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■オープニング本文 ● 「雲雀。蕨の胡麻和え、好きだったろう」 「父ちゃんも好きでしょ。はんぶんこでいいよ」 傷一つ無い青畳敷きの、宿の広間。周囲の喧噪を余所に、揃いの作務衣に身を包んだ中年男性と少女は、居心地悪そうに食事をしていた。 刀匠の里、理甲の長である野込重邦は、出来上がった刀を定期的に届けるよう腰物奉行の岩崎哲箭に申し付けられていた。 だが今月、重邦は岩崎に珍しい事を願い出た。岩崎の待つ端元の町を訪れるに当たって、旅行がてら娘の雲雀を連れて行きたいというのだ。 普段遠慮深い重邦が岩崎に何かを願い出る事は珍しく、特段断る理由もなかったため岩崎はそれを迷わず了承したのだった。 広間の隅で、大きな笑い声が起きた。二人の周囲で人々がそちらに視線を向ける。 「こら父ちゃん、にんじんも食べなさい」 「そうだな」 重邦は口の端に苦笑を浮かべ、輪切りの人参を口に運ぶ。 宿の外が、騒がしい。喧嘩でも起きたのだろうか。 と、 「オテスウおかけします」 膳を運んでくる仲居に一々丁寧に頭を下げる雲雀は、既に仲居達の間で話題になっていた。女将も含め、女衆が襖の向こうから雲雀の様子を窺っては、微かに華やいだ声を上げている。 「こんな大きな宿、はじめて。ハバキもつれてきたかったなあ」 「気持ちは解るが」 重邦も居心地悪そうに頭を掻いた。 「こんな所で柱に爪研ぎの跡でも残されてはな」 「う、そうか」 雲雀は、麦の混じっていない白米を口に運ぶ。 笑い声を上げた人々が、笑顔で手を合わせ、広間の人々に謝っている。広間に元の喧噪が戻った。 「おみやげ、買っていってもいいかな」 「うむ。まあ岩崎様に感謝しなければな。話をしたら、旅費を出して下さった」 襖の向こうから一際高い、悲鳴にも近い声が上がった。 次いで襖が開き、女将がそろそろと広間へと入ってくる。 「てめえら、動くな」 女将の後ろから、怒鳴り声が発せられた。 広間が、一瞬にして静まりかえる。 そこに立っていたのは、七尺を越える長槍を抱えて腰に小太刀を差し、鉢金の下の顔に面頬を括り付けた男だった。すえた体臭が広間に漂い始める。 女将の背には、もう一人の男が脇差しの鋒を突きつけていた。 「妙な動きを見せると、あの世に行ってもらう事になるぜ」 雲雀が柳眉を逆立て、男を睨み付けた。それに気付かず、男は顎で人々を順番に指し、槍の石突きを青畳に突き刺した。 「解るよな。賊だ。金目の物を貰いに来た」 「源兄い、宿の金は見つけたぜ」 長弓を肩に掛けた男が、階下から顔を覗かせる。 「雲雀」 今にも立ち上がらんとしている雲雀を、重邦は目で制した。 「でも」 「駄目だ」 重邦はそっと首を振り、声を上げた。 「暫く」 「あん」 側に置いてあった大小を掴み、ゆっくりと立ち上がる。 「金になる物なら、この刀がある」 「父ちゃん、それ」 雲雀が血相を変えて父の裾を握る。重邦はその手をそっと外し、大刀を抜き放った。 「私の鍛えた刀だ。大業物と自負している。大小一揃えで六万文にはなろう。これを持って行け」 「六万だと」 男は重邦に歩み寄り、その刀をもぎ取ろうとする。その手を、重邦は振り払った。 一歩半の距離を取り、男と重邦が対峙する。 「客の避難が先だ」 「てめえ、取引できる立場だとでも思ってんのか」 「ならばこの大刀を折る」 重邦の右手が刀の棟を掴み、高々とそれを差し上げた。 「刀が横からの衝撃に弱いことくらいは、知っているな」 二人は静かに睨み合う。 「おい。そいつが六万文て証拠はあんのか」 「私は野込重邦と言う。刀匠の里、理甲の長だ。腰物奉行、岩崎哲箭様より賜った書状であれば見せよう」 「おいお前等、知ってるか」 男が、仲間と顔を合わせる。広間になだれ込んだ男達は、一様に首を振った。 だが、 「いや、俺聞いたことあるぜ」 おずおずと声を上げたのは、中でも気弱そうな男だった。 「最近売り出し中の刀匠だ。作風がよく変わるんで、真贋の見極めが難しいっていうぜ。本人が持ってるなら、本物だろ」 「ふん」 男は目の前に立つ冴えない中年男を頭の天辺から爪先まで、じろじろと眺め回す。 「おい。こいつを連れて帰ってよ、刀を鍛えさせりゃもっと儲かるんじゃねえのか」 「それは無理だな」 重邦は笑った。 「道具、水、鋼、相槌を打つ弟子、どれが欠けても刀は打てん。それともお前達が私に弟子入りするか?」 「けっ。真っ平ご免だ」 男は言い、重邦に槍の穂先を突きつけた。 「乗ったぜ。おうてめえら、とっとと宿を出な。何も持たず、着の身着のままでだ」 泊まり客達は緩慢な動きで立ち上がり、男の槍を恐る恐る盗み見ながら廊下へと歩いていく。 「早くしろ」 男に怒鳴られ、客達は一斉に小走りになった。 重邦とその側に残った雲雀、そして男二人が広間で睨み合う。 「源兄い、金は馬に乗せましたぜ」 「良し、客の部屋からめぼしい物を拾って引き上げだ。切り損ねた衛兵が開拓者でも呼んでんだろ、長居はできねえ」 男は槍をしごいて重邦の顔目掛けて突き出した。咄嗟に目を閉じた重邦の鼻先一寸で、穂先がぴたりと止まる。 「命は取らねえでおいてやる、とっとと刀置いて消えな」 |
■参加者一覧
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
鬼灯 恵那(ia6686)
15歳・女・泰
メグレズ・ファウンテン(ia9696)
25歳・女・サ
羽流矢(ib0428)
19歳・男・シ
五十君 晴臣(ib1730)
21歳・男・陰
雪刃(ib5814)
20歳・女・サ |
■リプレイ本文 ● 「お久しぶりです」 身の丈七尺超の長身を白銀の鎧に包み、肩に三対の翼を持つ迅鷹を留まらせた美女、メグレズ・ファウンテン(ia9696)が宿の敷居を跨いだ。戸口から吹き込む風に、琥珀色の長髪が揺れる。 「よろしくお願いします」 「メグレズ姉ちゃん!」 「ご無事ですか」 「うんうん!」 雲雀は喜色満面にメグレズに駆け寄った。 「雲雀ちゃん大丈夫かい? 怪我が無かったんなら良いんだけど‥‥」 「羽流矢兄ちゃん! 貫徹おじさんも!」 続いて赤毛の柴犬と共に宿に入ってきたのは、忍装束の上から皮の羽織を着た青年、羽流矢(ib0428)、そして茶筅髷の下に鉢金を締め、輝く金色の大鎧を着た中年男、鬼島貫徹(ia0694)だった。 「また事件に巻き込まれたそうだな」 「そうなの、もう信じられない! だれかのサシガネじゃないかな」 ふくれっ面の雲雀に、鬼島が大口を開けて呵々大笑した。 「まあ大業物とはいえ、被害が刀二口で済んだのは不幸中の幸いだろう。それもすぐに取り戻すがな」 「人の物を奪って懐を潤そうっていうのは良くないね」 筒袖の上からでも豊かな体型がはっきりと解る美女、雪刃(ib5814)が、手の中で黒い宝珠をそっと転がしながら呟く。 流れるような銀髪を包んだカフィーヤが幾何学的な形に盛り上がり、尻からは豊かな銀色の毛に覆われた尾が生えている。神威人なのだ。 「まして、志体をそんな事の為に使うのも」 「手口からして場数を踏んだ賊なんだろうね」 湿度や温度を感じないのか、陰陽服に濃紺と黒の長外套を羽織りながら汗一つかいていない青年、五十君晴臣(ib1730)がそっと眼鏡を直した。 「早速情報を確認させてもらうよ。賊の数は十人前後。逃げた方角は?」 「北東の森!」 勢い込んで雲雀が叫ぶ。 「真っ直ぐ、北東だったかな」 「えっと」 晴臣に重ねて尋ねられ、雲雀はぐっと言葉に詰まった。 「‥‥その、岩をぐるっと回りこんで見えなくなっちゃったから‥‥」 「いや、大まかな方角で大丈夫。あとは私達の仕事だからね」 晴臣の細い指が、雲雀の細く柔らかい髪を撫でた。 と、宿の外から硬い音が繰り返し聞こえてきた。 主の戻ってくる事を求めて前掻きをする鬼島の霊騎、日高の蹄の音だ。 「すぐ行く」 鬼島は苦笑混じりの声を外に返す。それに返事をするかの如く、外から嘶きが聞こえてきた。 「刀の拵えはどんな感じ?」 聞いたのは、アル=カマルの衣服ディスターシャの上に陣羽織を着た金髪の少女、鬼灯恵那(ia6686)だった。血の色をした赤い瞳が印象的だ。 「大小共に、黒蝋塗りの鞘で柄糸も黒の正絹です。透かしの鉄鍔と小柄、目抜きは松の図の三所物‥‥鍛えもお話しした方が?」 「いや、いいよ。大小差しの賊はいなかったんでしょ?」 恵那は言い、浮かれた様子で隣に浮かぶ人妖の翠華に話しかける。 「賊狩り賊狩りっ♪ 楽しみだなー、ね、翠華?」 「一応言っておきますけど‥‥無茶しないで下さいね」 「ちゃんと仕事はするから大丈夫だよ」 一応と前置きした割には真剣に不安そうな顔で、翠華は恵那の顔を見上げている。 雲雀は今までに見たことの無い種の人間であるらしい恵那を、複雑な表情で眺めていた。が、その頭をそっと撫でる手があった。 「待っててくれな? 父ちゃんの刀はきっと取り返すから」 羽流矢だった。振り向いた雲雀の顔に笑顔が戻る。 「うん」 「では、羽流矢、晴臣、俺の三名が先行して賊を追跡、足止め。恵那、メグレズ、雪刃の三名が後詰めとして駆け付け、合流次第殲滅に移る。羽流矢は早駆を見込んで先行組とさせてもらうが、忍犬はついて来られそうか?」 鬼島に尋ねられ、羽流矢は側に行儀良く座って指示を待つ銀河の頭をそっと撫でた。 「銀河、ついて来られるな?」 羽流矢の言葉に一声小さく吠え、銀河は大きく巻いた尾を力いっぱい振った。 「よし」 「私達も行くよ、神影」 雪刃の懐の隠しからひょっこりと、羽根飾り付きの前掛けをした黒い管狐、神影が顔を出した。神影はするすると雪刃の胸元から肩へと駆け上がる。 「じゃ、行こうか」 ● 「六万文ねえ」 「切れ味は本物らしいぜ」 気弱そうな男が言い、大刀を放り投げた。長槍の男は空中で大刀を掴み取り、その腕で顔に掛かる蚊柱を払いのける。 「まあ、本物なら儲けもんだ」 「やっぱり!」 山賊の一人が声を上げた。一行が訝しげな顔で男を見る。 「あん?」 「今、白い‥‥影が、そこの木んとこで、ふわって‥‥」 「無えよ、馬鹿」 「いや、本当だって! さっきから何回か、白い鳥みたいな‥‥」 「びびりすぎだ」 賊が一斉に笑った。 「なあ源兄い、そろそろ良いんじゃねえですか。街道に出ましょうぜ」 不満げな声を上げる部下の頭を、男は大刀の鞘で小突いた。 「馬あ鹿、開拓者を甘く見るなよ? 下手に人目につく街道なんて使って見やがれ、あっと言う間に見つかって一網打尽だ」 「そんなもんですかねえ」 「そんなものだよ」 山賊達が、ぎょっと顔を上げた。 声は、真上から降ってきていた。 「人が汗水垂らして作った物を奪って、のうのうと生きてられると‥‥」 昼なお暗い森の上、白鼠の雲の下に、薄鈍色の光が浮かぶ。 首に蔦を編んだ首輪をし、簑を被った駿龍、初瀬がその巨大な翼を打ち下ろしながら、傲然と一行を見下ろしている。薄鈍色の光は、その身に纏った小札の具足だった。 「りゅ、龍!?」 「思ってないよね」 その鞍に跨った晴臣の、赤い瞳が物騒に光った。 「追っ手かよ! おい、撃ち落とせ!」 「あいよ!」 弓を持った男達が次々に矢を取り、その鏃を天空に向けた。 瞬間、初瀬の翼が傾いた。巨体が空を滑り、大きな弧を描きながら森へと降下していく。放たれた矢の殆どは木々に遮られ、それをくぐり抜けた矢も残らず空に溶けていった。 弧を描いて滑空する初瀬の首が木々に触れようかという瞬間、その翼が上を向いた。広い皮膜が正面からの風を受けていっぱいに膨らみ、その巨体を垂直に上昇させる。 森の木々が悲鳴を上げた。初瀬の巻き起こした突風が衝撃波を生んだのだ。滝のように降り注ぐ枝葉に馬が驚き、三人の賊が鞍から振り落とされる。 長槍の男も視界を遮る枝葉を手で打ち払っていたが、視界が晴れると同時に目を剥いた。 誰もいなかった筈の空間に、羽根飾りをあしらった剛毛の毛皮を背に掛け、大振りな数珠を首に掛けた霊騎がいた。その背には、長大な大斧を持った茶筅髷の男が跨っている。 「げ、源兄い、一人じゃありませんぜ!」 「狼狽えるんじゃねえ! あんな大斧、こんな所で簡単に使えるか! 迎え討て!」 「‥‥ほう」 金色の鎧武者、鬼島が、湿度からくる汗の珠を額に浮かべ、歯をむき出して笑う。 「迎え討つ、か。面白い」 その腕が鎧の上からも解る程に膨れあがり、鬼島の顔に血が上りだした。 「‥‥げっ!?」 人の身の丈を越える異形の大斧が、玩具のように振り上げられた。食いしばられた歯の隙間から、獣のような唸り声が漏れ出す。 鈍い音、そして木の根が裂ける高い音を立て、戦斧が地面に突き刺さった。 子供の胴回りほどある木が一撃で両断され、雷鳴の様な音を立てて倒れた。跳ね上げられた枝葉と土、微かな地響きとが、山賊達の乗騎に叩きつけられる。 「無理‥‥っすよね、これ」 「に、逃げましょうぜ」 滑らかな木の断面に震え上がった山賊は、隣に居るべき男が居なくなっている事に気付いた。 「馬鹿、助太刀しろ」 長槍の男は、暴れる霊騎の上で槍を振るっていた。 跳ね上げられた土や枯葉に紛れて木陰から飛び出した羽流矢が、地を這うように霊騎の足下へ飛び込んでいたのだった。 だが突き出された忍刀の鋒は僅かに霊騎の後肢を掠めただけに留まった。逆に羽流矢は霊騎の足で強かに胸を蹴飛ばされ、派手に地面を転がる。 「‥‥銀河、惜しい」 羽流矢に倣って逆から飛び出した銀河は、霊騎の身体を支える前肢に果敢にも噛みついていた。角度が悪く歯はすぐに外れてしまったが、長槍の男は暴れる霊騎を抑えるのに手一杯になる。 残る槍の男が騎首を翻し、顔だけで振り向く。 「源兄い、悪い、逃げるぜ!」 「ば、馬鹿! 伏せろ」 その叫びは間に合わなかった。倒木の陰から白銀の光の塊が飛び出し、馬上の賊に激突する。 男の身体は錐揉みをしながら地面に突っ込み、動かなくなった。 メグレズだった。重い鎧を着たまま、馬上の人間の頭部に肩から体当たりを仕掛けるだけの跳躍をし、羽根のようにゆっくりと地面へ舞い降りる。 その足から光の粒が舞い上がり、メグレズの背に三対の翼となって取り付く。光は鎧を離れ、六枚の翼を持つ輝く鷲となった。迅鷹の万黎だ。 落馬した男の足首をさりげなく踏みにじりながら、メグレズが鬼島に会釈を送る。 「お待たせしましたか」 「こちらも今し方着いた所だ。早かったな」 「鬼島さんが残して下さった印のお陰です」 メグレズの後方で重い音が響き、いち早く馬を走らせた弓持ちの賊が地面に激突した。 「途中までつけてあった貫徹の印も目立ったから。そこから先も、荷物を満載した馬蹄の跡なら探しやすかったし」 右手一本で器用に虎徹を回転させ、木立の合間から雪刃が現れる。鬼島は、賊達の向こうから会心の笑みを雪刃に向けた。 「解りやすかったろう」 「斧で幹に切り込み入れながら走るのはどうかと思う。二三本倒れてたし」 雪刃はひょいと首を動かした。カフィーヤの余り布を一条の矢が射抜き、後方の茂みへと消える。と、 「危ないなあ」 その茂みから、小さな声が上がった。 「お待たせー。それじゃあ早速、斬り合おう♪」 茂みを掻き分けて姿を現したのは、輝く金髪に枯葉や蜘蛛の巣を絡ませた恵那だった。手で掴んだ矢を放り捨て、至福の表情で愛刀の鯉口を切る。 「あ、兄い、どうすんだよ、これ」 空に晴臣。北東に鬼島と羽流矢。南西に恵那とメグレズ、雪刃。少なくとも、全員が逃げ切れる状態ではない。 「ど、どうするったって‥‥」 「逃げるなら構わんぞ?」 鬼島は言い、自分の斬り倒した木を顎で指した。 「尤も、追いつかれればそれと同じ運命を辿ってもらうがな」 日高が絶妙の間で鼻を鳴らし、全力疾走を求めて前掻きをした。 ● 辺りがにわかに翳り、強風が一行を襲った。森すれすれを滑空していた初瀬が、枝葉を薙ぎ払った一帯に顔を出したのだ。 晴臣の細い指が、二枚の符を曇り空へ解き放つ。符は二つに折れて羽ばたきながら初瀬の起こす風を吸い込み、白い隼となった。 隼が風に乗って加速し、二筋の光条と化して地面に突き刺さる。腕から血を噴き出して小刀を取り落としかけた男は、鞍に押しつけるかのようにして小刀を抑えた。 「仕方ない、手伝ってやるか」 風が甲高い唸りを上げ、地に落ちた枝葉が横向きの螺旋を描いて舞い上がった。 一瞬の間を置いて、男の腕が、鞍と霊騎の背ごと切り裂かれた。霊騎が悲鳴と共に前肢を跳ね上げ、小刀を持った男を振り落とし、走り出す。 「‥‥今の、刀に当たってない?」 「多分絶対大丈夫」 雪刃の訝しげな顔に、その豊かな胸元から顔を出した黒い管狐、神影がけろりとして答える。 「‥‥どっち?」 「どっちか」 言い合う間に、森の濡れた地面に小刀が落ちた。 「おい、六万文だぞ!」 顔色を変えた賊を睨んだ雪刃の銀髪が、激しく波打つ。 森の大気が瞬時に棘を持ち、肌に突き刺さる程の殺気となって賊を包んだ。森の動物達が一斉にその場から逃げ出し、山賊達が血相を変えて雪刃に向き直る。 「もらった!」 隙を逃さず、羽流矢が地を蹴った。地面を転がりながら左手で小刀を拾い上げ、一丈近い長槍の間合いに躊躇いなく飛び込む。 「野郎!」 長槍の男は咄嗟に槍を捨て、重邦の大刀を抜き放った。 だが、その眼前を突如純白の光が横切った。男は仰天して手綱を握っていた左手を離し、眼前を覆う白い光を打ち払う。 途端、白い光は蛇のように男の腕と首に絡みついた。 「目の前にある物、払いのける癖があるよね」 晴臣の呪縛符だった。蚊柱や落ちてきた枝から顔を庇うのではなく、手で払っていた男の仕草を晴臣は見逃していなかった。 雪刃の姿が燕の如く地表すれすれを滑る。 銀光が閃いた。 咄嗟に男が大刀を翳すのを予期していたかの如く、虎徹はその軌道を変えていた。男の右腿が血を噴き、雪刃の銀髪が渦を巻く。 軸足の踵を雪刃の足に払われ、男は尻餅をついた。泡を食って立ち上がった瞬間を見極め、虎徹が地面すれすれから天を衝く。 男の大刀が宙を舞った。 晴臣の呪縛符にまとわりつかれた、男の二の腕と共に。 飛来した矢をベイルで叩き落としたメグレズの目が、兜の奥で光った。 「万黎!」 凜とした声に応え、木の幹から油断無く戦況を見守っていた万黎が、三対の翼を打ち振るった。その身体は見る間に宙を滑り、刀の柄を握る男の手首を鷲掴みにする。 「‥‥野郎、刀が狙いか!」 長槍の男が舌打ちする。 「てこたぁ値打ちもんてこった! 取り返せ!」 「む、無理! 無理!」 男の怒鳴り声に応えたのは、情けない悲鳴だった。 恵那の秋水清光が逆袈裟に斬り下ろされる。賊は恵那に弓を投げつけ、頭を抱えて屈み込んだ。脂ぎった髪が血と共に地面に散る。 屈み込んだ男は尻餅をつきながら予備の小太刀を抜き、目を閉じながら顔の前に翳した。恵那の秋水清光が揺らめき、その姿が幾重にもぶれる。 甲高い音。頬から血を流した男は尻餅をつき、呆然と手元を眺めた。 その手には、半ばから断ち斬られた刀が握られていた。硬い刃の断面は荒く、「折れた」事を示しているが、棟と芯鉄は「斬られた」事を示す滑らかな断面を見せていた。 「あはは♪ やっぱり人相手は違うなぁ、こーでなくっちゃね♪」 男が悲鳴を上げて逃げ出す間にも、万黎はメグレズの手に向かって一直線に戻っていく。 「俺の六万文!」 叫び、鐙を蹴った山賊が万黎に飛びついた。驚いた万黎は一声啼いて上空へ舞い上がる。 「俺の六万文だ!」 「いや俺のだ!」 そこへ、手の空いている長弓持ち三人から矢が射掛けられる。万黎は自らが傷を受けながらも何とか刀を庇う。 「五十君さん、そちらへ投げます!」 「落とさせた方がいい、撃たれるよ」 刀が、とは言わず、晴臣が呪縛符を放ちながら鋭く言う。その視線の先で、賊が次の矢を番えていた。メグレズが頷いて指笛を短く三度吹くと、万黎は爪を開き、大刀を下に落とす。 「銀河、取れ!」 言われるまでもなく、銀河は短い足を回転させるかのように地を蹴り、大刀の真下に駆け寄っていた。負けじと、刀の落ちる先に賊が駆け寄ろうとする。 森が、震えた。 鬼島による獅子の如き低く重い咆哮と、恵那によるどこか無機質な高い咆哮。狼の遠吠えを思わせる雪刃の咆哮、メグレズの猛禽の如き高い咆哮が重なり、賊達の背に浴びせかけられていた。 賊は一人残らず足を止め、振り向き、落ちてくる刀に一瞬意識を取られ、そして突進してくる四人を迎え撃つべく獲物を手に散開する。 重い音を立てて、大刀が柔らかい地面に落下した。既に下で待ち構えていた銀河が鯉口付近を咥えてそれを拾い上げると、羽流矢目掛けて駆け出す。 「こ、この犬っころ!」 「よし、良くやった銀河!」 放たれた矢に背を掠められながらも、銀河は羽流矢の手に大刀を渡すと、その場でくるくると走り回った。 「こ、こら、まだ終わってないぞ」 「畜生!」 男は長槍を渾身の力でメグレズに投げつけた。メグレズは五角形のベイルでちり紙のように槍を払いのける。 その隙に男は鞍に結んだ木箱の紐を切り、鐙に足を掛けて霊騎の尻を叩いた。メグレズの指示を待つまでもなく万黎が主の肩を蹴り、霊騎を追う。 だが振るわれた爪は鞍を傷付けるだけに留まった。霊騎は鞍に跨ってもいない男をぶらさげ、森の中を駆け出していた。 「命あっての物種‥‥!?」 叫びながら、男は顔面から柔らかい地面に突っ込んだ。 「依頼抜きにしても一人も逃がすつもりはないよ」 跳ね起きた男の目の前で、白いディスターシャを血に染めた恵那が刀を左車に構えた。鐙を鞍に繋ぐ皮だけを、鋒半寸で斬り飛ばしたのだ。 喉を狙う横薙ぎを、辛うじて男は小太刀で受け流す。身を縮め、返す刀に眉の上を深々と斬られながら、男は踵を返した。 瞬間、その身体が胸を中心に後方へ半回転し、後頭部から地面に墜落する。一瞬遅れて、濡れた布を叩きつけるような音が森に木霊した。 「刀匠の命を取らなかったのは正しい判断だったな」 鬼島の斧の平で顔面を平らにされた男は、返事をすることさえできずに痙攣を繰り返していた。 ● 「‥‥と、いうような次第でして‥‥その」 重邦は頻りに額に浮かぶ汗を拭う。 「ふむ」 岩崎は富士額をぴしゃりと叩き、鞘を眺めた。 「でもみんなは悪くないと思います! そもそも‥‥」 雲雀が指先で青畳を叩いて顔を上げる。 「こら、雲雀」 重邦が泡を食って雲雀の頭に手を当て、無理矢理平伏させる。 その心労などどこ吹く風で笑ったのは鬼島だった。翠華の神風恩寵で、僅かに負った傷も完治している。 「まあ、刀身に傷は入っておらぬ以上問題ないと考えるが。如何か」 どちらが上座か解らなくなるほどの堂々たる口ぶりだ。知らぬ仲ではない岩崎は全く気に掛けず、無精髭の見える顎をなで回した。 「確かに。言葉は悪いが、刀身に比べればそう価値のある拵えではないしな」 僅かに犬の歯形が入ってしまった大刀の鞘と、若干の切り込みが入った小刀の鍔を眺め、愉快そうに岩崎は言う。 「本当、すいません」 羽流矢と雪刃が、深々と頭を下げる。銀河は嬉しそうに尻ごと丸まった尾を振り回し、得意げな顔をしている。気まずさを感じ取ったのか、管狐の神影は姿を見せていない。 「申し訳ありません。最善は尽くしたのですが‥‥」 メグレズが深々と頭を下げ、琥珀色の髪が畳に触れた。 「いやいや、むしろ各々方には礼を言うべきところ。顔を上げてもらいたい」 開拓者達が顔を上げると、岩崎は羨望の混じった目で重邦を見た。 「危機にいつも駆け付けてくれる者もいる、新たに興味を持って手助けにきてくれる者もいる、御身は幸せ者よな」 「恐れ入ります」 「おそれいります」 重邦と雲雀が再び頭を下げた。 「うむ。そこで、どうであろうな。この歯形と鍔の傷をそのままに残しておき、その二匹の名を借りて『銀影』とでも名付けてみては。なかなかの曰く付きになって、値が上がるかも知れん」 「は? ‥‥は、それは無論」 重邦は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で頷いた。 「岩崎様に献上した刀ですゆえ、ご随意に」 「よしよし。では、この大小は今この瞬間から、『銀影』だ。大刀を銀、小刀を影、というところだな」 岩崎は満足げに頷き、黒蝋塗りの鞘をなで回す。 「大業物って聞くしね。試し斬りしてみたいなあ」 恵那が楽しそうに呟く。 「ねー野込さん。野込さんの刀も使ってみたいんだけど、ダメ?」 「献上した刀では困りますが、もし店に並ぶ事があれば。まだ私の刀は鍛えが定まっておりませんので、先の話でしょうけれども」 重邦は苦笑する。 「では、そのような所で良いかな。各々方、ご苦労だった」 一同が頭を下げ掛けたところで、晴臣がふと気付いて顔を上げる。 「ああ、最後に一つだけ。捕らえた賊はどうなったのかな。子供を含めて人を恐怖に陥れて、大切な物を奪ったんだし、罪はきちんと償ってもらわないと」 「強盗の余罪がまだまだあるようだが、自白している犯行については死者の報告がない。まあ頭目は死ぬまで牢獄、他の者も二十年は課役だな。霊騎についてはこの端元の町が引き取る事にした」 「二十年か。まあ仕方ないね」 小さく鼻を鳴らす晴臣に、岩崎は自信ありげな笑みを見せた。 「うむ。刀を盗っただけにし『かたな』い、と」 鼻高々な岩崎の前で、六名の開拓者はがっくりと肩を落とした。 |