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■オープニング本文 ● 雪交じりの風が、雨戸を鳴らしている。 「開拓者の方ですか、さ、どうぞどうぞ」 丹前を着込んだ青年が、中に綿のぎっしり詰まった座布団を囲炉裏の前に置いた。 スティーブは慌てて両手を振る。 「あ、いや、拙者開拓者ではござらん。詳細な事情を聞きに来た、ギルドの職員でござる」 「ああ、そうでしたか、いやこれは失礼を。ささ、お掛け下さい」 スティーブはまじまじと青年を見る。年の頃は、三十路に入るか否かという所だろうか。童顔だがもみあげや襟足に白髪が目立ち、それなりに苦労していることが伺える。 幼い頃に神楽の都の商店へ丁稚奉公に出され、番頭にまで出世した所で村へ戻り、数年で村長に据えられたのだという。 「この度の依頼のことなのでござるが‥‥ご申請頂いた依頼の内容について詳細に伺わぬと、申請が不受理になってしまいそうなのでござる」 「そうでしたか。何なりとお尋ね下さい」 スティーブは柔らかすぎて安定が悪いほどの座布団に正座し、居住まいを正す。 「まず、村おこしのため妖精になって欲しい、という趣旨が今ひとつ理解できんのでござるが」 襖が開き、女性が茶托ごと焼き物の湯呑みをスティーブの前に置いた。 「いや、ごもっともです」 青年は頷き、茶を持ってきた女性が部屋から出て行くのを見送りながら、口を開いた。 「話すと少々長くなるのですが、この村は秋口までならそれなりに収入があるのです。林業も盛んですし、行楽客も多いですから」 「ふむ」 「しかし冬になると、この山の中です。食料などの必要な物資を運んでくるだけでも大変な出費と労力が必要になる」 青年は囲炉裏にかけた鉄瓶を取り上げ、古い木製の湯呑みに湯を注ぐ。 「そこで人を沢山集めて妖精を捕まえてもらい、その人々の宿代や食事代、参加費などを収入に繋げようと、こういうわけです」 「妖精を? この辺りで、妖精が見つかったのでござるか?」 「まさか」 青年は左手で湯呑みを傾けながら、右手を振った。 「妖精がいないからこそ、開拓者の方に妖精役をやって頂きたいのです」 「‥‥それは、つまり‥‥やらせでござるか」 スティーブが眉をひそめる。 「いえ。人間が妖精役をやる事は既に公表しています」 青年は平然と笑った。 「参加者の方々には、全て事情を承知した上で楽しんで頂く、もちろん村を挙げて皆さんをもてなす。そうして心から楽しんで頂いてこそ、村の評判の向上にも繋がるというものです」 「ふむ‥‥そういう事なら、問題もなさそうでござるな」 スティーブは弁柄色の顎をなで回す。 「ただ、ですね。ちょっとした話題作りと言いますか‥‥開拓者の方には、本物の妖精がいるかも知れないと参加者に思わせて頂くよう、併せてお願いしたいのです」 「本物の?」 スティーブは瞬きをする。 「はい。 青年はあっと言う間に湯を飲み干すと、更なる湯を湯呑みに注いだ。 「まあ、それは構わんでござるが‥‥む?」 頻りに首を捻っていたスティーブは、ある事に気付き顔を上げた。 「今気付いたのでござるが。その、妖精役になるというのは‥‥どのようにして?」 「それは、勿論」 村長は満面の笑みを浮かべた。 「着ぐるみかドレスです」 「ふむ。男性が着ぐるみ、女性がドレス‥‥と」 スティーブが頷く。 村長は軽く手を振った。 「いえいえ。どちらも、男女兼用に作ってありますから」 |
■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067)
17歳・女・巫
小伝良 虎太郎(ia0375)
18歳・男・泰
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
玄間 北斗(ib0342)
25歳・男・シ
熾弦(ib7860)
17歳・女・巫 |
■リプレイ本文 ● 鉛のように重い沈黙が、開拓者一同にのし掛かっている。 「大変なことに‥‥というか」 「変態なことになってござるな」 青年村長とスティーブの一言を引き金に、爆笑が巻き起こる。 最大サイズのエプロンドレスにも収まらぬ、毛深い弁柄色の腕と足、何よりアフロ頭は、アヤカシも泣いて謝る異様さだった。 銀髪に水晶のティアラを乗せた花も恥じらう美少女、柊沢霞澄(ia0067)が同じデザインのエプロンドレスを着ているだけに、スティーブの姿は理不尽なほどの破壊力を発揮している。 スティーブに雪の精の服装を勧めた張本人、小伝良虎太郎(ia0375)は引っ繰り返り、雪だるまの下半身から生えた両足で床を叩いて笑い転げていた。 「お‥‥お腹が‥‥お腹が痛い‥‥」 「こ‥‥これ、子供は泣くんじゃない?」 笑いすぎて目尻に涙を浮かべながら、銀髪から二本の角を生やした女性、熾弦(ib7860)も腹を抱えている。 ヴェールを見事に継ぎ接ぎして羽根のようにしたものを背に付けたフェンリエッタ(ib0018)は、笑いを堪えるのに必死で声も出ないらしい。 「ビッグフットに着替えて良いでござろうか‥‥」 スティーブは丈の足りないスカートを押さえ、ちらちらと覗く赤褌を隠しながら一行の顔を窺う。 「それが良いと思うのだ」 雪だるまの着ぐるみで突っ伏した卓袱台叩き笑っていた玄間北斗(ib0342)が必死に声を絞り出した。 壁に手をついて大笑いしていた青年村長が、ちらりと太陽の位置を確認する。 「で、では皆さん、そろそろ参加者の皆さまが到着される頃ですので‥‥ぷぷっ」 と、 「どれ。こちらも準備完了だ」 着込んだ雪だるまの着ぐるみに赤いサンタ帽を乗せた中年男、鬼島貫徹(ia0694)が、鴨のような頼りない足取りで更衣室代わりの小部屋から現れる。 「では皆さん。くれぐれも参加者に重傷は負わせないよう‥‥」 「大丈夫。任せて」 フェンリエッタは村長に向け、笑い涙の滲む翠色の目を瞑って見せた。 ● 「うりゃ! 鬼は外!」 「えい! 泣く子はいねえか!」 「い、色々違うでござる! 痛たた!」 スティーブの悲鳴が銀世界に響き渡る。 ビッグフットに着替えたスティーブは、完全に子供達が投げる雪玉の的になっていた。アフロで着ぐるみの頭が妙に膨らんでいるのが、より一層滑稽さを増している。 小刻みに肩を震わせていたフェンリエッタの顔を、参加者の青年が覗き込んだ。 「姉ちゃん、変わった目してんな‥‥ジルベリア人か?」 「そう‥‥いう感じ」 白猫の面で顔を隠したフェンリエッタは、翠色の目を細める。 「そのお面は、なにかい? ジルベリアの習わしか何かかい」 白い息を吐きながら、額の汗を青年が腕で拭った。 と、 「あ、いた」 フェンリエッタは斜面の上にあるモミの木を指差した。 「‥‥何?」 「ほら」 その幹の陰で、布と共に銀色の毛のようなものがはみ出し、揺れている。 「妖精役か?」 男はそろりそろりとモミの木に近付いていく。 と、白い塊が青空の下を横切った。 「どわ!」 雪玉だった。腰に直撃を受けた男の声に驚いたのか、木の陰に居た人影が銀色の髪を靡かせて逃げ出す。 「あ‥‥あれ?」 男は眉をひそめた。逃げていく人影は、ドレスも、着ぐるみも着ていない。薄手の羽衣に下駄という雪山に似つかわしくない軽装だ。どう見ても妖精役ではない。 と、男の背に女性の声が掛けられた。 「ちょっと、ぼっと突っ立ってないで手貸してよ! 子供相手なのに、近づけないの!」 声は、雪玉の飛んでくる方向から発せられている。 金色の目を子供のように輝かせ、矢継ぎ早に雪を握っては投げているのは、雪だるまに扮した虎太郎だった。その左肩に乗った小さな雪だるまは、激しい動きにも関わらずぴくりとも動いていない。 既に遠く離れてしまった女性、熾弦を追うのを諦め、男は振り向いた。 「よ、よし。姉ちゃん、向こうに回っ‥‥あれ?」 その視界に、フェンリエッタが居ない。 「どこ行っ‥‥ぶっ!」 白猫の面を探して辺りを見回した男の顔面に、雪玉がぶつかった。 虎太郎の腕が、ぶんぶんと勢いよく振り回される。 「ここまでおーいで!」 「こんの野郎」 男は、更に飛んできた玉を避けようと腰を屈めた。が、玉は突如軌道を変えてその顔面を襲う。 緩く握られた軽い玉が空気の抵抗に負け、重力に引かれて軌道を下に逸らしたのだ。 「その雪だるま、落ちる玉と横に曲がる玉を使うぞ!」 「先に言え!」 顔に貼り付いた雪を男が払い落とす。 虎太郎の金色の瞳が横へと動いた。 「さて、次はっと‥‥」 その視界の端には、そろりそろりと近付いてくる影がしっかりと見えていた。悪戯小僧の笑みが、虎太郎の口許に浮かぶ。 ぎりぎりまで引きつけてから勢いよく振り向いた虎太郎は、影の主の姿を見て、雪玉を放ろうとする手を慌てて止めた。 それは、まだ年端も行かない金髪の少女だった。雪面を蹴って飛びついてくる少女の手が着ぐるみに触れようかという瞬間、雪だるまが回転する。 「?」 鈍重にしか動けない筈の雪だるまが忽然と姿を消し、雪面に転がった少女は目を丸くした。 ブーツに荒縄を巻いた即席かんじきの足跡が、あちらこちらを向きながら繋がっている。歩くのではなく、全力で回転しながら軸足を入れ替えて出鱈目に動き回ったのだ。 肩に乗っていた小さな雪だるまは、回転軸となる頭の上に乗っている。 その一瞬で二十丈近く距離を離された女性は、へなへなと雪の上に座り込んだ。 「ああ、もうだめ」 「大丈夫?」 フェンリエッタが女性に手を差し出す。 「あんなの、追いつけるわけないわ」 すっかり諦めた風で、女性は雪の上に仰向けに寝転がった。と、その視界に銀色に揺らめく影が映る。 「あら?」 女性が視線を動かすと、そこには白い羽衣姿の女性、熾弦が立っていた。 「‥‥あれ、あなた参加者? の中にいたっけ?」 ぼんやりと立っていた熾弦はゆっくりと踵を返し、歩き出す。 「あ、ちょっと! そっち、会場の外よ!」 「あぶない」 斜面から外れ森へ向かう熾弦を追おうと立ち上がった女性が、突如姿勢を崩して顔から雪面に突っ込んだ。 「な、何するの!?」 顔に突いた雪を払い落として振り向くと、フェンリエッタが、自らも倒れ込みながら女性の足にすがりついている。 「‥‥転んじゃった‥‥慣れてないから‥‥」 抑揚のない声で、フェンリエッタは呟く。 「そっち、危ない‥‥」 「だ、だって女の人が‥‥あれ? あれえ!?」 女性は目を疑った。 先刻まで熾弦が立っていた場所には、下駄の足跡しか残されていない。 女性が、幾度も目を擦る。何度見ても人影はない。白い帽子にマントの人物が斜面を虎太郎を追って斜面を走っているだけで、羽衣の女性の姿は忽然と消えている。 「ま‥‥まさか、雪おん‥‥」 振り向き直した女性は、目を疑った。 彼女の足を掴んでいた筈のフェンリエッタもまた、白いマントの人物と共に虎太郎を追い回していたのだ。 「‥‥き、気のせいよ、ね」 仄かな梅の香を鍵ながら女性は引きつった笑いを浮かべ、一つ身震いをすると、虎太郎を追い回す人々の中に紛れ込んだ。 ● 雪面の起伏に紛れて白い布を広げ、その陰に潜んでいた霞澄がやおら立ち上がった。 空が曇って雪面の反射が減り、白い色はより目立ちにくくなっている。肌と髪の色の白さが擬態を助けていただけに、霞澄の姿は銀世界に忽然と現れて見えた。 「いたぞ!」 「可愛い姉ちゃんだ!」 「結婚してくれえ!」 「あんた! どさくさに紛れて何言ってんだい!」 口々に叫びながら近付いてくる参加者を見下ろしていた霞澄は、彼らが四丈まで近付いた所で、風に吹かれた布のように走り出した。 「んな!?」 男達は、見る間に離れていく霞澄の姿を呆然と見送る。 彼らが足を一歩踏み出す度に、霞澄の足は三歩進んでいた。身体の軽い子供達だけが、前傾姿勢を保ったまま後方へ滑っていく霞澄を追っている。 大人達が諦めかけたその時、 「鬼さんこちら、なのだぁ〜」 北斗の声が響いた。 残された大人達が斜面の下へ視線を移すと、雪を足にまとわりつかせた参加者達が汗だくで北斗を追っていた。 かんじきにさらしを巻いた北斗の足は、床で跳ねる鞠のように軽やかな動きで丸い足跡を雪に刻んでいる。 「それじゃ捕まえられないのだぁ〜」 北斗がモミの木の根元で、両腕を振り回す。 と、 「もらったあ!」 掛け声と共に、その身体へ巨大な籠が降りかかった。 木によじ登った子供が、籠を持って息を潜めていたのだ。 『やったか!?』 北斗を追い回していた男達だけでなく、霞澄を追っていた男達もが歓声をあげる。息せき切って近寄ってきた男が、そっと籠を持ち上げた。 だがそこに転がっていたのは、北斗の雪だるまが羽織っていた筈の、赤い袢纏だった。 「‥‥え? え!?」 籠から下りた子供が、目を丸くする。 「外れなのだぁ〜!」 どこから持ってきたのか、湯気を立てる白い餅を囓りながら、既に五丈近く離れた場所に立っている北斗が笑う。 「ど‥‥どうなってんぬわあ!?」 呟いた男の傍で、雪面が弾け飛んだ。 「ななな何だありゃ」 頭から雪を被って引っ繰り返った男が、頭を振るって雪を払い落とす。その視線の先では、雪だるまから短く生えた右足で雪を蹴立てながら、鬼島が哄笑をあげていた。 「妖精などという、ただでさえ甘ったるい物の怪を探す催し!」 上半身に掛かった投網ごと大人を一人引きずって、鬼島雪だるまは雪上を猛然と滑走している。 その左足はクリスマスリースで飾り付けられた橇に乗り、橇はトナカイを模した角のアクセサリをつけた忍犬、奥羽に繋がっていた。 主な推進力は鬼島の脚力だったが、嬉しそうに吼える奥羽も負けじと四肢を動かしている。霞澄に逃げられた子供達は目を輝かせ、犬橇を追って走り回っている。 「とことんまでやらねば嘘だ。そうだな、奥羽!」 背中に鬼島の哄笑を浴びながら縦横無尽に疾駆する奥羽は一声吼えたが、木陰から飛び出した金髪の少女を見て、慌てて進路を右に変えた。少女は目を丸くして左に動く。 慌てて奥羽が左、少女が右に動く。即座に奥羽が右に動く。少女がきつく目を閉じ、頭を抱えて屈む。 「ぬお!」 先端を左右に振られた橇が、鬼島の意思に関係無く均衡を失い、モミの木目掛けて突っ込んで行く。 轟音が響き、更に雪の落ちる重い音が続いた。 ● 白い煙と湯気が、小屋の窓と煙突から上っている。扉の前には火が焚かれ、金髪の子供が一人当たって空を見上げている。 「あれ? 誰だよ、食べかけを鍋に戻したの」 「俺じゃないよ」 「私でもないわよ」 小屋と言いつつかなりの大きさがある休憩所だったが、六十人以上が入ると足の踏み場も無い。 一同は巨大な竈に掛けられた鍋で腹を満たし、暖を取っていた。 「全く‥‥あれ、噛み跡にも色が染みてるな。‥‥鬼ごっこの最中、誰かつまみ食いしたか?」 「まさか、なのだぁ〜」 噛み跡の残る団子を見て、北斗が笑いを噛み殺している。 「ね、母ちゃん! あのね、かまくらにあったお菓子、美味しかった!」 「ぜんぶ食べたのにね、また入ったら、おかわりが入ってたんだよ! きっとようせいさんだよ!」 「父ちゃん、家に帰ったら、あのお菓子買ってよね!」 立て続けに声を上げる子供達に頷いて見せ、苦笑いをしながら、若い父親が悔しそうに天井を仰いだ。 「結局、捕まえたのは黒人の兄ちゃんと、雪だるまのおっさんだけか」 「ふん、あの小娘が出てこなければ俺とて捕まっていなかったがな」 甘酒を飲みながら、雪だるまの中で鬼島はふんぞり返る。 「小娘? 多江ちゃんのことかしら」 女性が首を傾げる。 「俺が見たのは金髪の小娘だったが」 「あ、いたよね。金髪の子。珍しいなって思った」 虎太郎が満面の笑顔で白菜を頬張りながら頷く。 「さっき、小屋の前で焚き火に当たっていましたが‥‥風邪を引かないでしょうか‥‥」 気遣わしげに霞澄が窓を見た。 「金髪? いや、だってジルベリアの人は女の人が一人‥‥あれ、どこ行った?」 参加者の一人が訝しげに辺りを見回す。 「いたよな? ジルベリアの女の人。緑色の目の‥‥お面の」 「お面に、緑の目だあ? 馬鹿、麓で六十人数えた時、そんな人居なかっただろ」 器に鍋の中身をよそいながら、男が笑い飛ばす。 「そういや、あの‥‥銀髪の人もいないな」 「銀髪? いや、そっちは俺知らないぜ。え? いや‥‥いたよな?」 「いないいない」 「居たわよ。緑の目の人は見た」 「銀髪の人なら、そこの霞澄さんじゃないの?」 あちこちから、声が上がる。 男は首を捻り、手を振って村長を呼んだ。 「村長さん、一応‥‥ちょっと探してやってくれよ。遭難してるかも」 「そうですね、万一があるといけません」 フェンリエッタが参加者一同から離脱している事を知っている村長は、慌てたふりをして立ち上がった。笑いを噛み殺して小屋を出て行く。 「まあ、それはそれとして」 鬼島は甘酒の入った湯呑みを机に置き、椅子を降りた。 「数少ない手柄を立てた者は褒められて然るべきだな」 雪だるまから生えた腕を伸ばし、少年の頭を撫でる。少年は満面に笑みを浮かべた。 「雪に埋もれていたとはいえ、よくぞこの俺を捕まえた」 「ありがとう!」 「見事さんたくろうすを捕まえた勇者の前には‥‥」 鬼島の両腕が、そして両足が、雪だるまの中に引っ込んでいく。背中の裂け目を閉じていた紐が解かれる。少年の表情が笑顔から、きょとんとしたものに変わった。 「‥‥真の雪の精が姿を現したという」 背中から出てきたのは、臑毛に覆われた足、膝、そして鍛え上げられた筋肉に覆われた太腿。少年の顔が訝しげになり、そして恐怖に引きつった。 「き、鬼島さん‥‥何を‥‥!?」 異様な雰囲気にいち早く気付いたのは、最も勘の良い霞澄だった。 雪だるまの背を割り、蝉が脱皮するかのようにして生えてきたのは、スカートの裾がめくれて「極楽・もふんどし」と尻の見えた、茶筅髷にエプロンドレス姿の中年男だった。 壁際へと後退った少年に、雪の中に咲いていた花を手渡そうと鬼島がにじり寄る。 「き、鬼島さんを止めるんだ!」 「やめるのだ! 子供たちのトラウマになるのだ!」 慌てて虎太郎と北斗が背後から羽交い締めにする。が、鬼島は意地でも少年に花を手渡そうと、顔を真っ赤にして手を伸ばす。 「クハハハ、妖精伝説が、今ここから始まろうとしている!」 「鬼島さん‥‥! 別の意味で伝説を作らないで下さい‥‥!」 どこからともなく聞こえる笛の音と、子供達の号泣する声が、無人の焚き火と雪山を微かに震わせた。 天儀歴1012年あたりから、「作った雪だるまは壊しちゃなんねえ、中から女装した丁髷のおっさんが出てくるぞ」という言い伝えが理穴の南部に現れた事は、言うまでもない。 |