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■オープニング本文 ● 長屋の板の間を剥がしたその下に、香伊那と竜真は滑り込んだ。 頬の肉が削げ落ちた細身の青年が、大きく息をついた。 「ここなら大丈夫だ。狭苦しいが、我慢してくれ」 そこは、むき出しの土壁を木材で補強し、板を下に敷いただけの粗末な部屋だった。広さにして、八畳ほどだろうか。その部屋に、性別も年齢もまちまちの十人ほどが、肩を寄せ合って座っていた。 香伊那が、不安げに青年を見る。 「あの、京五さん。‥‥貴方、一体何者なんですか?」 「ん? ああそうか、自己紹介が遅れたね」 京五と呼ばれた青年は、照れ臭そうに笑った。 「俺は、鍋島京五。箔羅の町に生まれて諸国を放浪してた、無名のいち軍学者さ。半年前に帰ってきたら、町がえらいことになってたんでね、力を貸してる」 京五は言い、地下で待っていた町民達の前に、香伊那と竜真を押し出した。 「皆、紹介するよ。こっちは竜真君。こっちの香伊那さんの、年下の友達ってとこかな」 「‥‥そっちの、香伊那さんてのは?」 町民達に問われ、京五は香伊那の顔を覗き込んだ。 「駆名さんの‥‥恋人でいいのかな?」 「恋人! 駆名さんの!?」 町民達は色めき立った。香伊那の顔が、一発で真っ赤になる。 「こ、こ、恋人じゃ、まだ‥‥」 香伊那の頼りない言葉は、町民達の喝采にあっという間に掻き消された。 ● 「どこから話したものかな」 欠けた茶碗で白湯を飲みながら、京五が話し始めた。 身寄りのなかった箔羅の代官が落馬によって突如死去し、今の代官、林芳信が新たに派遣されてきたのが、三年前のこと。 林がまず行ったのは、蔵通りの設置と、町中の商人達をそこに移住させる事だった。そのことで、確かに旅商達の利便性は高まり、商人達の懐は潤った。 そしてその事で町の蓄えを全て使い果たした林は、税を一気に重くしたのだ。 重税に苦しみ出した町の人々の前に現れたのが、通りすがりの開拓者、駆名だった。 義憤に駆られた駆名は町の人々を組織化して取り立て人を追い払い、林に対して、旧来以上の税は納入しないと宣言したのだ。 「駆名さんは、あたし達の恩人なんだ」 「駆名さんがいなかったら、俺達は林の野郎と戦えなかったよ」 町民達は、口々に言う。 以後二年ほど、林はしきりに税を取り立てようとし、その度に町の人々がそれを追い払う状態が続いた。駆名が奉行に送った使者は斬り捨てられ、奉行の助けも得られなかった。 「それが、あのシノビ達の仕業だったんだ」 戦闘専門の鬼組、町中で諜報活動をする猿組。そして資金調達、奉行向けの情報操作、暗殺なんかの『雑事』を請け負う狐組。彼らは、林が雇い入れた開拓者崩れの傭兵集団だという。 その中の狐組の統領、望月菊ノ介が街道で使者を殺害し、「代官・林に臣従すべし」との偽書を作り、送りつけていたのだ。 のみならず、一年前、和解を申し出て駆名を始めとする町の指導者たちを呼び寄せ、これを捕らえて幽閉することで、町民達の動きを封じたのだ。 「卑怯者が」 町の若い青年が、唇を噛む。 だが、林は駆名の処遇に手を焼くことになった。殺せば間違いなく一揆が起こり、奉行の耳にそれが届く。といって解放するわけにもいかない。 そこで林は、駆名を懐柔し、あるいは臣従させようと図った。 しかしいかに厚遇をされようと、どんな拷問を受けようと、駆名は首を縦に振らない。 「人質を殺せば自分も舌を噛んで死ぬ、そうなれば一揆が起きるぞと言っているらしい。小間使いとして潜入している仲間の情報だから、駆名の心がまだ折れていないのは間違いないと見ていい」 「それで、私が‥‥」 香伊那は呟いた。 「そう。町の人間は駄目でも、親しい人間を人質に取れば‥‥ってわけさ」 こうして駆名の知己を求め、猿組が町中を荒らし回った。 「町の人間は皆、駆名を知らないと言ってたろ」 京五の言葉に、香伊那は頷いた。 「駆名の知り合いだと思われたら、陣屋に連れていかれるのさ」 竜真が口を挟んだ。 「『駆名って人を探してる、香伊那って姉ちゃんを見なかったか』って、俺も町の人達に聞いてたんだ。そしたら、先に京五さんが声を掛けてくれて」 「そうだったの‥‥」 香伊那は静かに俯いた。 「駆名が幽閉されてから、もう一年以上経つ。駆名を助けだそうにも、有力な商人の屋敷に囚われてる人質が危ない。逆もまたしかりだ」 「でも俺たちだって、一年間黙ったままでいたわけじゃない」 京五の隣にいる若い男が拳を握る。 「この三年間で、商人達はすっかりだらけた。林に隠れて、私財を蓄えだした野郎が何人かいる」 男の言いたい事を理解しかね、香伊那は眉をひそめる。 京五が男の言葉を継いだ。 「その中の一軒の金蔵を破って、軍資金を手に入れる」 「そんな事したら駆名ちゃんが! 他の人質さんだって!」 香伊那は血相を変えて立ち上がったが、京五はゆっくりと首を振った。 「代官に隠れて蓄えてた私財を盗まれたなんて、言い出せないさ。そういう状況を作る」 「‥‥でも‥‥え?」 「破った蔵に火を掛ける。勿論、ただの小火程度にね。奪う金も、隠し金の半分程度だ」 「‥‥どうして?」 「ただの失火ですと、言い逃れる道を残してやるのさ」 京五は、痩せこけて尖った顎を摘んだ。 「ただの失火と言えば、残る隠し金に詮議は及ばない。残った隠し金を隠そうとすることが、奪われた隠し金も隠してくれるのさ。勿論、猿組の連中に見つからず、速やかに襲撃する事が前提だけどね」 香伊那は舌を巻いた。ただの町娘にはとても思いつかない事を考える男だ。 「念のために半年前から、商人の家で小さな小火騒ぎを起こしてる。ただの嫌がらせを装ってね」 だが、駆名を案じる香伊那は更に食い下がった。 「先に、駆名ちゃんを助けるわけには‥‥」 「気持ちは分かる。だが、意味がない。人質は一人じゃないんだ。仮に駆名だけを救助しても、戻ってこなければ人質を一人ずつ殺すと言われたら‥‥」 香伊那は、唇を噛んだ。 「戦いには、まず情報、そして戦力、物資が要る。情報は陣屋に潜入させている仲間から手に入れている。軍資金を手に入れたら、食料と武器を買って、開拓者を雇って、駆名と人質を同時に救出する。あとは林を捕らえて、何も知らない奉行に突き出すだけだ」 京五は、右拳を左手に打ち付けた。 「それまでは、二人ともここに居てくれ。君が林の手に落ちたら、駆名の心は折れてしまう」 香伊那が頷き、竜真がむっと唇を尖らせた。 「俺が姉ちゃんを守るから、心配ないって」 「頼りにしてるよ」 落ちくぼんだ眼窩の奥で、京五の目が優しく笑った。 「軍資金を得たらすぐに準備を整えて、町民全員で陣屋と人質の捕らえられた屋敷を襲う。本格的な一揆だ」 |
■参加者一覧 / 小野 咬竜(ia0038) / 柊沢 霞澄(ia0067) / 鬼島貫徹(ia0694) / 蘭 志狼(ia0805) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 大蔵南洋(ia1246) / すぐり(ia5374) / からす(ia6525) / 神咲 輪(ia8063) / 和奏(ia8807) / ルエラ・ファールバルト(ia9645) / 宿奈 芳純(ia9695) / 玄間 北斗(ib0342) / 明王院 浄炎(ib0347) / 羽流矢(ib0428) / ノルティア(ib0983) / 琉宇(ib1119) / 无(ib1198) / モハメド・アルハムディ(ib1210) / 羊飼い(ib1762) / 朽葉・生(ib2229) / 桂杏(ib4111) / 大泉 八雲(ib4604) / 世羅 ユーリエル(ib5369) |
■リプレイ本文 ● 「しかし、こんなに集まってくれるとは思いもしなかったな」 地下室に入る事もなく、長屋でのんびりと支度をしている開拓者達を見ながら、京五が苦笑した。 「自分で依頼を出しといて、良く言うぜ」 武器商人の昌が楽しそうに言う。何でも、京五が諸国を放浪していて出会った男らしい。 「注文は槍を百本、弓と矢筒を三十組、近的用と遠的用の矢を三百本ずつ。麦を十俵、燻製鰊に干し柿だったな。味噌はおまけでいいや」 「助かる」 「商品運び込ませてから金を調達するってんだから、全く良い根性してるぜ‥‥」 昌がぼやく。 「しかし、さほどに沢山の武器と食料を、どうやって町に運び入れるおつもりか」 愛刀の鬼神丸を抱いて縁側に腰掛けた青年、大蔵南洋(ia1246)が、当然の質問を発した。 「もう運び入れたさ。商人の蔵に、堂々とな」 「どうやって?」 「ちょっと金を握らせりゃ、暫く蔵を貸してくれる商人なんて幾らでもいるもんだ。権力者が率先して不正をやってる町なら、尚更さ」 昌は笑った。 赤い瞳でじっくりと愛弓の張りを確かめながら、黒髪の少女、からす(ia6525)が尋ねる。 「町に入る時に怪しまれなかったのか」 「この先の町に商品を運ぶ途中だと言って、偽の発注証文を見せた」 「しかし、それではきみが町を出る時に気付かれるだろう」 「俺が町を出るのは、あんたらの一揆が終わった後さ。仮にあんたらが失敗したって、混乱に乗じてここを出ればいいだけの話だからな」 言い、昌は長屋の玄関へと向かった。 「半刻もしたらまた来る。金が用意できてる事を祈ってるぜ」 「せいぜい期待しておけ」 油を入れた竹筒を腰に結わえ付けながら京五が答え、昌は笑いながら、部屋を出て行った。 「できました」 それと入れ違いに、湯で戻した芋幹縄と梅干の入った粥を盆に乗せた白髪の女性、朽葉生(ib2229)が入ってくる。 運搬役の青年達が歓声をあげた。京五が両手を広げる。 「よし、みんな、食べてくれ」 「鍋島さんも食べるんですよ」 生に次いで盆を持ってきた小袖姿の少女、礼野真夢紀(ia1144)が、ぴしゃりと言う。 「いやなに、俺が何か重い物を持つわけじゃないからね」 「とにかく食べて下さい、そのせいで土壇場で倒れられたりしたら計画に支障きたします!」 「大丈夫だって。これくらい慣れて‥‥」 「駄目です! 目落ち窪んでるし顎痩せこけて尖ってるし‥‥」 真夢紀が唇を尖らせ、大きな目で京五を睨む。 「いや、だから」 京五が苦笑して何か言おうとした時、静かだが、有無を言わせぬ強い声が発せられた。 「組織を率いる者に必要なのは食わない覚悟ではなく、食って生き抜く覚悟」 柱に寄りかかった髷の男、鬼島貫徹(ia0694)だ。 「俺が助っ人に加わるからには決して楽な道は選ばせぬぞ」 コルセールコートの襟の陰で、鬼島の唇の左端が持ち上がる。 「そうだよ京五さん、今日は食ってくれ」 「京五さんが食わなきゃ俺達も食わねえぞ」 町民、農民達が口を揃えて京五を促す。 京五はそれでも暫く躊躇していたが、 「‥‥じゃあ」 両手を合わせ、長々と目を閉じた後、箸で粥を摘み上げ、口に運び出した。 「開拓者の人がいてくれりゃ、京五さんも飯を食ってくれら」 野袴姿の青年が言い、千両箱の運搬役として集まった青年達がさざめくように笑う。 「己の身を削る行為は一見美徳に見えるが、それだけではいかんぞ鍋島よ」 「肝に銘じるよ」 京五は微笑み、芋幹縄の味噌汁を静かに啜った。 運搬役達も、それを見て次々に粥と味噌汁を口にし始める。 「では、私達は陽動に‥‥」 薄桜の小袖を着た柊沢霞澄(ia0067)が、市女笠を手に静かに立ち上がった。 「おう。駆け出しじゃ不安かもしれんが、後ろは任せてくれや」 「私も、香伊那さんや拠点の方々を守ります」 部屋の奥にだらしなく座った隻腕の青年、大泉八雲(ib4604)、それに兜割を腰に差した紅赤の髪の女性、ルエラ・ファールバルト(ia9645)が声を掛ける。 だが、 「いや、すまない、ちょっと待ってくれ」 霞澄を含む陽動役達を、京五が呼び止めた。 「一つだけ。あなた方が陽動してくれるなら、こちらは火を放たずにおくかも知れない」 「何故ですか‥‥?」 「火を放つのは、商家で事件が起きたと林の耳に入る事を計算していたからだ。もし林や望月の目が陽動の方に向いてくれるなら、わざわざ商家の方に火を放って目を向ける必要はない」 「ほな、どんな状況で火を放つん?」 薄紅色の織物で髪を結ったすぐり(ia5374)の言葉に京五は一瞬考え込み、 「蔵で何か起きたと、猿組の人間に知られた場合だね。蔵に火を放ってそれを第一の陽動、蘭さんを第二の陽動、すぐりさん達を本命と思わせる」 ● 寝待月が、東の空に浮かんでいる。 子一刻。 大きさにして三寸ほどの小さな梟と隼が音もなく箔羅の上空を舞い、やがて闇に溶けて消えた。 何の酔狂か、四尺半ほどの小柄な人影が、三味線を静かに弾きながら、商人街を一人歩いている。 物乞いかよほど売れない吟遊詩人だろう。そう思っていたらしい商家の門衛は、その人影が子供であることに気付いてぎょっとした。 だがそれもほんの数秒の事だった。近付いてきた少年、琉宇(ib1119)の三味線の音が転調し、門衛の膝がゆっくりと崩れる。 門の上を這っていた半寸ほどの蜘蛛が、ふっつりとその姿を消した。 黒くしなやかな塊が二つ、暗闇の底から瓦葺きの屋根の上へと舞い上がり、そして再び暗闇へと沈む。 犬だろうか、低いうなり声が一瞬漏れるが、鈍い音と共にそれも止んだ。 軽い音と共に、商家の裏口が開く。 中から艶霧衣の袖がぬっと現れ、細い腕が小さく手招きをした。 更に三つの黒い影が塀の瓦屋根を蹴り、商家の母屋の屋根へと舞い上がる。 物陰から、曲がり角の奥から、荷車の筵の下から、傍の宿の窓から、次々と人影が商家の中へと駆け込んでいった。 ● 「き、貴様! 待たんか!」 ジルベリア風のサーコートに珠刀「阿見」を差した銀髪の青年、蘭志狼を見て、酒場を出ようとしていた男が声を上げた。 「おい! 皆! 先日の、銀髪の不埒者だ!」 「なに!」 文字通り押っ取り刀で、酒場から男達が飛び出してくる。あっと言う間に、志狼は包囲された。 が、 「雑魚に用は無いと言っている」 空気が震えた。志狼の剣気に男達が露骨に尻込みする。 「ひ、怯むな! 今日は一人だ!」 言われ、志狼は辺りを見回した。右を見ても、左を見ても、そこに居るべき連れの姿は無い。 「‥‥気まぐれな男を連れに持つと苦労する」 志狼は唇の端に微苦笑を浮かべ、ゆっくりと阿見の鯉口を切った。 「奴の分まで暴れるとするか」 酒場の入り口に固まった男達もまた、一斉に刀を抜く。 「堂々と通りを歩いていようとは、良い度胸だな! 生きて帰れると思うなよ! おい、応援を呼べ!」 酒場の窓から飛び出した男が、同心の屯所に向かって走って行った。 ● 物音に気付いたか、太刀を佩いた男が母屋の陰から現れた。 いの一番に滑り込んだ南洋が、真っ先に反応した。男の顔が驚愕に彩られるよりも早く、右の下段突き蹴りで男の左膝を粉砕する。 下肢に走る痛みの理由を理解する暇すら与えず、鬼神丸が袈裟懸けに振り下ろされた。 その場に崩れ落ちた男を見下ろし、幾らか血色の戻った京五が言う。 「狐組の人身売買の仲介をしている家だが、商人と護衛以外の人間は恐らく何も知らない。当事者以外は傷付けないように頼む」 「護衛も峰打ちにしておいた。万一猿組に見つかった時、斬殺体があると商人も申し開きがしにくかろう」 「助かる」 京五は頼もしげに南洋の肩を叩いた。 その京五を追い越しざま、掌の上で新たに隼形の人魂を生み出した陰陽師の无(ib1198)が声を掛ける。 「この商家の不正の証拠を捜しましょう」 「いや、待ってくれ」 京五が无を呼び止めた。 「狐組の人売りの、仲介をしている家だ、不正の証拠は幾らでも見つかるだろうが、それが奉行に届けば林が我々の襲撃に気付く。奉行に届け出るなら、林の手から駆名と人質を助け出してからだ」 「しっ、なのだ」 母屋の角に貼り付き、超越聴覚を発動した長身のシノビ、玄間北斗(ib0342)が人差し指を立てる。 北斗は視線を上げ、門の上に伏せているシノビ装束の少年、羽流矢(ib0428)を見た。羽流矢は母屋の屋根に貼り付いた艶霧衣のシノビ、神咲輪(ia8063)と視線を合わせ、指の動きだけで意思疎通を済ませると、そっと頷く。 北斗が抜足でそっと母屋の角から出て、傍の植木に身を潜めた。蔵の前で、見張りの男三人が退屈そうに欠伸をしている。 二筋の微かなきらめきが、夜を切り裂いた。一つは空。一つは庭。 蔵の扉から一人離れて立っている男の胸に、刹手裏剣が突き刺さる。刀を抜いた北斗が一瞬にして庭を駆け抜け、扉の前で呆然と立ちつくしている男の片割れの頭部を痛打した。 峰打ちではあったが、それでも皮膚を裂かれ血を流し、男は一撃で昏倒する。手裏剣を受けた男は、微かなうめき声を発してその場に崩れ落ちた。 「動くな。声を発するな」 叫び声を上げようとした残る一人に、静かな声が掛けられる。 「この小田家の当主が、望月菊ノ介率いる狐組の人身売買を仲介している事は判っている。それについて、今ここでどうこう言うつもりはない。真っ当な商売に使っている金を荒らすつもりもない。非道な商売で蓄えた財の半分を貰っていく」 歩み寄ってきた北斗と南洋の二人に切っ先を突きつけられ、男は身体を震わせながら、ゆっくりと頷いた。 「見張りが鍵を持ってるわけもないよな」 門の上から木の葉のように舞い降りた羽流矢が、蔵の扉にそっと指を触れた。全身から立ち上る精霊力が、一瞬にして指に集まっていく。 小さく、高い金属音を発し、扉に掛けられた錠が外れた。破錠術だ。 「よし、みんな、頼んだぜ」 「中、ちゃんと照らしましょうねぃ」 巫女袴を履き藁人形と猫人形を抱いた少女、羊飼い(ib1762)の手の中で光の塊と化した符、夜光虫が蔵の中へと入っていく。 『行くぜ』 町民達が、蔵の中へと駆け込んでいった。 「陽動は、上手くいってるかな‥‥」 京五は、不安げに月を見上げた。 ● (もう、貴方は用済みです) 見知らぬ男が言い、反りのない刀を逆手で抜き放った。白い土壁に寄りかかるようにして、力無く駆名が座っている。 (無理に殺す事もないでしょうが、我々の顔を見られている人間は、一人でも少ない方が良いのでね) 男が笑った。 (俺を殺そうが、お前達の負けだ。もうお前達はこの町にいられない) (敗北とは、死ぬことです。生きている限り負けではない) 刀が、ゆっくりと振りかぶられる。 駆名の右足が突如跳ね上がった。左脇腹に爪先を叩き込まれた男が、苦悶の表情を浮かべる。 だが、駆名の表情もまた歪んだ。咄嗟に男の左腕が、駆名の右足を抱え込んだのだ。 (無駄な足掻きを) 男が再び刀を振りかぶる。駆名は掴まれた右足を軸にして反時計回りに一回転し、左の踵を男の左側頭部に叩き込もうとした。 男は咄嗟に首をすくめ、その一撃に空を切らせた。駆名は、土の床にうつ伏せに倒れ込む。 (我々は、いずれ再起します。箔羅以外の、どこかの町でね) 男の右手が刀を振り下ろした。その切っ先が、一寸の狂いもなく駆名の心臓を貫く。 (お別れです) 顔に返り血を浴びながら男は刀を駆名の身体から抜き、懐紙で刀身の血を拭った。 口から夥しい血を吐き、駆名は呟く。 (香伊那‥‥ごめん‥‥) (香伊那‥‥) 「香伊那‥‥」 うっすらと、紅赤色の光と黒い影が、瞼の向こう側に当たっている。 「香伊那さん?」 「香伊那姉ちゃん」 声を掛けられ、香伊那は跳ね起きた。 「‥‥ルエラさん? 竜真ちゃん?」 「うなされていましたよ」 名を呼ばれ、ルエラが心配そうに手拭いを渡す。 紅赤色の光の正体は、ルエラの髪だった。黒い影は、竜真の髪だ。 「嫌な夢でも見たかい」 刀を抱いて木箱に腰掛けた隻腕の男、八雲が声を掛ける。 「うん、大丈夫。大丈夫です」 額に珠のような汗をびっしりと浮かべていた香伊那は、受け取った手拭いで顔を拭いた。 「開拓者を雇う金さえありゃ、大丈夫だ。駆名って奴も、すぐにあんたの所へ戻ってくる」 八雲が、六尺はある大剣の鞘をそっと撫でた。 地下室の入り口に掛かる梯子の下で、ルエラが囁く。 「代官の手下‥‥こっちに、来るんでしょうか」 「羽流矢さんが、長屋を出る時に罠を仕掛けていってくれましたからね。何かあったら、私達が出ますよ」 「香伊那さん、あんたはここで安心して待ってりゃいい。駆名とやらが帰ってくるまでな」 香伊那を安心させようとしてか、二人が静かに答える。 自然に、香伊那の口が動いた。 「ありがとう」 「別に、礼を言われるほどのこっちゃねえよ」 八雲が、ぶっきらぼうに言ってそっぽを向く。 「話に聞く狐組か、戦闘専門の鬼組辺りが来てくれねえかな。初仕事で大物とやり合えるなんざ、なかなかできない経験なんだが」 八雲の下手な照れ隠しに、ルエラがくすりと笑った。 香伊那も僅かに微笑んだが、しかし彼女の胸に、不吉な夢は暗く影を落としていた。 ● 遠く、町の入り口辺りで起きている騒ぎが、風に乗って商人街まで聞こえてくる。 「霞澄さん‥‥この、屋敷」 クレセントアーマーにベイル「翼竜鱗」という完全武装のノルティア(ib0983)が、市女笠を被った霞澄の裾を軽く引っ張った。 「何だか、‥‥変」 ノルティアに言われ、霞澄がその屋敷の様子を見る。 違和感の正体は、程なく判明した。 「舞良戸が、汚れすぎていますね‥‥長期間、閉じっぱなし‥‥」 「ここ、怪しい‥‥です、ね」 ノルティアと霞澄は頷き合い、上に向かって小さく手を挙げた。 寝待ち月の明かりに、薄紅色の髪紐が踊る。 瓦屋根の上に現れたすぐりが、小指の先ほどの小石を指で弾き、屋敷の舞良戸に当てた。 三人の耳へと届いてくる。 三人が囁き合った。 「中で、誰か動いてはる?」 「ううん。気配‥‥ない」 「外れやったんかな」 「他の部屋かも知れませんよ‥‥」 「随分と、呑気な事だな」 低い声が、遠く騒ぎ立てる同心達の声に紛れて三人の耳に届く。 屋敷の屋根に、シノビが一人立ち上がった。更に屋敷の陰から三人のシノビが現れる。 「どうやらあの銀髪のサムライを陽動に使ったようだが、残念だったな」 すぐりが咄嗟に屋根を蹴り、ノルティアと霞澄の傍に飛び降りた。 「ちょっと、面倒ごとになりそうやね」 三人の唇が微かに緩んでいる事に気付く者は、誰もいなかった。 ● 「誰かが、こっちの様子を見ています。恐らく、シノビでしょう」 忍び装束に身を包み、天狗簑で月光の反射を防いで屋根の上に伏せた桂杏(ib4111)が、鋭く警告を発する。 「隠しきれなかったか」 京五が舌打ちを漏らした。 「神咲さん、礼野さん、すぐに着火を」 「任せて下さい」 「わかりました!」 輪と真夢紀が手に精霊力を集め始めるのを見て、京五は振り向く。 「他の皆は、撤退の準備を。もし手が空いていたら、着火点から延焼しないよう、水を撒いてもらえると助かる。出る時には、大声で家人を叩き起こしてくれ」 侵入から四半刻どころか、その半分ほども経っていないが、既に千両箱は運び出されている。運搬組の逃走先から騒ぎは聞こえてこない以上、誘導・護衛に当たっている南洋、北斗、モハメド・アルハムディ(ib1210)の三名がうまくやっているのだろう。 京五は蔵の壁に油を掛けながら、一人だけ残った護衛に声を掛けた。 「いいかい護衛さん、商人に必ず伝えるんだ。隠し金は半分貰った、残りの半分が惜しいなら、ただの失火だと言い逃れろとね」 「‥‥わ、わかった。俺も仕事は失いたくねえ」 「良い返事だ」 尤も、林の悪行が露見すれば、人身売買の仲介をしていたこの家の所業も露見する。遠からぬ内に失職することになるのだが、とは京五も言わない。 輪が掌に息を吹きかけ、真夢紀が精霊の小刀を打ち振ると、輪の中指の上から炎が噴出し、何もない空中に小さな火球が生まれた。 炎と火球は京五の撒いた油に燃え移り、すぐに燃え広がる。 「よし。庭の可燃物をどけよう」 京五の指示で、琉宇、芳純、无、羊飼い、和奏(ia8807)鬼島の六人が動き出す。 瞬間、屋根の上のからす一人が、「それ」に気付いた。 「誰だ」 声を殺したからすの声に、開拓者達が一斉に身構える。 舌打ちと共に、庭に落ちていた木の葉が爆発的に舞い上がった。 「逃さぬ!」 頑丈な造りの蔵が、そして母屋が、僅かに揺れた。 身の丈七尺の偉丈夫、明王院浄炎(ib0347)だった。左半身から大きく踏み出した渾身の右足が衝撃波を発したのだ。踊り狂う木の葉の中心に、体勢を崩した人間の輪郭が浮かび上がる。 その輪郭を包囲するかのように、一枚の符が包帯の如く伸び広がった。身の丈八尺近い異形の巨漢、宿奈芳純(ia9695)の呪縛符だ。 逃げだそうとした人物が符に触れた。その一点を中心として符が蛇の如くうねり絡みつき、中肉中背の男の輪郭を更に顕わにする。 直後、夜の空気を、二本の矢が突き抜いた。 「情報を制する者は戦を制するも同じ」 一本は、からすの放った本物の矢。もう一本は、生の放ったホーリーアロー。 矢というよりも光跡に近い精霊力の塊は男の右腰に直撃し、その身体を仰け反らせ、硬直させた。 実物の矢は、木の葉隠れを使用した人物の大腿骨を射抜き、矢羽根を三割ほども太腿の肉に食い込ませて漸く停止する。 「故に、この作戦の情報を持ち帰らせはせんよ」 からすが、淡々とした声と共に上から舞い降りてきた。その手には、ヴォトカの瓶が握られている。 苦悶の声を上げてその場に崩れ落ちた男は、右手に短刀を握り、狐の面を付けていた。 「羽流矢さん輪さん、桂杏さん。他に気配はあるかい。一人でも見逃すとまずい」 輪と桂杏が気力をつぎ込み、暗視を起動する。解錠・潜伏用の技能を用意してきた羽流矢は母屋の戸の前に立ち、出てきた家人の避難補助に備えた。 「…大丈夫です」 桂杏が言うと、輪もまた頷いた。からすがヴォトカの瓶を開け、男の狐面に手を掛ける。 「あんた、一人だけで来たのか」 京五の問いに、捕らえられたシノビは全く答えない。 一瞬の間が空く。 「まずい!」 何かに気付いたらしい鬼島が咄嗟にシノビに駆け寄り、狐面を外した。 「ぬかったわ」 男の瞳孔は散大し、顔色は既に紫色になり始めていた。毒を飲んだのだ。鬼島は容赦のない一撃を男の胃に見舞い、毒を吐き出させようとする。 「すまぬ、私がもっと早くヴォトカを‥‥」 「いや、俺の失敗だ」 からすの言葉に、京五が唇を噛んだ。 「第一、からすさんがのんびりしていたわけじゃない、警戒しながら近付いてきたんだから、あれ以上急ぎようがなかった。近くに立っていた俺が気付くべきだった‥‥」 桂杏が、鋭い声を上げた。 「京五さん! シノビが近付いてきます!」 「くそ、鬼島さん、もういい! みんな撤退を!」 京五は即座に思考を切り替えた。 「芳純さん、浄炎さん、殿を頼む! 確実に敵が追ってきていると解ったら、遠慮無く技を使ってくれ!」 「解っています」 「承知した」 開拓者達は、口々に「火事だ」と騒ぎ立てながら、それぞれの一時潜伏場所へと散っていった。 ● 「くそ、早駆も使わずに、何て女どもだ」 猿面を付けた男達が、足に刺さった撒菱を抜きながら舌打ちを漏らす。 瓦屋根の上で、すぐりと猿面の男達は対峙していた。 「退いては近付き、近付いては退き‥‥しつこい奴め、いい加減に諦めればいいものを」 ノルティアのバッシュブレイクで猿面ごと鼻骨を粉砕された男が、鼻声で唸る。 「どうしても人質を奪還したいらしいな」 ふと、すぐりの視線が動いた。 それで何かを連想したか、男の一人が囁く。 (さっきの子供と銀髪女が屋敷に向かっていたらまずいんじゃないのか) (‥‥いや、考えようによっては、これは好機だ) (何故) (奴の目的は、人質の奪還だ。それなら、必ずまた屋敷に来る) (それで) (むしろ、屋敷の中に入らせて、袋の鼠にすればいい。このままでは、銀髪女の精霊砲や子供の盾攻撃で、こちらの被害が増えていく一方だ) 男達が、同様に小さく頷く。 (一度、追い払う振りをするか) 囁きだした男が、忍刀を抜いた。 「女。捕らえろとのご命令だが、あまりしつこいようならば、その命貰い受けるぞ」 すぐりの、歯ぎしりをする音が届いた。 「ここで諦めるならば、命は助けよう。これ以上逃げ回るか、或いは抵抗するならば‥‥」 男達が、一斉に忍刀を抜き放つ。 幾口もの刀身が、寝待ち月の光を反射して鈍く輝いた。 「‥‥こんなん、続くと思いなやっ」 すぐりは叫び、早駆でその場から闇の中へと、姿を消す。 (よし。屋敷の周辺で待機だ) 猿組のシノビ達が、一斉に姿を消した。 「‥‥いなく、なった?」 ノルティアが、大八車の中から囁く。 「‥‥みたいやね」 大八車の下に滑り込み、超越聴覚で辺りを探ったすぐりが、囁きを返した。 「突然、どうしたんでしょうか‥‥」 「うちらが人質を奪い返しに来てると、ほんまに思ったみたいやね。屋敷でうちらを待ち構える、言うてたよ」 すぐりが意地悪く笑う。 「シノビ同士なら、符牒で話し合うのが基本やのに」 「何かの、罠でしょうか‥‥?」 「喋る以外に、符牒らしい動きをしてへんかったさかい、大丈夫やろ。さ、帰ろ」 三人の姿は、あっと言う間に夜の町に溶けて消えていった。 ● 「蘭さん!」 香伊那が悲鳴のような声をあげた。 無理もない。志狼が、頭から膝まで文字通り血に染まった身体で地下に降りてきたのだ。ルエラが駆け寄り、慌ててその肩を支えた。 「何があったのです!?」 「何というほどの事はない。少し一人で無茶をしすぎただけだ」 志狼は言い、力尽きたかのようにルエラの肩に寄りかかる。 「志体持ちが、思っていたよりも多いな。猿組らしいシノビどももいた」 「いいから、ちょっとしゃべらないで下さい!」 叫び、拠点に戻っていた真夢紀が精霊の小刀に精霊力を集める。小刀の切っ先が幾度も輝き、その度に志狼の傷が少しずつ癒えていった。 「血痕は残っていない筈だ。深い傷は俺の包帯で抑えてある、あとは殆どがかすり傷だ」 「だからって、無茶しすぎだ!」 八雲が、懐から止血剤を取り出して町の青年に叫んだ。 「柊沢さんか朽葉さんは!?」 「ひ、柊沢さんはまだ帰ってない。朽葉さんは京五さんや皆と千両箱を持って、蔵で武器の確認をしてるはずだ。そろそろ戻ってくるかも‥‥」 青年が、うろたえながら答える。 「たわけ! 早く探しに行けい」 鬼島に怒鳴られ、青年は跳び上がって地下室を走り出て行った。 「全く、無茶をなさいますね‥‥気休め程度ですが、お手伝いしますよ」 无が行李から薬草を取り出した。 「取り敢えず、猿組は二人斬った。同心の志体持ちも二人は斬った筈だが、何せ敵が多すぎてな。途中から覚えていない」 深手の傷を手当てされながら、志狼は血の気の失せた唇で笑う。 すると、 『蘭さん!?』 「志狼!?」 丁度陽動を終えて逃げ切ってきた女性三人組、青年に呼ばれて飛んできた生、それに京五が声を揃えた。 「陽動はどうだった」 「そんなことより、酷い怪我‥‥!」 駆け寄った霞澄と生が、閃癒とプリスターで、即座に志狼の治癒に取りかかる。 血相を変えた京五が、練力を粗方使い切った真夢紀に尋ねた。 「命に別状は?」 「たぶん大丈夫です」 京五は胸をなで下ろした。 「そうか‥‥」 「心配するな。血の半分以上は、返り血だ」 青白い顔で、志狼が笑う。京五は、木箱に腰を下ろして大きく息をつく。 「余り無茶をしないでくれよ‥‥」 「取り込み中悪いが」 京五の背中に、声が掛けられた。 「それじゃ俺は宿に戻るぜ」 地下室の入り口に顔を出した、昌だった。屈託の無い笑顔で、京五に、次いで開拓者達に、手を挙げる。 「宿から武運を祈ってる」 「あ、おう。また無茶な注文して悪かったな」 「またな」 言い残し、昌は長屋を出て行った。 「‥‥よし」 木箱に腰掛けたまま、京五は顔を上げる。 「誤算もあったし、怪我人も出てしまったが、幸い無事に済みそうだ。準備は整った。明晩、行動に移ろう」 「待ってました!」 「駆名さんと人質、両方救出するんだな!」 「そうだ」 京五は頷く。 「軍資金の調達は、成功と言っていい。あと一戦、次で決着を付ける!」 |