【猫又】野性を取り戻せ
マスター名:奈華 綾里
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/02/12 02:00



■オープニング本文

(にゃ?)
 それはおいらの日課のお散歩の最中での事だった。
 背後に視線を感じてくるりと振り返れば、よたよた足で咄嗟に隠れる一匹の猫…何故かおいらをつけているらしい。
(何かしたかにゃ?)
 そう思って記憶を辿っても、ご主人と違ってツケがある訳じゃないし食い逃げの類いはもっての外。
 誇り高き猫又一族に誓って…そんな犯罪に手を染めてはいない。ともすれば、
(何か困ってるのかにゃ〜?)
 おいらがもう一度振り返り、後方の猫を確認する。
 尻尾は一本だった。縞模様の柄が入っていて、顔はまだ幼い。だけど体躯は良くて、おいらよりも脚が図太かったりする。
「何か用かにゃ?」
 ずっとつけられるのも気分が良いものでもないからおいらが尋ねる。
 しかし、後ろの猫は返事をしない。こちらを警戒するばかりで近寄ってこようとしないのだ。
 そこでおいらは相手が動いてくるのを待つ事にした。いつものコースを回って、所々で御挨拶。
 今晩のご飯を魚屋に寄って購入する。
「おや、ポチ。今日は御友達と一緒かい?」
 馴染みのお店であるからそんな声を掛けられて、おいらはまたちらりと後ろに視線を送った。
 するとその猫は空腹なのかおいらが買ったお魚を凝視し、よだれまで流している。
「んと…そんなところにゃ。だから少し」
「あぁ、いいよ。いつも買ってくれるからね…一匹おまけだ」
 話が分かる御主人で助かった。鯵のサービスを受け取り、背中に背負う。
「ありがとにゃー」
 おいらはそう言ってその場を後にする。そして、近道の路地裏に入ったその時だった。
 突然地を蹴る足音が早くなり、おいらの方へと向かってくる。敵は勿論さっきの猫だ。如何やらおいらの御魚を狙っているらしい。必死の形相でおいらへと飛びかかってくる。だけど、おいらとて只の猫に負ける程弱くない。機敏に相手の動きを察知し、音を立てず身を返して飛びかかった所を抑え込みにかかる。
『やめろっ、はなせっ、はなせったらぁ〜〜』
 相手がおいらの下でもがく。その時、ようやくおいらは奴の正体に気が付いた。
「君、もしかして虎しゃんかにゃ?」
 まだ生え揃ってはいないが、猫にしては強靭な歯に、肉球の大きさ。同じネコ科といえど、造りが全く同じという訳ではない。人と友の暮らす事を選んだ猫と違って、虎は野生で生きる為爪も歯もおいら達とは比べものにならない。
『なんだよっ、おれが虎だったら悪いのかよぉ〜。その魚、よこせっ。おれは帰るんだからっ』
 じたばたともがく猫、改め虎の子を宥めて、おいらは事情を聞く事にする。
 彼の名はトウマと言った。生まれて直後、山で母親とはぐれたらしい。そして、その後みーみー鳴いている所を人間の子供に拾われ飼われていた様だが、次第に大きくなる体に猫でないと気付いた飼い主の母親は怖がり始め…それを察知して彼は自らその場を去ったのだという。
『おれ、一人で生きるって決めたんだ…だけど、ここじゃ獲物も取れないし、それで』
「おいらを襲ったのかにゃ?」
 それにこくりと頷くトウマ。不運な経緯――野生で生きていくのは大変だが、何か力になれたらと思う。
「わかったにゃ。とりあえずおいらのご主人の所に来るといいにゃ」
 そこでおいらは彼を家に招待した。そして暫くは彼の面倒を見る事になる。だけど、人の目は思いの外目敏くて…。
「おい、ポチ。厄介な事になってきた…なんとかそいつを山に返せ」
 ご主人が言う。家は長屋ではないにしろ借家だ。だから、ご近所さんからの評判は捨て置けない。虎を飼っている。そんな噂が流れ始め、子供がいる家はやはり食われたりしないのかと不安を抱き始めたらしい。
『おれのせいだ。御免…』
 トウマがしょんぼり顔でおいらに言う。だけど、このまま返す訳にはいかないと思った。
 ここ数日、トウマと暮らして判った事がある。それは…母親がいなかった事。その後、人に育てられた事で彼は野生で生きてく術を知らないのだ。勘は多少働く様だが、まだまだ未熟で…山に帰っても飢え死にしてしまう可能性が高い。
「おいら、トウマと少し出かけるにゃ」
 ご主人に言う。
「お前は全く、お人よしもいい所だ。何の得にもならんというのに…で、助けは必要か?」
 愚痴を添えつつも、ご主人はおいらの行き先を察知してくれたらしい。助け舟を添えてくれる。
 そこでおいらはギルドに朋友の助っ人を頼んで貰える様お願いするのだった。


■参加者一覧
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
リューリャ・ドラッケン(ia8037
22歳・男・騎
蓮 神音(ib2662
14歳・女・泰
ウルグ・シュバルツ(ib5700
29歳・男・砲


■リプレイ本文

●揺れる思い
「さて、人間の俺らは邪魔なだけだ。とは言え、ポチが力を借りている訳だ…狭い家だ、が好きに寛いでくれ」
 一抹の家に集合となったこの依頼。引き受けた開拓者らが家に集まるとトウマは若干戸惑いをみせる。
(よく判らないけど、この人達から不思議な力を感じる…)
 見た目は人と変わらないのに、内に秘める力の源が普通の人間とは少し違う。志体持ちとそうでない人との違いを、本能的に彼も察知しているのかもしれない。一抹と一緒の時はそれ程感じなかったが手練れが集まったとなると、流石のトウマもそれを感じざるを得ない。自然と背中の毛がぞわぞわ立ち上がる。
「おや、主…少しは判るようじゃの」
 その様子にウルグ・シュバルツ(ib5700)の玉狐天・導が興味深げにくつくつ笑う。
『あんたは?』
「導という狐ぞ。今日から主の特訓に付き合うものだ」
『特訓…』
 トウマがその言葉を復唱し、ごくりと息を飲んだ。このままでは迷惑がかかると思って言い出した事だが、やはり不安もある。
「何、導の助言の質は保証しよう。安心してくれ」
 そんなやり取りを悟ってか、主人であるウルグがトウマの頭を軽く撫でる。
「そうにゃよ。心配する事ないのにゃ」
 その横でポチが通訳しニコリと笑う。どうやら、彼らもポチの仲間であるらしい。親しげに話し合っている。
(いいなぁ…)
 本当はここに居たい。あの拾ってくれた主の元で過ごせたら、どんなにいいかと思う。
(俺は虎なんだ…皆を怖がらせてしまう)
 伏し目がちになりかけたトウマに気付いて、今度は蓮神音(ib2662)の相棒・神仙猫のくれおぱとらが話しかける。
「そう気落ちする事はないぞ。なんたって妾がじきじきに手解きするのだから安心せい」
 しゅっと胸を張って威風堂々――女王然とした身のこなしで今日の彼女は機嫌がいい。
 こちらも久し振りのポチに会い、しかも自分の進化を見せられるとあって得意げだ。
『あ…宜しく、お願いします』
 トウマはそんな彼女に若干気圧されつつも頭を下げた。自分の為に集まってくれた。もう後に引けない。
「じゃあ、役者も揃った事だし、お山に行くのにゃ」
 ポチが頃合いを見てそう告げる。それを聞き、ぐおぉと声を上げたのは羅喉丸(ia0347)の皇龍・頑鉄である。
「こいつに乗っていくといい。その方が時間の単縮になるだろう」
 これは羅喉丸の言葉。その言葉に甘えて、ポチとトウマ。くれおぱとらと導は彼の背へ。
 唯一リューリャ・ドラッケン(ia8037)の相棒、輝鷹の光鷹は搭乗拒否。己が翼があるのだから問題もなく、彼らを先行する。
「くれおぱとら、宜しくねー」
「よろしく頼むぞ、頑鉄」
 主達の声が眼下から聞こえる。小さくなる都を見つめて、トウマは改めて意を決する他なかった。


 強靭な爪に肉厚な羽…その巨体でどうやったら軽々と飛び立てるのだろう。龍というのは実に不思議な生物である。始めは緊張していたトウマであるが、重量を感じさせない飛びっぷりに徐々に好奇心が割合を増す。初めての体験にトウマははしゃぎ気味だ。
『すげぇ、速い速い〜』
 ビュンビュンくる風の感覚にワクワクが止まらない。もし野生で生きていたらこんな体験できないから尚更だ。
 すっかり浮れ始めた彼に些か不安を感じつつも、一行はこの後の事を考え質問する。
「のう、トウマよ。お主、人の元でおった時何を食ろうておったのだ?」
 風に吹かれながら、一尾の管狐の姿で導が問う。
『えと、あと…俺、その時、猫だと思われてたから…ミルクと魚、だったと思う』
 それにハッとしてトウマはバツが悪そうに控えめに答える。
「だったというのはどういう事じゃ?」
 今度はくれおぱとらだ。魚の見分けがつかない訳でもないだろうに曖昧な言い方が気にかかった様だ。
「聞いた話によるとボイルされてたらしいのにゃ」
 それにはポチが代わりに回答。それを聞き『贅沢なっ』と言いたげに光鷹が顔を背ける。
「成程。では生の魚は…」
『食べた事はあるぞ。ポチに会う前に何度かだけど』
 魚屋のおこぼれでも貰っていたのか。定かな事は判らないが、とりあえず魚は大丈夫らしい。
「ふむ、ではまず見慣れた魚からいこうか。水場に近い所を頼むぞ」
『判った』
 導の言葉に従い、頑鉄が眼下に見える川の近くを目指す。大きな羽であるから、都からはそれ程時間はかかってはいない。
 しかし、実際の距離としては結構あるだろう。着陸した森には自然の香りが今も色濃く残っている。
『なんか、懐かしい感じがする…』
 降りて早々トウマの呟き――元々は野生だったのだから、森の香りを懐かしいと感じても不思議はない。
『さて、ついたはいいものの狩りなど最近はやっておらんがどうしたものかな』
 皆が背から降りるのを確認しつつ頑鉄が思案した。

●浅はか
 頑鉄は羅喉丸との付き合いが長く、今日も彼に頼まれてこの仕事を引き受けた。
 従って相棒歴も長く、野生でバリバリいわせていた時期はかなり前の事である。
 それに既に感覚として備わってしまっているものを一から教えると言うのは難儀なものだ。
(まぁ羅喉丸のやつもいつも基本が、基礎が大事だとか言っておったし、わしはそこを指南すればよいか)
 そこで彼はそう考えて、彼なりに記憶の糸を手繰り寄せてみた。狩りで一番大事な事。
 そして、何を優先すべきかという事を順立てて、まずは頭で整理する。
『まずは場所。そして隠密、接近、強襲だったかのう?』
 言葉にするのは容易い。たった八文字で事足りてしまう事であるが、それを成す時、想像以上の労力を伴う。
「まずは川の魚を仕留めてみよ」
 折角降り立ってその場所を活かして行動開始。早速トウマは川を覗き込む。
 けれど、川べりから覗いても彼の欲する獲物の姿はない。
『ここ…全然魚いない』
 透明度の高い水中を見つめて、ぽつりとトウマが言う。
「そんな早く諦めてどうするぞ。目で見えぬなら他の感覚を使ってみよ」
 そんな彼に導が助言を与える。
『他の感覚…』
 そこでトウマは意識を鼻へと移した様だ。
 ふんふんと頻りに鼻を水面に近付ける。が、勿論水の中にいる魚の匂いを辿るのは難しい。
 それに周囲には他の獣や植物のありとあらゆる匂いが混在しているから尚更である。
「いいか、こういう時は五感を研ぎ澄ませ…と言いたい所だが、この場合は感覚よりももっと大事な事があるぞ」
『もっと大事な事って…』
「知識ぞ。川魚は岩場や水流の少し緩やかになった場所に隠れている事が多い。だからそこを狙ってみよ」
 にやりと笑ってそう告げて…後は実践あるのみ。トウマは言われた通りの場所に移動し、川面で目を凝らす。
(何処だ…水面がキラキラしてて、見にくい…)
 上体を低くして、尻尾を揺らしトウマが岩から落ちない様バランスを取る。その姿は確かに狩りのそれであった。
 しかし、その光景は傍から見て余りにも無防備だ。
(あんなでは俺らに狙ってくれと言っているものだな…)
 光鷹はそんなトウマに喝を入れる為、強硬策に出る事にした。
 静かに羽ばたいて、仲間にさえ気付かれない様舞い上がり狙いを定める。
 そして、ある程度の高度に達するとトウマ目掛けて急降下。
 尻尾が揺れているとはいえ、気を取られている相手を仕留めるのは容易だ。

 シュッ

『うわっ!?』
 光鷹の爪がトウマの横をすり抜けた。そのスピードと突然の襲撃に彼は足を滑らせて、

 ばっしゃーーーん

 川面が音を立て彼は川の中へ。
「トウマしゃん!」
 ポチが叫ぶ。どうやら彼はまだ泳ぐ事が出来ないらしい。狙っていた魚は勿論の事、このままでは彼自身が危ない。
『この程度を自力でどうにか出来ない様ではどの道長くは生きられんさ』
 溺れ流されて行く彼を見つめたまま、光鷹は素知らぬ振りだ。助けに行こうとするポチを今度は導が制止する。
「もう少し様子を見ようぞ」
「…」
 ばしゃばしゃともがくトウマ。獅子は子を谷に突き落とすと言うが、まだ来たばかりの彼には厳し過ぎるのではないかと思う。
 けれど、トウマも暫くすると動きを見せた。仲間達が助けてくれないと知って、彼は必死に水を掻き始めたのだ。流れに逆らわない様にしながらも岸が近付くなると必死に腕を動かし、少しでも近づける様に努力する。
「荒療治…というやつか。じゃが、大丈夫だろうか?」
 後少し…けれど、それがなかなかうまくいかない。下流に流れていくトウマを追いかけながらくれおぱとらが言う。
『何、人の臭いがついたものを同族と受け入れる群れは少ない。この位せねば、彼は自分の立場を真に理解はできないさ』
 光鷹の意見は正しかった。だけど、やはり心配である。
(頑張って、トウマしゃん…おいら、信じるから。生きる為には頑張らないと駄目なのにゃ)
 ポチが助けに行きたいのをぐっと堪える。というのも実は彼も一抹についていくまでは山で暮らしていた。
 だから、山の過酷さは誰よりも知っている。
「おや、岸についたの」
 更に暫くの時間を経て、岸にしがみ付いたトウマを見取り導が言う。
『けほっ、がほっ……お、俺…生きてる…の』
 頻りに咳き込みながら、トウマは改めて己が生を確認する。
「よく戻ったのじゃ。第一段階合格と言ったところかのう?」
 ちらりと光鷹の方を見つめ、くれおぱとらが言う。
『へ、今のも試験だったの?』
 そう問う彼に、
『試験と言うより試練だ。俺とお前とでは食うものが違う。よって、俺はこれからもお前に奇襲をかけ続ける。狙われる危険に対して神経を研ぎ澄ませ。生き延びる為に何が必要か考えろ。いいな』
 光鷹は甲高い声でそう言い切った。
 その乱暴とも思える言葉に、しかしトウマはその内にあるものを理解する。
(そうか…ここでは俺も狙われる側なんだ。悠長にしてちゃ駄目なんだ)
 都では相手が鼠や猫やらが相手で怪我はしても命を脅かされる事はない。
 しかしここではその認識が危険だという事を身をもって知った彼であった。

●修行
 そこからトウマの特訓が始まる。
 ポチは川で泳ぐ術を教え、頑鉄は彼の攻撃の練習台となってくれた。
 練習台とはいえ、実際の所はトウマの方が怪我をすることしばしばだ。何と言っても頑鉄の皮膚は金属ばりの硬さがある。
 身を低くして標準を付けて飛びかかる。本来ならば獲物を牙や腕で捉えたい所だが、岩の様な皮膚であるから体当たり練習が精一杯。それに慣れてきたら、気配を消しての接近練習。これには導も密かに参加する。人魂を使い姿を変えて…彼もまた奇襲兼獲物担当として彼をサポート。時に彼と攻防を繰り広げる場面も見て取れた。そうやって徐々に自然に五感を慣らしていく反復練習を繰り返し、彼の能力と本能を呼び覚ます。
『さて、ではここで問題じゃ。敵にいかに気付かれずに接近するにはまずどうする?』
 トウマの呼吸が落ち着いたのを見計らって、森に入った一行は彼に問いを投げかける。
『それは勿論静かに歩く事。後、待ち伏せして一気にやるとか?』
『うむ、正解じゃ。基本過ぎたようじゃな』
 くすりと笑ってくれおぱとらが言う。
「まぁ、まずは一つ。妾が見本を見せようか」
 そう言うと彼女は周囲に意識を集中した。
 この森には生き物が多い様で耳に届く音にしっかりと注意を向ければ、小動物の息遣いが複数感じとれる。
「ついてこい」
 彼女はそう言って彼らをある木へと誘導した。するとそこには一匹のトカゲが木に張り付いている。それを獲物に彼女は機を窺う。トカゲが完全に油断するのを待つ為だ。ここへ接近して来た時、少なからず相手も気配を感じ取ってはいるだろう。だから今は辛抱の時、焦ってはならない。じっくりと獲物の挙動を確認し、ここぞという時を待つ。そして――それは一瞬の出来事だった。
 素早く木を登って、隠していた爪でトカゲを剥ぎ落す。そこへもう片方の手を使い地面に抑え込めば、狩りは終了。
『よいか。トカゲというのは尻尾を切って逃げるやつもおる。よって押さえ込むなら腹か胴でなくてはならん』
 トウマがトカゲを食べるかどうかはさておいて、基本的知識を身につけさせる為彼女が教える。
『どれ、わしが栗鼠にでも化けてやるから捕まえてみるがいいぞ』
 そこで導が力を貸す。実戦さながらに出てくるタイミング等教えず、互いの駆け引きも訓練する。
『えい! とう! まだまだ――!!』
 トウマはその訓練にも根を上げずよく食らいついていた。


『今日は木登りをやってみよ』
 数日が過ぎて、幾分森の生活に慣れ始めた時の事だ。くれおぱとらの指示で木登りに挑戦する。
 前足を木の幹にかけてまずは立ち上がり、そして爪を食い込ませたと同時に後ろ足を前へ。
 だが、初めはうまく行かずぼろぼろと幹を引っぺがす結果となる。
「焦るでないぞ。慎重に、かつ迅速にじゃ」
 それを見守りつつ、彼女は近付くある気配に気がついた。
(これは蛇…いや、違うな)
 何かが木を擦れる僅かな音。途切れる事がないから蛇で間違いないだろうが、少し違う感じを秘めている。それが何であるかを悟った彼女はそれをそのままにする事にした。徐々に木に近付き、這い上がるそれ…しかし、それにトウマは気付いていない様だ。
『やったー。登れたぞー』
 トウマが得意顔に叫ぶ。そして下にいる彼女に視線を向けて…ようやくその存在を認識する。
『ギャ――、長いの――!?』
 彼はそう叫ぶなり慌てて木から飛び降り、一目散に森を駆け出した。
「お、おい、待て。一人はまだ危ないぞっ」
 何故か蛇がトウマに声をかける。如何やらその正体は導らしい。
 脅かし出方を見るつもりだったが、予想外の行動に追いつかない。
『俺が追う!』
「おいらも行くにゃ!」
 予期せぬ事態に光鷹とポチが動いた。

●経験
 逃げ足というのは時に本人の限界をも超えてしまうものだ。
 ずささっと音を立てて飛び降りたトウマはそのまま森の奥へと消えてゆく。
 彼の逃走から数分。やっとこ光鷹が彼の姿を上空から捉えた時、彼は絶賛大ピンチ中だった。
 彼が逃げ込んだ先――そこはどうやら熊の塒だったらしい。
『く、熊だぁ…』
 拾ってくれた飼い主の家の絵本で彼もそれを見た事がある。
 けれど、本物はもちろん初めてで体格差に圧倒されつつも、逃げられないと悟ったのか睨み合っている。
『あいつは全く…何やってるんだ!』
 逃げる事も大事だと教えた筈なのに、動かない彼に少しの苛立ちを覚える。
「光鷹しゃん、おいらを投げて欲しいにゃ」
 掴み揚げられ運ばれていたポチは、彼にそうお願いする。
『わかった』
 彼は勢いをつけ、ポチを熊の方へと放り投げた。
「ぐおぉぉぉ!」
 その後ろでは頑鉄が熊に向かって威嚇の咆哮を上げている。
「喰らうのにゃ――!」
 それに怖気付いた熊がこちらを向いたが、ポチは既に鎌鼬を発動していた。
 そこへくれおぱとらと導も到着した。
『お主、何をやっておるっ! 敵を見誤るでないぞ!』
 導からトウマへの喝が飛ぶ。その声にトウマは弾かれた様に身体を揺らし距離を取る。
「恨みはないが、すまぬの!」
 そこへくれおぱとらも追いつき自慢の爪で追い打ちをかける。
(今なら俺にもやれるッ!)
 仲間の加勢にトウマはそう判断して――彼は戦う事を決めた。熊の喉元に飛びつき牙を立てる。
「ぐっ、ガッ…」
 その後聞こえたのは僅かな熊の悲鳴。痛みに暴れる暇もなく、白目を剥いたまま熊はその場に倒れ込む。
『や…やった?』
 必死だった。自分が招いた事とはいえ、熊に出くわすなんて…少し慣れてきたから油断していたのかもしれない。
 蛇が近付いていたのにも気付かなかったなんて不甲斐無い。けど、今は…強敵の沈黙に力が抜ける。
「トウマ、わしの言った事を忘れたか。逃げる時であっても周囲を乱さぬ様癖を付けねばならぬと。そんなだから熊にも気付かれるのだ」
 導が彼の駄目出しをする。
「けど、場合が場合にゃし…」
「甘いの。しかし…よく背を向けなかった。そこは誉めてやろうぞ。あそこで背を向けて逃げていたら、熊は本能的に其方を襲っていただろうからの」
 庇うポチに、けれど導も全てを咎める気はなかった様だ。飴と鞭…いい所は褒める事も忘れない。
『有難う…助かった、です』
 トウマはその場に座ったままであったが、そうはっきりと言葉した。

●別れ
 そしてこの経験がまた彼を大きく成長させる。
 それにトウマは呑み込みが早かった。始めに危険な目にあったのがいい刺激になったらしい。
 身体も日に日に大きくなり、それに伴ってより虎らしくなり始めている。
「もう、妾から教える事はない。後は其方次第…」
 一通りの事を教え終わって彼らが合格とみなして…そろそろお別れの時だ。
 来た頃より傷もいっぱい作ってはいるが、それはある意味頑張った勲章と言っていい。
『みんな有難う』
 トウマが少し恥ずかし気に礼を言う。
 血の臭いが敵を呼ぶという心配は御無用。傷口は既に塞がっているし、トウマも土や植物に身体を擦りつける事で偽装する術を独自に編み出している。それに加えて、くれおぱとらも風上にいる事が必要不可欠と教えているから、そうそう悟られはしないだろう。
「そうじゃ。最後にこれを渡さねば…」
 別れ際にふとある事を思い出して、くれおぱとらはとっておきの術を発動する。
 それは猫獣人化の法。その場で軽く一回転しただけで彼女の姿はみるみる人へ――正確には猫獣人の姿へと変身する技だ。
「す、すごいにゃ…」
 それに思わずポチからも声が出た。夢では疑人化した事のある彼であるが、猫又の彼にはまだ出来ない。
 神仙猫となって初めてできるその技にトウマも目を丸くしている。
「さぁ、トウマ。これを付けてあげよう」
 妖艶な美女の姿となった彼女はそう言い、何処から取り出したのは祈りの紐輪を彼の尻尾に結ぶ。
『これは?』
「何餞別じゃ。野生の性とは恐ろしいものじゃ。時間が経って其方が大人になる頃には、人と過ごした記憶より野生の本能が勝るやもしれん。じゃから時折これを見て思い出せ。其方を拾い育ててくれた者の事。決して忘れるでないぞ」
 彼女がそう言いトウマの頭を優しく撫でる。
(この温もり…俺、忘れない。忘れたくない)
 彼女の言う通り、日に日に記憶は薄れてしまうだろう。だけど、彼の中では大事な記憶だ。
『有難う。俺、絶対人は襲わないから』
 結ばれた紐輪を見て彼が尻尾を小さく揺らす。
「頑張ってほしいのにゃ。おいらも近くに寄った時は声かけるにゃ」
 ポチはそう言い、彼と別れの挨拶を済ませる。
『まあ、後はお前次第だ。精々長生きしろよ』
『学んだ事、忘れるでないぞ』
 光鷹と頑鉄の言葉。こくりとトウマは頷く。
「我らが鍛えたんのじゃぞ。そう簡単にはくたばらんであろう」
 とこれは導だ。スパルタな所もあったが、それもいい思い出だとトウマは思う。
 舞い上がってゆく彼らをトウマは見えなくなるまで見つめていた。それにポチはうるっときて、
(絶対、絶対また会えるにゃよね?)
 だんだん小さくなるトウマにポチが若干の寂しさを覚える。
「そんな顔するでない…と言いたい所じゃが、妾がおるのじゃ。泣きたければ泣くがよい」
 くれおぱとらが言う。
「くれおぱとらしゃん…なんだか神仙猫になってお母さんっぽくなったにゃ?」
 そんな彼女にポチが返せば、それは完全なる地雷で…。
「このポチめがっ。つまらぬ事を言うでないわ! 神音もそう言えば紐輪を持っていくと言った時そんな事を言っていたが…こうしてくれるわー」
「にゃーーー!」
 頑鉄の背中が賑やかになる。
 ともあれ、やれる事はやったのだ。きっと彼はこの経験を糧に逞しく生きてくれるだろう。
 そう信じて――彼らは彼らの主の元に帰って行くのだった。