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■オープニング本文 ● 「おい、只蔵が女連れてんぞ」 「明日は槍が降るな」 道行く人々が囁き合う。 ここは武天、侠客の町三倉。町を二分して争う瀧華一家の縄張りだ。 身の丈五尺ほど。薄汚れた甚平を身に纏い、見るからに不似合いな刀を腰に差して、無精髭を生やし目の下に隈を作った男、三枝只蔵は、横目で隣を歩く細身の人物を窺い見る。 菜の花色の振り袖を身に纏い、高く結い上げた濡れ羽色の艶やかな髪には白銀の平簪。そろりそろりと足を運ぶ度、駒下駄が軽やかな音を立てる。 細く尖った顎、ほんのり上気したような仄赤い頬、細く形の整った眉。こめかみにまで切れ込んだような細く長い目が印象的だ。 「只蔵さん、この界隈では名が知れていらっしゃるのね」 「お、おう‥‥」 今にも泣き出しそうな顔で、只蔵は振り袖の人物に答えた。嬉し泣きではない。 繰り返すが、嬉し泣きではない。 「只蔵、お前その娘さん、どっから拐かしてきたんだ」 あながち冗談とも思えない顔で、すれ違う居酒屋の店主が只蔵に声を掛けた。 「こ、こんなタチの悪い奴、誰が‥‥」 「あら。タチが悪いなんて」 血相を変えて怒鳴る只蔵の腕に、振り袖の人物はそっとすがりついた。 「私、悪くなんてありませんわよね? 勝手に只蔵さんをお慕いして、ついて歩いていますけれど」 振り袖の人物の艶やかに濡れた唇が只蔵の耳に近付き、何ごとかを囁く。只蔵の身体が硬直し、激しく首を縦に振る。振り袖の人物は、満足げな笑みを浮かべた。 と、食事処から出てきた男が只蔵と視線を合わせるなり、口笛を吹いた。 「珍しいこともあるもんじゃねえか。お前が女連れとはよ」 「女連れ? 只蔵が?」 後から出てきた男達が色めき立ち、あっと言う間に只蔵と振り袖の人物を取り囲む。 「‥‥お前らかよ‥‥」 只蔵は心底から嫌な顔をして見せた。瀧華一家の中でも、暴れ者として恐れられ、嫌われている一団だ。 「あら。只蔵さんと違って、品の無い方々ですわね」 「ば、馬鹿、楓」 只蔵は顔色を変えた。 瀧華一家の縄張りに初めて入るらしい振り袖の人物、楓は、幾度も瞬きをする。 「あん? そうか、品が無えか」 「この三下よりはマシだと思うんだがな」 「三下じゃねえ、三枝だ!」 只蔵は怒鳴る。男達は薄ら笑いを浮かべ、猫背になって楓の顔を下から覗き込んだ。 「姉ちゃん、そんな三下よりも、俺達と遊ぼうぜ」 「私は只蔵さんがいいんです。お呼びじゃありませんの」 楓はそっぽを向く。 男達は顔を見合わせ、笑い出した。 「もてる男はいいねえ」 「そんなにこの三下が好きか」 男達は下卑た笑いを口許に浮かべながら、楓の腕を掴む。 「何をなさるんですか‥‥ちょっと! ちょっと離して下さい! 只蔵さん、見てないで‥‥」 「よう、三下。文句は無えだろうな? あ?」 取り巻き達が、只蔵の顔を下から睨み上げる。只蔵はむしろ笑顔で頷き、男達に勧めるかのように掌を上に向けて見せた。途端、取り巻き達は軽い歓声を上げ、暴れる楓を取り囲んで彼の前から去っていく。 「ふう。やれやれ、せいせいしたぜ」 只蔵は大きく伸びをし、まるで憑きものが落ちたかのような顔で歩き出そうとして、ぴたりと足を止める。 「‥‥待てよ。‥‥楓のことが‥‥他の奴らに知られたら‥‥」 見る見るうちに、只蔵の顔から血の気が失われていった。 ● 「風螺、待ちな、待てと言ってんだ」 「悪いな旦那、待てと言われて待つ馬鹿はいねえのよ」 弁柄色の毛を風に靡かせながら、一頭のもふらが通りを駆け抜けていく。と、突如その身体が宙に持ち上がった。 「悪いねえ風螺。あたしが待てと言ったら、そりゃあ待つなってえ意味でね」 白髪を後頭部で結った袖無し羽織の老人が、嬉しそうに顎を撫でる。白髪から伸びる狐耳は、誇らしげにぴんと青空を指していた。 「開拓者の皆さんをお呼びするまでも無かったかねえ」 砂に隠された網で茶巾包みにされ、木の枝から吊り下げられたもふら、風螺が虚しく足をばたつかせた。 「わ、わ、罠もふ!? 汚えもふ!」 「なあに、風螺、すぐ終わるからねえ。ばっさりと、あっと言う間だ、痛かあねえよ」 剃刀を手に、老侠客、岸田仁兵衛は風螺に近付いていく。 「今年の冬も、お前さんの毛袢纏で暖かく‥‥」 と、 「おた、おた、おた」 血相を変えて、一人の男が道を駆けてくる。 「おた、おた」 「何だいあんたは。‥‥おや、どこかで見た顔だねえ」 「た、たた、たき、瀧華一家の‥‥お助け‥‥」 男は叫び、仁兵衛の前にひれ伏した。 「瀧華一家の、おおお男三枝只蔵、この通り、頼んます! お助け! お助け!」 「‥‥藪から棒だねえ」 仁兵衛は剃刀を懐に仕舞い、只蔵の後頭部を見下ろす。 「何なんだい、あんた」 「その、俺の、俺のしり‥‥しり‥‥いやその、そう、しり‥‥あい! 知り合いみてえな奴がいて、そのそいつが連れ去られちまって」 「‥‥はあ?」 「そいつを、連れ戻してほしいんだ! そいつの秘密が瀧華の縄張りに知られちまったら、俺ゃ身の破滅だ!」 「意味が解らないよ、あんた」 困惑しきった仁兵衛は、頭を掻く。只蔵は涙目で仁兵衛の袴にすがりつく。 「実は‥‥」 ● 仁兵衛は腹を抱えて笑った。 「そうかいそうかい。成る程ねえ、そりゃあ自分とこの親分にも頼み込めねえ。縁もゆかりも無えあたしの所に来たわけだ」 「わ、わ、笑い事じゃねえんだ! 俺ゃまだ人生棒に振りたくねえ!」 必死の形相で、只蔵は両手を合わせる。 「なるほど、事情が事情だけに、棒に振るってわけだ」 笑いすぎて、仁兵衛は目尻に涙を浮かべていた。 「だ、誰がうまいこと言えっつったんだ! なあ頼むよ旦那!」 「いいだろ、いいだろ。丁度野暮用で開拓者の皆さんをお呼びしたとこだ。ちいっと話が違っちまうが、その皆さんにお願いしてやるよ」 仁兵衛は快活に只蔵の背中を幾度も叩く。 「くっくっくっ‥‥その連れ去った連中が、その人を脱がしちまったり、身体に触ったりする前に、連れ戻しゃいいんだねえ」 「そ、そう、そういう事なんだ! 頼む! この通り!」 只蔵に拝み倒され、仁兵衛は幾度も頷きつつ、彼を連れて自分の屋敷へと歩いていった。 「おおい、旦那! 旦那、行くなら俺を下ろしてから行ってくれもふ!」 風螺の叫びが、青空へと吸い込まれていった。 |
■参加者一覧
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
九法 慧介(ia2194)
20歳・男・シ
以心 伝助(ia9077)
22歳・男・シ
アーニー・フェイト(ib5822)
15歳・女・シ
丈 平次郎(ib5866)
48歳・男・サ
烏丸 紗楓(ib5879)
19歳・女・志 |
■リプレイ本文 ● 「それにしても三下さんにゴロツキか〜、巻き込まれた楓さんって人は不運よね〜」 弓掛鎧の上に着た狩衣の裾が、雑木林を通り抜ける風に揺れる。 「だから、三下じゃ‥‥」 弱々しい抗議の声は、烏丸紗楓(ib5879)にあっさり黙殺された。 「まあ、何とか助けましょ」 紗楓の艶やかな黒髪から生えた猫耳は、くりくりと動きながら前方からの音を頻りに拾っている。 「フーラ捕まえてくんのも面白ぇかと思ったけど、こっちのが面白そーだね」 枯葉の踏み散らされた道を、鷲の刺繍がされた泰国の靴が踏みしめた。 「まっ、ケツまくって逃げねぇで済むよーにしてやっか」 キャスケットを軽く持ち上げたアーニー・フェイト(ib5822)の赤い瞳が覗く。その目には、明らかに意地の悪い光が宿っていた。 「それは有り難えんだけどよ‥‥」 もじもじと、只蔵。 「俺も行くのかよ‥‥」 「全部貴方の自業自得なんすから、少しは協力してくださいやし」 具足を軽量化した忍者鎧に虹色の外套を羽織った緋色の髪の青年、以心伝助(ia9077)がぴしゃりと言う。 顔の下半分を覆うアサシンマスクの端から覗く二条の筋は、刀傷だろうか。 身の丈五尺ほどの伝助の隣、六尺半ほどの巨体を具足と袖無しの外套で覆った巨漢、丈平次郎(ib5866)が重々しく頷いた。 頭巾と白布で隠された顔からその表情は窺い知れないが、しかし覗き見える両目の光は、その場にいる誰のそれよりも冷たい。 「そりゃ‥‥まあ‥‥」 「自分の女を取り戻すのに、自分が矢面に立つのが筋だろう」 鬼灯仄(ia1257)が前歯で総鉄製の煙管の吸い口を噛む。 単衣の肩に派手な羽織を掛け、草履を突っかけただけの出で立ちは、荒事に向かうどころか、ただの散歩といった風だ。 「‥‥俺の‥‥女、つうかよ‥‥」 只蔵は、口の中でもごもごと呟く。 煮え切らない態度に、仄は鋭い舌打ちを漏らした。 「あいつらの女になっちまって良いなら、俺達は引き返すぜ?」 「いやいやいや! それは困る!」 只蔵は文字通り跳び上がり、勢いよく両手を振った。 「ただ、あいつに良い所を見せたら、また俺のしり‥‥しり」 「しり?」 仄が眉をひそめる。只蔵は狼狽えた。 「し、知り合い! そう、知り合いみてえな顔されちゃ、堪らねえんだよ!」 「知り合いだろうが」 「いいいい色々あるんだよ!」 顔を真っ赤にし、只蔵は涙目で怒鳴る。 結った長髪を泰兜の後ろから垂らした青年が、軽く肩を竦めた。 「‥‥何の秘密があるか知らないけど、少しは彼女を心配するとかしてあげなよ」 こちらは弓掛鎧に純白の陣羽織、牙を剥いた形の面頬という完全武装。九法慧介(ia2194)だ。 「そうそう。第一、ここで逃げちゃ男が廃るわよ、しゃんとしなさい」 紗楓が只蔵の背中を思い切り叩く。 「ある意味もう廃って‥‥」 「ん? 何か言った?」 「何でもない‥‥」 無垢な笑顔で問い返す紗楓に、只蔵は情けない泣き顔で呟いた。 「じゃ、三下さんも頑張るのよ〜」 満足げに紗楓は頷くと、見えてきたあばら屋に声を掛けた。丁度引き戸が閉じる所だ。 「三下さんが助けに来たわよ〜」 怖じ気づくというよりは心底嫌そうに、只蔵が振り向いた。 「ほ、本当にやん‥‥のか‥‥」 「‥‥『秘密』が知られてもいいのか」 平次郎が只蔵の首根っこを掴み、前方へ放り出した。 なおも弱気に後方を窺う只蔵に、慧介が顔を顰めて見せる。 「往生際が悪いな。折角慕ってくれてるんだから‥‥」 「‥‥わ、わかったよ」 只蔵は弱々しく頷き、軽く息を吸い込んだ。 「お、おう! 連れてった奴を離してもら‥‥えねえかな‥‥」 途端、 「てめえ、三下!」 楓を連れ去った荒くれがあばら屋から顔を出し、目を剥いた。 無理もない。身の丈五尺の只蔵の後ろに、六尺近い鎧姿の女性、そして六尺超の大男が三人、勢揃いしているのだ。 「一体どっから援軍呼んで来やがった!」 「連れてったやろ‥‥奴に、手出してねえだろうな!?」 涙目で只蔵が怒鳴り返した。 「女取り返そうってんだろうが、そうはいかねえぞ」 「返さなくていいからあいつに触るんじゃねえ!」 「返してもらいなさいよ」 紗楓にサボで膝裏を蹴られ、只蔵は見事に尻餅をつく。 「只蔵さん!」 僅かに髪を乱しただけで、着衣に乱れのない楓があばら屋の入り口に立たされた。二人がかりで後ろ手を取られ、前屈みにさせられている。 「来て下さったのね!」 反射的に視線を逸らした只蔵の様子と、前屈みになった楓の襟周りを見て、仄は眉根を寄せた。顎を摘み、しげしげと楓の顔を見る。 「しかも、そんな強そうな人達まで連れて‥‥!」 叫ぶ楓の、年の頃は十七、八だろうか。撫で肩で細い顔、抜けるような白い肌。色街でもなかなか見ない美少女だが、仄は死神の鎌に尻を撫でられているかのような危機感を覚えた。 頭領格の男は部下数人と共に、楓を連れてあばら屋の中へ戻っていく。 「ま、せいぜい唾つけられる前に入ってくるんだな」 いち早く何かを悟ったらしい仄は、軽く只蔵の肩に右手を置いた。 「‥‥苦労するな」 その手が、只蔵の肩をむんずと掴む。 「お、おい?」 「男・三下只蔵が、自分の女を、命を懸けて助けに来たんだ。男なら受けて立つだろうな」 「ナメんじゃねえ!」 仄の挑発に男達はいきり立ち、手に手に獲物を持って開拓者達に殺到する。 只蔵が悲鳴を上げた。仄が右足で、彼を男達の目の前に蹴りだしたのだ。 「ちょっと鬼灯さん、何無茶させてるの〜!?」 紗楓は咄嗟に只蔵の前へ飛び出した。 一刹那、木漏れ日を映す緑色の輝きが現れる。 只蔵の額目掛けて振り下ろされた棍が、軽く只蔵の頭頂部を叩いて地に落ちた。 紗楓の「翠礁」は男の攻撃に出小手を合わせ、右手尺骨を小枝の如く両断していた。出血は派手だが、動脈は傷付いていない。死にはしないだろう。 「ここは三下の良い所を見せてやった方がいい」 仄は煙管を咥えたままけろりと答え、横薙ぎに払う六尺棒を草履の裏で受け止め、地面に叩きつけた。反動で間を詰め、全体重の乗った左拳を男の顔面に叩き込む。 鼻血を噴き上げた男の顔を、喧嘩煙管が薙ぎ払った。 「てめえ!」 「どうせ独活の大木だ、ぶっ殺せ!」 男達が怒鳴り、殺到する。 慧介は刀を地面にそっと置くと、腰の鞘を抜いた。 鞘が無造作に弧を描き、正眼に戻る。ただそれだけで、振り下ろされた大刀は取り落とされ、男は腕を抱えてうずくまった。 「調子こいてんじゃねえ!」 溜息をつき、紗楓は音もなく刀を鞘に納めた。 右目のモノクルが、陽光を反射して光る。 「まあ‥‥やっぱりロクな男どもじゃないわよね‥‥」 紗楓は、瞬き一つの間に荒くれの左に立っていた。 翠礁は鞘に収まったままだ。ただ荒くれの左腕だけが血を噴く。 瞬間、雑木林の空気が密度を増した。白布が、そして辺りの木立が小刻みに震える。 荒くれの一人を鞘付きの大剣で薙ぎ倒し、その顔を踏み付けた平次郎の口が、布の奥で、獣を思わせる咆哮を発していた。 「やべえ」 「おい、まずそいつだ!」 荒くれ達の殆どが、最大の危険を平次郎と判断し、六尺半を超す異形の巨体を取り囲もうとする。 その時だった。 「ちょっと、離して下さい!」 あばら屋の中で声が響く。只蔵の顔色が変わった。 ● あばら屋の中。 楓の腕を取っていた男の一人が、踵で爪先を踏み付けられ、身体を反り返らせた。 直後、残る一人が、突如直立不動の姿勢を取る。 男の胴体を麻縄が縛り上げているのだった。 あばら屋の中の男四人が、目を疑った。まるで空気の中から溶け出るかの様に、いや、空気の一部が少女の姿に変化したかのように、忽然とそこに縄の先端を握る金髪の少女、アーニーの姿が現れていた。 「こ、このガキ、いつの間に!」 楓の腕を放してアーニーに掴みかかろうと、男が手を伸ばす。アーニーは、楓の袖を掴んで素早く側転した。 空を切った腕を、側転したアーニーの泰国靴が蹴る。男の手は、袖を引かれた楓の髪を掠めて虚しく空気を掴んだ。 「な、何だ、こりゃあ」 頭領格が素っ頓狂な声を上げる。 あばら屋の穴の前。片膝をついた伝助の両手が畳に触れている。 十指から細く伸びた糸の如き影は、荒くれの影に突き刺さっていた。 影が畳に縫い止められ、縫い止められた影が荒くれの動きを縛っているのだ。 アーニーの手が閃き、荒くれの顔面に礫が炸裂した。 「はいよ、デンスケ」 空いたアーニーの左手が、楓の背を押した。 「‥‥あれ」 アーニーに押しつけられた楓を抱き留めた瞬間、伝助の首筋に違和感が走った。 腰だけではなく、抱き留めた拍子に触れた、尻が細い。 「いやですわ、シノビのお方。そんな所‥‥」 「いやいやいやっ!? 誤解っすよ!?」 緋色の髪が地味に見えるほど、伝助の顔に血が上った。 「自分、普通っすから! 普通!」 「あら。私にとってはこれが普通ですわ」 楓の細い指が、伝助の喉に触れる。伝助の全身に鳥肌が立った。 「そりゃ、あな、あな、アナタにとっちゃ、普通でもっすね! あの‥‥紗楓さんっ!?」 伝助の手が、首に絡みつこうとする楓の両手を振りほどいた。 「以心さん、女の子に乱暴は駄目よ〜」 呑気に呟いた紗楓は、志体持ちが逆袈裟に振り下ろす刀を鎬で外し、上腕に突き込んだ鋒を切り払う。 彼女の前には、まだ刃物を持った男がいる。楓を押しつけるには危険だ。 「ご自分の普通と違うから、他人の普通を否定なさるの?」 楓の目が僅かに潤み、伝助の青い瞳をいじらしく見つめる。 「そうじゃありやせんけどっ!」 「じゃ、よろしいじゃありませんの? そんな小さいお方じゃないでしょう?」 楓の手が、さりげなく伝助の腰から下へと降りていく。 「そ、そりゃそうっすけどっ! へへ、平次郎さんっ!」 救いを求めて視線を向けた平次郎は、鞘つきの大剣を振り回し、黒い旋風と化していた。 大剣を受けようとした男は、棍ごと頬骨を砕かれ、歯を撒き散らしながら地に転がった。勢い余った大剣は更に半回転し、横手に立つ男の脛を砕く。 こんな所に楓を放り込めば、巻き込まれるのは間違いない。 「秘密」をいち早く察した仄は、あばら屋から遠く離れた場所で煙管を構え、志体持ちの刀と鍔迫り合いをしている。楓を押しつけるには、無論遠すぎる。 「‥‥慧介さん、任せやしたよっ!?」 伝助は楓の尻を、外で戦う慧介の方角へと蹴飛ばした。 楓の正体に気付いていた慧介は、楓の手を、刀の鞘でさらりと払う。鞘はそのまま複雑な曲線を描き、棍を握った男の手首に触れた。 ただそれだけで、男の手はあり得ない方向へと折れ曲がる。 「予め言っておきますけど、俺は恋人居るんで、駄目です」 「あら。では私は二人目になりますわね」 欠片も挫ける様子を見せない楓に、慧介の全身から汗が噴き出る。 「なら、俺がどれ程彼女を愛しているか、聞かせて進ぜま‥‥」 「まあ。そんなに情の深いお方でしたら、私のこともさぞかし‥‥」 敵が想像を遥かに上回る存在だった事に気付いた慧介は、只蔵へと楓の尻を蹴飛ばした。 伝助と慧介の視線が交錯する。 二人の意思疎通には、その一瞬だけで十分だった。 「楓さん、三枝さんがあなたをどれほど心配してたことか!」 「そうでやすよ、只蔵さんが土下座までして頼んだ、その男伊達にやられて、あっしらはここにいるんすから!」 「君を最も深く思っているのは、三枝さんだ!」 「間違いありやせんよ!」 「ちち、ちが‥‥」 慌てて否定しようとする只蔵は、反射的に屈み込んだ。間一髪、僅かに薄くなり始めた頭髪を掠めて、男の正拳が空を切る。 「只蔵さん、頑張って!」 「サンシタ、そいつ倒したらタキハナん中でも一目置かれるんじゃねぇの?」 「三下さん、素敵! 頑張って!」 「おい三下、それくらいの奴はてめえで片付けろ」 楓の声援に、故意犯のアーニーと、良く解らぬまま勢いに乗った紗楓、そして手下を全員伸して傍観に入った仄が只蔵を焚きつける。 男の正拳を、只蔵は右肘で払う。その勢いのまま、只蔵の裏拳が男の顎を掠め、脳を揺らした。 ● 尻餅をついた男に、手近な侠客を残らず薙ぎ倒した平次郎が歩み寄る。 「三枝のした事もだが、お前達のした事も許されることでない。分かったら二度とその女性に手を出すな」 「あら。逞しいお方、私を女性とおっしゃって下さるの?」 振り袖から伸びる楓の細い両腕が、そっと平次郎の具足に伸びる。 「何を当然の事を。さあ、三枝。謝れ」 具足の金具に手を掛けた楓の襟首を平次郎は捕まえ、ひょいと持ち上げた。 首根っこを咥えられた子猫のように、楓は只蔵の前まで空中を平行移動し、ぺたりと地面に座らされる。 襟を引かれた事で、ぴたりと隠していた胸元が僅かに覗いた。 翠礁を鞘に納めた紗楓の大きな黒い目が、幾度も瞬きを繰り返す。 「へ? その人お‥‥」 振り袖の襟元から覗く胸「板」、そして小さな喉仏。見る間に紗楓の白い顔に血が上った。 「はい?」 注意して聞いてみればごく僅かに掠れた声。猫が巨大な犬に睨まれでもしたかの如く、目をまん丸にした紗楓は猛烈な勢いで後ずさった。 「ままま、待ってくれ! こりゃ誤解! 誤解だ!」 「あら嫌ですわ。誤解なんかじゃありませんのに」 楓の両腕が只蔵の腕を捕らえる。 「只蔵さんったら、私のことを見捨てようとなさって。お仕置きですわね?」 「た、たたた、助けに来たろ!? あんたら、見てないで助けてくれよ!」 「‥‥こうなった原因はお前だ」 事態が解っていない平次郎が、低く呟いた。 「被害を受けた彼女に謝って然るべきだろう。仕置きで済むなら寧ろ感謝すべきではないか」 難を逃れたと知った慧介と伝助が、真っ先に踵を返す。 「まあ何ていうか‥‥愛があれば良いと思うにゃ‥‥」 秋風吹きすさぶ中、滝のように汗を流しながら紗楓が呟きながら、慧介達を追う。 首を絞められた只蔵が、青紫色の顔で必死に地面を叩いている。 「ま、何だ。人生何ごとも経験だ」 仄が笑顔で片手を挙げれば、 「楓と言ったか。存分に仕置きをくれてやれ」 「はい!」 平次郎が言い、楓が幸せそうな笑顔で返事をする。 「にしても、サンシタもよくやるなあ」 叩きのめした荒くれ達に縄を掛けて木に結び終えたアーニーが、声を殺して笑う。 「まあ、惚れた女のために命を懸けようというのだから、そこは買うがな」 最後まで事態が理解できていない平次郎に、アーニーは手を振った。 「ちがうって。嫌われもんっつったって、タキハナの揉めゴトでライバルんトコ頭下げて、自分の女取り返したよーにしか見えねぇんだぜ?」 「‥‥確かに」 気の毒そうに後ろを振り返る慧介。既に、楓の手で茂みへ連れ込まれた只蔵の姿は見えない。 「次はどんなウワサされっかなー」 金髪を包むようにして後頭部で手を組み笑うアーニーの背中に、押し殺した三下の悲鳴が届いた。 |