刀匠の秘密
マスター名:村木 采
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/08/15 23:30



■オープニング本文


「雲雀」
 殆ど転がるようにして、白く長い毛の塊が坂を駆け下りていく。
「ハバキ! 良い子にしておるすばんしてた?」
 少年のように短い髪。簡素な、継ぎ接ぎのされた作務衣。野込雲雀は、手を開いて中腰になった。
「蔦丸のだっこ、痛い」
 ハバキと呼ばれた白い猫又は見る間に雲雀の作務衣に爪をかけて駆け上がり、その胸元に顔をすり寄せた。身体を丸めると、殆どただの毛玉である。
「ハバキ、いいこだね」
「おかえり。つまんなかった」
「うんうん。ごめんごめん」
 ここは武天。水州は刀匠の里、理甲。
 高地にある里に、湿気を含んだ早朝の風が吹き付ける。
 里長にして刀匠の野込重邦、そしてその娘、雲雀は所用で山を下り、腰物奉行に会っていたのだった。
 その間、猫又のハバキは里で留守番を命じられていたのである。
 微笑ましい一人と一匹の姿に、父の重邦も思わず顔を綻ばせた。
「蔦丸はどうした」
「後から来る」
 ハバキは存分に雲雀の手に撫でられ、頭と首を雲雀の身体に擦りつけて甘える。
「いいこ、いいこ」
 雲雀もまた、思う存分にハバキを撫でていた。
 が、ハバキの視線が、ふとある一点に固定される。
「‥‥あれ、誰?」
「ん?」
 雲雀と重邦が、ハバキの視線を追う。
 その先には、雲雀に負けず劣らず継ぎ接ぎだらけの羽織袴を着た、一人の少年がいた。荒い息をついている所を見ると、相当急いで山道を来たのだろう。目は細く、顔には傷跡が幾つもあり、伸ばした髪を高く結っている。
 里の子供ではない。
「‥‥理甲の里に、何か用かな」
 重邦が少年に向き直る。
 少年は坂を駆け上がって重邦の前に立つと、息を整えてから顔を上げた。
「刀工の、野込重邦様とお見受けします」
「む? うむ」
「初めまして、父上。光広と申します」



 里長にして刀匠、野込重邦の屋敷は、ただならぬ空気に包まれていた。
 板床に正座した重邦の一人娘、雲雀が、黒塗りの鞘と柄を持つ守り刀を抜いている。
「父ちゃん‥‥父ちゃんはさ。わたしはショウガイ妻しか愛さない、って‥‥言ってたよね‥‥」
 雲雀の前に正座し、小さく肩をすぼめている男性、野込重邦は、消え入りそうな声でもごもごと呟く。
「これには、事情が‥‥」
「ジジョウもドジョウもクジョウもないっ! カクシゴ作ってたなんてっ!」
 雲雀は顔を真っ赤にして怒鳴り、重邦の鼻先に守り刀を突き出した。
「あの子が持ってたこの刀が、何よりのショウコでしょっ!」
 既に一番弟子の蔦丸は雲雀の剣幕に震え上がり、「積み沸かしが残っていますので」と工房へ逃げ去っていた。
 ハバキもまた、とうの昔に屋敷から逃げ出している。
「柾目がかった小板目肌に小互の目、これだけ見れば父ちゃんのじゃないと思うかもしれないけど、みなさいっ! 掃き掛けがかった一文字返り! この帽子、昔の父ちゃんのでしょっ! わたしの目はゴマカせないんだから!」
 叫びながらも雲雀の口は刀身に向かず、唾が飛ばないようにしている辺りは流石と言うほかない。
「いや、それには‥‥わけが‥‥」
 雲雀はそっと守り刀を鞘に納めると、父親を睨み付けた。
「ワケも竹もシャケもないっ! 帽子がいちばん刀匠のテクセが出るところって、父ちゃんが自分で言ってたの、わすれたの!」
「‥‥あの、雲雀さま‥‥」
 恐る恐る、襖が開く。雲雀はぱっと笑顔になった。
「あ、好枝おばちゃん! ごめんね、うちの父ちゃんがゴメイワクおかけして‥‥」
 重邦の屋敷の隣に住む、好枝だった。最近ではすっかり重邦の屋敷のお手伝いと化している。
「あの、お役人さまが‥‥」
「役人?」
 重邦が目を丸くする。
 と、荒々しい足音が一斉に近付いてきた。
「お前が、この里の責任者か」
 好枝を押し退け、羽織袴に陣笠を被った男が部屋へと上がり込む。雲雀は大きな目を更にまん丸にし、陣笠の男を見つめた。
 重邦は、陣笠に描かれた家紋を見て思案顔になった。
 陣笠の男は十手を重邦の鼻先に突きつける。
「この村に、子供が逃げ込んで来たろう」
 重邦は口をへの字にし、ちらりと陣笠の後ろを見やる。
 役人はともかく、後ろの同心達はそこまで腕が立つということもなさそうだ。それぞれ六尺棒を手にして裾をはしょり、白い襷を掛けている。
「それが、どうしました?」
 迷惑そうに顔を引きながら、重邦が尋ねる。
「決まっている、出せというのだ! あの子供は罪人ぞ!」
 陣笠は更に一歩進み、重邦の鼻を十手で押す。
「そのような話は聞いておりません」
「貴様が聞いているか否かなど問題ではないわ!」
 鼻を押されながら、重邦は顔を顰める。
「あの子が罪人であるという証拠はおありですか。一体どのような罪を?」
 重邦に切り替えされ、陣笠の男は僅かに鼻白んだ。
「‥‥罪人を隠し立てするか!」
「あれは私の子です。殺されてもお渡しすることはできません」
「何!」
 陣笠は怒鳴り、十手を振るった。
 重邦の身体が床に薙ぎ倒される。
「父ちゃん!」
「重邦様!」
 雲雀と好枝は思わず叫び、父親に駆け寄った。
 すぐに立ち上がった重邦だったが、脳を揺らされたか、たたらを踏んで壁に寄りかかる。
 その額から、血が伝い落ち始めた。
「人の話をお聞きですか。殺されてもお渡しはできません」
 雲雀の口を左手で塞ぎ、好枝を右腕で後ろに下がらせ、重邦は陣笠を睨み付けた。
「最も、あれにはもう山を下りさせましたが」
 陣笠は、はっと振り向き、後ろの男達と顔を見合わせた。
「貴様‥‥!」
「この里にも志体持ちはおります。その者が皆さまのお姿を見て、あれに逃げるよう伝えてあるはず」
 重邦は不敵な笑みを浮かべる。
「く」
「残念でしたな」
 陣笠は歯噛みをすると、踵を返した。
「山を下りるぞ! 貴様、後でどうなるか覚えておけ!」



 役人達が土足のまま廊下を踏みならして出て行って、暫し後。
「光広」
 重邦の声に従い、青い顔の少年が部屋へ入ってきた。
「お前は、何もしていないな」
 光広と呼ばれた少年は、唇を震わせている。
「何で‥‥」
「うむ?」
「何で、僕なんかを‥‥」
 光広の頭を、重邦は撫でた。
「何だ。何か、街でしでかしていたのか」
 光広は首を横に振った。途端、その目から涙が溢れ出る。
「ならば堂々としていなさい。あの役人達もじきに戻って来ようが、今、お前の妹が開拓者を呼んでいる。きっとお前を守ってくれよう」


■参加者一覧
柊沢 霞澄(ia0067
17歳・女・巫
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
宿奈 芳純(ia9695
25歳・男・陰
羽流矢(ib0428
19歳・男・シ
蓮 蒼馬(ib5707
30歳・男・泰
雪刃(ib5814
20歳・女・サ


■リプレイ本文


「よし、行くぞ」
 村人が遠巻きに見る中、陣笠の男の声に、
『応』
 部下の男達が応える。村人の視線は冷たく、寧ろ睨んでいるに近い。
 だがその中で一人、静かな声を一同にかける者がいた。
「そこの、陣笠のお方」
「うん? ‥‥な、何だ貴様は」
 男達は目を剥いた。
 村の広場の隅。日陰の椅子に腰掛けたその人物は、立ち上がれば身の丈八尺はあろうかという異形の男、宿奈芳純(ia9695)だった。
 流れの易者にしては風雅な狩衣、烏帽子、そして能面には、得も言われぬ迫力がある。
「誰かを捜しておられるものとお見受けしますが‥‥」
「‥‥なぜ分かる?」
 芳純は答えない。顔ごと能面を斜めにし、ただ陣笠を覗き込む。
「‥‥受難の相が見えますね」
「受難? だと?」
 びっしりと文字の彫り込まれた精緻な柄杓で、陣笠の顔を指した。
 部下の男達の視線が、一斉の陣笠へと集中する。
「この先どこに行かれるにせよ、常に災難が待ち構えている‥‥貴方の顔に、そんな相が出ております。それも禍々しい‥‥恐ろしく禍々しい」
 芳純は、椅子を蹴倒して立ち上がった。部下達はびくりと身体を震わせ、一歩後ろへ下がる。
 だが部下以上に、芳純が後退りを始めていた。
「禍々しい暗雲です‥‥」
「い、いい加減な事を‥‥」
「皆さまの先に‥‥暗雲が立ちこめています‥‥お気を付けなさい」
 言い残すが早いか、芳純は踵を返し、民家の陰へとを駆け去ってしまった。
 陣笠は、血の気を失った顔で部下達を見回した。



 村を出た役人一行は、昼なお暗い左右の森を探りながら、坂を上がっていた。
「アヤカシとか出たら、柳井さん戦って下さいよ? 志体持ちなんだから」
「解っている! さっさと子供を捜せ、日が暮れるぞ」
 苛立ちと不安を隠しきれない様子で、陣笠の男、柳井は怒鳴った。
「わ、解ってますよ」
 部下達は不満と不安のない交ぜになった顔で答え、茂みを棒で掻き分けにかかる。
 と、
「んあ?」
 男の一人が間の抜けた声を上げ、六尺棒の先で斜面の上を指した。
「‥‥あれ、ただの人だよな」
 棒の示す先には、巫女袴に墨染めの帯を締め、場違いな竹箒をもった女性、皇りょう(ia1673)が、一人ぽつんと立っていた。
 りょうはゆっくりと手を胸の前に上げ、役人達を指差す。
「‥‥ただの人が、こんな山の中で、巫女袴履いて、箒持ってるか‥‥?」
「止めろよ脅かすの! み、道に迷ったんだろ‥‥きっと」
「ほ、箒を持って‥‥?」
 男達は顔を見合わせ、斜面の上へと目を凝らす。
 直後、大アヤカシの足音かとさえ思われる轟音に、役人達は頭を抱えて屈み込み、或いは跳び上がり、手近な木にしがみついた。
 頭上の葉が激しく擦れ合い、木枝や葉、虫が雨あられと降り注ぐ。
「う、うわ、うわ、背中に何か入った」
 一陣の風と化して木下闇に溶けた蓮蒼馬(ib5707)の存在に気付く者は、誰もいない。
「何ごとだ」
「や、柳井さん、何かいます!」
「何」
 血相を変えて駆け付けた柳井が陣笠の端を持ち上げ、木陰に立つりょうの姿を視認した。
 りょうの手がゆっくりと、傾きつつある太陽が向かう先、西の山を指す。
 途端、ただならぬ悲鳴に男達は跳び上がった。
「な、な、な」
「蛇だ! 蛇! し、白い蛇が‥‥」
「ばば馬鹿者、蛇くらいで驚くな」
「消えたんですよ! 消えたんですって!」
 男は右掌を見せ、叫ぶ。
「こ、これくらいのちっこい白蛇が、俺らに向かって寄ってきて‥‥いきなり、煙みたいに消えたんですよ!」
「おい」
 顔を上げた男が、隣の男の袖を引っ張る。
「何だよ!?」
「さっきの女‥‥どこ、消えた‥‥?」
 斜面に立っていた筈のりょうの姿は、その場から忽然と消え去っていた。



「あれ? 痛くない」
 狐に摘まれたような顔で、甚平姿の男は右腕を上下させた。
「もう、動かしても‥‥大丈夫です」
 緋色の巫女袴に白銀の狩衣を纏った銀髪の女性、柊沢霞澄(ia0067)は市女笠の下で微笑んだ。
「本当、有り難うございます! 助かりました!」
「大分強引な手段を取っていた様子でしたから‥‥。その、こちらでも危害を加えられたりした方々がおられるのではと‥‥」
 霞澄ははにかむ。
「各地を巡りながら、多くの人の怪我を治す事が私の修練ですから‥‥」
 村に一人残った霞澄は、内気さから子供達の一方的なお喋りに押されつつも、情報収集に勤しんでいた。
 霞澄の治療が終わるや否や、
「それでね! それでね! そのお役人ね、東の方から来たの!」
「けがはさせずに捕まえろって言ってた!」
「すごくえらそうにしてたよ!」
「ちょ‥‥ちょっと待って下さいね‥‥」
 矢継ぎ早に叫ぶ子供達を抑え、霞澄は慌てて手帳を取り出す。
 砂糖が稀少なこの地で、霞澄の持ってきたキャンディボックスは凶悪なまでの破壊力を発揮していた。
「東から‥‥怪我をさせずに‥‥」
「えらい人の命令を受けてるんだぞって!」
 霞澄の筆が、ふと止まった。
「えらい人‥‥ですか?」
「そう! なんとかっていう、えらいお家のね‥‥」



 昼下がりに出立した役人達が三叉路に差し掛かる頃には、空の色が紫がかっていた。林の中は、既に夜にも等しい暗さだ。
「帰りてえ‥‥」
「本当だよ」
 愚痴を漏らしながら、部下達が提灯を取り出し、火打ち石を合わせ出す。
 その時だった。
「く、来るなっ」
 坂の下から鋭い声が発せられた。
 火打ち石の音が留まり、部下達は薄気味悪そうに顔を見合わせる。続いて、女の声。
「何をしている! 見に行け!」
 怒鳴られ、のろのろと道に戻った部下達が声のする方角へ目を転じる。
 坂の下では、三度笠を被った豊満な体つきの女、雪刃(ib5814)と忍装束の少年、羽流矢(ib0428)が、何かを激しく奪い合っていた。
 近付く足音に、二人の手が止まる。
「ちょ、ちょうど良かった‥‥じゃない! 陣笠ってことは‥‥」
「貰った!」
 雪刃が勝ち誇った声と共に人型の何かを奪い取った。尻餅をついた羽流矢が叫び声を上げる。
「光広!」
「うるさい!」
 羽流矢の顔を足蹴にし、雪刃は林の中に駆け込んだ。柳井が血相を変える。
「み、光広と言ったぞ! 追え!」
「‥‥また林っすか‥‥」
 露骨に嫌そうな顔をした男達の尻を、柳井は蹴飛ばした。
「私の命に逆らうか!」
「い、行けばいいんでしょ、行けば」
 部下達は不承不承森の中に足を踏み入れる。
 路傍にへたり込んでいた羽流矢の口許が不敵に歪み、その姿がゆっくりと夕闇の奥へと溶けていった。
 怯えきった部下達は、おっかなびっくり、林の奥へと分け入っていく。
「なあ‥‥本当、アヤカシとか出ねえよな‥‥」
「止せよ、縁起でもね‥‥どわあ!」
 悲鳴と共に、一人の男の姿が沈み込んだ。
「どうした?」
「痛え‥‥お、落とし穴だ、畜生」
 男は、膝下まで埋もれる程度の落とし穴に右足を突っ込んでいた。
 手を貸した仲間が悲鳴を上げる。
「お、おま、お前、物凄え血出てるぞ!」
 言われ、男は自分の身体を見下ろして尻餅をついた。
 動脈でも破裂したかのように、噴き上がった血が男の腰までを汚している。
「い、痛くないのに‥‥」
「馬鹿、人間、痛すぎると痛みを感じなくなるんだよ!」
「お、俺、死ぬのかな‥‥」
 男は仰向けに倒れ、夜目にも蒼白な顔で呟く。
「馬鹿、帰って何かしたい事とかあるだろうが!」
「‥‥お、俺‥‥俺、帰ったら」
 落とし穴を掘り、鶏の血を詰めた豚の腸を仕込んでおいた羽流矢は笑いを噛み殺し、風と葉擦れの音に紛れて橋へと向かう。
「帰ったら、初恵と‥‥結婚するんだ‥‥」
「そ、それはやばい! それ以外の何かを‥‥」



 提灯の明かりが、川へと近付いてくる。暗がりをものともせず、雪刃は蒼馬がひびを入れておいた板を案山子の足で叩き割った。
 音に驚いたか、坂の上に残っていた男達が早足に近付いてくる。雪刃は更に隣の板を叩き割ると理甲目掛けて駆け出した。
「やばいかな」
 坂を直接駆け下りてくる部下達は、森を抜けてくる柳井達よりも、到着が早い。先頭の男が、雪刃の銀髪が夜目にも解る角度に男達が飛び出しかけた。
 が、横手から転がってきた石をその足が踏みつけ、男は大きくたたらを踏んだ。後ろに続いた男がその背中にぶつかり、盛大につんのめる。
「ば、馬鹿、押すな」
「何だよ、止まるなよ」
「な、何か今、足下が‥‥」
 男達が、団子状になって騒ぎ立てる。
 林を抜け、柳井が陣笠を被り直しながら近付いてきた。雪刃の姿は、間一髪で茂みの中へと消える。
 柳井は大穴の空いた橋の床を見て、血相を変えた。
「まさかあの女、子供もろとも‥‥!?」
 柳井の提灯が、川へと差し出された。遠く流れていく三度笠の陰が、ちらりとその視界に映る。
「まずい! 追え!」
「お、追えったって‥‥」
「死なせるなというお達しだ! 拾い上げろ!」
 柳井が怒鳴り散らす。疲労困憊といった風の部下達は顔を見合わせ、仕方なく斜面を通って川へと向かう。
 その時、先刻と同じ轟音が山々に木霊し、肝を潰した部下の三人が足を滑らせた。咄嗟にしがみついた木々はそれを振り払うかのごとく幹を震わせる。
「や、やっぱり何かいますよ!」
「もう俺嫌だ!」
 部下達が悲鳴を上げる。と、今度は柳井が絶叫を上げた。
「何か、何か俺の顔を舐め‥‥うわわわわ」
 派手な水音と共に、柳井の声が聞こえなくなる。続いて、別の部下も叫ぶ。
「俺にも来た! 舐められた!」
「この森、何かいる!」
「すいません柳井さん、逃げます!」
 部下達は容易に恐慌状態に陥り、坂道を村へと駆け上がり始める。
 蒟蒻を左手に持った羽流矢は蒼馬と共に笑いを噛み殺し、その後ろ姿を見送った。



 丸一日掛けて橋の補修を終えた一同は、蜩や熊蝉の混成唱を聞きながら縁側で肩を並べ、霞澄が氷霊結で冷やした西瓜にかぶりついていた。
 役人達は「流されていった」光広を捜し、下流へと捜索範囲を移したという話だ。
 雲雀はと言えば、生乾きの髪を手拭いに包み、重邦に背を向けている。光広は雲雀に続いて風呂で汗を流しているところだ。
 りょうは何やら思う所があるらしく、宛がわれた一室でひたすら黙想している。
「でさ、おっさん。何か理由があるんだろう?」
 西瓜の種を庭先に吹きながら、羽流矢が重邦の横顔を見る。
「雲雀ちゃんも光広も知る権利はあると思うな」
 一同が、頷く。
 重邦は西瓜を置き、手を綺麗に拭うと、懐から光広の守り刀を出した。目釘抜きを取り出し、見る間に黒漆の柄を外す。
「鑢目は、ご存知ですか」
「やすりめ?」
 霞澄が目を瞬かせた。
「柄から簡単に抜けないよう、刀の茎に刻んである、縞状の溝のこと」
 刀を扱い慣れている雪刃が、注釈を加えた。
 重邦は頷くと、手を拭いた雪刃に守り刀を渡す。
「左利きの刀工は、鑢目を入れる際に刀の持ち方が逆になります。結果、鑢目の角度が、左上がりではなく右上がりになる」
 一同は弾かれるようにして守り刀の茎を見つめた。
 蒼馬が唸る。
「右上がり‥‥」
「勝手上がりという鑢目です。雲雀だけでなく、光広も鑢目を入れている所を見た事がないのでしょう。帽子だけで判断したのも、無理はないことです」
「‥‥じゃ、それ、父ちゃんの刀じゃないの?」
 雲雀が漸く振り向き、重邦の顔を見る。
 重邦は、雲雀の顔をちらりと見た。
「光広の父親は、私の友人だ。伊沢の地の名家で、今頃は当主になっているだろう」
「ひょっとしてそれは、この地の東ですか‥‥?」
 霞澄の質問に、重邦は軽く目を見開いた。
「よくご存知で」
「麓の村で窺いました。あの役人達は、『偉い人』から命令を受けていた‥‥と」
「偉い人、ですか?」
「はい。東から来たと‥‥その伊沢の地で、何か起きているのかも知れません‥‥」
「となれば、また役人が来るかも知れませんね」
 縁側でさえ正座を崩さず、芳純が目を細める。
「ね、父ちゃん。どんな人だったの? その人」
「それは腕の確かな刀匠だ。豪快な人物で、色々な技を教えてもらった。散々真似をして、技術を盗んだものだ」
 重邦は西瓜の皮を皿に置き、再び手を拭う。
「だが家の中では暴君だったようだ。偶然私が見掛けた細君は生傷だらけだった。余所でも散々女を作っては捨てていたらしい」
「その中の一人から、光広が生まれたわけ?」
 雪刃が顔をしかめる。
「じゃ、赤の他人じゃない」
「そうですね」
 菖蒲色の空を見上げながら、重邦は微笑んだ。
「ですが、せっかく与えられた償いの機会です。‥‥私は、あの時見て見ぬ振りをしていたのですから」
 霞澄が、気遣わしげに眉をひそめた。
「光広さんには、お伝えするのですか‥‥?」
 重邦は頷く。
「今ではありませんが‥‥血の繋がり云々以上に、この家を我が家と思ってもらえる日が来たなら」
「‥‥それならそうと、何で早く言ってくれないの!」
 雲雀は腰に手を当て、頬を膨らませた。
「言う機会も無かったし、光広も傍にいたし‥‥」
「だからって! どれだけ気をもんだと思ってるの!」
 憤懣やるかたない雲雀に、重邦は気まずそうに頭を掻く。
 その雲雀の目の前に、ハリセン「笑神」が差し出された。
「まぁ、これで一発はたくくらいで許してやれ」
「‥‥うん!」
 雲雀は嬉々として蒼馬の手から「笑神」を受け取り、渾身の力を込めて素振りを始める。羽流矢がくすりと笑った。
「ま、さっさと説明しなかったのはおっさんが悪いよな」
「解りました」
 重邦は苦笑し、潔く目を閉じる。雲雀は思い切り身体を反らし、重邦の後頭部を見据えて「笑神」を構えた。
 が、その目がぴたりと一点に止まる。
「どうしたの、りょう姉ちゃん?」
 その視線の向かう先には、思い詰めた顔をした白装束のりょうが立っていた。
「隠し子など作っていたそこの助平な御仁」
 りょうの右手は、小脇に抱えていた箒の柄を静かに握っている。
「そのような邪な心で打っていた刀に魅せられるとは、私自身この場で切腹したい思いだ。‥‥しかしその前に裁きを受けるべき人間がいるのは分かっておられよう?」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
 目を開けた重邦は血相を変えて縁側から飛び降り、後じさりを始める。
「皇さん、違ったんです‥‥!」
「ま、待って下さい、話せば分かります!」
 霞澄と芳純が前に立ちふさがろうとするのを振り切り、りょうは縁側を飛び越えて庭に降り立った。箒の柄を引き抜くと、ぎらりと光る白刃が姿を現す。
「皇! 早まるな!」
「りょう、ちょっと待って! 話せば分かるから!」
「おっさん、ちょっと逃げといて!」
 蒼馬と雪刃、羽流矢が顔色を変えてりょうに掴みかかる。
「問答無用! 御覚悟!」
 羽流矢一人が辛うじて右腕に取り付いたが、目を血走らせたりょうはそれを引きずって重邦を追い始めた。風呂から上がった光広が目を丸くする。
「ち、父上!? どうなさったのですか!?」
「待て、逃げるか! 卑怯者!」
 紺青の空の下、幾つもの叫び声が理甲の里に響き渡った。