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■オープニング本文 ※下に書いてあるいたずらは、あくまでもお話です。よい子はぜったいにまねをしないで下さい。 ● 「あーあ、長屋暮らしは良かったなあ、皆仲良くってさあ」 振り袖をぶらぶらと遊ばせ、石庭を眺めながら少女はぼやいた。 「あーもう、外に出たいっ! みんなと遊びたいっ! またカカシを町の外の松に釣って首つり騒ぎを起こしたいっ! 爆竹を瀬戸物屋に放り込みたいっ! 湯屋で男湯の壁に穴空けて、近所のバカから金取りたいっ!」 「お杏さま!」 杏と呼ばれた少女は跳び上がった。 「今何とおっしゃいました! ゆ、ゆ、ゆ‥‥」 振り袖姿に小さな丸髷姿の女性が、顔を真っ赤にして立っている。杏は軽く手を振った。 「や、ジョークジョーク」 「そ、そのようなはしたない冗談を、口にするものではありません!」 「いいじゃん、別に減るもんじゃなし」 「そういう問題ではありません!」 女性は取り出した扇子で、杏の手を思い切りはたこうとする。が、敢えなく空を切った。 「だからさあ、あたしゃ長屋暮らしがあってるんだって。何でこんな馬鹿娘が、こんなとこでお嬢様気取ってなきゃいかんの?」 幾度となく振り下ろされる扇子を、逐一ぎりぎりで避けながら杏は顔をしかめた。 軽く息の上がった女性は、扇子で自分の足を打って叫ぶ。 「妾腹とは言え、大殿様のお嬢様だからです! 大殿様のお優しいお心を何だと心得ます! 大殿様はずっと貴方のお母様を探して‥‥」 女性の小言が始まった。 杏は右の耳に小指をつっこみほじくっていたが、その指先に付いた耳垢を見て目を丸くした。 「お、デカい」 「でかいじゃありません! 聞いてるのですか!」 「聞いてるって。ほらこの通り、耳の穴かっぽじりながら」 女性は茹で蛸のように真っ赤になり、地団駄を踏んだ。 「そのような事で、新沢家の一員がつとまると思ってるのですか!」 「だからさあ、つとめたくないから、もうこの家から出してくんないかなあ。あたし、肉屋で客呼んでる方が性に合ってるって」 「お杏さま!」 一層激しくなった小言に、うんざりしながら杏は嘆息した。 ● 「あれ?」 着流しの割にまるで色気を感じさせない姿で、風呂敷包みを抱えた杏が、不思議そうに辺りを見回している。 「おーい、ドナルド? どこ行った」 待ち合わせの場に居なかった事のない恋人の姿を探し、杏は川原を歩き始めた。 「おーい」 「町を出てもらうことになった」 その背に男の声が掛けられ、振り向いた杏は仰天した。 「げ!?」 出てきたのは、紋付き袴に大小二本差しの、二十代後半と見える茶筅髷の男だった。顔立ちに杏とどこか似通った所がある。 男が手を上げると、二人の男が縄を手に現れた。その縄の先端は、縛り上げられた青年に繋がっている。 金髪に鳶色の瞳、そして白い肌。一目でジルベリア人と解る風貌だ。感情を押し殺したその顔から、考えている事を読み取ることはできない。 「全く、お杏。どこの馬の骨とも知れない者とあまり親しくするな。私の風聞に傷がつく」 「‥‥バレてたか」 「露見するも何もあるものか」 ばつが悪そうに舌を出した杏に、茶筅髷の男は険しい顔をする。 「ああもおおっぴらに手を繋いで下町を歩かれては、私としても黙ってはおれん」 「いいじゃん別に。何、兄貴もドナルドと付き合いたかったの」 「馬鹿者!」 兄‥‥正確には異母兄は、顔を赤くして怒鳴った。 「私に衆道の気はない!」 「またまた、照れちゃってー。第一、たかだか一介の旗本が風聞って、お前」 「お前ではない! 旗本にも体裁というものはある! ‥‥全く、これだから下賤な女から生まれた奴は」 刹那、異母兄の両足を白い足が前後から挟み込んだ。 絵に描いたようなカニ挟みを受けた異母兄は、見事背中から地面に叩きつけられる。 「おっとカニ挟みが決まったあ」 杏は異母兄の右爪先を捻って右脇に抱え込み、踵に右腕を掛け、自分の右手首を左手で抱えた。異母兄の右足を両足で挟み、軽く後ろに倒れ込む。 「これは危険なヒールホールド、杏の勝利は秒読みだあ。‥‥で、オフクロが何だって?」 より技に入りにくい内ヒールで右膝を完璧に極めながら、杏が聞いた。ただの娘に見えるが、志体持ちなのだ。 「と、殿!」 護衛の二人が飛びつこうとした瞬間、 「近寄ったら壊す!」 杏の目は、全く笑っていない。護衛達は慌てて踏みとどまった。 「ま、参った、参った、お杏、参った」 異母兄が悲鳴を上げる。 「じゃ、まずドナルドを離してもらおっかな」 「べ、別に何をしようというわけじゃない、ただ町を出てもらうだけ‥‥」 「膝壊されるかドナルド離すか、3カウント。OK? いち、にの、さ‥‥」 「離す! 離すーッ!」 異母兄は絶叫し、ようやく杏の手が止まった。 「‥‥お殿様はそう言ってるけど?」 杏に言われ、護衛達は顔を見合わせる。が、杏の身体が更に数cm後ろに倒れ込んだのを見て、慌ててドナルドの縄を解きにかかった。 漸く解放されたドナルドが、杏の肩を叩いた。 「やりすぎだって、杏」 「こんな腰抜け、アヤカシと戦いもしないんだから、いいじゃん別に。足の二三本壊したって」 不満げに言う杏の手を、ドナルドの手が解いた。 慌てて杏から距離を取った異母兄が、護衛の後ろに隠れてドナルドを指差す。 「だ、だがな、お杏、その男の追放は一族の評定で決まったことだ。お前もいい加減に女らしくなって、嫁入りの修行をするんだな」 「んだと?」 こめかみに青筋を浮かべた杏が一歩踏み出すと、異母兄達は慌てて逃げ出していった。 三人が見えなくなると、ドナルドが溜息混じりに言った。 「そういう、ことらしい」 「何、あんた、黙って出て行く気?」 「‥‥まさか」 ドナルドは不敵に笑った。 その手には、異母兄のものと思しき家紋付きの印籠が握られていた。 「幾らで売れるかなー」 「あんた、ひょっとしてそのために捕まってたわけ?」 「そりゃそうだ。あんな縄、抜けようと思えば3分で抜ける」 二人はニヤリと笑い合った。 「それじゃドナルドさん、そろそろ行っちゃいますか」 「行っちゃいますか」 二人は軽く手を打ち合わせた。 「イエーイ」 |
■参加者一覧
崔(ia0015)
24歳・男・泰
リン・ヴィタメール(ib0231)
21歳・女・吟
藍 玉星(ib1488)
18歳・女・泰
禾室(ib3232)
13歳・女・シ
東鬼 護刃(ib3264)
29歳・女・シ
桂杏(ib4111)
21歳・女・シ
カメリア(ib5405)
31歳・女・砲
匂坂 尚哉(ib5766)
18歳・男・サ |
■リプレイ本文 ● 「松」 「案山子、アル。風呂屋」 「覗き」 屋根の上で、押し殺した声が交わされる。 粗末な作務衣に綿入れの布子を着た杏は、驚きを隠しきれない顔で目の前の少女を見ていた。 「まさかここで待ってるとは思わなかったなあ」 鎖帷子を用いた装飾性の高い蘭華鎧を着、その上に綿入れの布子を羽織った少女、蘭玉星(ib1488)は微笑んだ。昼間の内に、ドナルドから杏の普段着を聞いておいたのだ。 「あたしが警護を引きつけとくアル、東へ行くネ」 「サンキュ! あんた、名前は?」 「わざわざ名乗るもおこがましいアルが、藍玉星」 玉星は右手で左の拳を包む拱手の礼を送る。きょとんとした杏が見よう見まねで左手で右拳を包み礼を返すと、玉星は人差し指で杏の額を突いた。 「女の子は右手で左拳を包むアル。逆は凶事の時と、本気で闘る時ね。‥‥さ、あたしの仲間が下で待ってるから、行くアル」 「恩に着るよ!」 杏は玉星にウィンクを送り、屋根を東へと降りていく。 玉星は杏が普段屋敷を抜け出す表門への道を駆け出した。松の枝に飛びつき、わざと小さな音を立てて白い土塀の屋根に降り立つ。 「‥‥いたぞ! 表だ、捕まえろ!」 「いつも通りの道かよ! 逆に裏掻かれたわ!」 怒鳴り声が、屋敷の西側へと集まっていく。 玉星は、わざとゆっくり路地を走り出した。 手の者の多くが去っていったのを見計らい、屋根から音もなく飛び降りた杏は、猿のように松の木を登って、松葉に隠してあった鉤縄を投げて隣の屋敷の塀に移る。 軽々と地面へと降り立ったその足下に、小指の先ほどの小石が落ちた。 「‥‥風呂屋」 「覗き、とな。松」 「案山子」 応える杏の前に、被衣を頭に掛けて艶霧衣を着た、六尺近い身の丈の女性が現れた。東鬼護刃(ib3264)は符「幻影」を口に当ててくすりと笑う。 「若人の恋路ははやりこうでなくてはのぅ」 「あんたが杏か。追っ手にも怪我させたくはねぇからな。泥仕合になる前に逃げ切ってくれよな」 木刀を大紋の腰に差し、ロングコートを頭に被って顔を隠した青年、匂坂尚哉(ib5766)が頭を掻き回した。 「だーいじょぶ。任せて」 杏は笑うと、綿入りの布子の前を掻き合わせた。 旗袍の胸元に射抜かれた林檎のメダルが光る眼鏡の青年、崔(ia0015)が進み出る。 「夜中に全力疾走も目立つんでな、役者不足で済まねえが、逢い引き装って構わね?」 「OK」 杏が答えた途端、複数の足音が、四人に向かって近付いてくる。崔が杏に、尚哉が護刃の隣に寄り添った。 「わしとは一寸の縁じゃが、ドナルドと離れ難き縁紡げるようにのぅ」 「へへ」 杏は得意げに鼻の頭を擦り、護刃に右手を差し出した。二人は、しっかりと手を握り合う。 「さ、行った行った。後は俺達に任せてな」 尚哉に急かされ、崔と杏は西へと走り出した。 「さあて。それでは」 護刃は隣に立つ尚哉の腕をそっと取り、両腕で抱き締めた。尚哉は、思いも寄らぬ柔らかい感覚に立ちすくみ、身体を強張らせる。 「どうした?」 悪戯っぽく笑った護刃は、更に強く尚哉の太い腕を胸元に挟み込む。 「ほれ、行くぞ」 微妙に前屈みになりながら、被衣を纏った護刃の手を引き、尚哉が早足に歩き出す。護刃は悪戯っぽく笑うと、前を歩く尚哉の尻を叩いた。 「男なら、しゃんとせい」 「お‥‥おお‥‥」 尚哉は腰を引いたまま胸を張った、家鴨を思わせる姿勢で護刃の隣を歩く。護刃は必死で笑いを噛み殺した。 ● 町のあちこちから、騒ぎが聞こえてくる。 苛立ちを隠しきれない茶筅髷の男、杏の異母兄は言った。 「二手に分かれろ。数ではこちらが圧倒的に上なのだ」 『はっ』 傍に控えていた追っ手達は、一斉に立ち上がった。 その時だった。 「きゃ〜ぁぁぁ、泥棒、です〜」 若い女性の悲鳴が上がった。 今まさに走り出そうとしていた追っ手達が動きを止め、顔を見合わせた。 異母兄は一瞬迷いを見せたが、 「‥‥五名、あちらへ行け。他の者は杏を探すのだ」 「はっ。おいお前達、行くぞ」 追っ手五名が、悲鳴のした方向へと走っていく。 数分後、視界に飛び込んできた女性の姿に、男達は息を呑んだ。 横座りで小刻みに震えているその女性は、浅葱色の耳飾りに正絹の髪留めを付け、黒い帯を締めていた。勿忘草と兎が描かれた若竹色の振り袖の裾から、夜目にも白いふくらはぎが覗いている。 「‥‥ど、どうしたのだ。安心せよ、我々がついておる」 きりりと顔を引き締め、追っ手の一人が女性、カメリア(ib5405)の隣に膝をついた。 カメリアは頬に涙を伝わせ、追っ手の羽織りをひしと掴んだ。 「怖かった、のですよぅ」 「うむ。何があった」 カメリアの大きな茶色い瞳が、涙を浮かべて男の視線を捉える。 「人とぶつかって‥‥そしたら、宝石が取られてました。黒い人影が‥‥ふたつっ」 「この騒ぎに乗じて、盗人か! 許せぬ!」 後ろに控えた男が声を上げ、他の男達がそれに同調する。 「まさか、あのドナルドとかいう男では」 「それやも知れぬ! 今すぐ取り返してきてやる。どちらへ行った!」 「あっちの方に‥‥行きました、です」 「よし行くぞ!」 『応!』 四人が、全力で路地を掛けていく。 遠ざかる足音を聞きながらカメリアはけろりと立ち上がり、裾に付いた砂を払った。ドナルドの待機地点とは反対方向へ歩いていく。 「‥‥あの子達にも‥‥こういう事が出来たら、よいですのに」 憂いを帯びた声で呟きながら、その姿は夜闇へと消えていった。 「そこの女‥‥そこで何を‥‥」 「にゃんこさん、迷子になっちゃったですよぅ‥‥」 ● 町の南。 「な、な、な」 追っ手達は絶句した。 視界の奥には、輪郭の曖昧な白い帽子をかぶり振り袖を着た、細身の女性が歩いていた。薄闇に紛れて見えないが、どうやらフルートを吹いているようだ。それはいい。 問題は、そこに至るまでの道だ。三毛、虎、雉虎、白、黒、斑、錆、町中からかき集めてきたのではないかという猫の大群が道を覆い尽くし、女性の跡について歩きながら甘い鳴き声をあげているのだ。 その中のいくらかは、地面に寝転がり、背を地面にこすりつけるかのようにのたうって手足をばたつかせている。またたびか何かで酔っ払っているようだ。 女性、リン・ヴィタメール(ib0231)の奥には杏と思しき人物がいるのだが、そこに辿り着くためにはこの猫の海を突っ切らねばならない。下手に踏みつければ、足が血まみれになる程度では済まないかも知れない。 リンは、彼女について歩く猫達のように小さな口を愛らしく曲げ、くすくすと笑った。 「だって、恋の季節やもんね?」 猫達は、恋に酔い、リンの奏でる旋律に酔いしれ、またたびに酔っ払い、もはや何が何だか解らなくなっているようだ。あちこちで喧嘩が起き、あるいは雄同士、雌同士でのし掛かり合い、求愛し合うものさえいる。 「こ、これ、行くのか」 「‥‥二手に分かれよう。迂回する者と、これを突っ切る者と」 「よし」 半数が散開したのを見届けると、残る半数の追っ手が猫の海を見渡し、恐る恐るそこに足を踏み入れる。 「あだっ!」 追っ手の一人が猫の尾を踏みつけ、怒った猫に足を引っ掻かれる。そこから連鎖反応的に男達は猫の足や尾を踏みつけ、恋路を邪魔され、或いは取り敢えず何かに狂乱の矛先を向けたい猫たちの逆襲に遭い始めた。 同時に辺りの空気が軋み、リンの進行方向で家鳴りの音が響く。 杏と思しき女性が、渾身の力で高く上げた足を振り下ろしたのだ。物陰から躍り出た追っ手達は、足裏から脚を通り臓腑を震わせる衝撃を浴び、ものの見事にひっくり返る。 「見送り‥‥は難しいアルかな」 呟き、杏の偽者、玉星は立ち上がろうとする男の顎を拳で揺らし、昏倒させていく。 猫の海の前で二手に分かれた男達が、玉星の前に現れた。途端、 「おい、こっちじゃないらしいぞ!」 追っ手の一人が叫ぶ。 「逢い引きの二人組が見てたらしい! 北だ!」 「‥‥くそ、こっちは囮か! 急げ!」 追っ手達は一斉に玉星の前を離れ、北へと走り出した。 逢い引きの二人とは、恐らく尚哉と護刃のことだろう。リンと玉星は、にんまりと笑いあった。 ● 「‥‥そこの、止まれ!」 鋭い声が背に掛けられ、二人連れが足を止めた。 「そこの女、顔を見せろ」 言われた女は、恥ずかしそうに顔を伏せる。隣の男が顔を近づけて何かを囁こうとした瞬間、女の足が男の爪先を踏みつけた。 「‥‥何をしている」 反射的に仰け反った眼鏡の男に、追っ手は声を掛ける。 「た、他意はないって‥‥」 薄く涙を浮かべた崔に、女、杏は片手を立てて謝った。 「悪りぃ、反射的に」 「い、居たぞ! 杏様だ!」 崔は肩に巻いた七節棍を掴んだ。追っ手は六尺棒を構え、崔の眉間目掛けて振り下ろす。 七節棍が突き出された棒を絡め取り、持ち上げた。 一瞬の力比べ。 力で勝てないと察した男が逆に棒を振り上げた瞬間、崔は一瞬だけ力を緩めた。大上段に振り上げられた棒を、渾身の力で引く。 棒の先端は弧を描き、男の背中に貼り付いた。 「あ、あれ」 背に貼り付いた棒を振り下ろす事も横にずらす事もできず、狼狽える男の脛を、理穴の足袋に覆われた崔の足が踏み抜く。 弁慶の泣き所を痛打された男は声を出すことすらできず、その場に崩れ落ちた。 辺りから、足音が近付いてくる。杏の手を引き、崔は走り出した。 「行くぞ」 既に昼間、仲間が調べた町の地理は頭の中に叩き込んである。 「ドナルドの待っている場所まで、もうすぐだ」 ● 「お助け下さい、御願いします」 「な、何だ、どうした」 泥棒を追って先頭を走っていた男達が、ふらふらと歩み寄ってきた女性の身体を受け止めた。 華やかではないが、しかし気品の漂う顔立ちと物腰。緑色の帯に薄萌葱の振り袖。薄化粧と僅かにほつれた結い髪が、清楚ながら仄かな色気を帯びている。 桂杏(ib4111)だった。 「物盗りが‥‥どうか捕まえて下さい」 「物盗り! それは、どのような!?」 「天儀の人間ではないと思います。黄色というか、琥珀のような色の髪で‥‥背が高くて、赤みがかった白い肌をしていました‥‥」 男達は顔を見合わせた。 「それは、二人組であったか?」 「そういえば‥‥」 はっと桂杏は顔を上げ、一瞬考える。 「若い女の人も見ました。あの人も仲間だったのかも知れません」 「間違いないな‥‥あの二人、町を出るに当たって、旅賃代わりに盗みを働くとは!」 「お嬢さん、その二人組はどちらへ」 桂杏は、男達の進行方向をそのまま指差した。 「案ずるな。必ずや奪われた物は取り返して見せる」 「御願いします」 男達は、更に勢いを増して駆け出した。 それを見送った桂杏は、人差し指を顎に当て、そっと溜息をつく。 「‥‥この人なら、って思えるような人に巡りあう日が私にも来るのかな?」 次に騙す相手を探し、桂杏は歩き始めた。 程なくして、その背に鋭い誰何の声が掛けられる。 「おい、女! そこで何をしている」 「! 丁度良かった、お助け下さい!」 弾かれたように振り向いた桂杏は、角を曲がって暗がりから現れた男に小股に駆け寄った。 「連れが向こうで乱暴されているんです」 「‥‥な、なんと、それは」 桂杏の白いうなじを見て唾を飲み込んだ男は、頷く。その周囲に、人は居ない。 「ぼ、暴漢か? 酔っぱらいか」 「それが‥‥」 桂杏の白い指が、そっと男の親指を握る。 男の手がくるりと返り、捻られた。まるで操り人形のように男の身体は空中で半回転し、頸部から地面に墜落する。 「そのとき兄様はどんな顔するんだろう」 悶絶する男を締め落としながら、桂杏は溜息と共に呟いた。 ● 「まだ捕まらんのか」 どぶ川の傍、爪先で苛々と地面を叩いていた異母兄は、傍に控える配下を囁き声で叱責した。 「申し訳ございませぬ」 「早く捕らえよ。相手はたった二人ではないか。もうここは良い、お主も行け」 配下の男は深々と一礼を送ると、夜闇へと消えていった。一人残った異母兄は、落ち着かなさげに辺りをうろつき始める。 と、 「うぅ‥‥」 異母兄は、ぎょっとした。傍に植えられた柳の陰から、泣き声が聞こえてきたのだ。 「な、何者だ」 「迷子になってしもうたのじゃ‥‥」 木陰から現れたのは、防寒胴衣に外套のみという軽装の、癖っ毛から獣耳を覗かせた少女だった。向日葵型の髪留めと木刀が、太く丸い尻尾と不思議に釣り合って愛らしい。 「な、何だ、子供か」 とことこと小走りに駆け寄ってきた身長1mほどの少女、禾室(ib3232)は、ひしと異母兄の足にしがみついた。 「真っ暗で一人ではおっかないのじゃ‥‥」 「な、何をするか! 手討ちにするぞ!」 「‥‥」 禾室は、大きな目をうるませて異母兄の顔を見上げた。純真無垢なその瞳に、思わず異母兄はたじろぐ。 「わしを、手討ちにするのかの‥‥? ただの迷子を、手討ちに‥‥」 「し‥‥しない。しないから離せ」 「う‥‥」 その時だった。 「殿? そちらの子供は‥‥」 追っ手の一人が、角から顔を覗かせる。 「知らぬ、このような下賤な子供など。丁度良い、お主が何とかしろ」 「うわぁぁぁん、父上ー!」 絶妙のタイミングで、禾室の目と鼻から涙と洟が流れ出した。 「ち、父!? 殿、まさかその子供は‥‥」 「ち、違う! 違うぞ! 私の子供ではない!」 「し、しかし今、父上と‥‥」 「父上ー! 母上ー!」 禾室の号泣はどんどん大きくなる。何事かと、追っ手達が戻ってきた。 「どうした」 「殿の隠し子らしいぞ‥‥」 「か、隠し子!? あの堅物の殿が!?」 「なるほど、この兄にしてあの妹ありと‥‥」 「違うっ! 違ああああう!」 異母兄は号泣する禾室を足にくっつけたまま涙ぐみ、絶叫した。 ● 「杏!」 旅支度を調え、木の根元でじっと立ちつくしていたドナルドは、ぱっと顔を明るくした。 「ドナルド!」 崔に連れられた杏は足を速め、その腕に飛びつく。 杏の右足がドナルドの頭部を跨ぎ、杏とドナルドの身体が十字に交差した。 「おお、飛びつき腕十字」 眼鏡のずれを直しながら、崔が思わず唸った。 「開拓者の人に全部任せてないで、あんたも来い!」 「痛い痛い痛い! 杏、極まってるから! タップ! タップ!」 「あんたもシノビの端くれでしょうが!」 杏はぎりぎりとドナルドの腕を完全に伸ばしにかかる。 「ちょっと! ちょっと開拓者の人! 助けてくれよ!」 「‥‥嬢、これで依頼完了だよな? 俺らの仕事終わりってことで」 「あ、サンキュ。報酬はギルドから受け取っといてね」 「じゃ、お幸せに」 「は、薄情者ー!」 悲痛な叫びを上げるドナルドを後目に、そそくさと崔は踵を返した。 ふと肩越しに振り返り、熱烈な三角締めへと移行した杏に声を掛ける。 「一応、皆の声代弁して言っとくわ。お幸せになー」 ドナルドの押し殺した悲鳴は、初春の夜空が吸い込まれていった。 |