若き侠客、罠に掛かる
マスター名:村木 采
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/01/23 00:44



■オープニング本文


 武天、三倉の町。
 西と南に山、東に湿地帯を抱え、世俗から幾らか隔たった場所にあるこの町は、二家の侠客集団がそれぞれに縄張りを持ち、小競り合いを繰り返しながら治めている。
 火鉢の中に、新しく炭が放り込まれた。
「弥勒が危ない?」
 侠客集団の一つ、永徳一家の老参謀、仁兵衛が白い眉をひそめた。
「へえ。近所に住む敬太ってガキのお守りで、東の湿地帯に向かったとか」
 荒い息をつきながら、仁兵衛の片腕、情報屋の蜘蛛助が言う。
 仁兵衛は眉をひそめた。
「敬太? 敬うに太いと書く敬太かい? 確かうちの縄張りに暮らしてる、父一人子一人の‥‥」
「それ、その敬太でさあ。何でも、行方の知れねえ女親が町外れに住んでたってんで、会いに行く道中のお守りを頼まれたと」
 仁兵衛は書き物をする手を止める。
「それの何が危ねえんだい」
「たった今、あっしの使ってる情報屋から垂れ込みがありやして。それが真っ赤な嘘、口実らしいんでさあ。連中、弥勒を待ち伏せて、亡き者にする気ですぜ」
 仁兵衛は舌打ちを漏らし、立ち上がった。
「何だってその敬太って子供が、瀧華の手助けをしたんだい」
「瀧華の参謀、影政の野郎が一枚噛んでるようですぜ。古い知り合いの女が弥勒に会いたがってる、正体を知られると弥勒が会いたがらないかも知れねえ、適当な事を言って連れてこいと吹き込んだようで」
「連中らしいやり口だねえ」
 仁兵衛が忌々しげに吐き捨て、弁柄色の袢纏を脱ぎ捨て、羽織に袖を通した。重量のある杖を手に取り、足早に玄関へと向かう。
 影のように仁兵衛に付き従い、蜘蛛助が付け加えた。
「またその敬太ってガキ、父一人子一人の貧乏暮らしでやすからね。金をちらつかされて、親のために引き受けたようでさあ」
「相変わらず人の足下を見る連中だよ。どこで待ち伏せるつもりなのかは解ってんのかい」
「へえ、東の湿地のちっと手前、一昔前まで狩りに使われてたあばら屋じゃねえかと」
「また面倒な所を選びやがった」
 仁兵衛は歩きながら、両のこめかみを右手の指で押さえた。
 東の湿地帯と言えば、遙か昔にアヤカシとの大規模な戦闘が起き、そこで死んだ者達がアヤカシとなって彷徨っていると噂される場所だ。唯一三倉に通じる街道も、その湿地帯は迂回して通っている。
「あたし一人じゃ仕方ないねえ。竜三と剣悟郎親分はどうしてる」
 仁兵衛は廊下を足早に歩きながら、蜘蛛助に尋ねる。
「親分は鹿島屋と新田屋の仲裁に出てらっしゃいやす。竜三の兄貴は梅下屋が大商いをするってんで、内ノ倉の町まで隊商の護衛を」
 仁兵衛は舌打ちをする。
「そうだったよ。どうしたもんかねえ」
「菜奈姐さんがお帰りのようですぜ。話してみやすか」
 仁兵衛の顔が、僅かに引きつった。
「‥‥あたしゃ、あいつぁ苦手だ。あれの手を借りなくたって、近場にいらっしゃる開拓者の方に力をお借りすりゃあいいだろう」
「そんなに嫌わなくてもいいじゃあねえですかい」
「あたしゃ、下品なのは嫌いなんだよ」
 仁兵衛は顔をしかめ、草履を突っかけると、裏木戸から通りへと飛び出した。
「湿地帯のアヤカシが騒がなけりゃいいんだがねえ」


「弥勒兄ちゃん」
 あちこちが擦り切れた作務衣姿の少年が、震えながら青年の服の裾を握る。
「おう、服掴むな。振り回されて危ねえぞ」
 ぼさぼさの長髪を適当に束ねた着流し姿の青年が、血と脂に塗れた刀を構えた。
 乾いた音を立て、甲冑を身に纏った骸骨が錆びた刀を振り下ろした。侠客の一人がそれを長ドスで受け止めきれず、額を裂かれる。
「うわ、うわ、うわ、助け」
 額から血を流し、骸骨との鍔迫り合いに押し負けた侠客が、尻餅をついて助けを求めた。
 慌てて傍の侠客達が骸骨を長ドスで殴りつける中、
「血が出たくらいで騒ぐんじゃねえよ」
 弥勒の刀が骸骨の腰椎を断ち切った。
「全く、瀧華の連中は腰抜けだらけだな」
「む、無茶を言うんじゃねえ、俺達ぁ志体持ちじゃあねえんだ」
「ちっ、帰ったら股間のもん切り取っちまえ」
 あばら屋に侵入した骸骨を片付け終えた弥勒は、大きく息をついてぼろ切れで刀の血脂を拭う。
 敬太に連れられて近付いたあばら屋には、瀧華の侠客達が待ち受けていた。
 何も知らなかった敬太が呆然とする中で乱戦が始まったのだが、弥勒に叩き斬られた侠客の断末魔に引き寄せられたのか、骸骨型のアヤカシ達がいつの間にかあばら屋を包囲していたのだ。
 あばら屋を囲む骸骨の数は、実に四十ほど。一方、弥勒にも斬り捨てられず、入り込んできた骸骨にも食われなかった侠客は五名。志体持ちの侠客は、真っ先に弥勒に斬り倒されている。
「腕の立つ奴を真っ先に倒したのが、まさか仇になろうたぁな」
「弥勒兄ちゃん‥‥どうしよう‥‥ごめん、俺‥‥」
 ただ一人、弥勒に守られて傷一つ負っていない敬太が、死人のように青い唇を震わせて囁く。
「心配すんな、お前は何も知らずに巻き込まれただけじゃねえか。擦り傷一つつけさせやしねえよ」
 弥勒は着流しの裾を切り裂いて腕と足の傷口を縛り、敬太の頭に手を置いた。
 遠くから、重い震動があばら屋へと伝わってくる。瀧華の侠客達が、不安げに顔を見合わせた。


■参加者一覧
鬼島貫徹(ia0694
45歳・男・サ
からす(ia6525
13歳・女・弓
神咲 輪(ia8063
21歳・女・シ
宿奈 芳純(ia9695
25歳・男・陰
明王院 浄炎(ib0347
45歳・男・泰
羽喰 琥珀(ib3263
12歳・男・志
十 水魚(ib5406
16歳・女・砲
雪刃(ib5814
20歳・女・サ


■リプレイ本文


 骨の鳴る乾いた音に混じり、幾つもの重い音、そして地響きが近付いてくる。
 侠客達が不安に顔を見合わせていると、あばら屋の壁が爆発した。
 濛々と埃が舞い上がる中、腐った床に、大人の胴回りほどもある丸太が突き刺さっているのが見える。その端を、身の丈十尺はあろうという、それも首の無い大男が抱えていた。
「アヤカシ相手だろうが、敵に尻見せたとあっちゃあ、永徳の名折れなんだよ!」
 破壊された壁の穴に近付いてくる骸骨達目掛け、刀を大上段に構えた弥勒が剣気を放った。
 狂骨の多くは統率を失って辺りを見回したが、骨鎧の半数近くは、意に介した様子も見せない。首無しは言わずもがなだ。
 臆さず首無しに駆け寄った弥勒の身体が、難なく丸太に薙ぎ払われ、壁板に激突した。
「お、おい!? 勘弁だぜ!?」
 侠客が悲鳴を上げる中、乾いた音、重い音が幾重にも重なり、骨鎧達があばら屋に入ってくる。
「兄ちゃん! 弥勒兄ちゃん!」
 目に涙を溜めた敬太が弥勒に駆け寄っていく。
 更に大きくなる重い音の中、敬太目掛けて振り上げられた錆びた刀が、凍り付いたかの如くその手を止めた。
 首無しの立てる足音とは違う、力強い地響きがあばら屋を揺らしたのだ。
「推参!」
 敬太は、目を瞠った。
 破壊された壁の向こう、骸骨達の更に向こうに、八尺棍「雷同烈虎」が長大と見えぬほどの巨漢が立っている。地響きの正体は、明王院浄炎(ib0347)の崩震脚だった。
 体勢を崩した狂骨と骨鎧達を、腹の底にまで響く大音声が打ち据えた。
「おるわおるわ。骸骨どもがわらわらと!」
 駆け抜けていく黒鹿毛の巨大な馬から、一人の男が飛び降りる。黒茶の胴巻きに赤銅色の陣羽織、茶筅髷の上で凶暴に光る異形の大斧。鬼島貫徹(ia0694)だ。
 鬼島の咆哮に続いて、吹雪の雪山の如く、ぴんと張り詰めた空気が辺り一帯を覆った。弥勒のそれを更に上回る剣気が、骸骨達の動きを鈍らせる。
 腰まで届く白い髪と白い尾を持つ女サムライ、雪刃(ib5814)だ。
「攻撃、あるのみ」
 鹿毛の馬から飛び降りた雪刃は両足を前後に開いて踏ん張り、斬竜刀「天墜」の重みを十全に生かして、先頭に立つ狂骨の兜を大鎧ごと両断する。
 その後方から鋭い弓音が発せられ、骨鎧の大腿骨が瞬時に地面へと縫い止められた。
「全く、骨が折れる話だ‥‥いや、骨を折る話か。‥‥同じか」
 黒髪の下で濃紅の瞳を光らせた少女、からす(ia6525)が、芦毛の馬に跨ったままとぼけた顔で呟く。騎乗時でも地上と変わらぬ射撃を行う、安息流騎射術だ。
 重心の位置と脚の締めで次なるからすの意を汲んだ芦毛馬は、「隼人」で身のこなしを加速させた雪刃のすぐ脇、骸骨の集団の鼻先を、恐れることなく横切った。
 常人ならば左方向にしか構えられない大弓が、からすの驚異的な柔軟さで後背を向いた。斜めに握られた「緋鳳」が、馬の尻の上に構えられた。
 普段大人向けの弓が地に触れぬよう構える、彼女ならではの動きだった。さして狙いもつけない乱射が、数体の骸骨の頭部を割り、その活動を止める。
 からすの乗る芦毛の馬を追おうとした骨鎧が、仙椎を両断されて崩れ落ちた。「銀杏」の鍔鳴りの音が、冬の空に吸い込まれていく。
 呂色の長着に馬乗袴を着、虎縞の尾と耳を持つ少年志士。羽喰琥珀(ib3263)だ。
 琥珀は鞘を地面に突き立て、軽やかに宙に舞い上がった。振り下ろされる剣林が、虚しく空を切る。
 尾を振って空中で姿勢を整え、着地した琥珀は、無理に斬りかからない。攻撃の気配を待ち、後の先の銀光を閃かせて確実に敵を仕留めていく。
 琥珀の後ろに立った骨鎧の腰骨が、鎧の隙間から突き込まれた棍に粉砕された。
 浄炎は戦場を駆け回り、仲間の援護に徹しながらも、常に首無しの存在を視界の端に収めていた。のろのろと敵を探すその傍を駆け抜けざま、膝を、肘を、爪先を潰していくが、首無しはその度に膝を突き、丸太を取り落としかけ、そして立ち上がっていた。
 からすの射込んだ矢傷が、早くも塞がり掛けている。
 と、弓音とは明らかに異質な破裂音と共に、狂骨の胴巻きが鉄屑と煙を噴き上げ、傍にいる仲間と衝突した。
「あと‥‥八寸上、ですわね」
 鹿毛の馬の脇に立ち、黒髪から出した狐耳を陽光で金色に輝かせた、十水魚(ib5406)だった。流線型のマスケット「クルマルス」に、見る見るうちに弾と火薬が装填される。
「ただの侠客が相手なら、遅れは取らないつもりでしたけれど‥‥」
 今度は、先刻の射撃音とも違う、暴力的な破裂音が響いた。
「まあ、この程度の骸骨なら大差はありませんわね」
 狂骨の頭蓋骨が、文字通りの意味で四散する。必殺の強弾撃だった。
 その狂骨が倒れて空いた間隙を、一陣の風となって駆け抜けるものがあった。「空蝉」で二重になったぬばたまの黒髪が、銀光にまとわりつくかの如く躍る。
 疾駆する人影目掛けて振り下ろされ、突き出された刀の多くは空を切り、一部は忍帷子の鎖手甲に流され、掠り傷しか与えられない。
 逆に、駆け抜けざまに閃く銀光が骸骨達の手足を切り落としていった。
 開拓者達を漸く敵と認識したか、振り向いた首無しの股下をくぐり抜けた所で、人影は丁度空蝉の効果時間を終える。
 神咲輪(ia8063)だった。
「開拓者よ。助けに来たわ」
 壊れた壁の前に立った輪の姿を見て、弥勒にしがみつき震えていた敬太が、涙目を上に向ける。
「助けに‥‥? 来てくれたの?」
 輪は首無しが自分を意識していない事を確認すると、敬太の前にゆっくりと歩み寄り、膝を折った。
 剣戟が響き渡るなか、取り出した毛皮の外套でそっと目の間の少年を包み込む。
「痛いところはない? もうひと頑張り、できるかな?」
 敬太の目に溜まった涙が、遂に頬を流れ出した。
「‥‥がんばるから、弥勒兄ちゃんを、助けてあげて‥‥僕のせいだから‥‥」
「えらいね」
 頭を撫でられた敬太は涙と鼻水で顔を汚しながら、弥勒の顔を見た。
「兄ちゃん、助けに来てくれたよう」
「あ‥‥? 要らねえよ‥‥」
 頭を前後に揺らしながら、朦朧とする意識の中で弥勒は虚勢を張る。
「強がるのも、嫌いじゃないんだけどね」
 輪は止血剤を弥勒の胸と顔に掛け、自分の服の一部を切り裂いて血止めを始めた。
「うが‥‥!」
「痛い? 痛い、弥勒兄ちゃん?」
 弥勒は、歯を食いしばって作り笑いをした。
「ばば馬鹿言うんじゃねえ、こ、こりゃ痛たたたたたたたいんじゃねえ! く、そう、くすぐってえんだ! そうに違いねえ!」
 薄紅色の唇の端に意地悪い笑みを浮かべ、輪は脂汗をかいた弥勒の顔を見る。
「元気みたいね」
「畜生、お陰で目が覚めた」
 弥勒は恨みがましい目で輪を見ると立ち上がり、皆焼刃の愛刀を拾い上げた。
 地鳴りのような足音が、あばら屋から遠のいた。首無しが、完全に開拓者達を敵と認識したようだ。それに従う骸骨達とあばら屋の間に、距離が生まれる。
 そこを、一つの巨大な騎影が駆け抜けた。
 騎影を追う風が逆巻く空間に、ややあって、数枚の符が舞い降りてくる。
「思う存分、『喰い』なさい」
 符はすぐに扁平で目の無い蛇の様な姿を取り、狂骨の胴巻の中に潜り込んだ。
 外見上は、何の変化も狂骨達には起こらなかった。ただ、空ろな眼窩から光が失われ、その場に崩れ落ちて動かなくなっただけだ。
 「魂喰」の符が骨格の中に潜り込み、狂骨の瘴気を食い尽くしたのだ。
 烏帽子を含めれば身の丈八尺に届く巨漢、宿奈芳純(ia9695)が、その身体に負けず劣らず大きな馬から降り、あばら屋の中を覗き込む。
「弥勒さんですね。仁兵衛さんの依頼により助太刀に参りました。敬太さんを守る為ここはお退きを」
 風に舞い上がった符があばら屋の前で液状化し、地面に垂れ落ちた。液体は純白の巨大な壁となって、狂骨達の後背に立ちふさがる。
「馬鹿言え、あのデカブツに一太刀浴びせずに帰れるかってんだ」
 その言葉を、骸骨達の一団を突き抜けた琥珀が聞きつけたらしい。僅かに荒くなった息の中、結界呪符「白」の向こうから弥勒に声を掛けた。
「弥勒だな? 剣悟郎なら、敬太を安全な場所まで逃がせって指示すんじゃねーか?」
「ぐ‥‥」
「剣悟郎親分は、情の深い方です。巻き込まれただけの敬太さんを守れとおっしゃると、私も思いますよ」
 一家との付き合いも長くなってきた芳純が、一々弥勒の弱点を突く。
 弥勒は苛立った様子で白い壁を睨んでいたが、
「ええい、仕方ねえ! 馬あ借りるぜ!」
「どうぞ」
 弥勒はあばら屋の前に止められた巨大な馬に易々と跨り、芳純に抱え上げられた敬太を後ろに乗せた。
「お、おい! 俺達は!? 俺達も連れてってくれよ!」
 あばら屋を出て弥勒に駆け寄ろうとした侠客達だったが、先頭の男の鼻先五寸を、電光の如く矢が突き抜いた。
 今度こそ完全に腰を抜かして失禁した侠客に、白い壁の延長線上から、馬上で大弓を構えたからすが微笑みかけた。
「死に急ぐな愚か者」
 口元こそ笑っているが、濃紅の目はまるで笑っていない。
「逃げないで下さいね。妙な気も行動も起こさないように」
 白い壁の陰から出て行きざま、芳純が声を掛けた。
「見ての通り、この壁の向こうはアヤカシだらけで壁を作っているのは私です。アヤカシ達が片付くまで大人しく願います」
『はい』
 侠客達が唱和し、芳純は満足げに頷くと、『魂喰』の符を宙に放った。
 剣戟の響き渡る中、蹄の音が遠のいていく。
 それを確認すると、自在に、しかしどこか退屈そうに大斧を振り回していた鬼島が、呟いた。
「‥‥ただの木偶というわけでは無さそうだな」
 その視線の先には、完全に開拓者を敵と認識したらしい首無しが居た。
 鬼島は愛斧「ミミック・シャモージ」を高々と掲げる。
「まあ木偶に非ずとも、総身に知恵の回りかねる独活の大木だろうが」
 豪胆な笑みを浮かべ、既にその数を半減させた骸骨達を無視し、首無しに近付いていった。その背に斬りかかろうとする狂骨が、水魚の射撃で利き腕を吹き飛ばされ、雪刃の「天墜」で綺麗に二枚に下ろされる。
「まあ来るべき大アヤカシとの決戦の予行演習にはしてやろう」
 鬼島の尋常ならざる殺気に反応したか、首無しもまた丸太を両腕で抱え、大きく振りかぶる。
 だが、その大振りな動きを遙かに上回る速度で、大斧の刃が地面に半ば以上まで突き刺さった。
 血の雨を伴って丸太が地面に落下し、首無しの身体が傾く。
 鬼島の一振りは、首無しの鎖骨から胸を通り、臍の下までを切り開いていた。
 だが首無しは倒れなかった。噴水のように血を噴き上げながらも傷がふさがり始め、しかも左手が落ちた丸太を探し始めている。
 鬼島が地面から斧を抜き取ったその時、ぬいぐるみが一つ、宙を舞った。精霊力が、首無しの背後へと凝集していく。
 ぬいぐるみが濡れた音と共に首無しの肩に落ち、そして赤い炎が首無しの背中に襲いかかった。炎は瞬く間に首無しの胴を包み込み、ぬいぐるみが含んでいた液体‥‥ヴォトカに引火し、更に激しく燃え上がる。
「鬼島さん!」
 炎は、白い壁の上に立った輪の火遁だった。輪の声に唇を歪めた鬼島の斧が、炎の赤い光を反射してぎらりと輝く。
 首無しの左手が丸太に触れたその時、断頭台の刃が落ちるかの如く、巨大な刃がその胴体を両断した。


 敬太は、涙と鼻水だらけになって弥勒のぼろ家に座っていた。その両の頬は真っ赤に腫れている。何でも、父親にこっぴどく叱られ、散々顔を張られたらしい。
「皆様、この度は本当にお手数をお掛けしやした」
 座布団から降りた仁兵衛が、床に手をついて深々と頭を下げる。
「人の善意と弱みにつけ込んで罠にはめるのなんて、よくないからね」
 雪刃が晴れやかな笑顔で首を振れば、輪が黒髪を指に絡めて唇を綻ばせる。
「子どもが巻き込まれたりとか、そういうのって許せない性質なんだ、私も」
 
「揉めに揉めてこそ見られる人間模様こそが、心を震わせるのだ。アヤカシ風情に食われて終わりなどといった、つまらん結末を迎えさせるものかよ」
 どこまで本気か解らない様子でからからと笑う鬼島に、仁兵衛は苦笑を返す。
「揉めずに済めば、それが一番なんでございやしょうがね‥‥お恥ずかしい話で」
 水魚が、薄手の革手袋を填めた手で仁兵衛と弥勒を指した。
「それはそれとして、今回の件でどう落とし前をつけるかは、そちらの方で話を付けて欲しいですわ」
「ええ、それならもう片がつきやしたから」
 仁兵衛は目に掛かる白髪を掻き上げる。
「そうでしたの?」
 胸の包帯をいじっていた弥勒が手を振った。
「あれだけ派手に失敗したんだ、連中も瀧華にゃ帰れねえ。家族ともども永徳に引き取る事にしたさ」
「お、太っ腹じゃん。さすが永徳一家」
 指を鳴らした琥珀だったが、それを聞いた途端、またしゃくりあげ始めた敬太を見た。
「‥‥おい敬太。言いたいことがあんならいっちまえ」
「‥‥ん‥‥弥勒兄ちゃん」
 敬太は口を開き、途端にまた涙と鼻水を床に垂らす。
「ちゃんと心からゴメンっていえたなら、オメーは卑怯者じゃねーよー」
 頭の後ろで手を組んだ琥珀の口調は軽かったが、しかしその目は飽くまでも優しい。
「うん‥‥うん」
 手の甲で涙と鼻水を擦ると、敬太は涙声を絞り出した。
「弥勒兄ちゃん‥‥僕、兄ちゃんのこと‥‥好きなのに、‥‥大けがさせて、ごめんなさい! もう、おこづかいにつられません! ごめんなさい! ごめんなさい!」
 一気に言い終えると、敬太は突っ伏し、堰を切ったように号泣し始めた。
 弥勒が頬骨の辺りを掻きながら、ばつが悪そうに声を掛けた。
「あー、何だ‥‥騙されただけなんだしよ。怪我なんざ掠り傷だったから‥‥その、泣くなって。泣かれると弱えんだよ、俺あ」
 弥勒の言葉を聞いているのかいないのか、敬太は泣くのを止めない。
「此度の様にお主を騙そうとする大人が居なくなるよう、仁兵衛殿や剣悟郎殿が町を変えて下さるだろう。大きくなったら、その手伝いをすることだ」
 浄炎の大きく分厚い手が、そっと敬太の頭を撫でた。
 芳純の端正な顔が微笑む。
「実際、弥勒さんも大した怪我ではありませんでしたからね。何よりでした」
「何言ってんだ、俺が今ぴんぴんしてられんのは、芳純さんが治してくれたからじゃねえか」
「‥‥やっぱり、大怪我してたんだ!」
 弥勒の言葉を聞き、更に敬太が大声で泣き始める。
「おい、弥勒。お前さん、もう少し口に気を付けな」
「すいません‥‥」
 弥勒は渋い顔で舌を出す。
「やれやれ‥‥とまれ、皆様」
 仁兵衛は嘆息すると、開拓者達に向き直った。つられて、弥勒も居住まいを正す。
「本当に、ありがとうございやした。寒い日も暫く続きやしょうが、どうぞご健勝で、今後ともご活躍下せえ」
 二人は床に拳をつき、深々と頭を下げた。