|
■オープニング本文 ● ここは水州こと水真の地、その交通の要所、端元。 流れの刀匠であった筈が、ひょんな事から刀匠の里・理甲の長に据えられ、その再建を託された野込重邦は、はらはらしていた。 彼の目の前では、愛娘の雲雀が一丁前に刀身を手にしている。 「身幅広く、鎬幅広く、鎬筋高く。泉州伝でしょうか‥‥」 光を当てる角度を調節しながら、刀に目を近づけて地鉄と刃紋を見る。 「やや白みがかった小糠肌。沸ははげしく、匂出来のよう‥‥やはり泉州伝ではないでしょうか。乱れ互の目の刃紋は柳州伝のようですが」 まだ年端もいかない少女だが、父親の影響だろう、鑑刀の用語はすらすらと出てくる。 「おう、おう」 端元の代官、岩崎哲箭は嬉しそうに目を細めた。 「流石は野込殿のご息女。素晴らしい眼力をお持ちだ」 「おそれいります、いわさきさま」 雲雀は丁重に刀を返すと、深々と畳に手を突く。 「泉州伝でも代表的な刀工、興守の作だ。なかなかお主が刀を献上してくれぬものでな、最近の儂の差し料としておる」 「申し訳ございませぬ‥‥大恩ある岩崎様にご献上仕る出来のものが、なかなか出来ませぬもので」 重邦は、これ以上ないほどに平伏した。 岩崎は全く気にしていない風で笑った。 「良い、良い。まあこれはこれで名刀の一つではある。見よ、壮美で飾り気の少ない分、刃紋の乱れ互の目が引き立つというもの」 「御意」 重邦は小さく頭を下げる。 その隣で、雲雀がちらりと岩崎の顔を窺った。 「して、いわさきさま。今日オヨビダテのご用とは‥‥」 「おう、それよ」 岩崎は手際よく刀身に鍔とはばき、切羽を通し、柄に差し、目釘を通し、鞘に納める。 愛刀を脇に置くと、岩崎は足を崩した。 「実はこの刀を鍛えた、泉澄の地の興守とは旧知の仲なのだがな‥‥興守め、儂がお主を召し抱え、理甲の里を復興しようとしていると聞くや、そのような事できよう筈が無いと言う」 「はは」 不満げな顔の雲雀をよそに、重邦は苦笑した。 「まあ、私なぞは名も無き刀工、そのように仰る方もありましょうな」 「だが、重邦殿は儂の眼力が認めた、昨今稀に見る名工と信じておる。ご息女の眼力も、重邦殿のご教育の賜物であろう」 「恐れ入ります」 重邦と雲雀は、共に頭を下げる。 「というわけでだ」 岩崎はいたずらっぽく笑った。 「開拓者を募り、据物斬りで興守と刀比べをしてもらおうと思う」 ● 雲雀は、小さくため息をついた。 重邦の工房。重邦は、一番弟子の蔦丸を始めとする弟子達と共に、岩崎に命じられた刀の鍛えに入っていた。 「どうした、雲雀」 重邦は、不思議そうに尋ねる。雲雀は力なく首を振った。 「父ちゃんは、トーダイズイイチの刀かじだって、信じてるけど‥‥でも、オキモリって人も、すごい刀かじなんでしょ?」 「勝つぞ」 重邦はさらりと答えた。 「え?」 「勝つ」 重邦は繰り返し、紙縒で長髪を後ろに結い上げた。 弟子達が腕になめし革を巻き、火傷を防ごうという中、重邦は厚手の作務衣一枚だ。開拓者に舞を奉納してもらった神棚に祈りを捧げ、砂鉄を精製してできた玉鋼を、小槌で割り始める。 「雲雀。今まで、私が刀を鍛えている所を見せていなかったな。良い機会だ、見ておくといい」 その厳しく引き締まった顔は、穏やかで優しく、そして気弱な、いつもの重邦とは別人のようだ。 「私は妻に誓った。当代随一の刀匠になると」 割った玉鋼を棒に繋がった土台の上に積み重ね、和紙で包み、泥水を掛け、火床に差し入れる。 「自分の里を持ち、弟子を持ち、何より雲雀が居る。‥‥最早、雌伏の時は終わりだ」 弟子の動かした鞴で緑色に変わった火床の炎が、鋼を赤らめていく。 その高温の炎は、重邦の全身から発する気迫をそのまま現しているかのようだった。 「雲雀がいて、負けよう筈が無い。弟子達がいて、負けられる筈が無い。亡き妻が、負けることを許してくれよう筈も無い」 火床から引き上げられた鋼を、そっと、抑えるかのようにそっと、静かに、弟子達が鎚で叩き始める。 「当代随一の刀匠は、他の誰でもない。私だ」 |
■参加者一覧 / 桔梗(ia0439) / 佐久間 一(ia0503) / 鬼島貫徹(ia0694) / 八十神 蔵人(ia1422) / 皇 りょう(ia1673) / 九竜・鋼介(ia2192) / 和奏(ia8807) / メグレズ・ファウンテン(ia9696) / 明王院 未楡(ib0349) / 羽流矢(ib0428) / 琉宇(ib1119) / 无(ib1198) / モハメド・アルハムディ(ib1210) / 羊飼い(ib1762) |
■リプレイ本文 ● 「美しい」 据え物斬りが行われる当日の、陣屋の一室。眼鏡の奥で紫色の目を細め、无(ib1198)が呟いた。 赤銅色の羽織鬼島貫徹(ia0694)もまた、大きく息を吐く。 「物見遊山がてら、と思っていたが‥‥」 二人の他にも、据え物斬りに参加する開拓者達が五口の刀を手に取り、具合を確かめ、あるいはその刀身に見入っていた。 「フン。こんなものを見せられては、祭り気分に浸ってられんわ」 鬼島は白鞘に収められた刀を抜き、不敵に笑う。 彼は、中でも表側にのみ樋のつけられた一振りに魅了されていた。特に上段に構えたとき、まるで自分の手指に吸い付くような錯覚さえ覚える。 「誓いと誇りの体現かぁ」 无の頭に登った尾の無い狐、ナイが静かに目を細めた。 「ね、ね、すごいでしょ!」 すっかり普段通りの雲雀が、自慢げに胸を張った。 「さっき岩崎様と話してた時は、前よりずっと言葉が板についてきたと思ったけどな」 茶色いさらさらの髪が印象的なシノビ装束の少年、羽流矢(ib0428)がくすりと笑う。その手には、重邦の鍛えた忍刀が握られていた。 「重邦のおっさ‥‥重邦さん、何かいつもと顔つきも雰囲気も違ったなあ」 雲雀の鋭い視線に気付き、慌てて羽流矢は言い直した。開拓者達の間に笑いが巻き起こる。 「それだけ気合い込めているって事だよな、俺たちも応えないと」 部屋の戸が、静かに引き開けられた。 「此度は重邦様の刀を振るえる機会を頂きありがとうございます」 「あ、メグレズ姉ちゃん!」 陣屋の一室に入ってきた女性を見て、雲雀が手を振る。 「お久しぶりです」 雲雀を軽々と抱き上げ、メグレズ・ファウンテン(ia9696)は微笑んだ。鬼島が、軽く手を上げて挨拶を送る。 「‥‥聞けばこの刀、男が矜持を賭けた一振りという。徒や疎かにできる筈もない」 「ええ。この試し斬り、成功させましょう」 ● 街の一角に、囃子の音曲が流れ始めた。 陣屋の中はそれなりに盛況だったが、街には何が行われるのか知らない者も多いようで、普段の祭りに比べると、人手は少ないと言わざるを得ない。 「今少し、人を集める工夫をするべきだったか」 広い額を掌で叩き、猩々緋の陣幕の前で岩崎が唸る。 ‥‥やおら、甲高い声が庭に響いた。 「父ちゃんが勝つもん!」 「え、有名ってコトはそれだけの実績があるんでしょ? 強そうだしぃ」 飴を舐めながら、羊飼い(ib1762)が意地悪く笑う。 「父ちゃんの刀も、一兄ちゃんも、貫徹おじさんも、りょう姉ちゃんも、メグレズ姉ちゃんも、羽流矢兄ちゃんも无兄ちゃんも‥‥みんな強いもん!」 羊飼いの声は、明らかに雲雀をからかって楽しんでいる風だったが、全く冗談の通じない雲雀は、本気で柳眉を逆立てていた。 「じゃぁそっちが勝つって賭けられますぅ?」 「いいよ、その代わりお姉さんだって賭けるんだからね!」 「雲雀。賭博は良くないな」 重邦が微かに口角を上げ、静かに雲雀を諫めた。 「そもそも、勝つと解っているなら賭けは成立しない」 「す、すごい自信だなぁ‥‥」 観客席にブブゼラやブレスレット・ベルを持ち込み、すっかり応援体勢を整えた黒髪の少年、琉宇(ib1119)が、大きく愛らしい帽子を直しながら呟く。 と、太鼓の音が、陣屋を微かに揺らした。 「では、これより据え物斬りによる刀比べを行う」 岩崎の改まった声と共に、その左右に居並ぶ開拓者達、総勢二十一名が立ち上がった。 「‥‥面倒な挨拶はするまい。だがこの据え物斬り、失敗することが何ら恥ではないこと、皆に知ってもらう事には意味があろう‥‥長村」 岩崎に呼ばれ、陣幕の陰から壮年の男性が一人、刀を右手に現れた。 「この大野長村。知るものもあろうが、志体を持たぬ身ながら、大蟷螂を斬り倒した程の剛の者である」 観客席から、感嘆の声と拍手が起こる。 岩崎の合図で、手伝いに来た近所の女性達がいかにも重そうに鉄兜を抱えて現れた。 観客達は、その兜を見てざわめいた。兜とは言うが、前立てなどの飾りは一切ない。兜鉢のみの、それこそ鉄塊の様な代物だ。 幾列にも打ち込まれた星と呼ばれる鋲がずらりと並んだそのさまは、とてもではないが「斬る」ことなど不可能に思われた。 「長村」 「承知」 長村は台に置かれた鉄兜の前に立ち、刀を大上段に構えた。 鋭い気合の声と共に、渾身の一刀が鉄兜へと叩き込まれた。 下半身と上半身の一致した動き、腕使い、手指の締め、何もかもが完璧に思われ、確かに刀は鉄兜に食い込んだ。 だが、僅かだ。一寸にさえ満たない。‥‥長村は大きく嘆息し、その場に三つ指をついて岩崎、開拓者、そして観客達に頭を下げた。 岩崎は即座に床几から腰を上げ、長村に手を貸して立ち上がらせ、ゆっくりと頷いて見せる。 一同から、より大きな拍手がわき起こった。 「この長村でさえ切れぬ鉄兜。開拓者達と、興守、そして重邦の刀を持って、切れるや否や。挑む据え物ごとに、名前の五十音順にて、開拓者達の腕前、とくと披露して頂こう」 ● 観客席から一歩前に出た巫女姿の少年、桔梗(ia0439)が、軽やかに舞い始めた。動いては止まり、止まっては動くその姿は、まるで蜻蛉のようだ。 突如、観客席の男性陣が沸いた。鎧兜姿に傾奇羽織という姿ながら、清楚で淑やかな立ち居振る舞いの女性、明王院未楡(ib0349)が進み出たのだ。 女性の柔らかさとサムライの力強さが同居する未楡。巫女の淑やかさと少年の爽やかさの同居する桔梗。互いの美しさが、互い引き立て合っている。 「青竹入りの三畳巻きを二本、所望します」 未楡の言葉で、女性達が巻き藁を杭に突き刺した。 小さな歩幅でそっと巻き藁に近寄った未楡は、岩崎に、そして立会人に、次いで観客に、しなやかに一礼を送った。次いで重邦の刀を両手で胸元に捧げ持ち、目礼を捧げる。 重邦の刀身が、ゆっくりとその姿を現した。 「参ります」 車の構えから繰り出された、流れるかのごとき未楡の一刀は、二本の巻き藁を易々と両断した。 観客、特に男性陣が騒ぎ立て、琉宇が楽しげなおめでとうジングルを愛器「サンクトペトロ」で演奏する中、 「まるで、羊羹のように‥‥」 未楡は信じられないと言った風に自分の手元の刀を見つめた。 続く興守の一番手は鉄板に挑み、巫女の支援を受けながらこれをぴたり、丁度両断する。 得点は16対30になったが、しかしこれが敗因になることに、興守自身は気付かなかった。 二番手に出てきたのは、ブリオーにゆったりとしたローブ、皮帽子という、小麦色の肌の青年だった。少年と言ってもおかしくない。モハメド・アルハムディ(ib1210)だ。 「アーニー、私は青竹入りの三畳巻三本にタハッディン、挑戦します」 観客席がざわめいた。リュートを抱えたモハメドが、据え物斬りに挑戦するというのだ。 モハメドは刀を抜いて静かに瞑目すると、口の中で何事かを呟く。 そしてゆっくりと目を開いた。天に向かって、刀が勢いよく突き上げられる。 刀を振り下ろすモハメドの口が何かを言おうとし、観客席の誰かが、大きなくしゃみをした。それに被さるかのようにして、観客達が沸く。 切っ先の通った辺りの切り口が僅かに粗くなっていたが、しかし確かに、人の胴回りほどもある三本の巻き藁は見事両断されていた。 「‥‥今、彼の口から何か不穏な声が聞こえた気がしたが」 「き、気のせいでは」 額にうっすらと汗を浮かべた岩崎に、側仕えが手拭いを差し出す。 次いで興守側の二番手は、一番手同様鉄板に挑んだ。今までとは別種の歓声が上がる。 「これは、残念賞でよろしいですかな」 興守が不敵に笑った。鉄板は、半寸ほどを残して真っ二つに斬られていた。 「40対40。但し、そちらは二人、こちらは一人ですな」 ● 「刀比べ、これは負ける訳にはいかないねぇ‥‥じゃ、俺は鉄板を斬ろうか」 唄うように言いながら愛刀「乞食清光」と十手を置き、大紋姿の青年、九竜鋼介(ia2192)が、両面に樋のつけられた刀を抜き放った。 女達が、二人がかりで鉄板を運んでくる。 「刀だけに、勝たないと‥‥なんてな」 「‥‥」 興守側の残念賞で大盛り上がりを見せていた観客席が、一瞬にして静まりかえった。 がしかし、木の上から、両手を叩きながらの大笑いが響き渡る。 「かたなだけに、かたないと! お兄さん、頭いい!」 雲雀だった。次いで、床几から低い声が漏れ聞こえてくる。 「‥‥嫌いではない。儂も、嫌いではないぞ‥‥」 「僭越ながら、私も‥‥」 重邦と岩崎の二人も顔を赤くして俯き、小刻みに肩を震わせていた。 三人の反応に気をよくしたか、鋼介は蜻蛉よりも更に右腕を伸ばした独特の構えを取り、小さく呼気を吐いた。 「噂に聞く刀匠・野込重邦が鍛えた刀だ。俺に扱いきれるかどうかはさておいて、良い刀には違いない‥‥斬ってみせる」 変わらず、桔梗は神楽舞を舞っている。 全身全霊の一刀が振り下ろされ、観客達が一斉に沸き上がった。 鉄板は、割れた硝子よりも更に滑らかな断面を見せていた。 「まぁ、俺の刀は世間じゃ評判の悪い殺人剣だがな‥‥」 呟きながら愛刀と十手を腰に戻す鋼介の背後で、観客達が再度沸き上がる。興守側の三人目も、鉄板を真っ二つに割ったのだ。 「おやまぁ意外とやりますねぇ‥‥70対70ですかぁ」 観客席の羊飼いが、さも面白そうに呟いた。 剣客にはとても見えない无が四番手に立ち上がるのを見て、観客がざわめく中、无はカッツバルゲルを刀置きの脇に立てかけ、懐に入っていた尾無狐のナイをその前に座らせた。 「では、私は鉄板狙いで行きましょう」 琉宇が、今までのジングルや応援ではない、勇壮な曲を奏で始めた。聞くだけでも気持ちの奮い立つような、体内の血液をたぎらせるかのごとき曲目だ。戦将軍の剣である。 无は興奮を抑えるかのように深く息を吐き、右手で軽くもてあそぶように、二本の樋がつけられた刀の重心を慎重に確認すると、やおら両手で大上段に振りかぶる。 无の身体が動き始めた瞬間、桔梗の神楽舞がその速度を後押しした。刃が鉄板に触れた瞬間、今度は琉宇の戦将軍の剣が。 観客席が、先にも増して盛り上がった。 「残念賞だ!」 「こりゃ、どっちが勝ってもおかしくねえぞ!」 鉄板は、一寸足らずを残して切り裂かれていた。両手で持っていなければ、或いは桔梗の神楽舞か、琉宇の戦将軍の剣が無ければ、残念賞には届かなかったろう。 満足げなナイが、无の身体に絡みつくようにして飛びつき、駆け上がる。 无が踵を返すと、背後で再び拍手と歓声が沸き上がった。興守方の四番手が、鉄板を両断したようだ。 「あちらさんは、鉄板以上が斬れる連中を集めとんねやな」 大鎧に鳳凰の兜、虎皮の陣羽織という派手な恰好の青年、八十神蔵人(ia1422)が素振りを繰り返しながら、細い目で笑った。 「ええのんかなあ、『斬れる』連中だけ集めてもうて」 蔵人の言わんとするところを察し、无はくすりと笑った。 「あちらさんは取れるんですかね、残念賞」 「斬ってまうやろな」 蔵人は无と笑い合い、カッツバルゲルを腰に戻した彼に、片鎌槍と短銃を預けた。 「頑張って下さいよ」 「おう。ほいじゃ、鉄板で」 蔵人は目を細め、ゆっくりと、だが自信に満ちた足取りで鉄板の前に立った。 「力を抜いてりらっくす、と」 蔵人は言葉通り肩の力を抜き、首を回した。預かった槍と短銃を手に、无がその姿を見守る。 両手で握った刀をゆっくりと天目掛けて突き上げ、蔵人は細い目を閉じた。 陣屋に、一陣の風が舞い込んだ。 かっと目を見開き、刀を振り下ろそうとした蔵人を、事故が襲った。庭に植えられた欅の葉が一枚、風にもぎ取られ、蔵人の視界を隠したのだ。 観客が、悲痛な声を上げた。 不運としか言い様がない。蔵人の腕をもってすれば十中七八は斬られていたであろう鉄板は、三割ほどを残して台の上に残っていた。 蔵人は大きく息を吐くと重邦に深々と頭を下げ、さばさばとした顔で席に戻っていく。 「いわさきさま、あれはジコです! もう一度‥‥」 樹上で騒ぐ雲雀に、蔵人は静かに声を掛けた。 「お嬢ちゃん、言い訳はやめ。運も実力の内言うやないか。しゃあないやろ」 「でも‥‥」 「やめ。わしの実力が足らんかった、それでええ」 潔い蔵人の態度に、観客からはじわじわと拍手が巻き起こり、それはやがて満場の拍手へと変わっていった。 次いでふらりと立ち上がったのは、白い肌に夜闇のごとく黒い髪、人形のような顔立ちをした少年、和奏(ia8807)だった。 「では、私も鉄板に」 静かに申し出る。すぐに彼の前に、鉄板が用意された。 「あの兄ちゃん、あんなに生っちろくて大丈夫かね」 「馬鹿、ありゃできる男と見たぜ」 ひそひそとした囁き声が耳に届いても、和奏は全く意に介さない。蔵人の使った刀を取り上げ、黙って鉄板の前に立った。 「何があっても顔色一つ変えねえ、視線も切らねえ。刀の重心、刀の入る角度、鉄板の硬度‥‥その辺を、ずっと見てやがったに違いねえ」 剣術について一家言を持っているらしい壮年の男が、したり顔で言う。 和奏は軽く刀を振り上げ、‥‥そのまま振り下ろしてしまった。 観客達は言葉を失った。 そこまで力を入れているようには見えなかったが、刀はやすやすと鉄板をすり抜けていた。 沈黙の合間を縫うようにして刀は鞘に戻り、和奏はあっさりと席に戻ってしまう。後には、両断された鉄板が残されていた。 「な、何なんだ、あいつ」 盛り上がる機会すら与えられなかった観客達は、まばらに拍手を送っただけで、和奏を見送らされてしまう。 直後、興守方の六人目が鉄板を両断してもなお、和奏の一刀は観客達のざわめきを呼んでいた。 「鉄板までが終わって、現時点では四人で110点と、五人で160点。興守がやや優位、か」 岩崎は厳しい表情で呟いた。 ● 僅かな休憩時間を挟んで始まった後半戦、一番手を務めるのは鬼島だった。 「貫徹おじ‥‥兄ちゃん、がんばって!」 雲雀が、庭の木の上から黄色い声を上げる。琉宇がブブゼラを吹き鳴らし、休憩時間で落ち着いてしまった観客達も声を出して応援を再び始める。 唇の片端を上げた鬼島の大上段に振りかぶった刀が、ぎらりと陽光を反射した。 気合一閃。 鬼島の振り下ろした刀は、鉄塊の如き鉄兜をぬるりと通過し、下に置いた台までをも一刀両断にしていた。 鉄兜を割る音さえ、殆どなかった。兜と台と、四つの転がる重く乾いた音が重なり、それをかき消すかのごとく、割れんばかりの拍手喝采が起きる。 「‥‥さすが大先達」 千歳緑の紋付を羽織った銀髪の女性、皇りょう(ia1673)が、戻ってきた鬼島に声を掛けた。以前にも仕事で肩を並べた事のある二人だ。 「見物客の心に、刀匠、野込重邦の名を刻み、そして広めてもらって初めて勝利だ」 「確かに」 りょうは頷いた。 興守側の七番手は、辛うじてではあったが鉄板を両断した。これでひとまず双方、五人分の得点が揃った。 現在、145対160。 八番手となる金髪碧眼の少年志士、佐久間一(ia0503)は、絵に描いたかのごとく礼儀に叶った目礼を岩崎に送ると、はっきりと言った。 「鉄兜を希望します」 「一兄ちゃん! かっこいい!」 雲雀の声が、木の上から降ってくる。だが一は全く呼吸を乱さずに鯉口を切った。 用意された鉄兜から目測で正確に一足一刀の距離を取り、大きく深呼吸を始める。 「重邦さん、雲雀さん、弟子の皆さん‥‥全ての方の魂が籠もった一振りです。後は、自分の技と心がそれに応えられるか‥‥」 観客は、一の精神集中の深さのあまり、完全に静まりかえった。咳払いをする者さえいない。 「否、応えてみせる」 秋空を映したかのような青い瞳が見開かれ、鋭い掛け声と共に、渾身の力を込めた一刀が鉄兜に叩き込まれた。 気迫に驚いたか、庭で羽を休めていたセキレイが空へと飛び立つ。 一瞬の後、二つに割られた鉄兜が地面に落ち、次いで、気力を使い果たした一がゆっくりとその場に崩れ落ちた。 「一兄ちゃん!?」 「救護班!」 岩崎は血相を変えて立ち上がる。泡を食った医師が慌てて一に駆け寄る。 「一兄ちゃん、どうしたの!」 「‥‥気を失っておられるだけですね」 樹上から飛び降り、駆け寄った雲雀に、医師が穏やかに告げた。 その雲雀の背後で、大きな落胆の声が上がった。興守側の大男が鉄兜に挑んだものの、刃先を星に滑らされ、刀身を弾き返されてしまったのだ。 「164対160。逆転だな」 岩崎が、不敵に笑う。 「一つ教えておいてやるが、興守。お主の連れてきた開拓者、巫女の支援がなければ、残念賞のもう一つや二つ、取れていたのではないのか」 興守がはっと息を呑み、岩崎が意地悪く笑う。 「作戦が甘かったな」 ざわめきの残る観客席とは別方向から、再び黄色い声が降った。 「りょう姉ちゃん、がんばって!」 臨時の救護室となっていた陣屋の格子窓から、雲雀が顔を覗かせている。その声を聞いてりょうの珊瑚色の唇は思わず綻んだ。樋の無い刀を手に取り、すっくと立ち上がる。 元々重邦の刀は飾り気の少ない静かな刃紋のものが多いが、これは中でも特に簡素な一振りだ。 「果敢に挑んでこその武士。私も『鉄兜』に挑戦させて頂こう」 鉄兜を持って駆けてくる女性達に一礼を送ると、りょうは左手に鞘をしっかと握り、瞑目した。微かな呟きが、その唇から漏れ出る。 羊飼いがぼそりと呟いた。 「これで失敗して、興守側が兜を斬ったらまた逆転ですねぇ」 その側で誰かが、訝しげな声を発する。 「なあ、おい。あの姉ちゃんよ‥‥こないだ、刀の売り込みで兜割やってた姉ちゃんじゃねえか?」 「そう言えば‥‥」 囁きが届いたか否か、千歳緑の紋付きの上で、りょうの銀色の瞳が大きく見開かれ、白銀の刀身が鞘からその姿を現す。 「いざ!」 真っ直ぐに天を指した刀が、風を切り裂いた。 重い音が二つ、庭に重なって響き、観客席から、一斉に拍手喝采が飛んだ。 「175対160! これは決まったんじゃねえか!?」 りょうの振り下ろした刀身は、下の台に五分ほどまで食い込んで、兜を両断していた。りょうは遠慮がちに小さく、救護室の雲雀に手を振る。 だが興守側の九番手が刀を振り下ろした直後、更なる歓声が沸き上がった。 「残念賞だ! 175対170! こりゃ、本当に解らねえぞ!」 ● 「羽流矢! ‥‥羽流矢、居らぬのか」 代官の岩崎が訝しげに辺りを見回す。 いつの間にか、重邦側の開拓者の席に一つ空きができ、そこに座っているべき少年の姿が消えていた。開拓者達が顔を見合わせ、観客達がざわつき出す。 だが、参加者席から離れた位置にいる琉宇と羊飼いがふと上を見上げた。琉宇は咄嗟に「戦将軍の剣」を演奏し始める。 「上ですねぇ」 羊飼いの声で、観客達が一斉に上を見上げた。その視線とすれ違うかのようにして、羽流矢の姿が一回転しながら庭に舞い降り、助走を付けて忍刀の一閃を鉄兜に叩き込む。 観客席からどよめきが上がった。 先ほどの无とさして変わらない背丈の細身の少年、それも丈の短い忍刀での一閃で、鉄兜に半ば以上まで斬り込んだのだ。 失敗には終わったが、羽流矢には惜しみない拍手と、琉宇の残念ジングルが送られる。 「羽流矢兄ちゃん、かっこよかった!」 救護室から見守っていた雲雀も、心からの拍手を送った。 だが羽流矢は軽く唇を噛み、忍刀の腹をそっと指で撫で、木の台に戻す。 「付き合ってくれて、ありがとな」 一方の興守側は、鉄兜に挑んだ。 残念賞であれば勝ち越す事のできる一振りではあったが、袈裟懸けに振り下ろした一刀で、これを両断してしまう。 「175対175。‥‥引き分け以上は決まったな」 岩崎が笑い、興守の顔は青くなった。 据え物斬りの大トリを務めるのは、メグレズだった。全身を白銀の鎧で覆い、鷲を象った兜の下には茶色い瞳が鋭く光っている。 金糸で二対の翼が刺繍されたマントをはためかせた重装甲の麗人に、幾度目になるだろうか、観客席がざわめいた。 表裏両面に樋のつけられた刀を両手に持ち、 「ご来場の皆様。私もまた、これより刀と鉄兜の勝負を致します」 高らかに宣言する。 「こりゃ、斬りそうだぞ」 「斬れば重邦の勝ち、斬れなくても引き分けか」 「やれ、姉ちゃん!」 観客席から、声援が飛び始める。女性達が、手際よく鉄兜を台の上に固定した。 メグレズが大きく息を吸い、そして吐く。 「メグレズ姉ちゃん! おねがい! がんばって!」 雲雀の声に、メグレズは左手をそっと挙げて応えた。紅、橙、白の縞瑪瑙で作られた手首の数珠が、微かな音を立てる。 「いざ。参ります」 刀が、ゆるゆると振り上げられる。 気合の声はなく、渾身の力をもって振り下ろされた刀身は、鬼島同様、兜の置かれた台さえも両断した。 ● 「クハハ。やりおったな、野込の」 徳利から酒を呷りつつ、鬼島が重邦の背中を叩く。重邦は眉を八の字にし、遠慮がちに微笑んだ。 メグレズの「重邦の刀、ここにあり」という高らかな口上で据え物斬りは幕を閉じ、興守達一行が早々に帰ってしまった後、陣屋は数多くの町民達も交え、夜を明かしての大宴会になったのだ。 底無しという言葉すら生ぬるい酒豪の无に注がれた酒を、猪口から舐めるように飲んでいた重邦に、桔梗がふと尋ねた。 「重邦。重邦は、刀に何を、込めるのかな」 「愛ですな」 重邦は迷うことなく、さらりと応えた。 「愛?」 「妻を、雲雀を、弟子や友人を、皆様を、使って下さる方を、使って下さる方がお守りになりたい方を‥‥ひいては、人というもの全てを、大切に思う気持ちを込めております。一言で言うならば、愛かと」 「愛‥‥とは」 膨大な量の酒肴を猛烈な勢いで胃の中に詰め込みながら、りょうが目を丸くした。 「人をも斬る道具を生む私が言うのも、おかしな話でしょうかな」 「そんなこと、ない」 桔梗は静かに首を振った。 「‥‥雲雀。雲雀のととさまは、格好良いな」 「うん!」 雲雀は一杯の笑顔を弾けさせた。 その時、手洗いから帰ってきた鋼介が、重邦の後ろを通り抜けざま声を掛けた。 「良い刀でしたよ、重邦さん。噛みつくような感じではなく、滑るようだった」 「恐縮です」 重邦は小さくなって頭を掻く。 「俺の使った刀、先に未楡さんが使ってましたんでね、僅かでも切れ味が落ちてたら‥‥なんて心配もしたんですが」 「いやそれは明王院殿の腕でしょう、決して私の手柄では」 「謙遜しますねえ」 鋼介は笑いながら席に戻っていき、すれ違いに琉宇が歩み寄ってくる。先刻まで愛器を弾いて祝宴の雰囲気作りをしていたが、十二分に興が乗ったと判断したらしい。 「重邦さん、凄かったねえ」 「琉宇殿も桔梗殿も、今回は感謝せずにおれません。お二方がいらっしゃらなければ、どうなっていたことか」 重邦は丁重に頭を下げる。 「そう言われると、照れちゃうなぁ‥‥あはは」 照れ臭そうに、琉宇が帽子を目深に被り直す。桔梗もまた、嬉しそうに俯いた。 「父ちゃん、みんなにもお礼言わないと!」 「む? うむ‥‥」 渋る重邦を無理矢理立たせ、雲雀は両手を口に当てた。 「すいませーん、みなさん、父ちゃんから、お話があるそうです!」 一同が、親子に視線を向ける。 重邦は結った髪をいじりながら暫く言葉を探していたが、 「その、皆様。今日は有り難うございました」 一同から、拍手がわき起こった。 「町の皆様、暖かいご声援を本当に有り難うございました。開拓者の皆様も、無名の刀匠である私の刀を、よくぞ信じてお使い下さいました」 「仕事だから、し『かたな』かっ‥‥」 言い終えるよりも早く、鋼介の袋叩きが始まる。 「またいずれ似たようなお仕事をお願いするかも知れませんが‥‥」 「タルヒーブ、歓迎しますよ!」 茶の入った湯呑みを手に、モハメドが叫ぶ。 「私達でよければ、喜んで」 イーグルヘルムを外したメグレズが二つ返事をすれば、 「及ばずながら、また手伝わせて下さいね」 未楡が穏やかに微笑んだ。 重邦を押し退け、雲雀が前に進み出る。 「それとね、もう一つ」 「ん? どうした、雲雀ちゃん」 意外そうに呟く羽流矢に、雲雀は小悪魔の笑みを浮かべた。 「実はいわさきさまが、急用でゴシュッタツされたんだけど」 「ん? うん」 「このエンカイのヒヨーが、手持ちじゃ足りないの」 一同の笑顔が、凍り付いた。 「町のみんなからお金をもらうなんてヤボはしたくないし‥‥」 開拓者達が、一斉に席を立つ。 「いかん、逃げるぞ!」 「ま、待ち! 救護室の一はどないすんねや!?」 「僕が連れて逃げます!」 「和奏さん、頼んだよ! お先!」 「は、羽流矢さん、置いてかないでよぉ‥‥」 |