奉行、死地での目利き
マスター名:村木 采
シナリオ形態: ショート
EX :相棒
難易度: 普通
参加人数: 6人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/08/02 21:34



■オープニング本文


 微かに湿った床板の上で、心労から額の広くなった中年男が胡座をかいて座っていた。建物が高所にあるのか、格子窓から吹き込んでくる風は涼やかだ。
 彼は、岩崎哲線。先日、武天の腰物奉行を拝命したばかりの男だった。
 目を閉じて黙想する彼の額にはうっすらと青筋が浮かび上がっている。その後ろには、三寸以上はあろうという太い木の格子があった。若干離れた位置から、牢番の寝息が聞こえてくる。
 彼は、開拓者達と共に賊に捕らえられていた。



 話は数日前に遡る。
「‥‥はばき元に杢目の混じる柾流れ、匂締まる湾れ刃に金筋かかる‥‥」
「船底茎の尻は平山、鑢目は勝手上がり。円州茂定。次」
「ねえ父ちゃん、これ是信? であってる? ジシンないんだけど‥‥」
「どれ。‥‥いや、助弘だ。竜聞院は綾杉肌が有名だが、殆ど柾目のものも多い」
「そうなんだ。さすが父ちゃん!」
 男二人と少女一人の声が、蔵の中に響く。
 岩崎に気に入られ作刀に勤しむ刀匠の野込重邦、その娘の雲雀、そして岩崎の三人で、ひたすらに刀蔵の所蔵を帳簿にしているのだ。
 不祥事で解任された前任の田沢は、所蔵があまりに多すぎるためにその把握を投げ出していたのである。
 唐突な解任で隠蔽する暇がなかったのか、岩崎が後任として仕事に就いた途端、二重帳簿や隠し資産など、その悪事と怠慢ぶりが山のように判明したのだった。
「あの、岩崎様。そろそろ休んでもよろしいでしょうか」
「気持ちは分かるが、ならん」
 山羊柄の入った扇子で顔を扇ぎ、岩崎は唸った。
「‥‥まだ、一割も終わっていないのだぞ」
 彼の目の前には身の丈を越える棚がずらりと並び、それぞれに数え気さえ失せるほどの刀箱が詰め込まれていた。
 三人体制で朝から続けているにも関わらず、目利きが終わる様子は全く見えない。
 と、辺りの気配を窺いつつ、燭台を手にした側仕えが刀蔵へと入ってきた。
「岩崎様。‥‥お疲れの所申し訳ございませんが」
 辺りの気配を窺いつつ、提灯を手にした側仕えが跪く。
「どうした、長谷川」
「刀が盗まれていたそうでして」
 岩崎の手が、扇子を取り落とした。
「‥‥何だと? いつだ」
「それは解らぬのですが‥‥数刻前、佐藤次郎と名乗る怪しげな商人が通報してくれまして。何でも、昔、岩崎様にお世話になったお礼だと」
 困惑顔で言う長谷川に、岩崎は頷いて見せた。
「ああ、佐藤殿か。今も名刀を譲って貰う仲だ」
 敢えて口にはしなかったが、その男は刀の闇商人だった。
 岩崎が闇商人にも伝手を持ち、それを利用して価値の解らない人間に名刀が渡るのを阻止している事は、まだ城の誰一人として知らない。
「ただ、その佐藤とかいう‥‥佐藤殿という商人が言うには、盗んだ盗賊が、あの『鼬』だというのです」
「鼬‥‥あのか」
 岩崎は舌打ちを漏らした。鼬とは、珍品名品を狙って盗みを働く事で知られる、神出鬼没の盗賊団だ。
「嘘か真か、鼬の拠点と、奴等に盗まれた刀についても教えてくれまして‥‥左様な事を知っているとは、あの方は一体何者なのですか」
「まあ、海千山千で少々悪賢い所はあるが、悪人ではない。安心せよ」
 岩崎は誤魔化すように笑い、暫し考えた後に顔を上げた。
「拠点が解れば手の打ちようはある。斥候を出して真偽を確かめさせよ。‥‥それで、盗まれた刀は何だとおっしゃっていた」
 問われ、長谷川は恐る恐る口を開いた。
「‥‥それが、その‥‥初代直高だそうで」
 鋭い音が響き、長谷川はびくりと身を震わせた。岩崎が、右手に握った山羊柄の扇子をへし折ったのだ。
 初代直高と言えばその刀身彫刻の美しさ、特にその繊細な蓮華彫りに関しては右に出る者なしとさえ言われる名工だ。
「‥‥何故、今まで気付かなかった」
「そ、そ、その、あまりに刀の所蔵数が多く、しかも玉石混淆の状態でしたし‥‥ご存知の通り、前任は所蔵の把握どころか、刀蔵を半ば放置しておられまして」
 長谷川の顔は今にも泣き出しそうだ。
「良き刀が手に入れば、取り敢えず蔵に放り込むばかりで、鍵も扉近くの小屋に合い鍵がありましたもので‥‥」
 言われてみれば、刀蔵のすぐ側に、何に使うかも解らぬまま放置されている小屋があった。
 岩崎は暫し額に手を当てて項垂れていたが、ゆっくりと首を上げた。
「過ぎた事は良い。このことは巨勢王にご報告申し上げる」
 岩崎はへし折った扇子を袖の隠しに放り込んだ。
「田沢殿の怠慢を放っておいたお主等に非がないとは言えぬが、飽くまでも寛大な処置をお願い申し上げておく。良いか、腰物奉行の名にかけて、刀を無事に取り戻すぞ」
 長谷川は血走った岩崎の目を見て、床に平伏した。
「斥候を出せ。その命知らず共の拠点に偽りが無ければ、私が乗り込んで刀を奪い返す」
「の、乗り込む? 岩崎様、一体どうやって‥‥」
 目利きの手を止めた重邦が不安を隠しきれない顔で尋ねる。
 岩崎は暗く低い笑いを漏らした。
「何、迷ったふりでもしてわざと捕まれば良い」


■参加者一覧
真亡・雫(ia0432
16歳・男・志
鬼灯 仄(ia1257
35歳・男・サ
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
ハッド(ib0295
17歳・男・騎
明王院 玄牙(ib0357
15歳・男・泰
雪刃(ib5814
20歳・女・サ


■リプレイ本文


 格子窓から、気の早い虫の音が聞こえてくる。廊下には、見張りの寝息。
 向かい合わせに並ぶ十室の牢の、一番奥。微かな衣擦れの音と共に、板床を叩く音が漏れ出す。
 小さく、四度。それに呼応して、六室から四度ずつ音が返ってくる。
 次いで小さく三度。六室から、三度ずつ。
 軽く床を引っ掻く音が、一度。同じ音が六室から、一度ずつ。
「武神よ、我にご加護を‥‥」
 微かな呟き声に、喉の奥で必死に笑いを堪える声。深呼吸の音。
「もし。もし」
 震える声が、廊下にいやに大きく響く。
「もし。‥‥もし、牢番殿」
「‥‥あ? あん? ああ?」
 牢番の寝息が止まり、間の抜けた声が返ってくる。
 蝋燭を手に近付いてきた牢番の前で、摂清袴に千歳緑の紋付羽織を着た銀髪の女性、皇りょう(ia1673)が夜目にも白い二の腕で額を拭う。
「すまぬが、寝汗をかいてしまった。羽織はまだしも、長着が身体に貼り付いて、気持ち悪くてかなわない」
「あ? 寝汗?」
 りょうは頷き、紋付羽織からためらいがちに腕を抜いた。
 蝋燭の明かりの加減か、祖先から譲り受けた白い肌は赤く染まっている。彼女の言葉通り、長着はべったりと濡れ、晒しを巻かれてより薄くなった胸の形を強調していた。
「ふ、ふふ風呂とは言わないが、せめて、か、身体を拭かせてはくれないだろうか」
「お‥‥お、おお。みみ、妙な真似すんじゃねえぞ」
 男は生唾を呑み込み、懐から取り出した手拭いを牢の中に放り込んだ。
「あ、あり、ありがたい」
 りょうは震える指で手拭いを拾い、男の目をちらちらと窺いながら、そっと長着の中に手拭いを差し入れて身体を拭き始める。
 首、脇、さらしの巻かれた胸を素通りし、腹。
 が、長着を着たままでは、背中に手が届かない。
 りょうの目が、男の目とかちあった。
「‥‥ふ、拭けばいいだろ。ぬぬぬぬぬ脱いでよ。べべ別に何もしねえよ」
「‥‥かかか身体が硬くて、手が」
 りょうは自分の言葉を証明してみせるかのように振り向き、背中に両手を回して見せた。
 途端、細い身体に秘められていた僧帽筋と広背筋が幾何学的な盛り上がりを見せる。
 濡れた長着が貼り付いている分、その形は露骨に男の目に映ってしまった。
「‥‥か、勝手に開けると、頭領にぶっ殺されちまうからよ。姉ちゃん、凄腕みてえだし‥‥あとで長い手拭い持ってくるから」
 震え上がった牢番は、そそくさと元の位置に戻ってしまった。
(ふ‥‥不覚‥‥っ!)
 りょうは誰にも聞こえないよう口の中で呟き、がっくりと床に両手をつく。
 狸寝入りで、薄目を開けて事の次第を見守っていた金髪の少年、ハッド(ib0295)の肩が、小刻みに震えていた。



「おい。おい。おーい」
「うるっせえ! 眠れねえだろうが!」
「見張りが寝てどうすんだ。なあ、酒だけでも返してくれねえか」
 十室の牢の中ほど。顎に無精髭を生やした鬼灯仄(ia1257)が、板床に敷いた傾奇羽織の上に六尺を越える長身を投げだし、肘を枕にくつろいでいた。
「こちとら夏甚平一枚で寒いんだよ、その割に風は湿気てやがるし‥‥どんな山ん中だ? ここは」
「るせえな、解ったよ、ちっと待ってろ」
 足音が近付いてくる。野袴の男が現れ、格子の隙間から古酒が差し出された。
「おっ、話が解るじゃねえか」
 仄は派手に手を打ち鳴らし、男の手から古酒をもぎ取った。間の抜けた音を立てて栓を抜き、喉を鳴らして旨そうに飲み始める。
 仄が声と音を立てているどさくさに紛れ、白い鼠が牢から牢へと走り抜けた事に、男は気付かない。
 そして、斜め後ろの牢の金網が微かな音を立てた事にも。
「くぁーッ、効くねえ‥‥お、もう寝ていいぜ。ありがとさん」
 仄は用済みとばかりに手を振り、男を追い払う。男は忌々しげに舌打ちを残し、牢の前から消えた。
 廊下の入り口へと戻る男の背後に手鏡がぬっと突き出し、一瞬にして引っ込む。
 男が明らかに背を見せている瞬間を狙って辺りの様子を確認したのは、童顔に見合わぬ六尺超の身の丈を持った少年、明王院玄牙(ib0357)だった。
 床几にでも座ったのか、木の軋む音が廊下に響く。
 と、
「おう。沢村、交代だ」
「やっとかよ」
 欠伸混じりに、別の男が扉を開けて牢前の廊下に現れた。
「で、どうするって? あいつら」
「禿親父よりも、金髪のガキんちょの方が本命の護衛対象じゃねえかって話になってる」
「‥‥ああ、確かに。どうみても、あの禿親父よかこっちの方が金持ってるわ」
 男二人が、牢の中にふんぞり返って座っているハッドをちらりと横目で見た。
「何を無礼な。我輩は護衛してもらうほどひ弱ではないわ」
 ジルベリアの黒礼服に金の刺繍が施された白いマント。輝く金髪の下に黄金のサークレット、胸には一輪の薔薇の花という、ハッドの姿は、どう見てもジルベリア貴族の御曹司である。
「自分で王とか言ってる辺りが、何つーか‥‥一周して、逆に怪しい気もするけどな」
「王が王と名乗って何が悪い」
 ハッドは明らかに機嫌を損ねた顔で、向かいの牢を見た。
「そうであろう、りょう」
「む? う、うむ‥‥」
 りょうは拳を膝について正座していた。何やらうなじから耳まで赤くなり、何かを堪えている様だ。
「何だ、姉ちゃん、便所か? そこでしていいぜ」
「ち、違う! たたた他人に、今の私の懊悩が解るものか!」
「おー、怖っ」
 牢番の男はおどけて肩をそびやかし、ちらりと奥を見る。
 商人風の男、岩崎哲箭は起きているやら眠っているやら解らない状態で部屋の角に寄りかかって半眼になっていた。
「ま、取り敢えずは明日だな。金になるといいな」
「お疲れ。後は引き受けた」
 二人の男が声を交わし合う隙をつき、再び一匹の白鼠が廊下を駆け抜けた。



 りょうの失敗から、一刻ほども経っただろうか。牢には酒を飲んだ仄の高鼾、そして交代した牢番の安らかな寝息が響いている。
 白藤色の長い前髪を払い、両腕に錦の手甲を着けた狩衣の少年、真亡雫(ia0432)が、格子の奥で見張りの居る方向を指差した。
 向かいの牢に捕らわれている銀髪の神威人、雪刃(ib5814)が頷き、厚司織の懐から黒い宝珠を取り出す。
(なんかされたら許さないからな!)
「大丈夫だってば‥‥」
 宝珠の中から伝わってくる神影の声に、青白い肌をした雪刃は口許をほころばせた。その指が扉の蝶番側、縦の格子の影に宝珠を置く。
「慧介、ごめん‥‥」
 口の中で呟くと傷口に指を掛け、意を決して力を込める。開いた傷口から溢れ出した血を厚司織と外套の袖や前身頃、そして髪と床に塗りつけた。
 そっと床に横たわると、か細い喘ぎ声を上げ、寝返りを打つ。荒い息をつき、爪で板床を引っ掻く。
 雪刃の片目が瞑られ、向かいの牢に入っている雫が頷いた。
「すいません、牢番の方。ちょっと、仲間の様子がおかしいんです」
「‥‥何だよ」
 蝋燭を手に床几から立ち上がり、男は雫と雪刃の牢の間に立つ。
 雫は向かいの牢に転がっている雪刃を指差した。
「仲間が‥‥僕もですが、彼女、元々怪我をしているんです。護衛の途中、あなた方の前にも山賊に襲われて」
「うわ」
 振り向いた男は顔を歪めた。
 床は血で汚れ、雪刃の輝く銀髪も白い厚司織も、下に敷いた外套も、幼児の悪戯のように無茶苦茶な赤い模様がつけられていた。
「雪刃さん。人、来てくれましたよ」
「ん‥‥う‥‥」
 仰向けで額に腕を当てていた雪刃は紺碧の目をうっすらと開け、一仕事といった風で男の方に寝返りを打った。
「助けて‥‥寒い」
 痛みに喘ぐ雪刃の豊かな胸が、厚司織の襟から今にもこぼれ落ちそうだ。
 ハッドから雫、雫から人妖の刻無へと伝わったりょうの失敗を、雪刃は既に聞いていた。すぐに胸元を隠し、軽く身体を丸める。肩の筋肉は、厚司織がしっかりと隠していた。
「せめて、寒くない部屋に行かせて‥‥」
「雪刃さん、大丈夫ですか? 牢番さん、このままでは仲間が‥‥」
 牢番は再び生唾を呑み込んだ。
 傷だらけで、今も傷口から血を流して苦しんでいる。とても暴れる事などできそうにない。
 雪刃は再び薄目を開けて男の視線の先を確認すると、厚司織の裾を持ち上げ、細い腰についた傷を抑えた。
「傷が‥‥痛むの。何でも、何でもするから‥‥」
「な、何でも‥‥?」
 すっかり雪刃の身体に目を釘付けにされた男が呟く。
 雫が血相を変えて見せた。
「ちょっと、雪刃さん何を言ってるんですか」
「うるせえ、お前は黙ってろ」
 男は格子の中に足を差し入れ、雫を蹴飛ばした。
 雫は尻餅をつき、唇を噛んで牢番を睨み上げる。牢番は構わず雫に背を向け、前屈みになった。
「な、何でもするんだな?」
「‥‥死ぬよりは、まし‥‥」
 雪刃は荒い息づかいの中で頷いた。
「よ、よし‥‥今布団のある部屋に‥‥」
 男は腰にさげた鍵束を手に取り、鍵を開けるのももどかしく扉を潜る。
「!?」
 声にならない声を上げ、男が股間を押さえた。牢に響く小さな破裂音を聞きながら、けろりとした顔で雪刃が立ち上がる。
 右目を跨ぐ傷跡を持った黒い管狐、神影が床の宝珠から顔を出し、露草色の瞳で男を睨み上げていた。その前肢に取り付けられた冷気を吐く爪を、男の股間に突き刺したのだ。
「神影、ちょっと早くなかった?」
「ムカついたから。スケベ面しやがってさ‥‥で、ケイスケって誰」
「今度紹介するから」
 素知らぬ顔で雪刃は返し、切ない顔で膝から崩れ落ちた男の首にゆっくりと手を回す。
「じゃ、おやすみ」
 裸締めで男の喉が締め上げられ、見る見るうちにその顔色が紫色になっていく。
 だが男の身体から力が抜けきるよりも早く、
「おう、交代‥‥あれ」
 扉が開かれ、別の男が顔を出した。
 男の喉は空気を通さず声を出せないが、男の足が床を叩き、物音を発してしまう。
「お、おい!?」
 新たに入ってきた男が、音の聞こえた牢を目指して早足に歩く。瞬間、突如牢の扉が一枚、開いた。
 微かな鈍色の光が薄闇の中を走り、男の首に絡みつく。
「指一本触れられれば、鍵は開くんです。シノビならね」
 服の中に縫い込んでいた針金で男の首を絞めながら、玄牙は笑った。
 金網の目が指一本通せる程度に広がっている。先刻の破裂音は、玄牙の破錠術の音だった。



 牢の中に、水音が響いた。
「お休みの所、悪いな」
 無精髭を親指の腹で撫でながら、仄は笑った。
 口に詰め物をされて縛り上げられ、頭から水代わりの古酒を掛けられた男は、目を白黒させている。
「ちょいと教えてもらいたい事があってな。あー、ちなみに、だ」
 仄は空になった古酒の瓶を男の目の前に突き出した。額に血管が浮き上がり、右腕が膨れあがり、乾いた破裂音が牢の中に木霊する。
 両手でも持ちきれない丸い瓶の半面が右手一つで粉砕され、床に破片を撒き散らした。
 瓶の破片を付けたままの手が、男の喉を握った。
「騒げば潰す、嘘を吐いても潰す、何も言わなくても潰す」
 口許だけは笑みの形だが、仄の目は全く笑っていない。
 男は顔面蒼白になり、激しく頭を上下に振った。
「良い子だ。さて、何から聞くか‥‥」
「全く、我が輩が怪しいとは。物の道理が解っておらぬ者どもよな」
 少年の声が牢に響き、ハッドが首を鳴らしながら牢を潜った。
「ここは『奪還』においても我輩が王者であることを思い知らせねばならぬよ〜じゃの。どれ」
 縛り上げられた男を見ると、ハッドはスーツの内ポケットから簪を抜く。鋭く尖った足の先端が、蝋燭の赤い光を受けて物騒に光った。
「我が輩達の武器、それから宝物庫と出入り口はどこにあるのかの〜」
 ハッドの左手が、男の口に詰め込まれた布を引き抜く。簪「乱椿」の先端を瞼に押し当てられ、男は震え上がった。
「あ、手元が狂っても大丈夫ですよ。刻無が治しますから」
 意地悪く笑う雫の側には、腰まで届く紫色の髪の人妖、刻無が浮き上がっていた。
 刻無は赤子のような小さな手を器用に使い、残るもう一人の身体を荒縄で縛り上げ、尋問されている男の荒縄に結わえ付けている。
「むしろここは一つ、本気という事を身体に教えるくらいでも‥‥」
「言います! 言います! 出入り口も宝物庫も、ここを出て右‥‥」
「皆さん、ありましたよ」
 玄牙が、各自の獲物や装備を腕いっぱいに抱えて、広い肩で扉を押し開けてくる。
「この細身の刀は‥‥」
「あー、それ俺だ。『朱天』だ」
「はい。こちらの大太刀は真亡さんでしたか?」
「そうです。この身体で、どれだけ振るえるかは怪しいところですが」
「ということは、この柄に宝珠の入った刀が‥‥」
「うむ、私のものだな。四代目定実の作なのだ」
 突き刺さるかのような視線を男に浴びせながら、りょうが珠刀「青嵐」を受け取る。
「やれやれ、儂をこんな所に閉じ込めおって」
 押し出されるところてんのように格子をすり抜けてきたのは、りょうの朋友、猫又の真名だった。
 天鵞絨のような黒い毛並みには呪紋のような白い模様が浮かんでおり、首に下げた鏡や耳のお守り、尾に結わえ付けた鈴などは如何にも意味ありげだ。
「万死に値する‥‥と言いたいところじゃが、今回は褒めてつかわす」
 小さな口を大きく開いて欠伸をし、前足、左後肢、右後肢の順に思い切り身体を伸ばすと、真名はりょうの身体に飛びつき、するするとその肩へ上った。
「仄。おい仄。早く我輩もここから出さぬか」
 牢の中に置かれた檻の中から、声がする。
 男に砦の見取り図を書かせながら、仄が牢の壁越しに呟いた。
「‥‥あんまし煩いと置いてくぞ」
「はいはい、今出しますよ」
 手の空いた玄牙が、苦笑しながら扉を潜った。奪った鍵束を使って最後の檻を開けてやると、途端に白、黒、黄赤の三毛猫が板床へと滑り降りる。
「どうせなら美しい女人に出して貰いたかったのだがな」
 首に結わえ付けた小さな巻物、前肢に括り付けた青い羽根のお守りが人目を引く猫又、ミケランジェロことミケは偉そうに言い、苦笑する玄牙の側をすり抜けて廊下に出た。
「あとは、外の焔だけですかね」
 玄牙が扉に耳を当てて外の様子を窺う。
 暫し手持ち無沙汰になったりょうの耳元で、真名が意地悪く囁いた。
「少し震えた声がなかなかの生娘っぷりじゃったのう、りょう」
「‥‥また牢の中に戻られますか?」
 口許に笑み、額に青筋を浮かべ、りょうの親指が鍔に触れる。
「待て待て、取り戻したばかりの刀をチラつかせるな。檻に戻るどころか、土に返る羽目になるわ」
 真剣に命の危険を感じた真名は、肉球で必死にりょうの銀髪を叩く。
「まだ仕事も残っておるじゃろう」
「‥‥そうですね」
 りょうは渋々頷き、帯に珠刀「青嵐」を差す。
「何故残念そうな顔をする‥‥」
 真名の黒い毛並みは逆立っていた。



 全く音を立てず、草鞋が板床を踏みしめて廊下を進んでいく。
 廊下の中程まで行ったところで、足の運びが停止した。軽く膝を曲げ、いつでも前方に飛び出せる姿勢を保ったまま、ゆっくりと挙げられた玄牙の左手が手招きをする。
 その脇には、刻無が浮かんでいた。こちらは指一本動かさず、食い入るように前方の様子を窺っている。りょうと雫、雪刃が抜き足差し足、廊下を歩き出した。
 岩崎だけは足音を殺しきれず、仄とハッドに守られて最後尾付近に残っていた。人が居れば気付かれそうなものだが、脱出に深夜を選んだ事が幸いしていた。
「マスター。次の十字路は?」
「‥‥左だね」
 見取り図を手にした雫とりょうは前方に、殿を務める仄は後方に、それぞれ注意を向けている。
 玄牙は宙に浮いた刻無と頷き合い、共に前方へと進み始める。それに合わせ、岩崎、ハッド、仄の三人が、りょうと雫、雪刃の待つ地点へと歩き出した。
 刻無の身体がゆっくりと瘴気に包まれ、縮んでいった。髪の紫色が失われ、白く小さな塊となって、床に落ちる。
 玄牙の隣に落ちたそれは、一匹の白鼠だった。
 鼠に化けて怪しまれずに視界を確保できる刻無と、玄牙の聴覚。加えて雫、仄、りょうの心眼を前後にばらけさせることで、一行の移動に障害は皆無と思われた。
 鼠は玄牙に先駆けて角へ飛び出し、左を確認し、右を確認する。途端、その動きがぴたりと止まった。
 慌てた様子で元の道に逃げ帰り、空気でも吹き込まれたかの如く身体を膨らませる。
 人型を取り戻した刻無は右手を高く掲げ、親指、人差し指、小指を立てた。次いで、人差し指と小指。最初の指三本が右方向、次の指二本が敵二人。掲げた手の高さが敵までの距離の合図だ。
 同じ仕草を、玄牙もまたしていた。一行が踵を返し、一つ前の角に戻ろうとする。
 その時だった。
「誰だ?」
 角から声が掛けられる。一同は顔を見合わせた。
「沢村か? まさか捕まえた女連れ出したりしてねえだろうな」
「むしろ沢村なら、あの美形の男だろ」
 笑いながら、声は更に近付いてくる。
 何とも言えない嫌な表情を浮かべていた雫は、岩崎が手にした燭台を見て小さく息を呑んだ。灯りが角から漏れていたのだ。
「‥‥おい? 沢村? じゃなかったら、西田か?」
 角から一丈ほどの距離で、二人組の足音が止まる。一同は視線を交わし、頷き合った。
(おいミケ、たまにゃ働け。奴等の気を引け)
(吾輩もお主も、同じ一つの個ではないか。何故吾輩ばかりが危険を冒さねばならん)
(ミケ)
 雪刃の手がそっとミケの背を撫でた。大きな紺碧の目が、じっとミケの顔を見つめる。
(お願いできない?)
(しかと承った)
 ミケは悠然と、滑るかの如く角から歩き出した。
「‥‥ね、猫?」
 ミケはその声で初めて気付いたかのように、二人組の方向を見た。方向を転換し、そちらへ向かって歩いていく。呆気に取られた二人が、ミケの尾を見て息を呑む。
「し、尻尾が‥‥」
 ミケは堂々と二人組の脇をすり抜け、くるりと振り向いた。
「吾輩は猫又である」
 得意げにミケが口を開き、怖気に駆られた二人組が顔を見合わせた瞬間、その片方の背中から血が溢れ出した。
 廊下の壁際に立ち、雫の両腕が大太刀「水岸」を振り上げていた。
 鋒から柄頭まで四尺を越える「水岸」が、廊下の薄闇を切り裂く。左手は柄首を、右手は懐紙を巻いた刀身を握る事で、決して広くない廊下でありながら、雫は易々と大太刀を扱っていた。
 弓を引くかのようにゆっくりと後方へ引かれた鋒が、突如薄闇に溶けた。放たれた鎌鼬が緑と白、茜色の残像を伴い、背を裂かれて振り向いた男の土手っ腹を切り裂く。
 残像は、飛び出したりょうと仄、ハッドの上衣だった。
「御免」
 膝を折りかけた男の身体を「青嵐」が袈裟懸けに斬り下ろし、返す鋒がその鳩尾を貫いた。
 次いで軽く乾いた音と共に、ヤニで黄色くなった歯が二本、床に落ちたる。
 喧嘩煙管を男の喉奥に叩き込んだ仄が、男の喉を掴み上げていた。その隣でマントの白、髪の金色が渦を巻き、ハッドの両手が分厚い魔道書を振りかぶる。
「本は‥‥」
 鈍い音。踏み込みと回転の勢いを乗せた一撃で、男の身体はくの字に折れ曲がりながら宙に浮き上がった。
「剣よりも強しじゃ!」
 煙管を伝って胃液が漏れだし、燭台が男の手を離れる。
 仄の手が咄嗟に伸び、燭台を掴もうとする。が、その指先は蝋燭の火を微かに揺らすだけに終わった。鉄製の燭台が、床目掛けて落下していく。
 両手で魔道書を掴んでいたハッドの手は、間に合わない。咄嗟に狩人の靴が跳ね上がるが、燭台の皿に触れるだけに終わる。
 落下していた燭台が、床の高さから跳ね返った。
 床に落下したのではなく、十字路に残って後方を警戒していた玄牙の指にすくい上げられて。
「間に合いました」
 笑う玄牙の身体は、磨き上げられた木の廊下を背中で一丈ほども滑り、ようやく停止した。
「危なかった‥‥」
 雫は胸を撫で下ろして刀を鞘に納め、岩崎の無事を確認するために振り向く。
 そこで雫は、更なる緊急事態に気付いた。
「どうしたかの?」
 雫が顔を歪めるのを見てきょとんとし、ハッドは振り向く。
 その顔が引きつった。
「これはまた‥‥見事に」
 りょうと雫が気まずそうに視線を泳がせる。
「まあ、バレるのは時間の問題だろうと‥‥思ってはいたがの」
 雪刃もまた困惑顔で、耳の裏を掻いた。
「‥‥血、どうしようか‥‥」
 男の身体から流れ出した血は床に広がり、噴き上がった血が壁にべっとりと飛び散っていた。



 軽い破裂音と共に錠が開き、不平の軋みを上げながら土蔵の扉が開いた。
「兵は拙速を尊ぶと言います。鍵開けをしている暇が無い程度には、状況が切迫しているとお考え下さい」
 玄牙は言い残し、中に岩崎と雪刃、雫を押し込んだ。
「何とか、時間は稼ぎます」
「そっちは任せた。こっちは、俺がちゃんと守るからさ」
 雪刃の懐から、神影がひょっこりと顔を出す。玄牙は微笑み、神影に一つ頷いてみせると扉を閉じる。
 岩崎が、燭台で土蔵の中を照らした。
 壺や掛け軸、絵画、石、漆器、香炉、碁盤、皿、絵画の類が大半だ。大半ではあったが、その一画に桐の箱や絹の袋が山と積まれているのが目に入ってくる。
 その数を見るや、岩崎はうんざりとした表情になった。
「あの、岩崎様」
 雫もまたいやな予感に捕らわれた顔で、土蔵の中を見渡す。雪刃の顔も似たようなものだ。
「あっても数十口とお聞きしていたのですが‥‥」
「これ、百口以上ない?」
 二人の言う通りだった。刀袋と刀箱の数は、何十という話ではとても済みそうにない。
「‥‥すまんが、目利きを手伝ってくれ。取り敢えず全て箱と袋から出し、刀身彫刻の有無を確認してもらいたい」
「もちろん、そのつもりでここにご一緒しております」
 雫は土が剥き出しになった床に座り込み、刀箱を手に取った。雪刃もそれに倣う。
 岩崎は深々と嘆息した。
「よくよく考えて見れば、何故私はこんな所にまで目利きをしに来たのだ‥‥」


「おい! ちょっとこっち来い!」
「‥‥んだよ、五月蝿えな‥‥って何だこの血!?」
「平田が殺されてんだよ!」
 砦の中では、早くも騒ぎが起きつつあった。
 土蔵の傍の茂みに身を潜めた一同は、気まずそうに明かりの灯り始めた砦の窓を見る。
「予想以上に早いの〜」
 夜目にも目立つ金髪を茂みの中に潜め、近寄ってくる蚊を手で追い払いながらハッドが呟いた。
「問題は、敵さんが俺達の目的に気付くかどうかなんだよな」
 仄は煙管を入念に拭きながら、ちらりと横を見る。
「どうだ、明王院?」
「‥‥」
 目を閉じ、砦から聞こえてくる物音に耳を澄ませていた玄牙は、微かに首を傾げて見せた。
「今はまだ、逃げたという声が多いですね。ただ、確認の為に牢に人が向かっています。気絶から覚めたら‥‥」
「む‥‥なるほど、行き先を聞いたからな。こちらに来てしまうだろうか」
 りょうは唸った。
 茂みの中に浮かぶ金の双眸が、じろりと上を見上げる。
「そこは心配ないのではないか」
 真名だった。二股の黒い尾で近寄ってくる蚊を追い払っている。
「何故です」
「あの女子、雪刃とか言ったか。探さねば見つからぬ様に、牢番を別室の押し入れに放り込んでおったぞ」
「‥‥いつの間に」
 玄牙は舌を巻いた。そう言えば通路での移動中、雪刃の動きがいやに鈍く遅かったと、今になって気付く。重傷の身体で大の男二人を運んでいたからだったのだ。
「誰かいるぞ! 篝火が倒された!」
「おい、火! 火! 消せ!」
「門固めろ! 門!」
 賊が口々に怒鳴りながら、砦から飛び出してくる。
 その向かう先は開拓者達の潜む土蔵ではなく、その反対側。ミケと玄牙が騒ぎを起こしに向かった、方向だった。



 予想以上に多い刀箱の数に閉口しながらも、戦闘に加われない雫と雪刃はそれらを一つ一つ開け、鞘から抜いては戻し、後ろの土床に放り出していた。
 刻無は燭台を手に、細やかな作業が必要になった者の元へと文字通り飛んでいっては、甲斐甲斐しく手元を照らしている。
 燃え残った芯を鋏で切る仕草も手慣れたものだ。
「蓮華彫りの物を探せばよろしいのですね?」
「いや、直高だとて全てが蓮華彫りとは限らん。何せ前任が、刀の名前しか書き残しておらなんだしな」
 岩崎は早口に言いながら、片端から刀を鞘から抜き、裏返し、元に戻しては後ろに放り出していく。
「だがほぼ確実に彫刻はある。彫刻のあるものだけを渡してほしい。はばき元から五寸抜いて、表裏共に彫刻が無ければ外れだ」
「ご、五寸ですか?」
「‥‥表裏?」
 二〜三寸、表を見ただけで刀を戻していた雫と雪刃は、慌てて後ろに捨てた刀の山に飛びついた。
「‥‥これ、雫は見た?」
「す、すいません、どれを見たやら‥‥」
 すでに三人の後ろには三十口ほどの刀が山を為していた。
「片端から見てくれ、漏れがあるといかん。彫刻の出来を見て、茎を見ればほぼ間違いなく見つけられる」
「り、了解しました」
「わかった」
 想像以上の難事に顔を青くしながら、雫と雪刃は刀の山に手を付け始めた。



「本当に、風の仕業だったんじゃねえのか? 篝火が倒れた時、回りに誰もいなかったって話だぜ」
「アヤカシかも知れねえんだよ。島田が大男を見たって騒いでんだ」
「尻尾の分かれた薄っ気味悪い猫抱えて、どっかに消えたって言うしな」
 三人組の男が、先頭の提灯を頼りに砦の外をゆっくりと歩いている。
 向かう先は、宝物庫になっている土蔵だ。
 湿気を含んだ高原の夜風が、砦を吹き抜けていく。
「‥‥今、何か‥‥」
 先頭の男が足を止めた。
「音、したよな」
 残る二人が刀の鯉口を切った。三人が背中合わせになり、油断無く全周を見渡す。
 突如茂みが鳴り、三人の目が一斉にそちらを向いた。
「仕方ねえ、行くぞ!」
 茜色の傾奇羽織が提灯の明かりに浮かび上がり、夜闇へと消えていく。続いて暗緑色の羽織、そして闇夜にも鮮やかな金髪が。
「居たぞ! 商人の護衛だ!」
 三人が声を上げ、仄の羽織を目印に駆け出した。
「おい、みんな来い! 取り囲め!」
「馬鹿、全員が来てどうすんだ! 門の前は離れるなよ!」



「取り敢えずこの七口かな」
「念のためだ、全て目釘を抜いてくれ」
 岩崎は懐から目釘抜きを取り出し、柄糸を解き始めた。
「刀箱に入れるなら、白鞘にしておけと言うのだ、全く‥‥」
 岩崎はぼやきつつも、手慣れた仕草で見る間に柄糸を解く。
 雫、雪刃もまた、岩崎ほどではないが迷いない仕草で彼に倣う。
「マスター」
 小さな羽ばたきが明かり取りの窓に近付き、格子をくぐり抜けた。
 純白の小鳥は土蔵の中へと飛び込み、宙で紫色の光となって、刻無の姿を取り戻す。
「ありがとう、刻無。どうだった?」
「大変だよ、急がなきゃ。もう大乱戦」
 小さな手を振り回し、刻無が訴えた。
 外の騒ぎが、明かり取りの窓越しに中へと響いてきていた。



 大仰な仕草で、仄は「朱天」を左車に構えた。賊の刀が、仄の刀の出所を抑えるべく右下に下がる。
 仄は構わず左足を軽く踏み込んだ、彼のがら空きの右肩を賊の刀が狙う。
 瞬間、濡れた布で板を叩くかのような音が響き、賊の体勢が崩れた。
「こいつは‥‥どうやってあそこまで行くかねえ」
 踏み込んだ左足を軸に、仄の右足が賊の腿を痛烈に打ち据えていた。無防備に斬りかかろうとした賊の手首は、天を衝いた朱天に斬り飛ばされ宙を舞っている。
 頬に飛んだ返り血を肩で拭い、仄はしれっと呟いた。
「明王院の龍、見捨てるわけにもいかねえしなあ」
「すいません、鎖か何かで繋がれているんだと思います」
 玄牙の右の釵が振り下ろされる刀を軽々と受け止め、左の釵が賊の手首を叩き折る。
「縄くらいなら噛み切って来るんですが」
 右の釵が鳩尾に突き込まれ、前屈みになった男の膝を左の踵が踏み砕いた。左足がそのまま持ち上がり、男の腰を蹴飛ばして横手から飛びかかる男へと叩きつける。
「ときに、鬼灯殿」
 振り下ろされる棍の右端を左手の「青嵐」で払い、跳ね上がる左端は上体を反らして躱す。
 顔目掛けて突き出される左端を「青嵐」でいなし、右端が跳ね上げられるのを肩で受け、りょうは一足に賊の眼前へと踏み込んだ。
 賊は咄嗟に前足と棍を引き、左端を突こうとして、盛大に尻餅をつく。
「先ほどから、ハッド殿が見当たらぬのだが?」
 次の瞬間、賊は脇から血を噴き出して引っ繰り返った。りょうは男の連撃を躱しながら空いた右手で鞘を抜き、男が前足を引く瞬間に股へ差し入れていた。
「ああ? マジか」
 緩慢な動きで突き出される槍を右手で掴み取り、仄は舌打ちを漏らす。
「今更探してられねえぞ」
 痛烈な爪先蹴りが、賊の金的を砕く。
「こちらはもう種切れじゃ」
 真名が髭に点いた黒い火を前肢で叩いて消し、大きな息をついた。
「吾輩はまだまだ行けるが、ご老体には少々堪えるか」
 砦の中でも土蔵の反対側、門の付近で篝火を破壊し、玄牙と共に悠々と戻ってきたミケが笑った。
 真名は小さな鼻を鳴らした。
「ぬかせ、若造。黒炎破は鎌鼬と違って消耗が激しいのじゃ」

 瞬間、仄の脇を圧倒的な殺意が通り過ぎた。
 仄が顔色を変えて振り向くのと、轟音を上げて巨大な鉄球が天儀建築の壁にめりこむのが、全く同時だった。
 駆け付けた賊も、開拓者達も、思わず動きを止めて鉄球に見入っている。
 やおら、鉄球が鎖に引かれて戻り始めた。鉄球の開けた大穴の奥には、人間が一人、鼻と口から血を流しながら貼り付いている。
「ふっふっふ」
 その鎖の先には、高さ一丈ほどの駆鎧が仁王立ちをしていた。その運転部は今や大きく開かれ、金髪の少年ハッドが威風堂々と胸を張っている。
「我が輩は、バアル3世! バアル・ハッドゥ・イル・バルカ3世!」
「‥‥な、なんだあのガキは」
「ただのボンボンじゃなかったのか」
 星空を背に腕を組んで一同を睥睨し、ハッドは高笑いを上げた。
「王である!」
 高らかな宣言を最後に、駆鎧の運転部が閉じた。
 間の抜けた一瞬の沈黙を挟んで、駆鎧「鉄くず」が両腕を高々と掲げる。
 駆鎧の中から、ハッドの高笑いが漏れ聞こえてくる。散発的な攻撃が「鉄くず」に加えられ始めた。鋼鉄の駆鎧はものともしない。海を割る預言者の如く賊の群れを切り裂き、炎龍の鳴き声が聞こえる小屋へと驀進していく。
 唸りというよりは最早轟音を上げて回転する鉄球が、迂闊に近寄った賊を文字通り吹き飛ばす。
 回転の合間を縫って「鉄くず」の腰に飛びついた賊が、背中から血を噴き上げて地面に転がり落ちた。
 ミケの鎌鼬ではない。
「よ、お待たせ」
 雪刃の胸元に掛かる銀髪から顔を覗かせた神影の風刃だった。
 紫色のおさげと共に、白い扇が蝶の如く闇夜を舞う。
 負傷の重なる仄とりょう、ハッド、玄牙の身体に、高原の風とは違う爽やかな風が吹き寄せた。
「助かる。刀は見つかったか」
「ええ、やっと」
 刻無に神風恩寵で傷を癒させた雫が、雪刃と共に夜闇から溶け出すかの如く現れた。正絹の刀袋を握りしめた岩崎が、賊の薙ぎ倒される有り様を見て目を丸くする。
 りょうが呼子笛を口に咥えて思い切り吹き鳴らし、それを掻き消すかのようにして爆音が響いた。
 神影の援護を受け、下半身の自由を得た「鉄くず」が助走をつけて小屋へと体当たりを敢行したのだ。頑強な装甲が土壁を粉砕し、竹の格子を突き破り、勢い余って床に転倒する。
 小屋の壁を取り払われ、遂に敵の姿を視認した焔は、高々と怒りの咆哮を上げた。
 大きく開いた口の奥に小さな火が点り、瞬く間に歯を伝って口の外へと溢れ出る。
「や、やばい」
「逃げろ! 逃げろ!」
 賊達が蜘蛛の子を散らすかのように走り出し、その後を追って金赤色の火炎が大地を舐めた。逃げ遅れた賊が下半身を炎に包まれ、慌てて地面を転げ回る。
 金属を打ち合わせる音が響き、焔の胴に繋がる二本の鎖が幾度も引っ張られた。耳障りな金属音を立てて立ち上がった「鉄くず」が巨大な鉄球を振り上げ、焔の鎖を一本叩き潰す。
 焔の足の筋肉が膨れあがり、低い鳴き声が薄明かりの空を震わせた。
 甲高い音を立て、遂に残る鎖が破断する。
 玄牙の指笛に応えて焔は大きく翼を打ち下ろし、ゆっくりと宙に浮かび上がった。
「さ、岩崎様」
 雫に背を押され、岩崎は砦の外壁に手を掛けた。既に壁によじ登っていたりょうが岩崎の手を掴んで引き上げ、身体に結わえ付けた結び目つきの荒縄で外へと降りさせる。続いて負傷している雪刃、雫、そして仄が最後に縄を伝い降りた。
 焔は玄牙を爪で摘み上げて宙に舞い上がり、思い出したように打ち上げられる矢の射程外へと逃れた。
 二度、三度。更なる爆音が響き、砦の門が破壊されていく。
 ただ一体残された「鉄くず」だったが、既に賊はその活動を阻止しようとはしていない。ただ祈るような顔で、遠巻きに眺めるばかりだ。
「王の威光にひれ伏すがよい!」
 操縦席で一人満足げに笑ったハッドは「鉄くず」を操縦し、明るくなっていく山の稜線目指して、堂々と砦を出て行くのだった。




 岩崎は、憑き物が落ちたかのように晴れやかな顔で屋敷の扉をくぐった。
「‥‥いや、久々に鬱憤が晴れた。開拓者というのは、実に痛快な人々だな」
 待ち構えていたのか、野込父子が深々と頭を下げる。
「おかえりなさいませ。おつかれの出ませんように」
「おう、雲雀殿、少しは端元の街を堪能できたかな」
「はい! 楽しかったです!」
 珍しく作務衣ではなく小袖を着た雲雀は嬉しそうに頷き、深々と頭を下げた。
「小袖など着ずとも、まあ小紋とは言わんが、色無地でも着れば良かったろうに」
「いえ、ゼイタクは良くありませんから!」
 雲雀が小さな手を握り拳にして力強く言う。
 岩崎は笑った。
「贅沢か、うむ、私も今少し雲雀殿を見習わねばならんな」
「も、申し訳ありません、雲雀もそのような意味で申したわけでは‥‥」
 慌てて重邦が雲雀の口を塞ぐ。
「何、解っている。‥‥さて。また目利きを再開せねばな‥‥」
 うんざりとした様子で、岩崎は窓の向こうに鎮座する刀蔵を見た。
「お手伝いします!」
「私どもでよろしければ」
 すかさず言い出す二人に岩崎は深く頭を下げた。
「申し訳ない。またお手をお借りする」
 と、力無い足音がゆっくりと近付いてきた。
 襖を開けて顔を出したのは、一人の青年だった。
「殿。お帰りなさいませ」
 どこか嫌な予感に捕らえられ、岩崎は引きつった顔を見せる。
「留守中‥‥、大事なかったか」
「は。それが‥‥」
 青年は上目遣いで岩崎の富士額を見ながら、恐る恐る切り出した。
「盗まれていた刀が、他にも‥‥」
 前任の田沢に少額ながら賞金が掛かった旨を知らせる高札が立つのは、この半日後のことである。