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■オープニング本文 ● 三倉の町は硝石と硫黄、つまり黒色火薬の原料を掘る拠点として生まれた。 しかしここから余所の町へ出るには最寄りとなる東の宿場町を通るほかなく、それには足場の悪い広大な湿地帯を抜けねばならない。 外界から半ば孤立している割にアヤカシの被害が多かったこの町では、志体持ちでなくとも町中に、或いは遠くの町に情報を伝えられる手段として、狼煙が発達した。 これが年に一度の祭の際に打ち上げられるようになり、名物化したのが百年ほど前。 様々な流派の火薬職人達が規定量・規定種の火薬を用いて、昼と夜とで別々の狼煙を打ち上げ、日頃の鍛錬の結果を見せ合い始めたのだ。 昼の狼煙は「竜声」と呼ばれ音と煙で、夜のそれは「竜星」と呼ばれ吹き出す炎の色とその散りようで、その美しさと目立ちようを競うのである。 中でも市野瀬流と千雲流の二つは、三倉の町を二分して睨み合う侠客集団、永徳一家と瀧華一家による肩入れを受け、面子は掛けるが命は懸けない、平穏な代理戦争を請け負っていた。 ● 杭を山肌に打ち込む高い音が、山間に木霊していく。 「急げ! そこ、とっとと縄を用意しねえか!」 壮年の男性が、富士額に汗の珠を光らせながら怒鳴る。その背後で、砂利を踏みしめる音が鳴った。 「明後日の祭りにゃ間に合いそうかい」 永徳一家の親分、剣悟郎だった。櫓の組み上げを指揮していた男性は、振り向いてその顔を見るや否や、目を丸くして片膝をつく。 「こいつは剣悟郎親分。ご無沙汰しておりやす」 「いい、いい。堅苦しいのは抜きにしようや。で、どうでえ」 剣悟郎は男性の手を取って立ち上がらせ、肩を組む。男性は勢いよく胸を叩いた。 「あんな事件はありやしたがね、この花作、命に懸けても間に合わせまさあ」 「頼もしいねえ」 剣悟郎は豪快に笑い、花作と名乗る男性の肩を幾度も叩いた。花作は嬉しそうな顔を作ったが、すぐに真顔に戻って囁いた。 「時に親分。ウチの櫓の紐を切りやがったのぁ、やっぱり千雲の連中ですかい」 「まだ何とも言えねえや。他の流派の連中やも知れねえから、早合点はいけねえよ? 今は、それどころじゃねえからよ」 剣悟郎はやんわりと花作を諫め、そしてぼそりと呟いた。 「何せ、この後の方が危ねえやも知れねえんだ」 花作がいぶかしげに、長身の剣悟郎の顔を見上げる。 二人は顔を見合わせると、どちらからともなくその場に座り込み、声を潜めた。 「‥‥何ですかい? 親分、まだ他に小汚え嫌がらせがあるってこってすかい?」 「おう。川の上流で、猿の面でツラぁ隠した野郎を二〜三人、俺ゃ確かにこの目で見てな」 剣悟郎は重々しく頷いた。 「やけにコソコソしていやがって、俺を見た途端に尻尾巻いて逃げていきやがった。そこそこ良い動きをしてやがったから、志体持ちかも知れねえ」 「志体持ちを仲間にしてる連中なんざ、千雲流に肩入れしてる瀧華一家しかいやせんぜ? じゃあやっぱり、ウチの櫓の紐に細工をしやがったのも‥‥」 花作が隣の櫓を睨み上げた、その時。 「親分!」 呆れ顔で近づいてきたのは、柔らかな獣毛に覆われた尻尾と三角形の耳が人目を引く、白髪交じりの男性だった。 「うるせえのが来やがった」 剣悟郎は苦笑いを浮かべ、狐獣人の男性に手を挙げる。 「よう、仁兵衛」 「親分。何度でも何度でも申し上げやすがね? 困りやすぜ、ご自分の身体あ、大事にして頂かねえことには」 仁兵衛の耳が、つんと真上を指している。温厚な彼が珍しく怒っている証だ。 「もう丸三日、不眠不休じゃねえですかい。町の中はあたしたち子分が見守ってやすから、安心してお休み下さいやせんか」 「解った、解った」 剣悟郎は親指で自分の背後の山を指さした。 「あと川を見回ったら、屋敷に帰って寝るからよ。その後は誰かをそっちに回しといてくれや」 「じゃあ、川の見回りもあたしたちがやっておきやすから。親分は早々に帰って休んでおくんなせえ。でねえとお身体に障りやすぜ」 仁兵衛が鼻に皺を寄せる。その姿は、本当に狐のようだ。剣悟郎は笑った。 「なあに、俺もまだ四十路前だ。ちっと無理したくれえじゃ」 そして勢いよく腰を上げ、そのまま前につんのめり、地面に両手をついてしまう。花作と仁兵衛が、軽く吹き出した。 「そら親分、言わんこっちゃねえ」 仁兵衛は呆れ顔で言い、剣悟郎の手を掴んだ。 「さ、お手をお貸ししやすよ。親分‥‥親分?」 そこで、ようやく仁兵衛が異変に気づいた。剣悟郎は目を剥き、仁兵衛に掴まれていない左手で腰を押さえて、低いうめき声を上げている。 「に、仁兵衛さん? こいつあ‥‥」 花作は剣悟郎の様子を見て、ぴんと来たらしい。仁兵衛も、心底呆れ顔で剣悟郎の顔をのぞき込んだ。 「親分‥‥さては、腰がぎっくりと行きやしたね?」 剣悟郎は全身から脂汗を垂らし、犬のように四つん這いになって、呻いた。 「い、い、いいから、早えとこ、巫女でも陰陽師でも、医者でもいい、呼ばねえか‥‥」 |
■参加者一覧
すぐり(ia5374)
17歳・女・シ
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
千代田清顕(ia9802)
28歳・男・シ
明王院 浄炎(ib0347)
45歳・男・泰
鹿角 結(ib3119)
24歳・女・弓
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志 |
■リプレイ本文 ● 「腰は、どないです?」 襖を開けて、ひょっこりと黒髪の少女、すぐり(ia5374)が顔を出した。 「あん? お、お前さん確か、仁兵衛の‥‥」 剣悟郎は布団の中で、何故か目を剥いた。その顔は微妙に赤らみ、その動きは妙にぎこちない。すぐりは、小首を傾げた。 「何や、良くなってはりませんの? うちがさすってあげ‥‥」 「よ、よさねえか! 俺ゃ、女は苦手だ!」 身動きの取れない剣悟郎は、必死に両手を振った。 「い、一体なんの用で来やがった! よ、用がねえなら、みみ見張りに‥‥」 「あ、そや」 くすくすと笑いっていたすぐりは、ぽんと手を打ち、懐から一枚の紙を取り出した。 「何でえ、そりゃ」 「うちの仲間が、人魂いうんを使って作ってくれた地図なんやけど」 すぐりは、巨漢の陰陽師、宿奈芳純(ia9695)が作った地図を剣悟郎の前に広げた。 「相手を知るんは、大事な護りの要素やて。お猿さんの面つけた人達の、見つけた時の様子やら足取りやら、解る範囲で教えてもらえやしまへんやろか」 剣悟郎は僅かに顔を赤らめたまま、横目で地図を睨む。 が、やおらその顔が真剣味を増した。 「川の西側にな、細い獣道があるだろ。その辺にいやがったんだがな‥‥奴等、妙に川の方を気にしてやがった」 「川?」 すぐりは眉をひそめた。 「堤やのうて、川を気にしとったん?」 「そうだ。川の幅なのか、流れの速さなのか、周囲の視界なのか、何を気にしてたのかは解らねえが‥‥」 すぐりは考え込んだ。 「川‥‥川なら、舟‥‥狼煙‥‥」 「その後ぁ判然としねぇが、しかし見慣れねえ足跡を幾つか、ススキ野原の周囲にある高台で見かけたぜ」 剣悟郎は付け加えた。 「高台。ふうん」 すぐりは、小さな唇を尖らせ、難しい顔を見せた。 ● 堤から十数丈遡った辺り、満月の浮かぶ川面に、長い呼び子笛の音が響き渡った。 「な、何だ!?」 舟から、男のうろたえる声が漏れる。 と、満月が突如覆い隠され、黒い影が舟へと降り立った。 「な、何モンだ、てめえ!」 「流石すぐりさんに芳純さん。ギリギリだったけど、良い情報を持ってきてくれたね」 満月に照らし出された紫色の瞳が笑っていた。黒い戦袍に身を包み、夜の闇に半ば溶け込んだ青年、千代田清顕(ia9802)だ。 その肩に留まっていた芳純の鳥型人魂が、三十秒という短い役目を終え、空気に溶け、消えていく。 「‥‥て、てめえ! あの時の!」 声の主と清顕の視線が交錯した。 清顕は一瞬考え込み、軽く手を打つ。 「ああ、あんたか。年に一度の祭りに水を差そうだなんて、無粋な連中もいたもんだと思ったら。今回は少数精鋭で来たんだね」 「うるせえ、ここで会ったが百年目! この間の傷の借り、返してやるぜ!」 先日の出入りで、清顕に苦無を突き込まれた志体持ちだった。清顕は大きく跳躍して隣の舟に移ると、逆手で忍刀「風也」を抜き、半回転させて構える。 同時に、鋭い音が川面を揺らした。 「二度も同じ手が通じるかよ!」 先日の立ち合いで、忍刀に意識を奪われている間に苦無を投げられた男は、清顕の左手から放たれたものを刀で弾いていた。 が、舟の上に転がった物を見て、目を剥く。 「い、石!?」 瞬間、清顕の鋭い下段回し蹴りが男の太腿を打ち抜いていた。 激痛に身体を仰け反らせた男の鎖骨を、「風也」の峰がへし折る。徒手攻撃から斬撃へと移る連続技、漸刃だ。 「言ったじゃないか、こういう戦い方が好きだって」 男は、口から泡を吹いてひっくり返った。 その時、下流、堤の付近の森で悲鳴が上がる。 「な、何だこりゃ!? 撒き菱!?」 「気をつけろよー。分かりづれーけど、その辺にいっぱいばら撒いておいたからさ」 虎縞の耳と尾を持つ少年志士、羽喰琥珀(ib3263)の、笑みを含んだ声が森の中に響き渡る。 刀を下げた野袴姿の侠客が、足に刺さった撒き菱を抜き、舌打ちとともに茂みを掻き分けて獣道へと戻ってきた。同時に金色の人影が木立の間を駆け抜ける。 野袴の男が咄嗟に刀を動かした瞬間、鈍い音と共に、その黒塗りの鞘が琥珀の斬撃を受け止めた。 「へえ、志体持ちじゃん」 脛斬りを受け止められた琥珀が、刀をゆっくり鞘に納めながら、大きな目を更に丸くした。 「ガキが!」 男の強打による一撃を、琥珀が紙一重で避ける。 再び男の鞘が鈍い音を立て、今度は膝の辺りで、琥珀の斬撃を受け止めた。 琥珀の喉を狙って放たれた突きは横踏によって躱され、居合の一撃が男の臑を狙う。が、その斬撃は、三度男の鞘に受け止められた。 男の突きから琥珀の居合いまで、一連の動きを判で押したように繰り返したところで、男は琥珀の狙いに気づいた。幾度でも鞘に斬撃を浴びせ、鞘ごと臑を切るつもりなのだ。 「野郎!」 男は、琥珀の一撃を鞘で受け止めながら、刀で強打の一撃を浴びせかける。 刀が、乾いた音を立てて木の根の上に転がった。 「あっさり引っかかっちゃって」 琥珀は笑った。転がった刀の柄には、人間の手がついたままだ。 それまで、居合から普通に刀を鞘に納めていた琥珀は、突如として速度を跳ね上げ、居合から銀杏、更に居合へと移行して、二度目の斬撃で無防備な右手首を切り飛ばしたのだ。 と、辺りで轟音が響き渡った。続いて怒声が。 「てめえ! その薄気味悪い面、まさかこないだの!」 琥珀と清顕がそれぞれの方向から堤に目を向けると、先行していたらしい黒塗りの舟から、堤に向けて焙烙玉が投げつけられているのが見えた。そしてその焙烙玉が、白い壁にぶつかってむなしく爆散しているのも。 「すぐりの読み、完璧だなー」 琥珀が堤へと駆け戻りながら、感嘆の息を漏らした。 満月を横手に見ながら、風霊面を付けた芳純が手にした符に口を近づけ、息を吹きかけていた。そのたびに符は白い瘴気の霧となり、堤の上を這うように進み、一点に凝集して壁となる。 満月よりも更に白くそそり立つ壁は、焙烙玉の炸裂から堤を見事守りきっていた。 「どうせいずれ練力は切れんだ、いつまでもつか見物だな?」 「まあ、間違いではありませんね」 芳純は仮面の下で呟き、微笑む。 「もっとも、あなたの退散が先でしょうが」 その視線は、上流の舟を片付け、堤の前の舟へと飛び移る清顕の姿を捉えていた。 ● 満月が、煌々と夜のあばら屋を照らしている。 「畜生! 冗談じゃねえぞ、何でやることなすこと、全部読まれてやがる!」 たいまつを手にした侠客が、高台の上で歯ぎしりをした。 志体持ち数人だけで攻めた堤側と違い、あばら屋側はただの侠客を十数名連れていた。 だがあばら屋の周囲は、一町近くにわたり、ススキが刈り取られていた。それだけではない、そうしてできた露地の縁には幅一尺ほどの溝までもが切られ、その土は畝となって露地側に盛られているのだ。 これでは火を放っても、あばら屋に届く理屈はない。 侠客達は万一に備え持ってきた弓で火矢を放ったが、身の丈七尺の巨漢、明王院浄炎(ib0347)が振り回す盾と棍に止められ、あるいは叩き落とされてしまう。 しかも屋根の上では、銀色の尾と耳を持つ豊かな胸の女性、鹿角結(ib3119)が、火矢の明かりを目掛けて恐るべき強弓を放ってくるのだ。襲撃に来た侠客は、大半が無力化されていた。 「腕の立つ野郎が居る様じゃあねえか」 倒れている侠客から自信満々に弓を奪い、身の丈四尺ほどの背の曲がった老人が舌なめずりをすると、叫んだ。 「姉ちゃん、名は何てえんだい」 「‥‥月下の蒼狐、と呼ばれています」 結は満月を背負い、ちらりと老人を見下ろした。老人はわざとらしい笑い声を上げる。 「風流だねえ」 老人は六節で瞬時に矢を番えると、月へ向かって放った。結は足場の悪い茅葺きの屋根の上で一歩だけ横にずれ、その矢を躱す。 と、老人の一丈右で火矢を放とうとした侠客が、炎を纏った閃光のごとき一矢で膝を射抜かれ、もんどり打って倒れた。 「会!」 老人は矢を引きながら大きく息吹を吐き、僅かに目を細め、「会」の矢を放った。それも空を切る。 今度は老人の後方で、火を熾していた男の右腕が射抜かれた。老人の顔色が、変わり始めていた。 「発!」 結は星空へと跳躍し、命中力を上げた老人の矢を避けた。 「そろそろ、気づいてもいいんじゃないですか」 屋根に降り立った結は、老人に向けて静かに愛弓「蒼月」を構えた。その意味を感じ取り、老人は及び腰になる。 「僕は志士。回避に長けた泰拳士ですらない。にも関わらず、弓術士であるあなたは、僕にかすり傷一つ与えられない。実力の差は明らかでしょう」 「蒼月」が、ゆっくりと結の練力を凝集し、象牙色の満月の前で、妖しく赤く輝き始めた。 「逃げるなら、僕も追う気はありません。なおも向かってくるなら、お相手しますが‥‥どうします?」 ● 「やるねえ、おっさん」 「ちったあ名の通った泰拳士かい」 双子らしき、三十がらみの男達が自信ありげに笑った。 八尺棍「雷同烈虎」を脇で止め、浄炎は無表情のまま答える。 「明王院浄炎と申す」 「俺ぁ孫善」 「孫義だ」 双子は同時に抱拳礼をした。泰拳士の一流派の持つ、相手への敬意を含んだ戦闘開始の合図だ。 同じ泰拳士である浄炎には、その意味がよくわかっていた。左半身になり、左手で持った雷同烈虎の下端を左足の前に置き、大喝した。 「来い!」 孫兄弟は籠手を握り、地を蹴った。 平屋の軒先よりも高い位置から振り下ろされ、視界の遙か外から襲い来る八尺棍は、戦い慣れているらしい二人組を相手取ってなお、一歩も引けを取らなかった。 孫善が右手を地に当て、左の水面蹴りで浄炎の左足を狙う。浄炎の棍が、悠々とそれを受け止めた。 孫義が体勢を低くして突進し、高速の一撃、疾風脚をその胸に浴びせる。 が、 「効かぬわ!」 その一撃は脇にずれ、全く有効打になりえない。浄炎の棍が回転し、孫義のこめかみを狙う。 孫義はかろうじてその直撃を避けたが、しかしその先端が掠めた額から、血が噴き出し始めた。高速で動く棍の先端は、誇張でも何でもなく、刃物のごとき切れ味を持つ。 孫善が、浄炎の喉を狙って上段回し蹴りを放った。浄炎は身体を反らせてそれを避ける。 「ウドの大木が!」 一撃目は囮だった。連環腿による二撃目が、浄炎のこめかみを襲う。 が、その二撃目を、浄炎は肩で受け止めた。 身体を宙に浮かせた孫善と浄炎の視線が、一瞬交錯する。 鈍い音が、辺りに響き渡った。 「さて」 浄炎は、棍を突き出した体勢のまま、ちらりと孫義を見た。 全体重を乗せた突きを鎧の隙間に叩き込まれた孫善は、一丈半ほども吹っ飛ばされ、完全に伸びている。 「まだやるか」 孫義は容易に兄を見捨て、全力で山道へと駆け出した。 ● あばら屋の前で侠客に指示を出していた男は、獣道を一目散に駆け下っていた。既にたいまつは捨て、月明かりだけが頼りだ。 が、男の前方、八尺近い高さの暗闇に、突如風霊面が浮かび上がった。男が悲鳴をあげ、その場に急停止する。 「貴方が、千雲流、いえ、瀧華一家の侠客に指示を出していらした方ですね」 堤の防衛を終え遊撃に戻った芳純だった。風霊面の下に、巨大な陰陽服に身を包んだ芳純の身体が現れる。 「この辺りの地形から、三倉に逃げ帰るなら、この道だろうと思っておりました」 男は、咄嗟に踵を返して駆け出しかけた。と、 「お兄さん? 何処行くん?」 木に寄りかかって立っていたすぐりの姿が、闇の中からゆっくりと析出される。 「や、野郎!」 男は懐から短刀を抜き、すぐりに突きかかった。が、白刃は空しく誰もいない闇を切る。 「勝負は狼煙で。そういう話でっしゃろ?」 すぐりの手が、静かに男の首に掛けられた。 「さて、どういう了見か聞かせてもらおか? 見ざる聞かざる言わざるではすませへんよ?」 ● 「目一杯楽しむぞーっ」 「おーっ」 年端もいかない少年二人が、琥珀に続いて愛らしい鬨の声をあげた。 二人は、禅一と宗二。以前永徳一家に絡む依頼で、琥珀達とは多少の縁があった。その頭には、浄炎から贈り物として渡された獣耳カチューシャが誇らしげに乗っている。 「みょいーんのおっちゃんも、行こうよう!」 「み、みょいーんではない、明王院だ」 「びょーいん?」 「明王院」 困惑顔の浄炎の手を、宗二が引っ張っている。 納得が行かない顔の浄炎の肩を、琥珀が叩いた。 「諦めなって。それよか屋台全制覇だ! 禅一、宗二、行くぞー!」 「おー!」 三人と、その中の二人に手を引かれる一人が、雑踏へと消えていく。 剣悟郎の配慮で人気の少ない場所に作られた特等席には、すぐりと結、そして清顕と芳純がいた。竹の猪口で大吟醸酒を飲みながら、めいめいの恰好で夜空を見上げている。 芳純が、ちらりと横の剣悟郎を見た。 「剣悟郎さん、お加減はいかがですか?」 「おう、おめえの治癒符のお陰で、もうこの通り、ぴんぴんしてらあ」 剣悟郎は自分の腰を勢い良く叩き、笑った。再び、竜星が空へと打ちあがる。 しきりに酒を注ぎにくる侠客をちらりと横目で見て、清顕が軽口を叩いた。 「これで周りに居るのが怖いお兄さんたちじゃなくて美女なら最高なんだけどね」 その清顕の首に、するりと細い腕が巻き付いた。 「清顕? ここに美女がおらんて言うた?」 「ち、ちが‥‥」 「すぐりさん、僕もお手伝いしますよ」 結が、すぐりの腕を止めようとする清顕の手を掴んだ。 「口は災いの元と申しましょう、清顕さん‥‥」 とばっちりを恐れ、侠客たちはおろか、芳純さえも全く手出しをしない。 「皆様、重ね重ね、有り難うございやした」 仁兵衛が深々と頭を下げる。一同が、笑って手を振った。 「連中の動きを、一から十まで全部読みきっちまうんですから。お見逸れしやした」 「買い被りですよ」 芳純が笑う。 「そろそろ、市野瀬のが打ちあがるぜ」 剣悟郎の言葉が終わると同時に、小さな赤い光が、月を目掛けて静かに空を這い上がり始めた。 上昇用の火薬の赤い光が停止した瞬間、白く、観客の顔がはっきりと見えるほど明るい光が、空から雪崩れ落ち始める。 と、白い光よりも先に落ち始めていた竹筒が、白い火の雪崩れの下で再び破裂し、青い火を噴き出した。 「今回は、竹の落ちる速度と角度を調節したんだとよ」 剣悟郎が自慢げに言う。 夜空では、青い火の上端に白い火が繋がった。辺りから歓声が沸きあがる。と、今度は緑色の火が青い火の下から噴き出した。 「様々の火がそれぞれの場所で輝いて、大きな一つの線を描く。まるで皆様の御活躍のようじゃあございやせんか」 仁兵衛が目を細めた。 竜星は、様々な色の炎を見事に繋げ、縦一文字に炎の柱を打ち立てて、静かにその役目を終えた。 仁兵衛は改めて、一同に深々と頭を下げた。 「皆様の御活躍、いずれ劣らぬ、随一のものでございやした」 |