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■オープニング本文 弓弦童子が消滅したとはいえ、瘴気渦巻く魔の森がなくなった訳ではない。 焼き討ちの為に動ける者は限られており、資材の切り出しや運搬には少なからず一般の木こりや兵士達も動かざる終えない。各地からの有志も少なくなく、少しでも力になれればと危険を承知で手伝っている者も多い。だが、そんな中で事件は起きた。 魔の森からは離れていた筈の山岳部の仮拠点。 そこでは何名かの見張りを立てて、野営を張り急ピッチで拠点建設用の木を切り出しており、作業はいつも夕方まで。日が暮れ始めると夕食を作っては皆で食を共にし、明日の作業の無事を願う。 焚き火を囲んで、鍋を突いていた時の事だ。 かさりっ 近くの茂みが音を立てた。それに気付いて二人の見張りがそちらを確認に向かう。 するとそこには一匹の鹿――どこから迷い込んだのか、痩せ細っている。 そんな鹿を見兼ねて、一人の青年木こりが近付いて、手にしていたコップを差し出す。 「おまえさんの食べれるものはここにはないが、水くらいなら分けてやれる」 彼の優しさ…生来動物好きらしい。怯える様子で近付いてきたその鹿の首を軽く撫でれば、鹿も顔をコップに近付け、ゆっくりと舌を伸ばす。微笑ましい光景になる筈だった。だが、それが一瞬にして戦慄へと変わる。 見えた口元には本来ある筈のない獰猛な牙が見え、気付いた時には彼らは他の鹿に囲まれている。 そして次の瞬間、 「くッ、ガッアァァ!!」 腕を襲った突き抜けるような痛み――コップを差し出した青年は苦悶の表情を浮かべて…。 その後には飛び掛ってくる鹿の群れ。草食系である鹿であっても圧し掛かられては堪らない。 「道具小屋へ! あそこへ逃げるぞ!!」 油断していた。見張りは思う。けれど、そんな事を今振り返っている場合ではない。 手にしていた槍を振り回し、必死で仲間に飛び来る鹿を振り払う。 噛まれた青年の腕からは痛々しいほどの血が流れ、他の木こり達も全身に傷を負っている。 小屋に逃げ込めたのは奇跡に近かった。数はきっと二十は超えていたに違いない。 中に入って人数を数えたら二名足りない。外からは肉が引きちぎられるような音がし、思わず皆耳を塞ぐ。だが、それだけでは終わらなかった。 ドッ ドッ 二人では足らないのか、鹿達はあっさりと食事を済ませると血の匂いを嗅ぎつけて、小屋に体当たりを仕掛け始める。 いつまでもつか……簡易的に作られた小屋は思いの外脆い。交代の時間はまだ先だった。 そして、日が開け…ようやく落ち着いたと思われた頃、見張りの交代要員がやってくる。 そう何も知らずに…小屋を取り囲む鹿の群れと転がる死体に唖然とする彼ら。 呑気に話などしていたものだから鹿が気付かない筈が無い。ぎろりとした目付きで、標的を馬に乗ってきた見張りに変えて駆けてゆく。 「うわぁぁ!!」 その悲鳴を聞いて困惑する小屋の中。 (「お願いだ。逃げ切って…誰か助けを」) 小屋の隙間からその様子を覗いて、見張りの一人はそう願うしかなかった。 |
■参加者一覧
雲母(ia6295)
20歳・女・陰
笹倉 靖(ib6125)
23歳・男・巫
椿鬼 蜜鈴(ib6311)
21歳・女・魔
サミラ=マクトゥーム(ib6837)
20歳・女・砂
ケイウス=アルカーム(ib7387)
23歳・男・吟
影雪 冬史朗(ib7739)
19歳・男・志
来須(ib8912)
14歳・男・弓
正木 雪茂(ib9495)
19歳・女・サ |
■リプレイ本文 ●鹿 ザッザッザッ 思いの他険しい道のりを一行は進む。切り出し作業現場とはいえ、作業員達の苦労が忍ばれる。そんな中での思わぬ襲撃に彼らは恐怖した事だろう。本依頼に対して開拓者が選んだ作戦…それは単純明快なものだった。 「まずは小屋から引き剥がす。それが先決だろう」 煙管の煙を燻らせながら雲母(ia6295)が言う。 「しかし、数がわからん。全体数がその囮にかかってくれるだろうか?」 今回が初依頼と言う事もあって慎重に事を運びたい正木雪茂(ib9495)が意見する。 「そんなもん、音でも何でも気を惹けばいい。相手は一応獣だろう?」 目撃者の話によれば自分達を見つけると同時に襲い掛かってきたという。ならば、その作戦は有効に思える。 「なあに、いざとなれば私の血をくれてやるよ」 表情には余り出さないが、山姥包丁を手にしている雲母は本気らしい。 「しかし、この作戦をするならば全体把握が重要。誰か適任者は…」 小屋の警戒に新手への注意、そして敵の把握等。一所に固執しては逆に危険となってしまう。 「それ、サミラでいいんじゃない? 砂迅騎だし、確か戦陣持ってたよね?」 どうやら知り合いらしい笹倉靖(ib6125)がサミラ=マクトゥーム(ib6837)を見つめて問う。 「え…私!? 一応持ってるけど…いいのかなぁ?」 実力で考えれば椿鬼蜜鈴(ib6311)や雲母が適任――彼女に動揺が走る。 「わらわは別に構わんよ。靖が言うのじゃしのう」 「異論ない」 蜜鈴に続いて皆が頷き、どうやらこれで決定のようだ。 「わ、わかりました。頑張ります…ところで、さ。一つ聞いていい?」 ぺこりと一礼した後に彼女が徐に尋ねる。 「何?」 「あ〜…鹿って、何?」 ずこぉ その言葉に一部大きくすっ転んだ。 「おまえ知らねーの! 狩猟対象の動物だよ」 呆れ顔の来須(ib8912)だったが、これは仕方ない。 サミラはアル=カマル出身であり、『鹿』というものを見たことがないのだ。 「ん? 鹿ってーのは頭に角があって、馬のように蹄のある動物さね。気ぃつけるんだよ」 そこで靖が簡単に説明し、注意を促す。 「はぁ、鹿なんてその辺ゴロゴロいそうだろ…敵だとめんどくせえな」 「そうだねぇ、狩猟されるほうが狩猟するとは…おちおち遊びにもでかけられん」 それに加えて来須と雲母の呟き――その話に思わず身を硬くする者がいる。 (「角と蹄のある人を襲う動物…!? なんてことだ…しかもゴロゴロいるだって…狩られる側の反乱なのかっ!」) それはケイウス=アルカーム(ib7387)だった。彼も今回が鹿初見である。 「まぁ、気にしなさんな。大丈夫だから」 それに気付いて親友である靖が声をかけたが、どうにも緊張を隠せない。 「さてそれでは怪我人も居る様じゃて、早う助けてやらねばのう」 「それは勿論の事! 初依頼とはいえ、我が父の武名を汚すわけにはいかん。正木雪茂が槍捌き、あの世の語り草にとくと見よ!」 余裕の蜜鈴に意気込む雪茂――これがほんの一時間前の出来事。 「ちょっと待て。今何か聞こえた」 目的地へ向かう途中でケイウスの聴覚が何かを捉える。 研ぎ澄まされた意識から流れ込んでくるのは山の僅かなざわめきと小川のせせらぎ――。 しかし、それに混じって彼らとは違う足音が後方から忍び寄る。 「右後ろ辺りかな…もうすぐ来るよ」 「それは鹿?」 そう尋ねたが、彼には断定のしようがない。 「こっちから来るという事はもしかして小屋の方は今手薄か?」 「さぁな」 声を潜めてごくりと唾を飲む。それと同時に肉眼でそれを捕らえる事ができる。 「アレが鹿!!」 サミラから思わず声が上がった。 初見でなくとも驚くだろう。それは一般的に皆が知り得る鹿の姿ではない。体長こそ普通のそれと同じだが、足は強靭なほど筋肉質で角は鮮血で染まっている。そして、目撃者の証言通りの頑丈な牙――獅子を思わせるその牙は肉食動物が持つそれに類似している。 「ほう」 数は三頭――大した数ではないと雲母が前に出る。 ザザッ しかし、その直後再び耳に響く乱れた音。 「いけない! 囮だ!!」 ケイウスの言葉に振り向いて彼女は冷静に空気撃。 だが、別方向から急速に迫る鹿にサミラが戸惑う。 (「どうしよう!」) 突然の出来事に対応出来ずして何が指揮官かと――。折角選んで貰ったのに、これではただの飾りに過ぎない。各々が勝手に動き始める。そこで手を差し伸べたのはケイウスだった。 「まぁ落ち着いて。気負い過ぎだ」 ぽろろんと竪琴を鳴らして、彼は笑って見せる。 「そうじゃ。別におんしに期待していない訳ではないんだからのう」 そこでにやりと笑って蜜鈴は前方にアゾットを翳して、発生させたのはブリザーストーム。周囲が木と言う事もあって、飛ばされた鹿は激しく木に打ち付けられる。その後には、前衛が止めを刺して…残ったのは鹿の遺体のみ。新手の方も思ったより数は多くなかったらしい。 「ね、皆を信じて…一人じゃないから」 ふぅと息を吐き出す彼に頷く彼女。少し動揺した自分が恥ずかしい。次はちゃんとしなくてはと拳を握り、そして今出来る事をと動き出す。 「あの、どう…それ?」 残った鹿の遺体――と言う事はつまりこれはアヤカシではないらしい。 「宝珠らしいものは見当たらんね…てことはケモノか、あるいは」 「瘴気…じゃろうか?」 止めを刺している折に一瞬吹き出た黒い霧を見ていた蜜鈴が言う。 「まあ、なんであろうとさっさと終わらせようぜ。小屋の連中が心配だ」 「そうですね、急ぎましょう」 調査が目的ではない。今は先にやる事がある。 ●小屋 「見えた、あれが問題の小屋です! 雲母さん、雪茂さんお願いします」 「あい、わかった!」 「それじゃあ、いこうかい」 サミラの声に合わせてまずは前衛の二人が斜面をある程度駆け下りる。 立地を最大限に生かすように…できるだけ高い位置を心掛け、優位な体制を維持する事は忘れない。 「獰猛なる鹿とは面妖な……成敗してくれん!」 山中に響くかと思われるほどの大声を張り上げて、雪茂が挑発する。 「そうだよ…お前達が好きな血はこっちだよ」 そう言って雲母はあろう事か自分の右腕を山姥包丁で切りつけた。すると一筋の朱が彼女の腕を伝い流れ落ちてゆく。それに鹿は反応した。耳と鼻を軽く揺らして、外見上は至って普通の鹿と変わらない。けれど、振り向いたその瞳は血のような赤に染まっている。 「さぁ、きなっ!」 その掛け声に合わせて何頭かが跳躍する。その距離は尋常ではない。だが、ネタはさっきの襲撃でばれている。雲母はうまく木を利用し、寸での所で避け鹿が木に衝突するよう仕向ける。雪茂に至っては出来るだけ小屋から離れて、被害のない場所を考慮し地断撃。ひび割れ効果で足止めを狙っている様だ。だが、 (「まだ…まだ駄目だ…」) サミラは思う。動いた鹿の約三分の一…残りのものは執拗に小屋を壊しにかかっている。 「そんなにそっちがいいのかよ…なんかあるのか」 とこれは来須の言葉。 「恐らく判るんだな。さっきの連携といい、少し知恵があるのか…」 納得している場合ではないのだが、呟かれた言葉に耳を傾ける。 「しかし不味いな…あっちは相当ガタがきている」 悠長にもしていられない。遠目からも判る小屋の損傷…このままあちらを攻撃されれば、中の人が危ない。ケイウスが聴覚を集中させて中を確認すると、まだ中から人の息使いを感じ取れるという。 「もう少し引き剥がせたらええんじゃがのう…わらわの吹雪ではあの小屋も危ういかもしれん」 「俺の白霊弾もちょっとやばいかも」 同小隊であり悪友とあって、二人の息が自然と合う。 「だったら、ケイのあれをお願い?」 それはこの二人も同じだった。同郷でそれなりに付き合いが長いとあって最後まで言わずともアイコンタクトで事足りる。すちゃっと竪琴を構えて、奏でるのは夜の子守唄。けれど、相手も黙ってはいなかった。本能でそれが自分に災いをもたらすものだと判断したのか、残っていたうちの半分が彼らの元に押し寄せる。 「ここは私が守る! だから、まずはあちらを」 「あいっ! いくよ、靖」 「はいはい〜」 第二の囮となった三人を置いて、蜜鈴と靖は小屋へ。まずは小屋が優先だ。 (「父さんは正しかった…今ならわかる。私は本当に馬鹿だった」) 戦陣の大切さ…こっちには仲間が居ないから必要ないと思い自分ばかり鍛えていたサミラだったが、今ここには新しい仲間が存在する。そんな彼らから教わって、彼女は戦陣を覚えたのだ。 (「この力で…全力で、皆の役に立てなきゃー」) 砂迅騎が有する戦陣とは、一時的な指揮官として的確な攻撃や連携を指示し、仲間の戦闘力を底上げするというものだ。全体の動きに眼を配り、隙が出来ないよう彼女も短銃で応戦する。 その横では来須の懸命な露払いが続いていた。地形に気をつけながら長弓を使い、目まぐるしいスピードで矢を放っていく。こちらと靖達の援護を同時に、なかなか出来るものではない。けれど、それのどれもが狙いは正確で…後の動きも考えて狙いは足にしぼっている様だ。 「負けてられない!」 そしてそれらに感化されて、一層力を込めたのはケイウスだった。自分は吟遊詩人で、敵と直接やりあう事は少ない。だから、守られてしまう事は多いが、そんな中でも支援する事は出来る。子守唄から剣舞の舞へ。曲調は激しく変わり、囮班のみならず、小屋の者達にも恐怖に打ち勝つ勇気を与えんと力を送る。その場で開拓者らの力が一丸となり、一層勢いを増していた。 ●石の壁 ゴゴゴゴゴーー 数が減った隙に小屋へと到達した蜜鈴は躊躇することなく、ストーンウォールを展開する。それも小屋を取り囲む形で出現させれば、鉄壁とはいかないまでも多少の防御は強化されるというものだ。 「もう少し待ってて下さいねー、俺らがどうにかしますんでー」 そう言ったのはついて回っていた靖だ。隙間から声をかけると、中から安堵の声が漏れ聞こえる。 「それは有り難い…だが、早くしてくれ! 一人もう意識が無い…止血はしたんだが、血を流し過ぎたみたいだ!」 「了解!」 事件発生からかなり時間は経っている。一分一秒が命取りとなる。 「待たせたのう、おんし等…か弱きものなぞ我らを食ろうてからで良かろうて。わらわが遊んでやろうて。さぁ、おいで?」 「蜜飴ぃ、挑発し過ぎー」 余裕の微笑みに苦笑を浮かべて、靖は彼女の後方へ。残りの鹿を引き剥がしにかかる。 「はん、残念だが貴様らの出番はないと思え」 するとそこへ雲母と雪茂も現れて……どうやらかかっていた鹿を仕留め尽くしたらしい。 そこで初めて鹿達は己の数の多大な減少を理解した。斜面には同族の屍が並び、今残っているのは僅か数える程だ。 しかし、たじろぐ事はせず闘争本能をむき出しに彼らに立ち向かう。 「その意気はよし。だが相手を間違えたようじゃのう」 「自然の摂理に逆らうのか」 後は一瞬だった。 蜜鈴と雲母が手を下すより先にサミラの銃が唸りを揚げ、靖の白霊弾と雪茂の横薙ぎが残りの鹿を捕らえている。傷付いた鹿からはぼわっと黒い霧が立ち上り霧散し、姿は元の鹿のモノへと戻ってゆく。流れたのは大量の鮮血…鹿のものが地面を朱に染めている。 「案外呆気なかったのう」 出会い頭こそ動揺したとはいえ、所詮はアヤカシの成り損ないのようだった。瘴気が鹿を犯し、狂わせてしまったのだろう。 「魔の森の勢力が少しは衰えたとはいえ、流れた瘴気に当てられたか? それとも山を逃げているうちに魔の森にでも迷い込んだか?」 詳しい事情は判らない。しかし、これだけの多くの鹿がこうなったのには住む場所を失くしたという事実がどこかしら関わっている様に思える。 「小屋は任せる。私はそこらを確認してこよう」 腕から血を流したままの雲母が皆に言う。 「それは駄目です。利き腕じゃないとはいえ傷は傷。手当てしないと」 持参していた止血剤を手にサミラが彼女に駆け寄る。 「ちっ」 「じゃあ私が行こう」 変わりに傷の少ない雪茂が残党がいないか調べに向かって――後は小屋の中だ。 ストーンウォールを解除し、中に入るとそこに居たのは十数名の木こりと警備兵。皆、食事もできず恐怖に耐えていたようでげっそりとしている。 「おんし等はよう頑張ったな」 「もう大丈夫ですから」 声を掛け合って一路早々と下山。幸い残党は残っていないようだった。 念の為、この後別働で調査が行われたようだが、瘴気の反応はなかったらしい。 「よく無事であった…」 大役を終えたとばかりに雪茂が言う。 「だいぶ弱ってはいましたが、なんとか持ちこたえてくれましたから」 小屋内での止血の処置が早かったらしい。意識不明の青年も命を取り留めたようだ。 それの報告を聞きに集まっていたメンバーにも笑みが零れる。 「いやーしかし、本当に鹿って凶暴なんだねぇ」 今回の事でしみじみ思ったらしいケイウスがぽつりと呟く。 「おい、おまえあれは鹿とは似て非なるものだぞ」 「そうそう、あれを鹿と認識するのは間違いだって」 その言葉を雪茂と来須が正す。 「あ、じゃあ今度鹿煎餅持って鹿見に行くかー」 そこで靖がケイウスとサミラに提案した。 「あはは、それもいいかも、ね」 「え、鹿せんべい? 鹿入り煎餅…?」 またもや聞きなれぬ言葉に苦笑するサミラと真剣に問うケイウス…どこまでも仲のいい三人である。 「ふふ、まぁ鹿ってのはちゃんと血抜きすればうまいと言うがね」 その後ろでどこか含みのある笑みを浮かべて雲母が呟いている。 「ほんにおんしは…」 そんな彼女の言葉を聞いてくすりと笑う蜜鈴。煙管愛好家同士、どこか通じるところがあるようだ。 大戦は終わってもそれで全てが終わる訳ではない。 変わってしまったものから起こる弊害――今回の事件はそういうものだったに違いない。 |