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■オープニング本文 ● 「裏切り?」 褐色の毛に覆われた耳をくりくりと動かしながら、永徳一家の老侠客、仁兵衛は瞬きをした。 「あの竜三がかい」 「いや、そうと決まったわけじゃあございやせんが」 前髪を長く伸ばした小男が、鳩のように首を前に突き出し、上目遣いに仁兵衛の顔を覗き込む。 「しかし噂通り、瀧華一家の縄張りにしきりに顔を出してやすぜ」 「解せないねえ」 仁兵衛は首を傾げる。 「まあへそ曲がりじゃああるが、しかしあの無骨で頑固一徹な竜三がねえ」 「あっしがこの目で見たんですぜ」 小男は不満げだ。 「いや、すまねえ、疑ぐろうってんじゃあねえよ?」 「何でしたら、仁兵衛の旦那、久々に足をお運びになってご覧になりやすかい」 「そうさねえ」 仁兵衛は尖った顎を細い指で摘んだ。 「じゃあまあ、散歩がてらに見に行ってみようかねえ」 冷え始めた風に乗って、楓の葉がひとひら、畳の上に舞い降りた。 ● 「確かに竜三だねえ」 「で、ございやしょ?」 茶店で湯呑みを傾けていた二人は、しみじみと呟いた。冷え始めた空気に、暖かな陽射しが心地よい。 「後をつけてご覧になりやすいかい。相手が竜三の旦那だ、ちと気を遣いやすが」 「そうさねえ。ま、あたしとお前さんなら見つかりゃしねえだろう」 勘定よりも心持ち多めの小銭を机に置き、仁兵衛は笠を被って席を立った。 人混みに紛れていても、長身痩躯の竜三は見つけやすい。 「確かに、瀧華の縄張りに入っていくねえ」 「で、ございやしょ?」 二人が尾行を続けていると、竜三はそそくさと一軒の家に入っていく。 「蜘蛛助、ありゃあ何の家だっけかねえ」 「さあて‥‥紙屋か何かだったと思いやすが」 抜足で気配を殺しながらその戸口に近付きかけた二人だったが、文字通り玄関から転がり出てきた侠客の姿に、慌てて物陰に身を潜める。 「な、何ですかい」 「あたしに聞かれてもね」 仁兵衛は立てかけられた葦簀の陰から、家の様子を窺う。 転がり出てきた侠客は、瀧華一家の者らしかった。前歯をへし折られ、完全に気絶しているようだ。 「てめえ、何のつもりだ!」 怒鳴り声が家から漏れてくる。仁兵衛と蜘蛛助は、超越聴覚で耳を澄ませた。 「嫌がる堅気の娘に、しつこく声を掛けにくるな」 低く、ぼそぼそとした声が聞こえてくる。間違いなく、竜三の声だ。仁兵衛と蜘蛛助は、思わず顔を見合わせた。 「消えろ」 「てめえ、この界隈で瀧華を敵に回したらどうなるか‥‥」 「面白え」 鈍い音、そして悲鳴が響き渡る。 「どうなるんだ。え?」 「が‥‥ぐ‥‥」 「おう、言えよ。どうなるんだ」 啖呵を切っていた男の、もがき苦しむ声が聞こえてくる。 『野郎!』 『兄貴!』 口々に怒鳴る声。そして聞き慣れた、鋭い音。家に居る者達が、短刀を抜いたのだ。 が、男達が顔を青黒く腫らし、肩を外され、金的を打たれ、投げ飛ばされ、這々の体で逃げ出すまで、一分と掛からなかった。 ● 「裏切りじゃなくて、コレだぁ?」 黒い長髪を後ろに撫でつけた侠客の親分、永徳剣悟郎は、自分の小指を立てて素っ頓狂な声をあげた。 「あの竜三がかよ」 「はあ。まあ確かに、一人の女の家にしきりに顔を出してはいやす。顔を赤くして出てきたのも、この目で見やした」 褐色の耳をぴたりと伏せながら、仁兵衛が呟く。困惑しきっている時の耳の形だ。 蜘蛛助が補足する。 「まあ、器量のいい娘でやしてね。あっしらが後をつけた時も瀧華の衆が娘に言い寄りに来て、竜三に叩きのめされてやしたよ」 剣悟郎は左手の湯呑みから茶をすすり、にやりと笑った。 「そうかいそうかい。そりゃあ瀧華の衆も災難だったな」 「女に言い寄って、他の男に伸されて逃げたとあっちゃあ、瀧華の名折れですからねえ。ありゃあ泣き寝入りですぜ、ざまあねえや」 蜘蛛助は笑いが止まらない様子だ。 剣悟郎は無精髭の生えた顎をなで回す。 「で、その娘っこの方はどうなんでえ。竜三の事ぁ憎からず思ってんのかい」 「へえ、それが難しいところでやして」 蜘蛛助は長い前髪を指に絡め、首を捻った。 「声を掛けてくる三下は伸してくれる、父親が倒れた時にゃ医者まで父親を担いでくれる‥‥感謝こそすれ、嫌ってなんざいやしませんがね。ただ肝心の竜三兄貴が、いつまで経っても千代紙を買って帰るばっかりなんでさ」 剣悟郎は派手にお茶を噴き出し、腹を抱えて笑い始めた。 「竜三が、千代紙? 竜三が!」 剣悟郎の笑いは大きくなる一方だ。 「あの、‥‥あの竜三が、‥‥あの図体で、あのぼろ家ん中、千代紙で‥‥何してるってんでえ」 長身痩躯で三白眼の竜三が、自分の道場の隣に立つぼろ屋で、千代紙の束を前に困惑している姿でも想像したのだろう。剣悟郎は畳の上に転がって、天井を見上げながら笑っている。 仁兵衛が呆れてため息をついた。 「ちょいと笑いすぎじゃあございやせんか」 「‥‥いやあ、悪いわりい。‥‥はあ、ひい‥‥しかし、あの竜三が、女に、千代紙だぜ」 くっくっと笑いを漏らしながら身体を起こし、涙目で剣悟郎が呟く。 「そうかいそうかい。や、遂に竜三の野郎にも春が来やがったなあ。こいつあ、親分として黙っちゃあいられねえ」 蜘蛛助の表情が、僅かにひきつった。 「お、親分?」 「親分‥‥、さては、ろくでもない事を思いつきやしたね?」 仁兵衛は呆れ顔だ。 「ろくでもないたあご挨拶じゃねえか。永徳・瀧華両家は、どんなに争ったって、互いのもんの好いた惚れたにゃ文句を言わねえのが、決まり事だ」 剣悟郎が、ぱちんと指を鳴らす。 「堅物の竜三に春が来たってんなら、いいじゃあねえか。俺が野郎の嫁取りを手伝ってやろうってんでえ」 「や、いや親分、それはちょっと」 「決まりだな、よし、まずは永徳の衆でその道に聡い野郎を‥‥」 剣悟郎はうきうきとした顔で立ち上がった。その裾に、仁兵衛と蜘蛛助がすがりつく。 「いけやせん親分! 親分、人の色恋沙汰に足突っ込むのは良くありやせん!」 「そうですぜ親分、あっしら一家なんざ無粋者の集まりだ、色恋に聡い野郎なんざ一人だっていやしませんぜ」 「いいや、かわいい子分の嫁取りだ、こればっかりは思いとどまらねえ。そうだ、勇蔵の野郎がこないだ嫁を取ったって話だったな、早速話を聞きに‥‥」 ずるずると二人を引きずりながら、剣悟郎は廊下を歩き出した。 「親分、勇蔵の野郎は酔った勢いで‥‥誰か! 誰か親分を止めろ! 止めろ!」 「竜三兄貴の、竜三兄貴の春が掛かってんだ! 誰か、誰か来てくれ!」 「おい勇蔵! 勇蔵いるか! ちっと話聞かせな、この俺が直々に参考にしてやらあ‥‥」 |
■参加者一覧
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
千代田清顕(ia9802)
28歳・男・シ
リン・ヴィタメール(ib0231)
21歳・女・吟
明王院 浄炎(ib0347)
45歳・男・泰
鹿角 結(ib3119)
24歳・女・弓
蒼井 御子(ib4444)
11歳・女・吟 |
■リプレイ本文 ● 薄曇りの空に、祭りの開催を知らせる狼煙「竜声」が打ち上げられる。 「あ、あの‥‥」 「そ、その‥‥」 互いに「朝はゆっくりしたいだろう」と、祭りの開始から半刻後を指定した筈の竜三と綾は、もじもじと会話の糸口を探っている。 「は、はや、早いですね」 「せ、折角の誘いだ。待たせては‥‥」 二人は、何となく俯いてしまう。どちらも示し合わせたかのごとく、祭り開始の時間に到着していたのだ。 がちがちに緊張しきった綾が、勢いよく顔を上げた。 「きき、今日は、お忙しいのに、ありが、あり、ありがとうございます」 「い、いや」 竜三に至っては、もはや石像のようだ。 「はは早いですけど、行きままましょうか」 竜三は答えることさえできず、何度も頷いた。 (は、早い! 早いぞ!) 忍び装束を裏返しに着て狐面をつけた青年、千代田清顕(ia9802)が、近くの木陰でうろたえながら呟いた。 隣に控えている、以前の依頼で知り合った少年の両肩を握る。 「禅一、伝令! 作戦開始、半刻繰り上げ!」 「さくせんかいし、ハンコックうりあげ!」 「ち、違う、半刻、繰り上げ!」 「はんこく、くりあげ!」 「縄張りのみんなにだ。出来るだけ急いでくれ。頼りにしてるよ小さなシノビ君」 禅一少年は清顕にびしっと敬礼を返し、勢いよく走り出した。 ● 「あ、あの、甘いもの、お好きでした?」 注文後数十秒という、異様な速さで出てきた汁粉をすすりながら、綾がちらちらと上目遣いに正面を窺う。 リン・ヴィタメール(ib0231)が「好きなものを好きなお人と。もうそれだけで幸せやもんね」と、藤野屋の近所の年寄り達に綾の好物を聞き出しておいたのだ。 汁粉を啜った竜三は、まじまじと汁椀を見る。 「食べた事がなかったな‥‥」 「あ、あの‥‥おいやでした?」 「い、いや、旨い」 まんざら嘘でもなさそうに、竜三は汁粉を掻き込み始めた。 「‥‥む、無理してませんか?」 「いや、もっと、はや、早く食べてみれば良かった、と」 竜三はあっという間に汁粉を食べ終え、珍しく頬を緩めて汁椀を置く。 「そうですか」 綾はほっと胸をなで下ろして餅を口に頬張る。 一方、竜三の目は、自分の置いた茶碗に釘付けになっていた。 「? 竜三さん?」 「あたりって、何だ?」 竜三に言われ、綾は竜三の茶碗の底を覗き込む。 「‥‥あ、本当」 確かに、竜三の汁椀の底には、「あたり」の文字があった。二人は顔を見合わせた。 偶然通りかかった店員の少女がそれを見て、ぱっと顔を明るくする。 「あ、当たりですね?」 今ひとつ事態が飲み込めない二人に、少女は笑う。 「ちょっと待ってて下さいね、うちのお汁粉、福引きになってるんです」 言い残し、店の奥へと入っていった。 綾は汁粉を食べながら、竜三は手持ちぶさたなまま、少女を待つ。 少女は、すぐに小さな包みを持って戻ってきた。 「甘味処ですから、女性向けに、千代紙一式なんですが‥‥」 「ち、千代紙?」 竜三は目を白黒させたが、 「あら。素敵な賞品ですね」 竜三に押しつけられた千代紙を、綾が横から覗き込んだ。 「落水紙も入ってますね。珍しい!」 綾の声は華やいでいた。 店員の少女が、きょとんとする。 「お詳しいんですか」 「ええ。何せ私、紙屋の娘ですから」 綾は誇らしげに答える。少女は、満面の笑顔で竜三を見た。 「そうでしたか。なら、色々と教えてもらえていいですね」 言われ、竜三は、ちらりと綾の様子を窺った。 綾は心底幸せそうな表情だ。 「じゃ、今までみたいな折り紙ばかりじゃなくて、紙箱の作り方も今度教えてあげますね。楽しいですよ」 「そ、それじゃ、今度‥‥」 一人は心底楽しそうに、一人は戸惑いながら席を立つ。 物陰で小さくガッツポーズをとる清顕には気付かず、二人は勘定を済ませ、甘味処を離れていった。 ● 「恋路の割り込みは無粋ですよ」 八尺近い身の丈の陰陽師、宿奈芳純(ia9695)が、涼やかな声で言った。 「な、な、何でえ、てめえは! 関係ねえだろうがよ!」 取り巻き達が吠える。 先日竜三に伸された男が二人を見つけ、取り巻き達を引き連れて後を追おうとしていたのを、芳純が人魂で察知し、その前に割り込んだのだ。 男が立ち止まって渋滞が起こり、横に広がり始めた取り巻きの一人が、チンドン屋の少女にぶつかってしまう。 楽士を務める少女は、途端に三味線を取り落とした。 「あっ!」 少女は可愛らしい声で、叫び声を上げる。 「お嬢さん、大丈夫かな」 ぬっと脇から表れて声を掛けたのは、こちらも身の丈七尺の巨漢、明王院浄炎(ib0347)だった。 「借りた三味線なのに、傷ついちゃった!」 少女がわざとらしく叫ぶ。 「おやおや、それはいけない。お兄さん、謝りましょう」 天を衝くような大男二人を前にして、男達は目に見えて怯んだ。 「おばちゃん、ごめんなさい! 三味線、傷つけちゃった!」 聞こえよがしに叫ぶ少女は、蒼井御子(ib4444)だった。この辺りでは珍しい、青空色の髪に翡翠のごとき緑の瞳という風貌だが、チンドン屋の派手な服装と相まって意外に目立たない。 御子は芳純、浄炎とちらりと視線を交わし、小さく舌を出した。 と、 「おう、兄ちゃん」 「兄貴」の肩を、むんずと掴む腕があった。 男が振り向くと、長髪を後ろに流した無精髭の男がいた。酒臭い息を吐きながら、ぐいと男の肩を引く。 勢い余って、「兄貴」は尻餅をついた。 「て、何だてめえ、何モンだ! この人ぁな‥‥」 「何モンだ、と来たかい? 知らねえなら、とくと教えてやらあ!」 男は忍拳を発動し、掌底を腫れ顔の鼻っ面に叩き込んだ。 「永徳一家の四代目! 鬼の剣悟郎たあ、この俺の事よ!」 「お、鬼剣!? 本物か!?」 吹っ飛んだ男を抱えて騒ぐ取り巻き達を後目に、剣悟郎が笑う。 「芳純さんよ、あんたの人魂ってのぁ、便利だねえ」 「どういたしまして」 芳純は微笑んだ。 「さて、浄炎さん、ちっと手伝ってもらえるかい」 「無論だ」 浄炎は根を放り投げて茶店の軒に立てかけると、岩のような拳を鳴らし始めた。 「けっ、敵の親分を痛めつけりゃ、俺らぁ一躍英雄だ! やっちめえ!」 『応!』 乱闘が始まった。 左右の手首に付けた鈴付きブレスレットをしゃらりと鳴らし、頭の後ろで手を組んだ御子がくすりと笑う。 「喧嘩は天儀の華――ってとこかな」 ● 「何だか、向こうが騒がしいですね?」 綾が、呑気に言う。 「祭りだからな」 二人で一緒に歩き出して五時間ほど、ようやく落ち着いてきたのか、竜三は小さく笑った。 どちらともなく口をつぐみ、互いの腕と肩が触れない程度の距離で歩いていると、 「あれ? お久しぶりです、竜三さん」 露店の前に立っていた、ぬばたまの黒髪から銀毛に覆われた耳の突き出した女性、鹿角結(ib3119)が、竜三に声を掛けた。 竜三が目を軽く見開く。 「‥‥どこかで、会ったな」 「お知り合いですか?」 綾は、結の豊満な胸と大きな瞳を不安げに見た。綾の胸は、結と比べたら見事なほどにぺったんこだ。 「え? いえ、僕は、お知り合いというか、以前お仕事でお世話に」 「そうでしたか、お仕事の‥‥」 綾はほっと胸をなで下ろしながら、そっと竜三に寄り添った。竜三は、それだけで石像のように動けなくなってしまう。 「僕は大したものは当たらなかったんですが、竜三さんもやってみませんか」 「当たる? やってみる? 何のお店ですか?」 綾は露店を覗き込んだ。箱の中のくじを引いて、当たりが出れば賞品がもらえる、典型的なくじ引き屋だ。 「じゃ、二回引きますね。私と、竜三さんと」 「あいよ、二回ね。二十文」 「はい、じゃ‥‥」 がま口から小銭を取り出そうとした綾の手を、竜三の無骨な手が掴んだ。 「あ、あ綾さん、俺が払、払う」 竜三の顔は真っ赤になっている。 綾はきょとんとして竜三の顔を見上げていたが、初めて自分の手に竜三の手が触れていると気付き、こちらも茹で蛸のように真っ赤になって口ごもってしまう。 「じゃ‥‥じゃあ‥‥お願いします‥‥」 竜三は頷くと、袖の隠しから小銭を取り出した。 名残惜しそうに竜三の手が離れていった後の自分の手を見つめていた綾だったが、 「‥‥じゃ、私から引きますね」 いそいそと箱の中に手を突っ込んだ。 「‥‥わ、五等!」 「おっ。お嬢さん、ついてるねえ。はい、五等の手拭いだ」 店主の老人は、笑顔で紙の包みを綾に手渡す。 「手拭いですか。うーん、でも当たっただけでも嬉しいな」 言いながら、綾は包みを開けた。 「桔梗柄。お洒落ですね」 「だろ?」 老店主は得意げだ。 次いで竜三の太く長い指がくじを引き出し、開く。 次の瞬間、竜三の目が、点になった。 「どうしたんですか? また、当たり?」 「‥‥二等だ」 「二等だあ!?」 店主の老人が、大げさに叫んだ。だが、竜三の顔は訝しげだ。 「今日は、ツキすぎている気がするな‥‥」 ぼそりと呟く。 「そ、そんな事ぁねえよ」 老店主は、額に僅かに汗を浮かべながら勢いよく手を振る。 「日頃町で皆を守ってんだ、お天道さんのご配慮だろうよ。な」 「そうか‥‥?」 「そうさ。ほれ、二等。螺鈿の櫛だ、値打ちもんだぜ?」 訝る竜三の手に、老店主は小箱を押しつけた。 「櫛‥‥?」 受け取った竜三は困惑顔で手元の小箱を見、そして綾を見た。 「綾さん、使わないか」 「え、あ、いいですか? じゃ、交換で‥‥でも私の、五等だし‥‥」 「別にいい」 竜三は、半ば強引に綾に小箱を手渡そうとする。 「あ、あの」 結が二人に、というより綾に声を掛けた。 「はい?」 「それ、交換ていうか‥‥想い人に送るような品ですけど‥‥大丈夫ですか?」 竜三に聞けば「なら止めよう」とでも言い出しかねないが、綾が良いとさえ言えば、竜三も嫌とは言わないだろうという結の計算だった。 「え」 綾は竜三の顔を見上げ、耳まで真っ赤になる。 「桔梗の花言葉は優しい暖かさ、黄水仙の花言葉は、愛に応えて。螺鈿の宝石言葉は、美しい契り、ですから‥‥」 老店主の唇が口笛でも吹こうかという形になったが、途端、不可視の何かに口を抑えられ、更に殺気すら籠もった結の視線に射すくめられ、直立不動の姿勢になる。 「ま、ま‥‥まままだ、いきな、い、いきなり、そんな、ね‥‥」 二人は耳まで赤くなり、ぶんぶんと頷き合うと、そそくさと受け取った品を、大切そうに懐にしまう。 と、清顕が店の陰にひっそりと姿を現した。秘術・影舞で姿を消し、机の下で箱の中身をすり替え、店主の口を抑えていたのだ。 二人が店を離れていくのを見て、大きく息を吐く。 「‥‥あそこまで熱い花言葉は、早すぎたかな」 「いえ、むしろ良かったと想いますよ、僕は」 微笑む結の視線の先では、綾に服の袖を握られつつ歩く、竜三の姿があった。 「まだ、手も繋がないんだねえ。好きなら押せばいいんだよ‥‥」 呆れ顔の清顕だったが、その口角は微かに上がっていた。 ● 陽が傾き、祭りの騒ぎもたけなわとなっていた。 二人は町の広場の外れ、地べたに座ってぼんやりと踊りを眺めていた。今年は珍しくジルベリアの「だんすぱーてー」が催されるとの事で、妙に力強い人の流れに押され、行き着いたのだ。 レースのついたワンピースにケープ、獣耳カチューシャというジルベリアらしい風体に緑色のリュートを抱えた女性、リンの吹く口笛が、穏やかで安らかな空気を作っている。 (1、2、3、そこで回る‥‥ええよ、ええよ‥‥) 集まった老若男女は、リンの事前指導を生かし、ぎこちないながらもフォークダンスを踊っている。剣悟郎は町の若衆に持ち上げられ、酔い潰れている筈だ。 「あの、今日はありがとうございました」 「何が」 竜三は、隣に座る綾の小さな顔を見下ろす。 「盆栽だとか、千代紙だとか、私の好きなものに付き合ってもらっちゃって」 「楽しかった。今度、盆栽は始めてみる」 竜三は短く言った。 「そうですか」 「ああ」 素知らぬ顔で、チンドン屋の一行が、フォークダンスの曲を器用に演奏しながら前を通る。 竜三の顔は夕日に染められている以上に赤く、手は緊張のあまりきつく握りしめられていた。 楽士の少女が、そっとどこかに向かって頷いた。 (よし、合図だリンさん!) (はいな。あんじょうやりなはれ、竜三はん) リンが口笛を止め、リュートで情熱的な旋律を奏で始めた。ダンスのペースがやや速くなり、そして広場中の恋人達が、少しずつ、互いの距離を縮めていく。 (私の練力じゃ、五分程度しか心の旋律は持たへんよ! 気張りや!) 「‥‥綾さん」 「はい?」 夕日を浴びながら、綾はぼんやりと踊る人々を眺めている。 「その、今日は、楽しかった」 「はい」 綾は、嬉しそうに頷いた。 「その」 「はい?」 「あの」 竜三は言葉を切り、大きな拳をきつくきつく握りしめる。 (いけ! 言っちゃえ!) チンドン屋の列からひっそりと抜けた御子もまた、拳を握っていた。 (言うのだ‥‥相思の縁を育む事無く終える事も無かろう) 広場の茂みに伏せ、耳をそばだてている浄炎も、下唇を噛みながら、必死に心の中で応援する。 「俺‥‥け‥‥けっこ‥‥」 (早い! 早いですよ、竜三さん! 結婚は!) 自分の耳と人魂とで音声を拾っている芳純が、必死に止める方策を考える。が、手も足も出ない。 結が清顕の腕を揺さぶった。 (清顕さん! 影舞で止められないんですか!) (影舞は練力消耗するんだ! さっきのすり替えと、爺さんの口塞いだので打ち止めだよ!) 清顕はうろたえるばかりだ。 「けっ‥‥結‥‥結構‥‥腕っ節も強い方だし‥‥何かあれば‥‥」 竜三は、ぼそぼそと口上を並べ始める。 広場に潜む六人が、人知れず胸をなで下ろす。 「だから‥‥」 「はい」 綾も耳まで赤くなり、居住まいを正す。 「その‥‥俺‥‥と‥‥とも‥‥」 (友達から! そう、友達からでいいよ! 押せ! 押しちゃえ!) 御子が、手に汗を握りながら、必死に頷く。 竜三は、耳どころか、首まで真っ赤になっている。 一瞬の間。 (勇気を出すのだ‥‥綾殿も、それを待っておられる) (あかん、もう練力が持たへんよ!) (リンさん、頑張って下さい! いい所なんです!) 「俺‥‥と、友達になること、前提で‥‥藤野屋に、通ってもいいか」 綾は、ぽかんと竜三を見上げた。 気まずい沈黙が二人の間に漂う。 (……弱気すぎでしょう) (どんだけやねん‥‥) 数秒の空白の後、果たして綾は、赤い顔で囁いた。 「も、もうおと、お友達ですよ、私達」 「‥‥そ、そうか。もう‥‥」 綾はこっくりと頷いた。 「また、どどこか、遊びに‥‥行って、くれますか」 「も、勿論!」 竜三は、鳥の羽ばたきのように激しく頷いた。 綾が、竜三にさえ聞こえない微かな声で、好き、と呟いたのを、芳純の人魂だけが聞いていた。 二人の恋は、まだ始まったばかりであった。 |