年越し蕎麦はお好みで
マスター名:奈華 綾里
シナリオ形態: イベント
EX
難易度: 易しい
参加人数: 18人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/01/08 00:01



■オープニング本文

 今年も残すところ、後数日――。
 騒がしい事になっているようだが、それでも…いや、それだからこそ庶民は少しの安らぎを大切にしたいと思う。

「ここは一つ楽しくいこうじゃないか!」

 年末の恒例行事と言うほどではないが、一般家庭では大晦日に年越し蕎麦を食べる事が多い。それは、蕎麦は長く伸びる為延命長寿の意味が込められていたり、歯切れがいい事から旧年の苦労や災厄とはきれいさっぱり切り捨てようと言う意味まで様々。
 けれど、そんな事でさえ願えば叶うのではないかと思うのが人というものである。
 そこで今年の年末企画は大安売りのその後に、もう一つ大きな企画を打ち出そうと考えていた。
 それは都ぐるみで盛大に年越し蕎麦を振舞おうというものだ。しかも、無料でという心意気。そうなれば、人手も材料も全然足らず、仕入れにもかなり金が掛かり赤字は覚悟しなければならない。たが、男はそれでもいいと思う。

「このご時勢だからこそ、やらねばならぬ!」

 そう言い切った男に賛同して、手助けしてくれる商人や市民は多かった。

「いいぜ! うちも協力しよう…存分に調理場使ってやってくれ」

 料理屋を営む主人はそう言う。

「蕎麦打ちの場所がたらぬなら、我が屋敷の道場を使うといい」

 そう言ってくれたのはいつも寡黙な剣道場の師範代。

「それはいいや! よぉし、俺も一枚かましてくれ!」

 八百屋の主人は威勢よくそう答えて、早速野菜の手配に動いてくれる。
 そんな皆の気持ちを無駄にはしたく無い。

「そういう訳で忙しい時なのはわかってるんですが、人手を貸して頂きたい」

 そこで男はギルドに協力を求めて、依頼書を提出する。正直言って、今ギルドは北面の対応で忙しい。一人でも多くの開拓者の力を欲している。けれど、彼らにも休息や息の抜ける場所は必要だ。

「わかりました。そのご依頼お受けしましょう」

 窓口は考えた末、その依頼を了承した。
 年末のたった二日間、盛大に行うというその催しに――まるで願いを託すように。
 ある話では、年越し蕎麦を世直し蕎麦というところがあるらしい。
 何でも寺が年を越せない者達に蕎麦餅を振舞ったら、次の年皆に運がついたからだと言う。
 ならば、彼らにもその『運』が付く事を祈って――。

「沢山集まればいいな」

 窓口がぽつりと呟いた。


■参加者一覧
/ 羅喉丸(ia0347) / 紗耶香・ソーヴィニオン(ia0454) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 菊池 志郎(ia5584) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / 村雨 紫狼(ia9073) / アリアス・サーレク(ib0270) / 玄間 北斗(ib0342) / 无(ib1198) / 蓮 神音(ib2662) / 蓮 蒼馬(ib5707) / にとろ(ib7839) / 赤塚 豪(ib8050) / 青山 小雪(ib8199) / 那遮(ib8516) / 子音(ib8519) / アーニャ(ib8522


■リプレイ本文

●集う気持ちは
 たった二日間の開催といえど、裏方は想像以上に大変なものである。
 一日目は昼を過ぎてから、二日目は除夜の鐘が鳴る間際まで開催するというこの催し。
 依頼書には詳しく書かれていなかったが、急遽人数も準備も間に合っていないと一報を受けて、参加を希望した開拓者らには前日にも連絡が飛び召集がかけられる。

「申し訳ないがよろしくお願いします」

 そして、集まった皆に改めてお願いする主催者。
 出せる賃金は少ないのに、それ以上の労力をお願いする事になる。自分達でやり切れると思っていた考えの甘さに作った拳に力が篭っている。

「そんな気にする事ありませんよ。無料で人々に年越し蕎麦を振舞うなんて、なかなかできることではありません。俺も些細ながらお手伝い、させて頂きます」
「剛毅な事だ。しかし、そこが気に入った…喜んで手を貸そう、何でも言ってくれ」
 
 けれど彼の心配を余所に開拓者達の言葉は穏やかだ。
 巫女の菊池志郎(ia5584)と泰拳士の羅喉丸(ia0347)が彼に声をかける。

「俺もたいしたことは出来ないけれど、良い年が越せるよう協力させてもらう。だから、頭を上げてくれ」

 するともう一人――洋装眼鏡の砂迅騎アリアス・サーレク(ib0270)もやって来て彼を励ます。

「有難う御座います」

 それに顔を上げて…男ははっとする。目の前にいる誰もが彼を責めてはいないのだ。

「さて、自分は何をお手伝いすればよいのでしょうか? ご指示頂けますか?」
「はっ、はい。わかりました」

 志士の和奏(ia8807)の言葉に男は快活に答えて、皆を見回す。

「それではご希望の役職事に指示いたしますので、よろしくお願いします!!」
『おー!』

 それが始まり――。


 さて、そこでまず始めるべきは勿論蕎麦の生産である。
 どの位の人間が集まるかは判らないが、タダとあっては一人一杯は最低見越しておいた方が良い。すると、膨大な量の蕎麦が必要となってくる。協力者達の倉庫や道場には材料が集められ、既に何名かの職人達が蕎麦打ちにかかっている。

「蕎麦ならあたしに任せて下さい。過去にお蕎麦を粉から作ったこともありますし、今でもお店の方でお蕎麦を出していますから」

 そこで名乗りを上げたのは、店を持つ泰拳士の紗耶香・ソーヴィニオン(ia0454)だった。
 近くにあった蕎麦打ち用のこね鉢を引き寄せ、分量を軽量しそば粉を振るいにかける。

「お、姉ちゃん。わかってるねぇ〜」

 その様子に近くにいた職人が手を動かしたまま感心した。

「ただ振るいにかける事がそれほど重要なのか?」

 その言葉にサムライの村雨紫狼(ia9073)がいつになく真面目に問う。
 依頼で女装回数が二桁を越えたり、幼女にはぁはぁしたり、セクハラしまくったりした彼であるが、今年最後位は真面目にいこうと気を引き締めたようだ。

「あんちゃんは初心者かい? 蕎麦ってのは初めが肝心なんだ。始めの五秒…それで全てが決まる」
「へぇ…それは凄いな」

 連れられてきたアリアスもそれを興味深げに聞いている。

「そうですよ〜! 水をいかに蕎麦粉に満遍なく行き渡らせるかが勝負の鍵、味の決め手ですね」

 言うが早いか、紗耶香はすでにその作業に入っていた。
 振るいにかけた蕎麦粉を満遍なく鉢の中で整えて、水を流し込むと周りの粉を水の方にかけてゆく。そこからが問題の水回し――手を開いて手早く鉢の中に行き渡らせるよう動かし、水分を粉同士をぶつからせる事で行き渡らせてゆく。
 すると見る見るうちに粉は粒へと変わり、更に鉢を磨くようにすれば粉はこね鉢には残らずさらさらで。二回目の加水を加えて何度かそれを繰り返すがスピード勝負。次第に生地は纏まり、色が濃くなると重さを帯びてきているようだ。

「ほう。なかなかのお手並みで」

 それを傍観していた弓術士のからす(ia6525)が呟く。

「所で、掛け蕎麦とざる蕎麦のどちらにするんですかね?」

 ふと、思い出した疑問を投げかける紗耶香。それには他の職人が「どっちもだ」と答えたようだ。

「わかったか、あんちゃん。今の要領だ…初めは粉を握り締めちゃいけねぇ。玉になっちまうからな…まとめに入るまで力はいらねえから…俺の娘を見てみろ。あれでちゃんと打てるんだぜ」

 男の視線の先には十代半ばの少女が一生懸命蕎麦を捏ねている。

「キターーー、ここにも美少女キターーッ!!」

 その姿に紫狼の変態紳士センサーが振り切れた。着物で隠れてはいるが、まだ発達途上の膨らみは彼の想像を駆り立てる。

「勝つる…これは勝つるぜ! 夜通し作業でも俺は全くかまわねーー!」

 親の前だというのにぎらぎらした目付きで紫狼は今にも突撃しそうだ。

「全く世話が焼けるね」

 そこでからすが袖の下から何かを投げて、その後には淑女の悲鳴――。

「え、何…なんか下半身が…ってうえぇぇ!!」

 どこをどうやったのかはわからないが、彼の甚平の下が竹串によってずり下げられ、褌を露わになっている。

「変態変態変態〜〜!!」

 そばにいた巫女の礼野真夢紀(ia1144)が目を閉じ、我武者羅に拳を振るう。

「あわわ、まゆちゃん! そのくらいでやめとくのだぁ〜」

 それに気付いて同行していた友達のたれたぬ忍者ことシノビの玄間北斗(ib0342)が宥めに入って、いつしかてんやわんやの作業場になっている。

「俺は別にかまわねぇけどな〜〜」

 殴ってくれる相手が幼女とあって、痛みを喜びに変えてしまう彼なのだった。


●対なる者達
 一方、その頃雑用係は野外会場の設営に借り出されていた。
 協力してくれる店をお借りして各店舗で振舞うのも悪くないのだが、一大イベントとするならば野外で皆と食を共にする方が好ましい。けれど実際の所、椅子や机の準備が追いつかない。加えて、雨が降っていいようにテントの設置が開始されているのだが、柱を立てて回るのはなかなかの重労働だ。

「……浪士組の隊士になったんですって?」

 しろくまんとを羽織り、まっしろな井出達でシノビの青山小雪(ib8199)がたまたまペアになってしまった騎士の赤塚豪(ib8050)に問う。
 実はこの二人、浅からぬ因縁があるらしかった。
 小雪は元メイドでその主人を豪が誤って殺してしまったという。豪自身にそのつもりはなかった。ただ、力加減がどうも当時はうまくセーブできなかった。事故であるが、人一人が亡くなっている為言い訳は通用しない。

「そうや。罪を償うためにワイは浪士になったんや」

 運命の悪戯だったのか、意図的な巡り会わせか?
 ペアになってしまった二人が意識しつつも視線は合わせず作業する。

「どういうことよ、説明して」
「だから、アイツは『人を守りたい』言うとった。その夢を代わりに叶えてやる。それがワイにできる唯一の罪滅ぼしやと思うてな」
「そう…叶えてやるとはまたえらそうね」

 そういうつもりで言ったのではないのだが、揚げ足を取られ黙り込む豪。そんな彼に彼女が再び口を開く。

「けど、過去の罪には恩赦が与えられる。でもご主人様は帰ってこない…罪は忘れても小雪は許さないわ」

 縄で支える木を固定しながら、無表情で告げる。

「……わかっとるわ」

 それに豪はそう返すしかなかった。理由は如何あれ罪は消えない。それはちゃんとわかっている。

「次行くわよ。仕事はまだまだ沢山あるんだから」
「……あぁ、すまんな」
 ぼーとしていた所に声をかけられて、慌てて次の木を取りに走る。

「豪、ご主人様の夢……絶対に成し遂げてね」

 僅かに目を細めて、彼女はそう言葉を紡いでいた。



「ふむふむ、どれも興味深い話だ、なんてね」

 接客班の陰陽師・无(ib1198)が本を片手に呟く。
 彼は開拓者でありながらも図書館にも勤める司書調査員でもあり、本は言わば仕事道具の一つでもある。そんな中から『年越し蕎麦』に関する書物を持参し、そのページを捲って役に立つ情報はないかと読み耽っている。

「そこのあなたも手伝いに来たなら働くにゃんすー」

 それを見つけて、椅子を運んでいた寝ぼけ眼の猫獣人であり泰拳士のにとろ(ib7839)が声をかけた。

「これもちゃーんとした仕事の為のお勉強、なんだけど?」
「そうにゃんす? どうみても本読んでるだけだと思うにゃんすー」
「ふむ…まあ、そう見えるか。なら、仕方ない。多少は手伝おうか」

 さっと本を胸元に仕舞って、彼女の持つ椅子を引き受ける。

「? やっぱり遊んでたんじゃないかと思うにゃんす」
「はいはい。じゃあ今から働く。それでいいだろう?」
「お願いするでにゃんすー」

 おっとりとしたしゃべり方でそういうと、やっぱりゆっくりな動きで彼女は次の椅子を取りに戻る。

「あ…あそこでも」
「しぃー。あれに今口出しするのは野暮ってもんだ」

 にとろが見つめた先、泰拳士の二人が立ち止まり話し込んでいた。蓮蒼馬(ib5707)と石動神音(ib2662)だ。状況を察して羅喉丸が気を利かせて……聞耳を立ててみれば、どうやら神音の誕生日が近いらしい。

「何かほしいものはあるのか?」

 神音にとっては師匠であり義父でもある蒼馬が優しく問う。

「別に…神音はセンセーと居られるだけで幸せだよ」

 そう言って笑顔を返すが、心中では彼にそれ以上の――つまりは恋心を抱く彼女である。

「けれど、折角の誕生日だろう。好きなものを言っていいんだぞ?」

 しかし、蒼馬の想いは……恋人として向けるものではなく、どこか二人の間に切ない風が吹いている。

「だから、大丈夫だよ! さあさあ早く準備済ませちゃおー!」
「そうか。そうだな…」

 赤と青――師弟とあって、二人の作業は息が合っていた。


●てんてこ舞い

「掛け蕎麦、ざる蕎麦、けんちん蕎麦、とろろに鰊に天麩羅蕎麦。鴨南蛮も無料開放だ、食ってってー」

 朝の作業を早めに切り上げて、无が都中にチラシをばら撒き、宣伝もしていたおかげでなんとか間に合った会場には開始直後だというのに多くの人が集まっていた。

「あちらなら空いていると思いますよ」

 野外会場はセルフ式。簡易厨房の前から遥か先まで行列が出来ている。接客の志郎はお品書きを配りつつ、そんな彼らに席を指示しうまく人を誘導させてゆく。

「さすがに無料となると目の回るような忙しさですね…」

 そう呟いた直後、聞こえた声。慌ててそちらを振り向けば、そこには出来立ての蕎麦をお盆に乗せて転びかけるお客の姿。駆け寄ろうとした先には幸運にも戻って来たばかりの无がいて、

「気ぃつけてな。そのまま転んだら本当にぶっかけ蕎麦になっちまうぜ」

 にやりと笑い彼が言う。

「いや、確かに」

 その答えにどっと会場に笑いが起こった。
 ついでに彼が昨日調べていた知識もここで役に立つ事となる。

「ママー、アレなんて読むの?」

 会場に掲げられている蕎麦のメニューの『二八蕎麦』を指差して少女が言う。

「あぁ、あれわね。『にはちそば』って言うのよ」
「にはち…? にじゅうはちじゃなくて? なんでにはちなの?」

 子供の探究心――それは時として親を困らせるものである。

「それはな、嬢ちゃん。二×八=十六の十六文…つまりは値段を表してるからなんだ」

 それに透かさず笑顔で答える。

「じゃあ、十八文だったら二九蕎麦だね」
「そうだな。けどそれは紛らわしいこった」

 二九蕎麦と肉蕎麦、なかなか洒落ている…ような気もする。

「さて、次は外だな」

 无は少女に別れを告げると、盆を持って裏へと回った。

「頼んどいたのは出来てるかい?」
「はい、ここに」

 そこで返事をしたのは意外にも和奏だった。どこかご機嫌な様子で洗物をしながら、その横では焚き火に大きな鍋を据え大量の湯を沸かしている。

「追加の水はこれ位でよかったか?」

 そこへ豪も現れて、彼は水汲みを担当していたようだ。一般人では抱えられないだろうデカ鍋に並々と水を汲んで、二人の元へやってくる。

「待ってる人が風邪引いたら元も子もねえからな」
「そうですね。いい案だと思います」
「ワイも賛成や」

 鍋を壊さないよう力をセーブしつつ豪が言う。
 无の提案…それは蕎麦茶、蕎麦湯の配布だった。蕎麦湯の方には少しの生姜汁を加えて身体を温め、待ち時間も苦にはならない様にするつもりらしい。

「できましたのでお願いします」
「ああ、まかせな」

 気付けば手早く並べられた茶碗からは湯気が立ち、いい香りが広がっている。

「さてさてそれじゃあここで一つ」

 こほんと咳払いをして待ち人にそれを配りながら、再び口上。

「世の中にめでたいものはそばの種、花咲き実りかどがおさまる、なんてね。蕎麦の無料提供だ! さぁたべてってー!」

 寒空の下、无の声が高らかに響く。その一方では、

「よいお年を」

 送る志郎が丁寧にお辞儀をしていた。



 その頃、羅喉丸とにとろは荷台を引き都を奔走していた。
 それはなぜかと言うと、器が足りなくなってきたのだ。数件の協力を得てフル回転させてはいるが、それ以上に客の入りが速く追いつかない。

「そういう訳で少しお借りできないだろうか?」

 ゴミ出しついでに都にある店を回って、丼の提供をお願いする。

「そういう事なら使ってくんなっ」

 丼は勿論、湯飲みや盆を出来るだけ掻き集める。

「次はあの店でにゃんすー。後、手前の道場で蕎麦の補給も頼まれてるでにゃんす」
「ああ、承知した」

 荷台に乗って道を指示するにとろに羅喉丸が答える。

「蕎麦の補給に来た。出来た分を貰っていこう」

 そう言って入った道場ではあの変態紳士が新たな一面を開花させていた。

「どうよ! このキメ細やかな麺は! 俺天才じゃねー!!」

 昨日から夜通しの作業でテンションはMAXを当に越え目をぎらつかせているが、手にしている蕎麦は確かに綺麗に仕上がっている。

「何を言ってるんですか。私が水回しして生地を作ってるから当たり前です」

 するとその横では、昨日の職人の娘が頬を膨らまし喝を入れていたり。

「だから、俺と君がいれば超絶美味い蕎麦が打てるって事だろー! お父さん、娘さんを俺に下さい!!」

 何処まで本気なのかは知らないが、鉢の作業はともかくとして…加圧、つまりは板に上げてからの延ばしの作業のセンスはあるらしい。

「自惚れないで下さい! この方が断然うまいです!」
「えっ」

 突然引き合いに出されて、顔を上げたのはマイペースで蕎麦を打っていた北斗だ。

「おいら、そんな事ないのだぁ〜。多くの人が待ってるのだから、沢山蕎麦打ってそんな期待に応えようと思っているだけなのだぁ〜…ついでにまゆちゃんにも、その」

 最後の方はごにょごにょと誤魔化すような口調で言って、かなり照れているようだ。

「ん〜確かにあんちゃんの蕎麦とは違う深みがあるな」

 それにつられて職人も彼の蕎麦に手を伸ばして出来栄えを評価する。

「そうだと嬉しいのだぁ〜。もっともっと頑張るのだぁ〜!」

 言葉遣いこそ幼いが、実は二十歳を越えていたりする。――が、娘はそれに気付かない。

「よーし、わかった! おまえ俺とで勝負だ!」
「えぇっ??」

 びしぃと指差し指名された北斗を余所に、紫狼はやる気満々だ。

「止める者は調理場に行ってしまっては暴走あるのみか」

 それを横目に苦笑しながら、アリアスは淡々と真っ赤な生地を仕上げていた。こちらは、水回しのセンスもあったようで一から十まで一人でこなしている。

   くんくん

 その生地を珍しげに見つめてにとろ。

「それは?」

 羅喉丸も興味を持ったようで彼に問う。

「これは唐辛子切りだ。見た目は赤いが、それほど辛くはないぞ……後、温まるし」

 温和な笑顔を浮かべて、出来上がっていた変わり蕎麦を木箱に置き渡す。

「そうか。なら接客の方にも伝えておく。…今日は夜販売のみだから人気が出るかもしれん」
「そう願ってるよ」
「それだったら私のも変わり蕎麦かもしれないにゃんすー」
「ほう、聞こうか」

 二人が彼女に視線を向ける。

「じゃあ、休憩時間にお持ちするでにゃんすー。で試食会にゃんすー」
『ああ、わかった』

 安易な同意――それが一体どんなものであるか、二人はまだ知らない。


   くしゅんっ

 場所は戻って会場の厨房にて――調理場に立つからすを小さなくしゃみが襲っていた。

「また、紫狼殿かな?」

 湯気立ち込める鍋を前にして出汁を取り麺汁の調理に勤しんでいる彼女にとって、このくしゃみ――噂のなにものでもないと推測したようだ。けれど、そんな事を気にする余裕もなく、あっという間に作った汁は湯水の如く消えてゆく。

「からすさん、次はこちらにお願いします」

 彼女特製の汁はどの蕎麦にも合う様で温かいものには基本使用されている。

「蕎麦、あがりました。とろろでお願いします」

 その両サイドでは紗耶香が蕎麦茹での作業を一括で、真夢紀はトッピングを受け持っている。
 つまり紗耶香が蕎麦を入れ、汁をからすが、トッピングは真夢紀という訳だ。
 先程までは天麩羅は紗耶香が揚げていたのだが、油の入れ替えで一時的に場所を移動したらしい。からすも仕込みの段階で鴨南蛮のレシピを保有していた為、そっちに掛かりっきりだった様だが、今はこちらと、一人何役もこなしている。

「とろろお待たせしました」

 そして、その先には大量に頼んだお客の為に同行してきていた紗耶香のもふらが待機している。

「全種お願いする」
「もっふー!」

 そこへ大口注文が入り、彼の出番が到来した。


●料理通来たる

   ざわざわっ

 その注文を前に一瞬会場がどよめいた。普通の体格でどこか得体の知れない男――。
 まだ若いその男に紗耶香とからすは見覚えがある。

「あなたは」
「組合長殿!」

 二人の声に厨房を覗いて、男も軽く会釈をする。

「何やら盛大にやっていると聞いてな。飲食店街を預かる者として私も楽しませて貰えるかな」

 飄々とした面持ちのこの男――彼はある都の飲食店街を束ねる組合長であり、彼の舌は誰よりも肥えていると専らの噂だ。

「わ、わかりましたの」

 その評判を聞いて、数多くのトッピングを担当した真夢紀に緊張が走る。
 昨日到着と同時に彼女は蕎麦のバリエーションを提案した。葱や天かすを自由に入れられるよう設置したのも彼女のアイデアである。
 そして、具材も……集められていた食材を前に、けんちん・とろろ、鰊は彼女の味付けのモノに由来する。

「それでは後からお運びしますの」

 まずは掛け蕎麦を一杯差し出して彼を見送る。そして、彼は席に着くとゆっくりと蕎麦を啜り始める。

「気負っている場合ではない。私達は出来る事をしよう」

 停滞し始めていた列にはっとして、からすが周りを叱咤する。

「そうですの。気にする事ないですの…」

 そういう真夢紀だったが、やはり気になるようでどこか落ち着かないようだった。


 紗耶香のもふらが全種類を運び終えて暫く――彼は黙々と蕎麦を食していた。
 あの身体の何処に入ってしまうのかと言うくらいの量を休む事無く食べ続けている。

「たいしたもんだな」

 机に残された丼やら湯飲みを片付けながら蒼馬もその様子を横目に見取り、呆気に取られる。そして他のお客も…彼の食べっぷりに箸が止まっている者も多い。

「あの、如何でしたでしょうか?」

 そこへどうしても気になったのか真夢紀が彼の元を訪れて――。
 その表情は不安と期待がない交ぜになっている。

「ふむ…正直に言わせて貰おう。この鰊はおまえが?」
「は、はいですの」

 びくりと肩を揺らして彼女が答える。

「そうか…成程、悪くない。鰊の生臭みは酒でうまく飛ばしているし、丁寧な灰汁抜きがなされている。そのおかげでいい味だった」
「本当ですの!」

 その言葉に今までの緊張がぷつりと切れて強張っていた顔が見る見るうちに紅潮し、喜びが溢れる。

「ああ、嘘をいってどうする…けんちん蕎麦も普段は見ないが、いけるものだな。胡麻油が僅かに香って食欲をそそる。七味をかけてみてもまた変わるかもしれん…そして、蕎麦もなかなかのものだった。誰が打っているのかは知らないが、打ち手の気持ちが感じられた」
「ありがとうございますですの」

 道場で打っている北斗達も褒めてくれた気がして、思わず涙が溢れる。

「人は足りているのか? もし、必要なら明日はうちからも人を貸し出そう」

 組合長はそういうと満足げに笑い、その場を後にした。

「よかったですの〜」

 すっかり緊張が解れて、戻ってきた真夢紀には嬉しい言葉。

「北斗殿が来ていたよ。先に休憩へどうぞ」

 からすからそう言われて、彼女は頷くと蕎麦を持って彼の元へと走る。

「まゆちゃん!」

 そこには粉まみれになりながらも彼女を待つ北斗の姿があった。

「聞いて下さいですの! さっき組合長さんって方が来てまゆの御蕎麦を褒めて下さったんですの!!」

 笑顔でそう言って横に座ると、仲よさげに蕎麦を啜り始める。

「そりゃ、まゆちゃんが頑張ったからなのだぁ〜。おいらも蕎麦打ち褒められたのだぁ!」

「本当ですの、それは良かったですの〜」

 そんな会話がなされて、冬だというのに二人は心身共に温かい。

「そのお蕎麦も食べてみたいのだぁ〜」

 蕎麦を食べながら蕎麦の話で、一時盛り上がる二人であった。


●きりきり舞い
 二日目――大晦日である。
 まずは昨日の約束通り、会場には組合長からの助っ人が派遣されている。勿論知る人ぞ知るあの二人である。

「なぜ私がまたこの男と…」
「は、しかたねぇだろう。組合長からの言葉じゃ逆らえねぇ」

 冷静な男と熱血な男――彼らの仲はさておいて、腕は確かで心強い助っ人となる。

「それでは乾殿、よろしく頼むよ」
「ああ」
「炎さんはこちらで天麩羅をお願いしますね」
「おうよっ」

 それぞれ見知っているからすと紗耶香の言葉に促され、それぞれ持ち場に移動する。

「さあ、今日も頑張っていこー!」

 そこで気合を入れる為、何故だか仮面をつけて神音が高らかに叫ぶ。

「何奴!」

 その姿に掃除をしていた小雪が反射的に振り向いたが、誰も気付いてはいなかった。



 今日は朝からという事もあって、神音が一風変わった接客で皆の目を楽しませている。
 グレートマスカレードを装着し、謎の仮面少女という設定で机の間を駆け巡る。子供の注文であったり量が多いお客には彼女が対応し、大道芸よろしくお盆に乗せてくるくると回ったり、テントに当たらない程度に高く跳躍して机を飛び越え、ぴたりと着地して丼を受け止めたりととにかく派手だ。

「おねーちゃん、すっごーい!! もっかいやって〜」

 その空中キャッチに少女のアンコールが飛ぶ。

「うむ、任せるがよい!」

 それに答えて手にしていた丼を高く放り投げると再び跳躍に入る。そして、

「それっ!」

 丼に追いつく前に何度も空中で回転し華麗にキャッチしてみせた。その凄技に会場から盛大な拍手が送られる。

「ほほほ! 我に出来ぬ事はなし!」

 水鳥の扇子を片手に高らかに――仮面少女になり切った彼女がちらりと見るのは、やはり気になる蒼馬の方。彼は雑用で動いており、共に参加はしているが持ち場が異なる。けれど、その騒ぎに彼は視線を向けてくれていたらしかった。軽く手を上げて微笑んでいる。

(「やったー! 見ててくれたんだ!!」)

 蒼馬直伝の泰拳士の体術の応用。それをちゃんと見てくれた事が嬉しくて、再び次の技を披露しようと意気込む。――が、蒼馬の前に現れた女性を見取って、彼女の眉が僅かに…いやかなり揺れた。


「え、あぁ…お手洗いはあちらです」
(「これはまずい…気付かれているだけに非常にまずい」)

 神音はきっとまだこっちを見ているだろう。そうなれば神音の事、自分の元に飛んでくるに違いない。なぜそういう行動に出るのかはわからないが、しかしそれがまずい事は承知している。

「で、ではこれで。仕事がある…いや、ありますから」

 そこで彼がとった方法は素早く切り上げると言うものだった。我ながらこんな策しか思いつかないのもアレであるが、この際仕方ない。ゴミを手にそそくさとその場を後にする。

「わぁ〜やっぱり鍛えている方は違うなぁ〜」

 お手洗いは口実だったのか、去りゆく背中を見つめ女がそう呟く。


(「ふむ…やはり人の心は読み解けないものだな」)

 そんな様子を離れた所から見つめて、手早く食事を済ませる无。今日も朝から宣伝に出ていたらしく遅めの朝食を蕎麦で済ませているのだ。この後は、店内の接客に回ろうと考えている。

「ふぅ…手早く食べられるのも利点だな」

 无はあっさりと完食し、再び手伝いに戻るのだった。

 
 一方場所は変わって、合間をぬって呼び出された羅喉丸とアリアスはにとろの丼を前に複雑な顔を浮かべていた。

「如何したでにゃんすー? 食べないでにゃんすか?」

 変わり蕎麦がある。昨日そう聞いていた為、一緒に食べる事を約束した二人だったがその内容はなかなかにハードなもののようだ。
 温かい蕎麦の上にはカクテキと納豆が混ぜられた状態で浮かび、その上にはぽつんと梅干までトッピングされている。

「これ、本当に食べられるのか?」

 疑いたくはないが、納豆が汁で温められて独特の臭いを放っている。そして、カクテキ――つまりはもう一つの発酵食品大根キムチがまた微妙に鼻腔を刺激する。それに加えて、梅干。これがどうも曲者のような気がしてならない。

「私も食べるのはぁ、初めてにゃんすー。けど秘伝のぉ『あぁ素晴しい! これぞ究極の超年越し蕎麦ファイナル・不味い〜、もう一杯?』っていう蕎麦にゃんすから、きっと絶品にゃんすー」
『は、はぁ?』

 品名の時点で『不味い』という言葉が入っているのは如何なものかと思うのだが、それでも彼女は本気らしい。

「二人が食べないなら、私が食べるでにゃんす〜」

 ぱくっ、ちゅるちゅるちゅる……どゅ!! ばたんっ

 突如倒れたにとろに二人の悲鳴が木霊する。

「何事ですか?」

 そこでそれを聞きつけてやってきたのはおっとりさんの和奏だった。彼も昼休みだったらしく、手には鴨南蕎麦の丼が抱えられている。

「薬を持っていないだろうか? にとろが倒れた!」

 ぐったりとした彼女を支え羅喉丸が問う。

「薬ですか…? 周りの方に聞けば頂けると思いますが、まさか食中毒じゃあ」

 この手のイベントでは決してあってはならない事。最後の方は声を潜めて彼が尋ねる。

「いや、ただの自爆です。この秘伝の蕎麦で逝かれた様で」

 決して死んではいないのだが、どこか表現が生々しい。

「このお蕎麦ですか? なかなかユニークですね…自分も一口」
『あぁぁぁぁぁ!!!』

 二人が止める間も無く、箸を伸ばしてちゅるちゅる啜って、また一人犠牲者が……そう思われたのだが、味音痴なのかこれといって大きな反応を示さない。

「大丈夫なのか?」

 アリアスが恐る恐る問う。

「面白いお味ですね。でも自分はこちらがいいです」

 平静を保ったままそういう和奏に二人は顔を見合わせた。
 そして、止めればいいのに一口味見に箸を伸ばして…

『っーーーー!?!???!』

 あまりの味に二人の声のない叫びがハモっていた。


●そばに始まり、そばに終わる
 客足が少なからず落ち着いたおり、調理班もやっとこ食事を許される。
 紗耶香は相棒のもふらと共に――まだ中では忙しく働いているのだろうが、この時間だけはそれを忘れて息を抜く。

「おいしいですか?」

 相棒に問えば、笑顔でそれに答えてみせる。

「やっぱり出来たてですからねー。さすが炎さん、熱を使う天麩羅はお手の物ですね」

 彼に認められた料理人であり、彼女もまた彼を認めているようで、炎の揚げた海老天を満足げに頬張る。
 それとは対照的に沈黙するのはこの二人。またしても気まずい雰囲気が流れているらしい。休憩を頂いて、席を探してみたが空席が見当たらず仕方なく相席をする事になった。豪は黙々と鰊蕎麦を、小雪は掛け蕎麦をお互い食している。二人の間には言葉はなかった。けれど、あの会話がなされてからはどこか棘が取れた気もする。

「お二人さんも休憩ですか。では、これを」

 そこへ志郎がお茶を運び、

「おおきに」
「有難う」

 短い感謝の言葉にくすりと笑って、

「私も頂くとしますか」

 ほっと息を吐き出し希望の天麩羅蕎麦を手に席が空くのを待って腰を下ろす。
 立ち昇る出汁のいい香り、そこに浮かんだ天麩羅はとても豪華だ。掻き揚げに海老天、玉葱に三つ葉を添えて揚げられたものもある。

「うん、美味しい」

 さくりと音を立てて噛み切れば、口の中に広がるのは食材の甘み。そして、蕎麦はその味を引き立てもするが、単独ではしっかりとした風味を維持している。

(「あの組合長さんも言っていましたが、確かにいいハーモニーだ」)

 素人舌でもそれが実感できるのはとても嬉しい。気づけばあっという間に汁まで啜り切っている。

「皆さんに感謝ですね」

 一時の幸せを頂いて、彼もまた接客へと戻るのだった。


 そして、ここも……。
 終了が近付くと、作業を終えて運ばれてきた出来立て蕎麦にやっと肩の荷を降ろす。

「か〜、うまい! 年越しはやっぱ蕎麦に限るZE!」

 半自作の蕎麦をざる蕎麦で頂きながら紫狼が言う。

「そうだな。こちらの唐辛子切りも美味」

 その横では移動してきた紫狼監視官と化しているからすがアリアス特製の蕎麦に舌鼓を打ちつつ、お茶を配るのも忘れない。

「どれ、じゃあ俺も」

 それを見て紫狼も手を伸ばし、ピリリと効いた唐辛子にぴくりと反応する。けれど、噛めば噛むほど広がる味わいがツボッたようで、

「俺もそれ打てばよかったZE! 今からでも俺のソバで蕎麦を打ってくれないか」

 ――等と相変わらずの様子で職人の娘にアタックをかけていたりもする。
 もうすぐ年が明けるというのに、ここまで一貫しているともう表彰モノである。

「やはり普通が一番です」
「そうだな。秘伝は秘密のままにしておくべきだな」

 その後ろではあの蕎麦でつくづくそれを実感した二人が、とろろ蕎麦で口直しをしているようだ。
 もうすぐ終わる今年を振り返って…そして、新しい年に願いを乗せて――。
 彼はそれぞれの時間を過ごす。



「センセー、この後初詣いこうよー」

 皆とは少し離れた場所であの二人も蕎麦を頂いていた。
 神音は天麩羅を、蒼馬はおろしで…辺りに人は少ない。

「別にいいが、その前に渡しておきたいものがある」
「えっ」
「これだ。誕生日おめでとう」

 手渡されたのは彼女に似合いそうなエプロンドレス。彼女の誕生日が過ぎてしまう前に渡しておきたかったらしい。

「本当はもっと早く渡せばよかったのだが、忙しかったから今になってしまった」

 苦笑する彼に神音はぶんぶん首を横に振る。

「全然いいよ。センセーありがとー!」

 いつも見せるとびきりの笑顔。早速つけた彼女はくるりと回って見せる。

「どうかな?」
「いいと思うよ」

 心に温かいものを感じながら、蒼馬は今年は一人で迎えるのではない事に感謝し、彼女の傍に呼び寄せ頭を撫でる。それに神音は喜びながら密かに決意した。

(「来年こそおヨメさんに近付くぞ!」)

 思わず振り上げた拳に視線を感じ、慌てて手を下す。
 まだ片付けが残っているが、ひとまず響き渡る鐘の音に耳を傾ける。

 そして、『新年がよい年でありますように――』と…
 蕎麦を頂いた誰もがそう願い、年が明けるのを待つばかりだった。