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■オープニング本文 ● 茎の銘を確認した研ぎ師、渡辺尚宣の目が、僅かにひそめられた。 「重邦‥‥はて、知らぬ名だ」 尚宣は茎を掴み、刀身をまじまじと観察する。 「細かい板目の地金を見る限りでは武天柳州伝と見えるが、匂の深い広直刃の刃紋には泉州伝の影響を感じる。だが金筋のよくかかる様は石鏡碧州伝のそれ。不思議な刀だ‥‥」 尚宣は刀身を縦に持ち、根本から切っ先方向へと片眼で刃を見た。 「この刀匠の作風が、未だ完成されておらぬのだろう。しかし、取って付けたかのような下品さはない。全ては斬るという一点のために、苦心して選んでいるものと見える」 ただ一人の内弟子、光二が身を乗り出した。 「お師様のお眼鏡に叶いまするか」 「うむ」 短く尚宣は答え、目を細めた。 「ことに昨今、宝珠を埋め込む事で切れ味、強度を高める場合、刀自体の切れ味はさほど追求されぬ。しかしこれはどうだ」 尚宣は、布越しに両手で刀を持ち、その重みを確かめる。 「平肉枯れて、僅かに刀の剛性を損なっているが、しかし幅広で、扱いやすい重量だ。宝珠の力を借りながら、刀自体が切れるということもここまで追求したものが、今までにあったろうか」 「研ぎ師として、お師様の手で、再び刀としての命を吹き込んでみたいとは思われませぬか」 光二は緊張の色を隠さず、師の顔色をうかがう。 果たして、尚宣は久々の笑顔を見せ、刀身を柄に戻して目釘を差した。 「うむ」 刀身を鞘に納め、力強く頷く。 「久々に刀匠の魂を感じる、胸躍る名刀だ。研ごう」 「それはようございました」 光二は畳に頭をこすりつけんばかりに平伏した。 「なにとぞ、お師様のご手腕、存分に発揮なさいますよう」 ● 湿気の多い明け方の空気が、肌にまとわりつくかのようだ。 「光二の容態は!?」 尚宣は血相を変え、部屋から出てきた陰陽師の青年に駆け寄った。 「命に別状はありません」 陰陽師は静かに微笑む。 「傷を見る限り、そこそこ腕が立つ盗人だったようですが、発見が早かったのが幸いしました。今は落ち着いて眠っていますよ」 「以後、後遺症なども‥‥」 「ええ、そのような事もないでしょう。まあ暫く血が足りずにふらふらとする可能性はありますが、それもじきに良くなると思います」 尚宣は、僅かに安堵のため息をついた。 「今、会えますか」 「構いませんよ。ただ、少なくとも今日一日は動かされませんように。傷口が開きますのでね」 陰陽師は事も無げに言い残し、早々に草履を履いて土間に降りた。 「治療費は後日請求致します。ひとまずお大事に」 屋敷を出て行く陰陽師を見送ると、尚宣は静かに扉を開け、部屋の中に入った。 薄暗い部屋の奥で、真っ青な顔の光二が布団に寝かされている。尚宣は足音を殺して、光二の枕元へと歩み寄った。 「光二」 尚宣がそっとその名を呼ぶと、数秒の間をおいて、光二がゆっくりと目を開けた。 「‥‥お師様?」 「無事で良かった」 尚宣は枕元に膝をつき、微笑んだ。 「申し訳、ございません‥‥」 「何を謝る」 光二は目に涙を浮かべる。 「久方ぶりにお師様のお研ぎになった重邦の名刀、盗人ごときに奪われてしまいました‥‥」 「そんな事は良い。そなたが生きていて良かった」 尚宣は首を振った。 「良くはございません。十名からの弟子達の中から唯一内弟子にして頂きながら、お師様がお研ぎになった刀を守れぬなど」 光二は目を閉じて荒い息をついた。 「構わぬ。喋るな。刀を研ぐのを止めようかと考えていた儂だ、今回の件は良い機会になった。やはり刀など、人を傷つけるばかりのものだ」 「そのようなこと!」 光二は起き上がろうとし、血を失いすぎているのだろう、頭を押さえると床に倒れ伏した。 「無理をするな」 尚宣は優しく言い、光二を布団の中に戻した。 「研ぎを止める訳ではない。お主らも食いっぱぐれてしまうからな、包丁、鍬、鋤、鋸、鋏‥‥刀以外にも研ぐものは沢山ある」 「お師様、なりませぬ。お師様の腕を、かような事で眠らせてしまうなど」 光二は強く尚宣の裾を握る。だが、 「言うな。幼き頃より悩んでいた事に、今答えが出たのだ。人を傷つける事に手を貸す道から、儂は降りよう」 尚宣は、晴れ晴れとした顔で微笑んだ。 「良いか、これから忙しくなるぞ。光二、早く怪我を治せ。今回の下手人は、きっと同心達が見つけてくれよう。刀を持たぬ同心が、刀を持った盗人めを捕らえる。痛快なことではないか」 光二は唇を強く噛み、師の笑顔を見上げ続けた。 |
■参加者一覧
葛城 深墨(ia0422)
21歳・男・陰
皇 りょう(ia1673)
24歳・女・志
景倉 恭冶(ia6030)
20歳・男・サ
羊飼い(ib1762)
13歳・女・陰
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ
東鬼 護刃(ib3264)
29歳・女・シ |
■リプレイ本文 ● 水面を撫でて湿り気を吸った生暖かい風が、開拓者達の肌にねっとりと絡みつく。 辺り一帯は薄ぼんやりと靄がかかり、沼地からところどころ生えている木々と共に、そこを通る人間の視界を遮っていた。 「‥‥盗人は、アヤカシにもうやられちゃったのカナ。できれば生かして捕まえたかったケド」 明らかに「使用済み」な藁人形を抱えた少女、モユラ(ib1999)が、人魂の符を魚の形にして水中に放ったあと、周囲を見渡す。 隣の少女、羊飼い(ib1762)が人魂の符を燕の形にして空に放ち、それに応じた。 「暗い茶色の野袴に、黒い猿の面という恰好だったそうですねぇ。刀は、黒塗鞘に金茶色の糸巻拵えだとかぁ」 羊飼いは、モユラと別方向を見回しつつ、足場を気にして歩いている。 「あ、そうなんだ。じゃ、羊飼いは納刀されてること前提で探してよ。あたいは抜き身を前提に、光り物を探す‥‥あれ?」 モユラの視線の先、数丈ほど向こうには、確かに鞘尻から半ばまでを水没させた黒塗りの鞘と、そこから伸びた糸巻きの柄があった。数秒遅れて、羊飼いもその存在に気づく。 「ひょっとして、あれカナ」 「じゃ、ないですかねぇ」 二人は、足場の悪い湿地に足首まで浸かりながら、慎重に刀の側へと近寄っていく。羊飼いがそっと刀に手を伸ばすと、刀は泥でぬるりと滑り、僅かに湿地の奥へと動いた。 「ウナギじゃあるまいし」 苦笑したモユラが同様に手を伸ばそうとした、その瞬間。 「モユラ殿! 羊飼い殿! しっかりされよ!」 二人の肩を、力強く掴む手があった。 はっと目を見開いた二人の前には、何もない沼地がただ広がっていた。目の前にあって然るべき刀は、更にその数丈先にある。 二人の身体は、既に膝まで沼地に沈んでいた。 「目覚められたか!」 二人の肩を掴んだ女性、皇りょう(ia1673)が叫んだ。 ぎょっとした二人が振り返ると、鋼を思わせるつややかなりょうの髪が目に入った。そしてその向こうに、仲間の開拓者達。 そして更にその向こうに、見慣れぬ小柄な女性の姿があった。その目はどんよりと濁っており、膝上まで沼地に浸かったまま、足を動かすことなく滑るように湿地を移動している。 「りょう! 二人は大事ないかの!?」 前頭部から二本の角を生やした妙齢の女性、東鬼護刃(ib3264)が叫ぶ。 「無事です、今戦列に復帰します!」 りょうは二人の目が生気を取り戻したことを確認すると叫び返し、珠刀「阿見」を抜いて駆け出した。 「あたい達、ひょっとしてハメられた?」 ようやく事態を飲み込んだモユラが、羊飼いと目を合わせた。羊飼いはじろりと少女型のアヤカシを遠目に睨む。 「これは、ちょっと汚名返上といきたいですねぃ」 ● 「しっかし…女のアヤカシねぇ…なんか相性で見れば最悪に近いかもしんねぇや」 身体に巻き付けられた鎖を柄尻に繋げた二刀で舞うように戦いながら、景倉恭冶(ia6030)がぼやく。 左の刀がその手から放たれ、少女の姿をしたアヤカシの喉元を襲った。少女は瘴気をまとった左手でそれをいなして一気に距離を詰めようとする。 「おっとっと」 恭冶は左の刀を鎖で引き戻し、空中でその柄を握った。が、足でももつれさせたのか、そのまま少女に背を向けてかがみ込んでしまう。その目の前に肉薄した少女は、咄嗟にその首筋に向かって手を伸ばした。 刹那、少女の脇腹を深々と右の刀が抉った。 恭冶は敢えてかがみ込んで身体の高さを合わせ、相手に背を向けたまま、逆手で右の刀を後背へと突いたのだ。 変則的すぎる、我流剣術の弐連撃だった。少女が、怒りの咆哮を発した。 「りょう! 二人は大事ないかの!?」 叫びながら、護刃の両手が複雑な印を立て続けに結ぶ。 「無事です、今戦列に復帰します!」 「頼んだぞえ! ‥‥アヤカシよ、冥府魔道は東鬼が道じゃ。わしの炎が案内してやる」 りょうの叫びに応えた護刃は、少女を睨みながら親指と中指をぱちんと鳴らす。それを合図に、恭冶がその場を跳び退った。 「さあ、逝くと良い!」 途端、その指からはじけ飛んだ火花が護刃の前から燃え広がり、紅蓮の炎となって少女の身体を包み込んだ。 少女が濁った瞳を輝かせ、この世のものとは思えない絶叫を放つ。一同が、未知の攻撃を警戒して一瞬距離を取った。 護刃の火遁に放たれた炎が、鎮まっていく。 その中から表れた少女の歪んだ笑顔を見て、恭冶はぼやいた。 「ッくァー、回復かよ。面倒な能力持ってるねえ」 アヤカシの能力は、攻撃ではなかった。恭冶と護刃の与えた傷は、粗方癒えてしまっている。 しかし、鎮まる炎の中から表れたのは、その少女だけではなかった。 「それならそれでいいさ。波状攻撃で片を付けよう」 少女の隣に、五尺強の人影がそっと寄り添っていたのだ。葛城深墨(ia0422)の式だ。 濡れた襦袢一枚の妖しい立ち姿をした女性型の式は、まるで口づけをするかのごとく、少女の頭をかき抱いてそっと耳に唇を寄せる。 「さて、と。まずは、ゆるゆると行こうか」 人差し指と中指を立てた深墨の口から、呪文が流れ出した。 それに合わせ、式が相手にしか聞こえない声で絶叫を浴びせかけ始める。 深墨にとっては「ゆるゆると」でも、呪声に脳内を激しくかき回されたアヤカシにはかなり堪えるようだった。両手で頭を押さえ、大きく身体を仰け反らせている。 呪声は、数秒間続いただろうか。少女はその間激しく苦悶していたが、式が静かにその両手を離すや否や、顔面から水面に倒れ込んだ。 その姿が頭頂部から溶け出し、水面へと徐々に広がっていく。 「‥‥やったかの?」 護刃が呟く。とその時、少女の身体の溶解が、突如として遅くなった。 「自分達も、少しは良いところを見せないとですねぃ」 目を丸くして振り向いた恭冶と護刃の背後には、先ほど不意を衝かれて幻惑されていたモユラと羊飼いの二人が居た。その手には、それぞれに符が握られている。 「そのアヤカシ、滅びようとしてるんじゃなくて、逃げようとしてるんですよぅ」 アヤカシの身体には、いつの間にか小さな符が幾枚も貼り付いていた。 羊飼いの細い指に挟まれた大きな符からはそれらに繋がる瘴気の糸が伸びており、妖しげな脈動を繰り返しながら、次々と瘴気を送り込んでいる。呪縛符だ。 「このアヤカシも元は人間だったかもしれないね」 その隣に立つモユラの右手が、左肩を抱くようにして振りかぶられた。一瞬の溜めの後、目の前の空間をなぎ払うかのようにして数枚の符が宙に放たれる。 符は、高速で回転しながらアヤカシとは見当違いの中空へと舞い上がり、そしてその一枚一枚が、空中で鎌鼬の姿を取った。 「コレで成仏しなっ…!」 鎌鼬の口から美しい放物線を描いて、空気の刃が正確無比にアヤカシに襲いかかり、その身体を掠め斬った。 水中に溶けて逃げようとしていたアヤカシは、鎌鼬に切り裂かれた傷口から瘴気を噴き出し、呪詛の声を発する。その身体が、再び溶解を始めた。 「逃がしちゃいけないよ!」 次の符を準備しながら叫ぶモユラの脇を、銀色の人影が風のように駆け抜けた。りょうだ。珠刀「阿見」を大上段に振りかぶり、その刃にありったけの精霊力を注ぎ込む。 アヤカシが、再び傷を回復しようとしているのか、断末魔の絶叫を上げようとしているのか、その口を大きく、耳まで開く。 刃紋をそのまま写したかのごとく精霊力で刀身を包み込んだ「阿見」が、りょうの大振りな「天辰」の一撃で、アヤカシの身体を文字通り両断した。 ● 洗ったばかりの髪を結い直し、貸し出された半裃に袖を通した深墨が呟いた。 「なあ、りょう。話が違わないか」 「私もそう思っているところです」 同じく貸し出された振り袖姿で、りょうは目の前の茶を居心地悪そうに啜る。 刀を返しに来た一同は、どういうわけか湯を使わされ、正装までさせられて、二十畳はあろうという大部屋で茶を出されもてなされる事となったのだ。 「大変お待たせしました。当家の主、渡辺尚宣でございます」 羽織姿の中年男性が、静かに部屋に入ってきた。 一同が居住まいを正すと、その前に座った尚宣は深々と頭を下げる。 「この度は、当家の光二が出していた依頼をお受け頂き、件の重邦の刀を探し出して頂いたとか。盗人が見つからなかった事が心残りではありますが、研ぎ師の私としても、あのまま世に消えてしまうには惜しい逸品、心より御礼申し上げます」 「でも、刀を研ぐのはぁ、もう止めてしまうんですよねぇ?」 部屋に漂う気まずい空気を何ら気にせず、羊飼いが口を開いた。 尚宣はためらいがちに頷く。 「はい。刀に限らず、槍、薙刀等、武器の類を研ぐのをやめにしようかと」 「人殺しの道具だからかい」 恭冶が軽い口調で尋ねた。 「人を傷つけるもんは研ぎたくねえかい」 「光二からお聞きですか」 尚宣は大きく息をついた。 「私の研いだもので人が、それも身近な人が傷ついたのです。もう、やめにしようと思っています」 「刀は傷つけるだけのもんじゃあねぇさ、護る事だって出来る‥‥ちっと失礼」 恭冶は居心地悪そうにしていた正座を崩し、胡座をかいた。 「どんな物でも持ち手次第なんよ。ならせめて、持ち手の心が曇らないように研いでほしいもんやね」 「‥‥なるほど」 尚宣が、胸に溜め込んでいた息をゆっくりと吐いた。 「そこまでが、光二の依頼の内容ですか」 「ま、有り体に言えばそういうことじゃな」 ぬばたまの黒髪を高い位置に結い上げた護刃が、二本の角を細指でいじりながら、あっさりと認めた。 「のう、渡辺殿。お主は刀匠の魂感じて研ぐ物を選ぶと聞いた」 尚宣が頷く。 護刃は穏やかに言葉を継いだ。 「わしの名――護刃にはある想いを込めてある。人を傷つける為に非ず、その身を、何より心を護る為に在る『守護刀』お主が研ぐ刀もそうでは無いのか?」 尚宣は、苦悩の皺を眉間に刻み、口を真一文字に引き結んで考え込んだ。 「ま、俺は、お師匠さんの考え方も解るけどな」 深墨が、尚宣に気遣わしげに声を掛ける。 「でも、包丁で人を刺せるし、刀で人をアヤカシから守る事もできる」 「‥‥皆さんがなさっているように、ですか?」 尚宣がじっとその目を見た。 「ええ。何を研ぐのもご本人の意志ですけど‥‥できれば、お弟子さんが師匠を超えるくらいになるまでは続けて貰いたいですね」 「光二が何を研ぐかは、光二が決める事です。あれは筋が良い。私が導くまでもなく、己が道を見出すでしょう」 「まぁた、何を無責任な」 羊飼いが、尚宣の言葉を一刀両断にした。 「刀なんざぁ道具ですよぅ、悪いのは人。お師さんは開拓者って要らないと思いますか? 開拓者って皆様の刀みたいて思うんですけど」 尚宣が、はっと顔を上げた。 「関わるのはまっぴらですか?」 羊飼いの真っ直ぐな視線が、尚宣の両目を射抜く。 と、やおらモユラが立ち上がった。 一同の注目を気にせず席を外し、直ぐに戻ってくる。その手には、彼女の愛用する藁人形が握られていた。 「な、何です、それ」 まるで見慣れぬその異形に、尚宣は流石に面食らった。 「この藁人形サ、見て判るとおり、恨み事のオマジナイにつかわれてたコだけど‥‥」 モユラは言いながら、尚宣の前にぺたりと座る。 「あたいはこのコで術を使って、人助けしてる。結局人間がどー使うかってダケで、そこに道具の善い悪いなんてナイじゃない」 尚宣は最初こそ藁人形に気圧され、おそるおそる彼女を眺めていたが、モユラがそれを懐にしまい込むと、やがて腕を組んで考え込んだ。 「例え人を傷つけるためだけに作られたものでも‥‥」 「そ」 モユラは頷いて見せる。 「この刀も‥‥なおしてみせてよ。あたいは見てみたいナ、名工の仕事ってヤツ」 ● 行灯の明かり一つだけが光を放つ薄暗闇の中、光二が、何かの気配に気づいてうっすらと目を開けた。 その枕元には、師、尚宣が座っていた。 「お師様‥‥?」 はっきりしない意識の中、光二が細い声で呟く。 「話は、開拓者の方々から聞かせて頂いた。余計な心配を掛けてすまなんだな」 尚宣は穏やかな声で言った。 「お師様?」 「儂の目が、どうやら偏狭であった。人を呪って作られたものでさえ、人を救うことができる。そのことを、儂は初めて知った。物は、飽くまでも物なのだな」 何を言われているのやら解らない光二は、重い瞼を必死に持ち上げ、師の顔を凝視した。 「一体、何があったのですか」 「お主が回復したら、全て話そう」 尚宣は微笑んだ。 「儂は、刀を研ぐぞ。あのような、素晴らしき志を持つ開拓者たちのために。いや、全ての、強く暖かき心を持つ人々のために」 「真でございますか」 光二の瞼が、自ずと見開かれた。黒目がちな大きな瞳が、真っ直ぐに師を見つめる。 「無論だ。儂の、子供の駄々のような不明を、あの者達は払ってくれた」 光二の瞼が、閉じられた。その端から、うっすらと涙が浮かぶ。 「そなたは、良い研ぎ師になる」 尚宣は笑った。 「何を、唐突におっしゃるのです」 涙を拭いながら苦笑する光二に、尚宣はゆっくりと首を振った。 「研ぎ師は、研ぐものの状態に最も適した砥石を選ぶことができねばならぬ。そなたは、儂の錆びついた心に最も良い砥石を当ててくれた」 尚宣は、強い決意を胸に、はっきりと宣言した。 「もはや迷うまい。誰かを救う事に、誰かの笑顔に繋がると信じたならば、儂は儂に研げるもの全てを研ごう」 薄暗い部屋から宵の空へ、感極まった光二の噎び泣く声が吸い込まれていった。 |