代官と贋造刀売り
マスター名:村木 采
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/10/18 18:49



■オープニング本文

「贋造ですな」
 代官の岩崎哲箭は、左手指で顎を摘み、右手で持った刀の茎を眺め、下唇をとがらせた。
「な、なに? 竜聞院の刀ではないのか?」
 奉行は他愛なくうろたえる。
 岩崎は、水州こと水真の地に複数いる代官の一人に過ぎない身だが、その刀に関する知識の豊かさは、辺りでは有名だ。
 在野の刀匠、野込重邦を見出して、かつての刀匠の里「理甲」を復活させようとするその働きは、とある家老の覚えもめでたく、遠からぬうちに出世をするとの噂もある。現に、水州の地に理甲の里あり、名工重邦ありとの噂は徐々に知れ渡りつつあった。
「確かにこの刀、竜聞院を思わせる柾目肌ではありますが‥‥これ、刃紋のここにも、ここにも、金筋が掛かっておりますな。竜聞院は葉州伝ですが、あれに金筋は掛かりませぬ。腰反りの多い竜聞院にしては、少々反りも深すぎるようです」
 柾目肌、金筋、腰反りなどは刃紋や刀の姿を表す刀剣用語だ。葉州伝とは、葉風地方、つまり葉州の地に多い刀の鍛え方の総称である。
 奉行はぽかんとしていたが、やがて我に返った。
「で、ではこの刀は?」
「葉州伝ではなく羽州伝ですな。羽州伝の刀は綾杉肌が有名ですが、柾目ごころのもの、殆ど柾目のものもございます。金筋の掛かるさま、深い反りもそれに合致します」
「で、では‥‥」
 奉行の顔色が、徐々に青くなっていく。
「刃紋のほつれと、葉州伝に近い切っ先の感じからして、羽州の定憲と見ますな。定憲の無銘作に竜聞院の銘を切ったのでしょう。細工はしてありますが、銘の切り口が少々新しい」
 それがとどめになったらしい。奉行は、力尽きたかのようにがっくりと畳に両手をついた。
 部屋に気まずい沈黙が漂う。
「‥‥お奉行様、まさかとは思いますが」
 岩崎が、おそるおそる奉行に尋ねた。
「相当な値段をお支払いになったのではありますまいな」
 奉行は、蚊の鳴くような声で呟く。
「その‥‥まさかだ」
「お幾らほど?」
 奉行はじれったくなるほどの間沈黙していたが、やがて絞り出すようにして呟いた。
「‥‥七万文」
「七万!? 七万文ですか!? この刀に、七万文!?」
 岩崎は非礼を承知の上で、しかし叫ばずにはいられなかった。本物の竜聞院でも、高くて四万から五万文だ。定憲がせいぜい二万文といったところ。本物だとしてもとんでもない暴利である。
 この男の刀好きも大概だが、しかしよく騙されたものだ。
「‥‥岩崎」
 奉行は、幽鬼のごとくゆっくりと顔を上げた。
 半ば涙目ではあったが、しかしその目は復讐の炎を燃え上がらせていた。
「お主なら! お主なら、儂にこのような偽物を売りつけたような輩にも心当たりがあるのではないか! お主とて、所有する刀の全てを正規の経路で手に入れたわけではあるまい!?」
「‥‥人聞きの悪い」
 岩崎は困惑しつつ、後頭部を掻いた。奉行の言うことが、正鵠を射ていたからだ。
 実際、岩崎はふと思い当たる節を感じ、奉行の顔色を覗き見た。
「お奉行さま。まさかその商人ですが、名をオグラと申しませんでしたか」
「知っておるのか!?」
 岩崎は、ひっそりと嘆息した。裏市場ではそれなりに有名な、小知恵のつき始めた人間を狙って贋造刀を売りつける商人だ。
「尾倉甚斉。その筋ではそこそこ有名な、贋造刀売りですな」
 奉行は岩崎の手を取り、懇願する。
「頼む! そのオグラという商人の首を刎ねて、全てとは言わぬ、一部でも良い、金を取り戻してくれい! オグラの口から今回の件が漏れようものなら、儂は切腹ものかも知れぬ!」
「そうおっしゃいましても‥‥」
 岩崎は困惑した。確かに尾倉は真っ当な商人ではないが、どこか憎めないところのある、独特のやり方で刀を愛する男だ。
 実際、真贋を見定めてそれを指摘すれば、喜んで真正の名刀を売りもする。岩崎が尾倉を知っているのも、一度彼からそうして刀を買い受けた事があるからである。
「できぬと言うなら、お主とオグラとの繋がりを‥‥」
「‥‥解りました、わかりました」
 岩崎は心労で広くなり始めた額を左手で覆い、天井を仰いだ。
「お互いのために、決して人に口外されぬよう、内密に事を処理するということでよろしいですな」
「無論だ! 無論だ、恩に着るぞ岩崎!」
 奉行は岩崎の手をしっかと握り、上下に激しく振った。
 天井の木目を目で追いながら、迷惑そうに奉行の手を握り返していた岩崎だったが、こうも簡単に人に騙される者が奉行を務めているようで、この水真の地が治まるのだろうかと、真剣に心配を始めていた。




■参加者一覧
鬼島貫徹(ia0694
45歳・男・サ
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
メグレズ・ファウンテン(ia9696
25歳・女・サ
アルクトゥルス(ib0016
20歳・女・騎
牧羊犬(ib3162
21歳・女・シ
ライア(ib4543
19歳・女・騎


■リプレイ本文


「御免」
 千歳緑の紋付きを羽織った銀髪の女性、皇りょう(ia1673)が屋敷の表口に立った。
「実はこちらで、稀代の名刀が買えると聞いて窺ったのだが」
 りょうが、穏やかな物腰で話し始める。この屋敷を訪れる客層とはかけ離れた珍客に、門番は目を丸くした。
「あん? 姉ちゃん、開拓者か何かかい」
「うむ。できれば泉州伝の刀を頂戴したい」
 りょうは心覆を用いて殺気を消し、飽くまでも物静かに微笑む。
「興宗か興春辺り、小糠肌に直刃の、泉州伝らしい壮美なものはないだろうか」
「ああ、悪いな、俺ぁただの門番だからよ。中で甚斉さんに直接言ってくれや」
 刀一口だけを腰に差し、鎧の一領も着ていないりょうの前に、門番はあっさりと相好を崩して踵を返した。
「あんた運が良いよ。甚斉さん、いま旅支度の真っ‥‥」
 門番はそこで言葉を切り、静かに膝を折って、倒れ伏した。一瞬で間を詰めたりょうの手刀が、強烈な一撃を男の首筋に見舞ったのだ。
「て、てめえ! 何モンだ!」
 だが、後ろ暗いところのある商人の屋敷だ、門番も一人ではない。その場に二人いた門番の片方が呼び子笛を吹き、残る片方が居合の一撃をりょうに放つ。
 緑の紋付きが、風にはためきながらふわりと後ろに舞った。
 殲刀「朱天」の鯉口を切る音が、秋空へ吸い込まれていく。蜻蛉の構えに殲刀「朱天」を抜いたりょうは、大音声で呼ばわった。
「遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 皇家当主、りょう! 推参!」
 斬りかかる門番の剣閃が、りょうの肩先半寸を素通りする。柔らかく触れたかに見える峰打ちの一撃は、素人と見える門番の意識をたやすく奪った。
 残る門番が必死に吹き鳴らす呼び子笛に合わせ、雪を思わせる長身の銀髪女性アルクトゥルス(ib0016)と細身の金髪女性ライア(ib4543)が門の内側へと滑り込んだ。
 軽装のりょうに比べ、こちらの二人はしっかりと鎧を着込み、臨戦態勢を整えている。
「これで集まってくる護衛は引き受けた。中を頼む」
 屋敷の中が、騒がしくなる。呼び子笛で起きた護衛達が、武器を手に廊下に出て来始めたのだろう。
「りょう殿、気をつけろよ」
 ライアがちらりと振り返って声を掛ける。アルクトゥルスは、早くも遠くの茂みに身を投げ、屋敷を目指していた。
「案ずるな。この連中相手なら負けはせん」
 りょうは左手をひらひらと動かしながら微笑んだ。


 何の前触れもなく、裏口の屋根よりも更に高い位置に、ぎらりと陽光を映して輝く斧の刃が現れた。
 鬼島貫徹(ia0694)の肩の高さが五尺ほど。そこから伸びる腕が二尺半。そこから更に八尺もの高さに、凶暴な光を放つ大斧「鬼殺し」の刃はあった。
「? おい、ありゃ何‥‥」
 門番が言い終えるよりも早く、斧はその名の通り、鬼さえも殺す勢いで轟然と振り下ろされた。唐竹割の一撃が、門扉を閂ごとやすやすと両断する。
 間の抜けた沈黙が、一瞬辺りに漂った。
 門番達は呆気に取られ、言葉を発することさえ忘れて立ちつくしている。
 鬼島は荒っぽく両断した扉を蹴飛ばしたが、まだ材木がどこかに引っかかっているのか、扉は外れない。
 今度は「鬼殺し」が左右に打ち振られ、門扉ははじけ飛ぶようにして敷地の内側に転がった。
 底意地の悪い笑みを口元に浮かべた鬼島が、大斧を肩に担ぎ、熊のようにのっそりと敷地内へ侵入する。
 その隣には、七尺を越える長身を純白の鎧に包んだメグレズ・ファウンテン(ia9696)の姿もあった。
「‥‥ば、化け物だあ!」
 表玄関で鳴る呼び子笛をかき消すようにして、男が叫んだ。鬼島は豪快に笑う。
「クハハ、今一歩遅かったようだな贋造刀売りよ。最早逃げられぬぞ」
 鬼島の大斧の平が、飛びかかってきた門番を文字通り吹っ飛ばす。
「頼む。どいてくれ」
 裏口に集まり始めた護衛たちを前に、メグレズもまたゆっくりと鯉口を切った。
「鬼神丸」が鞘からその全貌を現した瞬間、その白い体躯が護衛たちの目の前へと踏み込む。
 護衛達が呆気に取られたその瞬間、白い波紋が、屋敷の裏口前に広がった。メグレズの身体が一回転し、鬼神丸の白い刃が巨大な弧を描いて、周囲の人間を円形に吹き飛ばしたのだ。
 メグレズは鎧の金具に掛けていたベイル「翼竜鱗」を掲げ、屋敷目掛けて前進を始める。
 完全に及び腰になっている門番が怒鳴った。
「と、止めてくれ! 先生、止めてくれよ! そのために雇われてんだろ!」
「無茶言うんじゃねえ! 死ねってのか!」
 騒ぎを聞きつけて駆けつけてしまった護衛達が、引きつった顔で一応刀を構える。
「クク、こんなに集まっても良いのか? 既に我が仲間達が、隠し通路から尾倉を追っておるぞ」
 護衛達はぎょっとし、その中の数人が屋敷の或る一方向を振り向いた。
 その方角を見たメグレズと鬼島は、鋭く頷き合う。
 鬼島が大音声で呼ばわった。
「牧羊犬! 庭の正面にある部屋だ!」


「聞こえたか?」
「聞こえた」
 普段からよく使いそうな場所として、居間と厠を探っていたアルクトゥルスとライアは、遠目に頷き合った。即座に廊下で合流し、庭の正面にある部屋の前に立つ。
「‥‥ここだな」
 ライアが静かに襖に手を掛けた、その時。
「避けろライア!」
 間一髪だった。咄嗟に後ろに飛び退ったライアの胸元を、槍が掠めていく。
「仕留め損ねたか」
 槍の石突きで襖を開け、部屋から出てきたのは、槍を持った二人組だった。向かって右に長身の男、左には堅太りの男。構えの取り方から、同流派の二人と知れる。
「ライア。牧羊犬の痕跡だけでも見たか?」
 アルクトゥルスはダブルショートを構えながら、のんびりと聞く。ライアはゆるゆると首を振った。
「いや」
「何だ、そっちもか。ひょっとして、早々に尾倉を追ってんのか」
「だろうな。そこに鍋のふたが転がってる」
 ライアがリベレイターソードで部屋の隅を指した。確かにそこには、場にそぐわない鍋のふたが一枚、転がっている。牧羊犬の目印だろう。
「裏商人とはいえ、目利きの悪い奉行の頼みで用心棒を斬り捨てるのも何だかなぁ」
 ぼやきつつ、アルクトゥルスが畳を蹴った。突き出される二条の槍をダブルショートで同時に受け流しながら、一動作で長身の男の懐に潜り込む。
 長身の男は、咄嗟に槍の石突を跳ね上げてアルクトゥルスの顔面を狙ったが、アルクトゥルスの右膝がそれをがっしりと受け止る。
 次の瞬間、彼女の右足が男の左爪先を踏み抜いた。男が顔を苦悶に歪め、咄嗟に槍を振り回すが、アルクトゥルスはそれを難なく避け、剣の平で男の顔面を痛打する。
 堅太りの男が咄嗟にアルクトゥルスの背を突こうとするが、その穂先はライアのリベレイターソードに食い止められた。
「あなたの相手は、この私が仕ろう」
 期せずして、二人は背中合わせに立つ。
 だが、背後からの攻撃のおそれがないとはいえ、開拓者になったばかりのライアには些か荷の重い相手だった。咄嗟にライアはガードを発動し、防御を重視した戦い方に切り替えるが、しかし堅太りの男の槍は止まらない。
「くっ!」
 ライアは何とか槍の穂先をやり過ごし、懐に潜り込もうとするが、その度に下から跳ね上がってくる石突きに行く手を阻まれていた。
「手助けはいるか」
 余裕を持って長身の男の相手をしているアルクトゥルスが、振り向くことなく言う。
「いや、もう見切った」
 僅かに息の上がったライアだが、不敵に笑って見せた。
「舐められたもんだ」
 堅太りの男は余裕をもって笑った。
 瞬間、ライアの身体が大きく前進した。スタッキングだ。咄嗟に突き出された槍の穂先がライアのこめかみを掠める。それまで普通に間を詰めようとし続けていた事が、堅太りの男の目測を狂わせていた。
「野郎!」
 男は即座に攻撃を切り替え、槍の石突を跳ね上げた。が、それを予期していたライアはあっさりと右膝で受け止め、その足で堅太りの男の爪先を踏み抜く。
 その動きは、まさに今アルクトゥルスが見せたそれを完璧に模倣していた。
「私の間合いで、戦って頂こうか」
 足の甲を砕かれ、満足に動けなくなった男の顔色は、真っ青になっていた。


「これだけしか持って来れませんでしたな」
 小柄で浅黒い肌をした甚平姿の男は、地下通路で足を止め、両手で抱えた数口の刀を眺めた。
 その時だった。鋭い誰何の声が、地下通路に響く。
「尾倉甚斉殿とお見受けしましたが、如何でしょうか」
 男、尾倉が弾かれるようにして振り向く。
 そこには、鋼のような肉体の要所を下着だけで隠した、小麦色の肌の女性、牧羊犬(ib3162)がいた。ぴんと立った犬の耳と太い尾が、暗がりにあっても目を引く。
 尾倉は両手に抱えた刀を地面におろすと、自らの差し料の鯉口を切った。
 しかし、その動作が終わるよりも速く、牧羊犬の姿が闇に消えた。
 同時に尾倉の刀が、闇を断ち切る。その動きは達人と呼ぶにはほど遠かったが、しかし明らかに訓練を受けたサムライのそれだった。
 相手が素人と踏んでいた牧羊犬は、思わぬ鋭さの斬撃に飛び退り、距離を取る。
「よくここが解りましたな」
 尾倉が呟くと、牧羊犬は微笑み、自分の左目を指さした。
「私どもシノビには、忍眼というものがございます。特にあのような、からくり仕掛けで隠された扉などは見つけやすいものです」
「覚えておきましょう」
 尾倉は唇を歪め、刀を納めると、居合腰になった。
「居合ですか」
 牧羊犬は呟き、再び早駆で暗闇の中に溶けた。
 鯉口が切られる音、そして鍔鳴りの音が、地下通路に反響する。
「非礼をお許し下さい」
 尾倉の左隣へと跳んだ牧羊犬は、抜かれかけた刀の柄尻を右手で押さえ、居合を封じていた。空いた左手の鉄爪をゆっくりと尾倉の目の前に翳す。
「岩崎様の依頼にて参りました、暫し時間を頂きたい」
「岩崎? 岩崎、岩崎‥‥ひょっとして、代官の岩崎哲箭殿ですか」
 尾倉はあっさりと抵抗を止めた。
「‥‥何故、岩崎殿が私を?」
「贋造刀を掴まされた奉行から、岩崎様へのご命令です」
「貴様を斬れ、とな」
 低い声が、暗闇の中から響く。鬼島だった。流石に八尺の大斧は通路に持ち込めなかったか、丸腰だ。
「その首、貰い受けるぞ」
「‥‥岩崎殿が? そんな馬鹿な」
 尾倉は牧羊犬に刀と左手を封じられたまま、鼻で笑った。
「あの方にお譲りした柳州吉光は、正真正銘の本物です。それが解らぬ御仁ではありますまいし、易々と義理を欠くようなお方ではないと思ったからこそ、私は吉光を譲ったのですよ」
「そう思うか。まあ死んでから事実を知るも良かろう」
 鬼島は両手の指を派手に鳴らし始める。と、地下通路の入り口に、ふわりと降りてきた人影があった。
「尾倉殿とお見受けした。‥‥どんな言い分があろうと、詐欺は詐欺。犯した罪は償って貰わねば」
 千歳緑の紋付き羽織に一筋の傷さえつけず、護衛達の囲みを突破してきたりょうだった。
「上では、今にも私の仲間達がご自慢のサムライ達を片付けんとしているところ。尾倉殿、そろそろご観念召されよ」
「か、観念? 冗談も程々に‥‥」
 本当に首を取られると思い始めたか、尾倉の顔色が、変わりだしていた。
 だが、
「冗談ではない。往生際良く、だまし取った金銭をお返し願おう」
 りょうの一言を切っ掛けに、気まずい沈黙が漂い始めた。
 一同が、それぞれにりょうの顔を見る。尾倉は、僅かに安心したような顔で。鬼島と牧羊犬は、苦笑いを浮かべて。
「‥‥金をお返しすればよろしいのですかな?」
 前後の話を聞けていなかったりょうは、人差し指で頬をかいた。
「も、申し訳ない。余計なことを口走ってしまっただろうか」
「いえ、構いませんよ」
 隠し通路に滑るかのごとく飛び降りてきたのは、メグレズだった。純白の鎧が、闇の中にあって浮き上がるようだ。
 メグレズは尾倉に向かって歩み寄りながら声を掛けた。
「尾倉さん、外の地で水州重邦の商いをしてみませんか」
「‥‥また、唐突ですな。理甲の重邦ですかな」
 メグレズは得たりとばかりに頷いた。
「水真の地に、老練な『売り手』はいらっしゃらないご様子。贋作だけでなく名刀も扱える貴方ならば、相当な手腕と伝手をお持ちでしょう」
 メグレズの言葉に、ふむ、と尾倉は声を出した。自分の差し料を押さえている牧羊犬の手をそっと叩いて手を離させ、その場に腰を下ろす。
「それで」
「表向きには隠密裏に斬ったと奉行様に報告は致します。この地を離れ、水州に理甲あり、理甲の里に重邦ありと世に広めて頂けないでしょうか」
「奉行の顔も潰れず、私を救おうとした岩崎殿にも利があり、私が穏便に水真を離れる名分にもなりますかな」
「話が早い」
 メグレズは頷いた。
 牧羊犬がそれに付け加える。
「奉行様も返金は一部で構わないとおっしゃっています。まあ、結局はご自分の命に値を付けて頂くことになりますか。当面この件に関しては口外なさらぬということで、岩崎様の顔も立てていただきたい」
「面白い」
 尾倉は即答した。
「重邦ほどの名刀、私が売るまでもなくじきに有名になりましょうが、しかしその提案は面白い」
「話が早くて助かる。脅すまでもなかったか」
 鬼島は苦笑した。
「急なご来襲で、金は上に捨て置いてあります。取りに戻りましょうかな」
 尾倉は地面に置いてあった刀数口を抱えて立ち上がり、元来た道を戻り始める。
 その時、傷一つないアルクトゥルスと、初めての依頼で大分手傷を負わされたライアが地下通路へと入って来た。
「何だ、もう話はついたのか」
「すまない、アルクトゥルス。私が時間を食いすぎたか」
 二人は、屋敷へと戻ってくる尾倉達を地下通路の入り口で迎える。
「どうなった?」
「概ね、メグレズの案で決着だな」
 鬼島が肩をすくめる。
「奉行も、真贋見抜けなかったツケは、甘んじて支払うべきだとは思うがな。それより、奉行に差し出す尾倉の首の代わりはどうする」
「斬った体裁を整える程度でいいと思うがねぇ。髪か指か、どこかしら身体の一部を持ってけば納得するんじゃないか」
 アルクトゥルスが、意地悪く尾倉の身体を見る。
「せ、せめて髪にまかりませんか」
 流石に指を落とされるのは嫌と見え、尾倉は自分の髪を掴んだ。鬼島が笑う。
「名物の鍔なり何なり、希少性のあるものがあればそれで良かろう」
 アルクトゥルスがぱちんと指を鳴らす。
「目が利かないなら、本物じゃなくても大丈夫かもな」
「奉行が騙されたという話は内密にしておくべきなのだろうな」
 ライアもまた、意味ありげに笑う。
「ただまあ、うっかり話の種にしてしまう事は、あるかもしれないが」
「‥‥だな。ついうっかりな」
 アルクトゥルスが小悪魔の笑みを浮かべた。
 ‥‥水真の地の一奉行が進物として贋造の鍔を献上、どこからか街に流布した噂話から事が露見し、閑職に追いやられることとなるのは遠からぬ先の話である。