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■オープニング本文 ● 神楽の都、開拓者ギルド。長身の黒人職員が、行灯の光を受けながら簡素な椅子に腰掛けている。 ここは、数ある風信器室の中でも古いものの一つ。職員、スティーブ・クレーギーが、退屈そうに一つ大あくびをした。 閑職を十年以上務めているスティーブだが、通信手の病気や忌引きなどが重なり、今日に限って人手不足から臨時の通信手に狩り出されているのだった。 「しかし、意外に暇な仕事でござるな」 背もたれに思い切り体重を掛け、スティーブは大きく伸びをした。途端、風信器が耳障りな音を発してぼんやりと光り始める。スティーブは椅子から飛び上がり、風信器に飛びついた。 風信器から、人の声が漏れだした。 「やれやれ。開拓者ギルドの風信器室で間違いないか」 低い、静かな男性の声だ。 「も、もし。こちら開拓者ギルドでござる」 「ござる‥‥まあ、さっきの奴とは違うんだな。何回話しても取り合ってくれなくて困ってるんだ。俺を捕まえてくれ」 まるで茶飲み話でもするかのような口調だ。 スティーブの目が点になった。 「おい、聞こえてるか」 「き、聞こえてござる」 「よし。頼むぞ、報酬は用意してある。捕まったら払う」 呆然としていたスティーブだったが、気を取り直して口を挟む。 「ちょ、ちょっとお待ち下され。貴殿、一体どこの誰でござるか」 「俺は太郎だ」 「太郎殿‥‥姓は」 「姓。いや、ない」 あっさりと男は答える。 「う、うむ‥‥では、職は」 「無職だ」 「‥‥どこに住んでおられる」 「今は朱藩にいるが、今回捕まらなければまたどこかに流れるだろうな」 スティーブは愛用の羽根ペンで、太郎、無職、住所不定、と書く。 「今、どこの風信器を使っておられる」 「行きずりの町の風信器を勝手に使ってる」 「町の名は」 「知らん」 「むむむ‥‥」 スティーブはアフロの中に指を突っ込んで頭皮を掻く。 「何故お主を捕まえねばならんのでござる」 「捕まれば、足抜けができるからな」 「足抜け。つまり、何かの組織にお主は属していて‥‥」 「そうだ。抜けたくても抜けられないんでな。仲間を売る事にした」 スティーブは困惑顔で首を捻る。 「どのような組織なのでござる」 「火付け強盗だな」 男は、夕食の献立を答えるかのようにさらりと答えた。半信半疑のスティーブは眉をひそめた。 「これまでにどのような仕事、仕事というか強盗を働いてきたのでござろう」 「大した事はしてないな。廃屋に火を掛けたり、精々炭焼き小屋を焼いたりだ」 スティーブの上半身が傾いた。 「ず、随分とやっている事が小さいようでござるが‥‥」 「全て、発火の威力確認と潜伏の演習だからな。代官や奉行に訴え出ても、誰も取り合わない」 風信器の向こうの人物は、飽くまでも真面目な、淡々とした口調だ。 「それはそうでござろうな‥‥」 「これから宝物を貯め込んだ寺で一発でかい仕事をして、他国に逃げる。信じろ」 「うむむ‥‥何か、その話が本当という証拠は‥‥」 男、太郎は僅かに苛立った様子で話し始めた。 「使うのは、俺が作った発火箱だ。箱は木製、外箱から伸びている鋲を壁に刺して取り付けると、箱から伸びた針が押し込まれて錘が入った箱の底が抜ける。落ちた錘がゼンマイを止めている板発条を外す。このゼンマイの回す量で三十秒から三分まで時間を決められる」 太郎の言葉のよどみなさは、立て板に水を流すかのようだ。スティーブの顔が、ふと真面目になる。 「ゼンマイが一定以上歯車を回すとアームが落ちて、内箱の中のフリントを動かす。揮発性の油と空気が詰まった内箱から火薬箱へ火花が回り爆発する。発火箱とは言ったが、威力はちょっとしたもんだ。近くにいると火の点いた油を被るハメになるぞ」 「何故足抜けを」 ぴたりと、太郎が口を閉ざした。 風信器室に、沈黙が降りる。 「お主を疑おうとは、今は思ってござらんが‥‥」 「俺は宝珠を扱えなくてな」 太郎はぼそりと言う。 「宝珠なしでもこれだけやれると、世の中の奴らに見せてやりたくて、うずうずしてたんだな。信じてもらえるとも思ってないが、廃屋の焼却や海賊船への夜間攻撃に使うと言われて、あっさり信じ込んでたんだ。可愛いもんだろ」 太郎は自嘲した。 「年中工房に籠もって器械ばかりいじってると、世の中ってもんが見えなくなるらしい」 風信器が、沈黙した。 スティーブが、依頼票の上で羽根ペンを走らせながら尋ねた。 「ちなみに、寺で仕事をすると言ってござったな。設置された箱を止める方法はござるか」 「無理だな。錘箱の底が抜けた時点で内箱の安全弁も外れて、ちょっとした衝撃でフリントが弾かれるようになる」 「水を掛けても駄目でござるか」 「一番やばい。フリントの動きを留めてるのは紙縒なんだ、紙縒が濡れて切れたらフリントが弾かれる」 「壁から剥がすことは」 「外箱から伸びた鋲が、紐で繋がった紙縒と一緒に抜ける。設置されたら、後の消火を考えろ。おそらく油を撒いてから‥‥まずい、仲間が風信塔に近付いてきた」 風信器の向こうで、男の声色が変わった。 「いいか、22日夜、朱藩東方、海沿いの覚輪寺だ。発火箱は五つ、頭目を含めシノビ、志士、砲術士が三人ずつ。志体は三人一組で動く。傭兵の泰拳士がいて、こいつは結構使える。志体の無い奴も含め約三十、俺は砲術士として中に混じってる。いいな、覚輪」 突如耳障りな音を立て、風信器が光を失った。 |
■参加者一覧
佐上 久野都(ia0826)
24歳・男・陰
アーニャ・ベルマン(ia5465)
22歳・女・弓
千代田清顕(ia9802)
28歳・男・シ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
長渡 昴(ib0310)
18歳・女・砲
蓮 神音(ib2662)
14歳・女・泰
烏丸 紗楓(ib5879)
19歳・女・志
刃兼(ib7876)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 ● 「この度は、当寺にお力添えを頂けるそうで‥‥」 住職らしい袈裟姿の老人が、深々と頭を下げる。 「本当に賊が来るのでしょうか」 「そのように、私達は見ています」 銀髪が目立たぬよう僅かに陣笠を持ち上げ、佐上久野都(ia0826)が紫色の目を細めた。 黒い外套に身を包んだ女性、長渡昴(ib0310)がその隣で同様に陣笠を持ち上げる。こちらは純天儀風の黒髪だ。 「失礼ですが、暫し境内を見せて頂けますか」 昴がちらりと渡り廊下の向こうに視線を走らせる。 「境内を、ですか」 「ええ。賊の侵入経路を絞り込んでおきたいですから」 言い、昴は通用門を潜って僧坊裏を見わたす。 と、 「ご用命の砂、お届けに来ました!」 竹林柄の手拭いを赤髪に巻き作務衣に身を包んだ少女、蓮神音(ib2662)が通用門の外から声を掛ける。その後ろには、砂を積んだ荷車が引く作業員が並んでいた。 「砂‥‥はて、そのようなものは」 住職が訝しげに荷車を見る。 「開拓者です。消火砂を」 黒猫の耳と尾を持つ神威人、烏丸紗楓(ib5879)が住職の脇を通りながら囁く。 ほっかむりで髪を覆い隠し作業員に扮した色白の人物、アーニャ・ベルマン(ia5465)が目の覚めるような瑠璃色の目を細めた。 「ご存知だとは思いますが、湿気を含んだものを油の火にかけると大変なことになりますからね」 「は‥‥はい、勿論」 水を掛ける気満々だったらしい住職が、恐縮して禿頭を掻く。 後ろから荷車を引いてきた長身の青年、千代田清顕(ia9802)が、住職に声を掛けた。 「ご住職。今夜特別な勤行がある設定で、西側の篝火を増やしてもらえるかな。渡り廊下を、お坊さん達がこまめに歩いてくれるとなお有り難い」 「渡り廊下をですか」 住職は不安げな顔を見せる。 「西側の眺望をよくして、東を狙わせるのさ。悪い奴は暗い所が好きだからね」 清顕は自信ありげに笑った。 「それに西側は風下だ、火を掛けても燃え広がらない。それから‥‥」 そして、住職に何ごとかを耳打ちする。住職は意表を衝かれた顔で清顕の紫色の瞳を見返していたが、すぐに会心の笑みを浮かべて頷いた。 「私が請け合いましょう」 「もし消火中や見廻り中に箱や賊を見付けても、決して近付かないで下さいね」 頭に手拭いを巻いた作業着姿のフェンリエッタ(ib0018)が、荷車を引いて通用門を潜る。 「飽くまでも消火に徹して下さい」 「解りました。賊はお任せ致します」 住職は手を合わせ、深々と頭を下げる。 「太郎殿も、事が起きる直前にようやく目が覚めたと言った所でしょうか」 久野都は右目のモノクルを直し、境内を観察し始めた。 「‥‥手遅れにしないのが我々の役目ですがね」 「ふむ」 額の角を隠した長身の修羅、刃兼(ib7876)が頷く。 「特別何かの宗教に帰依してるわけじゃないが、寺の建物や彫像を見るの、結構好きだからな」 崖や辺りの高所から見えない場所を見繕い、荷車を運び込みながら、力強く呟いた。 「捕り物、気合い入れて臨むぞ」 ● 子の刻過ぎ。昼間の喧噪が嘘のように、門前町は静まりかえっている。 境内だけが絶えることない講堂の唱名と、遠慮がちに突かれた鐘の音に満ちていた。 「むー、お寺に火をつけて宝物を盗もーなんて、そんな罰当たりな奴がいるなんて!」 身体にぴったりと合った旗袍に護身羽織。父親譲りの赤髪は泰兜で隠し、拳から肩までを無骨な腕甲で覆っている。 「神音殿。お気持ちは解りますが、賊に聞こえないようお願いしますよ」 作務衣から戦闘用の装備に着替えた神音が唇を尖らせた。 やんわりと神音を窘め、苔庭から突き出した岩の上に腰掛けた久野都が、五芒星の描かれた符に息を吹きかけた。 符は淡く頼りない光を発し、符が光の塊となって崩れ去る。 その中心から現れた白い羽が小さな蛾となり、夜空へ舞い上がっていった。時折吹き付ける風に煽られながら、鱗粉のように微かな煌めきを残して天を目指す。 目を閉じ、蛾型の人魂の視界で寺の全景を見ていた久野都は、僅かに表情を厳しくした。 「神音殿、泰拳士が一人。北東地区です。この地区には五人、身のこなしからして志体の無い人間ですね」 「清顕おにーさんと、アーニャさんが東にいるよね?」 「いえ、お二人は僧坊に火を掛けに来た三人組と交戦中です」 右拳を左掌に打ち付け、神音は低く構えた。 「なら任せて! 久野都おにーさん、ここはお願いね!」 「ええ、お引き受けしましょう」 久野都の返事を待たず、神音は放たれた猟犬の如く走り出していた。時折猛烈な加速を挟みながら、矢のように僧坊の裏へと消えていく。 それを見送ると、久野都はカンテラのシャッターを僅かに開き、静かに歩き出した。 山門の手前五丈まで近付き、物陰を照らす。 「‥‥坊主か」 そこには、頭巾と黒装束に身を固めた五人組の賊がいた。めいめいに、腰の獲物を抜き放つ。 「悪いが、消えてもらうぜ」 「そうですか」 久野都の手を離れた符が地面に触れ、水飴のように形を崩しながら吸い込まれていく。 途端、賊の後方から爆発的に白い塊が飛び出した。 植物だ。真っ先に飛び出した塊は、蔓の先端に下がった口状の花だった。 仰天し腰を抜かした賊の身体を、花が一口に呑み込む。 男の手にしていた箱が、地面に転がり落ちた。 不気味な程に重い沈黙が、その場を支配する。 ゆっくりと蔓の先端が口を開き、呑み込んだ賊を吐き出した。 「お、おい、大丈夫か‥‥?」 尻餅をついた賊が、倒れ伏している仲間に声を掛ける。 返事がない。 「うわわわわわわあ」 股間を濡らしながら、残る賊が四つん這いで逃げ出した。 久野都は嘆息し、四つん這いで山門へ逃げようとする男達に歩み寄る。 呪星符が二枚、夜空目掛けて放り投げられる。正確に三秒後、山門の脇の通用口を掠めるようにして、天空から振ってきた黒い壁が突き刺さった。 更にもう一枚は、門の正面を塞ぐようにして突き立つ。 完全に退路を断たれた男達が、股間から悪臭を放ちながら刀を抜く。 「こ、こ、この優男! 逃げてるばっかりだと思うなよ!」 「大人しく捕まった方が‥‥」 「うるせえ! どうせ捕まったら俺達ゃ」 砂利道沿いに咲く百合に擬態していた魂喰の符が伸び上がり、男を呑み込んだ。 「従犯なら、反省の態度如何でまだ可能性もあると思いますが‥‥」 新たな符を懐から取り出し、久野都は首を傾げて見せた。 ● 暗闇に包まれた覚輪寺南東。 フェンリエッタの常磐色の目がゆっくりと開かれた。その瞳が素早く動く 「庫裏の横、篝火が作っている松の影ね」 押し殺した声を受け、首から膝下までを外套で覆った昴が、陣笠の下でゴーグルを動かした。 「確認しました。やはり、廊下から見え難い場所を狙って来ましたね」 長く伸びる影の中に、金属らしい鈍い光沢が見えている。 フェンリエッタの抜いた細身の片手剣が、篝火の明かりを受けて僅かに光る。 「援護をお願いしますね」 「もちろんです」 二人は頷き合い、慎重に賊との距離を測る。凡そ十丈。敵は三人組、うち二人はまだ壁の側の影に潜んで篝火の周辺を窺っている。 先頭に立つ忍装束が、振り向くことなく後方の二人を手招きした。銃を担いだ男と刀の鯉口を切った男が、影を飛び出して忍の側へ駆け寄っていく。 と、忍が弾かれるように振り向き忍刀を抜いた。釣られて、二人が振り向く。 三人が目にしたのは、黒衣と共に銀糸の刺繍を踊らせるフェンリエッタ、そして黒い外套の中に手を隠した昴が疾駆してくる姿だった。 砲術士が反射的に箱を地面に置き、装弾された長銃を構える。だがその指が引き金に掛かるよりも早く、昴の右手が外套の中のガンナーベルトに手を伸ばした。 破裂音が響いた。次いで、重い物が地に落ちる鈍い音。 電光石火で抜かれた昴の短筒に左腕を撃ち抜かれ、砲術士が長銃を取り落としたのだ。七丈の射程に敵を捕らえたフェンリエッタの右手が、片手剣の切っ先で複雑な紋様を描く。 刹那、志士は足下から間欠泉の如く噴き上がった白藤色の電撃に全身を呑まれ、吹き飛んだ。 「聞こえたか」 「何の音だ!?」 僧坊に残った寺僧が騒ぎ出した。 一瞬の迷いを見せたものの、忍は逃走でなく戦闘を選んだ。忍刀を抜き、瞬時にフェンリエッタの眼前へと踊り出す。 フェンリエッタは半身に構えて左手を頭の後ろに掲げ、僅かに曲げた右手で片手剣を前方へ翳した。 刹那の睨み合い。 フェンリエッタの胸元目掛け、忍刀が突き出された。細い手首が剣を返して鋒を押さえ込む。逆らわず、忍刀で前へ出た膝を薙ぐ。手首が翻り、剣が忍刀を受け、鍔が忍の顔面を痛打する。 細い顎を斬り上げる。剣が返り、剣閃を逸らす。切り返し、肩口に忍刀を降り下ろす。力が乗る前に、切っ先が物打ちを横に流す。柄頭が、鳩尾に突き刺さる。忍が半歩下がる。 フェンリエッタの足跡は、帆桁の上で戦ってでもいるかのように完璧な直線を描いていた。右手一本、それも肘と手首の返しだけで忍の攻撃を流しきっている。 「何してる、早く撃て! 敵は前後にしか動いてねえんだぞ」 忍が鼻血を流し怒鳴る。だが、 「無茶言うな、あんな精度の連射‥‥」 物陰に逃げ込もうとした砲術士の足へ吸い込まれるように、火箭が夜闇を貫いた。次いで的を散らそうとフェンリエッタの側へ奔った志士の肩当てが、もう一条の火箭に吹き飛ばされる。 昴は火薬の代わりに練力を弾丸と共に銃口へ流し込み、予備動作を殆ど要しないまま短筒を連射していた。 足をもつれさせながらも何とか堪え、志士が怒鳴る。 「おい、何で火縄の火が見えないのに撃ってくるんだ」 「きっと、火打」 言い終えるよりも早く破裂音が響き、右鎖骨を撃ち砕かれた砲術士が崩れ落ちた。 「朱藩の人間が火縄式しか知らないとは。勉強不足にも程がありますね」 呆れ顔で昴は呟く。 孤立した忍は、後方へ跳んだ。フェンリエッタの突きはその太腿を、昴の銃撃はその脇腹を浅く傷付けるだけに終わる。 好機と見て駆け寄り、振り下ろした志士の刀を、フェンリエッタの左拳があっさりと受け止めた。 「火遊びはいけないと子供の頃に教わったわ」 呆然としている志士の脇に、翻ったフェンリエッタの左拳が突き刺さる。 「火を弄べば、皆が懸命に積み重ねてきた者や命すら灰燼に帰すから」 脇から滝のように血を流し、志士が崩れ落ちた。引き抜かれたフェンリエッタの左篭手からは、ぎらりと光る短い刃が生えている。刃の仕込まれた暗器なのだ。 木陰では、まっしぐらに土壁へ奔る忍の頭上を、昴の銃弾が通り抜けた。そのまま、忍が土壁の屋根瓦へ跳躍する。 だが、 「あばよ‥‥!?」 その脳天に、落ちてきた瓦が激突した。 引っ繰り返った忍に、屋根瓦を撃ち抜いた昴が近付いていく。 崩れ落ちた志士の顔を、フェンリエッタが覗き込んだ。 「他の箱を、どこに設置するつもりだったの?」 「‥‥な、何で箱の事を知ってんだ」 「質問してるのはこっちよ。他の志体持ちはどう動いて、どう逃げるつもりだったのかしら」 志士は精一杯強がって見せた。 「な、仲間を売ると思ってんのか」 「そう」 意地悪く微笑んだフェンリエッタの桃色の唇が、倒れ込んだ志士の耳元で囁く。 「‥‥貴方だけ痛い思いをして、お仲間は逃げちゃうのね。お宝と一緒に」 ぎょっとして志士が顔を上げる。 「お、おい、お前ら、一体何を知ってるんだよ」 「まあ、蛇の道は蛇とでも言いますか。私も、正規とはいえ海賊ですから」 縛った忍を引きずって、昴が近付いてくる。 北の僧坊では、不自然な程騒ぎが大きくなっていた。 ● 持ち場に極力空白を作らないよう、一人ずつ巡回移動を行っていた開拓者達は、篝火で侵入方向を絞り、更に事前に侵入経路を押さえておいた事で、この上なく的確に火付け役の賊を捕捉していた。 足音を殺し、清顕の待つ次の持ち場へと歩いていたアーニャが動きを止めた。 「‥‥?」 持ち場で待っていた清顕が、後から近付いてきたアーニャに手で合図を送っているのだ。左目に掛かる一房だけ赤い髪を払い、アーニャが清顕の指差す方向へと目を凝らす。 箱を手にした男達が、庫裏の側の薪置き場に向けて小走りに動いていた。 清顕は先頭の男を指差すと、地を蹴った。それだけで意図を察し、アーニャは七尺を越える大弓に矢を番え、易々と引き絞る。 超越聴覚を使っていたか、清顕の足音に敏感に反応し、忍が振り向いた。駆け寄る二人を視認し、忍が、次いで他の二人が、薪置き場の陰へ飛び込む。 「避けられるものなら避けてみなさいよ」 アーニャの金髪が、夜闇に暴れ始めた。全身の練力が象牙色の光を放ち、大弓に番えられた矢へと吸い込まれていく。 「ていっ!!」 瑠璃色の瞳が一際強く輝く。矢の形をした光の塊が、薪の中へ吸い込まれていった。 低い呻き声が発せられ、重い音が響く。 「お、おい?」 薪置き場の壁に箱を設置しようとしていた砲術士は、胸の中央を一撃で射抜かれ、仰向けに倒れていた。志士と忍が唖然として、矢が「すり抜けて」きた壁を撫でている。 「箱だ! 箱さえ設置すれば、俺達どころでは」 「そ、そうか」 言われた志士が、砲術士の手から転がり落ちた箱を拾おうと手を伸ばす。 が、ぴたりとその手が止まった。箱に、見慣れぬ赤い蛇が巻き付いているのだ。 いや、違う。蛇ではない。 「鞭‥‥?」 蛙が跳ねるかのように、箱が宙へ舞い上がった。 薪置き場の陰で待ち伏せられることを警戒してか、一丈脇を駆け抜けざまに鞭を繰り出し、転がった箱を引き寄せたのだ。 清顕目掛けて斬りかかろうとした志士が、両脚を一条の矢に縫い止められて悲鳴を上げ、地面に転がる。 いち早く事態に気付いた忍が、三角跳びで薪置き場の屋根を蹴って箱を追う。 その場で急停止し、清顕が軽く左手首を震わせた。箱に絡みついていた鞭が空中で緩み、箱よりも先に清顕の手元へ帰っていく。 その先端が戻るよりも早く、清顕は左腕を振るう。空中で今まさに箱に触れようとしていた忍の胴に、赤い鞭が絡みついた。 「残念」 忍は急激に軌道を変えて地面へ引き寄せられ、腰から地面に激突した。 自由落下してきた箱を、清顕の右手が易々と受け取る。 「こ、この‥‥!」 咳き込みながら、忍が何とか起き上がる。が、鞭に腰を引かれ、忍が後ろ向きのままたたらを踏んだ。 その後頭部に、箱を抱えた清顕の右肘がめり込む。 目から火花を散らし、それでも屈んで踏ん張ろうとする忍の鼻柱を、清顕の膝が叩き潰した。 「‥‥結構、遠慮ないですね」 「両手が塞がって、刀が使えないんでね」 笑う清顕に苦笑を返し、アーニャは志士の前に屈み込んだ。 「さて。ちょっと、頭目について教えてもらいましょうか」 「だ‥‥誰が‥‥」 刹那、清顕が赤い鞭を両手で引き、乾いた音を上げた。 見る間に志士の顔から血の気が無くなっていく。絶妙の間で、アーニャが助け船を出した。 「ただ処刑されるよりは、情報提供したってことで情状酌量を狙ってみるほうがマシでしょ」 「南の崖から、志体持ち二人と縄で降りる予定です。志体持ちじゃない連中も殆どは運搬役として南東の壁を越えて来ます」 「ふうん。頭目の外見は?」 「身長五尺ちょい、大小差しの細身の志士で、散切り頭のおっさんです」 「素直で大変よろしい。清顕さん、ほかに聞く事ありますか?」 「こんな所じゃないかな」 言いながら、清顕の貫手が男の鳩尾を突いた。志士は口から胃液を吐きながら地面に崩れ落ち、白目を剥く。 「さてと。火付け失敗に気付かれて、逃げられてもね」 アーニャは軽く手を叩くと焙烙玉を取り出して火を付け、可燃物の無い開けた場所に放り投げた。清顕と二人して薪置き場の裏に避難し、待つ事暫し。 爆音を上げて、焙烙玉が破裂した。 口元を緩ませながらも大きく息を吸い込み、アーニャが叫ぶ。 「火事だー!」 ● 寺の東から、二度目の爆発音が聞こえた。ついで、火事を知らせる声。僧坊だけでなく、講堂からも人が飛び出して東へと向かっている。 「大した障害もなく運んでいるか。用心棒でもいないかと思ったが、アテが外れたな」 拳に布を堅く巻き付けた男が舌打ちを漏らす。 「俺も宝物庫の物色に混じるか‥‥」 「いた!」 法堂へ足を向けた男の背中に、鋭い声が掛けられる。振り向くと、そこには兜から漏れる炎のような赤髪を篝火に輝かせた少女、神音が立っていた。 「‥‥何だ? このガキ」 自分の顔を真っ直ぐに指差す神音を、男はまじまじと見た。 右拳を胸の前へ、左拳を腹の前へ構えた神音の隙の無さに気付き、すぐさま構えを取る。 「‥‥ガキでも、俺と渡り合えそうじゃねえか」 「悪事に加担するなんて、同じ泰拳士として許せないんだよ!」 二人が、摺り足で徐々に近付いていく。 泰拳士は、神音よりも二足分間合いが遠い。相手の間合いの半歩外で、神音は足を止めた。構わず、泰拳士が近付いていく。 撞木のような前蹴りが、神音の顔面を襲った。左の腕甲で受け止め、後方へ跳んで衝撃を受け流す。更に踏み込み、細い膝へ踏み蹴りを放つ。左手で上方へいなし、神音が懐へ踏み込む。 泰拳士はいなされた右足を振り下ろしながら、細い肩目掛け肘を振り下ろす。掛け矢の一撃のような重い肘打ちを、神音は両腕で受け止めた。 突き出される太い膝を両掌で受け、後方へ跳ぶ。 泰拳士が再び前蹴りを繰り出そうとした瞬間、後退していた神音の足が地を蹴った。 突き出される右足の外側へ猛然と踏み込みながら、尺骨を右肘で跳ね上げる。 体の外側から近付かれた泰拳士は、激痛を堪えて右足を下ろし、そこを軸に反転して左の後ろ蹴りを繰り出した。神音は右足と同じ要領で左足の尺骨を打つ。今度は脚甲に阻まれる。 後ろ蹴りを躱された泰拳士は更に反転し、右の横打ちで神音の左顔面を狙う。防ぎきれず、巨大な拳が神音の兜を揺らす。高所から打ち下ろす左の正拳が、神音の兜を直撃した。流石に効いたか、僅かに神音の足下がふらつく。 一方的に攻撃できる前蹴りの間合いを保とうと、泰拳士が距離を取る。 だが、まるで糸で結ばれているかのように、神音の兜がその動きについてきた。咄嗟に左肘を振り下ろす。右腕で受け流しながら、左の貫手を泰拳士の右膝に走らせる。 点穴を突かれ、全身の肌が粟立つ程の激痛に堪えかねて、泰拳士は地に膝をついた。 這うかのような低い姿勢から、全身のばねを使って神音が右足を伸ばす。 銃弾の如き突き蹴りが、泰拳士の顎を粉砕した。 ● 寺の東では、幾度めかの爆発音と共に、呼子笛が、寺の境内に響く。長く二度。短く三度。大きくなりつつあった東の騒ぎが、一瞬静かになる。 「何だ、あの笛‥‥?」 頭目の志士が眉をひそめる。と、宝物庫の前で押し殺した悲鳴が上がった。 「どうした」 「撒菱が、何でこんな所に‥‥!」 男が、草鞋に深々と突き刺さった撒菱を引き抜き、地面に投げつけた。 「馬鹿、声を上げるんじゃねえ。この辺りにも、生き物の気配があるぞ」 「どうせまた猫じゃねえのか」 忍装束の男が呟き、頭目は舌打ちを漏らした。どういうわけか、寺の境内には小猫が多いのだった。壁を越えられないのか、辺りをうろうろと歩き回っている。 忍が鞘で撒菱をどけ、扉を封じている台形の錠に手を触れた。途端、軽い破裂音を上げて鍵が外れ、錠の一辺を作る棒が抜ける。 が、 「おい、開かないぞ」 「あ? そんなわけがあるか」 頭目が苛立たしげに返す。 「閂か、扉の向こうに何か障害物があるんじゃねえか」 「馬鹿な。だとしたら、中に人が入ってる理屈になるぜ」 「はいはい、そこまでよ〜」 軽く手を打ち合わせる音が響き、法堂奥に集まった十数人の男達がぎょっと振り向いた。 宝物庫の側に倒れていた細長い箱の蓋が開き、黒髪を腰まで伸ばし小袖に胸当てを着けた女性がいそいそと這い出て来たのだ。 「刃兼さんの言う通り、隙を作った途端に来たわね」 賊は一斉に階段の前から西へと後退る。 女性、紗楓は狭い箱の中で皺になった小袖の裾を軽く叩いて伸ばした。 法堂の西、柱の陰から声が発せられる。 「よく、分からないが‥‥箱に隠れる必然性はあるのか」 暗闇の中、うっすらと獅子の顔が浮かび上がっていた。気の弱い賊が息を呑む。 「だって、狭い方が落ち着くし」 「‥‥そうか」 獅子の顔はそれ以上突っ込まず、賊へ歩み寄っていく。 額に二本の角。鬣の代わりに生えた長い髪は、金色ではなく紫色だ。軽鎧の上には、山吹色の縁取りがされた菖蒲色の羽織を着ている。 「火付け強盗、お断りだ」 獅子の面を着けた、刃兼だった。左手に握った鞘から、ゆっくりと太刀を引き抜く。 一瞬の沈黙。 いつまで経ってもそれ以上の用心棒が出てこない。 「‥‥おい、まさか二人だけか」 「二人だ」 刃兼が、事も無げに答える。 賊達は辺りをもう一度見回し、顔を見合わせてから、笑い出した。 「彼女と用心棒引き受けたら、二人で二十人近く相手する羽目になったか。見逃してやらあ、消火の手伝いでもしてきな」 刃兼は総面の奥で小さく笑い声を上げ、鬼切丸の鋒を下げた。 砂利の音だけを残し、その姿が闇に溶ける。 瞬き一つする間に、刃兼の姿は頭領の眼前へと肉薄していた。仰天した頭目の刀が、偶然にも鬼切丸の軌道に触れる。 鋭い音と共に叩き折られた刀身が、回転しながら地面に突き刺さった。 「げっ!?」 頭目が尻餅をつく。横薙ぎに喉を払う刀が、頭目の髪をごっそりと切り離した。 「てめえ!」 隣の忍が、横手から斬りつけてくる。左に振り抜いた刀を霞に構え、鋒だけで斬撃を上方へ流す。大きく踏み込み、空いた忍の胴を薙ぎ払う。鎖帷子に刃筋を乱され、刃は皮と肉だけが斬り裂いた。 「や、殺れ! この命知らず、殺っちまえ!」 頭目が脇差を抜いて喚いた。 文字通りの剣林が刃兼に向かおうとしたその時、賊の一人が前歯と血を撒き散らしながら宝物庫の壁に激突した。 鞘に納めたままの刀の柄尻で賊の顔を突いた紗楓が、にっこりと笑いながら鞘を帯に戻す。 「私はあっちを相手にすれば良いかしら?」 「助かる。頭目は引き受けた」 紗楓が頷き、刀の鯉口を切った。 乱戦が始まった。 切り下ろす一太刀を、紗楓が体を開いてやり過ごす。砂利の音に反応して振り向き、突きの軌道から顔を逸らす。外された刃に左肩を裂かれながら、抜き打ちに右肘を斬り飛ばす。 瞬き一つの間に、刀身は鞘へ収まった。袈裟懸けに切り下ろす刀の下をくぐり、紗楓が賊とすれ違う。鞘走りの音と鈍い悲鳴が響き、血飛沫が上がる。 刹那、銃口が火を噴いた。 だが、 「馬鹿、どこ撃ってんだ!」 賊の放った弾丸は、寸分違わず仲間の左腿を撃ち抜いていた。 「悪い悪い」 怒鳴られた砲術士は悪びれず、次の弾丸を装填している。その口元が笑いを堪えているのを、いち早く紗楓は見て取った。 「あの爆発音は俺の箱じゃない。ってことは、偽装だ。着火班は全員捕まってるだろうな」 「先に言えよ!」 「まあ、何だ。折角作った物を悪事に利用されるのも気分が悪いだろ」 「‥‥あ!? てめえ、まさか裏切ったのか!」 砲術士は笑うと、頭目に向けて引き金を絞った。放たれた銃弾を、頭目が辛うじて躱す。 側にいた賊が、一斉に砲術士へ斬りかかった。 志体の無い者相手とはいえ、全ての刀からは逃れられず、砲術士は右肘と上腕を斬られ地面に転がった。振り下ろされる刀の前に、紗楓が飛び出す。 「後悔しやがれ」 頭目の脇差が、赤い光を放ち始めた。 横薙ぎの一太刀を、刃兼が左手を添えた刀で受けた。左肘を柔らかく動かして刃を滑らせ、上に逸らす。すれ違い様に閃いた銀光が、頭目の腹を薙いだ。咄嗟に体を開き後退したものの胴巻が割られ、血が流れ始める。 「野郎」 低い体勢で踏み込み、頭目が脇差で膝を薙ぐ。後方へ跳躍し、両掌から鬼切丸へ練力を叩き込む。横手から打ち掛かってきた賊の刀が、刃兼の首へと突き出される。 刃兼は軽く屈み、獅子の面でその鋒を受け、首を振って後方へと流した。右足で大きく踏み込む。練力を帯びた閃光が奔り、賊の右膝から下が地面に転がった。 「こ、この」 赤く光る脇差が、背を向けた刃兼の肩に食い込んだ。 頬に自らの血飛沫を浴びながら刃兼がゆっくりと振り向き、太刀を振り上げる。脇差から伝わる振動でそれを察知した頭目が、柄を離して後方へ跳ぶ。 がら空きになった胴に、刃兼の脛が叩き込まれた。 脇差を肩に残したまま、刃兼が再び太刀を振り上げる。地面に転がった頭目が頭を守ろうと両腕を上げる。足袋に包まれた刃兼の爪先が、頭目の右膝を叩き割った。 直後、一条の光が暗闇を貫き、志体の無い賊の太腿を射抜く。 「お待たせしました!」 いち早く北から駆け付けたアーニャだった。木陰に潜んでいた清顕が、逃げようとした男の脛を一太刀で切り落とす。 肩に食い込んだ脇差を放り捨て、刃兼が砲術士に視線を向けた。 「応対したギルド職員の口調、覚えてるか?」 服を裂いて賊に斬られた腕に巻き付けながら、男が顔を上げた。 「‥‥あの、ござるござる言っていた男か」 「それだ」 得たりとばかりに刃兼は頷いた。 「気を悪くしたならすまない。何分、そちらさんの外見が不明だったから、な」 「いや、こちらこそ悪い。殆ど情報が伝えられなかった」 太郎は痛みを堪えながら手を差し出し、刃兼と握手を交わした。 ● 「はい、お待たせ。野菜で作った鰻もどきと、大根の細切りで作った燕の巣もどきスープ」 神音が気を利かせて作ってきた料理を盆に載せて現れた。消火活動はなかったものの、消火騒ぎに参加していた寺僧達も神音と共に料理を運んで来ている。 「にゃ? 何か寄越せって? 仕方ないわねえ‥‥ほら、秘蔵の秋刀魚」 昼間の内に境内へ連れ込まれたものの、高い壁を登って出て行けなかった子猫たちに囲まれ、紗楓は渋々秋刀魚の糠漬けを取り出した。 が、そこへ駆け寄った猫たちは一口、二口と囓った所で顔を上げ、紗楓に向かって声を上げる。 「え、何、ひょっとして辛い? ‥‥こら、そっちは私のごはん!」 目の前に置かれた料理に、子猫たちが群がる。紗楓は大人げなく子猫たちと格闘を始めた。 苦笑してそれを横目で見ながら、フェンリエッタは太郎の腕の手当をしていた。 「自分を認めて貰いたい気持ち、とても解る。これ程の技術があるのだもの」 すり潰した薬草を塗り、包帯を巻きながら、窘めるように言う。 「だからどうか、次は間違わないで」 「反省してる。もう少し世間を知らないとな。ありがとう」 太郎は深々とフェンリエッタに頭を下げた。 手当の終わった右腕をぎこちなく動かし、神音の用意した普茶料理に箸を付ける。 それを待っていた昴が、寺僧達にためつすがめつされている箱を指差した。 「あの箱、朱藩に売り込んでみてはいかがでしょうか」 「朱藩に?」 太郎は瞬きをする。 「ええ。興志王は新し物好きでもありますし。実際に『非正規の』海賊相手に有用であるならば、『正規の』海賊としては使ってみたいところです」 昴は胸の前で嬉しそうに手をこすり合わせる。頭の中で、箱の使い方の腹案が出ているようだ。 「正規? 海賊? あんた‥‥」 軽く咳払いをし、昴は曖昧に微笑む。 その正面に座り、箸の先だけで器用に鰻に似せた葛を摘んでいた久野都が声を掛けた。 「売り込みもいいですが、今度は時限消火箱あたりを作ってみたら如何ですかね? 後始末まで手がけられるのが真の技術者だと私は思いますよ」 「‥‥確かに、それもいいな」 久野都の言葉に意表を衝かれたか、太郎は箸を置いて考え込む。が、 「‥‥って、おい、何をやってる」 訝しげに広間の一画に目を移した。 そこでは、蓋を外された発火箱の中身を覗き込んでいた。 「鋲、ゼンマイ、発火石‥‥陽州じゃ馴染みの薄いモノばかりだな‥‥」 長身の刃兼が立ち上がり、屈み込んだ寺僧達の上から物珍しそうに箱の中を覗き込んでいる。 「太郎殿。これなのですが、どういう理屈でこの渦巻き型の金属が動いているのです?」 清顕の指示で宝物庫の入り口にバリケードを築いていた住職が、不思議そうに太郎を見る。 「ん? 金属の張力を使っ‥‥て‥‥」 説明しようとした太郎が寺僧達を押し退け、箱に駆け寄った。 その顔が蒼白になる。 「お、おい、この箱、起動してるぞ!」 太郎の一言で、寺僧達が一斉に膳を引っ繰り返して立ち上がり、蜘蛛の子を散らすようにして壁際へ駆け出した。 「ちょっと、早く外に捨てて!」 親猫よろしく子猫たちを捕まえて窓際に退避した紗楓が悲鳴を上げる。 「下手に衝撃を加えたら爆発するんだぞ!」 勇敢にも、アーニャが太郎に近寄る。 「何か、手はないのですか。手伝います」 「紙縒を抑えてもらいながら、内箱を開けてフリントを抜くか‥‥くそ、この腕じゃ間に合わない」 稚児を部屋の端に寄せ、フェンリエッタが顔を青くした。 「どうにかできないの?」 「すまん、どうにもできない! おいそこの箱、壁際に寄せろ! 引火したら終わりだぞ」 太郎も匙を投げ、手近な座布団を翳しながら後退を始める。 「しょ、消火」 住職の言葉が終わるよりも早く、僧坊の外で爆音が響いた。寺僧や稚児達が、壁際で思い切り身体を縮こまらせる。 「砂を、早く‥‥おや?」 住職が、うっすらと目を開ける。 頬に冷たい汗を一筋垂らしながら、鎧戸を蹴破った姿勢で、清顕が大きく息を吐いていた。いつの間にか、発火箱がどこかへ消えている。 忍の奥義「夜」で時間を止め、間一髪で箱を外に放り出したのだ。 植木などに引火していない事を確認しつつ、清顕が青い顔で笑った。 「‥‥なかなかの発明だ。今度は火付けじゃなくて、真っ当なことに使いなよ」 |