三種混合鉄人レース!
マスター名:奈華 綾里
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 普通
参加人数: 7人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/09/20 22:36



■オープニング本文

 夏が終る……しかし、浜辺はまだまだ暑く大勢の人で賑わっている。
 けれど、それももうすぐ終わりを迎える事は誰もが周知の事だ。

「くそ〜、俺の夏を返せー!」

 そんな中、一人の男が浜辺に向かって吼えるように叫んでいた。
 まだいた海水客はその声に驚き視線を向ける。
 だが、男はそれを気にすることはなかった。どうやら自分の世界を展開しているらしい。

「開拓者だって人間だ。そりゃアヤカシが押し寄せてくれば、俺は戦う。金がなくなれば働く。そして、人並みに恋だってしたい…なのに、今年の夏は何だ…仕方なかったとはいえ半分は合戦で持っていかれて、俺はまだ夏をエンジョイしていねぇのに終るなんてゆるさねぇーー!!」

 実際のところを言えば、八月丸々楽しむ機会はあった筈なのだが、彼のスケジュール管理がなっていなかったようで気付いた時には時既に遅し。半ば被害妄想も甚だしい言い分を太陽にぶちまけて…なんとか自分の鬱憤を晴らそうとする。
 一頻り吼えて――夕日に呼び名が変わり始めた頃、彼は海の家へと赴いた。
 そして、自棄酒のアテをと壁のメニューに視線を走らせる。
 そこで目に留まったのは一枚のポスターだった。

「夏最後の一大イベント開催…集え、勇者達、だぁ?」

 でかでかと書かれた文字を声に出して概要よりも目に飛び込んできたのは、そのポスターに描かれた美少女の絵。
「あ…あああ、タイプだ!」
 彼女の絵の隣に名前が記載されている事からどうやら新人のアイドルらしい。
 フリフリのワンピースの水着に少し控えめな胸、加えて横にずらして結ばれたポニーテールがキュートに決まっている。
「か、開催は…一週間後か! まだいける!!」
 それを目に彼は飛びついた。
(「か、彼女に会える!」)
 ひと夏の思い出――彼女はイベントの司会をするらしく、優勝すれば話も出来るかもしれない。
 そうすれば、きっと何かが生まれる筈だ。生まれなくともイベント自体の規模が大きく、ギャラリーも相当な数が予想される。そうなれば、

「凄くかっこよかったですv 付き合って下さい」
「私じゃダメですか?」

 などと健全な妄想が彼の中で徐々に膨れ上がり始める。
「よし、俺はこれにかける! で内容は…参加者は開拓者オンリー。遠泳・人力車・長距離走の三種目をリレーのように繋げてやる、か。一般人の体力では過酷な耐久レースということかな?」
 簡単に詳細に目を通して、どうやらこの浜辺からスタートするらしい。
 第一競技は遠泳で対岸の島まで、島についたら人力車に変更。荷物の積んだそれを走らせて回り、その後は海に浮かぶアンバランスな木板の橋を走って戻ってこいという。
「途中妨害も有りか。なかなか面白そうじゃないか」
 相手の妨害を掻い潜り、颯爽とかける自分の姿を見つめるうら若き乙女達。
 波の音に混じって、自分への黄色い悲鳴が上がる。

「ああ、パラダイ…ぶぁ!!」

 そこで男の鼻から赤い液体が噴出した。
(「俺とした事が…はしたない」)
 そう思うが顔はまだにやけている。
 だがしかし、このレースは彼が思うほど簡単なものではない。
 常人を越えた者達のいわばサバイバルレース――その恐ろしさを知らずに彼は有頂天になっているのだった。


■参加者一覧
/ 羅喉丸(ia0347) / 華御院 鬨(ia0351) / 和奏(ia8807) / 村雨 紫狼(ia9073) / シルフィリア・オーク(ib0350) / モハメド・アルハムディ(ib1210) / 蓮 神音(ib2662


■リプレイ本文

●火花散る
 レース当日、海岸線には多くの人が集まっていた。
 海水浴に来た者もいれば、レースの情報を聞きつけて観戦に来た者達もいる。
 そしてもう一つ――目的を上げるとするならば、このレースの司会者であるアイドルの存在。
 余り知られているとは思えなかったのだが、ファンというものはやはりいるものでステージの設置やリハーサルの段階から彼女の元には多くの追っかけが集まり、要所要所で声援が送られている。
 「いやー、やっぱ控えめなところがいいよなあ」
 そんな中、本当ならあそこに混じりたい気分を抑えてレース参加者の一人・村雨紫狼(ia9073)が鼻の下を伸ばしていた。ちなみにここで何をしているのかと言えば、参加者は事前の準備体操を義務付けられており、その場所がここだったりするのだ。
「だよなあ。大き過ぎず…かといって足らないでもない。そんな所がたまんねー」
 ――とその横ではもう一人、彼と同様の気持ちを言葉にする者がいる。
 それは海の家でチラシを見つけて、参加を決意した青年開拓者の廼波(のなみ)である。まだ駆け出しのようだが、筋肉はそれなりついているようで初々しさと逞しさを兼ね備えている。
「ほう…俺と同じ趣味とは…おまえ、通だな」
 きらりと瞳を光らせて、紫狼が言う。
 正直こんな奴に出会うとは思っていなかったが、世界に自分のそっくりさんが三人はいると聞く。
 ならば人相は違っても性格が似ている者がいたとしてもそれはおかしくない。
「まさか兄さん?」
 冗談交じりに言う廼波に手刀を一発。
「ばーか、他人の空にだ。けど、あの子はきゃわゆいよな?」
 ちらりと遥か先の美少女アイドルを見つめて、紫狼が言う。
「ああ、きゃわゆい…だから、絶対俺がおとす!」
 ぼっと瞳から炎が見えた気がした。それ程までにこの青年はこのレースに賭けているという事だろう。
 その様子を見取って紫狼もにやりと笑う。
 純粋にこのレース楽しめそうだ。彼女以外に目の保養は尽きない。レースの参加者には二人…いや三人の美少女と美女がいるし、何よりここは海。彼にとってはパラダイス同然。
(「いや、いかん! このレース…勘違いしちゃなんねー。ライバルがいるとすればそれは俺自身だ!」)
 他の参加者も敵である事には違いがないが、それよりももっと気にしなければいけないのはこのレースの過酷さ。
 水泳・人力車・長距離走と三本立ては体験したことがない、いわば未体験の領域。合戦で戦っている彼らであるから、倒れる事はないだろうがそれなりの体力消耗は覚悟していなければならない。
「己も信じられぬ者が勝てる訳もないし、後は己を信じるのみ」
 精神統一に入っていた羅喉丸(ia0347)の呟きにはっとさせれる。
 だが、次の瞬間――紫狼の中からそれはすっ飛んだ。なぜなら、

「参加者の皆さーーん、頑張って下さいねーー☆」

 浜のアイドルこと岸乃渚(きしの・なぎさ)がこちらに手を振ってきたのだ。
 写真とは違ったワンピースの水着であるが、やはり少し少女チックな衣装で麦藁の下から覗く笑顔がどこまでもキュートである。

「オッケー! ものほんバッチリ頑張るから見ててねー、渚ちゅわん!!」

 紫狼は廼波と張り合う形でそう言うと、全力で手を振り返す。

「ふんだっ! 神音の方が可愛いんだから!!」

 そんな中で少し嫉妬を燃やすのは今回の参加者最年少の蓮神音(ib2662)だった。
 ぷぅと頬っぺたを膨らませて、腕を組むとぷいっとそっぽを向く。
 だがしかし、その先にあったのは超ど級の豊満な胸で…、
「あう〜〜、おねーさんにも負けないんだよ!!」
 と視線のやり場に困る彼女。
 そのおねーさんというのはシルフィリア・オーク(ib0350)――その人だった。
 採寸百を越えるバストを隠しもせず、むしろ強調するような衣装を身につけてビーチの視線を既に掻っ攫っている。少女趣味のない男はこちらに…といった具合だ。
「ふふっ、折角の美貌も体を動かしたり、人目にさらしてないと中々維持出来ないしね。いい機会だし、一勝負仕掛けてみるとしようかね」
 妖艶な笑みを浮かべ、ギャラリーに視線を向ける。
 そして、投げキッスを飛ばそうものなら我先にと手を伸ばす男達がいたりで…。
「はぁ、素敵な恋をしてみたいものだねぇ〜〜」
 などとぽつりと呟いて彼女はテントへと入っていく。
「これはええ修行になりそうずとなぁ」
 それと入れ替わりに出てきたのはダブルポニーで見た目銀髪少女の華御院鬨(ia0351)だった。
 実は彼女…こう見えて性別は男性であるのだが、歌舞伎役者の家に生まれ女形を務めている為、普段も修行の一環として女性の井出達をしているのだ。
「このレース、苦しい時でもぉ、女性らしく振舞う為のよい練習になりやすぅ」
 と小声で呟いて、周りに笑顔を振り撒いてみせる。
「むむむむむ〜、力試しに来たつもりだったけど負けられない理由が増えてきたんだよ!」
 神音はそう言って泰拳士らしく闘志を燃やした。どうやら戦いは既に始まっている様だ。
 そんな彼らとは別にふらりと参加受付に現れたのは一人の青年。
(「何の列でしょう?」)
 そう思っている間に書類にサインを書かされて、辿り着いたのは『鉄人レース参加者待機場所』と書かれたテントだ。去っていこうとするスタッフを呼び止めて概要を聞き出す。
「つまり一番になればよいという事ですね。判りました、頑張ります」
 あれよあれよという間に参加登録を終えて、今に至るのは和奏(ia8807)だ。
(「今年はこういうのに縁がありますね…今回は鍋蓋は投げないのか」)
 ぼんやりと心中でそう呟き、用意された水着を手に取る。
「マルハバン、こんにちわ。あなたもこのレースに出られるのですね。アーニー、私もなんです」
 そこへ声をかけたのはアラブ訛りの強い旅商のモハメド・アルハムディ(ib1210)だった。
 なんでもお国に日中断食の習慣があるらしく、それを終えたばかりで鈍った体を鍛え直すのに丁度いいと考えたらしい。
「アーニー、私の国ではこういう催しはなかったから楽しみです」
 愛想のよい笑顔で彼はそう言って、何故だか鞄に食料を詰めている。
(「食いしん坊さんなのでしょうか?」)
 標準よりは細いような気もする彼の体格を見て和奏が首を傾げる。
「参加者は浜辺のスタートラインまで集まって下さーい!!」
 そこでスタッフの声がして二人も浜辺へと走る。
 いよいよ、レースの開始である。



●泳ぎを制す
 容赦なく焼け付いた浜辺に設置されているステージには勿論あのアイドルが立っている。
 そしてその横には実況担当だろう男が一人、後はスタッフと観客と言った感じだ。一部の観客は飛空船に乗り、彼らを逐一観戦する事ができるらしい。勿論、実況と渚もそちらに搭乗する事となる。

「さーて、勝つのは一体誰なのか! まもなく鉄人レーススタートです。それではコールお願いします。
 スリー、トゥー、ワン ゴーー!!」

 観客の掛け声と共に浜辺では空砲が打ち上げられ、一斉に参加者達が海面を目指す。
 ざぶんっとまず始めに身を投げて、前に出たのは羅喉丸と鬨、そしてなんとあの青年・廼波だった。
「おおーと、三人がいきなり飛ばす飛ばす!!」
 押し寄せる波をものともせず、豪快な一掻きと力強いバタ足がぐんっと距離を延ばす。
「海の男ってかっこいいですよね〜」
 渚もそれを見下ろす形で飛空船からコメントを述べているようだ。
(「俺、今輝いてるぜーー!!」)
 その言葉に猛烈に水を掻き進む廼波。そして、トップに躍り出る。
(「正直ここでこの位置を取れるとは幸先がいいな」)
 けれど、二番手につけた羅喉丸は心中でそんな事を呟いていた。なぜなら、この勝負は三本立てだ。
 元々水泳に自信があった訳ではない彼は先頭から離されない事を念頭に進めればいいと思っていた。しかし、蓋を開ければ今つけているのは二位だ。温存しつつもこの位置をキープできれば、それに越した事はない。
「うちも負けへんどすぅ」
 一方、鬨は得意分野とあって観客アピールも忘れない。ビキニの水着にパレオを巻けば、本当に女性ではないかと思える程に華奢にも見える。
「ヤッラー、なんてことだ。こんなに水があるとは嬉しいですが…少々塩辛いですねー」
「くそー、渚ちゃんの顔がみえねー」
 その後を遅れて追いかけるモハメドと紫狼、その後にシルフィリアが続く。
 モハメドの祖先は砂漠の儀にいたという伝承があり、その血を受け継いでいるからなのか砂の相手はなれているようだが、海水となるとうまくはいかないらしい。下手ではないにしろ、波に押されて進んでは戻されを繰り返している。
「思ったより皆さん飛ばしてますね」
 和奏は状況を冷静に把握しながらぽつりと呟いた。自分も泳ぎは得意な筈なのだが、先頭グループとの差がかなりある。とすると自分ももう少しスピードを上げる必要があるかもしれない。単純作業は得意ですとばかりに水を掻くペースを上げる。
「待ってよーー、皆速過ぎーーー」
 けれど、それが出来ない者も一人存在した。
 もがけばもがくほど波に押し戻されて一向に前には進まない。見る見るうちに胡麻粒のようになっていく皆の背を見つめながら、懸命に追いかけようとスキル・紅砲を発動する。
「おおっとこれは神音選手! 残念ながら同じところばかり回っているーー!!」
「ええっ! うそーー!!」
 紅砲を使ったジェット推進作戦…しかし、うまく制御できなくては意味がない。距離には還元されず、終いにはコースからはずれてしまっている。
「こ、これはまずいんだよーーー!!」
 慌てて普通の泳ぎに切り替えるが、時既に遅し。そうこうしている内に順位を保ったまま、対岸に上がる先頭集団。その差はなんと彼女の倍以上はある。
『神音ちゃん、ガンバレーー!!』
 渚も含めて彼女を応援する声は多い。
「まだ飽きられないんだよーー!! だから紫狼おにーさん待ってーーー!!」
 彼女の前を行く彼に向かって全速力で追いかけつつ、涙目で訴えかける。
「神音ちゃんの頼みでもそれはできねーー」
 紫狼の頬に僅かな光る雫が流れていた。



●人力車はこう扱え
「おおっとトップは依然羅喉丸選手と廼波選手! どっちも前を譲らないっ!」
 浜辺に並べられた人力車のハンドル部となる取っ手を手に取り、二人が怒涛の鬩ぎ合いを展開する。
(「俺、今むっちゃ目立ってる! これで絶対渚ちゃんはずきゅんだぜ!!」)
 などと邪な想いを抱いているとやはりうっかりがあるもので、小石に躓き車輪が妨害されて座席部分が大きく傾く。
「先に行かせて貰うぞ」
 そんな隙を羅喉丸は逃さなかった。人力車自体にも予めチェックを入れていた彼である。
 急がば回れとばかりにコースも車も念入りにチェックして、何処がきつくなるポイントだとかは勿論の事。傷が入っていない丈夫な車を選んで、屋根となる部分や荷物には縄をかけパタパタしないよう配慮している。こうする事で風の抵抗もなくなり、多少乱暴に扱っても問題ないという訳だ。
「ちっくしょー、まてこらーー!!」
 転倒しかけた廼波だったが、何とか立て直して彼は猛ダッシュをかける。渚へのアピールも兼ねていたが、そこは何故だか見られていなかった。さて、視線がどこにあったかといえば、
「おおっとここで鬨選手! 衣装を変えるようです…早着替え!! 出てきたのはなんとメイドだぁ!!!」

『ううぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!』

 マニアにはたまらない正統派メイド衣装で、さっきとは違い健気な女性を演出する。
「ほな、いくどすえぇ」
 声援パワーにも後押しされて、廼波を抜き去りトップの羅喉丸に追い縋る。だが、差し掛かったのはこのレース最大の難所とも言われる急な坂道だ。ここで馬力を出してしまえば後に続かなくなるかもしれない。だが、かといって速度を落とせば後続グループに仲間入りを果たしてしまう。
 鬨は一度は躊躇しかけたものの今が勝負の時と見て、温存をやめ一気に昇り切る。けれど、廼波の方はそうはいかなかった。迷ううちに後方から迫り来る選手達――。
「はいはい、退いて下さい」
 がらがらと音を立てて疲れた顔一つ見せず、和奏は前の集団の真似をして器用に人力車を扱い差を縮める。
「おやおや、アーニー…私が先に、失礼しまーす」
 手馴れた様子でモハメドは彼の横をすり抜ける。
 人が乗っている訳ではないのだが、荷物を乗せている手前車はそれなりの重さがあった。しかし、彼らは――特にモハメドはそれをいとも容易く扱っている。その秘密は…もしかすると彼は旅商中に荷台を扱っていた事があったのかもしれない。それに似ているのだ。その時の経験が生かされていてもおかしくない。
「私も抜いてしまっていいかね?」
 すると更に追いついてきたシルフィリアが、水着の上から上着を羽織り手拭を頭巾のように被っただけというさっきとあまり変わらない格好で彼に迫る。
「なんで! あんなに引き離していたのに…」
 廼波の疑問――なぜ追いつけたのか。
 それについては羅喉丸同様彼女の下準備が成せた事に他ならない。
「シルフィリアさんはもともと草鞋を履いてたんです! それにこの軽装…栄養補給の甘酒と完璧なんです!」
 彼女に代わって渚が彼に答えてみせる。
「ここに来てレースは大混戦! 神音選手もようやく到着だぁ!!」
 その言葉にはっとすれば、確かに後方にお下げの少女が見える。
「俺もいるぞぉ!!」
 そして、更に紫狼も。咆哮を発動し、前方メンバーも思わず振り向いてしまう始末だ。
 順位は依然先頭は変っていない。自分が少し下がった位だ。しかし、後続は入り乱れるようになってきている。
「シルフィリアちゃん、一緒にいこーぜー」
 ナンパのそれにも似た声かけで紫狼が彼女に近寄る。
「それはお断りする」
 だが、それを往なす様にさらりとスピードを上げて交わそうとする彼女。時にスキルも発動しているようだ。
「負けられねーー!!」
 その様子を見取り廼波も動いた。迫る後続、ここはもう一度大きく引き離すしかない。
「うおぉぉぉぉぉぉ!!」
 坂を駆け上がり、先頭グループに返り咲きを計る。
 レースは終盤、最後の種目・長距離走に全てが託される。
「あうぅ〜〜今から挽回なんだよ!!」
 そして、神音も…優勝を諦めてはいない。頭の中では某熱血野球漫画の歌詞の一説が流れている。
「思い込んだら試練の道を行く覚悟で進むんだよ!」
 流れる汗を拭いつつ、彼女の目の闘志はまだ消えてはいなかった。


●とにかく沈む前に
「おや、アーニー…私が一番乗りですか」
 人力車を引きながら坂を下って、長距離のスタート地点にやってきたトップはなんとモハメドだった。
 というのも実は彼、人力車の扱い以外にも秘策…というか、秘密兵器を用意していたのだ。
 それはシルフィリアも用意していた途中栄養補給用の飲料および食料だ。和奏が見ていた荷物というのも実はこれに他ならない。携帯汁粉と岩清水、そして梅干を鞄に詰めて人力車に乗せていたのである。ちなみにもう一人、紫狼も水分補給と糖分補給の食料を持参していた。
「頭脳を使っての頑張る男性もカッコいいですよねー」
 渚がぽつりと感想を呟く。
「ショクラン、有難う。けど、私は当然のことをしているだけです。このルールに食品の持ち込みは禁止されていなかった…それだけでーす」
 時間は過ぎて太陽は真上に近付きつつある。このタイミングでの栄養補給は体も喜ぶというものだ。
 失った水分と塩分を補い、ラストは水上マラソンとなる危険な道。一か八かの大勝負と言ったところだろう。慎重且つ大胆に海に浮かんだ木の板を沈む前に次の足を踏み出して駆け抜けていく。
「うちもおるどすぅ」
 とそこに滑り込んで鬨がにこりと笑った。彼女はメイド服のままのチャレンジするようだ。
 しかし、姿は同じであっても雰囲気はさっきと違ってかっこいい女性に見えるのは彼女の演技の賜物かもしれない。髪を風に靡かせて、颯爽と走り抜けていく。
『鬨ちゃーん、ガンバレー!!』
「勿論がんばるどすぅ」
 レースの主役は勿論選手達だ。渚のファン達もいつの間にか彼女に見せられ、今は彼女を応援している。
「あーあ、思ったより妨害とかないんですねー。意外とつま…いえなんでもないですっ!」
 そんな状態だから気が緩んだろう。ぽろりと本音を言いかけた渚。
 けれど、そこはプロらしくイメージが崩れる事を怪訝し、慌てて口を塞ぐ。
 そう、確かに今回のこのレース――皆正々堂々と戦っていた。条件では妨害を許可するとしていたにも関わらず、スポーツマン精神が働いたのか大きな乱闘は起こっていない。バトル的要素を期待していたものがいたとすれば、少し物足りないのかもしれない。
「鬨選手に続いて、羅喉丸選手も長距離開始。おおっとここでスキルが出ました!! あれは八極天陣だぁ!!」
 ここでも彼は手堅く行く事を重視するらしい。板の安定を図りつつ、スキルの効果を利用し素早く走り抜ける。
「俺だって負けない!」
 そこで再び彼と廼波が並んだ。驚異的な追い上げを見せたが、先頭には間に合わない。
 結果、鬨とモハメドの一騎打ちとなる。
「さぁ、どっちだ。どっちが先にテープを切るんだぁぁ!!」
 煽る実況、波に揺らされる足場。二人が駆け抜ける。
『あぁぁ…』
 それを見つめて、後方では敗者となるであろう選手達の悲鳴。
 そして、ゴールテープを切ったのは……。


「おめでとう御座います、勝者の一言をどうぞ!」
 舞台の上に立つモハメドにコメントを求める渚。勝ったのは勿論彼である。
 ちなみにその後の順位は二位が鬨、同着三位が羅喉丸と廼波、跳んで五位が紫狼、六位が神音、同着七位が和奏とシルフィリアになっている。
「やはり上と下のバランスが悪いと難しいもんだねぇ」
 いい調子で進んでいたのに最後でバランスを崩し順位を落としてしまったシルフィリアが言う。
「なんでまたビリ…」
 そう呟くのは和奏だ。何か以前にもそんなことがあったらしい。
「長距離だけだったら負けなかったのにー」
 と悔しがるのは神音。前屈みにならないよう注意して軽快にリラックスして駆け抜けたおかげで最後に二人抜きを達成した。この種目だけならセンスがよく勝機は十分にあっただろう。
「まあ、ええ練習になったどす」
「そうだな、まだまだ俺も修行が足りなかったか」
 終始先頭グループにいた二人はそんな感想を漏らしている。
 結局、このレース…得手不得手がある者よりもバランスよく進んだものが勝利したという結果に終わったようだ。
「残念だったZE…最後のスペシャルターボで勝てる予定だったんだがなあ」
 長距離に強力を両足で発動し一発逆転をかけた紫狼…しかし、それで順位を覆す事は出来なかったとステージ裏で勝者コメントを聞きながら苦笑してみせる。
「けど、俺も一位じゃないから意味がない」
「いいじゃねえか、おまえは三位だろう? 俺は五位だぜ」
 八人中の五位…とてもじゃないが、表彰台ならぬステージに上がれる立場ではない。別に上がりたいとは思っている訳ではないが、それでも渚ちゃんを間近に見れないのは正直悔しい。
「神音ちゃん、俺を癒してくれよー」
 何度か仕事をご一緒している仲だ。慰めて欲しいと彼女に声をかける。
「そんなの知らないんだよ! それに遠泳の時、神音をほっていったんだよ」
 だが、始めの時同様ぷんすか頬を膨らませて彼女はあの時の事を根に持っているらしい。
「じゃあシルフィリアちゃん…いや、さん。お願い、頼む!」
「嫌だね。散々あたいの利用したりしてただろう?」
「あれ、ばれてました?」
 実は彼、人力車の折…少しでも風抵抗を減らそうと前を走っていたシルフィリアの後ろにつけて、少し楽をしていたのだ。その意図に気付かれていないと思っていた彼だったが、残念ながらそうではなかったらしい。
 顔は笑っているのだが、心はどうなのだろう。聞くのが怖い感じなのでそのままにしておく。
「ともあれ、これで終了ですね。やっぱりこの後労うイベント的なものがあるのでしょうか?」
 そこへ和奏が割って入って、なんとなく皆に尋ねる。その間もステージでは表彰式が行なわれていた。
「それでは優勝商品授与したいと思います! その商品とは…なんとこの名前入り樽酒セットだ!!」
「えっ…」
 大袈裟な効果音と共に照らし出される樽――だがしかし、モハメドの表情は困惑している。
 発表と同時に彼が素っ頓狂な声を上げる。
「あ…あの、どうかされましたか?」
 声を出した主、モハメドに渚が尋ねる。
「アー…アフワン、すまない。私はこれを飲めないんだ」
 困り果てたようにそう言ってゆっくりと後ずさる。
 ――というのも彼のお国思想によるもので豚肉と酒は触れることが叶わないのだ。
「それは困りましたねー、しかし受け取って頂かないと先に進めませんし」
 ざわめく会場、困惑する司会。突然の事だけに対応が間に合わない。
「ならばお家の方に配達して貰ってはどうですか?」
「そーそー、それがいいんだよ」
 そこで助言を加えるように和奏と神音が舞台に上がる。そこでわーーと喚声が起きた。
 負けたとはいえ選手は彼らにとってはスターのように感じられるらしい。
「どうせなら皆上がってきて下さい!!」
 そう促して姿を現した彼らに盛大な拍手が待っている。
「おにーちゃん、かっこよかったよー!」
「あたしも将来鉄人レースにでるんだー」
「あんたらに頑張る力を貰ったよ」
 口々に紡がれる言葉には、このレースの成功が現れている。
 誰が一番ではなく、皆がヒーローだと――勝っても負けても楽しんだもの勝ちだ。
 この後希望通りの結果になったかどうかは定かではないが、それでもいい思い出になったのは確かだと思う選手達だった。