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■オープニング本文 ● 武天は水州、刀匠の里、理甲の村はずれ。 一人の青年が、びっしりと蔦に覆われた断崖を見上げた。 彼の名は、蔦丸。幼い頃親に捨てられたらしく、今まさに彼が立っている辺りで、蔦に抱かれるようにしていた所を、通りかかった老夫婦に拾われたらしい。 蔦の上にいたから蔦丸、と名付けられた彼は、志体を持っていたことからシノビとして開拓者の道を歩み始めるが、戦うという事に関して才能が全くなかった。 その一方で道具の手入れや目利きなどに才能を発揮していた事から、拠点としていた端元の町の代官、岩崎哲箭に勧められ、流れの刀匠、野込重邦の弟子となったのだ。 蔦丸の手が岩を掴み、するすると上り始める。その目は、岩の隙間から生えた独活を確かに捉えていた。 と、岩を掴もうとした筈の手が空を切った。 ぎょっとした蔦丸は身体の均衡を崩しかけ、慌てて傍の岩にしがみつく。 「これは‥‥?」 蔦丸の手が、空を切りかけた辺りの蔦を掻き分ける。 そこには、ぽっかりと大きな空洞が開いていた。 ●「うーん、やっぱりご飯は麦の方がおいしいよね!」 雲雀は満面の笑みを浮かべ、猛烈な勢いで麦飯を掻き込む。 「こう、歯でかんだときの感じがいい! お米じゃやわらかすぎて! おかわり!」 「はいはい」 最近は半ば屋敷の住人になりつつある隣家の女性、好枝が雲雀の茶碗を受け取り、挽き割り麦ばかりの麦飯を茶碗によそう。 「すまんな、雲雀‥‥」 「何が?」 肩を落とした重邦の呟きに、雲雀は残った味噌汁を麦飯に掛けながら尋ねた。 「ようやく米の飯が食べられるようになってきたと思ったのだが‥‥」 「え、でも麦のご飯の方が好きだよ!」 雲雀は味噌汁に入っていた菜っ葉の切れ端を唇の端につけたまま、浮き浮きとした様子で答える。 先日、どこからともなく現れたアヤカシのお陰で、理甲の里は壊滅の危機に陥った。 開拓者たちの活躍で負傷者も殆どなく、里の人々は普段通りの生活に戻ったのだが、立て籠もった工房の鍛冶道具一式が軒並み壊れてしまったのだ。 数ヶ月前に手に入れた砂鉄を売り払って道具は新調したのだが、里の財政は再び火の車状態である。 その時、襖の向こうから声が発せられた。 「失礼致します、重邦様」 「蔦丸?」 目を丸くした重邦の言葉に応えるかのように、襖が静かに開く。 「蔦丸兄ちゃん、どうしたの? こんな夜中に」 「は、それが‥‥その、里の外れに、遺跡‥‥のようなものを見つけまして。あ、それからこちら、蕗と独活、それからタラの芽にございます」 「いつもすまんな‥‥麦飯と味噌汁、漬け物くらいしか無いが、食べて行ってくれ」 蔦丸の差し出した山菜を受け取り、重邦は済まなそうに言う。 「して、遺跡というと‥‥宝珠や財宝があるという、あの遺跡か?」 「はい。おそらくは」 自信なさげに、蔦丸が頷く。 蔦丸の分の茶碗に麦飯をよそいながら、好枝が首を傾げた。 「ひょっとして、滝の裏ですか?」 「滝? いえ、こう‥‥岩にびっしりと生えた蔦の、陰というか、向こう側に‥‥空洞が。何かご存じなので?」 「‥‥じゃあ、違うのかしら。里に伝わるお話で、この辺りにちょっとした遺跡があるとか、無いとか‥‥」 好枝は茶碗を蔦丸に手渡し、汁椀に味噌汁を注ぐ。 「どんなお話? 私、聞きたい!」 雲雀が俄然目を輝かせ始める。 漬け物を載せた小皿を蔦丸の前に置き、好枝が不安そうに首を傾げた。 「でも、滝の裏じゃないんでしょう? 違うかも知れませんね‥‥」 困惑顔で、重邦は腕を組む。 「蔦丸。その『恐らくは』というのは、どういう事だ?」 「は、それが‥‥」 蔦丸は困惑顔になり、人差し指でこめかみを掻いた。 「中に入ってみたのですが‥‥明らかに人の手が入った、石畳の通路がありまして。ただ、十丈ばかり進んでみると、ただの行き止まりになっているのです」 「行き止まり、か」 重邦は唸ると、ちらりと雲雀の顔を見た。 「雲雀。また、開拓者の皆さまに頼むか?」 「うーん。私は開拓者の人たちに会えたらうれしいけど」 案に相違して、雲雀は小さな唇を尖らせた。 「でも、たのむお金、あるの?」 痛い所を突かれ、一同は口を噤んだ。 重い沈黙を破り、遠慮がちに蔦丸が手を挙げる。 「遺跡の中で何か見つかりさえしましたら‥‥」 「そうだな‥‥。それにまだ二度ほどなら、頼んでも問題ない程度の蓄えはある。これで失敗しても、まだ緊急時に一度は開拓者を雇えるか」 重邦は頷き、隣の好枝を見た。 「好枝、その遺跡の中にある物については、何か聞いているか」 「ええと‥‥銀だとか宝だとか…そんな言葉しか聞いていませんが‥‥」 「具体的には、どんな言い伝えなのですか?」 蔦丸に尋ねられ、好枝は少し眉根を寄せ、口を開いた。 「確か‥‥ 『風になびく滝の裏へ入りて 刀の銘の向く先を探り 張り巡らされた悪意と殺意を越えよ 降りしきる銀光を潜り 馬上より矢を射たその先に 白銀の宝を安置する ゆめゆめ気を緩めるなかれ』 ‥‥と、こんな感じだったと思いますわ」 「白銀の宝、か」 重邦は思案顔になり、顎をなで回した。 早速麦飯を口に運びながら、蔦丸が眉をひそめる。 「曖昧でございますな」 「‥‥まあ開拓者の方にお支払いする程度の金子にでもなればよかろう。雲雀も喜ぶしな」 重邦が重々しく言うと、雲雀の大きな目がやにわに輝き始める。 蔦丸と好枝は思わず口許をほころばせた。何だかんだでこの父親は、雲雀が可愛くて仕方ないのだ。 「余りが出れば万々歳というところか。よし、一つ頼んでみよう」 |
■参加者一覧
佐久間 一(ia0503)
22歳・男・志
すぐり(ia5374)
17歳・女・シ
无(ib1198)
18歳・男・陰
禾室(ib3232)
13歳・女・シ
羽喰 琥珀(ib3263)
12歳・男・志
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ |
■リプレイ本文 ● 「人のこさえたもん‥‥いつごろやろ」 腰に届く黒髪を薄紅色の織物で結った忍装束の少女、すぐり(ia5374)が、形の良い眉をひそめながら言う。 「極端に古くはないですね」 紫色の瞳に楽しそうな光を浮かべ、无(ib1198)は眼鏡を直した。 「无もそう思わはる?」 「ええ。天井が柔らかく弧を描く石の組み方、これは二百年ほど前に主流だったものです。大体、冥越が崩壊した頃ですか」 无は空いた左手で顎を撫でながら、独り言を始める。 「しかし、特に他地方の文化の影響が少ない水真で石造りの遺跡とは。プラスの工法でなくマイナスの工法で作られている点も興味深い」 「これだけ厳重に保管するには何か理由があるのかなと少し考えてしまいますね」 口を挟んだのは、身の丈六尺半ほど、砥の粉色の髪に鉢金を巻いて忍装束に身を包んだ青年、佐久間一(ia0503)だった。 「里の方々の事を思いますと高価な品が見つかるに越したことは無いのですが‥‥」 腰に鞭を一巻き結わえ付け、龍袍の胸に九曜紋の首飾りを光らせた女性、桂杏(ib4111)が、人差し指を下唇に当てて嘆息する。 と、前方で声が上がった。 「罠じゃな」 三尺強の身体に三尺弱の木刀を背負い、一丁前に額に鉢金をまいた少女、禾室(ib3232)は、輪郭の曖昧なふわふわの尾を振り振り、自慢げに草原のブーツで宙を指していた。 その目に集中した練力が、暗闇を見通し、罠を探し出す視力を生んでいる。 「蔦や糸といった罠があると思っておったのじゃ。狐には負けぬのじゃ!」 禾室の目は、明らかに无の肩に捕まって欠伸をしている、尾の無い狐、ナイに向けられていた。无は苦笑し、禾室の方向へと足を向ける。 「禾室、あんま先に行くなよな。跨いだ先に何かあるかも知んねーぞー」 身の丈四尺ほど、黒と金の毛に覆われた耳と尾を持つ少年、羽喰琥珀(ib3263)が、禾室と共に床から顔の高さまで、注意を払いながら進んでいく。 「‥‥生物的な罠と思っていましたが」 一は意外そうな顔で、続いて糸を跨いだ。 だが次の縄を跨ぎ、その次の縄を跨いだ瞬間、 「一! 待ち!」 違和感を抱いたすぐりが叫ぶのと、一は体勢を崩すのが同時だった。咄嗟に後ろに出した足が縄に引っ掛かり、一は盛大に尻餅をつく。 慌てて糸を跨ぎ駆け寄ったすぐりを制し、一は大きく息をついた。 「なるほど」 一の忍装束が、鎖骨の高さでぱっくりと開いていた。血は出ていないが、中の鎖帷子が削れ、銀色の光を放っている。 「間に合って良かったわ‥‥この辺で普通の、身の丈五尺くらいの人は首がぱっくり、いうわけやね」 「二年前か、すぐりさんの声が無かったら危なかったかな」 一同が胸を撫で下ろしていると、 「何かあったかの?」 大きくつぶらな目をぱちくりとさせ、禾室が不思議そうな顔で振り返っている。 すぐりは苦笑した。 「ちっこい二人組やさかい‥‥特に禾室は、頭のずうっと上やもんね」 張られた鋭い鋼線の高さが、四尺半ほど。身の丈四尺以下の二人が、それも足下を気にしながら移動していては気付きにくいのも道理だった。 「斬らねー方がいいよな? 何か別の罠が発動すっかもしんねーし」 「ですね」 背負った「朱天」の鞘を指で弾いた琥珀に、一は頷いた。 ● 「部屋、ですね」 一行は、扉のない部屋に突き当たった所で歩みを止めた。 无は部屋に松明を差し入れて天井を照らした。すぐりは後方に控えて耳目に練力を集め、罠の存在を探ろうと集中力を高める。 「これが、『降りしきる銀光を潜り』の部分なんやろか」 「上から刃物が落ちてくる罠があるのではと思ったのじゃが‥‥」 天井は変わらず柔らかい曲面を描いており、何かが落ちてくるような隙間は見えない。空気は乾いており、水が滴り落ちてくるような様子もなさそうだ。 禾室は早速持参した鞠に荒縄を括り付け、部屋の中に放り込んだ。 鞠は何事もなく部屋の奥へと跳ねていき、じきに停止する。 「‥‥何も、ないかの?」 「氷柱だと思ったんだけどなー。ま、俺は盾持ってるから、ちょっと行ってみっか」 いや増す宝への期待に、琥珀は耳をぴんと立てて一歩踏み出した。 「あんま無茶せんといてな」 「おう!」 すぐりに白い犬歯を見せ、琥珀は竹盾を上に翳してゆっくりと一歩を踏み出した。 一歩、更に一歩。また一歩。 「何にもねーなー」 「もしかすると、言い伝えにある場所というのは、この先なのではないかの?」 禾室が唇を尖らせ、とことこと琥珀を追って部屋に入る。 続いて一が、桂杏が、そしてすぐりが、慎重に部屋に足を踏み入れた。 途端、无が叫んだ。 「まずい! 戻って!」 一瞬遅れて桂杏の足が床を蹴った。同じく危機を察して飛び退いた禾室が、桂杏と共に通路に飛び込む。 すぐりは天井から響いてくる音に気付いたが、目の前の琥珀に叫んだ。 「琥珀! あかんて!」 既に部屋の中央を越してしまっていた琥珀は、脱出が間に合わないと踏み、来るであろう罠を避けることを選んでいた。既に部屋の天井の石は一部が剥落し、鎖でぶら下がっている。 剥落した天井の隙間から現れた物を見て、肝の据わった琥珀でさえ息を呑んだ。巨大な錨の先端が研ぎ澄まされて刃状にしたような、巨大な凶器だ。 「う、嘘だろ!?」 錨は唸りを上げて垂直落下を始める。琥珀の姿は、甲高い音と共に錨の陰に隠れて見えなくなった。 部屋中に、砕け散った石畳の破片が飛び散る。 「羽喰さん!」 一が叫ぶ。部屋に、一瞬の沈黙が降りた。 だが次の瞬間、 「あっぶねー‥‥」 琥珀の声が、錨の陰から漏れ出てきた。 恐る恐る一行が近付いてみると、琥珀は綺麗に錨と錨の間で横になっていた。胸と背中から錨までの距離は半寸ほどもない。 「そこの石踏むと、仕掛けが発動するみてーだな」 琥珀が笑うと、金属の擦れ合う耳障りな音を立てて鎖が巻き取られ、錨が引き上げられていく。 一行は、大きく安堵の溜息をついた。 ● 「これ、『馬上』を『まうえ』と読んだらどうじゃろうな」 禾室が腕を組み、頻りに小首を傾げる。 あれから四半刻。一行はすっかり行き詰まっていた。多くの者が「左」を探るものだとばかり思っていた箇所で、それ以上先に進む仕掛けが見つからないのだ。 「まうえ‥‥真上?」 「そうじゃ。真上から矢を射るのだから、示す場所は真下。足下を掘って調べてみたいのじゃ」 「手伝いますしょう」 一と禾室が床を叩き、空洞になっている場所が無いかを探し始めた。 「‥‥弓手側だと、思ったんだけどなー」 琥珀が、黒と金の尾を元気なく振りながら、頭を掻き回した。 「何か見落としているんでしょうかね‥‥左前方ということは‥‥」 髪を一房指に搦めて考え込んでいた无は、行き止まりの左前方を探り始めた。 「な。矢の飛んでくる、右方向いう訳やないかなあ」 すぐりは一人、右側の壁を探っている。 弱り果てた琥珀が、溜息混じりに呟いた。 「なー。また俺とか禾室の背丈が足りなくて‥‥なんてこと、ねーかなー? ちゃんと上も探してくれてっか?」 「上ですか? ‥‥あ」 言われた桂杏は何かに気付いたか、眉をひそめて上の壁を凝視する。 「‥‥すぐりさん? ちょっと、手をお借りできますか。こう、両手を組んで」 反対側の壁に貼り付いていたすぐりが松明を壁に立てかけ、大きな目を瞬かせた。 「ん? ええと‥‥こないな感じでええ?」 「はい。行きますよ」 左側の壁に貼り付いた桂杏を見て、すぐりは桂杏の考えに気付いた。手の握りを緩めて腰を落とす。 桂杏が床を蹴り、すぐりに向かって突進した。すぐりは両肘を開いて組んだ手を差し出し、桂杏の持ち上げた右足の下に敷く。 すぐりの両手が高々と跳ね上げられ、桂杏の身体が鞠のように天井近くまで舞い上がった。桂杏は壁に手をついて垂直落下を始め、その過程で素早く壁をまさぐる。 着地した桂杏の顔を、すぐりが遠目に覗き込んだ。 「どないなっとった?」 「私が左手を付いた石の二つ左、二つ下が少しくぼんでいます」 桂杏は壁際を数歩動くと、今度はそこで垂直に跳躍した。 今度は、桂杏の身体が落ちてこない。彼女の目を付けた石が半寸奥へ動き、そこに桂杏の指が掛かったのだ。 「お! ホントに上じゃん!」 琥珀は指を鳴らした。 桂杏は窪みに描けた指を頼りに身体を持ち上げ、押し込んだ石の様子を調べる。動きは悪いが、まだまだ奥へ押し込めるようだ。 「支えよか?」 「お願いします」 気を利かせて駆け寄ったすぐりの手に足を乗せ、桂杏は石をどんどん押し込んでいく。 「馬上いうんは方向だけやのうて、高さを示す意味もあったんやね」 その様子を見守りながら、すぐりが呟く。 と、重い音と地響きが壁の向こうから伝わってきた。 「‥‥これは」 目に練力を集めた桂杏は、思わず呟いた。 「何か見えとん?」 すぐりの言葉に、桂杏は困惑を隠しきれない声で答えた。 「はい。‥‥かねが‥‥」 ● 「かね‥‥ですね」 一もまた、困惑した声で呟いた。 隠し通路の奥に安置されていたのは、白銀の「鐘」だった。高さは、琥珀の身長ほどあるだろうか。 「かねですねえ」 无が何気なくそこに近付こうとすると、 「待った」 琥珀が无の上腕を掴み、それを止めた。 「どうしました?」 「俺ならここに罠仕掛けるなー。危険な罠と解りにくい隠し通路が終わって、ようやく見えたお宝。喜んで近付くと‥‥ざっくり、なんてよー」 「‥‥確かに」 无は大人しく足を引っ込めた。 「ええよ、ほなうちらが罠を調べながら近付こか。禾室、桂杏、行こ」 三名のシノビが、上下左右に注意を払いながら、ゆっくりと鐘、そしてその脇に無造作に置かれた宝石の類に近付いていく。 「‥‥うむ、何もないぞ。皆、来るのじゃ」 「どうも。‥‥やっぱり梵鐘、ですね。外径は二尺八寸、竜頭下の高さが‥‥四尺強。寸法は一般的ですね」 興味を抑えきれない无が、いの一番に鐘に歩み寄った。 「材質は‥‥青銅なんでしょうか。この色は塗装のようですが‥‥ふむ、縦帯と中帯の交差点に宝珠が一つずつ」 眼鏡に手をかけ、无は尾無狐のナイと共に、興味深そうに鐘に見入っている。 「なあ、无。これ、むちゃくちゃ重いよな?」 「重いですよ。標準的な鐘と同じ重さなら、二百貫はあると思います」 「二百!」 琥珀は目を丸くした。 禾室が青い顔で、一行の顔を見上げる。 「運ぶのも問題ですが」 困り果てた顔のすぐりが言うと、桂杏が小さく手を上げた。 「これを下手に動かすと、何かが起きるかもしれません。まず同じくらいの重さの何かを、この鐘とすり替えませんか。石とか砂とかを袋に詰めて、土嚢のように積み上げて‥‥」 「桂杏、冴えとるのう」 禾室は小さな手を叩いて喜んだ。 「せやかて、村の人に頼むんなら」 一人、部屋の隅々に至るまで壁の様子を調べ、天井や床の物音に耳を澄ませていたすぐりが口を開いた。 「ここまでの道の安全を確保せな」 「そうですね」 「そうじゃのう!」 桂杏と禾室が頷き、すぐりに倣って部屋の様子を探り始めた。 ほどなくして、 「多分、天井じゃな」 禾室が上を見上げた。 「无が鐘をいじると、何か軋むような音がしておるぞ」 「本当ですか」 「ほんの少しじゃが、間違いないぞ」 禾室は誇らしげに、天井を指差した。 「ということは、やはり重量に反応して起動する罠のようですね。土嚢作戦で行きましょうか‥‥」 ● 「おかわりなのじゃ!」 「おかわり!」 禾室と雲雀が、同時に茶碗を掲げた。 「麦にとろろ、おいしい!」 「のう、おいしいじゃろう!?」 「おいしい! 禾室ちゃんに良いことおしえてもらっちゃった!」 雲雀は満面に笑みを浮かべ、好枝に差し出された麦飯にとろろをかけ回している。 「一兄ちゃん、ちょっと見ない間に、すごく背がのびたよね! 驚いちゃった!」 「はは、今頃成長期に入ったようで‥‥」 一は照れ臭そうに頬を掻いた。 「うーん」 すぐりが唇を尖らせ、そっと壁を撫でた。 「どうしました?」 「理甲の里のこと、うちは良う知らんさかい、里の名前の由来を聞いてみたんよ」 「何でも、甲、きのえの方角より理の来たるをもって理甲とす、て言われとるんやて。せやけど、どの隠し通路も甲の方角やなかってん」 「ふむ。ということは、別の何かを指し示しているんですかねえ」 无は尾無狐のナイに麦を分けてやりつつ、考え込む。 頬に麦粒を一つつけた琥珀が、興味津々といった風で重邦の顔を覗き込んだ。 「で、あの鐘どーすんだ?」 重邦は眉間の皮を摘み、考え込んだ。 「そうですな‥‥先人が折角残してくれたものでもありますし、よほどの事がない限りは取っておこうかと」 「せやね。あの遺跡の年代やら考えたら、それがええんとちゃうかな」 吸い物に口をつけていたすぐりは頷いた。 「年代?」 「ん。无も言うてはったんやけど。あの遺跡が造られたんは、冥越が魔の森に覆われて、崩壊した頃なんよ」 「具体的に何か、時代背景相応の効果がある物なのか、それとも単に祈りを込めただけのものかは調べてみないと解りませんが‥‥易々と売り払ってしまうのは勿体ないと思いますよ」 无は箸を持った右手の小指で器用に眼鏡を直す。 「あ、そうそう。重邦さん、これを」 一が懐から麻袋を出し、重邦の前に置いた。 「僕は今のところ困っていませんから」 「い、いや! それは‥‥」 重邦は困惑顔で、一の顔を見上げた。 「私どもがギルドに支払っているのは『仲介料』で、皆さまの報酬をお支払いしているわけでは‥‥それに、私どもの仲介料と皆さまの報酬が一致しているかどうかも」 「では、僕の気持ちと言うことで、お納め下さい。既に三割分は頂いてあります」 「懐の苦しい時だからこそ、お金を払うということに真剣でいさせて下さい」 重邦は、丁重に麻袋を一の前に滑らせる。 「‥‥では、ありがたく」 重邦の気持ちが動きそうにないのを見て、一は袋を丁寧に受け取った。 汁椀に口をつけ、无が口を開く。 「重邦さん、刀が売れないとの事でしたら、都の刀市に出向くのも一考されたら如何です。収入だけでなく、安い道具もあるかもしれませんし」 「ね! 无兄ちゃんもそう思うよね!」 雲雀は麦を咀嚼しながら、膝を打った。 「なのに父ちゃんたら、すぐに鍛えを変えちゃうもんだから、ぜんぜんちゃんとしたネダンがつかないの! ケンキューもいいけど、里長としてのセキニンてものがあるよね!」 一行は笑いを噛み殺した。重邦は露骨に目を泳がせ、汁椀を置いた。 「‥‥好枝、私はそろそろ作業に戻る。蔦丸も工房で待っていよう」 「こら父ちゃん、にげない! 今日という今日は、鍛えをこれって決めるまでにがさないから!」 「では皆さま、私はこれにて‥‥」 「こら! まちなさい父ちゃん!」 裾に雲雀をぶら下げて部屋を転がり出て行く重邦を、一行の笑い声が見送った。 |