刀匠の勤労に感謝する日
マスター名:村木 采
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/12/05 19:35



■オープニング本文


「父上? 朝餉の準備ができておりますが」
 少年、光広の声が襖越しに掛けられる。
「雲雀さんが怒ってらっしゃいます」
「うむ‥‥」
 襖の重邦は生返事を返した。だがそれきりだ。
「父上?」
「うむ‥‥」
「そろそろ起きられませんと」
「うむ‥‥」
「私が雲雀さんに怒られます」
 襖の向こうから、辛抱強く光広が声をかけ続ける。と、
「父ちゃん! 好枝おばちゃんの朝ご飯、冷めちゃうよ!」
 叫び声を上げながら、軽い足音が廊下を疾走してくる。
 どうやら走ってきた勢いのまま廊下を滑走しつつ襖を開けたらしい雲雀が、問答無用に重邦に近寄ると掛け布団を剥ぎ取った。
「や‥‥やめなさい雲雀‥‥」
「はい父ちゃん、今日は寒いから丹前ね。着がえて着がえて。光広兄ちゃん、ご飯食べよ!」
 敷き布団の上で身体を丸めた重邦が丹前を抱え、大きなくしゃみをした。
「雲雀、光広‥‥先にご飯を食べていなさい‥‥ちょっと私は‥‥頭が痛い」
「‥‥父上、お風邪を召されましたか」
 雲雀に続いて遠慮がちに部屋へ入った光広が、そっと重邦の身体に掛け布団を戻すと、その額と自らの額に左右の手を当てる。
「かぜ?」
「ちょっと、熱がおありですね」
 光広は眉をひそめた。
「雲雀さん、ちょっと‥‥好枝さんにお願いして、畳を持ってきてもらって下さい。板敷きに布団ではお寒いでしょうから。それと掛け布団をもう一枚か二枚」
「? どうして?」
 光広の身体が斜めになった。
「父上は、お風邪を召されていますので」
「かぜだと、タタミとお布団がいるの?」
 雲雀は大きな目を不思議そうに瞬かせている。
 驚愕の表情で光広が重邦の顔を見ると、重邦は軽く咳き込みながら、苦笑を浮かべた。
「すまん。雲雀も私も、ここ数年風邪を引いていないのだ。里の子供も、ほとんど風邪をひかぬ。風邪自体、殆ど知らぬのだ」
「ああ‥‥ああ、なるほど‥‥」
 光広は必要以上に納得した顔で頷くと、ぽかんとしている雲雀に向き直った。
「いいですか雲雀さん、風邪というのは誰でもひく病気ですが、こじらせると命に関わることもあります」
「命‥‥そうだったの!?」
「そうなんです。治すには身体をしっかり暖めて、精を付ける必要があります」
「ん、わかった! 好枝おばちゃん連れてくるね」
 雲雀は慌てて部屋から駆けだして行った。



「重邦様がお風邪を召されるとは。少々、お疲れなのかも知れませんね」
 重邦の一番弟子、蔦丸が襖を閉じながら白い息を吐く。
「急に寒くなりましたし‥‥」
「父ちゃん、大丈夫かな」
 縁側に腰掛けた光広と雲雀が、薄い茶の入った湯呑みで両手を温めながら心配そうな顔を見せる。
「あらお二人とも、こちらにおいででしたか」
 蔦丸に次いで部屋から出てきた好枝が、微笑んで二人の頭を撫でた。
「今生姜湯を召し上がって、お休みになったところです。一日二日お休みになれば、きっと良くなられますよ」
「んー‥‥」
 雲雀は珍しく沈んだ表情で、湯呑みの中に映る鰯雲を見つめている。
「どうなさいました、雲雀様」
「考えてみたらね、ちょっと父ちゃん、がんばりすぎかなって」
 雲雀は小さな唇を尖らせて呟く。
 好枝と蔦丸が腕を組んで考え込んだ。
「そうですね。まあ重邦様は、お仕事が趣味のような所がおありですから‥‥」
 光広がふと首を傾げた。
「言われてみれば、私がこの里に来てから父上がお休みになっているところを見た覚えが無いのですが」
「ええ、里に雲雀様といらしてから一年半ほど、休んでいらっしゃいませんね。丸一日お休みになっていた日というのは、まずないと思います」
 蔦丸が頷く。
 光広は、心底不思議そうな顔を見せた。
「‥‥皆さん、父上にお休み頂くようお話はされなかったのですか」
 途端、三人が視線を泳がせる。
「その‥‥」
「まあ‥‥」
「うん‥‥」
 歯切れの悪い三人を見て、光広は呆れかえった。
「されなかったのですね」
『はい』
 庭に降りた光広の前で、縁側に腰掛けた三人は素直に頷いた。
「ちょっと‥‥父上にお休み頂く日を作った方が良さそうですね」


■参加者一覧
/ 柊沢 霞澄(ia0067) / 柚乃(ia0638) / 鬼島貫徹(ia0694) / 深山 千草(ia0889) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 鬼灯 仄(ia1257) / 皇 りょう(ia1673) / 九法 慧介(ia2194) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / メグレズ・ファウンテン(ia9696) / 千代田清顕(ia9802) / 明王院 未楡(ib0349) / 羽流矢(ib0428) / 无(ib1198) / 羊飼い(ib1762) / 央 由樹(ib2477) / 禾室(ib3232) / 十 砂魚(ib5408) / 蓮 蒼馬(ib5707) / 雪刃(ib5814) / 熾弦(ib7860) / 刃兼(ib7876) / 東雲 椿(ib7934) / 華角 牡丹(ib8144


■リプレイ本文


 川の流れる音。谷間を反響してくる、鹿の鳴き声。
 水面の浮きは、ぴくりとも動かない。
「もうここでの暮らしには慣れたか?」
 昇竜の刺繍に龍の鱗があしらわれた袍を纏い、伸び始めた青い髪を漆黒の紐で結った青年、蓮蒼馬(ib5707)が小声で言う。
「はい」
 光広は、微妙な笑顔を見せた。
「父上の子とはいえ余所者の私に、皆優しくしてくれます」
 その表情に悲しさや寂しさは無かったが、名状しがたい戸惑いがあった。
「ですが理甲も豊かな里ではありません。私一人の食い扶持でも、ご負担が増すと思うと‥‥」
 蒼馬が、ふと鹿爪らしい顔をした。
「駄目だな」
「え?」
 蒼馬は足袋を脱ぐと、川に足を浸す。
「蓮さん?」
「水温が低すぎて、魚の動きが鈍い。食い付くのを待つより、手で捕らえた方が早い。手伝え」
 蒼馬の手が強引に光広の手を引き、川に引きずり込んだ。
「つ、冷たいですよ!」
 水位は蒼馬の膝、光広の太腿まである。蒼馬は笑った。
「自分の食い扶持を稼げば文句もあるまい」
 蒼馬の正拳突が、傍の岩に炸裂した。
 数秒経ち、衝撃で気絶した魚が水面に浮かび上がり、下流へと流されていく。
「夕飯が逃げていくぞ」
「わ、わ」
 光広は慌てて水を掻き分け、魚を追い始めた。



「その怪我で何で猪に立ち向かってんのかと思ったら、そういうことか」
 着流した単衣に傾奇羽織という粋な格好の男、鬼灯仄(ia1257)が、長煙管から吸い込んだ煙を吐き出しながら大笑いした。
「麓で買い物してる時、妙に皇が焦ってると思ったぜ」
 ジルベリア人らしい雪のような白い肌をほんのりと赤く染め、浅緑の長着に紺色の摂清袴、千歳緑の紋付羽織を着た女性、皇りょう(ia1673)が銀髪を掻き回す。
 重邦が重病と勘違いしていた彼女は、里に近付くや誰より早く駆け出し、屋敷に飛び込んだのだった。
「う‥‥むぅ。私の早とちりだったか‥‥ならばむしろ良かったのだが」
「ま、健康な人ほど、いざ病気になると無理しがちだからね」
 漆黒の長着の上に黒い外套を羽織り、白黒の襟巻きをした青年、千代田清顕(ia9802)が頷いた。
 風に揺れる襟巻きを、雲雀の飼っている仔猫又、ハバキがじっと見上げている。
「清顕、そろそろ行かんと、陽暮れてまうで」
 庭から顔を覗かせた青年が、清顕に声を掛けた。
「‥‥この里も久しぶりやけど、平和みたいで何よりやな」
 作業着風の野良袴に、動くと微かな金属音の立つ羽織を着た青年、央由樹(ib2477)だ。
「あ! 由樹兄ちゃん!」
「元気やったか」
 由樹は雲雀に手を振り返し、小脇に抱えていた瓶を縁側に置いた。
「それ、なあに?」
「おばば直伝、青ジソの焼酎漬けや」
 由樹は軽く口の端を上げた。
「毎日ちょっとずつ飲めば、寒い冬でもバリバリ働けるで」
「わざわざ、お気遣いをさせてしまって‥‥」
 重邦が慌てて頭を下げる。
「何、これも仕事や。それより強い酒なんで、くれぐれも飲み過ぎへんようにな」
 ハバキに首を擦りつけられていた清顕が、ゆっくりと立ち上がる。
「じゃ、行こうか」
「せやな。どうせやし枇杷の木でもあったらええねんけどな」
「枇杷? 風呂に入れるのかい」
「ああ、葉をな。枇杷の葉は薬になる。酒にしてもええしな」
 草鞋を履く清顕に、由樹は答えた。
「そういう話に詳しいとは意外だな。風邪なんか舐めときゃ治る! とか言いそうなのに」
 由樹と連れ立って庭に下りた清顕は、笑いながら由樹の肩に手を回す。
「‥‥俺を何やと思っとんねんお前。あとべたべたすんな」
「良いじゃないか、男同士なんだし。そうだ羽流矢くん、できたら膝か腿くらいの高さがある岩を幾つか用意しておいてくれるかな」
 嫌がる由樹と強引に肩を組んだ清顕は、庭で焚き火をしている羽流矢(ib0418)に声を掛ける。
「岩?」
 厚司織の胸に琥珀の勾玉を掛け、皮の羽織を着た羽流矢は瞬きをした。
 その隣では、袴に長着を着て紅樺色の陣羽織に袖を通した茶筅髷の中年男、鬼島貫徹(ia0694)が焚き火の中に木の枝を突っ込み、何やら掻き回している。
 清顕は頷いた。
「そう。熱して風呂場に置けば、湯冷め対策になるだろ?」
「あ、なるほどな。了解」
 納得のいった顔で羽流矢は白い歯を見せ、焚き火に掛けた紙鍋で茹でた蒟蒻を、苦無で刺して取り上げた。
「‥‥よし、こっちもできた。蒟蒻湿布ーー」
「こんにゃく? しっぷ?」
 雲雀が大きな目を瞬かせる。
「これを肝臓とか丹田の上に置くんだ。おっさん、ちょっと仰向けになってくれるかな。長着はだけて」
 重邦は訳が分からないまま、言われた通り長着の襟を開き、仰向けに寝転がる。
 蒟蒻を布でくるんで縁側に上がり、羽流矢は唸った。
「おっさん、腹‥‥」
「はい?」
「‥‥いや何でもない」
 羽流矢は口を噤み、重邦の腹に布を置く。
 重邦の腹筋は、開拓者もかくやというほどに、割れていた。
 主食は麦飯、酒は飲まず菜食に慣れ、朝から晩まで鎚を振るう男だ。
「ハバキ」
 低い声と共に、縁側に上がった鬼島が軽く腰を折り、鴨居に茶筅髷が触れぬよう部屋へ入ってくる。
 鬼島は微かに口角を上げ、自らが名付け親となったハバキの前に布の塊を置いた。
「なに?」
 ハバキは天色の瞳をくりくりと動かし、鬼島の顔を見上げた。
「触ってみろ」
 言われ、ハバキはおっかなびっくり、小さな右前足を上げて、素早く布の塊をつつく。
 恐る恐る近付き、臭いを嗅ぎ、両の前足を乗せる。
「あったかい」
「懐炉だ」
 鬼島は言い、重邦の向かいに腰を下ろした。
「良かったね、ハバキ!」
「うん。あったかい」
 即席の懐炉に腹を当て、ハバキは天色の目を細めて喉を鳴らす。
「確かにここ最近冷え込んできた。風邪を引くのも仕方のないところだ」
「ええ、どうにも‥‥」
 重邦は苦笑した。
 仄が、意外そうに鬼島を見た。
「‥‥旦那の事だから、何か突飛な事でもやらかすと思ってたんだが」
「俺を一体何だと思っている」
「いや、別に」
 仄は反射的に目を逸らした。



 初めて人里に降りてきたという金髪の修羅、東雲椿(ib7934)が、見習いの服の裾をたくし上げ、金色の両目で土間を見回した。
 その額には、一筋の汗。
 好枝は、弱り果てた顔で料理担当の開拓者達を見る。
「‥‥あの、お気遣いは本当に、とても嬉しいのですが‥‥」
「その、何じゃ。事前の打ち合わせに、ちょっぴり、‥‥喰い違いが‥‥の?」
 禾室(ib3232)は苦しい言い訳をして狸の丸い耳を伏せ、癖っ毛を留めた髪留めの花飾りを弄った。
 土間の半分以上を、膨大な量の食材が埋め尽くしている。
 材料名だけ列挙しても、
 卵(五名)、南瓜(三名)、大根(二名)、あんぽ柿、筍、饂飩(二名)、豚肉、人参、シメジ、舞茸、椎茸(二名)、白菜、水菜、昆布、削り節、柚子(三名)、柚子の砂糖漬け、柚子はちみつ、梅干し(二名)、醤油、葱(二名)、里芋、蒟蒻、羊ミルク、チーズ、はちのこ、青じその焼酎漬け、枇杷と烏梅を生姜を蜂蜜砂糖と共に漬けた薬酒、韮、生姜(二名)、生姜の佃煮、みかん、みかんの皮、柿、緑茶、ゆず茶、古酒、極辛吟醸酒(二名)、猪。以上順不同。
 取り敢えず猪一頭の存在感が尋常ではない。
 しかもここに、現地調達組の食材が加わるのだ。どう見ても、「ちょっぴり」喰い違った量ではなかった。
「保存の利くものは極力残し、足の早いものから消費していきましょう」
 巫女袴の上に着た大狸の毛皮の外套、そして陣羽織を脱いで、腰まで伸ばした濡羽色の髪をまとめながら、からす(ia6525)が言う。
「それよりも問題は‥‥調理器具が足りないことと‥‥」
 アル=カマルの外套を脱ぎ、厚司織だけの軽装になった十砂魚(ib5408)が、目とともに狐耳を伏せた。
「誰も、お米を持って来ませんでしたの‥‥」
 そう。これだけの材料がありながら、この土間には、米が無かった。
 好枝が、遠慮がちに申し出る。
「一応麦飯でよろしければ、皆さまの分をご用意していますが‥‥」
「いえ、折角ですから持ってきた饂飩で何とかしましょう」
 椿が首を振り、壁に掛かった調理器具を眺める。
 一般的な家庭にある常識的な雪平鍋、囲炉裏鍋、やっとこ鍋。簡素な鉄板、魚焼き網。屋敷の台所にあるのはそれだけだ。食器も五人分しかない。
 唯一、包丁だけが異様に種類豊富なのは、流石刀匠の屋敷というところだろうか。
「‥‥大人数向けに料理を作ったりはしないものですから‥‥」
 小さくなった好枝が、申し訳なさそうに呟く。
「大丈夫です」
 背に届く黒髪を簪でまとめた巫女装束の女性、明王院未楡(ib0349)も微笑む。
「私は普段十人以上の子供の食事を作っていますから、それなりに慣れていますよ」
 身の丈四尺ほどの身体を割烹着につつみ、お尻まで届く黒髪をまとめて手拭いに包んだ少女、礼野真夢紀(ia1144)が軽く手を打ち合わせる。
「お部屋に七輪を持ち込んで、鍋にしましょう。部屋も暖かくなりますし、鍋の湯気で乾燥も多少は改善できると思います」
「では、台所で下ごしらえと酒肴の調理、広間で各々鍋を囲めば」
 調理台が足りないと見たからすが、手頃な台を水で洗いながら言った。
 割烹着に袖を通した深山千草(ia0889)が瑪瑙の玉簪で髪を留め、好枝に声を掛ける。
「里にある一番大きな鍋と、土鍋と七輪を幾つか借りてきて下さいな。できるだけ沢山の食器と、人数分の蓮華、お箸もお願いしますね」
「は、はい」
 好枝は慌てて勝手口へと駆け出した。
「メグレズさん? 今外にいるかしら」
「はい」
 凄まじい速さで洗濯を終え、薪割りに移行していたメグレズ・ファウンテン(ia9696)の声が返ってくる。
「好枝さんだけでは手が足りませんから、好枝さんとお鍋やお皿を運んできてくれるかしら」
「わかりました」
 薪割りの音が止まり、大股な足音が聞こえてくる。
 頷き、千草は包丁と大根を手に取った。
「椿さんは筍、禾室ちゃんは南瓜の調理をお願いね?」
「はい」
「了解なのじゃ!」
 軽く背伸びをした禾室が、一杯に手を伸ばして包丁を南瓜に当てる。
「じゃ、千草さんと砂魚ちゃん、からすちゃんは私と一緒に下ごしらえをお願いします。私はまず出汁から取りますから」
 未楡は清潔な手拭いを濡らして固く絞り、昆布の表面を拭き始める。砂魚はありったけの鍋に水を張り、調味料を用意し始めた。からすは鉈を振るって薪を細かく割り、見る間に竈に火を熾す。
「初めての依頼が随分ゆるい‥‥と、思っていたのですが」
 四人に負けじと、筍の皮むきを始めていた椿は手を早める。
「椿さん、甘く見ては駄目よ」
 千草の指と手首が小刻みに動き、向こう側が透き通る薄さで大根が桂剥きにされていく。
 即席の調理台の上で、からすの手が椎茸の傘と軸を瞬時に分解する。いつの間にか傘には十字型に刃が入っていた。
 砂魚はおたまを使った目分量にも関わらず、器械の如き速さと正確さで調味料を計って皿に取っていく。
 踏み台を持ってきた禾室の手が閃き、まな板の上の南瓜が八等分されて花開くように転がった。
「台所は、戦場なのじゃ!」
「‥‥肝に銘じます」
 椿は開拓者という仕事の厳しさを痛感しながら、猛然と手を動かしだした。



 乾杯の音頭もなく、自然と宴会は始まっていた。
「こんなふうに労いの宴が開かれるのは、重邦殿が子供達や弟子に慕われている証だよな」
 黒い長着の胸に白虎の飾りを掛け、手首に数珠を巻いた修羅、刃兼(ib7876)が、車座の中心にある七輪の隣に野菜を入れた笊を置きながら呟く。
「いや、そのような事は‥‥」
 重邦が頭を掻く。
「いやだって俺の場合、親父にお疲れさま会とか‥‥やったことないぞ、うん」
 早くも空になった徳利を取り上げ、刃兼は一人頷いて立ち上がる。
 陰陽狩衣を着、透き通る灰色の眼鏡を掛けた青年、无(ib1198)が、懐に仕舞っていた紙の束を取り出した。
「そうだ、忘れない内に。長い夏休みの宿題ですが‥‥」
「これは?」
「青龍寮の‥‥五行の陰陽寮ですが、その長期休講の間に行った、先日見つかった鐘と遺跡の調査結果です。大雑把に言うと、ここから甲の方角、冥越近辺の民が理、つまり技術か人を以て里を開いたのではないかと」
「調べて下さったんですか」
 重邦は目を丸くした。
「ただ、鐘と冥越との決定的な関連性が浮かんでこないんです。滅びて久しい国ですから、推測に頼る所が多くて」
 无は徳利から直接酒を飲み、息を吐く。
「ですが、あの音。天儀の鐘に比べれば軽く、ジルベリアの鐘に比べれば重い‥‥」
「あの間抜けな音ですか」
 あっけらかんとした重邦の言葉に、无は苦笑した。
「ええ。敢えてあんな音にした事に、あの鐘の本質があるような気がするんです」
 无は腕を組み、しかめ面で眼鏡を直す。
「まあ、この先を研究するには、鐘自体を持ち帰らなければいけませんが‥‥おや?」
 无はふと視線を動かし、ゆったりと三味線を弾いている華角牡丹(ib8144)に声を掛けた。
「牡丹さん、召し上がらないんですか? 牡丹さんだから牡丹鍋は‥‥なんて話でもないでしょう」
「上手い事を仰るお方でありんすなあ」
 三味線のばちを床に置いた牡丹はくすりと笑った。
 黒い振袖の上に羽織ったもふどてらが、不思議な愛嬌を醸している。
「お気遣いはご無用に願いんす。皆はんが落ち着いて楽しめれば、わっちにとってそれが一番でありんすゆえ」
 粗末な猪口から酒を一舐めすると、指先でその縁を一撫でする。唇から猪口、猪口から指へ移った紅を懐紙で拭い、ばちを手に取る。
「では、もう一曲奏でさせていただきんす」
 三味線の張り詰めた、それでいて心のどこかの糸をたゆませ、ほどくような穏やかな音色が、広間に流れ出す。
 途端、
「もふらさまだ!」
 雲雀が華やいだ声を上げた。慌てて口を押さえ、牡丹の様子を窺う。
 牡丹は口許に笑みを浮かべ、頷くように頭を下げた。
 巫女袴に神職向けの高級な衣服、さらに白い祈祷服を重ね着していた柚乃(ia0638)が、演奏の邪魔にならぬよう声を潜めて言う。
「既に持ってたらごめんなさい」
「ううん、持ってない! 柚乃姉ちゃん、ありがとう! 大事にするね!」
 嬉しそうにぬいぐるみを眺め回している雲雀を見ていた柚乃だったが、やがて腰に差していた笛を抜き、唇に当てた。
 伏し目がちに三味線を弾いていた牡丹と柚乃の視線が、一瞬交叉する。
 めいめいに笑い、語っていた開拓者達が、ふと口を噤む。雲雀も光広も、重邦も、ハバキさえも、口を噤み、食事をする手を止めた。
 穏やかさの中に一抹のはかなさを帯びた笛の旋律が、牡丹の奏でる三味線の旋律の中へと滑り込む。最初は、途切れ途切れに。断片的な笛の音が徐々に繋がり、三味線の音の中で遠慮がちに花開く。
 その音色は、寒さの中、その枝に秘めた数多くの芽を少しずつ咲かせていく、冬桜の姿そのものだった。




 一人静かに茶を点てていたからすが、二杯飲んだだけで顔を赤くした重邦に茶碗を差し出した。
「如何かな」
「ああ、助かります。有り難うございます」
 重邦は深く頭を下げ、丁重に茶碗を受け取った。左手で碗の尻を支え、右手を添えて、静かに啜る。
「風邪を侮ってはならりません。光広殿が既に言われたそうですが、命に関わることもあるのですから」
 新たに茶を立てながら、からすは続ける。
「はい」
「年を重ねれば抵抗力が落ちる。風邪を引くと更に落ちる。そうすると別の病気にかかりやすくなる」
 からすの言葉に、
「本当にね」
 黒い角を二本生やした修羅の女性、熾弦(ib7860)が深く頷く。折り鶴型の飾りを付けた簪が微かに鳴り、銀髪がはらりと白い羽衣に掛かった。
「趣味が仕事、という人は時々聞くけれど、例え自分が好きなことだとしても休むことは必要よ?」
「はい。はは‥‥」
 反論できない重邦は、頭を掻いた。
「それから生姜だとか、静養時に役立つ薬味をね、備蓄しておいた方がいいわ」
「生姜、ですか」
「そう。もっと直接的に、薬草でもいいけれど。。南天の実、露草、山査子、鳩麦、枇杷の葉‥‥手に入りやすいものでも沢山あるわ」
「なるほど‥‥」
「しかし、あれだな」
 箸を動かしながら、りょうが笑った。
 しっかり出汁が染み、半透明になるまで煮込まれた白菜を柚子醤油につけて口に運ぶ。
 汁椀に取っていた饂飩を一啜り。
「開拓者というのは‥‥」
 味が染みていない代わり半熟を保っている煮卵が、りょうの口の中へ消える。
 次いで饂飩を二啜り。
 花形に切られた人参は出汁の味に従いつつ、自身の甘味をしっかりと主張している。
「実に個性的な方が多い」
 飴色の大根は三口で消えた。口の中で肉汁のように迸る出汁、そしてほろ苦い大根の柔らかい食感。
 猪肉と豚肉をまとめて小皿に取り、猪肉におろし生姜を乗せて食べる。脂身は官能的なほど柔らかく、徹底的に煮込まれて臭みが無い。豚肉に似ているが力強い歯応えと肉の味。
 饂飩を二啜り。
「私なぞ雑兵のようだ」
 豚肉は柚子醤油に少しだけつける。豚肉の旨味と出汁の味が、醤油の味と柚の香りに殺されてはならない。
 饂飩を一啜り。
 以上の食事は、熾弦が熱い大根を箸で四つに割り、全て平らげる間に行われていた。
「おや? 熾弦殿、箸が進んでおらぬようだが」
 自分が目下食べる分の具を汁椀に避難させていた熾弦が呆然としていると、空の笊を持ち上げた刃兼が声を掛ける。
「具材‥‥倍持って来た方がいいな」
「おや、そちらの鍋は随分と具材が余っているようだが」
 腰を浮かせたりょうを見て、他の卓の面々が突如立ち上がり、鍋をりょうの視線から庇い始める。
「‥‥すいません、刃兼さん。三倍、いや四倍で」
「だな」
 刃兼は熾弦と頷き合った。



 その時だった。
「父親というものは、娘が可愛い格好をすると非常に喜ぶものじゃて!」
「だめ! かか禾室ちゃん、やっぱだめ! はずかしいもん!」
 禾室と雲雀の押し問答する声が、襖のすぐ向こうから聞こえてくる。
「恥ずかしくないのじゃ! これを脱ぐのじゃ! 脱がねばかえって恥ずかしいのじゃ!」
『脱ぐ!?』
 一部開拓者達が顔色を変えた。
 重邦は思わず腰を浮かせつつ、襖を開けるのを躊躇して狼狽えている。
「よいではないか! よいではないか!」
「み、見えちゃうってば! 駄目だってば!」
 けたたましい物音に続き、足でも引っ掛かけたのか、襖が勢いよく開けられる。
 そこに立っていたのは、ライトブルーのフリルつきエプロンドレスを着て、短い髪を銀色のヘアピンで留めた雲雀の姿だった。
 但しスカートの中には、作務衣の下を履いている。
 メイド姿の禾室はそれを脱がせようとしがみつき、雲雀は右手でスカートと作務衣を押さえながら、左手で禾室を引きはがそうとしていた。
 エプロンドレスに作務衣という珍妙な格好、そして必死な顔で固まっている禾室と雲雀の姿に、大爆笑が起きる。
「いやがる事はいけませんよ、禾室さん‥‥?」
 困ったように笑いつつ、白を基調にした狩衣の袖を襷で縛った少女、柊沢霞澄(ia0067)がそっと禾室のメイド服に触れる。
 だが禾室は引き下がらない。暴れ回る手が、具材を乗せた笊を叩いた。霞澄が慌てて笊の均衡を保つ。
「エプロンドレスというのは、足を見せるものなのじゃ!」
「禾室さん‥‥」
「霞澄殿も、ヘンだと思うじゃろう!」
「そうではなく‥‥禾室さん‥‥」
 さりげなく霞澄の左手が、禾室のメイド服、主にスカートの裾を押さえている。
「その‥‥見せるものでない所が‥‥見えてしまいそうですよ‥‥?」
「はっ!?」
 慌てて立ち上がった禾室は、室内の男達を睨み付ける。視線を奪われていた数名が慌てて視線を泳がせた。
 その隙に禾室の手から逃れた雲雀は、顔を真っ赤にして逃げていってしまった。



「真夢紀ちゃん、このお肉、君が作ったのかな? 美味しかったよ」
 漆黒の長着に野袴、純白の陣羽織を着た長髪の青年、九法慧介(ia2194)が小皿を手に、大袈裟に手を挙げた。
「臭くないし、歯応えも味も力強くて‥‥この柚子と醤油を合わせたタレがすっきりとして。少しツンとする感じの隠し味が」
「はい。生姜を、臭み消しに」
 野菜のおかわりを持ってきた真夢紀が、嬉しそうに微笑んだ。
 生姜醤油に漬け込んだ薄切りの猪肉を、醤油と味醂で味を調えた出汁で湯通ししたものだ。湯に抜けた旨味をタレの柚子醤油が見事に補い、更に三つ葉が爽やかさを加えている。
「なるほど、いやこれ美味しいなあ。‥‥ね、ねえ、雪刃」
 慧介は、相変わらず不自然に大きな仕草で隣の雪刃に同意を求める。
「うん、そう思う」
 厚司織に外套を羽織った銀髪の神威人、雪刃(ib5814)の声は、ほんのちょっぴり棒読みだ。
「‥‥そ、そうそう。重邦さん、柚子蜂蜜は三日くらい漬けてからお湯割りにして飲んで下さい」
「どうも、ありがとうございます」
 重邦が頭を下げるや否や、
「お箸持った手振り回さないの」
 雪刃に手を叩かれ、肩を落とす。
 少し機嫌の良くない雪刃を見て、真夢紀が首を傾げた。
「雪刃さん、どうかされたんですか?」
「いや、その‥‥俺の失敗なんですが」
 慧介は、七輪から伝わる熱気ばかりが原因ではない汗を拭った。
 ちらりと横を伺うと、里芋や大根の欠片とシメジが混じった出汁を啜り、雪刃が嘆息した。
「私が魔女の仮装で‥‥」
「俺がジルベリアの貴公子の仮装をしようと‥‥」
「思ってたんだけどね。慧介が」
「‥‥服、忘れてきたんです」
 羽流矢がにやりと笑った。
「そりゃ、九法さんが悪いな」
「謝ったんですけど‥‥」
「もう許したよ?」
「さ、さっきから何かちょっとよそよそしいじゃないですか」
 訴える慧介に、真夢紀が楽しそうに一言を残す。
「でも、よそよそしいって言う割には、ぴったり寄り添ってらっしゃいますね」
 雪刃と慧介が至近距離で見つめ合い、顔を赤らめて視線を逸らした。



「はい、父ちゃん!」
「うむ?」
 酒で顔を真っ赤にした重邦に、雲雀が白い紙を手渡した。
「何だ、これは」
「お手紙ですよ」
 千草が微笑む。
「‥‥手紙?」
 千草に背中を押され、光広もまた、はにかみつつ懐から手紙を出す。
「心の栄養も取らなくてはね」
 重邦は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔で、まず年長である光広の手紙を開いた。
 その表情はまず神妙になり、読み進めていくにつれ苦笑いへと変わる。
 重邦の手が光広の首を掴み、脇に抱え込んだ。
「な、何です、父上」
「気を遣いすぎだ、莫迦者め」
 重邦の拳骨が、光広のこめかみに押しつけられる。
「何て書いてあったんや」
 由樹が興味深そうに声を挙げる。千草が小首を傾げた。
「読みましょうか?」
「そ、それはちょっと‥‥」
 重邦ではなく光広が、珍しく狼狽えている。
「私のは聞かせてあげていいよ!」
 代わりに声を上げたのは雲雀だった。
 千草が悪戯っぽい顔で、光広の頭を放した重邦の顔を覗き込む。
「よろしいですか?」
「いや、どうも‥‥」
 重邦は躊躇したが、一同の期待の視線に気付いて頷く。
「では」
 千草は軽く咳払いをし、重邦の手から雲雀の手紙を受け取ると、開く。
「父ちゃん、いつもお仕事おつかれさま。またかぜを引いてねこんだりする前に、ちゃんと休みなさい」
 声を殺した笑い声が、随所から漏れた。重邦は苦笑いを浮かべ、湯呑みから茶を啜る。
 千草が笑いを堪えながら続きを読み上げた。
「それから、こないだもこっそり腰刃の焼きを深くしようとしたり、地鉄の色を明るくしたりしてたけど、それもやめなさい」
 重邦が啜っていた茶を零し、噎せ返った。
「な、何の話を!?」
 読み上げている千草は袖で口許を隠し、必死に笑いを堪えている。
「そういうことしてるから刀が売れなくて、せいのつく物を食べられなくて、かぜを引くんだって、光広兄ちゃんもおこってました‥‥」
 雲雀は至極当然という顔で胸を張り、噎せ返る重邦を見ている。
「理甲のみんなの生活が父ちゃんにかかってるんだから、生活のこともきちんと考えて、これからも良い父ちゃんでいて下さい。雲雀‥‥ですって」
 苦労しながら千草が読み終える。
「良い娘を持ったじゃねえか」
 仄が手を叩いて笑っている。
 雲雀は重邦の顔を勢いよく指差した。
「今は光広兄ちゃんのおかげで、少し鉄色を変えただけでも、ちゃーんと分かるんだからね!」
「‥‥ちょ、ちょっと厠へ」
 視線を泳がせて立ち上がった重邦の背に、光広の澄ました声が掛けられた。
「先日鍛えた刀は確認済みですので、証拠隠滅は無意味ですよ」
「な、何?」
 重邦は振り向き、顔色を変えた。
「では鉄色のことも‥‥」
「確証が無かったのでかまを掛けたのですが」
 光広は両手で握った湯呑みからゆず茶を啜る。
「やはり鉄色を変えておられたのですね」
 埴輪のような顔で光広を見る重邦の前に、般若の形相となった雲雀が立ち塞がった。
「父ちゃん! ちょっとそこ座りなさい!」