そうに抱えた旅装束の青年、瑠佳(iz0046)と、その連れであるもふらさまだった。 |
■参加者一覧
柚月(ia0063)
15歳・男・巫
水鏡 絵梨乃(ia0191)
20歳・女・泰
各務原 義視(ia4917)
19歳・男・陰
柊 真樹(ia5023)
19歳・女・陰
珠々(ia5322)
10歳・女・シ
設楽 万理(ia5443)
22歳・女・弓
コルリス・フェネストラ(ia9657)
19歳・女・弓
観月 静馬(ia9754)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 鳥の鳴き声もしない静かな道に、琵琶の音が響く。穏やかな昼の空の下、本来なら行商人や旅人が行き交う街道で、歩くのは瑠佳(iz0046)一人だ。 その姿が、少し着膨れしているように見えるのは気のせいではない。着用している旅装束の下には、珠々(ia5322)から借りた忍び装束や、設楽 万理(ia5443)の持って来た甲羅の盾などが仕込まれている。 それらの装備を貸した開拓者は今、100メートル程離れた上で、瑠佳の前後を挟むように移動していた。アヤカシに気付かれないよう、囮である瑠佳から距離を開けて行動しなければならないのは確実な不利だったが、それでもいち早く瑠佳の護衛に駆けつけられるようにと、先行組と後方組に分かれての配置である。 その中で、先行組である柚月(ia0063)は、瑠佳の琵琶の音を聞き、ほうと息を吐いた。 「ステキな音色‥‥もっと落ち着いて聞きたいなぁ」 「そうですね‥‥」 ぽつりと呟いた柚月に、コルリス・フェネストラ(ia9657)が頷き、手にした弓を握る。その音色を失わない為にも、絶対に守り抜かねばならない。 古酒を飲み干した水鏡 絵梨乃(ia0191)は、静かに目を閉じてその時を待った。琵琶の音が辺りに響く中、各務原 義視(ia4917)が緊迫に目を細める。 そして、琵琶の音が途切れた。 道の横にある林から現れたのは、目撃情報のあったアヤカシだった。壊れた三味線を引き摺りやって来たアヤカシに、瑠佳はじりと後退る。その窪んだ目が探るように見て来るのに、瑠佳はパッと身体を翻してアヤカシに背を向けると、全力で走り出した。 それと同時に、後方から追随していた珠々が、素早く駆け出す。早駆を三回ほど繰り返し、あっと言う間に瑠佳とアヤカシに近付いた。 三味線を引き摺ったアヤカシは、その長い腕を瑠佳の背中へと引っ掛ける。爪が旅装束を斬り裂くが、その下に入れていた甲羅の盾がそれを防ぎ、代わりにクッションとなっていたとらのぬいぐるみが地面に落ちた。 「瑠佳さんっ!」 旅装束が斬り裂かれたことでバランスを崩して倒れる瑠佳と、アヤカシの間に珠々が滑り込む。ギリギリで立ち塞がった珠々の肩に、アヤカシの爪が突き立った。 「‥‥っ!」 深く抉られる前に、珠々が珠刀を使ってアヤカシの爪を弾き飛ばす。それでもなお攻撃を続けようとアヤカシが腕を振り被るのに、前方から矢が飛んで来た。狙眼を使用した万理の矢はアヤカシに避けられこそしたものの、瑠佳から距離を取らせる事に成功する。 「思ったより素早いわね‥‥」 「怪我はない!?」 「だ、大丈夫です‥‥」 その間に遅れてやって来た柚月が、瑠佳を背に庇った。瑠佳の無事を確認した柚月が、神楽舞・攻を舞い始め、珠刀を構えた珠々が二人の護衛に回る。 「はぁっ!」 「援護します。瑠佳さんと楽器の保護をお願いします!」 絵梨乃の空気撃がアヤカシを狙うが、アヤカシは素早い動きでそれを避け、よろよろと立ち上がった瑠佳に腕を伸ばした。それをさせじと、コルリスが矢でアヤカシの動きを阻害し、追い付いた柊 真樹(ia5023)が呪縛符を放つ。 「アヤカシに美しい音色が分かるとは思えないけど、楽師の恐怖に染まる感情が狙いとかなら、悪趣味にも程があるよ!」 地面から伸びた式がアヤカシの足を絡め取るが、その身体を縛ることは出来ず、アヤカシは意に介した様子も無く歩き出した。それに舌打ちした真樹が、もう一度呪縛符を放つと、その動きが鈍くなる。 「はっ!」 「野分!」 その隙を縫い、打剣を使った珠々の風魔手裏剣と、即射と影撃を合わせたコルリスの矢がアヤカシを狙った。手裏剣がアヤカシの腕に突き刺さり、矢が肩を射抜く。 「くらえっ!」 その攻撃に一瞬動きを止めた隙を狙い、観月 静馬(ia9754)が刀を振るう。瞬間、アヤカシが咄嗟に三味線を掲げ、その刀を防ごうとした。大した強度も無く、壊れかけていた三味線は真っ二つに割れたが、その隙にアヤカシが大きく飛び退り、矢を番えていたコルリスに腕を振るう。 「絵梨乃っ!」 コルリスが息を飲んだ瞬間、柚月の舞が絵梨乃の攻撃力を高めると、絵梨乃は泰練気法・壱を使った空気撃を、アヤカシの腰に叩き込んだ。コルリスに気を向けていたアヤカシはその衝撃に吹っ飛び、ざりざりと地面を擦りつつ倒れる。 「大丈夫?」 「有難う御座います!」 「瑠佳が危険を冒して囮をやってくれたのに、情けないことは出来ないわよ! 油断しないで!」 一撃を受けるのを覚悟していたコルリスは、助けてくれた絵梨乃に礼を言って、矢を番えた。叱咤する万里の声に、真剣な顔で頷く。 「急々如律令!」 各務原が、追い打ちとばかりに氷柱と斬撃符をアヤカシに放った。地面から突き出した氷柱にアヤカシの身体が宙へと浮き、その身体を式が斬り裂く。次いで、それを追いかけるようにコルリスと万里の即射がアヤカシの腕を射った。 「‥‥やったか?」 アヤカシの身体がぼとりと地面に落ちる。そのまま動かないアヤカシに、観月が刀を構えたまま、じりと近付いた。絵梨乃も構えを解かぬまま、少しずつ近づく。 直後、がばりと起き上がったアヤカシが素早い動きで観月と絵梨乃に接近し、腕を振り回した。観月は咄嗟に刀を盾にし、絵梨乃は酔拳で身体を反って避けたが、遠心力のかかった一撃は重く、攻撃を受けた観月の身体は吹き飛び、地面に叩き付けられる。同時に、避けたはずの絵梨乃も、その衝撃に体勢を崩した。 「くっ‥‥!」 「静馬さん!」 「‥‥っ、くそっ! お前も楽師だったんじゃないのか!? これ以上、お前の音を貶めることはやめろ!」 真樹の声に痺れる身体を叱咤し、観月が叫びながら立ち上がる。よろけながらも何とか体勢を整え、反撃しようとした絵梨乃に、アヤカシが爪を振り下ろした。半端な体勢だった絵梨乃は、その攻撃を避けることが出来ず、弾き飛ばされる。アヤカシは、観月の言葉にちらりと振り返るも、逃亡を選ぶように林の方へと駆け出した。 「待ちなさい!」 逃げるアヤカシの足を狙い、万理が即射を放った。鷲の目を使用した万里の矢はアヤカシの右足に突き立ち、バランスを崩す。 「うおおおおっ!」 観月が咆哮を上げながら、アヤカシに突っ込んだ。その声にアヤカシは振り向くも、横薙ぎにされた観月の刀を高く飛んで避け、再び瑠佳を狙い始める。 「瑠佳さん、下がって!」 珠刀を構えた珠々が瑠佳を守る為にアヤカシの前に立ち塞がった。慌てて下がる瑠佳を背後に感じつつ、珠々が次々に繰り出されるアヤカシの爪を珠刀で防ぐ。振るわれた右手は、珠々の風魔手裏剣や万里たちに傷付けられてボロボロだった為か、それほど威力はなかったが、まだ無傷の左手の攻撃力は強く、珠々は痛む肩に歯を食いしばりながら珠刀を握った。 「この、離れろ!」 押され気味の珠々に気付き、柚月がアヤカシに向かって力の歪みを放った。それはアヤカシの傷ついた腕を歪ませ、ぶつりと切り離す。 身体の一部を失くし、よろりと傾くアヤカシに、万里とコルリスが矢を撃ち込んだ。アヤカシはそれを腕を振るって弾き、接近して来た絵梨乃に、遠心力を加えた爪の一撃を繰り出す。素早く威力のある攻撃だったが、絵梨乃はそれを身体を反った酔拳で、ギリギリの位置で避けると、そのままのバック転の勢いで、アヤカシの腕を蹴り上げた。アヤカシの爪が掠ったのか、絵梨乃の頬に赤く傷が入る。 「急々如律令! 斬撃符!」 残った片腕を高く蹴り上げられ、バランスを崩したアヤカシに、各務原の呪縛符と斬撃符が襲いかかる。 「これでも食らえっ!」 各務原に続いて、真樹も斬撃符を放つ。動きを縛られ、二人分の式によるカマイタチによって身体を斬り裂かれたアヤカシが、初めて悲鳴のような声を上げた。 悲痛な悲鳴を上げたアヤカシは、珠々の背後に隠れ、ぎゅっと琵琶を抱き締める瑠佳を見る。もはや眼球はない、窪んだ穴だけのそれが瑠佳を、琵琶を見る目は、どこか悲しげだった。 「はあああっ!」 絵梨乃が渾身の力を持ってアヤカシの身体を蹴り飛ばす。そこに、刀を振り被って力を溜めていた観月が声を上げた。 「これで終わりだ!」 アヤカシに向かって、思いっきり刀を振り下ろす。観月の放った地断撃は大地を割くようにアヤカシに向かい、その身体を両断した。 最後まで手放さなかった三味線の柄が、アヤカシの手から滑り落ちる。弾き飛ばされた空中で、アヤカシが瘴気に変わっていくのを、瑠佳は悲しげに見守っていた。 「ぬいぐるみ‥‥すみませんでした」 「ううん、いいの。きみの盾になれて良かった」 瑠佳の背中から落ちた後、拾うことも出来ずに戦闘の中心に落ちていたせいで、ボロボロの布切れとなってしまったとらのぬいぐるみに、真樹は首を振って笑う。申し訳なさそうにしている瑠佳に「気にしないで。もふらさまのぬいぐるみもあるし」と答えると、瑠佳はようやく微笑んだ。 「有難う御座います」 「少し傷が残るかも」 「いえ、充分です」 爪を突き立てられた肩を柚月の神風恩寵で治癒してもらった珠々は、礼を言って立ちあがった。同じく怪我を負っているだろう、アヤカシに接近していた絵梨乃と観月に声をかける。 「お二人は大丈夫ですか?」 「うん、大丈夫。かすり傷程度だから」 「俺は打撲って感じだが、まあ、大丈夫だ」 ひらひらと腕を振って平気をアピールする絵梨乃に、観月が肩を軽く撫でながら答えた。 「ねえ‥‥あれ‥‥」 万里が指差した地面を見ると、そこには両断された三味線が転がっていた。各務原が近づいて、三味線を見聞する。 「‥‥壊れてはいますが、普通の三味線ですね‥‥」 「他に何かが落ちているという様子はありません。アヤカシが奪ったものは、この三味線だけのようですね」 淡々と珠々が答えるのに、真樹が瑠佳を振り返る。 「ねえ、この三味線にさ、お祓いする感じで鎮魂の曲とか、聞かせてあげられないかな。アヤカシが持ってたって言っても、楽器に罪はないんだし」 「そうだね‥‥僕も、亡くなった人に弔いの笛を吹きたいな。いないヒトの為に吹く笛は、結局のところ自己満足なんだろーケドさ」 「良いんじゃないか?」 「‥‥そうですね」 真樹の言葉に、柚月が笛を取り出すと、観月と各務原も同意するように頷いた。万理とコルリス、珠々も異論は無いようで、各務原は両断された三味線を元の形のように揃えて置いた。 瑠佳が頷いて、三味線の前に座り込むと、琵琶を奏で始める。静かで、そして少し悲しげな音色に、柚月の笛が混ざった。 「‥‥あのアヤカシは、演者に恨みがあったのでしょうか。それとも、最初に喰われた人が演者だったのでしょうか‥‥」 ぽつりと呟いた珠々の言葉が、開拓者たちの耳に滲む。それはもはや誰にも知る術のないことであったが、後者であったならば、とても悲しいことだと皆が感じた。 自然と、コルリスが指を組み、死者へ祈りを捧げ始める。それを横目に見て、万里は空を仰いだ。 「‥‥綺麗な空ね‥‥」 白く薄い雲が青い空をゆっくりと進む中、瑠佳の琵琶と柚月の笛の音は、夕暮れが始まるまで続いた。 |