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■オープニング本文 ● 「親分、ちったぁ見張りを変わって下さいや」 暑さを帯び始めた陽射しを左手で遮り、ぼさぼさの長髪の青年、弥勒はぼやいた。 木箱の詰まれた荷車から、大あくびが上がる。 「‥‥第一、護衛なら俺以外でも良いじゃねえですか」 嘆く弥勒に、荷台で眠っていた総髪の男性が答えた。 「仁兵衛は、世話んなってる開拓者の連中と、呑気に茶会だとさ。竜三の野郎ぁ鉱道の見回り、菜奈は若い衆と馬鹿騒ぎだ」 侠客の町三倉を二分する侠客集団、永徳一家。その親分、剣悟郎だ。 その顔を、弥勒は恨みがましい目で見る。 「なら、菜奈姉さんでも呼んで下さいや」 「るせえな。おめえこそ、久々にその愛刀に出番をくれてやんな」 「出番がありゃいいですがね」 弥勒は愛刀、碧州伝の秀則の鯉口を切り、半ばまでその刀身を抜いた。 この碧州伝と呼ばれる鍛えは、特にその異様な外見で知られるものだ。 皆焼(ひたつら)と呼ばれる刃紋は碧州伝の代名詞である。刃に限らず地金にまで焼きが入り、刃紋は大いに乱れる。反りの深く身幅の狭い刀身と相俟って、まさに妖しく美しい姿が多い。 その姿、碧州の地の閉鎖性、製造量の少なさなどから、碧州伝の刀の多くは「妖刀」と呼ばれ、嘘とも真とも知れない噂がつきまといがちだった。 茶を扱う商家、荻野屋の主人が目を丸くする。 「凄え刀ですねえ」 「だろ? 親父の形見でよ」 弥勒は自慢げに言うと、刀を鞘に納めた。 「そんだけ良い刀ぁ持ってんだ。見張りはおめえが頑張んな」 「けど、親分は寝てばっかりじゃあねえですか」 弥勒の言葉に、荻野屋が笑った。 「なあに、そう気張らなくても三倉は目と鼻の先だ。親分がいるのに襲ってくる馬鹿なんざ、ここまで来りゃアヤカシぐれえのもんでしょう」 「そうは言うがよ、見張りが眠りこけてちゃあ見張りになんねえや」 弥勒が顔を顰める。 途端、その目から火花が散った。 「弥勒てめえ、俺に言ってんのか?」 剣悟郎が、忍刀の鞘で弥勒の後頭部を痛打したのだった。目に涙を浮かべて、弥勒が抗議をする。 「べ、別に親分だなんて一言も言ってねえじゃねえですか」 「うるせえ、紛らわしい事を言うてめえが悪ぃ」 剣悟郎は言い、荷台の上に起き上がった。 忍刀の鯉口を切り、抜き放つ。荻野屋がひっと息を呑んだ。 「お、親分、親分、危ねえですよ!」 剣悟郎の口から腹の奥を震わせる怒声が発せられ、その掌から銀色の殺意が猛然と打ち出された。 「弥勒、ぼさっとしてんじゃねえ!」 荷台から飛び降りた剣悟郎の怒鳴り声と、何者かの怒りの咆哮とが、同時に発せられた。慌てて愛刀を抜いた弥勒が、事態を漸く把握する。 街道の脇、蒲の草むらを掻き分けて、巨大な人影が近付きつつあった。それも、一体や二体ではない。 「ここぁ俺が引き受ける! てめえは死んでも荻野屋と荷車を守りやがれ!」 「親分! 一人じゃ無理ですよ!」 「るせえ、行け!」 剣悟郎は弥勒の胸を蹴飛ばし、荷台に蹴り込んだ。 「ちょ、親分!」 「おう荻野屋、行かねえか! 叩っ斬るぞ!」 剣悟郎に怒鳴られた荻野屋は、大慌てで馬の尻に鞭を当てた。瘴気に気付いたか、馬は重い荷車を引いてのろのろと走り始める。 慌てて荷台から降りた弥勒は、振り向き振り向き、荷車に並んで三倉へと走り出した。 草むらで蠢いていた人影が、遂に姿を現す。 「‥‥寄越せ」 それは、額に二本の角を生やした赤い肌の鬼だった。手にはぎらりと光る刀を握り、血走った目で剣悟郎の手元を見ている。 「寄越せ」 鬼が、刀を振り上げた。 だがその鋒が振り下ろされるより早く、剣悟郎の身体が霞んだ。 「遅え!」 剣悟郎の左手が鬼の顔面を掴み、手近にあった岩にその後頭部を投げつけた。 骨の砕ける鈍い音と、下駄の歯が鬼の喉笛を踏み潰す音が重なった。剣悟郎は思い出したかのように右手の忍刀を鬼の左胸に突き刺す。 食い千切られた左掌を毛ほども気にせず、引き抜いた忍刀を今度は鬼の口の中に突き立てた。なおも暴れようとする鬼の左手を下駄で踏み潰し、刀の攻撃を封じる。 その時になって、漸く剣悟郎は自分の失敗に気付いた。 「刀を寄越せ」 五体の鬼が、剣悟郎の忍刀を凝視しながらにじり寄ってくる。そして、十体を越える鬼が、全速力で荷車を追っていた。 弥勒の刀に斬られたか、鬼達の内、二体の手から血が流れている。 「野郎、荷車が狙いか!?」 剣悟郎の身体が霞み、にじり寄ってきた鬼達の手が空を切った。 初夏の空気を突き抜いた剣悟郎の身体が街道の上に現れる。次いで、荷車を追って走る鬼達の足が忍刀で切り裂かれた。 「面倒な事になりゃあがった」 思い思いに振り上げられた文字通りの剣林を見て、剣悟郎は早駆で前方に身を投げる。 間一髪で鬼達の攻撃を逃れた剣悟郎は、三倉目掛けて走り出した。 「刀を寄越せ」 「刀を寄越せ」 「寄越せ」 鬼達が口々に言いながら、剣悟郎を追って走り出す。 三倉までは、あと半里。竹藪の中に入った街道を、剣悟郎は息を切らして駆け抜けていく。 「親分! よくご無事で!」 四半里ほど走った所で木漏れ日の中に立っていたのは、弥勒だった。 「おう、弥勒! てめえ荻野屋はどうした!」 「先に三倉へ向かわせてます!」 弥勒は皆焼の刀を正眼に構え、剣悟郎の後方、徐々に大きくなってくる鬼達の姿を睨んだ。 「奴ら、荷車よりも俺の刀ばっかり見てやがった。馬鹿の一つ覚えみてえに、刀を寄越せ、刀を寄越せ、ですぜ。荻野屋ぁ狙うことはねえでしょう」 「荻野屋にゃ、仁兵衛に伝えるよう言ったろうな」 「当然でさあ」 剣悟郎は不敵な笑みを浮かべ、腰の苦無に手を伸ばした。 「上出来だ。おう弥勒、あの薄気味悪い連中に、三倉の土を踏ませるんじゃあねえぞ」 「承知!」 街道を走って、鬼達が近付いてくる。弥勒は武者震いをすると、刀を大上段に構えて気合の咆哮を上げた。 |
■参加者一覧
緋炎 龍牙(ia0190)
26歳・男・サ
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
千代田清顕(ia9802)
28歳・男・シ
雪刃(ib5814)
20歳・女・サ
アーニー・フェイト(ib5822)
15歳・女・シ |
■リプレイ本文 ● 「悪くない茶碗だ」 茶筅で手際よく茶を点てながら、仁兵衛は屈託なく笑った。 「湿地帯に埋まってたのを拾いやしてね。繕って使ってるんでさあ」 「小井戸だな。繕いも悪くない」 琥珀色と紺碧の勾玉を胸に下げた茶筅髷の男、鬼島貫徹(ia0694)が嬉しそうに茶碗を眺める。その仕草は茶道からは外れていたが、しかし不思議と下品さを感じさせない。 足が痺れたのか、あぐらをかいた金髪の少女、アーニー・フェイト(ib5822)が目を瞬かせた。 「コイド?」 「深い茶碗で、口が外側に膨らんで高台の小さいものですね」 正座をしても立ったアーニーとそこまで背の変わらない長身の青年、宿奈芳純(ia9695)が、作法通りに差し出された茶碗を右手で取る。 「流石芳純さん。詳しいねえ」 何の遠慮もなくざっくばらんに胡座をかいた千代田清顕(ia9802)が笑う。 その時、屋敷の中を間の抜けた足音が近付いてきた。 「仁兵衛の旦那! 一大事だぜ!」 鼻先を襖の隙間に突っ込んで押し開け、文字通り転がり込んで来たのは、仁兵衛の屋敷に住み込んでいるもふらの風螺だった。 「また始まったよ、風螺の一大事が‥‥ご客人がいらっしゃるんだ、静かにしねえ」 「親分と弥勒がアヤカシに襲われてんだよ!」 仁兵衛が弾かれるように立ち上がった。一同がそれに続く。 「武装した鬼が、刀を寄越せとか、うわごとみてえに繰り返してるらしいもふ‥‥らしいぜ!」 「場所は」 「町の入り口の先、竹藪ん中だと」 仁兵衛は壁に立てかけた杖を取り、真っ先に部屋を出る。 「この前の奴らの残党かなあ。手伝うよ、仁兵衛さん。‥‥アーニー」 「わーってるって。終わったら追加で晩メシもオゴってくれよ? 冷たいもんもヨロシクってね」 清顕とアーニーが壁際の荷物を取り上げ、廊下へ向かう。 「にしてもアヤカシが賊のマネゴトねぇ‥‥なんかキナ臭ぇのがぷんぷんするね。まっ、あたしにゃカンケーねぇだろーけどさ」 アーニーは金髪をキャスケットの中に押し込み、廊下へと飛び出して行った。 「たまにはお茶会というのも良いものかなと思って誘いを受けて見たけれど‥‥」 一行の中でもとりわけ身軽な出で立ちをした銀髪の美女、雪刃(ib5814)が、芳純の身体と比較しても遜色ない長大な刀を両肩に担ぐ。 「似合わない事はすべきじゃない、ということなのかも」 刀に両肘を掛けると、自ずと、豊かな胸が驚異的な存在感を示す。 「でもまあ、人助けに刀を振るうのに否はないし、自分らしい気もする。急ごうか」 「そうだね」 燃えるような緋色の髪をした長身の青年、緋炎龍牙(ia0190)が、隅に置いた二振りの忍刀を手に取る。 「しかし、刀を寄越せ、か‥‥何か、珍しい刀でもあるのかい」 「珍しい刀‥‥そういや、弥勒の野郎がヘキシュウデンとかいう珍しい刀を持ってるって話もふ‥‥だぜ」 「碧州伝?」 声を上げたのは、部屋に入れるのも無粋と外に立てかけてあった大斧を取った鬼島だった。 「碧州伝というと‥‥」 「妖刀という噂がつきまとう、あれですかね」 鬼島と龍牙が、視線を交わす。 「私が見たことのある物はどれも瘴気を感じませんでしたが、妖美たること衆目を集めて止まずと言いますね」 芳純は風霊面で顔を隠し、庭に面した廊下に出る。 「お、おい、これどうすんだよ」 風螺が部屋で狼狽えていると、清顕の顔だけが廊下から覗いた。 「あ、お茶はそのままにしておいてくれるかい。すぐ戻るからさ」 清顕がひょっこりと廊下から顔を出し、片目を瞑って見せた。 ● 「ちょっと、親分! 親分‥‥!」 「うるせえな、ちったあ我慢しろい!」 「こ、こいつら‥‥何で、お俺ばっか‥‥」 竹藪を走り回っていた弥勒は、地面に身を投げ出した。振り回される刀の下を潜り、包囲の輪を辛うじて逃げ出す。 「野郎、いい加減に‥‥!」 弥勒は荒い息をつきながら向き直りかけ、顔色を変えてまた走り出した。刀を振りかざした十体以上の鬼に殺到されれば、逃げ出しもするだろう。 「鬱陶しいんだよこの野郎!」 剣悟郎を釘付けにするためだろうか、頻りに鍔迫り合いに持ち込もうとする鬼を、剣悟郎は蹴飛ばした。 瞬間、口笛の様な音と共にその視界が煙に覆われる。 「どわ!?」 剣悟郎は咄嗟に後方へ転がり、膝立ちになって身構えた。 煙の向こうにいる鬼が追ってくる気配はない。 一筋の黒い影が煙を切り裂き、鬼が怒りの声を発した。漆黒の手裏剣が投じられた方向を見て、剣悟郎は顔を明るくする。 「清顕じゃねえか!」 音も無く流れてきた黒い影が地面を滑り、竹の枯葉を巻き上げて共に鬼の足を打ち払った。 「親分さん、弥勒さん、無事かい」 清顕は倒れる鬼の頸椎と前頭部を肘と膝で痛打して笑った。 その視線が、ちらりと弥勒の方向を窺う。 「よ、ミロク」 両手で竹の根元に掴まり、弥勒を追い回す鬼の膝裏を蹴ったのはアーニーだった。キャスケットから漏れる金髪が、暗い木賊色の竹藪の中に淡く輝く。 「バターみてぇになってると思えば、ちったぁマシなツラしてんじゃん?」 「ば、ばた‥‥?」 竹藪の中に破裂音が響いた。転倒した鬼が起き上がりざま、その乱杭歯の間に突き込まれた宝珠銃「皇帝」が火を噴いたのだ。 狼煙銃の煙が薄くなり、新手の鬼が刀を振り上げるのを見るより早く、アーニーは次弾を装填して引き金に指を掛ける。 続く破裂音と共に、清顕は忍刀「風也」を抜き放った。 「弥勒さんの程じゃないけど、俺の刀も鑑定願えるかな」 清顕が言うまでもなく、既に数体の鬼が彼に向かい始めていた。 「刀だ」 「刀を」 鬼の視線は、清顕の刀に集中している。 錆一つない刀が、振り上げられる。清顕の身体が沈み込む。 「寄越せ」 振り下ろされる刀が清顕の前髪を割り、小鼻と唇を掠めた。清顕の後足に力が入る。刀が清顕の袍を裂く。 次の瞬間、風也の鋒は鎧の継ぎ目から腰椎を突き抜き、血を滴らせていた。 清顕は刀を抉り抜きながら地を転がり、迫り来る剣林から逃れる。 「また腕をお上げになりやしたね」 後から追いついた仁兵衛の声に、清顕の目が吸い寄せられた。 振り上げられた刀の柄へと、杖の先端が伸びる。鬼の手首の間に滑り込む。体を入れ替える。それだけで、鬼は赤子のように地面に転がっていた。 仁兵衛が杖を捻ると、極められた鬼の両腕が砕ける異音が響いた。 「仁兵衛さん、後ろ!」 「おっとっと」 仁兵衛は、身体を縮めて後方へ一歩下がった。後ろから飛びかかった鬼が下半身を掬われ、空中で一回転して清顕の前に転がる。清顕の忍刀が、その腕を浅く裂いた。 「親分さん、すぐに他の皆も来る。もう少し頑張れるかい」 「十二分!」 勢いづいた剣悟郎は弥勒を追い回す鬼の群れに突進を掛けようとし、見事に地面に転がった。 仁兵衛が、剣悟郎の足を掛けたのだった。 「親分はちっと御自重下せえ」 「に、仁兵衛! てめえ!」 「お、来たきた」 アーニーは嬉しそうに呟くと大きく息を吸い込み、地面に左拳を撃ち込んだ。 途端、竹藪の中に濛々たる白煙が立ちこめた。 ● 鼓膜を裂くような、葉擦れの大斉唱が起きた。 「たかが鬼の分際で碧州伝に目を付けるとは、なかなか見所がある」 一部分だけ陽の射し始めた竹藪に立つのは、真紅の陣羽織の下に黄金の大鎧を着込んだ鬼島だった。左腕と下半身を一撃で両断された鬼が、薙ぎ払われた竹と共に地面に転がっている。 「刀を」 「刀」 鬼達は繰り返し、弥勒の刀を求めて踵を返した。鬼島の目が殺気を帯び、全身の筋肉に血管が浮かび上がった。眼が血走り、唇がめくれ上がる。 地響きと、獅子の如き咆哮が竹藪を揺らした。 大柄な鬼の一体が、脳天から肩口、右胸、右腰までを両断され、破裂するかの如く血を噴き上げる。余りの殺気に、弥勒を追っていた鬼の半数が鬼島へ向き直った。 「俺達を倒し、妖刀の主に相応しい力量を示すことができればお前達にやろう」 「お、おい、俺の刀、勝手に‥‥!」 荒い息と共に発せられた弥勒の抗議が終わるよりも早く、鬼島に鬼が殺到する。 だがその先頭に立つ鬼が、巨人の手に張り飛ばされたかの如く吹っ飛び、側の竹に激突した。 「すまないが、ここから先へ行かせる訳にはいかないな‥‥」 髑髏を模した兜から漏れる緋色の髪。ジルベリアの鎧にサーコートを羽織った青年、龍牙だった。突進の勢いそのままに体当たりを仕掛けたのだ。 「どうしても通りたければ‥‥そうだね、命を置いていって貰おうか?」 龍牙は一尺七寸と二尺三寸の黒い忍刀を両手に抜き放った。 「寄越せ」 「刀だ」 四体の鬼が、龍牙目掛けて刀を振り下ろす。 龍牙は左から来る刀を右の鴉丸で受けて外へ流し、体を入れ替えた。残る四口の刀が空を切る。 左手に握られた闇喪が、いつの間にか血を滴らせていた。龍牙は淡々と右の鴉丸を突き、鬼の鳩尾を深々と抉る。 「‥‥心臓を狙ったんだけどね」 鴉丸を引き抜きざま腰を蹴飛ばされ、闇喪に裂かれた右足に踏ん張りの利かない鬼は、無様に仲間の中へと突っ込んだ。 次いでその身体を押し退けた大柄な鬼が、轟音に貫かれて硬直する。 膝をついた鬼の目が爛々と輝き、衝撃波を放った人間を睨んだ。一撃で仕留め損なった雪刃は、首を傾げながら斬竜刀を肩に担ぎ直す。 その視界の端で、黒い影が動いた。 自在棍を放った清顕だった。棍は竹に巻き付いて燕の如く急激に軌道を変え、大柄な鬼の後頭部を軽く突く。 瞬間、鬼の上半身が右下にずれ、一瞬遅れて風斬り音と地響きが竹藪に満ちた。 「見事だ」 血飛沫を浴びながら、鬼島は口の端を吊り上げた。 「そりゃどうも」 清顕は、まさに鬼島の渾身の一撃を避けようとしていた鬼の背後を突いたのだった。 辺りの竹ごと目の前に残る鬼を薙ぎ倒した鬼島は、顎で明後日の方角を指す。 「それで、弥勒は良いのか」 「あれ」 清顕は紫色の目を瞬かせた。 「おおい‥‥! こ、こっちも‥‥何とか、して‥‥」 清顕に忍刀「風也」を押しつけられ、二振りの刀を一人で持った弥勒は、今まで以上にがむしゃらに鬼達に追い回されていた。鬼の節くれ立った指が、今にもその長髪を掴もうとしている。 が、その爪を弾き飛ばして、一枚の白い板が宙に浮かび上がった。 板は空中で回転しながらその面積を増して地面に突き刺さり、厚みを増して、巨大な壁として鬼達の前に立ちふさがる。 「ご苦労をお掛けしました」 涼やかな声が、弥勒の後ろから発せられる。 弥勒は芳純の顔を見上げて、へたり込んだ。呼吸以外何もできなくなった弥勒の身体に、芳純の手を離れた符が光となって降り注ぐ。 「あとは引き受けます。ひとまずお退きを」 「‥‥た、たたす‥‥」 助かる、とさえ言えない。鬼達が白壁を迂回して来るのではないかと、その両端をちらちらと窺うばかりだ。 だが、その心配は杞憂に終わった。辺りの竹の葉を、高く澄んだ吠え声が揺らしただけだ。 鬼島の咆哮が獅子のそれなら、こちらは狼のそれだった。大柄な鬼を仕留めた雪刃の咆哮が、鬼達を振り向かせたのだ。 直後、破裂音が竹藪に響いた。 「いいもん作ってくれんね、ホージュンもさ」 白壁の上に屈み、アーニーは銃口から上る煙を吹き飛ばした。フロントサイト上の視界を確保し、照準を雪刃の正面、鬼の顔面に合わせる。 破裂音と共に鬼の顎が砕け、白煙と共に血を噴き上げた。 鬼達が刀を翳して踏み出そうとした瞬間、雪刃の尾を包む銀色の毛が逆立った。 竹藪に、銀色のつむじ風が巻き起こる。 斬竜刀は竹を二本通過し、鬼の左腕を斬り飛ばし、胸を斬り裂き、竹一本を斬り、鬼の左手首を両断し、右手首の外半分を断ち切り、竹一本を斬り、鬼の左腰に半ばまで食い込んで、漸く停止した。 その雪刃の視界を大きく遮るかのように、更に白い壁がそそり立つ。 「これから壁を順次作って参ります。ご要望があればご遠慮なくどうぞ」 迂回しようとする鬼達の進路を塞ぐ、芳純の結界呪符だった。鉤型に形成された結界呪符で遮断しきれなかった一体が、へたり込んだ弥勒に迫る。 弥勒は四つん這いで逃げ出そうとしたが、背後で響いた異音にぎょっとして振り向いた。 鬼の右肩が、丸くえぐれて血を噴き出している。 「貪れ」 更に二度、三度と異音が響き、鬼の左胸が、腰が抉れ、次々と血を噴き上げる。 弥勒が呆然と芳純の長身を見上げる。芳純の手の中で、真紅の達磨の口がつり上がったように見えた。 ● 「全く、とんだお手数をお掛けしちまいやして‥‥取って置きの干菓子をお出ししやすんでね」 「しかし何故アヤカシが刀を狙ったのか、僕としても少し興味があるね」 先刻までとは打って変わって、龍牙が朗らかに笑う。 「どうだい、鬼島さん?」 「ふむ、反り深く重ね薄く、小鋒。一文字返りの帽子が乱れ込み皆焼となる‥‥金筋の激しくかかるさまはいかにも碧州伝らしい」 鬼島に握られた刀をしげしげと覗き込み、龍牙が唸る。 「なるほど、棟にまで焼きが入っているね。美しい」 「しかし、瘴気のような物は感じられません。‥‥アヤカシが、何故刀を狙っていたのか、それが不明ですね」 反対側から刀を覗き込んだ芳純が、細い眉を潜めた。 弥勒の肩を強引に抱き、清顕が笑う。 「それより弥勒さん、あれから良い出会いはあったかい?」 「う、うるせえな、放っておいてくれよ‥‥」 「町を守る為に奮戦してた姿を見たら、女の子なんていくらでも寄って来るだろうにね」 肩を抱かれながら、弥勒はちらちらと雪刃の顔を、正確には顔の下を窺っている。 と、弥勒の視線を遮るようにして、アーニーのキャスケットがぬっと現れた。 「スズハ? ここ、何かミロクに見られてっけど?」 「? どこを?」 「み、見てねえよ!」 弥勒の顔が一気に赤くなる。アーニーは意地悪く笑った。 「見てないワケねーよなー。何せ、こいつが前コロッと騙されたの、スズハみたいな‥‥」 「わーっ! わーっ!」 弥勒がアーニーの口を塞ごうと飛びかかる。その手をひらひらと躱して庭から縁側に上がったアーニーだったが、部屋の様子を見るなり、ぴたりと足を止めた。 アーニーの視線の先には、小さな紙箱が転がっている。 「じーさん? ひょっとして‥‥」 中の物は綺麗さっぱりなくなっており、辺りには涎に溶けた干菓子の残骸と、犯人を示す弁柄色の癖っ毛が数本落ちている。 仁兵衛と弥勒、そして六人の開拓者が庭にいる中、猛然と玄関の戸を開ける音が響いた。 「‥‥じーさん、殺っちまっていいかな」 「何でしたらお手伝いしやしょうか」 アーニーが懐から宝珠銃を取り出し、撃鉄を起こす。仁兵衛は杖を左手に持ち替え、ゆっくりと庭を玄関側へ歩いていく。 「風螺! 腹あ掻っ捌いて食ったもん引きずり出してやるから、出て来ねえ!」 「あたしの菓子! 返せーっ!」 三倉の町に、乾いた銃声が轟き渡った。 |