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■オープニング本文 ● 虎鶫の悲しげな鳴き声が、満天の星空に吸い込まれていく。 ここは武天。侠客の町三倉から、幾らか離れた街道。 「畜生‥‥ついてねえ」 一人の侠客が、肩を落としてとぼとぼと、実家へと続く曲がりくねった道を歩いていた。 彼の名は、只造。三枝只造という。 一時は侠客として肩で風を切って歩いていた彼だったが、最初にけちがついたのは、半年ほど前。彼の属する侠客集団の瀧華一家が、町を二分して争う永徳一家と大きな出入りをした時だった。 この町では開拓者など殆ど見かけなかったのだが、永徳一家がそれを雇い始めたのだ。シノビに苦無を突き刺された肩口の傷跡を撫で、男は顔を歪める。 ならば瀧華一家も開拓者を、とギルドに依頼を出したこともあったようだが、依頼の内容が暗殺や誘拐だ。使いの者は、依頼をするどころかあっさりとお縄を頂戴してしまった。 形勢は、徐々にだが瀧華に不利な方へ傾きつつある。先日など、遂に永徳に逃げ込む侠客が現れ、しかもその処断に失敗したという話もあった。 「ったくよ、裏切り者をぶっ殺せねえたぁ、影政の旦那も落ちたもんだぜ」 ぶつぶつと呟いていた只造が、やおら足を止めた。 虎鶫の鳴き声に混じり、後方から近付いてくる妙な音に気付いたのだ。 「あん?」 音は、一つではなかった。重い、荷車のような音が、それも複数重なって近付いてくる。 只造も侠客、それも志体持ちだ。並大抵のことで怯んだりはしない。腰の長ドスを抜き放ち、身構えた。音はどんどん近く、大きくなっていく。殆ど地響きに近い。 そして「それ」が姿を見せた瞬間、只造は全速力で踵を返して走り出した。誰も牽いていない牛車が三台、大して広くもない道一杯に並び、土煙を上げて爆走してくるのだ。 「き、き、き、聞いてねえ! 聞いてねえよ! か、か、か‥‥」 全力で逃走する只造に、三台の牛車はあっさりと追いつき、その身体を弾き飛ばした。只造は鞠のように前方に投げ出され、地面に転がる。 その眼前に、驀進する牛車が迫った。 「母ちゃああああああああん!」 悲鳴を上げてその場に伏せた只造の上を風が行き過ぎ、只造は何者かに猛然と引きずられだした。 車輪の間に身を伏せていた只造の上を行き過ぎた牛車の一部が、只造の服に引っ掛かったのだ。 「痛だだだだだ! 尻! 尻が! 腰が! 燃える!」 道は曲がりくねっている。右に、左にと曲がるたび、只造の身体は大きく振られた。右端の牛車に引っかけられたお陰で、左方向へ曲がるたび、茂みの中を突っ切らされ、木に叩きつけられる。 三町ほども引きずられ続けただろうか。傷だらけの泥だらけの枯葉まみれの血まみれになった只造は、引っ掛かった服が遂にちぎれて街道に投げ出され、三台の牛車はどこかへと走り去ってしまった。 「う、ううう‥‥な、何で俺が‥‥こんな目に‥‥」 辛うじて意識のある只造は、さめざめと泣いた。 ● 「沢山食べて下さいね」 「お、おう!」 顔をいびつに腫らし、全身生傷だらけの只造は満面の笑みで茶碗から飯をかき込んだ。 あの後気を失った只造を、近くに住むという女性が拾って介抱してくれたのだ。 「あれに轢かれて、しかも引きずられても元気なんて、本当にすごいですね」 「なあに、こう見えても俺ぁ侠客よ。この程度の怪我でくたばってちゃ、瀧華一家の名折れってもんだ」 得意げに只造は笑う。 女性は、深く溜息をついた。 「もう、あの朧車、本当に困っていて‥‥」 「何でえ、知ってんのか」 「ええ。ここ二月くらい、時々出るんです。夜中に」 只造の茶碗に米を装いながら、女性は顔をしかめる。 「森の木に太縄を渡してみても、変な光の球みたいなのを吐き出して、縄を切っちゃうんです。あの道を走ってるだけで、回りの家に害は及ぼさないんですけど‥‥時々只造さんみたいに、怪我をする人がいて。さすがに、そんな大怪我は初めてですけど」 「なあに、綺麗な姉ちゃんに介抱してもらったんだ、この程度の怪我、あっと言う間に治っちまう」 「もう。上手ね」 女性は只造に茶碗を渡すと、振袖の裾で口許を隠して笑った。 只造の顔が、赤くなる。 「‥‥よし! ここは一つ、俺が何とかしてやるよ。その、オボロなんとかってのをな!」 「え」 女性は目を丸くした。 「む、無理ですよ! 怪我もしてるのに!」 「なあに、何てこたねえよ。早速明日の夜から取りかかるからよ。いいか、ちっと危険な方法を使うからな、辺りに住んでる連中が見物に出て巻き込まれたりしねえように、よーく言い含めといてくれ。下手に見ると、目が潰れちまうかも知れねえ」 只造はだらしなく鼻の下を伸ばしている。 「そ、そんな危ないこと、するんですか‥‥?」 「そうじゃあねえと、あの手ごわい敵ぁ倒せねえからな。いいな、解ったな! 約束だぜ!」 只造は言うが早いか、飯椀を荒っぽく床に置いて家を飛び出してしまった。 ● 「振り袖。つまり、未婚‥‥そして、今回は人助け。これなら、きっとギルドも助けてくれる!」 只造は拳を固く握りしめながら、一人、月に吠えた。 「‥‥来た。俺の時代が、ついに来たぞッ! 誰も見てなきゃ、人の手柄も横取りし放題だぜ!」 |
■参加者一覧
鬼島貫徹(ia0694)
45歳・男・サ
からす(ia6525)
13歳・女・弓
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
千代田清顕(ia9802)
28歳・男・シ
九条・亮(ib3142)
16歳・女・泰
マハ シャンク(ib6351)
10歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ● 「だ、大丈夫なのかよ‥‥」 子供から中年まで年齢も性別もまちまちの、だが例外なく一癖ありそうな面々を見て、只蔵は不安そうな顔を見せた。 身の丈の倍はあろうという大弓を抱え、長いぬばたまの黒髪を獣耳カチューシャで留めた少女、からす(ia6525)が小さく笑う。 「なに、きっちりと仕事はするよ。‥‥しかしながらその女人にそのような事言った手前、漢は見せてもらおうか」 「お、男を?」 「はい。貴方にもご協力願います」 からすの弓に匹敵するほどの異形の巨漢、宿奈芳純(ia9695)が只蔵に刀と盾を一揃え手渡した。 「な、何だよこれ」 「その武器なら朧車とも戦える筈です」 「うおお‥‥凄え‥‥」 反射的に渡された刀「泉水」を抜いた只蔵は思わず声を漏らし、そしてはたと我に返った。 「て、俺も戦うのかよ!?」 「ふん、志体持ちの癖に何もしようとしないのか」 身の丈四尺ほど、白い髪から青みを帯びた角を生やし、厚司織の背から翼、尻から尾を生やした少女が鼻で笑った。袖から覗く手首には刺青が見える。 「な、何もしないわけじゃ‥‥」 「ならばおぬしも戦うのだな」 少女、マハ・シャンク(ib6351)は得たりとばかりに一人頷く。 紫色の瞳を悪戯っぽく光らせ、忍頭巾に鬼面を着けた青年が只蔵の肩を叩く。 「様子を見ておいた方がいいよ。後で誰かに話を聞かれた時に困るだろ」 「む、まあ‥‥そりゃ‥‥あ?」 口の中で呟いていた只蔵だったが、青年の声に何かを感じたか、鬼面をじっと見つめた。 「‥‥あんた、どっかで会ったことねえか?」 「久しぶりだね、えーと、さんしただぞうさん」 青年は鬼面を外し、にっこりと笑いかけた。その顔を見た瞬間、只蔵は凍り付く。 「こっこっ‥‥こっこっこっ‥‥」 鶏のように繰り返す只蔵の肩を、青年、千代田清顕(ia9802)は悪魔の笑みで叩く。 「大丈夫。俺は依頼人には忠実だからね」 先日の諍いで自分に苦無を突き刺した張本人を見て、只蔵の顔から血が下がっていく。 その襟首を、力強い手がはっしと握った。 恐る恐る振り向く只蔵の目に、端から端まで金箔を張り付けた大鎧に身を包む、茶筅髷の男が映る。 「三下が足らん知恵を絞り、不相応な野望を抱く‥‥フハハ、面白いではないか」 只蔵の襟首を掴んで引きずりながら、鬼島貫徹(ia0694)が高笑いを上げる。只蔵はただならぬ凶兆を感じ取り、暴れ始めた。 「だ、誰か! おい誰か、助けてくれ!」 「夜に入り組んだ森道を爆走する牛車ね〜」 金地に黒い体毛の耳と尾を持つ虎の神威人、九条亮(ib3142)が鬼島と肩を並べ、楽しそうに呟いた。 一歩ごとに、藍色の旗袍と厚司織の上からでも解る豊かな胸が揺れ動いている。 「新手の珍走団の様にも思えてくるな〜」 「クハハ、一理ある」 「おい、誰か! この連中、絶対何か企んでるって! おーい!‥‥」 かくして、朧車退治は始まるのだった。 ● 「‥‥きたか」 首に大振りな数珠、背に大猪の毛皮の馬服を掛け、鞍に羽根飾りを付けた霊騎、日高を従えた鬼島が戦斧を担ぎ上げた。 何かを感じるのか、梟や虎鶫も啼かない森の中に、三人の開拓者が立っている。 「丑三つ時なんて、何の捻りもないなあ」 既に暖機を終え、いつでも離陸できる体勢を整えた愛機「紫電」に歩み寄り、亮は肩のショートボウを手に取る。 鞍に提灯を括り付けた青鹿毛の霊騎、駈蓮の首筋を一撫でして、清顕は鐙に足を掛けた。地鳴りにも似た音がどこからともなく聞こえてくる。 「後ろ‥‥では、なさそうだな」 日高に跨って鬼島が呟くと、清顕の髪と駈蓮のたてがみが風になびいた。 次の瞬間、空気中から析出されるかのごとく道に三台の朧車が現れ、道を疾走し始めた。 二人は同時に馬腹を蹴り、朧車を追って走り出した。二騎の身体から発せられる淡い光が、森にわだかまる闇へと見る間に消えていく。 「ちょ、ちょっと、ボクを置いてかないでよ」 亮が慌てて紫電に飛び乗り、宝珠を起動させる。 「行くよ紫電!」 機首が持ち上がり、短い直線になった街道を紫電が急上昇していく。亮の髪と尾の金色が、夜空に躍り上がった。 夜空を切り裂いて紫電は二度機体を傾け、曲がりくねった道を疾駆する日高と駈蓮の提灯の明かりを捕捉する。 極端に曲がりくねった道を、二騎は左右に身体を倒すようにしながら疾駆していた。 少し進んだ先で道は直線になっている。亮はその直線に沿って紫電を滑空させながら両手を離し、ショートボウを構えた。 紫電は亮の制御を離れ、慣性による滑空を始める。朧車が直線に差し掛かった瞬間、亮の手から二条の銀光が放たれた。 矢は前簾と上葺を射抜き、屋形の中へ飛び込んだ。途端、中怨嗟の声の合唱が漏れ出し、その前簾がじわじわと上がっていく。 中には、人の亡霊らしきものが所狭しと肩を寄せ、ひしめき合っている。その一体が何者かに引きずり出され、屋形の入り口で丸められた。 「うわわ」 次の瞬間、亡霊が紫電目掛けて猛然と射出された。 咄嗟に亮は紫電の機首を上げながら翼を傾け、急上昇から一気に急降下へと移る。 だが霊拳「月吼」を填めた亮は、すぐに自分の誤算に気付いた。横一列で道一杯に広がり走っている朧車の間に、滑空艇を入れる隙間がない。そうこうしている内に、再び朧車の簾が上がる。 瞬間、 「ファラク! 来たぞ! 止めろ!」 叫び声と共に、分厚い鎧の如き鱗に覆われた龍の巨体が道へと飛び出す。 巨体から放り出された人語ならざる悲鳴をよそに、ファラクは首を曲げ、左の翼についた爪を翳して、右端を走っていた朧車に肩から激突する。 二本の轅(ながえ)が瞬時にたわみ、半ばから折れ、宙へと弾け飛んだ。朧車の車体に激突され、ファラクは苦痛と怒りに絶叫を上げる。折れ残った轅が足に突き刺さっていた。 だが、ファラクは退かない。僅かに足を地面にめり込ませながらも朧車を食い止める。回転する車輪は、虚しく地面を削るばかりだ。 「よくやった! 後は任せろ!」 遠ざかっていく悲鳴と二台の朧車、そしてそれを追う二騎をよそに、ファラクの鞍を蹴ったマハは尾と翼を巧みに操って体勢を整えながら、停止した朧車の上に飛び乗る。 その細い足が上葺に触れると同時に、朧車の車体が傾いた。霊魂の弾丸を受けて傾いた紫電を体重移動で操りながら、軸と車輪を繋ぐ輻(や)と呼ばれる棒を射抜いたのだ。 更に続けて、朧車の棟がへし折られた。上葺を撃ち抜いたマハの拳が引き抜かれ、どす黒い瘴気が月明かりの下に噴き上がる。 月が翳り、闇のわだかまる道に、金色の影が舞い降りた。影は獲物を追う虎の如く朧車に襲いかかり、鋭い破裂音を響かせる。 両手を合わせた亮に、両腕と下半身の力、上半身の捻りを一点に集中した頂心肘を叩き込まれ、朧車の車体右側が完全に地面に着いた。 「亮! グライダーはどうした」 棟を破壊し終え、森と朧車の間に飛び降りたマハが叫ぶ。 「飛び降りてきた! すぐ拾うよ!」 亮は後方へ跳躍して霊魂弾を避けると、まるで踊るように朧車の脇へと跳ね戻っていく。 「ね、マハ。ボクの記憶が正しければさ、只蔵ってマハの後ろに乗ってなかった?」 「ああ、取り敢えず朧車の前に放り出しておいた」 マハは車軸に渾身の突きを叩き込んでへし折ると、さらりと答える。 「‥‥マジで?」 「味わってもらわねばな。‥‥利用するものはそれ相応のリスクがあるという事を」 マハは動けなくなった朧車の窓に拳を打ち込みながら、含み笑いを浮かべる。 両方の車軸を破壊され、ファラクに袖と眉を食い千切られた朧車は、遂にその動きを停止した。 ● 夜闇に溶ける黒漆の鞍、そして龍の頭蓋骨を頭部に装着した霊騎、芳純の越影が森の中を疾駆する。 それを追うようにして朧車二台が夜の森を疾駆していた。 「と、止まれ! 止まれって!」 牛車の眉と呼ばれる部分に掴まった只蔵は、恥も外聞もなく泣きながら「泉水」を突き立てている。 と、朧車の後方から涼やかな声が響いた。 「喰らいつくぞ駈蓮!」 それに応え、駈蓮が高いいななきを上げ猛然と朧車に追いすがった。撃ち出される霊魂弾を凝集の篭手で叩き落とし、駈蓮の蛇行で躱しながら、清顕の手が揺らめいた。 途端、朧車の後簾がぱっくりと口を開き、中から瘴気が噴き出し始める。漆黒の手裏剣が、屋形の中に飛び込んだのだ。 朧車は激しい蛇行を始めた。只蔵はとても片手一本で捕まっていられず、突き刺した刀を手放して両手で朧車の眉に掴まる。 先行する芳純の手に握られた達磨の口から、白い粒状の物質が噴出した。白い粒は瞬時に道の中央から左半分を覆って寄り集まり、そそり立つ白い壁になる。 結界呪符「白」だ。左側を走行していた朧車は即座にそれを避けようとするが、隣の朧車に体当たりをするばかりで進路の変更ができない。体当たりを受ける度に振り落とされかけ、只蔵が悲鳴を上げる。 爆音と共に朧車が白壁に激突し、ものの見事に横転した。 朧車に追いつき、忍刀を翳していた清顕は咄嗟に騎首を返して激突を回避した。慣性に身体が引っ張られる勢いを利用して、空回りする車軸を斬り飛ばす事も忘れない。 だが両手を手綱から離して戦斧を振るおうとしていた鬼島は、斧を背に戻す暇すら与えられなかった。 「日高、飛べい!」 鬼島の大音声、そして体重移動と太腿の締めに応え、日高の身体が闇夜へと飛翔した。 ただの馬では決して一足には飛べないであろう巨大な障害物を、日高は蹄をぶつけながらも飛び越える。 「千代田、そちらは任せた!」 「了解」 清顕の紫色の瞳が笑い、悲鳴を上げる只蔵が捕まった朧車と、追う鬼島の金色の鎧を見送る。 その間に轅を上下に振り、勢いを付けた朧車が器用に起き上がろうとした。 「追いかけっこはそろそろ終わりだよ」 清顕は言い、逆手に握った忍刀を窓越しに屋形の中へと突き刺した。眉一つ動かさずに中を抉り抜き、引き抜く。 駈蓮を走らせながら、影縛りの印を切り終えていたのだ。提灯に照されて生まれた駈蓮の影に幾つもの穴が生まれ、地面に広がる網となって朧車の下に広がっている。 それでもなお起き上がろうとする朧車に飛び乗ると、両手で逆に握った忍刀を窓越しに突き込んでいく。 と、清顕の視界に芳純の巨躯が入ってきた。馬に乗っていても普段と変わらぬ程の身の丈がある。 芳純は冷めた目で朧車を見下ろし、囁いた。 「蝕め」 芳純の持つ達磨の口が、微かに蠢き始める。 瞬間、朧車の車輪がぴたりと止まった。 「え?」 更に斬りつけようとしていた清顕が、不吉なものを感じて手を止める。 ひしめき合う怨霊達が微かな悲鳴を漏らし、朧車の屋形が、短く断続的に、小刻みな震動を始めた。 「え?」 清顕は忍刀を構えたまま、攻撃が来るのか、それとも芳純が攻撃をしているのか、判断をしかねている。 怨霊達が、悲鳴とも悦楽ともつかない異様な声を発しながら、小さくなっている。いや、床よりも更に下の「どこか」へと、引きずり込まれていく。 数秒の後、朧車の震動が終わり、闇夜に静寂が戻ってきた。 「え?」 清顕が覗き込むと、既に朧車の中には何もいなかった。瘴気は霧消し、車輪もぴくりとさえ動いていない。 「‥‥芳純さん、何をやったんだい」 「お気になさらないことです」 芳純は騎首を巡らせ、只蔵の悲鳴が聞こえる方向へ越影を進めていく。後方から、足に包帯を巻いたファラクと翼の傾いた紫電が追いついてきた。 清顕は、確かに見ていた。芳純がそそくさと懐にしまった達磨人形の口が、確かに耳までつり上がっているのを。 ● 暗黒の森の中、紅い光点が四つ、滑るように移動している。 否、それは瞳だった。からすの大きな紅い瞳が二つ、そして乗騎の赤い瞳が二つ。良く見れば淡く青い光がそれに追従するように闇を横切っている。からすの愛騎、深影だ。 「深影、『先行持続』。無理はするなよ」 くぐもった声でからすが言う。 そして、 「だから嫌だったんだああああああ!」 涙と鼻水で顔を濡らしながら、只蔵は死に物狂いで朧車の眉に捕まっている。簾は既に無くなっており、霊魂達が苦悶の表情のままひしめき合っていた。 「しかし、本当に放り出すとは」 からすは呆れ顔で呟く。 深影が右へ、左へと曲がる。からすは自らが直線を抜ける所で朧車が直線に差し掛かるよう深影の速度を調整し、敵影が見える度に強弓を放っては角へと消えていた。 安息流騎射術と狩射との併用により、からすの強弓は朧車の簾を分解し、中の霊魂にも相当な深手を負わせていた。 その幾らか後方で、鬼島の異形の戦斧が、虫の羽音にも似た唸りを上げて大地を擦る。 「道をふさぐな、この行儀悪のアヤカシ連中がッ!」 唸りは瞬く間に轟音と化し、衝撃波となって大地を引きちぎりながら朧車に肉薄する。 鬼島の地断撃は、眉に捕まっている只蔵の服を引きちぎりながら中の亡霊達を消し飛ばした。 「‥‥ちっ」 「おい! 今舌打ちしたよな!? おい!? 只蔵の袴は、既にびっしょりと濡れている。鬼島は顔色一つ変えずに再び斧を構える。 「誰か! 誰か、誰かあのおっさんを止めてくれ! 殺される!」 「そう騒ぐな」 からすが呆れ顔になり、口に咥えた矢を「流逆」の弦に番える。 本来ならば左方向にしか撃てない大弓だが、変則的な弓の握りと子供特有の驚異的な身体の柔軟性とで、からすは後方へと鏃を向けて引き絞った。 「今下ろして差し上げる‥‥荒っぽくなるが」 弦音を響かせて銀光が暗闇を射抜き、只蔵の袖を射抜いて後方へと消える。からすは小さな唇を愛らしく尖らせた。 「暴れると死ぬぞ」 「お、俺を狙っただろ!? 俺を狙ったよな!?」 「勘違いをなさるな。眉を射て切り離すだけだ‥‥深影、右」 直線に差し掛かった深影は、急激に走る方向を転換した。一瞬前まで深影のいた場所を、霊魂弾が撃ち抜く。からすは上半身だけで瞬時に振り返り弦を引き絞った。放たれた矢は、過たず眉の端を切り裂く。 すでに風化していた眉は只蔵の体重を支えきれなくなり、布の裂ける音と布を裂く様な悲鳴が暗闇へと消えていった。一瞬の後、茂みを薙ぎ倒す音が返ってくる。 「邪魔者は下りたぞ、鬼島殿」 からすは小さな顔に浮かぶ表情を微動だにさせず、暗闇の向こうを走る鬼島に声を掛けた。 「そのようだな」 鬼島は犬歯を剥き出して笑い、日高の馬腹を蹴った。 乗り手の意志を汲んだ日高は猛然と地を蹴り出す。鋭角に蛇行をすることで後簾からの霊魂弾を躱し、或いは強引に突っ切りながら、見る間に霊魂弾の向けられない朧車の横につける。 朧車は更に車輪の回転を上げようとしたが、鬼島は背の戦斧を取ると玩具のように軽々と振り回し、後方から前方へと渾身の力で車輪に叩き込んだ。 木片を撒き散らしながら車輪が吹き飛び、地面に落ちた床の右側を支点に二回転する。回転する轅に巻き込まれそうになりながらも、日高は縄跳びの要領で一回転目でその場に跳躍し前方へと駆け抜けた。ただの四歩で足を止め、切り返し、停止した朧車の前へと騎手を運ぶ。 雷鳴のような音とともに、屋形の上葺から床までが両断された。屋形の中でひしめき合っていた霊達がおどろおどろしい怨嗟の声を上げる。 その合唱を掻き消すかの如く、女性の金切り声が森に木霊した。 「自ら轢いた者達の怨みを知る事だ」 からすの響鳴弓だった。練力により大音響を封じ込められた矢が放たれ、朧車の車体に耳をつんざく音波を流し込んだのだ。床の上でひしめいていた霊魂達が頭を抱え、砂糖に水を掛けたかのように蒸発し消滅していく。 数秒後、更なる鬼島の地断撃、からすの響鳴弓とを浴びて、朧車はただの朽ち木の残骸と化していた。 ● 「な、何で俺がこんな目に‥‥」 片手と片足だけを使って只蔵が茂みの中から這い出てきた。 その目の前に、白髪を風にたなびかせたマハが仁王立ちしている。 「他人に全てを任せ、ソレを我が物にしようとした罪は重い」 だが、だく足で現れた鬼島は馬上で小さく笑った。 「良いのではないか。女をくどく材料に使う程度であれば、誰に迷惑をかけるでもなし」 「だが調子に乗れば自ら災厄を呼び込む事になる」 同じく前方から近付いてきた黒い騎影、からすが、弓を背に戻しながら言った。 只蔵は痛みを堪えつつ、むすっと黙り込む。 と、近付いてきた馬蹄の音が止まり、一行よりも頭一つ高い所から芳純の整った顔が覗いた。 「‥‥何だよ。あんたも説教か」 「解釈はご自由ですが」 芳純は涼しい顔で只蔵の言葉を受け流し、続ける。 「只蔵さん。貴方の周囲に自慢話ばかりする者がいたらその鼻柱をへし折りたいと思いませんか?」 「そ、そりゃあ‥‥」 「それが貴方が手柄を独占した時の周りの反応です」 只蔵は、それでもどこか納得のいかなそうな顔で下唇を尖らせる。 「そうだろうけどよ‥‥そんなもん、運が良かったならそれでいいじゃねえか‥‥」 「あと確か影政でしたか? その人が他人の手柄を素直に喜ぶ人物だと思いますか?」 「え」 言われ、只蔵はぎょっと目を剥いた。 「策を弄し、貴方を汚れ仕事の捨て駒にすると思いますよ」 「え?」 思い当たる節でもあるのか、只蔵はおろおろと開拓者達の顔を見比べる。誰もが一様に当然といった顔で只蔵の濡れた顔を見下ろしていた。 芳純は、淡々と続けた。 「貴方を助けた女性と周辺の住民達を今後も守る事は貴方にしかできません。退治の経緯を正直に話した方が巡り巡って貴方自身を守ると思いますが、判断はお任せします」 ● 「‥‥そんなわけで、俺はそんなに役に立たなくてよ」 すっかりむくれ顔のまま、三角巾で腕を吊り、添え木で足を固定した只蔵は言った。 「いや、俺達の中でただ一人朧車に飛びついて、刀を突き刺したり。ちゃんと戦ってたさ」 苦手意識を抱いている只蔵に嫌がられつつも、強引についてきた清顕が笑顔で補足する。 嫌がらせの一つもしてやろうと思っていたのか、同じくついてきた亮は、清顕の言葉に不満顔だ。 だが清顕は清顕で、女性を見て違和感を抱いていた。普通、こんな森の傍にうら若い女性が一人で住んでいるものだろうか、と。 女性は大げさに振り袖で口を隠し、目を丸くする。 「やっぱり危ないことをなさっていたの!? 私のために‥‥」 感動のあまりか、女性は只蔵の腕にしがみついた。途端、只蔵の顔が赤くなる。 「い、痛えよ‥‥いや、あんな物騒なもんがうろついてちゃ‥‥な?」 「嬉しい! 私、嬉しいです!」 言いながら、女性は只蔵に身体を押しつける。 瞬間、只蔵の身体は凍り付いた。 「く‥‥九条さん‥‥つったっけか」 「ん?」 亮は眉をひそめた。本来なら更に顔を赤くして良いはずだが、先刻までの赤らみっぷりはどこへやら、只蔵の顔は青ざめている。 「‥‥つ‥‥ついてる」 「良かったじゃない」 「こいつ‥‥ついてる」 亮は、瞬きをした。 「あら。だって私、自分が女だなんて一言も言った覚えはありませんわ」 「あー‥‥」 亮は事の次第に気付くと、いそいそと座布団から立ち上がった。清顕もまた、それに続く。 「さんしただぞうさん? それじゃ、お幸せに」 「待った! 今までの事は全部水に流す! 頼む、見捨てないでくれ!」 「さんしたさんっておっしゃるの? そんなに嫌がられたら‥‥私、余計に燃え上がってしまいます」 女性、もとい男性はしっかりと只蔵にしがみつき、折れた腕と足にしがみついている。 「こいつ、絶対に何か企んでる! 何か企んでるって!」 「まあ、何だ‥‥」 清顕は、縋り付いてくる只蔵の肩をぽんと叩いた。 「あんた、俺達に弱みを握られることになりそうだね」 「な、何で俺がこんな目にぃぃぃ‥‥」 響く悲鳴を余所に、清顕達はそそくさと街道へ戻っていった。 |