ただ君を待つ
マスター名:村木 采
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/09/08 21:07



■オープニング本文


 味噌汁を啜りながら、香伊奈は上目遣いに青年を見た。
 青年は人差し指で頬を掻く。
「そう言わずに。危ないでしょう、こんな所にお一人じゃ。畑荒らしだって来たんでしょう?」
「気にしないわ」
 香伊奈は強飯を一口食べ、芋煮を箸で割る。
「火付けだってされたって言うじゃないですか」
「消せばいいわ」
 香伊奈は芋煮を口に運び、味噌汁を啜る。
「僕の気持ちも少しは汲んで下さいよ。こんな所はもう引き払って、僕と一緒に、町で暮らしましょうよ」
「嫌」
 青年の必死の訴えだったが、香伊奈は一刀両断にし、お新香を口に運んだ。青年は食い下がる。
「もう十年も待ってるんでしょう、その、駆名さんて人」
 香伊奈は答えない。強飯に味噌汁の残りを掛け、一気に掻き込み始めた。
「これだけほったらかしにしてるんだから、もう来ないですって。これだけ長い間人をほったらかしに出来る人ですよ? きっと、他所で所帯でも持ってますよ」
「‥‥言いたい事言い終わったら帰ってね」
 香伊奈は食事を終え、角皿と小皿、汁椀と飯碗を重ね、席を立った。
「帰ってね」
 重ねて言う。青年が食い下がろうと口を開いた瞬間、香伊奈が被せるように言った。
「帰ってね」


 開け放した障子越しに、庭からの風が吹き込んでくる。
 縁側に腰掛けた老人が、桶から麻袋に入った米を出し、別の桶から味噌を掬い出した。
「はい、米と味噌。今日はおからもおまけしておきますよ。余りもんで悪いけどね」
「ううん。有難う、いつも助かってるわ」
 腰まで届く髪を揺らして、香伊奈は微笑んだ。老人は苦笑交じりに首をかしげる。
「香伊奈さん、お綺麗なんですから、幾らでも嫁の貰い手なんてあると思うんですがねえ」
「ごめんなさい、興味ないの」
 香伊奈は苦笑いを浮かべ、お釣りなしでぴったり米と味噌の代金を支払う。
「はい毎度」
 老人は節くれだった指で小銭を受け取ると、香伊那の目を覗き見た。
「香伊奈さん、いつまで駆名の奴を待つんですかい」
 香伊奈は一瞬躊躇ったのち、
「ずっと!」
 頬を染め、いたずらっぽく笑う。
「まあ、そうおっしゃると思ってましたけどね」
「待つことも恋のうちよ。柳さん」
 香伊奈は幸せそうに笑った。柳と呼ばれた老人は頭を掻き回す。
「そんなもんですかねえ‥‥駆名の奴も、果報者というか、罪な男というか。もう少し早く帰ってくればいいものをねえ」
「いいの。ずっとこの家で待ってるって、約束したんだから」
 香伊奈は少し頬を膨らませる。
 その様子を眩しそうに眺めていた柳は、やおら溜め息をついた。
「まあ、香伊奈さんのお好きにされるのがお幸せなんでしょうけどね。早く帰ってこないと、変な虫がつきそうでいけない」
「常臣のこと?」
 香伊奈は肩をすくめた。
「まあしつこいし、強引過ぎるから相手にしてないけど、嫌いじゃないわよ」
「ほら、それがいけない」
 柳は二つの桶に棒を通して担ぎ上げた。
「あんまり人を悪く言いたかないですがね、あの渡辺の家は良くない話が多いんですよ。タチの悪い連中との付き合いも噂されてますし‥‥」
「考えすぎよ。そんなに悪い人じゃないと思うわ」
「だといいんですがね‥‥じゃ、また」
「はい、ごくろうさま」
 香伊奈の微笑みに送り出され、柳は香伊奈の家を出た。
 数日後に控えた夏祭りの準備だろうか、町外れに組まれた櫓に上がった数人の青年が、やけに香伊那の家の位置を気にする素振りを見せるのが、不思議と柳の気に掛かった。


「駆名の奴は、いつ帰ってくるんだろうなあ」
 宵の口。
 その日の商売を終えて帰宅した柳は、妻と共にちゃぶ台を囲みながら、呟いた。
 妻は頷く。
「やんちゃ坊主でしたし、養父との仲も良くありませんでしたからね。出て行きたくはあったでしょうけど」
 煮魚を口に運び、柳は溜め息をついた。
「開拓者として名を馳せたって話も聞かない。今ごろどこで何をしているのやら」
 二人の間に、沈黙が降りた。しばし、食事の音だけが茶の間を支配する。
「そういえば。あなた。香伊那さんで思い出したんですけれど」
 老婆がふと切り出した。
「香伊奈さんの、あのお宅ね。何でも、あそこの庭に、何ですか、宝珠だか何だかが埋まってるって噂、聞きましたか?」
「またお前の噂好きが始まったね。ただの与太話だろ」
 柳は苦笑し、あさりの味噌汁をすすった。
 だが、それから数秒してふと顔を上げ、老婆と視線を交わした。
「待てよ。それがもし本当だとしたら」
「ええ、渡辺のお坊ちゃんがご執心なのは、香伊那さん自身じゃなくて、香伊那さんの家に埋まってる宝珠じゃないかって噂なんです‥‥」
 老婆が、不安そうに訴えた。柳は汁椀と箸をちゃぶ台に置き、腕を組む。
「香伊奈さんの曾お祖父さんが、渡辺家からあの家を買ったでしょう? その時にはもう渡辺家にも、その宝珠のことを知ってる人はいなかったみたいなんですけどね」
「じゃ、なんで今更そんな話が出たんだ」
「昨年、渡辺家の倉庫が整理されて、色々な物が売りに出た事があったじゃないですか。あの時に、その事を記した巻物を見つけたって、坊ちゃんが酒の席で‥‥」
 柳は得心顔で頷いた。
「香伊奈さんはそれを知ってるのかな」
「まさか。だって、持ち主だった渡辺家も知らない時に買われた家ですよ? 香伊奈さんは半刻だってあの家を離れませんから、町の噂なんてほとんど耳に入らないでしょう」
「そうか‥‥だとすると、香伊奈さんのお宅に最近来る、畑荒らしだの火付けだのってのは‥‥」
 老婆は頷いた。
「香伊奈さんをあの家かから追い出そうとしてるんじゃないですかねえ‥‥」
 唸る柳の脳裏に、今日の昼見た、櫓から香伊那の家を気にする青年達の姿が浮かんだ。
「夏祭りに乗じて、何か起こすんじゃなかろうな‥‥」



■参加者一覧
日向 亮(ia7780
28歳・男・弓
一心(ia8409
20歳・男・弓
ルエラ・ファールバルト(ia9645
20歳・女・志
羽流矢(ib0428
19歳・男・シ
ノルティア(ib0983
10歳・女・騎
リリア・ローラント(ib3628
17歳・女・魔


■リプレイ本文


 切なくなるほど青い空の下。
 額に鉢金を巻いた恰幅の良い長身の青年、日向亮(ia7780)が、木戸を押し開けて庭を出た。漆のように黒い髪を腰まで垂らし、市女笠を被った香伊那がそれに続き、そろって町へと歩き出す。
 町からは陽気で、しかしどこか物悲しい、祭り囃子と太鼓の音が流れてくる。
 それから、四半刻ほど経っただろうか。
 家の周りの茂みから、頭巾で顔を隠した男達が、続々と姿を現した。その数、実に二十名ほど。めいめいに鶴嘴や大槌、鍬、鋤などを手に持っている。
 頭領だろうか、狐の面で顔を隠した男が手で指示を出した。男達は頷いて庭に侵入すると、およそ半数が庭の地面を鍬や鋤で掘り始め、残る半数は縁側から土足のまま家の中に上がりこむ。
 その時だった。
「香伊那さんの、約束の場所を荒らして頂いては困ります」
 一同が、ぎょっとして板の間を見た。
 そこには、くびれた腰と小さなへそを大胆に出した赤髪の少女、リリア・ローラント(ib3628)が立っていた。
「何だ、娘っこか」
 それが年若い少女であると知り、男達は安堵半分、下品さ半分の笑みを浮かべだした。
「おい、常臣さん。どうすんだ? やっちまうのか?」
 側に居た大槌の男が、あからさまに狐面の男を名前で呼ぶ。それを聞いたリリアは顎に人差し指を当てて、小首をかしげた。
「やっちまう? え、皆さん、お強いんですか。困ったな、私の魔術で勝てるかな」
「‥‥魔術?」
 その言葉で、初めて男達の間に動揺が走った。
「おい、魔術って、まさかこのアマ、開拓者じゃねえだろうな」
 と、狐面ではない、一際図体の大きな男が笑った。
「馬鹿、こっちにゃ数の利‥‥」
 だが、男が言葉を最後まで発することはできなかった。突如鶴嘴を取り落としへなへなとその場に崩れ落ち、大いびきをかき始めたのだ。
 狐面の男が、慌てて倒れた男とリリアとを交互に見比べる。
「じゃ、元気な方から眠ってもらいましょう」
 微笑むリリアの十指は、まるで蛍の乱舞のように、時折淡く白い輝きを帯びながら、空中を動いていた。
「アムルリープ、お休みなさい、お金に目の眩んだかわいそうな人達。夢の中には、きっと望み通りの生活が待っていますからね‥‥」
 リリアの指先を離れた輝きが、狐面の隣の男に触れる。途端、その男も膝の裏を蹴られたかのごとく、その場に崩れ落ちて眠りはじめた。
 男達は明らかに浮き足立ったが、狐面だけは怯まない。 
「怯むなよ、魔術士一人くらい、数人で取り押さえてしままえば何もできないだろ!」
 その言葉で、男達は我に返った。それぞれの獲物を握り直し、身構える。
 が、リリアに襲いかかろうとするよりも早く、その先頭に立っていた男が痛烈な峰打ちを顔面に浴び、畳に後頭部から叩きつけられた。
 一瞬の沈黙が、屋敷の中を支配した。遠く聞こえる物悲しい祭り囃子だけが、やけに大きく聞こえる。
「魔術士一人じゃありませんよ」
 ゆらりと土間から現れたのは、香伊那の着物に身を包み、香伊那と同じ髪型をした、ルエラ・ファールバルト(ia9645)だった。
 狐面の男はその姿を見て、あ、と声を上げる。
 ルエラが艶やかに笑い、首を振りながら左手で黒髪のかつらを外すと、中から燃え上がるような赤い髪があらわになった。
「残念でしたね。貴方が見た香伊那さんの外出姿は、私」
 言うや否や、ルエラの刀「嵐」の切っ先が、わずかに霞んだ。
 男の面紐がぷつりと切れ、二十歳ほどの、そこそこ整った顔立ちが現れた。ルエラの整った眉が、微かにひそめられる。
「紐だけ切ったつもりだったんですが」
 言われ、耳から垂れ落ちる血で、狐面の男はようやく、面紐を刀で切られたのだと悟ったらしい。情けない声を上げて尻餅をつき、四つんばいで後ろに下がった。
「お、おい、常臣さん」
「畜生、出直しだ!」
 常臣は縁側に立ち上がると、庭に飛び降りる。
 刹那、風を切り裂く鋭い音と共に、何かが常臣の爪先の五寸前に突き立った。
 それは、一本の矢だった。急停止しようとした常臣は、もんどり打ってその場に転倒する。
「折角ここまで来たんだ、逃げずに最後まで付き合っていけ!」
 愛弓「朏」を回転させて小脇に挟み、朗々たる大声を発したのは、土間から現れた亮だった。
 だが、これだけの射技を見せられて、なお開拓者に立ち向かうような根性のある男達ではなかった。
「やべえぞ、逃げろ!」
 大槌を手にした男が叫び、一同は三々五々、辺りへと散り始める。
「他人の恋路を邪魔する者はなんとやら、だな」
 亮の「朏」がうなりを上げて床を走り、一人の男の足をすくい上げた。男は綺麗に顔面から着地し、もう半回転して腰から地面に倒れこむ。
 逃げ出す男達の進行方向を見た亮が、ニヤリとほくそ笑んだ。
「リリアとノルティアの読み通りだな」


 香伊那宅の南側。
「おい、時定、勝繁! お前たち、志体持ちだろ! あんな女子供、何とかならなかったのか!」
 南の村へと続く獣道を駆けながら、五〜六丈先を走る男二人に常臣が怒鳴る。
 勝繁と呼ばれた男、続いて時定と呼ばれた男が、怒鳴り返した。
「冗談じゃねえ、あいつら、本物の開拓者だぞ!」
「一対一ならまだしも、数で負けてちゃ勝てるわけが」
「ないよねえ」
「だろ!」
 時定は反射的に叫び、そして聞き慣れぬ声に目を剥いた。
 いつの間に現れたのか、明るい茶色の髪と瞳を持つ、シノビ装束の少年‥‥羽流矢(ib0428)が、彼と勝繁にぴったり張り付いて併走していたのだ。その右手には荒縄が握られており、その荒縄の先は、時定自身の右手に巻き付いている。
「て、てめえ誰だ!」
「敵に決まってるじゃないか」
 羽流矢は満面の笑顔を浮かべると、進行方向を切り返して早駆で加速した。驚いたヤマガラが羽ばたいて逃げようとするが、それさえも羽流矢は追い越しながら、残る男達の目の前で荒縄を木に巻き付ける。
 尋常ならざる勢いで腕を引っ張られた時定は悲鳴を上げた。脱臼してあり得ない方向に曲がった肩から地面に激突し、悶絶する。
 後ろから駆けてきた常臣達は急停止し、羽流矢を遠巻きに取り囲んだ。
 時定の隣を走っていた勝繁も足を止め、呆然と呟く。
「‥‥鳥を追い越しやがった」
「ヤマガラは結構飛ぶの遅いよ。早駆の使えるシノビなら、なんてことないさ」
 羽流矢は事も無げに言うと勝繁に背を向け、常臣達に正対した。
 勝繁が刀を抜き、吠えた。
「俺を無視たあ、良い度胸…」
「誰が無視しました?」
 勝繁の動きがぴたりと止まる。
 携帯用の弓を背負い、自然体に木刀「安雲」を握った一心(ia8409)が、ゆらりと幽鬼のごとく姿を現した。獣道の脇の木陰で、気配を絶っていたのだ。
 だが一心の胸当てを見て勝繁は表情を一変させ、刀を正眼に構える。
「こんな近距離で、弓術士に何ができるってんだ」
「弓術士だからといって、弓以外が使えない訳ではないのですよ?」
 一心は失笑し、「安雲」を左脇に位取る。
 殺気に驚いたか、茂みに潜んでいた雀たちが一斉に飛び立った。
 二人のにらみ合いは、一瞬にすら満たなかった。勝繁の手が微かに動いた瞬間、左脇から繰り出された一心の木刀が、勝繁の右膝を粉砕したのだ。
 勝繁は悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちた。
「十年も待っていられるほどの、強い想い。誰かの悪意で壊して良いものではありませんよ」
 一心は冷たく言い放ち、血に倒れ伏して苦悶の呻きをあげる二人に背を向け、常臣に向き直る。
「こ、この野郎‥‥」
 常臣は色を失い、懐から短刀を抜いた。
 その瞬間、銀色の獣が、獲物を捕らえる燕のように地面すれすれを駆け抜けた。速度と重量、そして筋力を一点に集中した体当たりで、常臣を茂みの中へと叩き込む。
 胸が詰まったか、茂みの中で声もなく身体をくねらせる常臣に、冷ややかな声が掛けられた。
「悪党‥‥相手、に。問答‥‥は、無用」
 銀色の獣の正体は、白銀の鎧に身を固めた銀髪の少女、ノルティア(ib0983)だった。身体の小ささを利用して茂みの中に潜んでいたのだ。
 刀こそ帯びていなかったが、その緑色の瞳は刀よりも剣呑な光を帯びている。
「何だ、このチビ!?」
 残る男達が、うろたえる。
「人の、気持ちを‥‥踏みにじる、奴ら。悪い、けど。容赦‥‥して、あげない。‥‥から」
 ノルティアは言い、地面に落ちた常臣の短刀を踏みにじった。木鞘が乾いた音を立てて割れ、刀身がへの字に折り曲がる。
 ようやく茂みから抜け出した常臣に、ノルティアは冷たく言った。
「きみ‥‥お金、たくさん、集めない‥‥と‥‥家、継げない。‥‥だって、ね」
 言われ、常臣の顔がさっと青ざめる。
「既に調べはついていますよ、常臣殿」
 笑ったのは、一心だ。
「渡辺家の番頭に博打を教え、作った借金を肩代わりする変わりに、そこで伸びている志体持ちを雇わせたんだそうですね」
「香伊那さん、の、家に。‥‥嫌がらせ、したのも‥‥あの二人、だって。‥‥ね」
 常臣は、地面にへたり込んだまま、呆然と二人の顔を見上げた。
 残った数人の男達を眺め、羽流矢が荒縄を手に意地悪く笑った。
「諦めるんだね。逃げ切れやしないよ、もう。そこのチンピラ君達もね」
「た、たかだか三人だ! 散れ!」
 チンピラの一人が言い、男達は獣道を外れて森の中へ逃げ込もうとする。
 だが、
「リリアさんとノルティアさんの読み通りだ! ふん捕まえろ!」
 かけ声と共に、膨大な数の投網が男達に投げつけられた。
 逃げようとしていた男達は、一人残らずおもり付きの投網に幾重にも絡め取られ、情けない悲鳴を上げる。
「そりゃ、捕まえろ!」
「あ、このチンピラ! こないだウチで食い逃げしやがった野郎だな!」
「町のもんを泣かす野郎は、あたしが許さないよ!」
 森の木陰から現れたのは、リリアの「しこりを抱えたままでの夏祭りなんて、きっと、楽しくない。ご飯だって、おいしくない」との説得に心を動かされた、柳老人を始めとする町の老若男女だった。


 証人となった町の人々から常臣達を突き出され、名主は渡辺家の失態に飛び上がって喜んだ。
 常臣は、その晩の内に名主に締め上げられ、残らず計画を白状させられる羽目になったのだった。
 一心やノルティアが町で調べてきた情報と大差ないところだったが、常臣の行状に父親が薄々感づき始めたのが、一年前。
 結果、息子を改心させるつもりで、それまでの不祥事を隠蔽するため使ってきた金を稼いでこない限り、勘当すると言い渡したらしい。
 だが常臣は改心するどころか、楽に金を儲ける方法を探し始めた。そして半年前の倉庫整理で香伊那の家の下に眠るという宝珠のことを知り、彼女に近づいたのだ。
 常臣の身柄は代官の預かりとなり、相当厳しい仕置きを受けるという話だ。
 渡辺家の息子の悪行と共に、香伊那の家に眠る宝の噂は、一晩で町中に広まった。正確には、亮の付け加えた「掘り起こされた跡を発見した」という噂が。
 ノルティアの意見で香伊那に宝珠の事を伝えたが、香伊那はさほど興味がなさそうだった。生活に困らないだけの金は、生業とする細工仕事で手に入るというのだ。
 香伊那の生活ぶりが極端に変わることでもない限り、宝珠の噂が再燃することも無いだろう。
 そして、翌朝のこと。
 香伊那の家に、草原を抜けてきた涼やかな風が吹き込んでくる。
 羽流矢は香伊那の顔をのぞき込んだ。
「香伊那さん、これ。余り物だけど、貰ってきたんだ」
 羽流矢が差し出したのは、紙皿の上に乗せられた焼きそばと、茶碗の水の中を泳ぐ金魚だった。
 香伊那は微笑みながら、嬉しそうに皿と茶碗を受け取る。
「ありがとう。私、お祭りとか全然行かないから」
「きちんと、約束した場所で‥‥待っていたいですものね」
 リリアの言葉に、香伊那は少し頬を赤らめて頷く。
 実際に長年思い人を待ち続けていた香伊那と、大切な人を待ちながら穏やかな日々を過ごす夢を度々見るというリリア。二人は、どこか通じ合うものを感じているようだった。
 羽流矢は苦笑し、人差し指で鼻の頭を掻く。
「普通に楽しめる事を放ってまで待って、見る世界が限られてるのは、待ち人さんも申し訳ないと思ってるんじゃないかってさ」
 羽流矢の言葉に、香伊那はくすりと笑った。
「そうね。町の人も、私を守ってくれたし。もう少し、外に出てみてもいいかな」
「あまり突っ込んだことをお聞きするつもりもありませんが」
 遠慮がちに聞いたのは、亮だった。
「そこまでして家を離れないのには、何か理由が?」
 香伊那が微笑んで答えようとした時、ぽつりとノルティアが呟いた。
「駆名さん、を。待つ‥‥理由。何か。関係、ある‥‥気が、する。‥‥勘、だけど」
 香伊那は驚きで目と口を丸くし、そして頷いた。
「小さい頃、母が流行り病にかかって。移るから香伊那には近寄るなって、言われたの。今はもう誰も言わないし、みんな忘れているかも知れないけれど」
 亮が心配そうに眉をひそめる。
「その病気は、今も?」
「ううん、私には移ってないわ。そのとき、私と一人だけ遊んでくれたのが、駆名なの」
 香伊那は幸せそうに微笑んだ。
 縁側に腰掛けていた一心が、三味線を脇に置いて振り向いた。
「駆名殿というのは、開拓者‥‥なのですか? なら、いつか、何処かのギルドでお会いする事もあるかも知れないですね」
「その時は、伝えて下さい。待ってるよって。早く帰ってとは言わないから、待ってるよって」
 一心は笑顔で頷いた。ノルティアは何か言いたげだったが、唇を堅く引き結び、伏し目がちに畳の縁を見つめている。
「私からも、渡すものがあるんです」
 ルエラは、懐から紙筒を取り出した。
「これは‥‥」
「渡辺家が香伊那さんの家に金輪際手出ししない、確約書です。昨夜の内に、渡辺家の当主をゆす‥‥」
 ルエラは咳払いを一つし、紙筒を渡す。
「当主と話し合いをして、書いて頂きました」
 香伊那を含め、一同が大笑いをした。
「皆さん、ありがとう。また何かあるかも知れないけれど、その時には、どうかまた駆けつけて下さいね。できることなら、また皆さんにお願いしたいですから」
『もちろん』
 六人の声が、綺麗に重なった。
 と、にわかに裏木戸の辺りが騒がしくなった。一同が顔を見合わせていると、
「香伊那ちゃん! 昨日、祭りに来なかったろ! これ、ウチの鯛焼き! 美味しいよ!」
「今まで、何となく縁遠くなってたけどね、何か悪いことしちゃったなって、柳さんと話しててさ」
 手に手に、昨夜の祭りの残り物や買い置きを持って現れたのは、町の人々だった。目を丸くして、香伊那が開拓者達を見る。
 六人は、それぞれに笑顔で頷いて見せた。
 香伊那の顔は、今日の夏空よりも更に曇り無く、晴れ渡っていた。